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姜尚中

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


姜尚中
 父親は一九一七年慶尚道昌原郡南山里生まれ
 一九三一年渡日
 東京の軍需工場で働き、巣鴨の社宅にいた
 母親は一九二四年許嫁として釜山の鎮海より一九四一年渡日
 本名禹順南 日本名春子
 本人は一九三〇年熊本県に生まれる 早稲田大学

 

姜尚中という嘘つき朝鮮人

平成26年6月5日木曜日雨×

<姜 アメリカの冷戦下における、パワー・ポリティクスに基づく対日占領政策が一方的にあると同時に、日本国憲法を発案した人たちの中に「人間としてこれを作った」という思いがある。

 日本が占領地においてそれをやっていたら、つまり朝鮮半島において一九一九年の弾圧の弾圧をやった後、「これはむごい事だと」と認識していたとしたら・・・・・・。日本は、立憲君主制の明治憲法下でも許されていた大衆の社会権や自由を、異民族を支配する以上はそこにも認めなければならないと、いうところまでいけなかったわけです。

 ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」という映画に描かれていますが、アイルランド支配の中でイギリスはちゃんと自由化政策を行っています。そうした自由化政策すらも日本はしなかった。ということは、いかに過酷であったかということです。それを考えると、残念ながらアメリカのほうがはるかに日本より進んでいた。>p九十四〜九十五

 「戦後日本は戦争をしてきた」姜尚中・小森陽一 角川書店 平成十九年刊

 

 例によって、どうしようもない嘘つき朝鮮人お得意の「日本の統治は醜かった」論ですが、現実にはどうであったか。

 姜尚中の観た「麦の穂をゆらす風」とはWikipediaによれば、一九二〇年代アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に、英愛条約をめぐって対立することになる兄弟を描いた戦争映画となっています。アイルランド独立戦争と三・一運動(暴動?)とを一緒にしているのです。

 あほかと。

 三・一運動(暴動?)については過去に何度か書きましたが、独立運動でもなんでもないたんなる暴動です。

宇都宮太郎大将の日記にみる三・一運動と朝日新聞

講談社による三・一運動の描き方

「水源郡堤岩里教会事件」の真相

 朝鮮は我が国の統治時代に独立運動らしきものは起こしていません。それどころか、大東亜戦争まで日本人として戦っています。

 ましてや、アイルランドがどうして独立運動を起こしたか。

 それだけイギリスのアイルランド統治が過酷だったからです。

 中川八洋氏は著書「歴史を偽造する韓国」にて下記のように書いています。

 <日本の朝鮮統治は「植民地支配」などといわれるが、朝鮮は僅かも「植民地」として扱われてはいない。「植民地」であれば、日本は朝鮮統治から財政的・経済的メリットがあったはずであるが、そのようなものは皆無であった。逆に、日本は朝鮮統治のために巨額で過度な財政的負担を強いられた。七千万人の日本人は、その分増税を強いられた。マルクスの用語に従えば、日本人は朝鮮人に「搾取」された。

 世界史に例のない特異な他民俗統治である。日本の韓国併合の真実は、イギリスの「植民地」インド/アイルランド統治や、オランダの「植民地」インドネシア統治、あるいはフランスの「植民地」アルジェリア統治と比較すれば、簡単に鮮明になる。

 イギリスの「植民地」アイルランド統治で、アイルランド人はその収奪に耐えかねて、自らの国からの「集団脱走」である、国を棄てる「集団棄国」が実際に起きた。それほど英国の収奪は過酷を極めた。アイルランドの人口は、一八四一年の八二〇万人が一九一一年には四四四万人と半分になった。一八四七年から一九〇五年にかけて五〇〇万人のアイルランド人が国外に移民した。

 しかし、朝鮮は日本の統治によって年々豊かになった。人口は一九一〇年の一三一三万人が、一九四二年には二五五三万人と激増した。三二年間で倍になったのである。

 植民地アイルランドの逆である。しかも、一人当たりの国内総支出も一九一〇年の五十八円が一九三八年には百十九円と、二倍になった。人口が増えた上に所得がさらに増えた事実だけでも、朝鮮統治における世界史に例を見ない日本の「善政」は、一目でわかる。>

