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辛淑玉(シン・スゴ)という朝鮮女性について
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
ある意味では究極の在日朝鮮人である辛淑玉女史についてのページです。出処がわかるものだけを集めたつもりですが、間違いなどございましたらどうぞお教えください。
著書「鬼哭啾々」にみる辛淑玉らしい嘘の数々
平成20年8月9日土曜日晴れ ×
先日、古本屋さんで買ってきた中の一冊「鬼哭啾々」(辛淑玉著 解放出版)を読む。まあ、辛淑玉女史の著書らしい本で、全編「朝鮮人は被害者」という意識がプンプン。
それ以外にも電波が山盛り。
<昔、交番にはバナナが置いてあった。迷子になったというと、必ずといっていいほど、バナナをもらえた。私はあちこちの交番に行き、迷子になったと言ってはバナナをせしめ、おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>P三〇〜三一
私より五つ歳が違う、一九五九年、昭和三四年生まれの辛淑玉女史が子供のときに、バナナは今と違って高級品だった思うのだが。そのようなものが、交番に迷子の子供のために置いてあるものだろうか。辛淑玉女史がいくつの時の話か不明ですが、<おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>と書いているので、少なくとも小学生の高学年とかではないはずですので、幼稚園、保育園、小学校低学年の頃と思われます。そうすると、一九六三年、昭和三十八年四月に輸入自由化されたそうだが、辛淑玉女史はこの時四歳。その後も急には安くはならなかったと思う。
どなたか、昭和三〇年代から四〇年代、当時高級品であったバナナが、東京のあちこちの交番で迷子のために置いてあったのを記憶されている方はいらっしゃるでしょうか。私は子供の時に、父親が所用で淡路島から神戸などに行った帰りのおみやげによくバナナをねだっていたのを覚えています。当時はそれなりに高級だったものが、交番に迷子にやるために置かれていたとは私にはどうも信じられないのですが。
<一九八三年、祖母は渋谷区幡ヶ谷の病院で亡くなった。
略)
当時は今と違って、キムチなど、どこでも売っているわけではなかった。あちこち探しまわって、「朝鮮風漬物」というのを買って二人で食べたのが最後の食事となった。>P三八
私は二三年前の昭和六一年、一九八五年に一杯飲み屋を早稲田で始めているが、当時はコンビニなどに並んでいる食材は今と違うでしょうからコンビニで手軽にとはいかなかったかもと思いますが、上野などいくらでも朝鮮人街がありいろいろなキムチを購入できた。私も店を開くまで渋谷に住んでいたが、「朝鮮風漬物」としてではなく、当時から「キムチ」「カクテキ」などとして売られていたと記憶しています。まあ、人の基準はそれぞれですから、あちこち探しまわったというのならそうでしょうが、どこをあっちこっち捜しまわったのだろう。そんなに欲しいのなら、捜しまわらなくとも、そのあたりの焼肉屋に入ればどこでも簡単に分けてくれたでしょうに。
この辛淑玉女史は過去に、戦後、密入国して大木金太郎というリングネームで日本にて活躍した朝鮮人プロレスラー金一氏が、故郷の南朝鮮で闘病生活中にもかかわらず、著書『愛と憎しみの韓国語』(文春新書)では「ノノ、大木金太郎はふるさとの地で静かに死んだ。」(P二二五)と書き、読者から指摘を受けた前科や、戦後生まれの朝鮮人歌手チョー・ヨンピルについて、「チョー・ヨンピルにも日本植民地時代の日本名がありました。」というほどの女性です。
<民族学校の歴史は、同胞の血と汗と涙で綴られてきた。
一九一五年八月一五日。日本の敗戦すなわち朝鮮の解放。そして、奪われた朝鮮のことばを取り戻すための動きが日本各地で広がっていく。>p五〇
すでに、証明されている事ですが、日本人が朝鮮人から言葉など奪った事など無い。むしろ、朝鮮では、漢字が重視されハングルは軽視され教育されることはなかったが、併合後は、ハングルを必修科目とし朝鮮人にハングルが広まったのです。我が国が併合する事により、朝鮮人はハングル文字を書けるようになったのです。辛淑玉女史は、我が国の六番目の帝国大学である京城帝大では法文学部において、朝鮮語学、朝鮮文学、朝鮮史学が講座として終戦まで設置され教えられていた事実はどう説明するのでしょう。ちなみに、併合後三〇年以上たった一九四二年でも日本語普及率はわずか二〇%にとどまっていた。
<学校で私につけられたあだ名は「パンチョッパリ(半日本人)という差別語だった。日本学校からの編入生だからだ。>p五五
私は、ネット上の知識で、パンチョッパリとは朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だと思っていました。在日朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だとは知りませんでした。このあだ名はホンマでっか?
