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「水源郡堤岩里教会事件」の真相
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成19年9月26日水曜日晴れ ×
<堤岩里という村で、キリスト教徒を教会に集め、封鎖したまま焼き殺すという「水源郡堤岩里事件」(二九人死亡)が起こる。>と書かれた「水源郡堤岩里教会事件」といわれるものについては南朝鮮の教科書などでも非難しております。
たとえば、「朝鮮独立運動の血史」では
<四月一日午後、日本軍の一中尉の指揮する一隊が、水源郡南方の堤岩里に出現。村民に対して訓示訓戒すると称して、キリスト教徒と天道教徒三十余名を教会に集合させた。そして、窓やドアをきつくしめ、兵隊がいっせい射撃を開始した。堂内にいたある婦人が、その抱いていた幼児を窓の外にだし、「わたしはいま死んでもよいが、この子の命は助けてください」と言った。日本兵は、子供の頭を刺して殺した>
国定教科書などもっとすごいです。
<日本は、独立万歳運動を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。彼らは大極旗を持って万歳を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家や教会、学校に火をつけ、はなはなだしくは一村の住民すべてを殺してしまったこともあった。>
(世界の教科書シリーズ「韓国のわかりやすい歴史」国定韓国小学校社会科教科書 明石書店 2005刊 p117)
まあ、すばらしい内容でため息がでます。このような教科書で育った子供は、きっと、わが国とすばらしい関係を築いてくれるものと思います。一応棒読み。
この「水源郡堤岩里教会事件」といわれる事件の真相はどうだったのでしょう。
杉本幹雄氏の著書「植民地朝鮮の研究」(展転社刊)には公文書よりの引用として下記のような箇所がある。
以下杉本氏の著書よりの引用
「日本総督府の憲兵隊司令官・児島惣次郎は上司に次のように報告している。
まず当時の状況として〈三月下句、同地方では官公署の破壊焼却されたものが少くなかった。殊に花樹、抄江の両地では巡査を虐殺し、其の死体を凌辱した。また当地在住の内地人の被害頻々として起こり、民心の恐慌・憤怒一時其の極に達した。発安場に於いては三月一二一日、市の日に際し、約一〇〇〇名の暴民が大極旗を押立て路上演説をし、内地人家屋に投石暴行し、終に白昼小学校に放火して高唱する等の暴行を行った。翌四月一日晩より発安場周囲の山上八○余箇所にかがり火を焚き、内地人の退去を迫った。その為、内地人婦女子四一二名は幾多の危険、困難を排し三里離れた三渓里に避難した〉。
このような物情騒然の中、〈有田中尉は、同地方騒擾の根源は提岩里における天道教徒並にキリスト教徒であるとの事を聞き、この検挙威圧の目的で・…:中略……提岩里に到着すると、巡査補に命じて天道教徒及キリスト教徒二〇余名を、キリスト教の教会に集合させた。そして先回の騒擾及将来の覚悟について、二、三質問している問に、一人が逃亡しようとしたので、これを妨げようとしたところ、他の一名と共に打ち掛ってきたので、直ちに之を斬棄てた。この状況を見て、朝鮮人全部が反抗の態度に出て、その一部は木片または腰掛等を持って打ちかかってきたので、直ちに外へ逃げ出て兵卒に射撃を命じ、殆ど全部を射殺するに至った。此混乱中、西側隣家より火を発し、暴風のため教会堂に延焼し、遂に二〇余戸を消失するに至った>
