このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ
飲んべえ日記 平成二〇年一月分
わさび
1月31日木曜日晴れ ○
支那の毒餃子については、いつでも起こる可能性があったわけで、今まで無事にきた方がおかしいかったのです。あの国の事を知れば知る程、日本人なら、だれも支那で作った食品など食べたくはないのが普通でしょうが、それを確認しようにも、確認しようがないものが多いのも事実です。支那の高官のひとりなどは、支那では心配で、家族を東京に住まわせていると産経新聞に記事が掲載されていたことがありました。当店の支那のお客様のおひとりは、一〇年以上日本に滞在していますが、故郷である大連に帰ると具合が悪くなるとおっしゃっている人もいました。
去年の八月にあのチョンイル新聞系の「AERA」が、支那の毒は日本から来た。すべては日本に責任があるという気狂い記事を掲載したが、これがいかにウソかということがよくわかる。支那人の問題なのです。
河岸でいつもお世話になっている中卸しさんでワサビを購入。静岡産だそうだが、これがまたデカイ。二キロ入りで八本だったそうで、一本二五〇グラム見当。購入した二本で四七〇グラム。一緒に写っている磯自慢中取り三五%の空瓶と比べていただいてもよくわかると思います。
わ。さんから土曜日に寿司をとのリクエストがあり。
Yさん四名様で来店。Y岡さん来店。初めてのお客様二名様来店。マロさん来店。インチキラクターさん来店。
今日はあまり飲まなかったので、記憶あり。
次から次ぎへと
1月30日水曜日晴れ ×
産経新聞の阿比留瑠比氏のブログに「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」議員名が掲載されています。
以下引用
■衆院議員(29人)
赤松広隆、泉健太、岩国哲人、岡田克也、奥村展三、小沢鋭仁、金田誠一、川端達夫、郡和子、小宮山洋子、近藤昭一、佐々木隆博、末松義視、仙谷由人、筒井信隆、津村啓介、中川正春、西村智奈美、鉢呂吉雄、鳩山由紀夫、平岡秀夫、藤井裕久、藤村修、細川律夫、前原誠司、三井辨雄、三日月大造、横光克彦、横路孝弘
■参院議員(36人)
家西悟、犬塚直史、一川保夫、大島九州男、小川敏夫、岡崎トミ子、加賀谷健、神本美恵子、川上義博、今野東、佐藤泰介、工藤堅太郎、武内則男、谷博之、谷岡郁子、津田弥太郎、ツルネンマルテイ、千葉景子、轟利治、友近聡朗、中村哲治、那谷屋正義、白真勲、藤末健三、藤谷光信、松岡徹、室井邦彦、藤田幸久、藤原良信、前田武志、増子輝彦、松野信夫、水岡俊一、梁瀬進、山下八洲夫、横峯良郎
…私の趣味的な視点で言えば、大ボス、輿石東参院議員会長を除き、日教組系議員はみな加わっていますね。藤井裕久氏は自由幹事長時代は、「本心では反対だ」という趣旨のことを漏らしていましたが、宗旨替えされたようです。この議連は今後、週1、2回のペースで開催され、「議連の会員以外の民主党議員も参加できる形で運営したい」(岡田氏)とのことです。
引用終わり
同じく阿比留瑠比氏のブログに民団などが我が国の国会議員に対して実施したアンケート結果について書いてある個所もございます。これは在日本大韓民国民団中央本部と、「定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク」とが昨年一〇月に国会議員を対象に実施したアンケートの結果だそうで、阿比留瑠比氏がフリーライターの三品純氏、ジャーナリストの西村幸祐氏、SAPIOの協力で手に入れたものだそうです。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/447326/
外国人地方参政権について「日本で実現しない理由は何だと思いますか?」という質問についての答えです。
以下引用させていただきます。
【衆院議員】(肩書き、敬称略)
■公明党
・石田祝稔 「歴史に対する認識、又相互主義についての認識の欠如ではないか」
・上田勇 「外国人と共生する社会になじみが薄い。影響の過大評価」
・斉藤鉄夫 「一部保守勢力の頑迷な誤解」
・田端正広 「永住外国人の現状についての認識不足」
・高木美智代 「日本の純粋主義を守りたいという一部の人々による」
■民主党
・赤松広隆 「自民党内の保守ナショナリスト達が強く反対しているため(安倍首相も含めて)」
・岩国哲人 「日本人の潜在的な反外国人感情を恐れる一部の政治家を扇動する政治勢力」
・大畠章宏 「実態についての理解不足。諸外国での実情理解不足」
・小宮山洋子 「島国で、他の国と国境を接していないことなどから、国民とは日本人のことという意識が強いため」
・古賀一成 「未だ、国民・地域の中で本件が十分機能され認識されていない」
・郡和子 「憲法は『国民』であって外国人をこのくくりに入れていないのがネックになっていると思われる。また残念ながら外国人に対する差別意識が国民の中にあるのではないか」
・仙谷由人 「いろいろな民族の人で地域が構成されているということについての理解が浸透していないため」
・高井美穂 「島国根性。差別意識」
・土肥隆一 「国籍条項にこだわる。国際性の欠如、外国人に対する人権への配慮のなさ」
・中井ひろし 「自民党内の民族主義な発想の人達の無理解。私は、過去2回法案提出者になっている」
・鳩山由紀夫 「地域社会では定住外国人の地方参政権は理解されていると思われる。逆に国会における一部超保守的な考え方の議員及び法務省に問題があると思います。民主党は『基本政策』に『定住外国人の地方参政権などを早急に実現する』と掲げて、これに基づき永住外国人に地方参政権を付与する法案を国会に提出しています」
・藤村修 「自由民主党の中で賛同が得られていないから」
・村井宗明 「イデオロギー的に偏った議員もいるから」
・柚木道義 「朝鮮半島の緊張状態。他の大陸諸国に比べて定住外国人達の移動が少ないこと」
・横山北斗 「歴史事情から特定の国の外国人の数が突出しており、町・村レベルなら住民票を移動し首長を誕生させることも可能である。すべての定住外国人がわが国のデモクラシーの枠内で物事を考え、納税者に付与されるべき権利を行使するとは限らないという疑念をぬぐいされないという人々も多いのではないか」
【参院議員】(肩書き、敬称略)
■公明党
・魚住裕一郎 「一部保守派の頑迷な反対のため」
・遠山清彦 「地方公共団体の長や議員は『住民』が直接、これを選挙することを定めている憲法第93条2項について国民や政治家の認識が薄い」
・松あきら 「偏見があるのでは」
■民主党
・江田五月 「自民党議員の無理解」
・喜納昌吉 「保守与党と政府の民族国家主義。一般有権者の関心の低さ」
・谷博之 「自民党の反対、なぜ反対かは私からは申し上げられないです。他党のことなので」
・辻泰弘 「政権与党たる自民党の反対」
・白真勲 「日本の一部にある偏狭なナショナリズムも一因であると思います。『定住』という言葉と『地方』という言葉が抜けて、日本にいる外国人なら誰でも国政まで参加できるという誤解があることも要因として考えられると思います」
・林久美子 「憲法解釈」
・梁瀬進 「一部の国民にある偏狭なナショナリズム」
・柳田稔 「自民党が反対のため」
・山本孝史 「国政レベルと地方自治体レベルの話を誤解している。多文化共生意識が根付いていない」
・行田邦子 「憲法15条で参政権を国民固有の権利と定めていることを地方参政権にも準用している」
・川上義博 「在日をつくっておきながら責任をとろうとしないその姿勢に怒っている」
【社民党】(敬称略)
・阿部知子 「在日コリアンに対する差別意識とそれをあおる一部政治家」
・辻元清美 「排外主義が根深く残っているから」
・又市征治 「韓国・朝鮮人、中国人等に対するいわれなき偏見、植民地主義的蔑視、帝国主義的歴史観。それを再生産してきた文部省の教科書検定等」
【共産党】(敬称略)
・笠井亮 「政府自民党のなかに日本の政治に対して(米国を除く)外国人には口出しさせないという排外主義が根強く残っていること、より根本的には韓国をはじめアジアの人々に多大な惨禍をもたらした日本の侵略戦争への反省がなく、そればかりか安倍政権になって日本の侵略戦争は正しかったと主張する勢力が政権の中枢を握ったことが、定住外国人の地方参政権の実現をより困(※ここで文字切れ)」
・穀田恵二 「自民党が反対しているからだと思います」
・佐々木憲昭 「自民党・民主党の国会議員の中に、外国人の参政権付与に反対する議員が多数いるため。彼らの主張は『参政権は国民にのみ与えられるべきであり、日本国籍を得て、参政権を行使すべき』というものです。しかし、現在の日本には、多くの地域で在日の方々も含め定住外国人が地域社会を構成し支えているという現実があります。固有の権利として、早急に地方参政権は付与されるべきだと考えます」
・日森文尋 「一部日本人の偏狭な民族主義及び排外主義」
・井上哲士 「自民党の抵抗。国政への参政権も付与するとの誤解が広くある」
・紙智子 「最大与党の自民党とその流れを汲む保守系議員の反対が強く、野党が立法提案しても、審議入りさえ出来ない状況がある」
・仁比聡平 「日本共産党などが提出してきた永住外国人に地方参政権を付与する法案が成立しなかった理由は、『日本会議』国会議員など法案に反対している議員が大きな影響力をもっている自民党が反対していることです」
・山下芳生 「与党が法案審議を認めないため」
【無所属】(敬称略)
・糸数慶子 「単一民族・単一国家という観念を持っている」
・川田龍平 「自民党の無理解が直接的な理由だと思う。国連を巻き込んだ運動が必要かもしれない」
引用終わり
売国奴が誰かわかる貴重な資料でした。
自民党にも、在日朝鮮人が日本国籍を簡単に得られるようにする ために活動していくという「国籍問題に関するプロジェクトチーム(PT)」を河野太郎が座長、太田誠一などが中心になり、議員立法で今国会に提出する方針を決めています。これなどは、この民主党の活動を助ける動きとしか思えません。それだけでなく、「人権擁護法案」を押し進める動きがあります。「自民人権調査会」は(会長、太田誠一)安部前首相の時に、活動を休止させていたものですが、福田総理になってから、顧問に伊吹文明、谷垣禎一、二階俊博、古賀誠の自民党四役だけでなく、青木幹雄、そしてあの山崎拓などが就任したことを報道しています。
日朝国交正常化を目指す「自民党朝鮮半島問題小委員会発足」というのも、これまた山崎拓が会長になり作っています。
これら一連の動きは、すべて連動した動きであると思います。絶対に阻止しなければいけないものです。そうしないと、我が国にとって悪法の極め付けである在日朝鮮人に対する「特別永住」と同じ事になります。
日教組が二月二日土曜日から開く予定の教育研究集会とかいうのが、会場予定の「グランドプリンスホテル新高輪」から拒否されていたが、どうなったのだろう。どこかの廃校になった小学校の校庭でもやればいいだろうに。
今日は河岸にて玉置と豊田と待ち合わせて飯。豊田は東京で結婚しているモデルをしていたお嬢さんとお孫さん連れ。昼頃になり混んでしまったので、空いていた寿司屋に入る。築地の寿司屋さんは・・・・・・
東京出張というNさん二名様で来店。一名様来店。一名様来店。ドンチャン。記憶はあったが、大ヨッパライ。
名刺
1月29日火曜日くもりのち雨 ×
今日のチョンイル新聞(通名朝日新聞)の社説は、「大阪府知事?言葉は重いぞ、橋下さん
」と題したものでした。その中に<橋下氏の心配なところは、言葉の軽さだ。知事選への立候補が報道されたとき「2万%ない」と否定しておきながら、すぐに前言を翻した。
当選後には、二重行政の解消などの公約実現を「かなりハードにやる」と述べた。今度は「あれは話芸だった」ではすまされない。知事の言葉の重みを肝に銘じ、新風を吹き込んでほしい。>とありましたが、朝日新聞にだけは、こんな事はいわれたくはないでしょう。
今日は背中がまだ痛く、調子が悪い。今日、築地駅を出たら、道路にテロ朝の中継車が堂々と止まっていた。駐車禁止なんかお構い無し。なんか勘違いしているとしか思えん。河岸ではお願いしてあった活けクエ、活けヤリ、ツブ貝、塩水うに、サバ、マグロを購入。
割り箸も場外で、気に入ったものがあり、購入。吉野杉の間伐材を使ったまさ目の「ソゲ箸」が一膳一二円!。支那のわけのわからない割り箸が一・二円から二円です。それから比べても非常にお値打ちだとおもいます。
当店でも無理なく使えるものは、なるべく国産にできたらと思っています。
高校の同級生、豊田と玉置が来店。淡路べんが飛び交う。
初めてのお客様二名様来店。Kさん来店。初めてのお客様Sさん二名様で来店。初めてのお客様Tさん二名様で来店。Sさん名古屋のNさんと来店。Tさん三名様で来店。
今時の大きな会社に勤める人間は、自分の座った席の前に店主の名刺の入った箱があったら、厨房に入って店主がいない間に、箱を開けてその名刺を勝手に、連れてきた女性連中に配るというのをおかしいと思っていないようだ。一応、注意したけど気分がめちゃ悪い。
スハルト
1月28日月曜日くもり ○
今日、インドネシアのスハルト元大統領の国葬が今日行われたそうです。スハルト氏は、インドネシア国軍の母体となったPETA(ペタ 日本軍によるインドネシア義勇軍下士官養成学校)第四中隊の生徒として教育を受けたが、その時の教官で中隊長を勤めていた第十六軍司令部の土屋競元中尉(のちに大尉)を、大統領として来日という多忙な公務の中、ぜひにと探し出してもらい、対面し、傍らの夫人に土屋氏を紹介しながら世話になった礼を言い「教官どの、大統領になりました」と。土屋氏は、土屋氏とスハルト氏との関係を知った商社などからの誘いをすべて断わったそうです。
平成七年五月二九日に戦後五〇年を記念して、「追悼・感謝・友好 アジア共生の祭典」 が東京で開かれたが、この時、当時、インドネシア大統領であったスハルト氏は特使として、サイデマン・スリヨハデイブロジョ外務省上級大使を派遣した。その時、サイデマン外務省上級大使は下記のような挨拶をおこないました。
<これらの植民地となっていた人々の中でも、特に若い人々が大きな犠牲を払い、また独立のために命を捧げました。そして、第二次世界大戦中、あるいはその直後に植民地に住んでいた人々だけではなく、外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアをとりますと、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の若者たちがそのために命を犠牲にしてくれました。そこで、今日の式典におきまして私たちの独立のために命を捧げてくれたこれらの若者たちを偲びたいと思います。>
日本会議ホームページより
そして、同じ日本会議のページで、サイデマン外務省上級大使は、下記のようにインタビューに答えています。
<かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。