中学校二年生三月に日本の笹塚中学、そして、杉並・泉南中学に転校したときのエピソードとして、
<まず、単語の意味がわからない。「ホームルーム」「公民」「課外活動」・・・?いったい何をするのか見当もつかなかった。
転校初日に行われた統一模試の成績は、三〇〇人近い生徒の後ろから三番目。>p七九
公民とは公民科のことでしょうか。それとも公民の意味の事でしょうか。「何をするのか見当もつかなかった」と言っているのですから、授業の事をさしていると思いますが、当時の中学校の科目には社会科はあっても、公民科などというものはありませんでした。私と五歳違いの辛淑玉女史にとって、公民などという名称はず〜と後の事だと思うのですが。
中学校においての統一模試というものはいつごろから実施されたものでしょうか。私は中間テスト、期末テスト、実力テストといわれるものしか記憶がありません。当時からそのような呼び方をしていたのでしょうか。
<様々な事情から、すぐに帰る事のできなかった人びとの状況は燦々たるものだった。
略)
GHQは、占領支配に対する日本人の憤懣のはけ口を在日に向けさせることによって、民族差別を広げる役割を果たしていた。
略)
米ソ冷戦が始まるとともに、朝鮮半島は三八度線を境として南北に分断され、略)
そして、一九五〇年には朝鮮半島が勃発。朝鮮半島は戦場となり、在日は故郷に帰る道をなくした。>p一一二
戦後、朝鮮人は「第三国人」として敗戦国の日本人より特権を有し、無法活動を繰り広げました。<闇市支配>、<戦後朝鮮人がやっていたこと>
<一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効直前、法務省は、すべての在日朝鮮人の「日本国籍」を剥奪し、一斉に外国人とした。国籍は選ぶことができなかった。>P一一四
これについては、<国籍収奪の嘘>において書いておりますが、「韓国政府こそが一方的に韓国国籍を「押し付け」ている」のであり、敗戦国である日本人より特権のある「第三国人」としての朝鮮人より反対運動が起きていないのです。朝鮮人公務員は簡単な手続きにより日本に帰化でき、そのまま公務員として働くこともできました。<朝鮮人のつく嘘>
<かつて、一九一五年、一四歳で朝鮮から日本に渡る船の中で、自分の二の腕にハンで押したようなただ黒いだけの入れ墨をした。祖母は、日本の地でたった一人で死んだとき、故郷にいる父に誰かがその死を知らせてくれることを願って彫ったのだ。>P一〇六
<一九〇一年に朝鮮で生まれた祖母。植民地下に「内地」に送られ、「みんなドロボウだ」と言って亡くなった。>P二五〇
我が国の朝鮮併合は、一九一〇年です。辛淑玉女史の祖母はその五年後には我が国に渡ってきているのです。それを「送られ」という表現をつかうのでしょうか。ちなみに、内務省警保局統計によると、一九一五年の我が国の朝鮮人はたった三九八九人だそうです。それが、二年で三倍以上の一四五〇二人と10000人以上が増えています。そして、三〇一八九人とまた大幅に増えた一九二〇年には、その在日朝鮮人の急増により、付近住民とトラブルが多発したために『朝鮮人内地渡航制限』を実施されています。辛淑玉女史の祖母もこのように朝鮮から勝手に我が国に密入国してきただけの不法朝鮮人でありながら、このようにウソを言っているとしか思えません。
勝手に出稼ぎに来ただけと思うのですが。
他にも辛淑玉女史は
<朝鮮半島は、植民地支配による疲弊の上・・・・>P一一七
糞まみれの世界中で一番醜いといわれた「漢城」を近代的な「京城」にしたのはどこの国でしょう。人口の増加はどうだったのでしょう。
私はこの辛淑玉女史の著書で、先日書いた原爆発言に続いて、ある意味辛淑玉女史らしい一番醜い箇所では下記の文章ではないでしょうか。
<国家に翻弄された拉致被害者の気持ちを一番理解できるのは、在日ではないか。
略)
非常な犠牲を強いられた拉致被害者も、日本の植民地支配に運命の変転を余儀なくされた在日朝鮮人も、とてつもない統制に押し込められている北朝鮮の民衆も、そして飢えて難民となった在日帰国者も、みな、国家暴力の被害者であるのに。>P二六六〜二六七
在日朝鮮人高校生に対する田中裕という日本人同級生の原稿として、下記のようなことまで書いています。
<北朝鮮がやったことはよくないとおもいます。しかし、そもそも、日本は朝鮮半島とその民族に対してもっとひどいことをしてきたという意識が日本人の中にあるのでしょうか。マスメディアの一方的な報道によって、「怖い国、北朝鮮」の意識が日本人の中に急速に作られているように思います>P二七六
自由に渡航できる在日朝鮮人、勝手に渡って来た在日朝鮮人と犯罪国家に拉致され未だ帰れぬ日本人同胞の皆様と一緒にする辛淑玉女史。
このように、この本もいかにも嘘つき在日朝鮮人の辛淑玉女史の著書らしいものです。
北京オリンピックが始まったが、福田首相の日本選手団を激励するため選手村を訪問した時のあいさつとして産經新聞に掲載されていた「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」って、どうなんだろう。福田首相らしいといえばそうなのだろうが、もう少し違った言い方があると思うのですが。
辛淑玉女史と帰化申請の虚構
平成20年4月11日金曜日晴れ ○
在日朝鮮人ということを免罪符としている姜尚中氏。帰化するつもりもなく、在日朝鮮人のまま特権だけ寄越せと騒いでいる朴一氏や、辛淑玉女史。 その辛淑玉女史は帰化しようとしたが、日本の帰化制度のせいで帰化できなかったと、手元にある自身の著書「韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本」(KKベストセラーズ 一九九五年刊)において下記のように帰化をしようと思った時の事を書いています。
以下引用
瞬間的に思う事はよくあります。
