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日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主にございます
飲んべえ日記平成20年12月分
「お前が言うな大賞」
12月31日水曜日晴れ ○
今年こそ、「お前が言うな大賞」を決めたいと思います。http://www.tamanegiya.com/omaegaiuna20.html投稿いただいた大賞候補ノミネート番号一番から八番より、これはと思うものをご推薦ください。 自薦、他薦、問いません。 やっぱ、これだろうと思うものをURAホームページの掲示板に投稿してください。
大賞に決まりました「作品???」を投稿いただきました方には 酒たまねぎや店主より、 当店の扱っております大吟醸(純米大吟醸?)から、四合瓶一本を贈らせていただきます。 すみませんが、銘柄はお任せください。 あと、大賞をご推薦いただいた方から一名様に、抽選で?わたしが昨年一番の発見と思った「美丈夫のゆずリキュール」の四合瓶を贈らせていただきます。
(結果として、大賞と推薦人が同じになる可能性もありますので、その場合は次の推薦者にさせていただきます)
店主も一票あるものとします。景品はもらいませんが!
期間は一月五日とさせていただきます。
(店主の怠慢とトラブルにより、いちばん最後に投稿いただいた「作品?」が掲載されておりません。申し訳ございません)
店に行き、昨日の洗い物を片付け、冷蔵庫の中を整理して帰る。
12月30日火曜日晴れ ×
今頃、年賀状をプリントしようと考えていたら、お約束のようにプリンターがおかしい。
結局、正月に年賀状を出す事になりそう。
今日はホロン部員Yさん兄弟とSくんだけの予約だからと気楽に構えていたら、Oさん三名様で来店。九州からOさん来店。Tさん二名様で来店。二名様来店。へべれけさん来店。Oさん二名様で来店。Y@横浜さん来店。Yさん来店。マロさん来店。お仕事の終わった金ちゃん来店。恭子さん来店。
忙しかったので、飲み始めがめちゃ遅くなる。洗い物を止めて、ドンチャン。
12月29日月曜日晴れ×
Cさん三名様で来店。アンコウ鍋。一名様来店。Oさん来店。Kくん二名様で来店。三時から忘年会で飲んでいるそうな。Tさん二名様で来店。Tさん二名様で来店。
ドンチャン。でも記憶あり。
今更ながらの腐れ売国奴本多勝一1
12月28日日曜日晴れ ○
あのソ連から金をもらっていた恥知らずな日本社会党、現社民党の田辺などが金を出して作らせた南京大虐殺記念館。(現在は支那政府により新装なった)
その捏造記念館からさすがの嘘つき支那人も信憑性乏しい写真3枚を撤去というニュースがありました。
以下引用
南京のものとして展示されていた「上海南停車場」の写真
中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑性が乏しいと指摘されていた写真3枚の展示を取りやめたことが17日、政府関係者の話で明らかになった。「連行される慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」の3枚で、日本の研究者らは南京事件と無関係だと指摘していた。中国が同館の展示について“是正”に応じたのは初めて。ただ、30万人という犠牲者数の掲示や“百人斬り”など事実関係の疑わしい展示多数はそのままになっている。
撤去された3枚の1枚は、南京攻略戦の前に撮られ、「アサヒグラフ」(1937年11月10日号)に掲載された写真で、農作業を終えたあと、兵士に守られて帰宅する女性や子供が写っている。これを中国側は旧日本軍が女性らを連行する場面と紹介し、「農村婦女は連れ去られ陵辱、輪姦、銃殺された」と説明していた。この写真は戦後、朝日新聞記者、本多勝一氏の著した『中国の日本軍』や中国系米国人作家のアイリス・チャン氏の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』でも、残虐行為と関連づけて紹介されるなど、国内外で繰り返し誤用されてきたことで知られる。
また、幼児たちの写真は、朝鮮現代史の学術書に掲載されたもので、匪賊(ひぞく)(盗賊集団)に殺された朝鮮の子供たちの遺体。赤ん坊の写真は米誌「ライフ」に掲載された報道写真で、撮影地は上海。いずれも南京の旧日本軍とは関係ないが、愛国主義教育の“模範基地”と指定される同館は「悲惨な史実」と紹介してきた。
日本側は、事実無根だったと判明している“百人斬り”関係の展示品のほか、誤用や合成と指摘されている写真について、さまざまなルートを通じて撤去を求めてきたが、これまで同館は応じていなかった。
85年に開館してからの同館の参観者の累計は1897万人。日本の修学旅行生らも訪問している。
引用終わり
産経新聞 2008.12.17 21:04
手元に本多勝一氏の著書「中国の日本軍」(蒼樹社 一九七二年第一刷発行 一九九〇年第二十二刷発行)があります。本多氏は、撤去されたアサヒグラフに掲載されていた写真について、下記のように書いています。
「婦女子を刈り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ。」
同書p一一八の同じ写真のキャプションより。
「これらの写真の多くは、捕虜になった日本兵から没収されたものだという。日本軍の侵入と同時に南京市内は火炎に包まれた」p一〇八
と本多氏は書いている。何の検証もせずに支那政府のスポークスマンにされていることを恥とも思わないご仁である事がよくわかる文章です。だから、平気でアサヒグラフ掲載の写真を、何の疑問も抱かず支那の説明通り使うのです。
まあ、人民日報築地支社である朝日新聞はアサヒグラフの写真とわかっていても、ご主人様である支那政府に対して、抗議も何もしませんでした。そりゃあ、ご主人様には逆らえませんから。
そして、同書には「自序 教育される側の論理」として、
<最近私は中国に行って、日本軍が何をしたかについて取材し、『朝日新聞』に連載した(のちに単行本『中国の旅』として朝日新聞社から刊行されている)。読者から強烈な反響があったが、その反響を年代別にわけてみると、ごくおおざっぱにいえば、年齢が若くなるほど、この報道に率直な驚きと反省をみせる例が多く、高年齢になるほど、「今さら・・・」といた拒否反応や非難をする例が多い。その境界線は、いうまでもなく、太平洋戦争中に青春をおくった世代あたりにある。
このことは、当初から予想されたことであった。むしろ予想をはずれたことで嬉しかったのは、中国に兵隊として行っていた人々の中からの支持と激励の便りが、意外と多かった点である。もちろん非難や脅迫も多いが、これは予想どおりだから意外ではない。
さて、かくも深く教育されてしまった私たち日本人の「ものの考え方」を、いくらかでもより率直な方向へ教育しなおすということは、ほとんど絶望的にむつかしいであろう。文部省教育によって小学生から偏向教育をさせられ、NHK教育によって毎晩「君が代」教育が実施されている現在、そんなことは原爆に竹ヤリで向かうようなものだ。たとえば、靖国神社復活をすすめようとしている自民党に対して、強烈な拒否反応が国民的規模で起きてこないのも、すこしも不思議でない。教育の成果を示すひとつの指標にすぎないのだ。
略)
敗戦後になっても、基本的には知らされないで二十数年間も過ぎ去ったという事実であろう。このままでは、わが祖国は世界の嘲罵と憎悪のマトでしか無い最低民族になりかねない。なんとか最低民族になるようにと、私たちは文部省やNHKなどによって毎日教育されている。
この最低民族化教育を、なんとか拒否したい。そのためのひとつの方法は、反動政府が知らせたがらない事実を、私たちの手によって掘り起こし、知る事である。そのような事実を、広範な日本人の常識とすることができるようになれば、最低民族化教育にとっても大きなブレーキになるだろう。さきに刊行した『中国の旅』の姉妹編として、ここに写真を主とした本書を刊行する意図は、ほぼこのようなところにある。>
p十〜十二
つまり、本多氏が書くところの事実とはあくまで支那政府が言う事実であって、決して本当にあったことではないのです。
それは、この文章の末尾には下記のように凡例としても書かれています。
<凡例
ご主人様である支那政府を信じ切って、検証など一切していないことはこの文章からも伺えます。
「現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。今度取材した日本軍国主義のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの戦いになるものと信じます」
(p二九一〜二九二)
これは、本多氏が支那において、取材相手に対して述べた言葉として同書に書かれています。本多氏は記事を事実ではなく、自分のイデオロギーに基づき書いているのです。
自分のイデオロギーに基づき、支那政府の言うがままの記事を書きながら、「中国で日本軍が何をしたかを詳細に報道した私のルポタージュ『中国の旅』」p二三八と書ける神経もすごいです。本多氏は後に、当時、支那にいた日本人の人々から事実と違うという抗議を受けた時に「中国政府のいうままに書いただけだから、抗議は中国政府にしてくれ」と言い逃れしました。
このような男が、当時の朝日新聞の看板記者だったのです。
店は珍しく昨日のうちに片付けたので、今日は、スポーツセンターも行かずに部屋に一日中いた。ただ、大掃除をしようと思ったが、結局、何も出来ずに終わる。 今日は飲まず。
12月27日土曜日晴れ 寒い △