P十二〜十三

<英国のアイルランド統治の基本は、

一、土地の没収

二、無教養化

三、産業進展の抑圧

 の三つが柱であった。

 何から何まで日本の韓国統治とは百八十度逆である。

 その方法は狡智を極めていた。土地持ちのプロテスタントの女性がカソリックの男性と結婚した場合はその土地を没収。カソリック教徒の土地購入の禁止、プロテスタントからカソリック教徒への贈与の禁止、カソリック教徒の土地相続は均分相続のみで長子相続は禁止、などである。これらを定めたのが、「カソリック刑罰法」(一六九五年〜)である。カソリック教徒の土地所有率は、一七〇〇年頃にはあっという間に十二〜十三%まで激減した。

 さらに、一七〇四年と一七〇九年の法律によって、カソリック教徒の土地の購入は全面的に禁止された。三十一年以上の借地契約も禁止となった。一七七八年頃になるとカソリック(アイルランド人)の土地の保有率は五%以下となった。

 九十%以上を保有し続けた朝鮮人とはいかに相違していることか。

 また、英国本国の大地主は、アイルランド農民から巨額の地代を「収奪」した。

 しかも、これらの大地主は、これらの収益から一ポンドすら農地の改良や農業技術の研究開発に使用することはなかった。アイルランド小作農は年々貧窮度を強め人間としても堕落していった。農村はいもを主食として、パンすらほとんど食することのない日々であった。一七四〇年〜一年の大飢饉において、餓死者四〇万人に及んだという。あれほどの餓死者を毎年出していた韓国が日本統治下においてはゼロとなったのと対照的である。

 英国は、アイルランドの人々を惨たる農業に縛り付けておくために、また貧困にとどめておくために、農業以外の産業に彼らが活路を求めないよう産業潰しを実行した。一六九九年、アイルランド唯一の成長産業で経済的発展の唯一の望みであった毛織物製品を輸出禁止とした。

 日本の朝鮮統治と英国のアイルランド植民地政策の、もう一つの決定的な相違は、日本は小作人の耕作権を「神聖不可侵」と考えて完全保証したのに対して、アイルランドでは地主は小作人を自由に追放した。一八四九年〜五六年、穀物耕地を牧草地とするため、アイルランドで追放された小作農家戸数は約五万戸(人口二六万人)であった。この追放された小作農家は米国に移住するか餓死した。なお、この追放された小作農家を含み、一八四五〜五三年の八年間のアイルランドの餓死者は六〇万人を超え、海外移住者は一四〇万人以上となった。

 アイルランド人口は、一八四一年の八二〇万人が一九〇一年には四四五万人と半減した。

 朝鮮は日本の統治の下で人口が一三一三万人(一九一〇年末)から、二五五三万人(一九四二年末)に倍増したのと逆である。そればかりか、朝鮮では餓死がなくなった。

 ちなみにアイルランドの自作農・小作農の比率は、一八七〇年で、自作農は全農家の三%でしかなかった。九七%を占める小作農のうち、耕作権の保証された小作農は二十%、六ヶ月前の通知をもって追放される小作農は七七%であった。かくも悲惨なアイルランド小作農を救済する英本国の動きは、ようやく一八八一年頃より始まった。実際に改善され始めたのは、二十世紀に入ってからだった。>

p八二〜八四

 アイルランドについて詳しく説明してくださっているホームページ『エールスクエア』には下記のように説明されている。

http://www.globe.co.jp/information/history/history-2.html

 イギリスが植民地であるアイルランドを併合したのは一八〇〇年であり、<その後一八〇一年から一九二一年まで、アイルランドは独自の議会を持たなかった。アイルランドの議員たちは大半をロンドンで過ごさねばならず、アイルランドを離れてイギリスで暮らす不在地主になり、商工業も急速に衰退した。現在共和国を構成する地域は産業革命もほとんど起こらず、不在地主制の下で貧しい農業経済に甘んじていた。>