在日コリアンであることがプラスになることが少なかったために、日本人になりすます生活が楽に感じられたからです。
しかし、日本への「帰化」は、諸外国でいうところの「市民権」とは異なり、民族と国籍をイコールで考えています。ですから、日本の国籍を取得することは民族を否定することになるため、どうしても踏ん切りがつかないのです。
一度、法務省に帰化申請を取りに行った時、日本名は当用漢字など決められた文字を遣うように、との指示をされました。「辛」も「淑」「玉」もすべてその中にあるので、そのまま「シンシュクギョク」でいかがかと申し出たところ「それでは良き日本人になる意思が感じられない」との理由で、申請書さえもらえませんでした。では「譲司」や「真理亜」はどうなのかと食下がったら、怒られてしまいました。
良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。
引用終わり
(P一九七)
そして、こんな辛淑玉女史は何と自身の体験を国会において厚かましくも参考人として開陳しています。
以下引用
これは法務省に行った時の話ですが、私は帰化したいと思いました。というのは、百万回帰化したいと思うのですね。それから、帰化した私の周りの朝鮮人たちは威張るんですね。おれは帰化ができる人間だみたいな。結局、自分をそこいらにいる朝鮮人とは違うんだよということを誇りにしたいのかも知れません。
引用終わり
(一九九九年八月三日、国会衆議院法務委員会議事録第二六号、十六頁)
<日本への「帰化」は、諸外国でいうところの「市民権」とは異なり、民族と国籍をイコールで考えています。ですから、日本の国籍を取得することは民族を否定することになるため、どうしても踏ん切りがつかないのです。>
辛淑玉女史は日本国籍取得がどうして、民族の否定につながるのか。当店のお客様で、支那から日本に帰化された方がいらっしゃいますが、その方は支那名のまま帰化されています。在日朝鮮人が普段は通名という偽名をなのり、都合のいい時だけ朝鮮を振りかざす方がよほど民族の否定ではないでしょうか。
<良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。>と辛淑玉女史は書くが、在日朝鮮人の帰化申請は一九九五年ですら一〇三二七人中九三人とわずか一%未満が不許可になっただけであり、九九%が認められている。
九十九%が許可になる現在の帰化制度を「良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。」と流石は偽証が我が国の六七一倍(朝鮮日報二〇〇三年二月一三日)という民族の特徴はこういうところにも現れている。
辛淑玉女史によるアホな本「韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本」につきましては私自身の感想がございますが、辛淑玉女史の「帰化申請体験キャンペーン」の虚構については、自身も帰化した体験を持つ朝鮮系日本人である浅川晃広氏が著書「在日論の嘘」に下記のように書いています。
<まず、「法務省に帰化申請を取りに行った」という記述が、信憑性に欠ける。帰化申請は、法務省民事局の出先機関である「法務局」に出向き、そこで必要書類を取りまとめ、正式に申請し、法務局での調査を経て、申請書が法務省本省に送られ、最終的には法務大臣の決裁の後、官報告示を経て正式許可となり、本人に通知される。
このため、申請者本人は絶対に「法務省」に行く事はない。おそらくは「法務局」の誤解だと思われる。
そして、この「申請体験」の最大の問題点は、「いつ」のことかが全く触れられていないことだ。
引用終わり
そして、浅川氏は同じ著書で、辛淑玉女史が他の本(「月刊民主」一九九三年三月号のちに「福島瑞穂の新世紀対談」明石書店刊に再録)での帰化申請体験談も問題にしている。
辛淑玉女史は帰化申請を何回かしたことがあり、弁護士と一緒に行ったが、結局必要な書類も全部くれなかった。お金があっても、自分の家がないといけない。最期に警察の地域社会に対する聞き込み調査がある。などと福島瑞穂女史との対談で述べている事の内容の嘘について指摘しています。
まず、ここでも「いつ」という時期に触れていない。帰化申請では行政書士に依頼したりすることはあるが、弁護士はまれである。申請行為そのものは自分でしなければならないもので、通常の帰化申請でほとんど考えられない異常な行為とまで書いています。
そして、「お金がないと帰化できない」「家がないと帰化できない」についても大いに疑問であるとして、朝鮮人帰化許可者の例として、主婦、学生、パート、アルバイト、無職までいることをあげています。
警察による調査についても、法務局担当員による調査が申請者本人に対する訪問調査が行われたのが一〇%未満の例をあげて、多くの申請者にはその訪問調査すら行われていない現状において、警察のしかも地域社会に対する聞き込み調査というのはあまりにも現実離れしていると書いています。
ましてや、辛淑玉女史はあの上野千鶴子女史との共著「ジェンダーフリーは止まらない」(松香堂書店刊)では「申請書が通った後に、公安の調査が入るわけですよ。これがまたひどいんです」(P一〇四)と福島女史との対談時の「警察の聞き込み」から「公安」まで一気にレベルアップしているそうです。浅川氏は二〇〇二年現在の一四三三九人という膨大な帰化申請者数をあげて、あまりにも酷い実態との懸け離れた辛淑玉女史の発言の問題点を指摘しています。
そして、浅川氏は辛淑玉女史の自ら帰化申請しなかったことに正統性があり(判明しているのは二〇〇一年三月二二日の福島瑞穂女史の国会での発言により一九八七年ころというのみ)
「民族性を否定する」帰化制度、日本政府こそ問題であると煽動する辛淑玉女史の姿勢を批判しています。