この報告を基に、長谷川好道総督は原敬首相宛に下記の報告を提出している。<以上、検挙班員及軍隊の行為は、遺憾ながら行き過ぎであり、かつ放火の如きは明らかに犯罪であるが、今日の場合、正当の行為と公認するのは、軍隊並びに警察の威信に関し、鎮圧上不利となるのみならず、外国人に対する思惑もあるので、放火はすべて検挙の混雑の際に生じた失火と認定し、当事者に対しては、その手段方法が問題であった罪により、その指揮官を行政処分に付す事とした>*1
警察権を有する有田小隊に依る取調尋問が、取調側人数の二倍強乃至三倍近くいた被疑者達に対して行われた際、被疑者側の一人が逃亡を図って抵抗し、他の一人が逃亡帯助の公務執行妨害を犯したことから、本事件が偶発的に発生した事実が分かる。逃亡を企てた事から、同小隊員たちは当人達を犯人と決めつけたに相違ない。有田小隊の各員が、朝鮮人暴徒が日本人巡査二人を虐殺した事に対し報復心に燃えていたのに加え、近隣の朝鮮人村民からも「発安場小学校を焼き暴行に及んだ犯人達を掃滅して欲しい」との懇請を受けていた背景も考慮されるべきである。今日只今、米国内でこの様に、犯人とその逃亡封助者達が数を頼んで、警官隊に反撃するならば、警官達は躊曙なく発砲に及ぶのではなかろうか。
また『朝鮮独立運動の血史』には前述の如く、〈母親とおぼしき朝鮮人女性が教会の窓から幼児を逃がそうとした所、日本兵がこの子を刺殺した〉とのエピソードを記述している。
しかし『万歳事件を知っていますか』において、著者木原悦子氏はアメリカ上院の議会議事録に収録されている、英国紙『モーニング・アドバタイザ』の京城特派員の四月二四日付けレポートを引用して「殺害されたキリスト教信者一〇名、天道教信者一元名、全員が男性」と記述している。
一方、在英日本大使館も同紙の英国本国版記事を読んでその抜粋記事「日本兵一隊はキリスト教徒宅全てに訪れ、そこの男達に教会に集まる様言って回った。この話は、非キリスト教徒で殺されなかったある老人から、カーチス氏------英国外交官-ーー筆者記入)が聞いたものである」と外務本省に送付している。
前記の児島報告に依れば、有田中尉は同地方騒擾の根源は提岩里に於ける天道教徒並びにキリスト教徒である事を聞いていた為、斯かる騒乱・暴行・放火行為を実行したのは、同村の男達と目星を付けていたと思われる。
有田小隊が提岩里村に到着したのは、四月一五日午後四時を既に過ぎていた。同中尉の部下九名が犯人検挙の為、二〇余戸を全て点呼の上、二〇余名の男達を教会堂に集め終える迄には、更に少なくとも半時間は掛かったものと思われる。同小隊に同行していた巡査補一通常は朝鮮人一が通訳を担当していたとすれば、一人で二〇数戸の呼出しに立ち会った事に成り、所要時間は半時間では済む筈もなく、小一時問は優に掛かったであろう。
時は丁度、村の女達にとって夕餉の支度に最も忙しい時刻である。同地方の四月半ばの陽気は、未だ寒さが残り、何処の家庭でも女達はオンドルを炊く為、家に居なくてはならない筈である。呼ばれもしないのに、幼児を連れた婦人がそんな忙しい時に、どうして教会堂に居たのか?
以上の疑問点から、『朝鮮独立運動の血史』は当該エピソードを掲載した為、皮肉にもそれ自信の侵偶性を疑わせる結果を招き寄せてしまったのである。
以上「植民地朝鮮の研究」杉本幹雄著 展転社刊 p64〜67より
(*1『万歳事件を知っていますか』木原悦子著平凡社一九八九年刊)
このような事件があったのは事実でしょうが、先の「朝鮮独立運動の血史」に書かれてような残虐行為のエピソードについては、お得意の嘘と思える結果となったのです。ましてや、容疑者とされる者を逮捕しようとした警官隊に反撃というか、警官が身の危険を感じそれを排除しようとしたのならば、当時の日本だけでなく、現在の各国家においても発砲されて当然ではないでしょうか。それをことさらこのように嘘を交えて伝える必要性はあるのでしょうか。
さすがです。