日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。独立を勝ち取った後の我々は植民地にさせられていたことの反省として、科学技術と人材の養成を克服すべき課題として掲げています。その際、学ぶべき日本とは欧米化する日本じゃない。欧米に負けないように科学技術文明を高めつつも、固有の文化を失わなかった日本にこそ我々は学びたいのです。
各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しょうとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。(平成七年五月三十日)>
この同じ平成七年という年にあの腐れ売国奴の村山富市、土井たか子などにより「戦後五〇年謝罪国会決議」、そして、あの「村山談話」を発表しました。この売国奴としか呼べないこの気狂いどもの行動については、西村眞悟議員のメルマガに詳しく書かれております。その引用
同じ年に、同じ東京での出来事なのです。
我が国は、外の敵より、内の敵がいかに問題かがよくわかる事例です。
今日は部屋で一日を過ごす。
飲んべえの会
1月27日日曜日晴れ ×××
午後三時より午後六時までということで、飲んべえの会
今回の出品酒
*東一 鑑評会出品酒
*いそのさわ 鑑評会出品酒
*土佐しらぎく 鑑評会出品酒
*東洋美人 鑑評会出品酒
*九平次 鑑評会出品酒
*喜正 鑑評会出品酒(一升)
*瀧自慢 鑑評会出品酒(四合)
御参加いただいたのは、Sくん、Kさん、酔狂師さん、K@京城さん、岡部ちゃん、「石松」のマスターの三浦さんの六名様です。
洗い物を終えてから、イデアルさんに顔を出すと、来日しているワインの蔵元さんフランソワ・アンリ氏(ドメーヌ・アンリ)が日本酒を飲みたいといういことで、みなさん当店にてドンチャン。勢いで、磯自慢三五%の二〇〇一年を開けてしまった・・・・・
自称ソムリエ
1月26日土曜日晴れ ×
当店のお客様といっしょに御来店いただいた女性のお客様は、店においてあるカラ瓶を見て「このDRC九〇年のモンラッシェはいまは一二〜一三万円はしますね。」「このペトリュス七八年は今は三〇万円はしますね」と当店のお客様におっしゃる。
お帰りになる時に、当店のワインセラーを見ていろいろしゃべった後に、「私は一応ソムリエを持っていますので」と宣わったのには私は驚いた。というより、ひっくりかえりそうになった。
まるで、七八年のボルドーとブルゴーニュを同じに扱った、あの自称ワイン通のMrグランバン君と同じではないか。
ちなみに、グレートビンテージといわれた九〇年のDRCモンラッシェは今は、百五万円、http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&f=A&v=2&g=100317&sitem=%A3%B9%A3%B0+%A5%E2%A5%F3%A5%E9%A5%C3%A5%B7%A5%A7+DRC
逆に、ブルゴーニュのグレートビンテージだが、ボルドーがよくなかった七八年ペトリュスは十二万六千円からあります。http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&f=A&v=2&g=100317&sitem=78+%A5%DA%A5%C8%A5%EA%A5%E5%A5%B9「私はソムリエですから」と 宣わったこの「自称」ソムリエ女性は、ワインのビンテージについて最低限の知識も持ち合わせていない人だったわけです。酒(日本酒)と違って、ブドウの出来不出来による農業といわれているワインは、天候に大きく左右されます。
大雑把にですが、一九七八年はブルゴーニュは最高の年の一つですが、ボルドーはあきまへん。一九八二年は逆にボルドーは最高の年のひとつですが、ブルゴーニュはイマイチです。一九九〇年はボルドー、ブルゴーニュとも最高の年。ブルゴーニュはよかったがボルドーはあかんかった一九六九年などもそうですが、最低限のこういった知識ぐらいは、他人に「私は一応ソムリエの資格持ってますから」と宣う「自称」ソムリエだったら知っとかなあかんことでしょう。
知識はじゃまにはならないですが、あの利き酒師もそうですが、飲み屋で、資格でいろいろ言うやつに、ろくなやつはおらんという実にわかりやすい例でした。
酒は、楽しく飲むのが一番。
Yさん四名様で来店。御近所のFさんご夫妻来店。営業終了後、「エムズバー」さんに伺った後に中野の「石松」さんでドンチャン。帰りは石松のマスターと電車で帰る。
太田誠一というアホ
1月25日金曜日晴れ 寒い ×
あの売国奴河野洋平の息子である河野太郎が座長となり、在日朝鮮人が日本国籍を簡単に得られるようにする
ために活動していくというニュースがありました。
以下引用
自民党法務部会の「国籍問題に関するプロジェクトチーム(PT)」(座長・河野太郎衆院議員)は24日の会合で、
在日韓国・朝鮮人などの特別永住者が日本国籍を簡単に得られるようにする「特別永住者国籍取得特例法案」を議員立法で今国会に提出する方針を決めた。
法案は、国籍法の手続きに特例を設け、特別永住者に限って通常1年近くかかる許可手続きを法相への届け出制に変えるのが柱。
01年に与党3党が議員立法での提案を目指して自民党の党内手続きは終えたものの、党内に「特例法ができれば参政権法案は必要ない」といった意見が出たことなどから、公明党内から「参政権法案が棚上げされては困る」との懸念が広がり、提出できなかった経緯がある。
当時、与党PTの座長として要綱案をとりまとめた太田誠一衆院議員は会合後、前回も地方参政権との関連で取り上げられたが、心外だ。戦後、本人の意思を聞かれずに韓国朝鮮籍になった特別永住者に『申し訳ない』ということで、 簡単に国籍を取得できるようにするもので、地方参政権の問題は視野に入っていない」と強調した。
引用終わり
朝日新聞 12月24日
まあ、河野太郎については売国奴河野洋平の息子らしいと言ってしまえばそうなのですが、それにも輪をかけてアホウなのは太田誠一です。<戦後、本人の意思を聞かれずに韓国朝鮮籍になった特別永住者に『申し訳ない』ということで、
簡単に国籍を取得できるようにするもので、地方参政権の問題は視野に入っていない>とはどうしようもないバカです。
現在の在日朝鮮人がどのような来歴をもっているか、また、日本国籍からの離脱時の経過などを少しでも知っていれば、こんなアホな事は言わない。
バンブーさん来店。三名様来店。三名様来店。二名様来店。Sさん来店。一名様来店。金ちゃんRIEちゃんと来店。マロさん来店。
遅い時間からドンチャン。一応記憶はあったつもりだが、いい加減。
小朝日新聞
1月24日木曜日晴れ ×
私の故郷である淡路島は、江戸時代は阿波藩の蜂須賀家の家老である稲田家が治めていました。明治になり稲田騒動、廃藩置県後、一年だけは徳島県でしたが、その後、兵庫県に属するようになりました。その兵庫県で大きなシェアを占める地方紙が「神戸新聞」です。この神戸新聞は、まさに小朝日新聞と言っても過言でもない存在です。
その腐れ小朝日新聞からの引用です。
以下引用
年に十三万便近い航空機が発着する大阪空港。
そのすぐ北西にある集落が、間もなく姿を消す。
伊丹市の中村地区だ。 住民の八割が在日韓国・朝鮮人である。
三ヘクタール余りの地区の大半は国有の空港用地などで、国はここを「不法占拠」とみなしてきた。
しかし二〇〇二年に、住民への移転補償を決め、隣接地に市営住宅が建てられた。 五十世帯が昨年入居し、残る四十五世帯への鍵渡しが先ごろあった
地区の歴史は戦前にさかのぼる。
軍用化へ向け飛行場を拡張する工事で、千人の労働者が朝鮮半島から集められた。 むしろ敷きの簡易宿舎に住み、猪名川の砂利をトロッコやもっこで運んだ。
そんな過酷な生活や作業の証言は多い。
同じ戦中の空港建設で朝鮮人が住むようになった京都・ウトロ地区の歩みとも重なる中村地区は戦後、残った人に加え、住む場所や仕事を求める人々が移ってきた。
民家が軒を連ねており、火が出ると瞬く間に燃え広がった。
国は焼け跡を囲って建築を差し止めたが、住民はこっそりと建て替えたそうだ。
しかし、「不法」のため下水道は今も未整備のまま。
もちろん騒音対策の対象にもならなかった
「地区の歴史を残すため、せめて碑でも」。 住民からそんな声を聞いた。
移転にこぎ着けた安(あん)堵(ど)、地区への愛着、
在日コリアンを生んだ歴史的な背景、「不法占拠」とされてきた悔しさ。
さまざまな思いが込められた一言だろう
中村地区の跡地は、あと二カ月で更地になる。
ここに刻まれた思いと歴史は、しっかり心にとどめたい。
引用終わり
神戸新聞「正平調」 2008/01/23
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0000810685.shtml
以前も「神戸新聞と朝鮮総連とのつながり」について書いた事がございますが、このコラムも同じようにアホウさ満載です。
<戦後、残った人に加え、住む場所や仕事を求める人々が移ってきた>
<国は焼け跡を囲って建築を差し止めたが、住民はこっそりと建て替えた>
これって、不法占拠以外にどのような説明ができるのでしょう。
同じ神戸新聞は過去に下記のような記事があります。
<終戦直後、多くの朝鮮人労働者がこの地を去った。日本の敗戦は帰国への道を開いたが、祖国は同時に分割占領下に置かれた。戦後の混乱の中、貧しさも手伝い、行き場を失った朝鮮の人々。彼らは再び知人や親類を頼りに日本各地から中村地区に集まってきた。>
(掲載日:2002/02/15)
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0202hansin/02.html
まさに「不法占拠」以外のなにものでもありません。それを不法占拠と言われるのが悔しいってアホですか。まさに、密入国までして我が国に来ていながら、「強制連行されてきた」とウソをついて平気な厚顔無恥在日朝鮮人の典型です。
こういった、在日朝鮮人のヤクザ以下のゴネ得を許してきたために、在日朝鮮人は外国人の身分のまま数々の特権を得てきました。それでいて、差別差別の騒ぐ人たち。
ネットの翻訳掲示で、朝鮮人が<板台湾が韓国より先に進んでいる分野がただ 1個でもあるか?
>と書いていました。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=4&nid=1955922&st=writer_id&sw=jokbal55
それに対しての答えがみなさんお約束通りで笑えました。
「民度」
ごもっとも。
今日はメチャヒマ。初めてのお客様二名様来店。
でっ、早い時間から飲む。ドンチャン。
まだこんな事を言って商売している
1月23日水曜日雪のち雨 ○
あの反日と在日を商売にしている、まさに「在日朝鮮人の恥」である辛淑玉女史が下記のようなコラムを書いているそうです。
以下引用
◆騙す側の見事な連携
略)
六力国協議で孤立を深める日本を見ていると、この国の外交のお粗末さだけでなく、歴史の後退を感じてならないのだ。
日本全国、「拉致」、「拉致」と騒ぎ、果ては在日を北朝鮮政府の手先とばかりに叩く。
植民地支配の結果、日本に住まわざるを得なくなり、今なお基本的人権を求める権利すら奪われている在日に、拉致への感情をぶつけること自体がお門違いである。
北朝鮮政府による日本人拉致が判明したときの、在日への嵐のような暴力行為の連続は、在日社会に大きなトラウマを残した。
積み重ねられてきた嫌悪と過去から連なる差別意識により、こと「北朝鮮」となると、メディアでは一斉に感情的なコメントが続く。
安倍政権はそれを見事に利用して、防衛庁を防衛省にし、憲法9条を破棄するステップを整えた。
ミサイル発射騒動一つとってみても、韓国では何の問題もないとされたのに、日本では番組放送中に緊急報道のむとくテロップを流し続け、ニュースが沸く。
人民が食えないなかでミサイル実験をする北朝鮮政府のアホらしさは筆舌に尽くしがたいが、日本政府の軍備拡張や政権維持のために、「北の脅威」は必要不可欠のものとなった。
その姿は、まさに20年前の韓国そのものだ。
銘度線を境にいく度か繰り返された「北」からの襲撃は、韓国政府のやらせも多かったことがのちに判明している。軍事独裁政権は、やらせでもっていたのだ。
その歴史を反省した結果が、今の韓国内の報道である。
略)
騙される側の学習があまりにも足りない。
引用終わり
『週刊 新社会』 2008年1月22日 No.46 連載「たんこぶ」
http://www.sinsyakai.or.jp/left/tankobu/tankobu_46.html
相変わらず、辛淑玉女史らしいアホ全開です。「 騙される側の学習があまりにも足りない。
」などとこんなアホからいわれたくはありません。
ましてや、<植民地支配の結果、日本に住まわざるを得なくなり、今なお基本的人権を求める権利すら奪われている在日>とは恐れ入る。辛淑玉女史らしいお言葉であるが、厚かましくも「勝手に」我が国に入り込んできて、いまも「外国人」である在日朝鮮人が、奪われていると言っている「基本的人権を求める権利」とはいったいなんでしょう。
「人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利」とされている基本的人権を奪われているというのなら、世界中で一番恵まれている「外国人」である在日朝鮮人においては、そのような問題をもった在日朝鮮人が我が国に存在するはずはありません。
日本国憲法に定めるところの我が日本国民が統べて平等に有するべき基本的人権というのは存在しますが、「外国人」である在日朝鮮人が日本国憲法に定めるところの、「日本国民が平等に有する基本的人権」と同じものを欲する方がおかしいのです。何度も過去に書いていますが、外国人と自国民が同じ権利を有している国など地球上に存在いたしません。
<この国の外交のお粗末さだけでなく、歴史の後退を感じてならないのだ>と書くが、これは今までウソをついて厚顔無恥に好き勝手やってきた在日朝鮮人が、インターネットなどの発達により、そのウソが通用しなくなってきただけであり、歴史の後退などではなく、進歩なのです。この辛淑玉女史のような「嘘つき在日朝鮮人」が普通に生活している在日朝鮮人の人々の足を引っ張っているのです。
それは<北朝鮮政府による日本人拉致が判明したときの、在日への嵐のような暴力行為の連続は、在日社会に大きなトラウマを残した>と書く言葉でもこの女史の嘘つきぶりがわかる。
あの卑劣な北朝鮮による拉致が明らかになった後に、我が国のどこかで、在日朝鮮人の経営している会社や店、朝鮮総連関連施設に投石や焼き討ちなどあったのであろうか。独裁国家である北朝鮮においては、デモなどはおこりえないが、南朝鮮では、我が国に対しての気狂い沙汰としか言い様のない激しいデモが繰り返されている。支那でも同じです。日本人留学生の寸劇が原因で留学生に危害を加えられたり、大使館まで破壊される暴動が起こっている。
我が国で在日朝鮮人に対してそのような事があったのでしょうか。パチンコ屋が投石で破壊されたか?