先日の日記にも書きましたように、外国人が日本人になるのに、審査がありその審査がある程度厳しいのは当然であり、他国ではその審査が厳しくなっているのが現実です。このような反日を商売にして、我が国でのうのうと生きている面の皮の厚いこのような人間が朝鮮系日本人になっても我が国にとって害になれこそすれ、国益になることは万に一つもありえないでしょう。
辛淑玉女史、本当に在日朝鮮人の人々にとっても恥ずかしい存在の人間だと思います。
辛淑玉女史の広島
平成20年8月6日水曜日晴れのち小雨△
今日、8月6日はアメリカによる二番目の実験として広島に原爆が投下され、多くの方が無差別に虐殺された日です。
在日朝鮮人の恥さらしである辛淑玉女史によると、<「強制連行の証拠を見せろ」と聞きます。しかし、それは彼らに「原爆が落ちた証拠を見せろ」というのと同じくらい愚かなことなのです。>
日本ジャーナリスト会議北海道支部 二〇〇二年一一月九日辛淑玉講演要旨より
そして、著書「鬼哭啾々」(解放出版)でも、
<私が行った大学の講義では、植民地支配すら知らない学生が大半で、「在日はなぜ日本にいると思いますか」という問いに、「稼ぎたいから」と回答する。そして「(朝鮮人の)強制連行があったと言うなら、その証拠を見せてくれ」とまで言い出した。
たまらなくなった私は、「では、原爆が投下された証拠を見せて欲しい」と切り返した。>P一六四
アホとしか思えません。これで、切り返したつもりなのでしょうか。朝鮮人特有の火病という病はこういったものなのでしょうか。
広島に投下された原爆と、朝鮮人が言っている強制連行と同じレベルで話しているのです。広島、長崎でも同じことをぜひ話してほしいものです。
また、南朝鮮が豊かな現在においても、我が国における朝鮮人の密入国、不法就労、不法滞在、そして朝鮮人売春婦の数の多さについて、辛淑玉女史はどう説明するつもりでしょう。
いずれにしても、辛淑玉女史というものがよくわかる事例です。
辛淑玉
平成18年5月3日水曜日晴れ ○
話題がないときの朝日と辛淑玉頼み・・・かな
あの朝日新聞がずいぶん前に辛淑玉女史の事を書いていました。そこから、女史のお言葉につきまして。
以下引用
http://www.be.asahi.com/20060128/W14/20060105TBEH0013A.html
■憲法は民の血の代償
昨年暮れ、天皇誕生日の前日の札幌市内の講演会。
「『愛子さまー』も『将軍さまー』も同じ。人の上に人をつくるのが天皇制。あらゆる差別構造の象徴です。天皇制が大義になって、殴られてもいい人間、殺されてもいい人間を生んだ」
(平成17年)12月8日、横浜市内で開かれた憲法・教育基本法改悪反対の集会。
「自衛官に金持ちの子なんていない。戦争は貧乏人が弾になる」
「日本人外交官のために命を落としたイラク人ドライバーのために一滴の涙も流さない日本人がやるイラク人道復興支援って何なのか」
「逆らったらどうなるか、見せしめにされたのが香田証生。誘拐事件は犯罪者の要求を聞いたふりをして、時間を延ばして交渉する。なのに彼は即座に死刑宣告された。宣告したのは自衛隊を撤退させないと言った小泉首相です」
「戦後も日本は戦争をし続けた。朝鮮戦争、ベトナム戦争……。アメリカの公共事業である戦争に加担し、甘い汁をずっと吸ってきた。もっと甘い汁を吸うために憲法9条を改正する。憲法は2000万の民の血の代償として日本人の手に渡った。この憲法を破棄することはアジアへの宣戦布告だと思います」
(平成17年)11月下旬、大阪府羽曳野市の人権を考える集い。
「『あなたの息子が男性を好きだと告白したらどうしますか』と都議選の候補にアンケートしたことがあります。つらい思いをしてきた息子に『話してくれてありがとう』と言う人はたったひとり。『あ、そう、ふーん』がほとんどでした」
略)
父は弁護士を目指していたが、日本国籍を奪われて道を閉ざされ、職を転々としていた。
略)
辛は5年前「日本の公民権運動」として、外国人登録証明書を返上する意思を公言した。まだ持っているが、運動の進展を見計らって、最も効果的な時期に政府に返すつもりでいる。
外国人登録制度は00年に指紋押捺(おうなつ)が全廃されたものの、登録証の常時携帯義務が残されている。在日朝鮮人は日韓併合によって日本の臣民にされ、戦後、52年のサンフランシスコ条約発効とともに完全に日本国籍を奪われた。
「私たちは勝手に日本人にされ、勝手に外人にされた。私は朝鮮人で幸せだったという社会をつくりたい」
略)
引用終わり
相変わらず香ばしい発言の数々です。個々の発言につきましてはもう何とも・・・
まあ、とりあえずは
<父は弁護士を目指していたが、日本国籍を奪われて道を閉ざされ、職を転々としていた。
略)
辛は5年前「日本の公民権運動」として、外国人登録証明書を返上する意思を公言した。まだ持っているが、運動の進展を見計らって、最も効果的な時期に政府に返すつもりでいる。
外国人登録制度は00年に指紋押捺(おうなつ)が全廃されたものの、登録証の常時携帯義務が残されている。在日朝鮮人は日韓併合によって日本の臣民にされ、戦後、52年のサンフランシスコ条約発効とともに完全に日本国籍を奪われた。
「私たちは勝手に日本人にされ、勝手に外人にされた。私は朝鮮人で幸せだったという社会をつくりたい」
>
これにつきましては、在日朝鮮人のよくつくウソの典型です。詳しくは浅川氏の論文を引用させていただき、すでにこのホームページにも書かせていただいておりますが、我が国は日本国籍を一方的に奪ってはいません。参考在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」
ですから、辛淑玉女史が言っている「私たちは勝手に日本人にされ、勝手に外人にされた。私は朝鮮人で幸せだったという社会をつくりたい」などというのは在日朝鮮人によくある我田引水による大ウソです。
この辛淑玉女史のことは同じ在日朝鮮人として、元プロレスラーの前田日明氏が福田和也氏との対談で
