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従軍慰安婦という名前の売春婦

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

 大金を稼ぐ”従軍慰安婦”(産経新聞コラム・産経抄)
 ▼紙数がないので一点だけ書くが、前に河野談話では「慰安所における生活は強制的な 状況の下での痛ましいものであった」ことを強調していた。では彼女たちはどんな状況の下で 暮らしていたのか。朝日新聞には、連合国軍がビルマの朝鮮人慰安婦に尋問した結果
(一九四四年)の報告がある▼それによると「一カ月三百−千五百円の稼ぎを得て、 五〇−六〇%は経営者の取り分だった」。そうだとすると彼女たちの月収は百五十円から 七百円ほどになっていた。昭和十九年ごろ、内地の日本人の月収はどれほどだったか
 ▼『値段の明治大正昭和風俗史』(週刊朝日編)によると、警察官の初任給が四十五円、 理髪料金が八十銭、銭湯が十二銭という物価である。大学の年間授業料は早大が 三百四十円、慶大が三百五十円、彼女たちはそれを一カ月ほどで稼ぎ出していた

「産経抄」 @
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2802/sankei/02.html
平成五年八月、宮沢内閣の終わりの日、官房長官の
河野さんが額に深くしわを刻んで語った 情景は、いまもありありと思い浮かべることができる。「慰安所における生活は、強制的な状況 の下での痛ましいものであった・・・」▼急いで取り寄せた慰安婦調査報告書には、強制連行を
明記した個所は一つもない。その後、当時の官房副長官石原信雄氏は、韓国側の要請で 行った聞き取り調査で「強制連行」という結論に導いたことを認めた。しかし、”河野談話”は ひとり歩きをはじめ、いまも慰安婦強制連行の虚説がまかり通っている

従軍慰安婦問題1   ■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
従軍慰安婦問題2   ■1.強制を示す文書はなかった■
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

 また、当時、韓国の外務省当局者がしきりに言っていたのは、強制性が認められないと、 韓国人従軍慰安婦たちはみずから進んで慰安婦になったということになる。これでは民族と しての体面、自尊心が許さない。何としても強制性だけは認めてもらわなくては困る。
植民地支配として戦争という状況下で、彼女たちに対して強制性がなかったということでは 韓国民は納得しないというものであった。

 河野洋平元官房長官の
慰安婦強制連行談話について、当時の官房副長官であった群馬県 出身の石原信雄氏が、ことし3月9日、産経に対する談話で、従軍慰安婦強制連行を日本 政府として初めて認めた河野談話は、政府調査から導き出されたものではなく、談話発表 直前に韓国で行った元慰安婦16名からの聞き取り調査に基づくものであったと語り、3、 本年3月11日に平林博内閣外政審議室長は、産経のインタビューに応じて、石原信雄 前官房副長官が日本側に慰安婦の強制連行の資料はなかったという、こういったことに ついて尋ねられて、平林室長は、そのとおりだと述べ、政府が強制連行を組織的に行った 公的記録は見つかっていないと述べ、・・・・・・・・

 孔韓国大使は、本当に強制性を認めることの重要性を指摘し、直接日本政府に要求した。
また、大使が記者会見で述べている点を、石原信雄氏は、慰安婦だった女性たちは自分の 意思に反して連行されたということを何らかの形で認めてくれれば女性たちの名誉が回復 されると、その点は非常に強く言っていたと思いますと言っております


 日本政府に聞き取り調査された韓国人元慰安婦16人の内、確か10人は強制連行を証言し、 日本政府はその証言の信憑性を認め、慰安婦強制連行承認の唯一の根拠とした。しかし、 彼女らは、それに先立ち、日本政府を相手取って、東京地裁に裁判を起こしていたが、その 訴状では強制連行とは異なり、聞き取り調査での証言は明らかに虚偽だった事実が後に 判明している。




「日本のためのとりなし」
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2001/2001.05/2001.05.pdf
 現地の新聞がすでに「吉田証言に該当する事実はない」と報道していたのです。
韓国政府も国際人権委員会も吉田証言を引用して報告書を書いていますが、それは日本の 朝日新聞が吉田証言をとりあげて、これを権威付けたからです。
 しかし、今日では、吉田証言は全くの嘘であることが証明されて、本人もフィクション であることを認めています。