被害者面していたのが、加害者と日本人にバレタので、開き直って被害者面しているとしか思えないバカ朝鮮人の文章です。
< 積み重ねられてきた嫌悪>とは自業自得としか言い様がありません。我が国において在日朝鮮人が今までやってきた事に対して、それが率直に返ってきているだけです。それは現在、我が国以外の他国において問題化している事でも証明できるでしょう。
<ミサイル発射騒動一つとってみても、韓国では何の問題もないとされたのに、日本では番組放送中に緊急報道のむとくテロップを流し続け、ニュースが沸く。
人民が食えないなかでミサイル実験をする北朝鮮政府のアホらしさは筆舌に 尽くしがたいが、日本政府の軍備拡張や政権維持のために、「北の脅威」は
必要不可欠のものとなった。
略)
その歴史を反省した結果が、今の韓国内の報道である。>
このように本当に思っているのであれば、辛淑玉女史は真性のバカ、アホウですし、そうでなければ、あのバカ朝鮮人の柳在順女史と同じ北朝鮮の走狗の役目を果たしているだけです。
南朝鮮が金大中と盧武鉉と二代続いた赤い大統領と北朝鮮の工作により、赤化していることは事実であり、南朝鮮が北朝鮮のミサイルを問題としなかったのは、その赤化が根底にあります。ちなみに、我が国と南朝鮮とのGDPと軍事費の割合を御存じだろうか。我が国が一%であるのに対して、三%です。そして、我が国の防衛力は、気狂いの北朝鮮のミサイル問題はもちろんだが、支那の脅威をより重点に置いている事は明白だろう。
相変わらずの電波コラムでした。
雪が降る寒い一日。「よしや」さんに買い物で出かけた時に、通りがかりの人が、車椅子を家に入れるのを手伝っているを見た時に横顔が「上岡さんに似ているけどまさか」と思いながら通り過ぎる。店に帰ってきてしばらくしたら、栃木県佐野市の「上岡酒店」の上岡さん御夫妻来店・・・・・
Dさん五名様で来店。
笠原十九司
1月22日火曜日くもり 寒い ×
下記は笠原十九司都留文化大学教授の「世界」二〇〇八年一月号に掲載された論文よりの引用です。
<中国との「情報戦」という妄想的発想は、冷静に考えれば非現実的です。現在の日中関係は日中平和友好条約を締結していて戦争状態になく、日中共同声明(一九七二年)や日中共同宣言(一九九八年)で、日本は中国への侵略を反省、謝罪しています。中国は日本との経済関係の緊密化を有利としていますし、一般市民が容易にさまざまな情報を入手できる情報化社会で、何が「情報戦」なのでしょうか。しかし、「陰謀史観」と中国脅威論とが結びついて受容される要素が日本社会にあることは注意を要します。>
(「世界」二〇〇八年一月号P二三一)
ここまでお花畑な脳みそを持っていたら、ある意味幸せでしょうが、一応この御仁は大学教授なのです。(そうらしい・・未確認)
<日中関係は日中平和友好条約を締結していて戦争状態にない>から<「情報戦」という妄想的発想は、冷静に考えれば非現実的>というが、友好条約を締結している事と、その支那が情報戦を仕掛けてこないという事とは何ら関係はありません。
ましてや、「一般市民が容易にさまざまな情報を入手できる情報化社会」って、これ洒落でっか。
確かに、支那のネット人口は現在二億千万人で今年中に米抜き世界一にというニュースがあったばかりです。しかし、支那政府の情報統制は既に有名です。
中国での検閲はYahoo!が最悪??国境なき記者団
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/17/news006.html
yahoo.cnで反体制的用語を検索すると、結果の大部分に中国政府寄りの情報が表示され、一部用語ではエラーが出て検索ツールが一時的にブロックされてしまうという。
2006年06月17日 07時28分 更新
国境なき記者団は6月15日、検索大手各社が提供する中国語版の検索エンジンを調べたところ、検閲状況はYahoo!が最悪であることが判明したと発表した。
調査ではYahoo!、Google、MSNの中国語版と地元企業のBaiduで、「6-4(天安門事件が起きた6月4日の意味)」「法輪功」「チベットの独立」「民主主義」といった反体制的と見なされる用語を検索し、検索結果を比較した。
その結果、こうした用語の検索結果に占める中国政府寄りサイトの比率は、yahoo.cnの場合97%に達し、Baiduを上回った。
google.cnでは83%、msn.cnは78%だった。これと比較して、検閲されていないgoogle.comなどで同じ用語を検索すると、中国政府公認筋の情報が占める比率は28%にすぎなかった。
yahoo.cnでは特定の反体制的用語で検索をかけると検索ツールが一時的にブロックされ、まずエラーメッセージが出た後、改めて別の用語で検索しようとしても反応しなくなるという。こうしたやり方を取っているのはYahoo!のほかはBaiduのみだという。
日本に報道規制を要求 中国「対中批判多すぎ」
中国外務省の崔天凱アジア局長は9日、北京での日中政府間協議で「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と述べ、日本側に中国報道についての規制を強く求めた。
メディアを政府の監督下に置き、報道の自由を厳しく規制している中国当局者の要求に対し、日本外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長らは「そんなことは無理」と説明したという。
日本側によると、崔局長はまた、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や日本国内での「中国脅威論」の高まりなども挙げ「(日中間にあるのは)日本が起こした問題ばかり。中国は常に守りに回っている」と批判した。
佐々江局長は「日本だけが一方的に悪いという主張は受け入れられない」と反論したが、双方の隔たりの大きさに、日本の外務省幹部は「これが日中関係の置かれている実態」と苦笑した。(共同)
(SankeiWeb 2006/01/09 21:05)
米国、EU:中国の報道規制新法令の発動に異議
【大紀元日本9月13日】中国当局は10日、外国通信社が中国国内においてニュースや写真、画像などを配信する場合、国営通信社・新華社の許諾を得るなどと規定した法令を発動したことについて、米国務省の報道官は、「米国政府は中国当局に、報道自由は中国の憲法および国際社会が認可した基本権利であると強調し非難した」と発言した、中国当局のこの行動は、情報が基盤とする現代経済社会を建設する願望と不一致するとけん制した。BBCによると、EUも来月に開かれる欧州連合・中国の人権対話の席で、この問題を提起する構えを示した。
(06/09/13 09:56)
このように、支那では報道規制がされ、検閲による情報操作がさている事がわかる。反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりする。そして、サーチエンジンでの特定の言葉の検索結果に対するフィルタリングがあるのは常識です。
たとえば、最近、あの腐れNHKが「激流中国」と題した、珍しくまともな番組を放送しました。
これらは、日本国内における反響はもとより、支那大陸でもボランティアの手によって中文字幕が施された「プロローグ」と「第一回 ある雑誌編集部
六〇日の攻防」のビデオがインターネット上で出回たりしたそうです。その結果どうなったか。
インターネット・サービスで「激流中国」という語句の検索や、語句を含む投稿に対してエラー
「見つかりません, メンテナンス中です」或いは警告が表示されるようになり、また「激流中国」について言及していたブログや電子掲示板等の多くの記事が削除の対象になりました。
ところが、笠原十九司というこの大学教授にとっての支那とは、「一般市民が容易にさまざまな情報を入手できる情報化社会」なのです。
アホとしか言い様がありません。
今日はどういうわけか多くのお客様。初めてのお客様二名様で来店。同じく初めてのお客様二名様で来店。わ。さん二名様で来店。Tさん二名様で初めての御来店。ここまで、皆様がカップル。「イデアル」のM社長大勢差まで来店。
明日が河岸が休みということもあり、遅い時間からドンチャン。めずらしく記憶あり。
週刊ポストの特集「追跡!ニッポンの大問題」
1月21日月曜日くもり 寒い
週刊ポスト平成二〇〇八年一月二五日号の特集「追跡!ニッポンの大問題」の第一回は、なんと、「在日韓国・朝鮮人が年金差別で怒りの告発!」というものでした。
どうして、これがわが国の大問題なのでしょう。少なくとも特集として、「追跡!ニッポンの大問題」と題された第一回の題材として適当なものなのでしょうか。
まあ、とにかく、この記事によると、<ニッポンと在日コリアンたちの間には、参政権や民族差別などいくつも大問題が横たわっている。>として、一九四三年昭和一八年に日本で徴用され、そのまま戦後も日本国籍を取得しないまま日本に滞在し続ける八六歳の在日朝鮮人は<「ずっと日本で働き、税金を払ってきた。しかし、日本国籍がないために年金に加入できず、同じ外国籍のままの在日の中には、救済措置で受け取っている人もいるのに、私達だけが全く救済されない。略)
一度でいいから国から年金がもらえないものか」
と書いていますが、この裁判は昨年、下記のようなニュースにもなりました。
以下引用、
在日コリアン無年金訴訟:「私たちにも権利が」 決起集会、支援者に協力訴え /福岡
私たちも日本のみなさんと同じ権利を持っているはずだ??。
17日、福岡市内であった在日コリアン無年金訴訟の決起集会。
年老いた原告男性の一人は、マイクを握りしめ、会場を埋めた約150人の支援者に協力を訴えた。
18日の提訴から始まる長い戦いの日々に向け、原告たちは怒りに声を震わせ、時折、懇願するかのように深々と頭を垂らした。
集会では、在日外国人の人権問題に詳しい田中宏・龍谷大教授が講演した。
これまで京都と大阪で起こされた同様の訴訟はどちらも原告敗訴という厳しい現状だが、
「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が負うべし、という裁判所の理屈には矛盾がある」と指摘。
その証拠に「海外に住む日本人に対し、日本政府は年金を支払っていないではないか」と糾弾した。
また田中教授は、政府が税金を徴収する際だけ外国人住民をメ国民モ扱いすると皮肉り、朝鮮半島と関係の深い福岡で行われる裁判の行方を「全国の人たちが期待し、注目している」と激励した。
この日は原告9人のうち5人が会場に姿を見せた。
前述の原告とは別の男性は支援者を前に 「私たち民族が人間として扱ってもらえるよう、日本の方がこれだけ運動してくださることが、本当にうれしくてたまりません。
どうか前からも後ろからも押してください」と裁判の傍聴を呼びかけた。【朴鐘珠】
〔福岡都市圏版〕
毎日新聞 2007年9月18日
引用終わり
週刊ポストには、この原告の山本春太弁護士の発言として
「彼らは元々日本国籍を有していたが、戦後の日本政府の通達により、一方的に日本国籍を喪失しており、社会保証を受ける権利がある」と書いている。
これについて、その週刊ポストの記事の欄外に
<一九五二年のサンフランシスコ平和条約の発効により朝鮮の独立を承認した日本は、法務府(現法務省)民事局が「朝鮮人及び台湾人は内地に在住している者を含めてすべて日本国籍を喪失する」などとする通達を発した>と書いている。
あと、説明が必要だろうとして、同じ記事の中にわが国の年金について
<五九年に制定された国民年金法は、被保険者の資格を「二〇歳以上六〇歳未満の日本国民」と定める、いわゆる「国籍条項」を設けた。その後八二年に国籍条項は撤廃されたが、年金受給には二五年以上の保険料納付が必要だった。そのため、当時すでに三五歳を超えていた在日外国人の多くは、「納付しても掛け捨てになる」と判断し、保険料を納付しなかったという。>(p四〇)
と、書いているが、これらにはウソ、あるいは意図しているかどうかは別として説明不足がある。
<戦後の日本政府の通達により、一方的に日本国籍を喪失>と書いてあるが、一方的には国籍は喪失していない。強制連行と同じく、在日朝鮮人の大得意とする大ウソのひとつと以前に、浅川晃広名古屋大学専任講師が「正論」二〇〇五年八月号に掲載された論文よりの引用にて指摘させていただきました。
参照→在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」
ここで、自身も朝鮮系日本人である浅川氏は「日本政府のみが一方的」というのは史実に反していると、そのウソについて書いています。
そして、浅川氏は当時の在日朝鮮人は、日本国籍というものに対してどう思っていたかも書いています。これにより、在日朝鮮人とは、日本から一方的に国籍を奪われたのでもないし、それに反対もしなかったことがわかります。
説明不足か隠しているのか知りませんが、国籍条項は八二年に撤廃されましたが、撤廃後、六年間に特例期間があり、その間に加入し掛け金を全部払うと
外国人でも年金が受給する権利が得られました。 これは国籍条項が撤廃されたときに対象者全員に通知をおこないました。もちろん、その時点で不法滞在者などは除きます。
これにより、訴えている在日朝鮮人は、この特例期間にも加入せずに掛け金も払っていない
事になります。
そして、南朝鮮の年金制度はわが国より遅れましたが、八六年に開始されました。これは最低一〇年払うと年金が貰えるというものです。
これまた、訴えた在日朝鮮人は、この南朝鮮の年金にも加入していないことになります。(偉大な北朝鮮につきましては六人も母国の国会議員がいるのですから、その偉大な祖国の国会議員が、在日朝鮮人のために議員としての役目を果たしていないからでしょう)
つまり、訴えているのは、あるいは、地方自治体より特別給付金をもらっているのは、掛け金を払ってもいないし、払うつもりもないが、年金だけよこせゴラ〜と言っている、クソ厚かましい在日朝鮮人ということになります。
だいたい、どういうわけで、国民年金訴訟で正式に敗訴し、法律にも定めていないのに、地方自治体が「特別給付金」など支給しなければいけないのでしょう。このような逆差別は即座に廃止してほしいものです。
また、田中宏・龍谷大教授は引用掲載したニュースの中で、「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が負うべし、という裁判所の理屈には矛盾がある」と指摘して、