仕込みを終えた後、高田馬場にあるスポーツセンターに行く。今日も時間がなかったので、スロートレーニングで一分のセット間隔で三セットづつメニューを消化。腕はスーパーセットでメニューを消化。帰りに芳林堂さんに寄り本を数冊購入。
Fさん二名様で来店。小胡子さん、BOOちゃん来店。アンコウ鍋。江上さんご夫妻、長島さんご夫妻来店。お二人にはメキシコのグアダラハラ時代からお世話になっているので、もう三十年のおつき合い。マロさん来店。Mさん二名様で来店。初めてのお客様Mさん来店。神主さんだそう。
営業終了後、六本木にある長島さん行きつけの店にて、長島さんご夫妻、江上さんご夫妻と合流。
12月26日金曜日晴れ 寒い ×
河岸も年末になると一般の方も多く(最近は外人さんも多いですが)、場外だけでなく、場内もいつもより歩き辛い。怒鳴られているおばちゃんがいるのも今の時期の風物詩みたいなもの。年賀状の準備を今頃はじめたが、これまた新しいソフトの使い方がよくわからんので、ち〜とも進まずそのまま営業突入。悪戦苦闘は明日も続きそう。
バンブーさん来店。Sくん奥様と当店で待ち合わせ。初めてのお客様二名様来店。Tさん、Tさんご夫妻来店。例年どおりアンコウ鍋でドンチャン。Sさん来店。来年六月まで禁酒されるそう。大願成就を祈っております。Oさん、Nさん、Kさん来店。
ドンチャン。片付けは終わっていたが、気がついたら、灯もつけっぱなし、空調もつけっぱなしでカウンターで寝ていた。記憶はやっぱ、ないというか飛んでいた・・・・・・
新しいパソコン
12月25日木曜日晴れ ○
新しいMacでホームページを更新したまではいいが、まだ、新しいソフトが使い慣れないので、23日分を消去してしまい、二時間かかった更新がパーになる。
営業が始まっても、昨日というか今朝までの酒が残っており、ご来店いただいた小胡子さん、BOOちゃんから「顔が青いですよ」と・・・その前は赤かったんですけど・・・・
二名様来店。Tさん三名様で来店。Kくん、Mさん三名様で来店。Cさん二名様で来店。
今日はドンチャンやる元気も無く、営業終了後はさっさと帰って、寝る。
12月24日水曜日晴れ ×××××
Sさんマルガリータさん二人のお子さんと来店。アンコウ鍋でドンチャン。ケイザブロウさん来店。来年の干支の牛さんの人形をいただく。Mさん二名様で来店。Sさん二名様で来店。Sさん来店。
営業終了後、Sさんと二件ハシゴ。どちらも初めての店。エムズバーさんに伺う。ワインをボトルでお願いする。その後、中野の石松さんに伺ったようだが、記憶がない。気がついたら店のカウンターで寝ていた。途中、コンビニに寄って、おでん、紙パックのお茶、弁当などを買っているのだが、全く記憶がない。
サル。
12月23日火曜日晴れ △
午後よりスポーツセンターに行く。今日もベンチプレスは八〇キロ、七〇キロ、六五キロをそれぞれ五秒かけてあげて、五秒かけて降ろすスロートレーニング。腕は四五キロ、四〇キロ、三五キロ、三〇キロのダンベルを使って二頭筋、三頭筋のスーパーセット。約二時間弱で終了。有酸素運動はなし。
祝日にもかかわらず、多くのお客様が来てくださる。横浜からのお客様来店。女性ばかりのお客様三名様で来店。Sさんご夫妻来店。
今日も営業中からそれなりに一通り飲む。記憶はあり。
お鏡餅?
忘年会
12月21日日曜日晴れ△
昨日は、洗い物などやめて途中から飲み始めてしまったので、洗い物がドッチャリ。
片付けを終えてから、Sさん宅で開かれている忘年会に残り物のアンコウ、出汁持参で参加。私以外にはマルガリータさん、金ちゃん、マロさんが参加。アンコウ鍋はマルガリータさんが仕切って作ってくれたので、ラクチン。クラブワールドカップのあとは、プライベート・ライアンのDVDを見ながらドンチャン。
部屋にたどり着いたのは、当然日付けが変わって随分たった頃。記憶はあり。
12月20日土曜日晴れ×××
美丈夫さんからゆず果汁と一緒に信楽焼の来年の干支ボトルが。可愛い目をした牛さん。信楽焼の作者は伝統工芸士の上田和弘氏。
「ゆず果汁」は美丈夫の蔵元である濱川家所有の山に生えている百年以上を経た木になるゆずから絞ったもので、非常に香りが高い。ありがたい。
香港から姫の友人であるエルサさん姉妹とオーストラリア人の友達の三名様来店。岡部ちゃん二名様で来店。静岡からうまごんさん、いおりさん来店。K@京城さん来店。Kさん来店。金ちゃん、マロさん来店。Tさん三名様で来店。
早い時間からドンチャン。記憶ありながら・・・
12月19日金曜日×
写真は河岸の側の交差点付近を仕事場にしている女性の乞食。
夏の暑い日、冬の寒い日も座っているのは大変というのはなんとなくわかるが、それでも、日傘をさして、手袋とマスクをして、小奇麗にして天気のいい時だけ座っているのには何か違和感がある。
高田馬場にあるスポーツセンターがある戸山公園の中にもホームレス村?があり、ホームレスの人が日中、スポーツセンターのロビーでたむろしている。いろいろ事情があると思うが、この人たちを見ていると、働きたくても働く場所がないだけの人たちばかりではないように思える。働きたくない人も多いのではないでしょうか。
ニートと言われている人たちにも違和感を感じざるを得ない。親御さんが飯を食わさなければ、否応無しに、腹が減ったら自分で稼ぐのではないでしょうか。
Oさん二名様で来店。小胡子さん、BOOちゃんと来店。一名様来店。Iさん来店。四名様来店。Kさん来店。
Iさんは来週から名古屋から神戸、淡路島まで家族旅行だそうな。ドンチャン。記憶あり。
12月18日木曜日××
小胡子さん来店。Sくん来店。ナベちゃん来店。四名様来店。遅い時間にOさん二名様で来店。
ドンチャン。営業終了後、高田馬場のカヴェルナさんに伺う。先日、お願いしてあったワインの代金を払い、開ける予定の日にちが延びたことを詫びる。うちの店でも「このワインを取っておいて」と予約注文しておきながら、銭も払わずに何年も平気でおっぽとく人がいる。何年もたってから、「あのワインを」とこれまた平気で言う。アホかと。
そんなもん、とっくに飲んじまったわい!
支那人、朝鮮人の不法入国、不法就労を助長
12月17日水曜日雨 △
集団密航させ1億円超稼ぐ NPO理事長ら逮捕
ミャンマー人を集団密航させたとして、警視庁組織犯罪対策1課などは、
入管難民法違反(集団密航助長)の疑いで、東京都江東区亀戸のNPO法人理事長、小舟日出雄容疑者(69)と葛飾区四つ木の行政書士、大森泉容疑者(58)を逮捕した。
両容疑者らは平成18年2月ごろから中国人やミャンマー人計135人を集団密航させ、約1億6000万円を得たとみられる。
小舟容疑者は15年2月に保健福祉の増進を図る目的のNPO法人「ウェルネス・ネットワーク21」を立ち上げたほか、ITや通訳などの仕事をする「リバーヒル」「ワールドエナジー」などの会社を設立。
しかし、いずれも実態はなかったという。中国人らは翻訳者や通訳者としてこれらの会社に雇用されたように届け出ていたが、実際は飲食店などで働いていた。
小舟容疑者の会社で通訳として働く中国人の数が多いことから、不審に思った在中国日本大使館がビザの発給を厳しくしたところ、小舟容疑者は大使館に抗議に行き圧力をかけるなどしていたという。
MSN産経ニュース 2008.12.10 13:23
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/081210/tky0812101324004-n1.htm
集団密航:助長容疑でNPO理事長ら逮捕 謝礼は1億円超
(略)
また、135人のうち約9割が中国籍の男女で、小舟容疑者は9月、中国・広州の日本総領事館でNPOの名前を出したうえで「在留資格証明書が出ているのに、なぜ早くビザを発行しないのか」と抗議したこともあったという。
(略)
NPO法人は03年設立。ホームページによると、福祉の充実などを目的とした情報収集や調査研究が主な事業。
組対1課によれば、活動実態はほとんどなく在京の指定暴力団とも関係があったという。【武内亮】
毎日新聞 2008年12月10日 11時45分(最終更新 12月10日 12時46分)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081210k0000e040045000c.html?link_id=TT002
南米のエクアドルではもっと醜い事になっています。
中国人の入国を制限、密航目的の入国者急増でエクアドル
12月14日8時26分配信 Record China
12日、エクアドル共和国政府が今年6月から観光ビザを免除する制度を開始したところ、米国への密航目的などで入国してくる中国人が急増し、同国ではこのほど中国人の入国制限施策を実施した。
2008年12月12日、英BBCテレビの報道によると、エクアドル共和国政府が今年6月から観光ビザを免除する制度を開始したところ、米国への密航目的などで入国してくる中国人が急増。このため同国ではこのほど中国人の入国制限施策を実施したという。人民網が伝えた。
同国政府は今年6月20日から全ての入国者を対象に観光ビザを免除する制度を実施。当日だけで40〜50人の中国人が入国したという。制度実施以前の中国人の入国者数は毎月20人程度だったが、実施後は毎日20〜50人まで増加、6〜11月までの入国者は1万1000人に膨れ上がった。
略)また、同国移民事務室でも「エクアドルを経由して他国へ密航するための入国」との見方をしており、12月1日から「中国人の観光ビザ免除はエクアドル政府が認めた旅行業者のパック旅行のみに適用」としたところ、これまでのところ利用がないだけでなく、個人の入国も10日あまりでわずか3人にまで激減した。