「名前を出して悪いんだけど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とてもおれは共感できない。力道山や大山倍達だって差別されたはずだけど、ちゃんと一個の人間として、大した生き方をしてみせたじゃないですか。有名無名に関係なく、俺の知っている限りそういう在日はたくさんいますよ」
(「別冊正論Extra.02」p255 平成18年 より)
まあ、ごもっともです。
ただ、前田氏の「出自が在日だからということで、韓国で就職差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば殺されたりひどい目に遭わされたりする。こういうことに黙っていながら、日本国内の差別反対とか、参政権よこせとか言う人間をおれは信用できない」
これは真っ当な御意見と思いますが、その後に続く
「この頃、もうこうなったら仕方がないから北も南も滅ぼして、李氏朝鮮を再興するしかないと思ったりもするんですよ(笑)」p257
いや、いくらジョークでもこれだけは止められた方がよろしいと思います。世界最貧国の一つ、両班復活、四十%が奴隷・・・・
「ふるさと」
平成16年9月15日水曜日晴れ
あの岩波書店から「世界」の別冊として、「もしも憲法9条が変えられてしまったら」という本がでています。(薄っぺらっいくせに1000円もするんですよね)
この本であの辛淑玉女史が加藤周一氏と対談しています。加藤周一氏もアホなこと言っていますが、それ以上に、その対談で辛淑玉女史は
私が憲法のことを考えた理由は単純です。日本がアジアを植民地にしなければ、日本国憲法を手に入れることはできなかった。私は日本がアジアを植民地にした結果としてここで生まれ育った在日三世である。わたしも憲法も、植民地主義日本という国家の暴走の結果である。だから、私は日本国憲法である、と思っていたんです(笑)。旧植民地出身者の私がこの社会で幸せに生きられるかどうかが、日本人が憲法を活用できているかの試金石なのだ。これが私なりに考えた憲法の意味。でも「日本人にはもったいないなあ」という気もするわけです。P24
韓国の軍事独裁政権のとき、日本にいながらどれほどの弾圧を受けるかを経験し、軍事力をメインとした国家がどんなに悲惨かを身をもってわかっている私たちからみると、日本人はあまりにも鈍感。想像力がないというより、問題を見ようとさえしない。
私は、在日朝鮮人として、こんな日本を本気で変えようと被害者である国々が努力してきたのか、と目問することがあります。アメリカの核の傘の下で手を結んで、結果的に日本を温存させた責任は、植民地だった国々の責任としてある気がする。
一〇年ほど前にフランスに行ったのは、ちょうど移民を排斥する法案が通ろうとしていたときでした。シャンゼリゼ通りでは何時問も、ものすごい反対デモ。しかもそのほとんどがパリッ子で、最前列には映画で見たような有名人が何人もいたんです。それを見たときのなんともいえない感動。これは日本ではありえないことだと思った。最近も「不審な人物」がいたらインターネ一トで簡単に通報できるという「外国人通報制度」ができたのすが、それでも日本人は動かない。私のふるさとであるこの日本で、あのパリの情景を再現できる日がくるところまで私が生きている間にやらなくちゃ、この社会で朝鮮人として生まれたかいがないなと思っています。
略)
私は最近日本人も在日化してきたと思っているんです、我々在日は「犯罪者予備軍」で、国家と個人の関係が明確で、常に管理される対象だった。日本人も住基ネットをはじめいろいろな形で管理され、だんだん真綿で首を絞められてきているのに、そのことに気づいていない。これがどんなにきついことか、一度でいいから在日に聞いてみてほしい。私は、自分が苦しんできたものをこのまま広めて日本人が苦しんだら、我々はもっと苦しくなると思うから、選挙権はないけれども自分も闘うしかない、ここで闘い切りたいと思っています。P30〜31
以上引用終わり
>わたしも憲法も、植民地主義日本という国家の暴走の結果である。だから、私は日本国憲法である、と思っていたんです(笑)。旧植民地出身者の私がこの社会で幸せに生きられるかどうかが、日本人が憲法を活用できているかの試金石なのだ。
どうして、日本憲法が、「在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します」http://www.mindan.org/min/min_reki31.phpとかいっている外国人である在日朝鮮人の幸せを考えなければいけないのでしょう。
先の戦争では、よく朝鮮人がいう「醜い行為」?をやってきたのは、我が国に併合されていて、当時日本国民であった「朝鮮人」もおなじはずですが、「悪いのはすべて日本人だ」というのは、多くの朝鮮人の得意技です。
自分達が我が国では外国人だという事も、自国である南朝鮮では、外国人がどういう扱いを受けているかを都合のいい時だけ忘れたふりをして、その祖国にも国民としての義務を果たさず、我が国に対して、我が国国民と同等の権利を主張するという在日朝鮮人の態度は相変わらずですが、その在日を商売にしている辛淑玉女史から「私のふるさとである日本」といわれたくはありません。
そう思うのであれば、そのふるさとに集るのはやめてほしいものです。
昨日に引き続き、へべれけさんにパソコンの設定をお願いする。
初めてのお客さまKさん二名様で来店。Sさん四名様で来店。一名様来店。Tさん四名様で来店。大台さん来店。バンブーさん来店。
飲む。
平成16年7月7日追記
*ちょっと待って
イデオロギー、歴史認識抜きに韓国を゛消費゛する女性たち。
彼女たちに在日韓国、朝鮮人らは当然のことながら、反発、戸惑いを示す。
在日三世として、日本社会の差別構造と向き合ってきた人材育成コンサルタントの辛淑玉は
「ハングルには植民地化によって言葉と文字を奪われた歴史がある。