その証拠に「海外に住む日本人に対し、日本政府は年金を支払っていないではないか」となっているが、このニュースのあった二〇〇七年現在、海外在住日本人の年金加入
は日本国籍があれば、外国に住んでいても、年金を受けとることができます。
また、この田中宏・龍谷大教授は同じ記事の中で
<年金保険料を納付できなかった人たちへの救済措置は、小笠原諸島の復帰の際や沖縄返還、中国残留日本人帰国者、最近では北朝鮮による拉致被害者の帰国者のために、柔軟に法律をつくって対応してきた。彼らは救済措置が法律で制定されることで他の加入者に大きく劣る事のない国民年金が受給できるようになったのです。在日の無年金者についても救済策を講じた法律の制定を求めるしかありません。>(p四一)
と言っていますが、どうして、自分で好き好んで「外国人」のままでいる在日朝鮮人と、日本人と一緒にするのでしょう。ましてや、北朝鮮拉致被害者の皆様と同列に論ずるとは、狂っているとしか思えません。それとも、在日朝鮮人は強制連行された被害者だとかいうつもりでしょうか。
この人の頭の中はまるで、朝日新聞なみです。
昨日のドンチャンの時に携帯電話を忘れてきて、部屋に帰ってきてしまう。携帯電話を持っていなかった時は何も思わなかったが、やっぱ、ちょっと不便。
朝風呂ならぬ昼風呂に入り、昨日のお酒を抜く。
昨日、高田馬場の本屋さんで購入した「これでも朝日新聞を読みますか」(山際澄夫著 ワック刊)などを読む。二本ほどを除き、「WILL」「諸君」などに掲載されていた文章ですが、まとめて読むと面白い。
早く寝るつもりが、今日も夜更かしをしてしまう。
飲んべえの会
1月20日日曜日晴れ ××××××
午後三時より「飲んべえの会」(出品酒 その一)ということで、六名のお客様が御参加くださり、ドンチャン。
出品酒
第1回
*美丈夫 鑑評会出品酒
*松の司 鑑評会出品酒
*上喜元 鑑評会出品酒
*御湖鶴 鑑評会出品酒
*浅間山 鑑評会出品酒
*松の寿 鑑評会出品酒(一升)
*瀧自慢 鑑評会出品酒(四合)
終わってから、Hさんと御近所の「イデアル」さんにおじゃましてドンチャン。
サル、去る、さる、猿(ゴリラかも)
ここまでパクるか。売国奴列伝
1月19日土曜日晴れ ○
当店のホームページを御覧頂いている方から教えていただいた、ド腐れパクリ野郎のホームページです。
普通は引用とかしても、さすがに、そのままパクったりはしません。お口あんぐりです。こいつマジに日本人か?と思ってしまいます。
「あの売国奴のひとりである加藤紘一が17日から6日間の日程で、北京にいっているそうですが、河野洋平といい、TBSといい、この加藤といい支那に何をしに行くのでしょう。国内でじっとしていてほしいものです。」と書きましたが、加藤紘一はやっぱりどうしようもない男だったようです。 まあ、加藤はどうしようもない男だとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした。(でも、位牌とかいうこの記事の内容は正確なのでしょうか?) 加藤紘一 |
「 あの売国奴のひとりである加藤紘一が17日から6日間の日程で、北京にいっているそうですが、河野洋平といい、TBSといい、この加藤といい支那に何をしに行くのでしょう。国内でじっとしていてほしいものです。」???と思っていましたが、アホウはやっぱりどうしようもないアホウだったようです。 まあ、加藤はアホだとは思っていましたが、ここまでドアホウとは思いませんでした。 (でも、位牌とかいうこの記事の内容は正確なのでしょうか? ) 加藤紘一 |
河野太郎議員のメルマガにみる支那の詭弁 支那政府は靖国神社参拝を政治カードに使うのを常套手段にしています。ビエンチャンでの小泉首相と会談した支那の温家宝首相は「歴史にかんがみ、将来の発展を期そう。問題を適切に処理していただきたい」と相変わらずの発言を繰り返しています。 あの売国奴河野洋平の息子で、同じく国会議員である河野太郎議員も自身のメールマガジンで、靖国神社について支那の立場を披露しています。 まあ、売国奴の息子だからと言ってしまえばそれまでなのですが、「日中共同声明」に反するから支那が反発するのだという支那政府の言い分をそのまま掲載するのはどうかと思います。 このメールマガジンの文面を別に全部を掲載させていただきますので御覧頂きたいとおもいます。 河野太郎の国会日記12月1日 その前回のメルマガで、「王毅大使に靖国神社の問題に関して、日本国民に支那政府として説明してほしい」という内容にあれれと思ったのですが、その翌日のメールには目が点になってしまいました。 |
河野太郎議員のメルマガにみる支那の詭弁 支那政府は靖国神社参拝を政治カードに使うのを常套手段にしています。ビエンチャンでの小泉首相と会談した支那の温家宝首相は「 歴史にかんがみ、将来の発展を期そう。問題を適切に処理していただきたい 」と相変わらずの発言を繰り返しています。 あの売国奴河野洋平の息子で、同じく国会議員である河野太郎議員も自身のメールマガジンで、靖国神社について支那の立場を披露しています。 まあ、売国奴の息子だからと言ってしまえばそれまでなのですが、「日中共同声明」に反するから支那が反発するのだという支那政府の言い分をそのまま掲載するのはどうかと思います。 このメールマガジンの文面を全部を掲載させていただきますので御覧頂きたいとおもいます。 http://www.geocities.com/baikokudo_traitor/brd105-01.html その前回のメルマガで、「 王毅大使に靖国神社の問題に関して、日本国民に支那政府として説明してほしい 」という内容にあれれと思ったのですが、その翌日のメルマガには目が点になってしまいました。 |
あの松戸の人殺し男の小野悦男を、冤罪だと騒いで無罪にしたマスコミ功労者のひとりで、1948年生まれの当時は共同通信記者で、94年から同志社大学の同志社大学教授である浅野健一氏が相変わらずアホな記事を犯罪国家北朝鮮の機関紙に書いています。 浅野建一より |
あの松戸の人殺し男の小野悦男を、冤罪だと騒いで無罪にしたマスコミ功労者のひとりで、当時は共同通信記者で、1994年から同志社大学の教授である浅野健一が相変わらずアホな記事を犯罪国家北朝鮮の機関紙に書いています。 浅野建一より |
下記の文章を書いた時にこの人は国会議員でした。 略) もう一度書きます。この人は国会議員の時にこのような文章を自分のホームページに書いていたのです。 国民を守る事が第一のはずの国会議員が、日本を侵略する国があったら、武力で抵抗するより、非武装で殺された方がいいと言っているのです。 このような人が国会議員をやっていたのです。 金子哲夫 |
この文章(↓)を書いた時にこの人は国会議員でした。 略) この人は国会議員の時にこのような文章を自分のホームページに書いていたのです。 国民を守る事が第一のはずの国会議員が、日本を侵略する国があったら、武力で抵抗するより、非武装で殺された方がいいと言っているのです。 このような人が国会議員をやっていたのです。 金子哲夫 |
これって知らない人がみたら、元社会党ってわからないぞ!!みごとに社会党を消してますね。 90年社会党より衆議院選に当選。96年に落ち目の社会党に見切りをつけ、さっさと民主党にくら替えし、党副代表まで昇りつめるが、直後の総選挙であえなく落選。懲りずに98年の参議院宮城補選で、しぶとく返り咲き。 でも凄いのはこの人は2月16日生まれで、あの北朝鮮の偉大なるブタ首領様と同じ日にお生まれです。マンセー その翌日、産経新聞に同じ事件の記事が掲載されました。 現職の政治家が、外国で自国の大使館にむかってこぶしを振り上げた。 こんな馬鹿議員はおそらく前代未聞、空前絶後とおもいますが、それだけでなく、産経新聞の記事によると、なんと送迎に、日本大使館から公用車を提供させて、反日デモに参加し祖国の日本大使館に向って拳をふりあげて抗議したそうです。(本人はデモにはタクシーを使ったと) 岡崎トミ子 |
これって知らない人がみたら、元社会党ってわからないぞぇ! みごとに社会党を消してますね〜。 90年社会党より衆議院選に当選。96年に落ち目の社会党に見切りをつけ、さっさと民主党にくら替えし、党副代表まで昇りつめるが、直後の総選挙であえなく落選。懲りずに98年の参議院宮城補選で、しぶとく返り咲き。 でも凄いのはこの人は2月16日生まれで、あの北朝鮮の偉大なる金豚首領様と同じ日にお生まれです。 マンセー! その翌日、産経新聞に同じ事件の記事が掲載されました。 現職の政治家が、外国で自国の大使館にむかってこぶしを振り上げた。 こんな馬鹿議員はおそらく前代未聞、空前絶後とおもいますが、それだけでなく、産経新聞の記事によると、なんと送迎に、日本大使館から公用車を提供させて、反日デモに参加し祖国の日本大使館に向って拳をふりあげて抗議したそうです。(本人はデモにはタクシーを使ったと) 岡崎トミ子 |
「ふるさと」 平成16年9月15日水曜日晴れ あの岩波書店から「世界」の別冊として、「もしも憲法9条が変えられてしまったら」という本がでています。(薄っぺらっいくせに1000円もするんですよね) この本であの辛淑玉女史が加藤周一氏と対談しています。加藤周一氏もアホなこと言っていますが、それ以上に、その対談で辛淑玉女史は 略) どうして、日本憲法が、「在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します」http://www.mindan.org/min/min_reki31.phpとかいっている外国人である在日朝鮮人の幸せを考えなければいけないのでしょう。先の戦争では、よく朝鮮人がいう「醜い行為」?をやってきたのは、我が国に併合されていて、当時日本国民であった「朝鮮人」もおなじはずですが、「悪いのはすべて日本人だ」というのは、多くの朝鮮人の得意技です。 自分達が我が国では外国人だという事も、自国である南朝鮮では、外国人がどういう扱いを受けているかを都合のいい時だけ忘れたふりをして、その祖国にも国民としての義務を果たさず、我が国に対して、我が国国民と同等の権利を主張するという在日朝鮮人の態度は相変わらずですが、その在日を商売にしている辛淑玉女史から「私のふるさとである日本」といわれたくはありません。 そう思うのであれば、そのふるさとに集るのはやめてほしいものです。 辛淑玉 |
「 ふるさと 」 あの岩波書店から「 世界 」の別冊として、「 もしも憲法9条が変えられてしまったら 」という本がでています。( 薄っぺらっいくせに1000円もするんですよね ) この本であの辛淑玉が加藤周一氏と対談しています。加藤周一氏もアホなこと言っていますが、それ以上に、その対談で辛淑玉は 略) どうして、日本憲法が、「 在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します 」( http://www.mindan.org/min/min_reki31.php )とかいっている外国人である在日朝鮮人の幸せを考えなければいけないのでしょう。 先の戦争では、よく朝鮮人がいう「 醜い行為 」?をやってきたのは、我が国に併合されていて、当時日本国民であった「 朝鮮人 」もおなじはずですが、「 悪いのはすべて日本人だ 」というのは、多くの朝鮮人の得意技です。 自分達が我が国では外国人だという事も、自国である南朝鮮では、外国人がどういう扱いを受けているかを都合のいい時だけ忘れたふりをして、その祖国にも国民としての義務を果たさず、我が国に対して、我が国国民と同等の権利を主張するという在日朝鮮人の態度は相変わらずですが、その在日を商売にしている辛淑玉から「 私のふるさとである日本 」と言われたくはありません。 そう思うのであれば、そのふるさとに集るのは止めてほしいものです。 辛淑玉 |
朝鮮人戦時売春婦の強い味方 2月12日土曜日 晴れ ○ 13日め 高木弁護士は「日本の戦後責任をはっきりさせる会」http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/hakkiri-kai.main.htmlなどで活躍?されている反日利権屋と言われている有名人です。つまり、売国奴として飯を食っている人です。 略) 高木健一弁護士については、御来店頂き、お会いした事のある松尾光太郎氏がホームページにてhttp://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/newpage2.htmその著書の批判をされています。ぜひごらんください。http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E28.htm 高木建一 |
高木健一というメ朝鮮人戦時売春婦モの強い味方 高木弁護士は「日本の戦後責任をはっきりさせる会( http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/hakkiri-kai.main.html )」などで活躍?している。 反日利権屋として有名です。つまり、売国奴として飯を食っている人なのです。 略) 松尾光太郎氏がホームページにてその著書を批判をされています。ぜひごらんください。 ( http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/E/E28.htm ) 高木健一 |
金と女まみれの北朝鮮族議員 平成15年9月4日木曜日晴れ× 日本の政界の北朝鮮族議員といわれている政治家は多いです。 万景峰号の入港問題でも活躍しています? 略) この北朝鮮族議員というのはだれをいうのでしょうか。 同じページで、「救う会」の佐藤勝己会長は「90年代以降は、自民党のなかに金丸信さん、渡辺美智雄さん、加藤紘一さん、野中宏務さん、中山正暉さん、こういった方たちが、たえずコメを出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかやってきたことが、今日まで拉致問題が問題にならなかった大きな理由の一つ」と述べています。 黄元朝鮮労働党書記を日本に招こうとした行動にストップをかけたのは、中川秀直衆議院議員だそうです。 社民党、公明党だけじゃあなく、こんなに国賊議員がいるようです。 同じく国賊で、史上最低の外務大臣の一人である河野洋平は単なるバカだったのでしょうか。 金と女まみれの北朝鮮族議員 |