 その併合後もイギリスの圧政に苦しんだアイルランド国民は何度も武装蜂起など独立運動がおこっている。

 <ダニエル・オコンネルは1823年、カトリック協会を設立しカトリックに対して完全な自由を求める立憲的な解放連動を展開した。>

<オコンネルはイギリスとの合併を撤廃しようとする運動をおこした。1830年の運動は強硬な鎮圧にあって失敗、1840年再び運動を開始した。アイルランド各地で大規模な集会を組織していた青年アイルランド党の指導者たちによって週刊誌「ネイション」が創刊されるなど運動は盛り上がった。しかし1843年、ダブリン集会が軍隊と大砲で鎮圧され、オコンネルや主要な指導者たちは投獄され、法の枠内での大衆運動というオコンネルのやり方は敗北をきした。>

<アイルランド人による政府を樹立するため1848年に武装蜂起を決行した。

<やがてアメリカに渡ったアイルランド人の移民の間で、イギリスの利益に打撃を与えることによってアイルランドの政治的自由を獲得しようとする革命的秘密結社フィニアン運動(IRB/Irish Republican Brotherhood/1858年)が組織された。ジェイムズ・スティーブンズやジョン・オレアリーをリーダーとするフィニアンは1867年に反乱を計画したが、行動をしめしただけで鎮圧された。>

 そして、姜尚中氏が<「麦の穂をゆらす風」という映画に描かれていますが、アイルランド支配の中でイギリスはちゃんと自由化政策を行っています。>

とホザイている時代(一九二〇年代前後)はどういう時代背景だったのか。

 <1916年4月24日、イースター祝祭週間にアイルランド義勇軍とアイルランド市民軍がダブリンの中央郵便局とその他の13の要所を占領し、臨時大統領としてパトリック・ピアースが『アイルランド共和国宣言』を読みあげた。2万人の英国政府軍に対しておよそ1600人のアイルランド軍は6日間の戦いの後捕えられ、主導者たちは処刑された。しかしその英雄的行為はアイルランド人の愛国心をよびおこし、独立の悲願を世界にむけて訴える結果となった。 略)

 アイルランドの政治的運動は激化し、アイルランド義勇軍やアイルランド共和国軍(IRA)は憲兵や武装警官に対してゲリラ戦を展開した。政府は非情な報復でもってこれに答えた(イギリスーアイルランド戦争)。1918年の総選挙で議席数の4分の3を得て圧勝したシン・フェーン党員は翌1919年ダブリンで一方的に第1回アイルランド国民議会(ドイル)を開催、独立を宣言した。略)

 宣言を認めないイギリスとの間に1919年から1921年まで猛烈な抗争が続いたが、ついに1921年の12月、「英愛(イギリス・アイルランド)条約」に調印し、イギリス連邦自治領としてカナダ、オーストラリアなどの他の英国自治領と同等の憲法上の地位が認められ、26の県がアイルランド自由国として自治権が認められた。>

 このようにイギリスの統治に対するアイルランド人の人々の勇敢な独立運動を戦いますが、かたや、朝鮮人はどのような独立運動を行ったのでしょう。

 ましてや、これも書きましたが、我が国の朝鮮半島統治において、日本人より偉い朝鮮人は山ほどいました。

 朝鮮半島に本土より移民してきた日本人は朝鮮人の郡守、邑長、面長の統治下にあったといってよい。

 アイルランドはそのような統治だったのか。

 確かに、我が国の朝鮮統治は間違っていた。

 ヒトモドキを人間扱いしたことは大きな間違いである。

 あほらし

 今日のかみさんの朝ビールの残骸。

 三井の寿の蔵元である井上専務よりいただいた博多麦酒。

 三名様来店。

 二名様来店。

 Aさん来店。

 ドンチャン。

 気がついたら店で寝てました。

 サル以下。



平成18年5月17日水曜日 雨 ○
 この方も多くの皆様から論文に書かれております。私も、手許にある姜氏の著書とその方々の記事などを参考にしたいと思います。
 ちなみに、どういうわけか姜氏の著書「在日」からは、軍人中学といわれたあの堀内豊秋大佐などを輩出した名門県立濟々黌高等学校を一九七〇年に卒業というのは省かれていて、いきなり早稲田大学に入った事になっている。
濟々黌高等学校の質実剛健の校風、黌歌「嗚呼藤肥州(加藤清正)の領せし地・・・」と若き姜氏が歌っていたのを知られたくはないからなのだろうか。