 1991年から朝日新聞は従軍慰安婦強制連行に関する一大キャンペーンを開始しました。
始めの証言者となった金学順という朝鮮人慰安婦は日本軍に強制連行されたと報ぜられ ましたが、本人が日本に来て証言したところによれば、14歳の時、家が貧しかったので キーセンハウスに売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に日本軍 の慰安所につれて行かれたことが分かりました。しかし朝日新聞はこれについての訂正記事を出していません。また前出の吉田清治の嘘の証言も真実として報道しました。更に宮澤 首相訪韓の時に合わせて「挺身隊の名で連行された慰安婦の数は8万人とも20万人とも 言われる」という嘘の解説を載せました。その結果、1992年1月宮澤首相は韓国でこの件に ついて謝罪せざるを得ないようになりました。 

 1992年11月中央大学教授吉見義明編「従軍慰安婦資料集」が刊行されましたが、その中 に「強制連行」を示す資料は一つもありませんでした。その本の解説の中で吉見教授は
「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の 強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべきで あろう」と述べています。この人はこれまで「強制連行はあった」と論じてきたのに、色々調べ ていった末、それを裏付ける資料がないことが分かると論点をすり換えて「広義の強制連行」 を考えるべきだなどと言い始めました。また「政府が資料を隠しているのかもしれないから、 それが出てきたら事情が変わってくる」と暗示しているのも学者らしい狡さを見せつけられます。
 
 1997年1月3日の「朝まで生テレビ」に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的 強制連行は確認されていない」ことと、および「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されて いない」ことを認めました。これは日本政府の5年前に調査した公式発表と一致するものです。
 したがって、従軍慰安婦強制連行問題は、議論が出尽くして調査もしつくして決着している ものと言わねばなりません。

日本政府が聞き取り調査した16人の内、10人は「証言内容が支離滅裂で信用できない」。
そして、残り6人の強制連行被害証言には信憑性があるとして受け入れたのだったと思う。
しかし、その6人は、先立って東京地裁に提訴していたが、その訴状の内容は、強制連行と 明確に異なるものだった。つまり、騙されたわけだ。



藤岡信勝氏(東大教授)は産経新聞八月八日付の「正論」欄でこう述べている。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/1998/9810/oshima.html
そもそも、慰安婦問題の発端から今日に至るまで、その主役は一貫して朝日新聞であった。
慰安婦問題のすべての出発点は、被害者の訴えでもなければ韓国政府の要求でもなく、 吉田清治という詐話師の書いた『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』(一九八三年、 三一書房刊)という偽書である。昭和十八年に韓国の済州島で慰安婦の奴隷狩りをしたと いう著者の「証言」を、朝日は何の検証もせず論説委員が手放しでほめそやした。それが まったくのつくり話であったことが暴露されてからも朝日は、この大誤報についてただの一行 の訂正記事も読者への謝罪も行っていない。朝日はいつまで、こうした醜悪・卑劣な 「朝日新聞の正義」を貫くつもりなのか。

「読売新聞社説」
 いわゆる「従軍慰安婦」に関して読売新聞が8月4日、8月11日の両日社説を掲載し ました。8月4日は「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題するもので、中川農林水産 大臣の記者会見に関するものです。ここでは名前は挙げていませんが「わざわざ韓国の 反発をそそのかしている報道がある」「歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への 反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だと騒いだからだ」と、この問題に対して態度 を明確に表明すると共に、一部のマスコミ(朝日新聞のことだと思います)を批判しま した。8月11日は「国連の権威損なう『慰安婦』報告」と題し「96年の一次報告は、 詐話師とさえ評されるある日本人が創作した“慰安婦狩り物語”をそのまま引用するなど、 きわめて粗雑なものだった」、「詐話師の偽書を称揚したり、勤労動員だった女子挺身隊 を“慰安婦狩り”だったと歴史を偽造するような一部マスコミや市民グループ等が、 国際社会に対して、偽情報を振りまいてきた」、「加えて浅薄な外交的思惑から、裏付け もないまま、慰安婦の『強制連行》認めたかのような93年の河野官房長官談話があった」 と「慰安婦強制連行説」を捏造した者と、それを追認した「河野談話」を厳しく批判して います。私が知る限り主要新聞でこの点を明確にして論じていたのは産経新聞のみだと 思っていました。今回読売新聞がほぼ同一の主張をしたことは「従軍慰安婦」の問題の
虚構性が広く認識されるようになった証拠だと思います。朝日新聞の記者の中川農林 水産大臣に対する引っかけ質問も自らの主張が破綻しつつある中でのなりふり構わぬ、 手段を選ばぬ逆襲だと思います。
http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D5.htm