金と女まみれの北朝鮮族議員(平成15年9月4日) 日本の政界の北朝鮮族議員といわれている政治家は多いです。万景峰号の入港問題でも活躍しています。 略) この北朝鮮族議員というのはだれをいうのでしょうか。 「 救う会 」の佐藤勝己会長は「 90年代以降は、自民党のなかに金丸信さん、渡辺美智雄さん、加藤紘一さん、野中宏務さん、中山正暉さん、こういった方たちが、たえずコメを出すとか拉致問題を不問に付して日朝交渉をやれとかやってきたことが、今日まで拉致問題が問題にならなかった大きな理由の一つ 」と述べています。 黄元朝鮮労働党書記を日本に招こうとした行動にストップをかけたのは、中川秀直衆議院議員だそうです。社民党、公明党だけじゃあなく、こんなに国賊議員がいるようです。 同じく国賊で、史上最低の外務大臣の一人である河野洋平は、単なるバカだったのでしょうか。 金と女まみれの北朝鮮族議員 |
山本氏に指摘されている藤野氏、北城氏、小林氏などは商人とし日本人としての魂まで売ってしまっている人たちなのでしょう。 下記の新聞記事もこのような経済界の売国奴についての記事です。 静岡新聞に掲載された評論家の屋山太郎氏の文章です。少し長くなりますが全文を引用したいとおもいます。 略) 新幹線売り込み「中国詣で」は国益に反すると言い切ったJR東海社長の葛西敬之氏のような方もいらっしゃいますが、今の我が国の経済人の現状をよく表していると思います。 売国奴財界人 |
山本氏に指摘されている藤野氏、北城氏、小林氏などは商人とし日本人としての魂まで売ってしまっている人たちなのでしょう。 下記の新聞記事もこのような経済界の売国奴についての記事です。 静岡新聞に掲載された評論家の屋山太郎氏の文章です。少し長くなりますが全文を引用したいとおもいます。 略) 新幹線売り込み「中国詣で」は国益に反すると言い切ったJR東海社長の葛西敬之氏のような方もいらっしゃいますが、今の我が国の経済人の現状をよく表していると思います。 拉致問題と売国議員 |
この田中均(デンチュウキン)という害務省幹部は何をかんがえているのでしょう。幹部じゃあ無くて患部のようです。 大バカ野郎のようです。今まで、野中とか、河野、金丸の売国奴が北朝鮮に120万トンの米をやって、朝鮮総連を刺激しないようにして、在日朝鮮人どもの好きなようにやらしてきて、結果はどうでしょう。 日本のためにはなっていません。 こんな害務省患部はさっさと北朝鮮でも支那にでもいってほしいものです。 略) 田中均は北朝鮮のスパイだけではなく、支那の走狗も兼ねているようであります。 このような売国奴が出世する害務省の異常さなのでしょう。 田中均 |
この田中均( 正式名:デンチュウキン )という害務省幹部は何を考えているのでしょう。
幹部じゃあなくて患部のようです。 大バカ野郎のようです。 今まで、野中とか、河野、金丸の売国奴が北朝鮮に120万トンの米をやって、朝鮮総連を刺激しないようにして、在日朝鮮人どもの好きなようにやらしてきて、結果はどうでしょう。 日本のためにはなっていません。 こんな害務省患部はさっさと北朝鮮でも支那にでも帰化してほしいものです。 略) 田中均は北朝鮮のスパイだけではなく、支那の走狗も兼ねているようであります。 このような売国奴が出世する害務省の異常さなのでしょう。 田中均 |
まだまだ、いっぱい。こいつは人間として腐ってます。先にも書きましたが、こいつは本当に日本人なのでしょうか。
どうせだったら、このページもパクってほしいものです。
今日も寒い。Oさん来店。初めてのお客様Kさん三名様で来店。
今日も一通り飲むが記憶あり。
ブルーリボンバッジ
1月18日金曜日曇りメチャ寒い ×××
親父の香典の一部で何かをと思い、注文してあったブルーリボンバッジが届く。
少しでも、多くの皆様に、あの卑劣な犯罪国家北朝鮮に拉致されている方々の早期帰国を願って、ブリ−リボンバッチを付けていただきたいと思い、以前に、インターネットで知り合いました方々と作りましたのと同じ形のブルーリボンバッジです。賛同いただける方は、来店時に店主におっしゃってください。もちろん無料でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
Sくん来店。Iさん二名様で来店。理科大ラグビー部OB一〇名様で来店。
営業終了後、理科大ラグビー部OB連中と久しぶりに歌舞伎町で、朝までドンチャン。
収穫
1月17日木曜日晴れ ○
あの靖國神社で、御老人に対して日の丸を奪うなど暴行した腐れ支那人の事が、報知新聞にも掲載されたそうです。
以下引用
靖国神社で中国人が80代の男性から日の丸奪う
靖国神社(東京都千代田区九段北二丁目)で、参拝客の日の丸を奪うなどした上、神奈川県の40代の男性に暴行したとして、警視庁麹町署は16日までに、暴行と器物損壊の現行犯で中国籍の王班亜容疑者(43)を逮捕した。動機や事実関係などは黙秘しているという。
調べでは、王容疑者は1月15日午前11時25分ごろ、靖国神社境内で横浜市の80代の無職男性から日の丸(縦約1メートル、横約1・5メートル)を奪って足で踏み、長さ約2・4メートルのグラスファイバー製の棒を折った。
さらに止めに入った神奈川県の40代の看護師の男性を殴ったり、けったりした疑い。2人にけがはなかった。
王容疑者は仕事で来日した。
(2008年1月16日22時53分??スポーツ報知)
引用終わり
そして、この被害者の方は、元陸軍憲兵兵長の開勇氏という事が判明したそうです。 開氏は終戦時、朝鮮半島でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留された経験があり、収容所から脱走し、日本に生還。以後、戦友達の慰霊に努められている方で、支那人に暴行を受けたこの日も戦友の慰霊にきていたそうです。
開氏に同行していた四〇代の介護士の男性が、この腐れ支那人を投げ飛ばして、取り押さえたそうですが、支那人に暴行を受けたさいに軽傷をおっており、「二人にけがはなかった。」というこの報道は明らかに間違いだそうです。
昨日も書きましたが、御老人を襲い、国旗を踏みにじる事を支那の慰霊施設、あるいは、社会党の田辺が銭まで出して造らせた南京虐殺ウソ記念館で同じ事をやれば、支那だけでなく、我が国の腐れマスコミは狂ったように報道するでしょう。
産経を除く大手新聞、そしてテレビなどがまったく報道しないという我が国の異常なマスコミの姿勢。
|
||
収穫前 |
収穫中 |
収穫後 |
腐れ支那人の犯罪とそれを報じない腐れマスコミ
1月16日水曜日晴れ ×
気狂い支那人が靖國神社で暴れたそうです。
以下引用
日の丸奪って暴行 靖国神社で中国人逮捕
2008.1.16 20:35 産経新聞ニュース
東京都千代田区の靖国神社で、参拝客が持っていた国旗を奪うなどしたとして、警視庁麹町署は、暴行と器物損壊の現行犯で中国籍の王班亜容疑者(43)を逮捕した。
調べでは、王容疑者は15日午前11時25分ごろ、靖国神社の境内で、横浜市から参拝に訪れた80代の男性が持っていた日の丸(縦1m、横1・5m)を奪い足で踏みつけたうえ、さおを折った。さらに、これを止めに入った神奈川県内の40代の男性看護師を殴りつけたり蹴ったりした。2人にけがはなかった。
王容疑者は仕事で来日していたが、動機などについては黙秘しているという。
引用終わり
八〇歳代の御老人の持っていた国旗を取り上げ、踏み付け、止めに入った看護士を殴る蹴るの暴行。このような気狂い支那人の行状を産経新聞ただ一社だけしか取り上げていないようです朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などの全国紙は無視。もちろんテレビも無視。
もし、他国の慰霊施設でこのようなことをやれば、どこのマスコミも大々的に取り上げるでしょう。異常な我が国の腐れマスコミ。
これに対して、抗議行動が行われたようですが、それも報道されないでしょう。逆だと、一人でも報道するだろうに。
以下引用
件名:「靖國の友」緊急街宣のお知らせ
■ 靖國神社でシナ人が日本人に暴行
本日(15日)11時頃、シナ人観光者が、国旗を持ち靖國神社を参拝しようとした日本人に対して、暴行を加えたうえに日本国旗を破り、国旗の棒を折るという事件があった。犯人は暴行と器物破損警察の容疑で麹町警察署員に逮捕された。なお、被害者は怪我を
しているため、病院で診断書を取り次第、麹町署は容疑を傷害に切り替えて取り調べる方針だ。
犯人は王班並(並、の正式な漢字は並、の一番上の二本棒がないもの。)容疑者37歳。現在取り調べには完全黙秘をしている。
近くにいた機動隊員は事の成り行きに気づかず、110番通報で駆けつけた麹町署員が容疑者を逮捕。現在麹町署に留置されている。なお、一緒に観光していたシナ人観光者4名に対しては暴行の事実が認められないため逮捕はされていない。
「完全黙秘なので10日間の拘留はつける予定ですが、対日シナ外交を重んじる福田政権が圧力をかけてきて・・・なんてことになると、釈放するしかないでしょうねぇ(警視庁幹部)」
上記事件を受けて我々は、緊急街宣を行います。
日時:平成20年1月16日 夕方5時から
場所:麹町警察署前
靖國会 靖國忠霊祭
事務局長 沼山 光洋
引用終わり
昨日、いらしてくださったYさんの御自宅も、少し前に支那人窃盗団の被害にあい、先日、その支那人窃盗団が逮捕されたという連絡が警視庁からあったそうです。我が国は窃盗などに対しての罪も軽く、刑務所も極悪支那人、朝鮮人からみれば三度の飯を食えて、虫歯まで治療してくれ、出る時には金までくれる天国のようなところでしょう。
他国では自国民とそうでない人間とに、罰則に差を設けているところがあるそうです。我が国も多発する犯罪に他国民との差を設けるべきでしょう。
せめて、窃盗、麻薬などに対しては、支那なみの刑を支那人、朝鮮人などの犯罪にたいして課してほしいものです。
Iさん来店。私より少し年上(でもまだ五〇代)のIさんは数年前から隠居生活を始めている。羨ましいかぎりです。Tさん六名様で来店。フランス人のジャンさん二名様で来店。
ドンチャン。
仕入れカゴ
1月15日火曜日晴れ ×
岡本厚・「世界」編集長が、あの金大中南朝鮮元酋長の「日本はもっと道徳的に尊敬される国になってほしい」と題された平成二〇年一月号のインタビュー記事の中の問いかけとして、
<日本に反省が乏しいのは、教育の問題もありますが、長い冷戦時代の間、冷戦の矛盾を周辺の韓国や台湾、沖縄に負わせて、平和を享受し、経済成長をして豊かになっていったという問題があると思います。それが、中国や朝鮮半島に対して過去日本が行ったことについての自覚、認識を遅らせたと私は思っています。しかし、その問題は四〇年経っても五〇年経っても、やらなければならない課題だと思っています。>(P四四)
という言葉には、いかにも岩波書店らしい醜さを曝け出していると思います。「四〇年経っても五〇年経っても」というのはよく支那・朝鮮が口にすることです。支那・朝鮮に相手の言いなりになって謝り続ける事がこの連中にとっては大切な事なのです。
それは、我が国の左派と言われる連中の足場には祖国がなく、思想しかないことによるものです。普通は右派、左派といわれる人どうしが論争しても、その人たちの足元には祖国があります。その祖国というものの上に立ったうえでそれぞれの政治信条などで争うのです。
我が国の左派といわれる人たちの異常性は、普通の人間であったらだれもが持っているであろう「祖国」というものがすっぽりと抜け落ちている思想信条の異常さといえると思います。
国会議員であったら、国民と祖国、領土を護る事が課せられた使命であるのに、「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国会議員や」
と言い切る辻元清美女史の言葉にそれがよく現れています。
|
|
|
新しく購入したカゴ |
少しくたびれているが、見た目は大丈夫そうな先代のカゴ |
裏返してみると |
今日、河岸に行った時に、仕入れ用のカゴが古くなって、というより、流石にダメになってきて、そのうち仕入れたものを落っことしそうなので新たに購入。店を始めてから二一年で四つめということは、三七〇〇円(税込み)のこのカゴ一個が約七年ももってくれた事になる。う〜ん、お値打ちもの。次の購入まで店やってられるかな・・・・・
お世話になっているというか、酔っ払って迷惑をかけているイタリアンレストランのマスターよりの御紹介で、Iさん三名様で来店。Yさん来店。Tさん来店。遅い時間Kくん来店。
営業終了後、阿佐ヶ谷の「ひげ」さん、中野の「石松」さんに伺う。
ドンチャン。
ジョン・ダワーを評価する人々
1月14日月曜日くもり ○
このジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」という著書は、先にも書きましたが、二〇〇〇年ピュリッツアー賞(ノンフィクション部門)受賞、二〇〇二年大仏次郎論壇特別賞受賞(朝日新聞社主催)、山片蟠桃賞(大阪府主催)といろいろ賞をもらっているようです。まあ、<占領軍の規模が大きかったことを考えれば、じっさい強姦事件は比較的少なく、日本政府が予期した程度におさまっていた>、<概していえば、この勝者は、アジアを占領していた日本の軍部よりはるかにきびしく自らの行動を律していた>と大嘘を書いてくれたのだから、アメリカは喜んで賞のひとつもやるでしょうし、そのような賞でしょう。
そして、日本側の賞は「朝日新聞社」主催、「大阪府」主催ですから、これもこんなもんでしょう。なんともわかりやすい。
このような腐れ本について、訳者のひとりである三浦陽一中部大学教授は下記のように後書きとして書いています。
以下引用
<本書には、はじめて「日本人の実像」を見たような驚きと、言葉が見つからないのだが、ある種の」「叔し」ないしは励ましがあると感じたのである。本書のタイトルは「敗北を抱きしめて」であるが、じつは著者は、その暖かい腕で「日本人を抱きしめて」くれたのだとも思う。これを受けとめ、本書にこめられたメッセージを今後に生かしていくのは、われわれ日本人自身に与えられた仕事であろう>(下 P四五五)
ジョン・ダワーが、戦犯とされた皆様の遺書に対して書いている無礼な内容を読んで、このように感激して、ましてや「著者は、その暖かい腕で『日本人を抱きしめて』くれたのだとも思う」とまで書いているのですからアホしか言い様がありません。この腐れ本のメッセージのどこをどう読めば、今後に生かしていけるというのでしょうか。アメリカとはこういうものだと、我々日本人に理解させてくれるということなのでしょうか。このようなアホが教えている中部大学ってなんざんしょ。他の訳者の頭の中も似たようなものなのでしょうか?