その苦しみ、悲しみを理解せず、表面的なイメージで自分たちが韓国に癒されようとすることは、ちょっと待って、と言いたい。お付き合いするときは、マナーが必要でしょう」と手厳しい。
信濃毎日新聞2004年7月5日 文化面23頁より
どうして、こんなことを辛淑玉ごときに言われなければならないのでしょう。
お前のほうこそ、もっとマナーを学べといいたいです。
現実に障害者に対しては、既に「この人たちは人格はあるのか」なんて言い方してる。
それから、女性差別なんてのは最も激しいね。彼が書いている買春の文章なんか読んだら、最低だよ。ベトナムの貧農の娘を買って、その娘は自分のパンツを欲しがっただとか、その娘はどこそこで食べた料理より美味かったとか。
またここでも、
今の状況は非常に危ない。かつては抗議をしてくる人たちは右翼の名前を語った変な人たちが多かったんだけど、今は違うよ。普通
の人が堂々と名乗って抗議をしてくる。そして、堂々と差別的発言をする。彼らは石原都知事からお墨付きをもらったんだよ。
と頓珍漢な事をいっております。堂々と名前を名乗って抗議するって、それは当たり前のことで、嫌がらせでもなんでもないでしょう。この人自身あっちこっちに、抗議しまくっているわけですから・・・・
(自由主義史観的な流れの影響は)
めちゃくちゃあるよ。影響力も広告宣伝も権力に近い方が強い。だからアッという間に席巻するだろうね。
でもね、自由主義史観が出てきた根本的な原因は、やっぱり韓国にある。日韓はお互いに戦後も甘い汁を吸ってた奴らが手を取り合った。慰安婦だってそこに朝鮮人の協力者、売国奴がいたから成り立ったわけでしょ?まず足下の人間をちゃんと処罰しなきゃ。
だって、イスラエルがドイツの将校だった奴を大統領にするかぁ?韓国は日本の兵隊だった奴を大統領にあがめて、今そいつが歴代大統領の中で最も人気があるだなんて、そこに韓国の民度の限界を感じる。それくらい被害者と向き合う力が韓国にもないんだよ。だから、今の反省しない日本をつくった一義的な要因は、韓国だよ。そういう政府を許してきた韓国人。
この人は、日本の併合時代の人材無しで南朝鮮の発展があり得たと本気でおもっているのでしょうか。
しかし、例え話でもイスラエルがどうしてドイツ軍将校を大統領?かってのドイツとユダヤ人との関係とどうして日本と朝鮮人との関係を結び付けるのでしょうか。
(「韓国が好き!」という若い日本人が増えてますよね。)
変わったね。かなり。非常に親しみやすい方向に向かってるね。だけど、だからといって在日の問題は何も解決しないよ。
どっちの国も在日のことなんか考えてない。恩恵も何にもなくて被害だけ被る存在って一体何なんだ?!奴隷じゃないか!って思わない?
自分の構造を変えられない人間たちが奴隷だから、あたしは在日ってのは三国の植民地もしくは奴隷だと思ってますよ。
略)
在日は在日の問題に声を上げていくことによってのみ、国家を変えていける。
略)
(辛淑玉さんを辛淑玉たらしめた最大の要因?)
現実。現実ときっちり向き合ってきた。逃げないし、誰に助けてもらおうとも思わない。自分の敵は誰なのかって考えてる。朝鮮の女にとって最大の敵は、朝鮮の男だよ。暴力を振るうね。
略)
嫌われてもいいから、いざという時に手を取り合える関係を築けるかだよね。全身全霊で仲良くしようなんて、嘘っぽいじゃない。自分の近所だって一〇件あったら八件は嫌いだもんな。
驚き発言の連続です。
平成15年8月21日木曜日晴れ△
辛淑玉女史の2000年4月23日(日)の朝日朝刊15面(石原発言をめぐる対談)にての発言抜粋
「不法滞在と言うのは凶悪犯罪ではない。信号無視程度の人が凶悪犯罪と結び付けられるところが適切だろうか。」
不法滞在と信号無視がどうして結びつくのでしょう。不法滞在の場合は、同じ信号無視でも、それによって引き起こされる窃盗をはじめとする強盗、殺人など凶悪犯罪などの場合が多いでしょう。
「不法入国者はスネークヘッドの被害者で、守って上げるべき人達である。犯罪組織から救うことも大切なのに(石原は)何もしていない。警察がちゃんと仕事しているかどうかがとわれるべきだ。」
どうして、不法入国者が被害者で、日本がその不法入国者を守らなければいけないのでしょう。さすがは、出稼ぎ、密入国で日本にきておきながら、強制連行と言い張っている朝鮮人の子孫だけあります。普通は日本人にはこういった考え方はできません。
「凶悪犯の検挙人数は、東京都全体で978人で、来日外国人は109人と全体の11.2%。九割近くは日本人の犯罪だ。」
2000年の東京都の総人口は12 064 101人です。同じく外国人の東京都在住人口は306 154人で、内訳としては朝鮮人が99
409人、支那人94 045人などとなっています。
つまり、2000年時点で東京都の人口に対する外国人の占める割合はわずか2.54%であり、その少数の外国人が11.2%の凶悪犯罪を犯している事になります。つまり、外国人の凶悪犯の在住人口に占める割合は0.036%であり、日本人の0.0074%の実に5倍弱(4.86倍)にもなります。
こんな簡単な計算もできないバカ女を、講演会に90分50万円もの大金を払ってよんでどうするのでしょう。(その講演内容も、思い込みだけによるバカ丸出し)
■2003
4月〜 明治大学政治経済学部特別招聘教授
こんなバカを教授にしている明治大学って・・・・まっ、あの田島ってバカ女も大学教授だったから、なんでもありか。
http://www.asahi.com/english/weekend/K2001120900069.html
Most of those who appear to be right-wingers, she says, are just frustrated people
feeling the
same sense of isolation that minorities such as herself feel.