現在同国政府では、11月までに入国してまだ国内に滞在している中国人約7000人の動向に注目しているという。
朝鮮人も観光ビザを免除したために、犯罪目的、売春目的の朝鮮人が入国しやすくなっています。こういうふうな支那人、朝鮮人のために努力してきたのが、創価学会公明党です。
以下引用
ビザ発給、中国全土に 対象地域の拡大、調印
【北京=野口東秀】中国を訪問中の北側一雄国土交通相は二日、邵h偉・国家観光局長と会談、今月二十五日以降、期限を設けず中国人団体観光客に対するビザ(査証)発給対象地域を中国全土に拡大することで合意。日中間の観光や青少年交流拡大などを強化する協議書に調印した。
略)
ビザ発給の対象をこれまで北京、上海など大都市の団体客に限定してきたのは、来日後に失踪(しっそう)するケースが目立っていたため。国交省によると、平成十二年からこれまでに、中国からの団体観光客十五万一千七百九十四人のうち四百七十三人(0・31%)が失踪している。
産經新聞平成17(2005)年7月3日[日]
留学生に対して、我が国政府は八O年代の中曽根内閣の時代に「留学生十万人計画」を立ち上げました。大学・大学院の留学生のみのでも、現在、十一万人以上の支那人留学生がいます。その留学生のうち八〇パーセント以上が支那人です。ビザを申講して実際にビザが交付されたのは四〇パーセント程度にすぎません。あとの六割程度の留学生は、我が国の大学、短大などが入学を許可しておきながら、留学できないのです。専門学校などのばあいは、交付率はたったの二〇パーセント程度です。これは偽造パスポート、成績証明書、預金証明書などによる書類のために、審査の時点ではねられてしまうのです。
就労目的のための伸介業者がいるためです。入国はどのような形でもいいから、我が国に入れればいいので、密航なども横行する事になります。
支那人に対して、我が国国民のイメージが最低なのは当たり前のことです。
同じ調査で、朝鮮人に対してのイメージが五割以上の人が「親しみを感じる」となっているのは、通名報道しかしない朝日新聞などの腐れマスコミの努力の成果でしょうか。
下記の連続強姦磨の朝鮮人についてはもっとマスコミが大きく取り上げてもいいのではないでしょうか。報道しない事によって、ある意味、日本人を危険に曝しているのですから。
連続婦女暴行で懲役25年=組員装った無職男−大阪地裁
暴力団組員を装って通行中の女性に言い掛かりを付け、暴行や現金強奪を繰り返したとして強盗強姦(ごうかん)や強制わいせつなどの罪に問われた無職徐一被告(37)に対する判決で、大阪地裁は12日、懲役25年(求刑懲役27年)を言い渡した。
笹野明義裁判長は「女性の人格を無視した卑劣な犯行」と指摘。「約2カ月の間に10件もの性犯罪に及び、法廷でも被害者を侮辱するなど反省は見られない」と述べた。
判決によると、徐被告は「暴力団の兄貴分が覚せい剤などの入ったかばんを盗まれ、犯人を捜している」と通行中の女性を脅迫。人気のないビルの踊り場などに連れ込む方法で、昨年5月末から同8月、計9人の女性に暴行やわいせつ行為をした上、所持金やネックレスなどを奪った。(2008/12/12-17:08)
こんな外国人を、我が国に一〇〇〇万人も移住させようとする政治家は狂っているとしか思えません。我が国は働きたくても働けない日本人の人たちがいっぱいいます。六〇歳を過ぎても働かなければいけない日本人がいっぱいいます。わざわざ外国人を移住させる必要があるのでしょうか。その外国人が、高い技術、労働力を持った外国人とは限りません。我が国にとってお荷物になる外国人の可能性も高いのです。
ちなみに、在日朝鮮人一五・五人にひとりの割合で生活保護を受けていて、一〇〇〇人あたり、六・四四と我々日本人の五・六倍もの受給率です。→在日朝鮮人と生活保護
いまや多くのヤクザの資金源として有効活用?されているNGO。そのNGO法案の成立には、あの辻元清美女史の助力によるものが大きいです。他の売国奴と同じく、日本のためにならない事だったらなんでもやる。
午後からスポーツセンターに行く。時間があまりなかったので、スロートレーニングでセット数を三セットづつにして一通りのメニューを消化。二頭筋、三頭筋のみスーパーセットで四セットづつ。
Sくん御夫妻四名様で来店。奥様が鍋奉行でしたので、アンコウ鍋は最後まで完璧に進行。Hさん三名様で来店。三名様来店。Oさん二名様で来店。
今日も飲むが記憶あり。
支那の遺棄化学兵器にみる腐れ売国奴どもの成果
12月16日火曜日晴れ △
支那で旧帝国陸軍の遺棄化学兵器の試掘を始めたというニュースがありましたが、その推定埋蔵量が砲弾三〇〜四〇万発だそうです。(二〇年十二月十四日読売新聞)
この遺棄化学兵器破棄については、すでに書いたように、この遺棄化学兵器においても、我が国の村山富市、河野洋平の悪魔の最強コンビが活躍いたします。
朝日新聞の従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器問題にみる共通性
あの朝日新聞などは二〇〇七年三月二二日(木曜日)付 で「毒ガス兵器―中国での回収を急げ」と題された社説を書いて応援しています。この社説に書かれている「1997年に化学兵器禁止条約」とは、村山富市と河野洋平コンビにとって、事実はどうでもいい、(自分たちにとっての祖国である)支那様のために日本政府がさっさと金を払えばいいのだと決めたものです。
ですから、山形県のシベリア史料館で、日本軍が武装解除の際に引き渡した武器・弾薬を詳細に記した「兵器引継書」が約六〇〇冊も支那に引き渡したという資料、防衛省の防衛研究所には、日支両政府が「遺棄化学兵器」として廃棄処理対象にしている『あか筒』『みどり筒』を台湾で中国軍に引き渡していたことを記した「引渡兵器目録」が見つかっても、その事実を無視し続けるのです。
これについて、鈴木宗男議員の下記のような質問があり、それに対する政府よりの答えがあります。
遺棄化学兵器に関する質問主意書
平成十八年五月十七日提出
質問第二六五号
提出者 鈴木宗男
遺棄化学兵器に関する質問主意書
略)
三 「正論」二〇〇六年六月号は水間政憲氏執筆の論文「スクープ!"遺棄化学兵器"は中国に引き渡されていた」(以下、「水間論文」という。)を掲載しているが、政府は「水間論文」の存在を承知しているか。
四 現在、日本政府は中国において遺棄化学兵器の廃棄を行っていると承知するが、その法令上の根拠を明らかにされたい。
五 太平洋戦争の終戦時に、日本軍が中国軍もしくはソ連軍に対して引き渡した化学兵器を日本政府は廃棄する義務を負うか。
六 「水間論文」によれば、日本の民間団体に引き渡された約六百冊の兵器引継書が存在するが、これまで政府はかかる文書の存在について承知していたか。
七 「正論」二〇〇六年六月号のグラビアに掲載された「スクープ旧日本軍兵器引継書」で言及されている「三八式野砲九〇式代用弾(甲)」、「四年式十五榴弾砲榴弾」、「四一式山砲榴弾甲」、「四一式山砲榴弾乙」は化学兵器に該当するか。
平成十八年五月二十六日受領
答弁第二六五号
内閣衆質一六四第二六五号
平成十八年五月二十六日
内閣総理大臣 小泉純一郎
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員鈴木宗男君提出遺棄化学兵器に関する質問に対する答弁書
三について
御指摘の「論文」が「正論」平成十八年六月号に掲載されていることは承知している。
四について
我が国は、化学兵器禁止条約に基づき、中国における旧日本軍の遺棄化学兵器の廃棄に向けた発掘、回収等の事業を行っている。
五について
御指摘の「引き渡した」がどのような行為を指すのか必ずしも明らかではないが、我が国は、化学兵器禁止条約上、二についてで述べた「遺棄化学兵器」を廃棄する義務を負う。
六について
御指摘の「兵器引継書」について、「正論」平成十八年六月号に掲載されていることは承知しているが、その存在等については、確認していない。
七について
お尋ねの兵器が一についてで述べた「化学兵器」に該当するか否かは明らかではない。
つまり、決まった事だから、やるだけであり、新しい証拠などは知った事じゃないということです。
この姿勢はその後の答弁を見ても明らかです。
平成十八年五月三十日提出
質問第二八九号
遺棄化学兵器に関する再質問主意書
提出者 鈴木宗男
一 「前回答弁書」において、政府は「御指摘の『兵器引継書』について、『正論』平成十八年六月号に掲載されていることは承知しているが、その存在等については、確認していない。」と答弁しているが、政府は「正論」平成十八年六月号に掲載された「兵器引継書」に関して調査を行う意向を有しているか否かについて明確な答弁を求める。
二 中国における遺棄化学兵器を担当する政府の部局と責任者の官職氏名を明らかにされたい。
三 内閣府もしくは外務省の職員が、「正論」平成十八年六月号に掲載された「兵器引継書」をもとに質問、質疑を行おうとした国会議員に対し、「遺棄化学兵器の問題は取り扱い如何によっては日中関係に悪影響を与える恐れがあるので、国会における質問については配慮して欲しい」との働きかけを行ったという事実があるか。
四略)
右質問する。
平成十八年六月九日受領
答弁第二八九号
内閣衆質一六四第二八九号
平成十八年六月九日
内閣総理大臣 小泉純一郎
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員鈴木宗男君提出遺棄化学兵器に関する再質問に対する答弁書
一について
御指摘の「兵器引継書」の調査については、「兵器引継書」の管理者との間で、調整を図っているところである。
