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タイ王国元首相 ククリット・プラモード氏
日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、
一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
この重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大決心をされた日である。
われわれはこの日をわすれてはならない。
ククリット・プラモード氏は、一九一一年(明治四十四年)にタイ王国の名門の家に生まれ、英国オックスフォード大学に留学、帰国後は新聞記者として同国で最も権威のある「サイヤム・ラット」紙の主幹を務め、一九五五年(昭和三十年)六月に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時、同紙に発表した記事が先の文章である。その後、一九七三年(昭和四十八年)には社会行動党の党首として首相になっている。
(名越二荒之助編『世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻・大東亜戦争その後』展転社発行を参考)