今日は成人式だそうだが、第二月曜日が成人式というのはやっぱ違和感ありあり。
昨日というか今日は朝まで本を読んでいたので、起きたのは昼前。起きる時間を気にしなくて、だらだらと本を読める日はなんか幸せ。
夕方にビックカメラに行き、モジュラーケーブルを購入。デジカメとプリンター、そして、電話は迷った末に購入見送り。
盧武鉉酋長
1月13日日曜日晴れ ○
正式名は酋長、通称・大統領。その歴代南朝鮮大統領で、インターネット上である意味、人気者はダントツで盧武鉉酋長のようです。その人気者である盧武鉉酋長は、酋長としてはいささか言葉遣いに問題があったようで、産経新聞の黒田勝弘記者は一二日のコラムで下記のように書いています。
以下引用
<略)
俗語あるいは俗っぽい言い方が多く、わざわざ辞書を引いたり韓国人に聞いたりで随分わずらわしかった。略) 今週もまたあった。大統領出席の閣議で閣僚から今年の経済見通しの報告が予定されていたのだが、もうヤル気がなくなっているのか盧大統領がこれに対し「マルチャン、ホッパン」と言ったと話題になっている。これが分からない。韓国人に聞くと「屁(へ)にもならない無駄」といったような意味で、オトナが公式の場で言うような言葉ではないという。
日本ではこのところ「国家の品格」や「女性の品格」などで“品格ブーム”だ。盧大統領は「庶民派」や「型破り」が看板でその物言いも相当ざっくばらんだったが結局、最後は「品が無かった」という評価に落ち着いたようだ。本人は庶民風のつもりだったが国民はバカにされているように感じたのだ。>
引用終わり
このように黒田氏に<最後は「品が無かった」という評価に落ち着いた>と書かれた盧武鉉酋長ですが、同じ日に<引き継ぎめぐり摩擦のノ大統領発言>という報道がありました。
以下引用
<12月の選挙で圧勝したイ・ミョンバク次期大統領。当選直後、今後5年間の政策を決定し、強大な権限を持つ「引継委員会」を発足させました。
「現政権と次の政権との引き継ぎで神経戦が深刻になっています」(韓国・YTNニュース)
摩擦の発端は、委員会が現政府の局長に政策に関する報告モを要求したことでした。これにノ・ムヒョン大統領が噛み付きました。
「無力で、新政府の顔色をうかがわなければいけない局長らを呼び出し、叱り飛ばし、反省文を書けというのが引継委員会なのか!」(韓国 ノ・ムヒョン大統領)
委員会側も、残り1か月の政権の足元を見て容赦がありません。
「(大統領の)状況認識が誤っているから、そう思うのでしょう。お門違いも甚だしい」(引継委員会スポークスマン)
背景には史上最低の支持率といわれたノ・ムヒョン大統領に対して、選挙で5割近い支持を得た新政権の強気の姿勢があります。「10年間の北朝鮮政策は間違いだらけだった」と言われ腹の虫が収まらないノ・ムヒョン大統領は、こう言い放ってしまいました。
「これ以上、傷口に塩を塗るのだったら、私も傷つくが、けんかするしかありません!」(韓国 ノ・ムヒョン大統領)
「当然、協力すべきなのに、批判するのは(大統領の発言として)感心しませんね」(市民は)
今のノ・ムヒョン大統領からは、完全に求心力を失った最高権力者の悲哀さえ感じられます。 >
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3752803.html
自分で「局長らを呼び出し、叱り飛ばし、反省文を書けというのが引継委員会なのか!」と怒って、そして「傷口」と政策の失敗を認めてしまっています。流石は人気者の盧武鉉酋長です。
この後は、南朝鮮の伝統である新酋長による報復ともいえる断行が待っています。それは、盧武鉉酋長だけではありません。息子三人を含む親族五人が金がらみの不正事件
で話題になった先代第一五代酋長 金大中氏も同じです。
やっぱ、面白いW
店を片付けてから、夕方より高田馬場にあるスポーツセンターに行く。
今日もスロートレーニング。私がいまやっているのは、ここのトレーナーのおひとりから教えていただいた、一動作五秒をかけるというやり方。五秒かけてウエイトをあげて、同じく五秒かけておろす。合計一〇秒。それをできるまでやって、上がらなくなったら補助の人に助けてもらって二回。アップを回数に入れずに一分間隔で三セット。五秒という時間をかけての上げ下ろしが可能ということは、当然、ウエイトも普通のクイックトレーニングに較べて、軽いもの。ウエイトトレーニングは力を使い果たしてオールアウトという状態にするが、それが、スロートレーニングではセットごとにオールアウトするようにするのが容易になり、セット数が少なくする事ができるというものでした。
具体的には、私の場合は普通のクイックリフトでのベンチプレスは、六〇キロのアップをいれて一〇セット。それが、スロートレーニングではアップを入れて四セット。
スロートレーニングの基本的な考え方にもいろいろあるようで、たとえば「七〇秒セット」といわれるものは、七〇秒間でウエイトを一〇〜一二回あげるという一回あたり七・五〜八秒ほどかけてやるものですので、現在の私のやっている時間より少し短い時間。それ以外にも、アイソメトリックを取り入れたり、いろいろあるようですが、スロートレーニングにかかわらず、同じ刺激に慣れてしまわないようにする事、そして、継続させていくことがなによりとトレーナーの言葉です。そういう意味では自分自身のギリギリのウエイトを上げ下ろしするというクイックリフトを主体のトレーニングよりは、自分のコントロールできるウエイトでおこなうスロートレーニングは故障の危険は遥かに少なくなります。
関節が固いために肩など故障しやすく、現実に何度も故障してきた私にとっては、一年間の間にこういったトレーニングメニューの期間を設ける事も、長く続けるためには必要ではと思っています。
今日も、いろいろな方とお会いする。アメリカで会社を経営し道場まで持って、日本とアメリカの往復で忙しい中をスポーツセンターに来ているM氏。今年からマラソンと自転車の大会に出るとトレーニングメニューを変えているT氏。大阪出身の方(名前はまだ知らない)は週一回しか来れないので、ベンチプレスのウエイトが中々上がらないと悩んでいた。
今日は、三時間近くスポーツセンターに居たので、最期のバイクまでメニューが消化できました。
店に寄ってから、部屋に帰る。途中、コンビニで買い物。今日は寒い。
ジョン・ダワー
戦犯とされた人々の遺書について
1月12日土曜日雨 ○
このジョン・ダワーの著書でこの人らしさを感じる記述というか、読んでいて向かっ腹がたつのはいわゆる戦犯とされた皆様に対しての記述と思います。
まずは戦犯については、ジョン・ダワーは下記のように書きます。
<告発の理由がなんであれ、犯したとされた罪は例外なく残虐であり、身の毛もよだつほどおぞましいものも多かった。>(下 P二三九)
そして、戦犯とされた皆様の遺書については
<短命に終わったその征服権で「蝗軍」とがほんとうのところ何をしたのか、思い出さなければならないと思う人がほとんどいなかったのも、同じくらい確実だった。
この、できれば忘れたい、という雰囲気のなか、その後の何年かのあいだに、A級戦犯ばかりかBC級戦犯も、人々の意識のなかで社会復帰を遂げた。有罪になり、禁固刑を言い渡された被告たちは、犠牲を強いた者というより犠牲者として公認されるようになり、日本国内の刑務所にいる受刑者たちは考えうるかぎりもっとも快適で愉快な生活をおくった。処刑された者たちも、遠い国で処刑された場合が多かったのだが、その辞世や死に際しての言葉によって甦りをはたした。人々は、犯罪を忘れながらも、犯罪者たちは忘れなかったのである。
巣鴨拘置所での受刑者の扱いは、このもっともあからさまな例だろう。受刑者総数四〇〇〇人前後のうち、戦争犯罪で有罪となった数百人の囚人には、多くの楽しみが許されていた。独自の新聞「巣鴨新聞」の発行が当初から許され、そのうちに、娯楽のために生公演を自由に楽しめる状態になった。
略)
この国でもっとも有名な人気歌手たちが歌った。>(下 P三二四〜五)
どのような待遇であろうと、拘置所という、戦争が終わった後も自分の妻にも親にも自由に会えない生活を続けなければいけない状況におかれている。それを、このような書き方をするとは見下げ果てた男です。そのジョン・ダワーと同じ「人道的な」はずのアメリカ人が、グアム収容所などで我が国の軍人に対しておこなっていたような醜い虐待、仕打ちと同じ事を、巣鴨でもわが国の戦犯とされた皆さんにしろということでしょうか。ジョン・ダワーは皇軍を蝗軍と書き、何でも食い尽くしてしまうイナゴと比喩しているが、支那がよく言う「三光作戦」とはどういった意味か。普通、日本人には意味不明です。それもそのはずです。支那語では「〜尽くす」という意味で使う「光」は日本人では理解できません。そして、支那語での三光とは殺しつくし(殺光)、焼きつくし(焼光)、奪いつくす(搶光)ことをいうが、「搶」が「奪う」という意味になるのも支那語であって日本語ではありません。その我が国ではその意味に使わない光という単語で表される「三光作戦」をやったのは支那軍です。このように「三光作戦」とは支那側の呼称であり、我が国においての作戦の証言者は、なんと、支那での収容所生活ですっかり洗脳されたあの腐れ売国奴の集まりである中帰連の『完全版 三光
』 (中国帰還者連絡会編 晩聲社)によってです。三光を日本語で読んでもあまりしっくりとしないが、支那語で読むと殺光、焼光、搶光と全てほぼ同じ発音になっているそうな。
モンテンルパの夜は更けてについても
<一九五二年夏になると、あるひどく感傷的な歌が発表されて、戦争犯罪受刑者の戦争犠牲者としてのイメージをさらにいっそう強めた。作詞者の代田銀太郎も、作曲者の伊東正康も、フィリピンで戦争犯罪を理由に死刑判決を受けたが、じっさいには処刑されなかった。代田は濡れ衣を着せられたと主張し、フィリピンのモンテルンパ刑務所に収容されていた多くの仲間が処刑されたあと、一九五二年初めに涙をしぼるようなこの詞を書いた。『ああモンテンルパの夜は更けて』というタイトルは、日本人の感じやすい感傷のツボにじかに触れた。曲のほうも強く心に迫るメロディーで、フィリピン人の看守たちでさえ思わず口ずさんでいたといわれる。
この歌がモンテルンパ刑務所で初めて紹介されたのは四月二九日(日本が再び独立国となった翌日)だった。この集まりでは、君が代を斉唱し、遥か遠い東京の皇居の方角に向かってそろって礼をした。皇軍がアジア全土で荒れ狂っていた当時に日常的に行われていた、臣下としての表敬の儀式である。代田と伊東は、日本人教誨師を通じて、有名な歌手の渡辺はま子に歌ってもらうことに成功し、この歌は日本でセンセーションをまきおこした。
略)
「昇る日」に託されたナショナリズムと郷愁のこれほど素朴な表現はありえなかった。そしてまもなく、モンテルンパにいた戦犯死刑囚たちの絶望的な願いが叶うことになる。一九五三年七月に全員が日本に送還され、一部は自由の身になり、残りは巣鴨拘置所に移されたのである。彼らの乗った船をおよそ二万八〇〇〇人が港に出迎えた。その群衆のなかに、天皇の陸海軍のこれらの兵士がフィリピンで殺したすべての母や子や捕虜について、一言でも口にする者はいなかったはずである。
生き残った戦犯がちやほやされている一方で、処刑された戦犯についても、彼らの思いでに敬意をはらい、「戦犯」のレッテルを貼られたときに代わりに剥ぎ取られてしまった個人としての存在感のかけらでもいい、回復しよう、というプロジェクトが進行していた。すばらしく効果的で保守的な出版活動として、こうした男たちの遺書、家族に宛てた最後の手紙、辞世や別れのことばが集められ、公表されたのである。一九五〇年から五四年のあいだに、こうした文書を編集した本が一五冊以上出版された。この男たちの同胞は、彼らをいわば墓の中から語らせることで、可能なかぎりもっとも効果的な別れのことばを語らせたことになる。
こうした出版物のなかでもっとも包括的で、よく知られていたのが、一九五三年一二月に『世紀の遺書』のタイトルで出版された大部な本(三段組で七四一頁)だった。
略)
ここでは、有名な悪名高い男たちが、自らの受けた裁きを裁いていた。これらの遺書に混じって、東条の最後のことばもここに永遠の居場所を得て、国民と天皇に敗戦を詫びながら、国際的な犯罪については無罪だと断言していた。
略)
処刑された戦犯のなかには、告発された行為の責任を認めた者もいたが、真に公正な審理への配慮などほとんどない、基本的に報復とダブル・スタンダードの営為だったと裁判を断じる反応のほうがずっと多かった。また、本間を含めた数人が、明治維新の時代によく言われた「勝てば官軍、負ければ賊軍」を皮肉に引用した。
これら処刑された男たちの最後のことばは、ほとんど例外なく、残していく家族への深い気遣いとともに、自分たちがふつうの意味での「犯罪者」であるような印象は、愛する者たちの心からも、社会全般からも消して欲しい、自分たちは悲劇的な負け戦の犠牲になっただけだ、という切なる思いを吐露していた。最後にあたってのこうした「私的な」書簡にあるような思いを過大にうけとってはならないだろう。息子たちは両親に・・・夫たちは妻に、父親たちは子どもたちに・・・自分は決して殺人者でも畜生でもなかったことを、有罪とされた行いについてはちゃんとした理由があることを、愛する者たちは今でもしっかり顔をあげて生きていけることを、請けあわなくてはならなかったのである。こうした書簡の大部分がごく内輪の通信文であることは、編集者たちが読者に信じこませようとしたこととは反対に、その内容の真実を保証するわけではない。しかし、ごまかしがどこで始まり、どこで終わっているのか見極めることはまず不可能で、書き手自身にも判然としない場合が多かったのもまちがいないだろう。
日本文化において大切にされている家族の絆のなかでも、もっとも湿っぽくって感傷的なのは、何と言っても母と息子の結びつきだろう。甘ったるい『ああモンテルンパの夜はふけて』があれほど人気を博したのもその証明であり、『世紀の遺書』に収められていた手紙の相当数も、同じように、死刑を宣告された男たちの母親への深い愛情を披瀝している。この関連では吉田松陰の有名な辞世がいくつかの手紙に引用されていた。
略)
「反逆者」で「罪人」の吉田松陰は、まもなく、近代日本の英雄のひとりとして神格化され、目的の純粋さと悲劇的犠牲のこの上ないシンボルとなった。それが一世紀もたたないこのときに死刑宣告を受け、あきらかな敗残者として、もしかしたら極悪人とさえ思われながら、死のうとしていたこの男達にとって、死後に身の潔白を証明された吉田は希望と慰めだった。
略)
「犠牲」になったという表現は、下級裁判で死刑宣告を受けた男達の手紙を頻繁に見られる。そう書いた者たちは、自分を「国家の尊い犠牲」として、あるいは国のために「血をもって贖われる」犠牲として、あるいは「敗戦の犠牲者」、「日本再建のため」、「民族の」犠牲、もっと希望のもてるところでは、「世界平和」のための捨石と見ていた。
略)
こうした人たちによる文章を集めたほかの本についてもほぼ同じだが、それぞれの遺書に添えられている略歴の不可解さが「世紀の遺書」の用心深い保守性をよく反映している。書いた人がどこで処刑されたかだけを言って、その理由には言及していないのである。じっさいは、多くの人が遺書の中で自分の訴追理由である犯罪について語り、それがかなり詳細にわたる場合もある。しかし基本的には、こうした出版物は、明らかな不名誉のなかで死んだ男たちを人間に戻し、彼らの・・・少なくとも彼らの多くの・・・戦争犯罪を赦免することを意図していた。奇妙なことにこのような赦しは、天皇がアメリカから受けたあつかいに、ごく自然に、ほとんど鏡に映したように、そっくりだった。裕仁がその犯した悪事あるいは戦争責任を赦免されたように、戦争犯罪のゆえに訴迫された者たちも、戦争の渦のなかでしてしまったことを、こうして暗黙のうちに赦されていた。もちろん、彼らの行為によっていかなる被害も受けなかった者たちによって。男達の優しいことばが引用されることはあっても、彼らのじっさいの行為は無視されたも同然だった。
略)
こうした男たちは、悪魔のような存在から、その同じ人間の世界へと、手をとられて引き上げられていた。しかし、そうして人間になっているのが生き神にしろ、処刑された戦犯にしろ、そこから伝わってきたのは、あの恐ろしい戦争と、それに伴ってあらゆるところで行われた残虐行為に対して、かっての帝国のてっぺんから底辺まで、誰ひとりとして真に責任を負っていない、という印象である。