「3月2日付・読売社説(1) 」
そもそも、検定に提出される白表紙本は不公表のはずである。それが、中国、韓国に流出 して批判の対象となっていること自体が、おかしな現象である。
 これは、外国に迎合して“ご注進”することにより、外圧を利用する形で日本国内の世論 を操作しようとする一部マスコミが常用する手法の結果だろう。
 過去、何度となく、同じような現象があった。
 例えば、いわゆる従軍慰安婦問題。これは、そうした特定マスコミが、戦時の勤労動員 だった女子挺身(ていしん)隊(たい)を、強制的な“慰安婦狩り”制度だったと歴史を 捏造(ねつぞう)した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。
 歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶(おとし)めようなどというのは、 「自虐史観」の極みである。
http://isweb27.infoseek.co.jp/diary/kazuwo99/news/news3.shtml



1)※半島の日本統治時代における日本人について
 政治的な問題は別にして、私は当時の日本人との個人関係がどれだけ
大事なものとしてあったかを思うんです。妻の実家は咸興ではかなりの
金持ちの家でした。家をたくさん持っていましたので、日本人に貸して
いました。当時は朝鮮人より日本人のほうが高く貸せるからでした。多くの 日本人は、そんなふうに割高を承知で朝鮮人からちゃんと家を借りて住まっていたんです。日本人が勝手に韓国人の家を奪い取るなど、そんなことはなかったです。


2)※半島の日本統治時代における日本人について

−従軍慰安婦問題で言われているように、日本人が強制的に連れて行くようなことはほんとうにあったんですか。

 慰安婦問題の根本的な問題は、強制的に募集して連れて行った のにもかかわらず、今の日本では認めようとしないことです。ある 日本の大臣は「お金を払ったから売春婦であって、強制的に連れて 行ったのとは違う」という妄言を発してさえいます。
何千人の若い娘たちを、トラックに載せて連れて行ったことは疑いのない事実なのに、強制ではないというのはとんでもない発言です。
国家間の代表たちは、会えばさしさわりのない合議をしておいて、そのよそではまったく違う妄言をするんですよ。

−実際にトラックに乗せて連れて行くような場面をご覧になったことはありますか。

いえ、私は見ていません。

−その当時、そういうふうにして連れて行ったという話を聞いたことが ありますか。

その当時には聞いていませんでした。

−それならば、なぜ今になってそういう強制的な連行をしたと言われるんでしょうか。

 そうしたことがだんだんわかってきたからです。そういう話は最近、 あちこちで言われているんです。

3)※半島の日本統治時代における日本人について

 従軍慰安婦という言葉は最近になって出てきたものです。慰安婦がいたことは事実ですが、強制的に戦地へ連れて行くことなどは絶対にあり得ません。朝鮮も同じ国内でしたから、法治国家として司法の三審制度もあり、無法地帯ではありませんでした。もちろん、警察権力もしっかりしていました。そういう法治主義システムの網をかいくぐって、婦女子を強制的に連れて行くことなど、当時の朝鮮ではとうていできることではありませんでした。

4)※半島の日本統治時代における日本人について

 学校の先生はだいたいが日本人でした。日本人の先生たちはみんな、 非常にいい人たちでした。(中略)
ただ日本の教育での問題は、西洋的な教育ではなく、日本的な教育を行ったことのなかにありました。たとえば「神功皇后の三韓征伐」などの話が出てくるときには、非常に気をつけなければなりませんでした。それに 対して批判をしようものなら、大変なことになるからです。彼らは西洋の デモクラシーを十分身に付けてはいませんでしたから、そういう批判は
できません。

              「生活者の日本統治時代」 呉善花

当時の半島生活者の言葉から一部抜粋。
1、2、4は韓国人、3は日本人。


韓国軍慰安婦(ベトナム戦争時に韓国軍は従軍慰安婦をつれていた)

河野洋平談話

吉田清二

山田盟子


ちなみに朝鮮における売春についてはこちら


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