二について
御指摘の遺棄化学兵器に関する問題については、政府全体の施策の統一保持のために必要な総合調整を内閣官房遺棄化学兵器処理対策室が、遺棄化学兵器の廃棄処理事業を内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室が、中国との協議を外務省アジア大洋州局が、化学兵器禁止機関との連絡及び調整を外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部がそれぞれ担当しており、これらの組織の長の氏名は、内閣官房遺棄化学兵器処理対策室長高松明、内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室長高松明、外務省アジア大洋州局長佐々江賢一郎及び外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部長中根猛である。
三について
関係職員に確認したところ、お尋ねの事実はないとのことである。
平成十八年六月二日提出
質問第二九九号
遺棄化学兵器問題に対する内閣府遺棄化学兵器処理担当室並びに外務省アジア大洋州局中国課の対応に関する質問主意書
提出者 鈴木宗男
平成十八年六月十三日受領
答弁第二九九号
内閣衆質一六四第二九九号
平成十八年六月十三日
衆議院議員鈴木宗男君提出遺棄化学兵器問題に対する内閣府遺棄化学兵器処理担当室並びに外務省アジア大洋州局中国課の対応に関する質問に対する答弁書
平成十八年十一月三十日提出
質問第一九五号
遺棄化学兵器に関する質問主意書
提出者 鈴木宗男
一 「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」(以下、「覚書」という。)は法的拘束力を持つか。
六 旧日本軍が中華民国に引き渡した化学兵器が存在するか。
七 政府は旧日本軍が中華民国に引き渡した化学兵器について廃棄する義務を負うか。
八 旧日本軍がソ連に引き渡した化学兵器が存在するか。
九 政府は旧日本軍がソ連に引き渡した化学兵器について廃棄する義務を負うか。
平成十八年十二月八日受領
答弁第一九五号
内閣衆質一六五第一九五号
平成十八年十二月八日
衆議院議員鈴木宗男君提出遺棄化学兵器に関する質問に対する答弁書
一について
御指摘の「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」は、法的拘束力を有するものではない。
六及び八について
中華民国については、化学兵器を含むと思われる引渡しに関する文書が発見されたことから、現在、事実関係について調査中である。ソビエト社会主義共和国連邦については、現時点では、引き渡した化学兵器が存在することは確認されていない。
七及び九について
我が国は、化学兵器禁止条約第二条6に規定する「遺棄化学兵器」については廃棄する義務を負う。
これらの、質問に対する答弁を見て思う事は、最初に結論ありきの姿勢です。
そして、支那における旧日本軍が「遺棄」したとされる化学兵器といわゆる「従軍」慰安婦との問題は大きな共通点があります。それはどちらも河野洋平と朝日新聞社が宮沢喜一、村山富市、加藤紘一らの他の反日活動家と連携しての活動であることです。
支那が我が国に対して毒ガスを使ったことは、支那の手先である朝日新聞も記事にしています。(昭和一二年(一九三七年)一〇月二〇日付朝日新聞に「毒ガス弾下を衝く=人馬・マスクで進撃」
同じく昭和一二年一二月一二日付朝日新聞一面「不法!毒ガスで逆襲」「この夜襲戦で断末魔の敵はいよいよ本格的毒ガスを似て抗戦し来れること明らかになった」)
平成四年二月二七日にジュネーブで開かれた軍縮会議の席上で、支那は遺棄化学兵器の破棄条項を化学兵器禁止条約に入れる事を強く主張しはじめる。
支那での旧日本軍の残留兵器以外は世界で「遺棄」を認めている国はなく、事実上の支那より我国に対してのみの「専用条項」といえる。
この日本専用条項である化学兵器禁止条約に平成五年一月に宮澤内閣の時に調印。河野洋平はこの時官房長官外相(臨時代理)。
平成五年二月二五日の衆議院予算委員会で河野洋平はこう答弁する。
「我国の残して聞いたものである可能性が多いという認識で目下調査をしているわけでございまして、責任が全くないというふうに思ってやっているわけではないことは是非御理解いただきたいと思います」
この河野洋平の発言がウソであることは、河野洋平のその後の行動で明らかになります。
平成七年一月一七日、阪神淡路大震災があり、その震災地でまだ多くの国民の皆様が苦しんでいる一月二五日に
村山富市首相と河野洋平外務大臣は
「中国大陸に遺棄されている化学兵器について日本側が責任をもって処理する」との談話を発表し、さらに化学兵器禁止条約への批准を国会で成立させる旨も合わせて表明。
平成七年四月一一日参議院予算委員会での村山内閣での河野洋平外務大臣の答弁
「旧軍のものであるとはっきりすれば、当然我国がそれを処理する義務、責任があるというふうに思います。これは、化学兵器禁止条約のみならず、日中共同声明その他の精神からいっても、誠意を持ってこの処理をいたすべきものだというふうに考えます。」
(旧日本軍の化学兵器には、サリン、VXガスなどといった極めて毒性の高いものは含まれていない)
平成七年四月二八日 化学兵器禁止条約を国会承認
平成七年五月に村山富市が支那訪問。
反日施設である南京虐殺記念館を訪問。支那の李鵬首相に遺棄化学兵器の処理に誠実に対応することを明言。
害務省(外務省?)総合政策局、中国課の幹部代表とした調査団が支那に派遣され、遺棄化学兵器が旧日本軍のものであることを確認。
平成七年五月 官房長官五十嵐広三(当時、社会党)が政府として正式に、遺棄されている火学弾を旧日本軍のものであると発表。
平成七年八月 村山富市による村山談話を発表。
平成七年九月一五日化学兵器禁止条約批准
平成九年四月に橋本龍太郎内閣の時に支那政府もこの条約を批准することにより、正式に発効。
小淵内閣時代の平成一一年七月三〇日支那との間に「日本の遺棄化学兵器の破棄に関する覚え書き」がかわされる。その時の官房長官は野中弘務、日本側代表は駐支那大使の谷野作太郎。
支那側の言い分を言うがままに受け入れた売国奴どもの成果です。
支那は、アメリカのラドメーカー米国務次官補(軍備管理担当)とロドマン米国防次官補(国際安全保障担当)により、二〇〇五年三月の、議会の公聴会で「大量破壊兵器関連技術の主要な供給源になっている」と強く批判されています。これは、事実上の国営企業「北方工業公司」などが兵器転用可能な化学物質の輸出も続けているためですが、それ以外にもミサイル関連技術をについても、イランやパキスタン、リビア、北朝鮮に供与したことが指摘されています。
(共同通信) - 2005年3月11日
それだけでなく、世界中に安価な地雷を輸出し、その地雷を、世界各国は高いお金と危険をおかしてまで撤去しています。そんな支那に対して、地雷を撤去する費用を出せという我が国の政治家は誰もいません。
ちなみに、この時の衆議院議長は学歴詐称疑惑の李高順こと土井たか子女史です。社民党に土井たか子女史の学歴詐称についてメールでお尋ねさせていただきましたが、な〜んにも返事はいただけませんでした。
土井たか子、河野洋平と、最近の我が国の衆議院議長は売国奴でないとなる資格がないようです。
そうすると、次の衆議院議長はだれでしょう。
有資格者は山ほどいるでしょうが。
メチャヒマ。Sさん、妙子さんと来店。
早い時間から飲む。体調がイマイチなので、いつもと酒の味が違う感じがする。でも飲む。
「フランスで創価学会はカルトはウソ」はウソ(ああ、ややこしい)
12月15日月曜日晴れ ○
十二月十一日の産経新聞に下記のような小さな記事が掲載されました。
以下引用
民主・石井氏が学会批判 「公明党はカルトの命令下」
民主党の石井一副代表は11日、東京・丸の内のパレスホテルで講演し、公明党と支持母体の創価学会について、「公明党なんて政党はない。創価学会だ。党の人事から予算まで全部後ろのカルト集団の命令下でやっている」と批判を展開した。また、「自民党は公明党の票で生き延びている。創価学会が政権を振り回してきている。文句を言うのは当たり前だ」と強調した。
これに対し、公明党の北側一雄幹事長は同日の記者会見で「とんでもない発言だ。公党に対する侮辱もはなはだしい。謝罪と発言の撤回を求めたい」と反発した。その上で「創価学会がフランスでカルト集団と認定されていると言うが、そのような事実は全くない」と反論した。法的措置については「今のところ考えていない」と述べた。
略)
引用終わり
「創価学会 カルト」とGoogleで検索すると九十三万二千件!もヒットします。
Wikipediaでは「フランスでのセクト報告」として、(まあ、書き替えが可能なために操作されやすいので、Wikipediaをただただ鵜呑みにするのは非常に危険ですが)
<「新しい型の宗教組織による法の侵害に関するEC議会決議」(1984年)に基づいて、フランス下院で採択された「フランスにおけるセクト__精神的自由の表現か、もしくは悪質な担ぎ屋か」(いわゆる「ヴィヴィアン報告書」1985年4月刊行)では「セクト」(カルト)と認定したフランス国内の127の団体を実名でリストアップしたが、この中に「創価学会インタナショナル・フランス」が含まれた[53]。また、創価学会が1990年に日蓮正宗と分裂したこと、女性会員が多いこと、会員に秘密の仕事や様々な不正行為や詐欺行為をさせていること、などが記載されている[要出典]。