歴史と記憶のこのようなつくり変え、こんなふうな帝国陸海軍全体への人間の顔の回復は、国民的な心理的修復プロセスの一環だった。軍人のなかでももっとも悲惨なこの男達でさえ、欠点はあるにしても、複雑で感じやすい人間のように見せることができるなら、略奪をほしいままにする蝗の軍隊という不名誉も、すっかり拭い去ることは無理だとしても緩和くらいはできるかもしれない。こうした出版物にはこのような反動的な力が無視しがたく潜んでいた。こうした遺書は日本を犠牲者とする文学のサブ・ジャンルとして容易に読めたからである。さらにそれは、少なくともその一部は、反白人文書として見る事もできた。これら死刑判決を受けた男たちは戦争犯罪裁判が行われたすべての戦域で無罪を主張したが、彼らを捕らえたオランダ人、イギリス人、アメリカ人、の厳しさとダブル・スタンダードについての苦々しい気持ちはとくに辛棘に表現されていた。一方で、日本人がほかのアジア人たちをいかに痛ましく、無造作に犠牲にしてきたかを思い起こさせるような遺書は、こうしたなかにごく稀にしかなかった。
略)
こうした遺書が戦争責任の意識を希薄にしながらも、軍国主義や戦争の恐るべき人的コストの記憶を強めたからである。亡くなった学徒出陣兵の手紙や、原爆犠牲者たちの回想記と同じように、こうした最期のことばは、戦争によって人生を破壊されたひとりひとりの日本人のきわめて個人的な肖像を集めた公共のアルバムになった。たいていは美化され自画像だった。
略)
ある月刊誌が『世紀の遺書』からいくつかの項目を抜粋して転載した。そして、そこにつけた短い序文のなかで編集者は、これらの遺書は、日本民族全体を鼓舞し、全人類を清めてくれる「偉大な聖書」であると言った。そして、夜明け前が一番暗いことを思い出して気を取り直し、終わりなき平和を確立するために献身しようと、読者に呼び掛けた。これはまさに戦争中にあれほど頻繁に耳にした、清らかさと平和の修辞だった。名誉を失った死者たちを赦してあげよう、という超国家主義的な訴えだった。日本の戦争犯罪と残虐行為のすさまじい現実をぼかす煙幕だった。>
(下 P三二六〜三三四)
我が国軍人の遺書をこのように歪めて見ることができるというだけでも、このジョン・ダワーをいうアメリカ人のその醜い精神がよくわかります。
同書巻末に掲載されている注として
<『世紀の遺書』四〇七〜四〇八頁。この軍医の遺書は自分の無実を訴えた典型的な例である。捕虜収容所の担当になったこの軍医は、誰に労働させるかを決める際、自分は規定を厳密に守り、捕虜と日本人をまったく平等に扱ったと主張している。あの戦争や戦争犠牲者に関する戦後日本人の考え方に対して、この遺書が喚起するような感情が与える影響は、いくら強調しても足りないほどである。それは戦争を理想化するのに役立ち、日本の右翼的な新国家主義を勇気づけることは明らかである。そして同時に、戦地に行った自分の親類や知人を「戦争犯罪人」だとか「侵略戦争」に加担して命を失ったに過ぎないとは思えない、多くの普通の日本人の感情を肯定するものでもある。こうして、戦争集結からちょうど半世紀にあたる一九九五年、日本の侵略や残虐行為について、明確かつ一方的な謝罪をすることに反対し、日本人戦死者への敬意の表明を主張した民間団体の主なものひとつの名前は、「遺族会」であった。こうした人々の中には、自分を平和主義者と考える人もいるであろう。そしておそらく大部分の人は、自分は反軍国主義者だと思っているであろう。こうした団体が日本人死者を記念する行事では、必ずといってよいほど平和への祈り、つまり将来、二度とあのような日本人の「犠牲」が起こらないようにというアピールが行われる。恥知らずな右翼政治家たちはこうした感情を繰り返し利用し、日本人以外の人々は繰り返しこれを非難し続けている。>(下P四四四)
まるで、支那の無法さには無頓着な本多勝一、松岡環、西野瑠美子なみのアホウさです。
週末は東京は初雪の可能性がありということでしたが、冷たい雨。スポーツセンターに行くのも憂鬱なので、取り止め。
その冷たい雨の中、横浜から初めてのお客様来店。石川県に勤務していたことがあるというので、いろいろと細かい話で盛り上がる。
ひま〜。ということで、さっさと寝る。
ジョン・ダワー
極東軍事裁判について
1月11日金曜日くもり ×
極東軍事裁判について
<日本人が植民地統治していた朝鮮人と台湾人を強制動員したことは「人道に対する罪」として追求されなかったし、何万人もの外国人の若い女性たちを狩りあつめて帝国軍人に性的サービスを提供する「慰安婦」として働かせたことも訴迫されなかった。
略)
中国における化学兵器使用の証拠についても、検察は真剣に追及しなかった>(下 P二六一)
どこの国でも歴史上戦闘状態にあった場合は、その国の存亡をかけているのであり、国民に動員をかけ、徴用するのは当たり前です。これが違法とは呆れ返る。このバカは本当に大学教授なのであろうか。
ジョン・ダワーの母国であるアメリカで徴兵制は無くなったのはいつだったか。イギリスは大東亜戦争に植民地のインドからインドの人々を、オランダはインドネシアの人々を軍隊、労働に徴用すらしなかったとでもいうのであろうか。
<日本が侵略し、占領したのは、すべてアジアの国々であり、その破壊行為の結果として命を落としたアジア人は膨大な数にのぼるにもかかわらず、十一人の判事のうちアジア人はたった三人だった。
略)
特殊な植民地事情を反映する理由があった。フィリピンは一八九八年以来アメリカの植民地だったが、一九四六年には独立が約束されていた。古くから大英帝国「王冠の宝玉」と喩えられたインドも、一九四七年には独立する事になっていた。パル判事は、東京裁判の前半ではまだ非独立国を代表していたことになる。インドネシアの場合、日本による「オランダ領インド」占領後の苛烈な強制労働のせいで亡くなった人が一〇〇万人とも、それ以上とも言われているにもかかわらず、東京裁判で同じ恩恵は受けられなかった。オランダがインドネシアも代表していた、ということなのだろう。ベトナム、マレー半島、ビルマで日本人の手にかかって辛酸をなめたアジア民族も、独自の代表を送れなかった。建て前ではフランスがインドシナを代弁することになっていた。原則的にはイギリスも、ビルマ人、マラヤ諸民族、そして香港の植民非地統治民に代わって同じ役割を演じた事になっている。
東京裁判に、判事としても、検察官としても、朝鮮人がひとりもいなかった事実はきわめて異様である。朝鮮は植民地化され、何十万という男や女が日本の戦争装置による残忍な仕打ちを受けた・・・「従軍慰安婦」として、日本国内の採掘や重工業の現場でもっとも過酷な労働を強いられた労働者として、そして、軍の下級徴集兵として。終戦当時、朝鮮はまだほんとうの主権国家ではなかったうえ、いつそうなるかもはっきりしていなかった。
東京裁判が続いているあいだも、日本に植民地統治されていた人たちは、アメリカとソ連によって分割占領された国土に生き続けた。そして、旧支配者にして抑圧者であった人間を裁く事も、告発の準備に参加することさえ、許されなかった。
東京裁判の朝鮮人に対するこの処遇は、ある意味で、この勝者の裁きのより大きな変則性を如実に示していた。
あの戦争が、アジアでは独立した自由国家のあいだで戦われたわけではなく、ほとんどが植民地主義によって色分けされていた地図上で起こった、という事実に気づかせたからである。>(下P二六七〜八)
<パルの反対意見は「東京裁判史観」を批判する者たちの手垢にまみれたバイブルとなった。>(下 P二七三)
<日本人による残虐行為を認める発言もでた。南京大虐殺のような大規模で長期にわたる蛮行は、日本の報道関係者に目撃され、国際的には公にされてはいたが、日本国内では公表されていなかった。だから東京裁判の冒頭で南京大虐殺が明るみにでると、「朝日新聞」の「天声人語」は「真実を報道した一行の記事もなかったことは恥ずかしいことである」と悔やんだ。
一九四五年初めのマニラ大虐殺にまで及ぶこのほかの大量殺戮も隠されていたため、フィリピンと中国での残虐行為を中心にした詳しい報道が最初にされたとき、日本人は痛烈な衝撃をうけた。あまりに強烈で、これに較べたら、ほかの残虐行為が色褪せて見えたほどだった(例外は、東京裁判の過程で報告された日本兵による人肉喰食の件くらいだったろう)。白人に対する通例の戦争犯罪など、その衝撃の程度では足元にも及ばなかった。
略)
元植民地だった朝鮮と台湾の人たちに対する犯罪には、戦勝国も、敗れた国も、比較的関心が薄かった。皇軍によって死ぬまで酷使された膨大な数のインドネシア人労働者に至っては、まったく気にもされないも同然であった。>(下 P三一五)
注として
<一九四五年のマニラでの虐殺が暴露されたケースを例外として、一般に、当時の日本人は東南アジアの人々がこうむった犠牲に対して特に敏感ではあったようには見えない。この傾向はその後もつづき、戦時の日本の残虐行為の調査に熱心な進歩的研究者や活動家の著作でさえ、第一の関心は中国人の犠牲、次に朝鮮人の犠牲にあったように思われる。これには、犠牲者が中国と朝鮮に多かったという数量的問題だけでなく、地理的、歴史的、文化的、人種的、心理的な距離感の問題も含まれている>(下 P四四一)
いったい、どこの報道関係者に目撃されて、国際的に公にされたのであろうか。朝日新聞は戦後間もない時期(昭和二〇年九月十八日)に一番最初にGHQにより発行停止をくらい、その後は日本叩きに生きる道を見い出しました。そして、朝鮮と台湾の人たちに対する犯罪とは何であろうか。インフラ、衛生環境を整え、人口を増やした事であろうか。帝国大学まで作って教育をしたことであろうか。死ぬまで酷使された膨大な数のインドネシア人労働者一〇〇万人という数の根拠はなんであろうか。どこで、どのようにしてという具体的な指摘がないまま、この本にはこのようなアホな記述が延々と続きます。
ましてや、我が国が戦争をしなければならなかった理由など微塵もふれていません。
一九五一年九月のサンフランシスコ対日講和会議の席上、セイロン、現スリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相(後に首相)の演説は下記のようなものでした。
<アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである>
また、タイ王国元首相であった、ククリット・プラモード氏の
<日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。 日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
この重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日である。われわれはこの日をわすれてはならない。>
という、同国で最も権威のある「サイヤム・ラット」紙の主幹を務めているときに、一九五五年(昭和三十年)六月に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時、同紙に掲載された文章です。
そして、平成七年四月二六日に開かれた「アジア賢人円卓会議・アジアの独立を祝う夕べ」に寄せられた当時のアフガニスタン駐日大使であるアミール・モハバット氏による祝辞。
< 私は申し上げたい。日本は、日露戦争によって東洋の屈辱を払拭し、有色人の正義を列強に主張した最初の民族ではありませんか、と。
あの戦い以来、いかに多くの民族と支配されていた国々が勇気付けられたことでしょう。それらは歴史的事実として今日に至っております。The
Graet East War(大東亜戦争)では、一敗地にまみれました。しかし、日本国の当時の立場を考えた場合、誠に崇高な理念の植民地解放、民族独立、西欧列強に対する自衛の戦いであったと思います。
また、どれだけの植民地が日本のお陰で独立を勝ち得たでしょう。
これらは、二〇世紀の歴史における疑いのない事実なのです。
これらすべて、民族解放と人類平等のために日本人とともに闘い、そして散った先人達の尊い行為と行動の恩義を、私は信じます。>
これらアジアの人々の言葉について、ジョン・ダワーはどう思うのであろうか。
タカラトミーもアホ地球儀を発売していたそうな。そして、ホームページには「一部配慮に欠ける表記がございました。」とか書いてある。配慮に欠ける?
バンブーさん来店。Sくん来店。マロさん来店。Mさん三名様で来店。Hさん来店。女性の方一名様来店。山口からTさん来店。Aさん三名様で来店。Sさん来店。
早い時間から飲む。ドンチャン。記憶無し・・・サル
バカ企業
1月10日木曜日くもり ○
今日の産経新聞の第一面は「学研の地球儀から台湾が消えた? 中国が圧力「島」に変更」というものでした。
以下引用
学習教材大手「学研」(東京都大田区)グループが国内向けに販売する音声ガイド付きの地球儀が、中国政府から圧力を受けて、台湾を単なる「台湾島」と表記していることが9日、わかった。同社は「中国の工場で生産しているため、中国政府の指示に従わざるを得なかった」と釈明しているが、識者からは「国益を損ないかねない」と憂慮の声が上がっている。
この地球儀は、学研の関連会社「学研トイズ」(東京)が昨秋発売した「スマートグローブ」。各国の地理や文化などの情報を音声で案内するシステムが組み込まれ、情報はネットで更新される。希望小売価格は2万8000円で、初回製造の1万個は完売という。
問題の表記は台湾(中華民国)について、「台湾島」と記載。また、日本の北方では、樺太の南半分や北方領土以北の千島列島をロシア領として色分けしている。これらはサンフランシスコ講和条約(1951年)で日本が領有権を放棄した後、帰属先が未定となっているため、日本の地理の教科書では、日露のいずれにも属さない白表記になっている。
台湾島という呼び名や千島などのロシア領表示は、いずれも中国発行の地図で一般的に使われる表記。
学研トイズは「当初は日本の学校教科書同様の表記をするつもりだったが、工場が中国にあり、中国政府から表記を変更しないと日本への輸出を認めないと迫られた。すでに注文が殺到していたので、仕方なく中国政府の指示に従った」と説明している。
同社は応急措置としてメモを添付。「生産国の中華人民共和国政府の指示により、地球儀表面の『台湾』の表記が『台湾島』音声が『中華人民共和国』となっております」などと記している。
東アジア情勢に詳しい伊原吉之助・帝塚山大名誉教授は「世界地図の表記はその国の利益に直結しており、他国の主張にやすやすと屈服し、自国で販売するというのは主権侵害への加担で、一企業の商行為でも不誠実のそしりは免れない。それが学習教材大手というからなおさらだ」と指摘している。
引用終わり。
1月10日10時59分配信?産経新聞
その学研トイズのホームページをみてみると「お詫び」と記された文章がありました。
以下引用
お詫び
弊社商品『スマートグローブ』におきまして、不適切な表現・表記がありました。
つきましては、当商品の販売中止を決定いたしました。
お客様はじめ、関係各位に多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
今後の商品製作には細心の注意をはらい、このような事態の再発防止に努めてまいる所存です。
尚、『スマートグローブ』をお持ちで、返却をご希望のお客様におかれましては、税込み価格\29400でお引取りさせていただきます。
返却手続き開始は1月15日(火)から開始いたします。手順につきましては、このページにて再度告知いたします。
よろしくお願い申し上げます。
------------------------
学研トイズお客様相談室
メール info@gakkentoys.co.jp
? 03ー3726ー8234
引用終わり
この産経新聞の記事は夕刊フジに掲載されたものを転載したものだそうで、もし、この記事がでなかったら、この腐れ会社は、初回分一万個が完売したというこの地球儀をず〜とそ知らぬ顔をして販売し続けたことでしょう。「細心の注意」など必要ではなく、普通の考え方をもっていれば、こんな事にはならないはずです。ただただ、支那政府の圧力に屈しただけの腐れ企業なだけです。軍事転用可能無人へりを、それを承知で売り続けた「ヤマハ」といい、この「学研トイズ」といい、腐れ企業は山程あります。