Many, in fact, are Koreans, she said.
「右翼と思われる人たちの大部分はフラストレーションを抱え、
マイノリティ(彼女自身もそうだが)が感じているのと同じ孤独感を
感じている。実際、その多くがコリアンだ」と彼女は言った。
辛淑玉も日本の右翼の構成員に在日が多いって認めてるくせに、「右翼はバカでもななれるけど、左翼は勉強しなきゃなれないよ」などと下記のような事をほざいているわけです。
http://www.jcj.gr.jp/~hokkaido/hou-021109shin-youshi.html
日本ジャーナリスト会議北海道支部 2002年11月9日
辛淑玉講演要旨より
中学生の女の子に「右翼と左翼ってどう違うの」という質問もされました。皆さん、答えられますか。私は「右翼はバカでもななれるけど、左翼は勉強しなきゃなれないよ」と答えました(笑)。
こいつが一番バカのようです。しかし、何度も書きますが、こんなバカの講演を50万も出して聞くかいな。
南の方が収奪がひどくて日本にやってきたからです。「朝鮮籍」というのは日本と国交がないからありえないことです。一方、韓国籍は自らの意志で取得したものです。学生たちは「強制連行の証拠を見せろ」と聞きます。しかし、それは彼らに「原爆が落ちた証拠を見せろ」というのと同じくらい愚かなことなのです。
収奪って何もない朝鮮から何を奪ってきたのだ。日本は朝鮮に最後まで銭を注ぎ込み、回収できませんでした。強制連行など自分達に都合の良い歴史うそばかりを並べた典型的な朝鮮人のたわ言です。もともとこいつの言い方は議論にはなりません。
■日本は故郷奪い、祖国は息子奪った
1910年、朝鮮は植民地となりました。日本が国家として強姦して奴隷にしたのです。そして、45年に終戦。日本領土の中で朝鮮半島が米ソが入ってくることによって分割統治されたのです。ここを間違わないでください。そして、私たちは外国人として放り出されたのです。首相は「朝鮮人に食わせるコメはない」と言いました。終戦時に日本にいた朝鮮人は230−250万人でした。そのうち強制連行されてきたのは約30万人です。その後、日本から韓国に帰った人もいれば、サハリンでは置いていかれた朝鮮人が、ソ連によって日本人として中央アジアまで連れて行かれたりしました。
略)
やはりバカです。誰も貴女を強姦したくはありません。サゲマ・・・・・戦後朝鮮人にすべてを奪われ、無一文でひどい目にあった、朝鮮半島の日本人と違い、いつでもタダで帰国できたのに、続々と密入国してきたのは朝鮮人です。
■国家・民族の枠を超えて考えよ
略)
報じられている拉致被害者の子供である少女は、朝鮮人という世界で生きてきました。大学に行きたいと思っていますし、恋人だっているでしょう。日本へ連れてくるなんていうことが言われていますが、在日の二世、三世のいうことに耳を傾けたら、そんな判断はできないでしょう。在日は「アイデンティティ・クライシス」にあります。いつの日か突然「在日だ」と言われて、どうしたらいいかと考えたことがあるのです。そんな話に耳を傾けた人がいるでしょうか。
拉致という北朝鮮の非道の犠牲者である方々のお子さんの事で、どうして、在日の意見を聞かなければいけないのでしょう。
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肝心な時に、肝心な言葉を使うことは、大事なことだ。 橋本竜太郎首相は 、ペルーのフジモリ大統領が人質救出作戦と称して、三人の犠牲者を出し、ゲリ ラ全員を殺害したにもかかわらず、文句の一つも言わなかった。
どうして、文句を言わなければいけないのでしょう。やっぱ、PKOでカンボジアに派遣され一生懸命橋とか道路などを作ったりして働いている自衛隊にむかって、この土による環境破壊についてどう思いますか。あなた方はコンドームを持っているのでしょう。などと聞いたあの辻元清美率いるピースボートの連中と同じバカのようです。
『東京新聞』1997年5月3日掲載 言いたい放談 歴史に残る言葉より
http://www.pan.co.jp/eyes/02high/05room/tokyo/0503.htm
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「北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ。もし、仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。
戦争中、膨大な数の朝鮮人を国家の名の下に拉致した歴史的な事実がある。
いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるか考えてみてほしい。
自国の歴史を忘れた発言が多すぎる」
1988年2月26日付「朝日ジャーナル」(pp.23−24)より
辛淑玉女史はこれについては何も言っていません。
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北朝鮮人道支援の会ニュースレターNO.6
日本人がしなければならないことは3つある。@相手に変化を求める前に自分が変わること、A過去の「負の遺産」の清算をきちんとすること、B日本で生活している「在日」の大半が日本名を名乗り、日本人として振る舞っている意味をもう一度考え直すことだ。