 姜氏による日本人象とは(著書「在日」より)
「ドブロクを摘発する税務署員」「保健所の犬殺し」「戦争中、中国で若い女をなぶり殺しにした飯島さん」「(父親がやっていた)廃品回収物の中にあった血のりで赤褐色にさびついた軍刀」「ハンセン病患者の金子さんの差し出す紙幣を箸でつまむ饅頭屋の女主人」
 対する在日朝鮮人とは
「税務署員のトラックに石を投げる気丈な母親」「動物の遺骸を慈悲深く葬る李相寿おじさん」「やさしい鍛冶屋のおじさんが作り出す農機具の鎌や鍬」「家族に対する深い愛情と故郷に対する思いをこめる母親や下関のシャーマンのおばさん」
なんとわかりやすい対比のしかたでしょう。

「反日かどうかを尺度とする自家中毒」と題する論文に
左翼言論の地盤沈下が決定的だったのは北朝鮮の拉致問題だとして
<論壇あるいはジャーナリリズムの進歩派に対する『粛清的』とでもいうべき批判が噴出するようになった。知識人やジャーナリストの一人ひとりを名指しして、過去の発言の行状を暴いていくスタイルが歓迎されるようになる」
 稲垣武の『「悪魔払い」の戦後史』を例に出して、
「進歩派に対する暴露型の攻撃が顕著になった」
                 「論座」平成十八年五月号

 つまり、姜氏は「言論に責任など持たなくてもいいのだ」「批判は名指しでするな」とある自分勝手な、実に都合のいい発言をしているわけです。
 現実には、いわゆる左翼言論人による言論、行動がいままで異論に対して姜氏のいう「粛清的」な性格を持っていたということについての賛同の方が多いでしょう。

 昭和天皇の御崩御の際の感想
「いまでも非常に印象に残っているのは、桂小金治という人が番組のなかで泣きながら、昭和天皇を悪くいう奴は日本から出ていってほしい、嗚咽しながら叫んでいる姿をみたときです。僕は唖然とした。それが起点になって、ぼくは日本のナショナリズムのメカニズムを考えるようになりました。ナショナリズムが情の世界を基盤としていること。つまり本人が非常にセンチメンタルな感情にすっぽり投入するようなかたちで、ナショナリズムが発動され、結果としてそれが外部に暴力的な装置として働いていることが本人には見えない。こんなに自分が泣き、苦しみ、哀悼の意を表している、そういう崇高な切なさにドロを塗るとは
何ごとか・・」
(著書「在日からの手紙」より)
 
 <金正日の口から出たことには驚いたが、拉致自体にはそれほど驚かなかった。かって韓国も、67年にベルリンから音楽家のユン・伊桑を拉致し、73年には金大中拉致事件を起こした>
二〇〇二年十一月二十二日朝日新聞

 南朝鮮が拉致したから、北朝鮮もそれに対して対抗しただけだ・・・・・と、いうつもりでしょうか。
日本人は何も関係ないのですが・・・

 <『ヨン様とジョンイル』
 ベトナム戦争以上のナパームが投下され、核戦争の瀬戸際までいった朝鮮戦争はその無差別の殺戮の記憶と核の脅威で北朝鮮を閉鎖的な軍事国家に変えた>2005年2月6日 朝日新聞「時流自論」
つまり、姜尚中は北朝鮮が核を持ったのもアメリカが朝鮮戦争で北朝鮮を攻撃したからだと言っているのです。では、その北朝鮮が不意打ちした朝鮮戦争でアメリカを仁川まっで追い詰めてもう少しで、勝ちそうだったのはどう説明するつもりでしょう。まあ、お得意のスルー戦術でしょうけど。

<「日本国民の在日化」とは、バブル崩壊後、日本人が「社会的なセーフティネット」をさほど当てにできなくなった状況が出現したことが「在日」と同様の状況であるというもののようだ」>
「在日」p177〜180より

