このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

 

詐欺師千田夏光と毎日新聞の関係

平成21年1月27日火曜日晴れ ×  

 詐欺師・吉田清二氏と同じ穴の狢であり毎日新聞という全国版の反日エロ新聞に取り入っていた千田夏光氏は、その著書「従軍慰安婦・慶子」(初刊は一九八一年 光文社、その後、一九九五年 恒友出版、二〇〇五年 クラブハウスが復刊 手元にあるのは二〇〇五年版)において、毎日新聞との関わりを次のように書いています。

   <ひょんなことから彼女らのことを足掛け七年かけ調べ、二十年前「従軍慰安婦(正続)」なる本とした>P  これは、一九九五年に恒友出版より出版された時の「はじめに」と書かれた文章です。その「ひょんなこと」については下記のように書いています。

<いわゆる従軍慰安婦、すなわち軍命令により戦場へ連れていかれ、第一線将兵の性欲処理用具として使われた女性たちに私が目をむけるようになったのは昭和三十八年(一九六三年)夏であった。当時「毎日グラフ」編集長をされていた赤城益一郎氏に支那事変から大東亜戦争へかけ、毎日新聞従軍カメラマンが撮った発表を禁止された写真の整理をたのまれたときである。

 目的は写真による戦史編集のためだったが、ボロボロになった二万数千枚の、その写真を一枚一枚めくっていると、裾をまくり敵前の川をわたっている二人の女の姿があったのである。場所は中国戦線、徐州会戦の時であった。どうしてこんな戦場に、兵隊しかいないはずの場所に女がいるのだろうという単純な疑問から出発したのだった。従軍体験のある古いカメラマンがかたわらから、「それは従軍慰安婦だよ」それなりに説明してくれたが、なぜかそれ以上の説明はなかった>P十四

  従軍看護婦ならぬ従軍慰安婦という言葉は、千田氏がその著書「従軍慰安婦 正篇」(一九七三年)で最初に造った言葉といわれておりますが、この千田氏の文章では、従軍体験のあるカメラマンが言った事になっております。流石はフィクション作家!

 これらのことより、一九二四年生まれの千田氏は一九六三年、三九歳の時にエロ日新聞の手伝いをしていて、この慰安婦のウソを思いついた事になります。

「一億人の昭和史 二 二・二六事件と日中戦争」(昭和五十年七月)には、千田氏の解説で、「従軍慰安婦という悲しい存在」(p一七六〜一七八)という」文章が掲載されています。

 その後の写真集、「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」(昭和五十二年一月)でも、あの吉田清二と並ぶ詐欺師であるこの男に慰安婦についてでたらめを書かせています。毎日新聞「一億人の昭和史」にみる千田夏光との関係

 それぞれぞれの写真のキャプションも醜いものでした。

 千田氏の嘘については、中川八洋氏が著書『歴史を偽造する韓国』(徳間書店 二〇〇二年)にて詳しく指摘しています。 若槻泰雄の著書にみる千田夏光 

 この「一億人の昭和史 二 二・二六事件と日中戦争」においても、千田氏は、下記のように平気で多くの嘘を書く。

以下引用

<日本人慰安婦には性病既往症が多かったのにたいし、朝鮮人慰安婦は未婚の処女がほとんどだったこと、つまり性病の心配がなかったことがひとつ。  日本人で従軍慰安婦になろうとする者は長い売春歴から体がガタガタにされたのが多かったのに、朝鮮人は健康でピチピチしていたことがふたつ。

 当時の朝鮮は植民地で或る種の強引な手段をもって集めても無理が通ると判断されたことがみっつめであった。

 こうして昭和十四年ごろからは従軍慰安婦といえば朝鮮人女性という通年みたいなものができあがっていったのだった>P一七七

 これも、昨年取り上げましたが、この写真集と同じ年(昭和五十年)に出された「証言記録従軍慰安婦・看護婦」(広田和子人物往来社)に実名で日本人元慰安婦の方の証言があります。

以下、その「証言記録 従軍慰安婦・看護婦 戦場に生きた女の慟哭」より

 芸者菊丸さん、本名山内馨子さん(大正一四年青森県生まれ)は、昭和十七年(一九四二年)三月、満一八歳の時に、西小山で芸者をしているとき、置き屋の借金を肩代わりしてくれるということで、朋輩と二人でトラック島に渡りました。  その山内馨子さんの証言として、朝鮮人慰安婦の話はほとんどなく、多くの日本人慰安婦の話がでてきます。つまり、最低限、トラック島においては昭和十四年から三年も経過しているのに、朝鮮人慰安婦より日本人慰安婦が多かった可能性が高いのです。また、慰安婦においては日本人慰安婦が一番多かった事が、秦郁彦氏の研究より明らかになっています。  あと、裕福な現在も売春が朝鮮の重大産業のひとつである国が、戦前にどうして、慰安婦の朝鮮人が処女がほとんどだったのでしょう。  キーセンに売られたという金学順という嘘つき朝鮮人売春婦も処女だったのでしょうか。

あと、千田氏の文にはこのような事も書かれています。

  <なお投降した朝鮮人慰安婦は昆明にあった米軍管理の捕虜収容所へ送られ、昭和二十年八月十五日すぎ、はるばる迎えにきた金日成将軍(現朝鮮人民共和国)の使者の手で祖国へもどされていった。>「一億人の昭和史 二 二・二六事件と日中戦争」P一七八

 では、もっとも近いであろう我が国には金日成大将軍様の迎えは来たのであろうか? 金日成大将軍様は、慰安婦だけに優しかったのであろうか?

はてはて???

あほらし

 アホ丸出しですが、こんなアホにだまされるというか、利用するアホも多いのです。

つづく

 この冬初めてとなる活けタラを購入。

 ご近所にお住まいのKさん来店。来月ご結婚されるそう。小胡子さん来店。インフルエンザは大分よくなったそうでなにより。マロさん来店。Iさん来店。Bさん来店。  写真は今日買い物に行った近所のスーパーマーケットでつい買ってしまったでっかいデコポン。一個四九八円。高いがやっぱりうまい。

 営業終了後、マルガリータさんと高円寺のイタリアンでドンチャン。マルガリータさんはこの店で今日は四件目だそうな。ひえ〜

その後、中野の「石松」さん。今日は珍しく記憶あり。

 

 


裏表紙にもどる