まあ、売国奴としての貢献度は朝日新聞、岩波出版、TBSには負けるかも知れませんが。
Kさん来店。ANNNAさん、MAYUNAさん来店。お二人ともURAホームページを見てくださっての来店。お二人が前回いらしてくださった時には、Nさんが連れていらした「元革マル」とかいう気狂いオヤジが同じカウンターにいた時。いわゆる南京大虐殺は「日本兵が首の皮一枚を残して住民を日本刀で斬った」と言っていたバカオヤジ。「証拠写真もある。大学時代の恩師が言っていた」と宣うが、そんな証拠写真見た事もない。どこの大学にも腐れ教授はいる。人間の首を皮一枚を残して斬れるというほどのそんな達人何人もおるんかいな。いったい一振りの日本刀で何人の人間の首を落とせる思っているのだろう。その後、Nさんから「おれ、デキンになっとらん?、今日いってもいいかな?」という電話があった時は笑った。当日は当然、Nさんとみなさんで、その時のバカオヤジの話で盛り上がる。
遅い時間に、同級生の女性が嫁入りしているという蔵元さんの酒を持ってKくん来店。 そういえば、前にANNNAさん、MAYUNAさんがいらしてくださった時にも、遅い時間にKくんがドンチャン。
遅い時間に飲むが、今日は記憶あり。
ジョン・ダワー
渋谷事件、および第三国人について
1月9日水曜日晴れ ×
引き続きジョン・ダワーの著書「敗北を抱き締めて」よりの引用
<早い時期に絶望からの脱出と新しい「空間」の創出を派手に示した実例は、いわゆる「まともな社会」からはずれた、社会の周辺部分に見られた。敗戦後ならではのサブカルチャーが出現したのはそうした場所であった。
そうしたサブカルチャーは、旧秩序の崩壊と、それに続く因習打破、独立独行の新しい精神を象徴するものであり、ショッキングではあったが、魅力的でもあった。もちろん、社会の周辺的集団がどれもそうした雰囲気を感じさせるわけではない。たとえば朝鮮人、台湾人、中国人、つまりいわゆる「第三国人」(そして大部分の日本人にとっては沖縄人も)の多くは、社会の周辺部分のなかでは反抗的存在ではあったが、例外的な場合を除くと、社会全体からみれば目立たない存在となっていた。>(上 P一四五)
<台湾人の露店商数百人と松田組の乱暴者約一〇〇〇人が参加した喧嘩は、隣の渋谷区まで広がり、ついには渋谷警察署の近くで銃撃戦にまで発展した。この事件で台湾人の死者が七名、負傷者は三四名にのぼった。警察官も一名が死亡、一名が重傷を負った。
この「渋谷事件」は多方面に影響を及ぼした。台湾人・朝鮮人の社会と警察の間には以前から敵対感情があったが、事件によっていっそう感情は悪化した。「第三国人」への偏見が強まり、闇市の悪弊と犯罪の増加にたいする世間の怒りは、日本人以外のアジア人に向けられるようになった>(上P一七三)
ジョン・ダワーは、台湾人については露店商とし、日本人は乱暴者と表す。ましてや、朝鮮人・台湾人の戦後の無法ぶりについては何も書いていないどころか、<「第三国人」(そして大部分の日本人にとっては沖縄人も)の多くは、社会の周辺部分のなかでは反抗的存在ではあったが、例外的な場合を除くと、社会全体からみれば目立たない存在となっていた。>と書く。当時、「第三国人」は日本においてどのような存在であったか。昭和二〇年十一月三日にGHQは、朝鮮人および台湾省民を「できる限り解放国民として処遇する」と声明を出したために、解放国民を戦勝国民と勘違いした一部のバカ朝鮮人・台湾人が我が国において我が物顔で数々の犯罪を犯しましたが、それを「敗戦による混乱の中で、たくましく活気にあふれた在日朝鮮人の活動に対する反感を生み、非難、中傷を生んでいっったのである。」と書く内海愛子女史のアメリカ版のようです。
駅前の土地に勝手に違法建築物を建てて占拠したなど、戦後の混乱期における朝鮮人、台湾人など「第三国人」の無法は数え切れません。渋谷事件とはその一つで、戦後、台湾人は渋谷宇田川町に華僑総本部をつくり、渋谷に不法建築家屋を建て、闇市をつくり、禁・統制品を販売するだけでなく、取り締まる警察官にまで集団暴行を繰り返しました。昭和二一年七月一九日に渋谷警察署は、武装した台湾人約一三〇人の襲撃をうける。この台湾人たちは、同日、新橋駅前の闇市の利権で対立していた関東松田組を襲撃したが、戦闘機用機関銃で銃撃され、逃げたのちに、同日午後九時、渋谷警察署を襲撃した。渋谷署は他の署およびヤクザに応援を頼み応戦。この時、芳賀弁蔵巡査部長が胸部を撃たれ死亡している。渋谷警察署は、台湾省民二八人を逮捕し、拳銃と実弾などを押収。つまり武装した台湾人が暴徒となり警察署を襲った事件なのです。
それを、<台湾人の露店商数百人と松田組の乱暴者約一〇〇〇人が参加した喧嘩は、隣の渋谷区まで広がり、ついには渋谷警察署の近くで銃撃戦にまで発展した。>と書くジョン・ダワー
わざと歪めて書いているとしか思えません。
当然、当時は多くの朝鮮人も日本中で同じ事ような犯罪を繰り返していました。
ジョンダワーは巻末に「第三国人」として、<日本人が使った「第三国人」という言葉は、戦後日本の人種差別・民族差別の意識をうかがい知るうえで興味深い例である。「外人」という言葉は、主に白人についていう言葉で、「第三国人」は、日本人以外のアジア人、とくに朝鮮人と台湾人を指し、「外人」よりも軽蔑を込めた言葉であった>(P三八四)といかにも日本人が差別するために考えだし、使っているような書き方であるが、元々はそういった意味ではなかった。「三国人」なる言葉は大東亜戦争終了後の昭和二〇年一〇月三一日に連合国が「連合国、中立国、敵国の定義に関する覚書」により、朝鮮はそのいずれにも該当しないことから「第三国」(The
Third Nations)と呼んだことに由来します。それが、どうして日本人が使う「第三国人」という言葉を蔑称と感じるのか。蔑称と感じるのであれば、まさに「第三国人」の彼ら自身の問題なのです。
今日は河岸が休みなので、午後より今年初めてスポーツセンターに行く。スロートレーニングで軽いメニューを消化。でも、久しぶりなので、明日は体中痛そう。
帰りに本屋さんで数冊の雑誌を購入。三五〇〇円なのにカードでお願いすると「一回払いでよろしいでしょうか?」・・・・
三五〇〇円を分割払いにする人おるんか?????
Hさん二名様で来店。アンコウ鍋。遅い時間にわ。さん来店。
ドンチャン。
ジョン・ダワーのダブル・スタンダード
米軍の無法ぶり
1月8日火曜日くもり ○
ジョン・ダワーは軍隊と売春婦について、旧日本帝国陸海軍は
<日本軍がほかの場所でおこなった強欲な行為と、「慰安婦」として皇軍への奉仕を強いられた非日本人の女性が膨大な数にのぼったことを知っている者にとっては、それは身震いするような恐ろしいことを意味した。天皇の敗戦放送のあと、「敵は上陸したら女を片端から凌辱するだろう」という噂が野火のように広まった。内務省の情報課は、この噂が日本軍の海外での行動と関係していることにただちに気がついた。>(上p一四八)
と書き、米軍については
<占領軍の規模が大きかったことを考えれば、じっさい強姦事件は比較的少なく、日本政府が予期した程度におさまっていた>(上p一五五)
<概していえば、この勝者は、アジアを占領していた日本の軍部よりはるかにきびしく自らの行動を律していたが、にもかかわらず、暴行や強姦の発生は避けられなかった>(上 P二七二)
しかし、ジョン・ダワーはこの著書の巻末に注として、日本女性に対する強姦・暴行はRAAが存在していた期間では一日約四〇件、一九四六年初めにRAAが閉鎖されて以降は一日三三〇件という数字をあげている。この数字がジョン・ダワーにとっては比較的少ない強姦・暴行事件ということです。悪い冗談としか思えません。
ましてや、我が国独立後の昭和二八年の官報号外を基にした
内閣委員会における平成十九年二月二十一日(水曜日)自由民主党の戸井田とおる議員の答弁で引用された独立後の数値ですら、「八カ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになつておりまする件数は厖大な数であろうと想像されております。」という内容が、ジョン・ダワーのいう「強姦事件は比較的少なく、日本政府が予期した程度におさまっていた」などとは程遠い事がわかります。
こんな程度のヤツ(ましてやいっちょまいに大学教授だそうな)に偉そうなことは言われたくはないです。
参考→戸井田とおる議員の答弁より見える真実
まあ、日本の大学教授にもアホがいっぱいいますけど。
この項まだまだ続きます。
今日はIさん大勢様で来店。のみ・・・
写真は昨年暮れに蔵元さんが贈ってくださった、今年の干支であるネズミさんの美丈夫干支ボトル。
ジョン・ダワーにとっての日本人
1月7日月曜日晴れ ○
この休み中に読んだ数冊の本の中の一冊に、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」がある。二〇〇一年に岩波書店から翻訳出版され、その後二〇〇四年には増補版も出されたこの本は、アメリカでは二〇〇〇年にピュリッツアー賞(ノンフィクション部門)受賞。我が国でも二〇〇二年大仏次郎論壇特別賞受賞(朝日新聞社主催)、山片蟠桃賞(大阪府主催)を受賞し、(一部には)賞賛されています。出版社と賞の主催がこの本がどのようなものかをよく表している。
以下、このジョン・ダワーの著書よりの引用です。
<日本人は乱暴の限りをつくしたが、中国人の抵抗力がいかに柔軟で不屈であるか、そして・・・>(上 P四)
<中国との全面戦争がはじまって間もなく起こった南京大虐殺から、太平洋戦争の末期のマニラでの蛮行にいたるまで、皇軍兵士たちは表現しがたいほどの残酷と略奪の跡を残した。のちに知られたことであるが、日本兵たちは同僚の兵士の肉を食べていた。日本兵は絶望的な自殺的突撃をおこなって戦死し、戦場で餓死し、傷ついた自軍の兵が敵の手におちるよりもむしろ殺害するほうを選び、サイパンや沖縄のような場所では、非戦闘員の同国人を殺した。日本人は、自分の町が焼夷弾で破壊されるのを、なすすべもなく見守った。その間、指導者たちは「一億玉砕」がいかに必要かについて、あれこれ説きつづけた。大東亜共栄圏のもっとも明確な遺産は、死と破壊であった。中国だけで、おそらく一五〇〇万人が死んだ。約三〇〇万人の日本人と、大日本帝国のすべてが失われた。こうした正視できないほどの狂乱のあと、日本人はめったにみられない隔離の時代に入った。>(上P四〜五)
<日本占領のもっとも悪質な点のひとつは、帝国日本の略奪行為によってもっとも被害を受けたアジアの人々に対してなされた数々の犯罪にいたっては、いっそう容易に、まるでなかったようにみなされた>(上p一二〜一三)
<非常に多数の元陸海軍人にとって最もショックだったのは、苦労して故国に帰った末に、まるで世間からのけ者のように扱われたことであった。一九四六年には、引揚げ者が洪水のように帰国していたが、そのころまでには、連合国の捕虜たちにたいしてだけでなく、中国で、東南アジアで、そしてフィリピンで、皇軍が衝撃的なほどの残虐行為をはたらいていたという情報が、本土の人々の耳にも次々に流れ込んでいた。>(上p五八)
<戦争中の日本人の野蛮で残忍な行為は、生まれてから長い間抑圧されてきた人間が突発的にとった行動と理解すべきなのだ>(上 P二七八)
このジョン・ダワーというアメリカ人の悪質な点は、他の著書「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー)において、アメリカ人の残虐さを書いていながら、この著書ではいっさい触れていません。
その著書には孫引きですので掲載ページは記することはできませんが、下記のように書かれています。
以下引用
「大平洋地域担当の従軍記者エドガー・ジョーンズが、四六年の『アトランティック・マンスリー』誌に書いている『われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機関銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、または他の骨でペーパーナイフを作るとかしてきたのだ』。ジョーンズはさらに、標的の日本兵がすぐに死ぬことがないように、火炎放射機の炎を調整するというような行為にまで言及している」
「一九四二年の末に出版されベストセラーとなった『ガダルカナル日記』のなかで、ジャーナリストのリチャード・トレガスキスは、日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士たちの会話を挿入している。『ジャップは金歯をたくさん入れてるんだってな。それをいただいてネックレスでも作るかな』と一人がいう。『おれは奴らの耳を持って帰るよ』ともう一人が宣言する」
「リンドバーグがついに大平洋諸島を離れ、ハワイで税関検査を受けたときには、荷物に骨が入っているかどうか聞かれた。それは決まりきった質問だと言われたという」
引用終わり
(先に書きましたように、ジョン・ダワーの著書よりの直接の引用ではありません。以上の引用先は「日本の反論」米田健三著 並木書房 P一六八より)
このジョン・ダワーの思考は、本多勝一氏や倉沢愛子女史などと同じです。
以下、ジョン・ダワーという腐れアメリカ人についての項は続きます。
今日は今年初めての河岸。魚は薄めなので高い。先週土曜日の初競りでは御祝儀ということで二万二〇〇〇円が一番競りの鮪だったそうな。
写真は河岸の中にある水神様
いつもは定休の月曜日ということで、やっぱ、ヒマ。
しみずさん来店。のみ・・・・
いろいろタレなどの仕込みをする。
さっさと終えて、帰る。
1月6日日曜日晴れ ○
こもって、三日めとなると流石に部屋に食べる物がな〜んにも無くなったので、夕方、買い出しに出かける。
後は、ゴロゴロと一日部屋で過ごす。
1月5日土曜日くもりのち晴れ ○
一日中ゴロゴロして終わり。
1月4日金曜日晴れ
午後、テレビをつけていたら、関口宏が司会の番組で「食品偽装」とか「経済格差」「賄賂」などいろいろやっていたが、現在のの支那、朝鮮のことはいっさい無し。ましてやコメンテーターとして出演していた反日在日朝鮮人の姜尚中などには偉そうに色々言われたくない。同じくコメンテーターとして番組に出演していた東国原知事は、昨年暮れに付けていたブルーリボンバッジを付けていなかった。暮れに付けて出演したからもう十分ということだろうか。それとも、関口氏や姜尚中に気を使っての事だろうか。関口氏には「姜さん、ところで、偽物というと南北朝鮮ともコピー商品が問題になっていますが、どうでしょう。これって、民族性でしょうか?」ぐらいのことは聞いてほしいものです。
新年会
1月3日木曜日晴れ×
午後店に寄り、その後、江上さんの御自宅での新年会に遅刻して参加。
グアダラハラで大変お世話になった長島ご夫妻をはじめ、梁さんご夫妻、健さんご夫妻、中島さんなど大勢のみなさんがいらしてドンチャン。福子さんといっしょに参加の娘さんの弥生ちゃんは、ソルボンヌに留学し、現在は南米コロンビアで会社を作ったそうな。フランス人の彼氏と一緒に参加。来年、モロッコで結婚式だそうです。最初にルシアンさん、福子さん御夫妻にお会いした時は、弥生ちゃんは小学生でしたから、もう二〇年近くもたったことになります。遅くまでドンチャン。(酒一升瓶が三本。四合瓶二本、スパークリングワイン二本、赤ワイン三本、コロンビア産のレモンラム)久しぶりの古酒。一九四七年のコルトン。こればかりは開けてみないとわからんし・・・・楽しめる状態でよかったです。
江上さんところからの帰りに、マルガリータさんから電話あり。そのまま中島さん、UさんともどもSさんの御自宅でのドンチャンに飛び入り参加。しかし、今回はUさんでしたが、いくら武道の弟子とはいえ酒も飲まずに、酒の席にず〜と付いているのは大変。すごいです。毎回の事ながら、今回もお世話になりました。
めちゃ遅くというか朝早くUさんに車で部屋まで送っていただき帰宅。今日もサル・・・・
1月2日水曜日晴れ○
一日中部屋でゴロゴロ。
1月1日火曜日晴れ○
一日中部屋でゴロゴロ。