どうして、辛淑玉女史にこのような事をいわれなければならないのでしょう。このように言われるいわれは何一つありません。通名などという偽名で生活している外国人は、朝鮮人だけだばかやろう。
あの辛淑玉女史によると
「日本が国際化していこうと思ったら、師匠・先生は「在日コリアン」ですよ。明るく、前向きに、気持ちよく教えてあげましょうや。
略)
専門分野で「神様」がでる確立は高いだろうね。日本人は神様となる人間は少ないけど、宣教師はたくさんいる。だから、日本人の社長の下に韓国人がいると、先ず無理。反対だと、いい会社作れんだこれがまた。指示待ち態勢の人にとって神様は必要だし、それによって責任から逃れられるかね。
アジアの中で思考的なリーダー、方向性を決めるリーダーは韓国がやって、日本が細かい精密機械とかその思考をバックアップする工場群になってだな。そしてそれを補佐するのがほかのアジアの国々。そうすれば、アジアってのは世界の新秩序を創るよ。」在日青年会会報「アンニョン」4号より
だそうです。
それだけはごかんべんをって感じです。ここまで言われたくはないです。ましてやこいつだけには・・・・・漢字をよく知らない朝鮮人だけあって、確率と確立を間違えているし・・・・
またおなじところで、「以前にうちの社員が「うちの社長は韓国人だから外資系だ」っていうのね。てことは治外法権だから、うちの会社に来る日本人みんなに指紋押捺させようってことになった。
それを日本の子が考えだしたんだよ。ウドン屋、新聞屋、セールスマンの兄ちゃんなんかに、指十本指紋押さないと事務所に入れてあげなかったんだ。
「ここ韓国人の会社だから指紋押さんかい」ってゲームのノリでやったんだけど、指紋押捺の問題を日本人に知らしめる上では効果てき面だったね。
社長が韓国人だから外資系だ。だから治外法権?????ってなんなのでしょう。単なる外資系企業を大使館などと勘違いしているようです。やはりルイトモで、バカな社長にはバカな社員が集まるようです。
改憲派の「新しい憲法をつくる国民大会」は自主憲法制定国民会議(会長=愛知和男・元防衛庁長官)などが千代田区公会堂で開いた集会では、あの
在日朝鮮人の辛淑玉は
「私は改憲論者。第1章の天皇制はなくすべきだ。あれがある限り日本は自立できない。9条は時代を最も反映した条文だ。武力を放棄して口で、つまり外交で国を守れということだ。腐った男のなれの果てが家庭内暴力。腐った国家のなれの果てが軍事力行使。日本人にはこの憲法はもったいなすぎるかも」2003年5月3日千代田区公会堂にての集会にて
といったそうです。
日本の憲法を朝鮮人というか外国人のお前にはいわれたくは無いという感じです。
こいつは日本に住んでいながら、日本の悪口をいって飯のタネにしているバカ女です。(それでいて、3代続いた江戸っ子ですなどといっているオオバカ女)
そんなに日本が嫌だったら帰れバカという感じです。
しかし、朝鮮人ってどうしてこんなのが多いのでしょうね。
『もし私が日本の総理だったら、テポドンが落ちた瞬間に「北朝鮮と交戦しても、絶対に在日朝鮮人は守る」って言うと思うんですね。』
永六輔/辛淑玉 「日本人対朝鮮人」光文社
本人いわく
総理大臣が靖国神社を参拝するってことの持つ意味、それは簡単だよ。「侵略戦争は正しかったんだ」と宣言することになる。ただそれだけ。でもそれは、アジアの国々と手を取り合って生きてゆく道を選ばないという、見事な決別宣言にもなる。
靖国神社は、八紘一宇の精神のもと、天皇のために死んでいった人を神としてまつっている。とくに、先頭に立ってアジアの民に対する虐殺命令を出した人たちが、英霊としてまつられている。つまり、虐殺の象徴だからね。殺された側から見れば。ヒトラーをまつっている場所に、ドイツの国家元首が行くのと同じなわけ。殺されたユダヤ人はどう思うか。それを考えれば、いかにおかしいことかって分かるはずだよ。
(「新・時代を語る 辛淑玉さん」西日本新聞 2001年8月5日)
「みんな、驚くほど近代史を知らない!学生も、じいちゃんばあちゃんも全く知らない!」(2002年11月2日大坂にて)って
お前が一番知らないだろう。
朝鮮人に対しての差別だ人権といいながら、それを商売にしているくせに、自分では
「自衛官は普通の仕事に就けなかった人たちなので、治安維持をまかせると危険」
2000年3月、文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」より
この人に実名で抗議すると
「恐い。実際、いままでの嫌がらせにくらべて質が変わってきたと思うのね。冗談じゃあなく、最近やばいと思っている。
いままでだったら『おまえがしゃべったら朝鮮人1人殺すぞ』なんてバカな脅迫状送って来たり、赤報隊とか名乗ってくるわけね。右翼を名乗るっていうのはだいたいチンピラばかりなんだけど、最近は個人名を言うし、書いてきた電話番号もちゃんと合っている。会社名まで言うわけ。つまり普通の人が平気で堂々と電話をかけてくるの。そういう事は十何年間なかったこと」(「女に選ばれる男たち」辛淑玉・安積遊歩供著)
これって、お前に対する正当な抗議だろうにそれすらわからないバカ女。
しかし、こんなバカ女をテレビもよく出すね。ましてや、講演会に呼ぶかね。
まあ、珍しいものを見るという事で呼ぶのだったらいいかもしれないが、料金は五円ぐらいが妥当だろう。(50万・・・・絶句)
ついでに辛淑玉も御覧下さい。こいつのアホさがにじみ出ているというより全開です。