 姜氏は我が国において外国人でありながら、在日朝鮮人がどんなに我が国から恩恵を受けて生活してきたか、御存じないのであろうか。恐らく御存じでもそれを言わずに差別、差別と叫んでいる方が楽なのだろう。
 しかし、我が国において外国人でありながら、ある意味日本国民より有利な多くの権利を得ているという恵まれた存在でいながらもあくまで被害者であると声高らかに叫び、在日というものを商売にしている辛淑玉女史などと同じスタンスであるかぎりは、姜尚中氏もウソと知りつつそのウソを重ねて、その悲しいというか滑稽なお笑いでしかない立場にすがりつくしかないのであろう。もし、自分達が被害者としか思えないでこれからこの日本で生きていくということは、それがどんなに醜い人生かを理解せずに死んでいくということだ。
これについて、浅川晃広氏は<一切の社会的責任から免除された領域における発言権の獲得、そして自らが属している社会から得られる権利・利権の確保に他ならない。すなわち、権利は享受するが、それにともなう「責任」を回避する「免罪符」として、姜における「在日」は機能している。>?p182〜183
といっています。
また、姜氏について中川八洋氏は「ディアスポラ知識人」としてその姜氏の著書「東北アジア共同の家」より
「北朝鮮という得意な国家を東北アジアのシステムの中に引き入れる以外に方法はない。・・・内側から解体していった場合・・・日本海を超えて日本に流入してきた場合のカオスというものは、・・・背筋が寒くなるような事態であります。北朝鮮の内部崩壊を望んでいる国は・・・一国たりともないと思います」を引用し、「現実には万が一にもありえない脅しで恐怖をあおり日本人から金をだまし取ろうとする、ならず者の手口である。」とし、
中川氏は姜氏のこの引用文について下記のようにウソをわかりやすく指摘しています。
<姜の嘘は二つある。第一の嘘は、世界中が「超ならず者国家」北朝鮮の内部崩壊と消滅を、かっての東ドイツの崩壊のように一日も早くと望んでいるのに、それを逆さに転倒している。第二の嘘は、北朝鮮には、日本に行き着くための船の重油や灯油が決定的に不足しているから、日本への流入はほぼゼロである。略)そもそも、国民の二割程度を餓死によって殺害している北朝鮮と「共同の家」を持ちたいと考える日本人は一人もいない。>
そして、ディアスポラは「異邦人」のような弱者の立場にはない。彼らは、故国が、外国に派遣したその外国を将来侵略したり搾取するための先遣部隊の立場にあるとして、
<現に「ディアスポラ知識人」姜尚中は、北朝鮮の対日要求を代弁し、日本の中に、日本人が持つことのできない、巨大なマスメディア権力を構築している。姜とTV朝日の田原総一郎、姜とTBSの筑紫哲也の絆は、「朝鮮人」ネットワークの「在日侵略者たちの聖域」で、まさしく”ディアスポラ空間”ではないか>
そして、中川氏は姜氏の著書「脱オリエンタリズムの思考」より
「知識人には、<特定の人種なり、民族がこうむった苦難を、人類全体にかかわるものとみなし、その苦難を、他の苦難と経験と結びつけること>が、その決定的に重要な責務として課せられている」
という引用をし、姜氏の思想の異常さというか危険性を指摘しています。

 辛淑玉女史といい、この姜尚中氏といい鬱陶しい連中です。

 参考、引用
 ?「諸君」平成十六年十一月号 「在日」文化人がシャーマンになるとき 古田博司(筑波大学教授)
 ?「追跡平成日本タブー大全」 在日知識人「姜尚中」の妄言を笑う!中宮崇(プロ2ちゃんねらー)←わたしは個人的にはこの中宮氏の肩書きは大好きです!
 ?「諸君」平成十七年三月号 言論界の”善男善女” 姜尚中 「在日」を無制限に免罪符に使う「プロ市民」 浅川晃広(名古屋大学専任講師)
 ?「正論」平成十八年六月号 「ディアスポラ知識人」姜尚中の思想解剖 中川八洋(筑波大学教授)


裏表紙