また、1999年の「セクトと金」と題する「ジャック・ギュイヤール報告書」では「創価学会インタナショナル・フランス」は「エホバの証人、サイエントロジー教会に次ぐ、3番目にリッチなセクトであると報告された[『FORUM21』25号
2003年3月1日号]。また、パリ行政裁判所判決(1996年12月10日)を引用して、創価学会が、雑誌、パンフレット、本、アクセサリー、セミナーなどの営利活動によって収入の大半を得ており、マージンは42.2%
- 49.64%(この種の分野では最高の率)であることを紹介している。 また資産は2億4000万フラン(約38億円)相当であり、年間予算は調査によれば約2億4000万フラン(約38億4000万円)に達する。
「セクト(カルト)運動防止・抑制強化法(2001年)」は、フランス国民議会(下院)で全会派一致により可決・成立した法律で、創価学会の活動をフランス国内で行われている宗教に名を借りた反社会的活動とし、議会内に設置されたカルト調査委員会が入念に調査することとなった[要出典]。
フランスをはじめ、欧州各国では、カルト対策の法整備がすすめられた。それと同時に、国民にカルト教団の危険性を訴える為、広報活動に対する行政への要請も強まった。そのため各国の政府機関は、いわゆるカルト組織とみなされる団体名を明記した「報告書」や「カルト教団対策マニュアル」の作成に着手した。とりわけ、オーストリアでは、1996、1999年にそれぞれ中央官庁発行による、対策マニュアルが作成されている。最新版は、インターネット上でも閲覧可能である[オーストリア中央官庁発行のカルト対策マニュアル]。が、そこでは旧版・最新版ともに「創価学会」がカルト教団と認定された。さらに、1999年度版マニュアルの中では、「この教団には、創価学会を名乗らない、関連類似団体が存在するため、不信を感じた場合は、関係当局に相談下さい」などの記述がある。しかしながら、これらの対策マニュアルが欧州国内で配布されると、創価学会をはじめ他のいわゆる「カルト教団」とされた団体から抗議活動が生じ、中央政府主導による「対策マニュアル」発行の維持が困難になった[55]。そのため、現在カルト教団対策における広報活動の主要部分は、連邦各州、地方自治体及び民間に引き継がれた。政府機関の意向を受け継いだ、スイス[56]、オーストリア[57]、フランス[58]、ドイツ[59]の諸団体のホームページ上では、2008年現時点において、とりわけ問題のあるカルト教団等に、相変わらず創価学会がその名を挙げられている。
また、カルト対策マニュアルとは別に、フランスをはじめ、イギリス[60]、オーストリア[61]などの公共放送局によって、創価学会を批判的に取り上げた複数のドキュメンタリー番組が制作されている。しかしながら、創価学会が海外諸国でカルト認定された経緯が10年近く報道されてこなかったのと同様に、これらのドキュメンタリー番組も、日本では放映されることがなかった。
また、スティーブ・ハッサン著の『マインドコントロールの恐怖』では破壊的カルトの1つとして「日蓮正宗USA」の事例が紹介されている。
但し「日蓮正宗USA」は元来、創価学会会員の団体である。この例をはじめ、NSIC(日蓮正宗国際センター)などのように、創価学会系の団体も日蓮正宗からの破門以前は「日蓮正宗」の名を冠していた事例が数多くあるため、現在において論じる際にはその区別を明確にしておくことが必要である。>と書かれています。
そして、その他のページでも
フランス国営放送の『創価学会 21世紀のカルト』
http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/AntiSouka/Video.htm
を見るだけでも、北側幹事長の「創価学会がフランスでカルト集団と認定されていると言うが、そのような事実は全くない」という発言はウソであることがわかります。
このホームページにはフランス国営放送で放送された「創価学会 二十一世紀のカルト」という四十一分間のビデオも見る事ができます。
北側理事長、そりゃ、訴える事なんかできんでしょう。
このホームページに書かれている、
「フランスでは、日本のオーム真理教の事件をひとつのきっかけとして、仏下院(国民議会)がカルトに関して調査委員会を設置し、報告書をまとめた。そこでは、カルトの本質を「新しい形の全体主義」である、と定義づけたのである。それは、「魚は頭から腐る」のことわざのように、このカルトの問題を放置しておくと、自由と民主主義を抑圧し、最終的には社会全体を「死」に至らせる、という危機感からである。」
カルト構成要件の10項目(「アラン・ジュスト報告書」)
(1) 精神の不安定化、(2)法外な金銭要求、(3)住み慣れた生活環境からの隔絶、(4)肉体的損傷、(5)子供の囲い込み、(6)大なり小なりの反社会的な言説、(7)公共の秩序に対する錯乱、(8)裁判沙汰の多さ、(9)通常の経済回路からの逸脱、(10)公権力に浸透しようとする企て
私は、このうちの「(10)公権力に浸透しようとする企て」とともに、「(5)子供の囲い込み」にも危惧を覚えています。創価大学の卒業生の就職先で最も多いひとつが公務員で二〇〇四年の場合百十四人、そのうち小学校教員八五人を含む九八人が教員になっています。
過去に茅ヶ崎においては、平成十六年五月五日に茅ヶ崎市市民文化会館において、市立北洋中学の吹奏楽部・OBが創価学会歌を歌わされたことを問題として、市議会に陳情があったが、茅ヶ崎市平成十六年第二回定例会(平成十六年六月二日〜二十二日開催)に於いて茅ヶ崎市教育経済常任委員協議会が以下の四項目について審査し、いずれも反対が賛成を大幅に上回り不採決となりました。
『ちがさき市議会だより』NO.149
平成16年7月31日発行
http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/newsection/gikaijimu/tayori/chigikai149.pdf
審査した陳情の内容 十六ページ目
陳情第12号 「義務教育で絶対に[創価学会歌]を生徒指導しないよう求める陳情」・・・不採択
陳情第13号「市内公立中学校が生徒に[創価学会歌]を指導していた事実を、 市は認め、生徒・保護者及び市民に対し、説明と謝罪をするよう求める陳情」・・・不採択
陳情第14号「市内公立中学校が、生徒に創価学会歌を指導していた事実を、全く把握していなかった校長と教育委員会を[職務怠慢]として処分するよう求める陳情」・・・不採択
陳情第15号 「生徒に消化学会歌を指導した教員を[勤務時間中の宗教活動]を行ったものとして懲戒処分するよう求める陳情」
・・・不採択
子供は何も染まっていないだけに染まりやすいと思うのです。それがたとえカルトであっても。私には、あの麻原に翻弄された哀れなオウムの子供たちの映像が、今の創価学会の子供に重なります。(同時に麻原と池田・・・飲食厳禁→お下げ渡し)
今日は身体がかったるいので、出かける予定だったのを止めて、一日中部屋にいました。風呂に入り、そのまま、早く寝る。
創価学会の師とは
12月14日日曜日晴れ ○
略)
初代
そして二代から託された
この大いなる夢を
第三代は完璧に実現した。
私自身に後悔は無い。
命に及ぶ大難を
受け切りながら
先師と恩師の構想は
すべて成し遂げたからだ。
略)
「不思議にも
創立者の世界一の
名誉学術称号の受章に
呼応して続々と
博士が誕生しています」と
会心の笑顔で喜ぶ
君たちの学園の先生がおられる。
略)
創価の三代は
教育で勝った。
人材で勝った。
学園で勝った。
学園生とともに
永遠に勝ち抜いていくのだ。
これは、平成二十年十二月八日の気違い新聞(聖教新聞ともいう)に掲載された池田大作氏の「わが学園生に贈る」と題された詩の一部です。ところで、命に及ぶ大難って、なんでしょう。まさか、選挙違反で捕まったこと?どうして、創価学会は池田氏までの三代だけなのでしょう。
自分で作ったと「される」詩に、ここまで自画自賛する人も珍しいと思います。まあ、掲載されている写真とともに、池田氏の厚顔無恥な人間性がよく現れた詩です。
同じ日の「全世界が創価の師弟を賞賛」と題された座談会もこれまたすばらしいものです。
原田会長
私がお会いした大企業のトップは、こう語っておられた。「人間の生き方を示す、池田名誉会長のスピーチに、とても感動しました。略」」
谷川副会長
東北の著名なマスコミ人は、こう讃えていました。「青年の成長を願う、池田先生の言葉に思わず目頭が熱くなりました。略」
佐藤青年部長
いずれも、全世界で大反響を呼んでいる。長年「潮」を愛読している、著名な財界人も感嘆していた。「これほど超一流の世界の識者が登場する雑誌は、ほかにはない。今や『潮』は日本を代表する月刊誌になりましたね」と力説しておられた。
すばらしい。どなたも「私がお会いした大企業のトップ」であったり、「東北の著名なマスコミ人」であったり、「著名な財界人」のお言葉だそうです。どうして、お名前が掲載されていないのでしょう???どうして〜
創価学会は初代の牧口常三郎氏、戸田城聖氏、池田大作氏、北条浩、秋谷栄之助、そして現会長の原田稔氏と六代にわたる会長がいますが、どういうわけか、名誉会長の池田大作氏だけが、「師」と仰がれているようです。
あほらし
スポーツセンターに行くつもりだったが、身体の調子がいまいちなので、店を片付けてさっさと帰る。
本を読んでいたら、気がついたら朝の九時半。寝る。
わざわざ感覚を鈍くする
12月13日土曜日晴れ×××
仕込みを終えて、午後からスポーツセンターに行く。途中、高田馬場にある芳林堂さんに寄り、数冊本を購入。この時、イヤホン(ヘッドホン?)をして立ち読みしていた学生っぽい人に「ちょっと、すみません」と言って、後ろから雑誌を棚から取る時に、いきなり後ろから手を延ばしたと思われたのか、ず〜と睨まれたので、ちょっとお話をする。
私の「ちょっと、すみません」という声が聞こえなかったのだろうが、常に音楽を聞きながらいなければいけないものだろうか。
常に自分の世界に入れるからだろうか。結構危険なことってあるのじゃあないだろうか。目、耳、鼻などは人間が生活する上で危険から身を守る大切な感覚の一つだと思う。不自由な方は大変でしょう。それをわざわざ、健常者が外で活動する時に鈍くする必要があるのだろうか。
スポーツセンターではあまり時間がなかったので、明日も来るつもりで、胸部と腹筋、背筋のみのメニューを消化。
Oさん来店。先日、御迷惑をかけたラーメン屋さんのマスター二名様で来店。トレーニングの話題で盛り上がる。二名様来店。アンコウ鍋を御注文いただく。魚を使った鍋をあまり普段食べていない方が多いのか、男女問わずそれなりの年の方でも魚の骨つきの部分等は食べ方が汚い人が多いが、今回、初めて御来店頂いた若いお二人でしたが、女性の方も男性の方も魚の食べ方が非常にきれいだったのに感心いたしました。Mさん、Tさんと来店。大台さん二名様で来店。Hさん来店。遅い時間に金ちゃん、マロさん三名様で来店。
早い時間からドンチャン。記憶無し。今日は椅子ではなく、床で寝ていました。
義侠 慶の垂直
12月12日金曜日晴れ △
来年の2月も飲んべえの会を開かせていただきます。
今回は愛知県の義侠による飲んべえの会です。
義侠は、私にとり非常に思い入れのある酒のひとつです。平成二年の暮れに初めて長谷川酒店に伺った時に、長谷川浩一氏よりすすめられたのが、「義侠六〇BY三〇%」でした。翌年三月、義侠の蔵元の山田社長を紹介していただき、それ以降、非常にお世話になっています。
義侠の「慶」(よろこび)は四〇%精米の三年古酒をメインに違う年度の四〇%精米の酒をブレンドして造る酒です。同じく三〇%精米の古酒をブレンドして造る「妙」が平成六年に発売されるまで、義侠の最高酒でした。
日時 平成21年2月8日 日曜日
午後3時より午後6時まで
会費 女性13,000円 男性15,000円
定員 15名様
出品予定酒
NO.1 | 義侠 慶 平成6年発売 純米大吟醸 40% |
NO.2 | 義侠 慶 平成7年発売 純米大吟醸 40% |
NO.3 | 義侠 慶 平成8年発売 純米大吟醸 40% |
? | ? |
NO.4 | 義侠 慶 平成9年発売 純米大吟醸 40% |
NO.5 | 義侠 慶 平成10年発売 純米大吟醸 40% |
NO.6 | 義侠 慶 平成10年発売 純米大吟醸 (開栓違い) 40% |
? | ? |
NO.7 | 義侠 慶 平成20年発売 純米大吟醸 40% |
NO.8 | 義侠 平成20年発売 純米大吟醸 40% |
今回も義侠蔵元である山忠本家酒造の山田社長も御出席いただける予定です。
お時間がございましたら、ぜひ御参加ください。
軽いおつまみは用意させていただきます。
なを、事故などにより出品酒が一部変更になる事がある可能性がある事を
ご了承ください。
御出席いただけるお客様は、メール、またはお電話にてお知らせください。
河岸から帰ってきて、仕込みを早めに終えてスポーツセンターに行くつもりが、いつも通りに仕込みが終えるのが営業ギリギリになる。
Mさん三名様で来店。初めてのお客様二名様来店。
金曜日だというのに、ヒマ。
池田大作と新彊
12月11日木曜日晴れ △
河岸でただで配られているキチガイ新聞(聖教新聞ともいいます)の今週の月曜日の第一面は、「中国解放三十周年の国際大会」で「池田名誉会長の漢詩を発表」というものでした。
池田大作氏が新彊の友好交流の発展に多大な貢献とし、招待状が送られた事に対し、大会を荘厳した増詩をし、それに対し感謝状とあり、本文には「名誉会長は、法華経伝来に大恩ある同地域の人々と友誼の語らいを広げ、深い歴史、豊かな文化を大きく宣揚してきた」と書いています。
池田氏が新彊に対して「実際に」どのような貢献をしたのかは私は存じませんが、その池田氏よりの漢詩とは「新彊頌」(新羅をたたえる)と題された漢詩だそうで、その中にはご丁寧に「民族和諧萬家富強」(諸民族が平和に暮らし、人々が強く富んでいる)という言葉まであります。
支那が新彊ウイグル、チベットなどにおいて、どのような暴挙をしているかご存じないのであろうか。
多才な「はずの」池田大作氏がこの漢詩を「本人が」作ったとしても、あまりにも醜いといわざるをえない。
そもそも、「新彊」とは清朝から見た呼び名であり、『新しい領土』を意味し、侵略されたウイグル人の人々から見からは新彊を讃えられても嬉しくもないだろう。
世界平和、人権を常々言ってこられた池田氏、創価学会ですが、在日朝鮮人の人権にはうるさいが、支那の他民族に対しての暴挙に、抗議の声をあげる事はない。池田氏が人殺しの胡錦濤と喜んで会う事があっても、ウイグルの母と言われているウイグル人女性人権活動家、ラビア・カーディル氏に会う事はないでしょう。まあ、ラビア・カーディル氏が来日時には福田政権および小沢民主党も醜い扱いでしたが。
あほらし
清水さん来店。この時期恒例のご自分に対してのご褒美としての磯自慢三五%からドンチャン。小胡子さん来店。大台さん二名様で来店。一名様来店。このお客様を中心として「鉄ちゃん」にて盛り上がる。私自身は鉄道には詳しくありませんが、こういった話は面白い。淡路島にも私が小学校の時までは単線の鉄道が走っていましたが、その時代の線路図が描かれていた淡路島をふくんだ地図をお持ちだったのには驚いた。
今日は記憶あり。
日本国際貿易促進協会
12月10日水曜日晴れ ○
「中国の黒いワナ」(別冊宝島Real 二〇〇七年九月刊)に、青木直人氏の記事として、あの売国奴河野洋平が、平成一八年(二〇〇六年)一二月、支那に日本国際貿易促進協会(国貿促)会長の身分でいき、河野氏の今の御主人様である胡錦濤より命令されて作ったのが「北京オリンピックを支援する議員の会」ですが、その日本国際貿易促進協会の主要役員名が掲載されています。
以下引用
肩書き | 氏名 | 所属組織・役職 |
会長 | 河野洋平 | 衆議院議長 |
副会長 | 高垣佑 | (株)三菱東京UFJ銀行・特別顧問 |
副会長 | 金井務 | (株)日立製作所・相談役 |
副会長 | 川上哲郎 | 住友電気工業(株)・相談役 |
副会長 | 藤原菊男 | (株)島津製作所・相談役 |
副会長 | 増田信行 | 三菱重工業(株)・相談役 |
副会長 | 岡部政彦 | 日本通運(株)・代表取締役会長 |
副会長 | 宮総濮平 | 三井金属工業(株)・代表取締役会長兼CEO |
副会長 | 森稔 | 森ビル(株)・代表取締役社長 |
副会長 | 半林享 | 元双日(株)・特別顧問 |
副会長 | 岡村正 | (株)東芝・取締役会長 |
副会長 | 立石義雄 | オムロン(株)・代表取締役会長 |
副会長 | 大橋洋治 | 全日本空輸(株)・代表取締役会長 |
副会長 | 渡文明 | 新日本石油(株)・代表取締役会長 |
副会長 | 秦喜秋 | 三井住友海上火災保険(株)・取締役会長 |
顧問 | 橋本岳 | 衆議院議員 |
顧問 | 佐藤嘉恭 | 元中国大使・東京電力(株)・顧問 |
顧問 | 小柴和正 | (株)伊勢丹・代表取締役会長執行役員 |
顧問 | 根本二郎 | 日本郵船(株)・名誉会長 |
顧問 | 渡膕五郎 | フォレストオーバーシーズ(株)・代表取締役社長 |
顧問 | 谷泰宏 | (株)谷事務所・代表取締役 |
顧問 | 藤野文唔 | 亜細亜大学顧問 |
顧問 | 森田堯丸 | 元協会副会長、元理事長 |
理事長 | 中田慶雄 | ? |
青木氏のこの論文には、日本国際貿易促進協会とは一九五四年に支那を中心とした当時の社会主義国との貿易を目的として、日本共産党の指導の下に誕生した経済団体だそうで、当時、主要幹部はいずれも共産党員だったそうです。
その日本国際貿易促進協会の設立目的は、支那との貿易を通じて得た利益やコミッションを日本共産党に、支那共産党からの合法的資金援助として行うことだったそうです。
それが、文化大革命により支那共産党と日本共産党との間に生じた対立により、日本国際貿易促進協会(国貿促)も、日本共産党から分派の支那派勢力の影響下に入り、そのまま国交正常化、そして、支那の改革解放経済シフトにより、日本のトップ企業も参入。このように変わってきたが、現在でも「友好七団体」のうちのひとつで、支那政府に忠実な姿勢には変わりがないことが記されています。
売国奴・河野洋平氏の姿勢に振れはありません。
今日は河岸が休みなので、スポーツセンターに行くつもりが、今朝までの酒がひびき、その元気もなく営業に突入。メチャヒマで、今年三日めのお茶ピーかと思っていたら、一名様来店。そのあとにBさん来店。
営業終了後、さっさと帰る。今日、帰りにお世話になったタクシーの運転手さんは、再婚して、お子さんができたので、ハイヤー勤務からタクシー勤務に希望して移してもらったそうな。でっ、お年を伺うと五九歳・・・・・・
本を読んでいて、そのまま寝てしまう。
12月9日火曜日くもりのち雨 ×××
サルコジ仏大統領が、ダライ・ラマとの会談について、支那の批判一蹴というニュースが先日ありましたが、こういうニュースを伝え聞く度に、我が国政治家との差を感じざるを得ません。
【ベルリン6日時事】欧州連合(EU)議長国フランスのサルコジ大統領は6日、ポーランド北部グダニスクで行われたチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世との会談について、「仏大統領として、EU議長国として、わたしには誰と会うかを決める自由がある」と述べ、会談に対する中国政府の批判を一蹴した。
(時事通信社 - 12月07日 11:01)
我が国にはダライ・ラマ十四世は何度もいらしています。
今年も四月に訪米途中に立ち寄っていますが、その時に、安倍晋三前首相の昭恵夫人が成田空港近くのホテルで面会したのみですが、それを、大騒ぎしているマスコミをあるほどです。当時の首相が福田康夫氏だったこともあるのでしょうが、「わたしには誰と会うかを決める自由がある」という同じ言葉を我が国の指導者に求めるのは無理なのでしょうか。
今日は雨の中、多くのお客様ご来店。小胡子さん、Booちゃん来店。四名様来店。Hさん来店。Oさん来店。K@京城さん来店。Iさん来店。
営業終了後、Iさんと中野の「石松」さんに伺う。ドンチャン。記憶はあり。
朝鮮民族の特質
12月8日月曜日晴れ
朝方帰宅。起きたら一〇時過ぎていました。シャワーを浴びて、食事をしてから銀行に行き、帰りに古本屋さんに寄る。探していた「写真で知る 韓国の独立運動」(李圭憲著 高柳俊男・池貞玉訳 国書刊行会 一九八八年)の下刊があり購入。上巻は随分前に、これも古本屋さんにあったので購入したが、その時は下巻は一緒に無く、探していたものでした。
「日本軍正規旅団三三〇〇余名を大韓独立軍は全滅させた」と「される」青山里大捷、「日常語も含む朝鮮語の全面禁止」などと写真、絵画に添えられているキャプションの内容や、「日本が犯罪を犯した期間は朝鮮民族の苦難の期間と一致する。日帝支配下の三六年間に朝鮮民族が経験した受難は、人類史上類例のないものであった」などと書かれている文章は予想通りですが、資料としてある意味貴重です。笑えますが。
そんな強い朝鮮独立軍が独立運動を続けながら、我が国が米軍に敗戦するまで三五年間も独立できなかったり、人類史上類例のないほどの受難を受けていながら、人口が倍になる朝鮮人の生態とはなんなのでしょう。
「発行にあたって」という箇所に書かれている「一〇〇年前を願みるとき、ただ日本の罪があるだけで、朝鮮民族には何の過ちもない。」という著者による言葉が、私は朝鮮民族というものをよく現しているのではと思います。
今日は後は部屋でゴロゴロして一日が終わる。酒は飲まず。
飲んべえの会「磯自慢」
12月7日日曜日晴れ ×
午後三時より、当店の飲んべえの会。今回は静岡の人気蔵元「磯自慢」。
二時半ごろに、磯自慢の寺岡社長。醴泉の山田社長。そして、なんと美丈夫の濱川社長も御来店。こんな小さな店の飲み会に三人もの蔵元さん。
ありがたいことです。
一五名様ものお客様に御参加いただき、まず乾杯は今年のサミットの乾杯酒である「磯自慢中取り三五%」。
後はいつも通りにドンチャン。追加で開いていた磯自慢多田信男を出して、それも空いてしまって御開き。一本も残りませんでした。
終了後に、蔵元さん、Tさん、Sさんと早稲田通りにあるラーメン屋さん。ここで、アホウカップルとトラブル。
高田馬場にあるカヴェルナさん、中野の石松さんをハシゴ。その後、店に戻り洗い物、包丁を研いで。生ゴミを出して帰ると夜があけていました。
本日、御参加下さいました皆様ありがとうございました。
本日の出品酒
NO.1 | 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% |
NO.2 | 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 2本 |
NO.3 | 磯自慢 純米大吟醸 愛山 40% 2本 |
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NO.4 | 磯自慢 大吟醸 山田錦45% |
NO.5 | 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50% |
NO.6 | 磯自慢 大吟醸 愛山50% 2本 |
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NO.7 | 磯自慢 大吟醸 水響華 山田錦50% |
NO.8 | 磯自慢 純米吟醸 山田錦 |
NO.9 | 磯自慢 吟醸 山田錦 |
磯自慢中取り35
12月6日土曜日晴れ △
今年の磯自慢中取り35が届く。 Oさん三名様で来店。Yさん来店。 営業終了後に高円寺のイタリアンにてマルガリータさんとドンチャン。 記憶はあり。 |
坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」にみる占領軍の検問
12月3日水曜日晴れ △
坂口安吾という文豪の名前で何を思い浮かべるであろうか。有名なのは「堕落論」であろう。「特攻隊に捧ぐ」などという文章を思い浮かべる人は少ないでしょう。これは「ホープ」という雑誌の昭和二十二年二月号に発表されたものですが、GHQの検問により全文掲載禁止とされました。
<数百萬の血をささげたこの戦争に、我々の心に○○高めてくれるような本當の美談が少ないということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於て、たとへば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせてやろうといふやうな非人間的なものであるから、眞に人間の魂に訴へる美しい話が乏しいのは仕方がないことであらう。
けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは當然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釋するのは決して健全なことではない。
たとへば戦争中は勇躍護國の花と散つた特攻隊員が、敗戦後は専ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃は殉國の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまつたが、かう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、・・・死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉國の情熱といふものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散つた尊厳を敬ひ愛す心を忘れてはならないだらう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正體を見破り自省と○明日の○○の足場とすることが必要であるが、同時に戦争の中から眞○の花○をさがして、ひそかにわが部屋にかざり、明日の日により美しい花○をもとめ花咲かせる努力と希望を失つてはならないだらう。
私はだいたい、戦法としても特攻隊といふものが好きであつた。人は特攻隊を残酷だといふが、残酷なのは戦争自體で、戦争となつた以上はあらゆる知能万策を傾けて戦ふ以外に仕方がない。特攻隊より○にみぢめに、あの平野、あの海○、あのヂャングルに、まるで泥人形のやうにバタバタ死んだ何百萬の兵隊があるのだ。戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思ふ。
戦法としても、日本としては上乗のものだつた。ケタの違ふ工業力でまともに戦へる筈はないので、追ひつめられ
中略)
人の子を死へ駆りたてることは怖るべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語道断で工業力と作戦との結び方すら組織的に○○されてはおらず、有力な新兵器もなく、ともかく最も獨創的な新兵器といへば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなふための最も簡便な工程の操縦器であり計器である。
(中略)
彼らは自ら爆弾となつて敵艦にぶつかつた。否、その大部分が途中に落とされてしまつたであらうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の榮譽ある姿と見てやりたい。母も思つたであらう。戀人のまぼろしも見たであらう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであつたかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向つて歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにゐられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにゐられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に戀々とし、世の誰よりも戀々とし、けれども彼等は愛國の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人といふ。唄う必要はないのである。詩人純粋なりといへ、迷はずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷ふ姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?
我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもらうではないか。軍部の偽瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であつたとしても、死と必死に戦ひ、國にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。
私は無償の行爲といふものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の減私奉公で、戦争中は○○○に至極簡単に言ひすててゐたが、こんなことが百萬人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駆つて至極簡単に奇蹟を行はせた。
略)
青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番に過ぎず、そして戦争は永遠に呪ふべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿つた「愛國殉國の情熱」が決して間違つたものではないことに最大の自信を持つてほしい。
要求せられた「殉國の情熱」を自○的な、人間自らの生き方の中に見出すことが不可能であらうか。それを思ふ私が間違つてゐるのであらうか。>
(坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」ホープ第二巻第二号 昭和二二年二月)
「抹殺された大東亜戦争」(藤岡寛次 明成社平成一七年)P三九四〜三九六
(一部は同書に掲載された写真より私が起こした文章ですので、間違いなどあるかもしれません。写真より判読できなかった箇所は○○にしてあります。)
私は、この坂口安吾の文を読んだ時、「特攻隊の勇士はただ幻影であるに過ぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないか」と著書「堕落論」に書いた同一人物の文章とは思えないものであり、感動的な名文であると思いました。
あの名書「閉ざされた言語空間」を書かれた江藤淳氏はその著書に「今日の日本に、あるいは平和もあり、民主主義も国民主権もあるといっていいかもしれない。しかし、今日の日本に、自由は依然としてない。」と書かれています。
我が国政府が、社会主義者が亡国のためにつくった「村山談話」などという戯言を否定できないということは、この坂口安吾の名文が全文掲載禁止とされた昭和二〇年代から六〇年以上たった現在も、江藤氏の言葉のとおり、GHQの呪縛から逃れられていないようです。
昨日暇だったので、河岸には行かず。午後に部屋からスポーツセンターに直行。水曜日としては時間たっぷりなので、いろいろなメニューを消化。みなさんから平日にゆっくりとは珍しいですねとお声がかかる。
ここしばらくはスロートレーニングなので、ベンチプレスの場合は、アップのあとは八〇キロを五秒かけて上げて、五秒かけて下ろす。それをできるだけ(現在は七〜八回ほど。できる回数が増えるとウエイトを上げる。)。七五キロを同じくスローでできるだけ。七〇キロをスローできるだけ。最後に六〇キロを普通にやりできるだけ。インターバルは一分。毎セットできるだけの回数をやり、最後は絶対に潰れるというより潰れるまでやらなければいけないので、補助の人が必ずついてもらう必要があるのが難点。スロートレーニングは使うウエイトが軽くて済むために、肩などを傷める確率が非常にひくくなるのと、オールアウトするためにセット数が少なくてすみます。(普通にベンチプレスをやるとインターバル二〜三分、長い人はもっととりますので、アップを入れて一〇セットほど消化する人が多いので三〜四〇分以上はかかります。)
義侠の山田社長、美丈夫の濱川社長にお礼の電話をする。
義侠の飲んべえの会(慶の垂直)は来年の二月八日に決定。
今日は珍しく忙しい。小胡子さん来店。四名様来店。一名様来店。Oさん二名様で来店。酔狂師さん来店。
ドンチャン。どういうわけか記憶あり。珍し〜
岡本行夫
12月2日火曜日晴れ △
「中国は穏やかになってきた」産經新聞一一月三〇日の一面に「人界観望楼」と題されたコラムの題名です。
岡本氏は田母神氏の論文に賛成できないとし、中国の対日感情はよくなってきたとその理由として、ご自分が外務省の依頼で支那に於いて講演したときの聴衆の反応だという。「日本軍が繰り返し爆撃した重慶」でも聴衆が温かかったとして、小泉首相の心情を説明し<どうぞ小泉さんを嫌いにならないでください>と結んだら、拍手が起こって驚いたそうです。
そして、<貧しい中国は何をするか分からないと何度も聞かされた。それから一〇年以上。時代は変わった。中国は猛烈な速度で豊かになり、廈門は瀟酒な海岸都市になった。人口三〇〇万人。町の美しさは世界でも屈指だろう。豊かになって余裕をもった中国人が金門島を見る目は穏やかだ。勝負はついた感がある。
日本の対中感情は良くない。中国にケチをつけるのが流行になった。村山談話を修正しろという議論も増えた。「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さねばならない」と。過去の過ちを認めた途端に、今の日本に誇りを持てなくなるのか。
日本は成熟した国だ。そろそろ中国の悪口を言うのも、過去の話ばかりするのも止めて、前を見ないか。中国とも余裕をもって向き合うときだと思うのだが。>
その前日(一一月二九日)の同じ産經新聞の同じ場所に掲載された東亜春秋という編集委員の山本勳氏のコラムは「手ごわさ増す中国微笑外交」と題されたものでした。
<世界金融危機を契機に中国が国際社会で存在感を高めている。略)しかし、中国が軍拡やチベット、新羅ウイグルの民族抑圧を続ける膨張志向の独裁国家である現実が変わったわけではない。日本は中国が微笑の裏に秘めたしたたかな戦略を読み取り、独自の多角外交を展開すべきだ。
略)
だが、胡主席や温家宝首相の微笑外交には注意を要する。相手国の警戒心を解き、中国がアジア太平洋の覇権獲得をめざして急軍拡や台湾統一工作を着々と進めている厳しい現実を忘れさせるからだ。
チベット、新羅ウイグルの両自治区では一触即発の緊張が続いている。中国はダライ・ラマ一四世との対話を再開したが、チベットの自治拡大には一切応じていない。
にもかかわらず、かって「中国は戦略的競争相手」と警戒心をあらわにしたブッシュ米大統領は「米中関係は過去最良」(八月の訪中時)と様変わりだ。
略)
日中間では六月に東シナ海ガス田共同開発で合意したが、中国が最終文書の作成を渋っている。日本近海における中国海軍の行動はますます活発化している。
江沢民時代に一段と改悪された反日歴史教科書は、そのまま学校で使われている。強大化する中国との間で解決を急ぐべき懸案が山積みしている。そのためにも、日米関係を最強化し、インドや韓国、ロシアなど周辺国との連携を強める必要がある。>
う〜ん、私は岡本氏のコラムを読んだときに朝日新聞のコラムかと思ってしまいました。岡本氏は外務省の依頼で、支那に行き、共産党支配下において、全くの一般人相手に講演してきたとでも思っているのであろうか。そして、その一般人が田母神氏の論文内容についてどれだけ知っているのであろうか。
村山談話が正しいとでも思っているのであろうか。まるで、相手の嫌がることはしないという今までの外務省の伝統そのままの言いぐさです。
「悪口を言うのも、過去の話ばかりするのも止めて、前を見ないか。」とは支那朝鮮に対して言って欲しい文句です。岡本氏は講演の聴衆者の態度がいいから穏やかになってきたと感じているだけです。そして、岡本氏の最後の言葉は、今でも戦後体制の呪縛から逃れられていない人間特有の匂いを漂わせています。
小胡子さん来店。ず〜とそのまま。電話もチリンとも鳴らず。ということで早い時間からドンチャン。遅い時間にHさん来店。
営業終了後、さっさと帰宅。記憶はめずらしくあり。
12月1日月曜日晴れ○
十一月十三日の社説で「ぞっとする自衛官の暴走」という社説を書いた朝日新聞、週刊朝日などが田母神論文を叩くのに今回使っているのが、秦郁彦氏、田岡俊次氏、保坂正康氏などのようです。秦氏は週刊新潮でもその役割を担っているようです。
週刊朝日十一月二十八日号で石破茂元防衛相が「田母神問題は文民統制の危機」と書いていたが、御自分が防衛大臣の職にありながら、支那の共産党系新聞に「大東亜戦争は日本が悪かった」「軟禁大虐殺はあった」「靖國参拝はしない」とか言ったほうが問題だろうに辞職もなにもしなかった御仁がこんなこと言えるのか。腐れ議員の典型。
そして、朝日新聞、週刊朝日、週刊新潮などは、今回の根底にあるあの我が国最悪の総理大臣村山富市の「村山談話」をどこも問題にしていない。
今朝は起きたの一〇時半過ぎ。風呂に入って、出てきて、つけっぱなしにしてあった昼ごろのテレビで、上沼恵美子と山口なんとかというゲストがブリの照焼きを食べる時に、左手を添えて手皿を作って食べていた。箸置きを使わずに、皿に渡し箸をしている人も多いが、この手皿をされる当店のお客様でも結構いらっしゃる。とくに女性の方は上品と思ってやっていらっしゃるのかも知れないけど。
夕方、出かけただけで終わる。
過去の日記