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大阪経済法科大学
文責はすべて酒たまねぎやの店主である木下隆義にございます。
朝鮮総聯系大学といわれる「大阪経済法科大学」の異様さ
平成23年2月16日水曜日晴れ △
大阪経済法科大学、昭和四十一年にパチンコとソープランド(当時はトルコ風呂)で儲けた金尚淑(キム・サンスク金沢尚淑)氏により設立された。
平成二十二年十二月現在に同大学のHPにて、朝鮮人教授、準教授、講師が確認出来るのは
法学部 教授13名中2名 15、4%
魏 栢良 大阪市立大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得
蔡 秀卿 名古屋大学大学院法学研究科 博士
準教授3名、講師2名中なし
経済学部 11名中4名 36、4%
金 哲雄 大阪府立大学大学院経済学研究科、経済学博士
朱 東平 大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学博士
崔 潤鎔 大阪市立大学大学院経営学研究科 経営学博士(大阪市立大学)
梁 官洙 大阪市立大学経済学博士課程 経済学修士
準教授 5名中1名20%
朴 宗彬 京都大学大学院経済学研究科博士課程修了 経済学修士(京都大学
講師4名中無し
教養科目 22名中10名 45、5%
呉 清達 大阪大学大学院工学研究科 工学博士(大阪大学)
高 博 大阪府立大学大学院農学研究科 農学博士(大阪府立大学)
宋 南先 ロンドン大学大学院 Ph.D.(ロンドン大学)
康 祥隆 大阪大学大学院工学研究科 工学博士(大阪大学)
呉 志賢 大阪府立大学大学院 工学研究科、博士(工学)
呉 満 文学碩士(国立ソウル大学校文理科大学大学院言語学科)文学博士(国立慶尚大学大学院国語国文科)
勝 英雄 大阪体育大学 体育学士
金 成秀 フランス・ニース大学 文学博士(ニース大学) 「朝鮮大学校OB(宝島30より)」
宋 在穆 英国ロンドン大学東洋アフリカ学部 言語学博士(ロンドン大)
洪 邦夫 大阪大学大学院理学研究科高分子学専攻 理学博士(大阪大学)
準教授 11名中2名 18、2%
高 東敬 関西大学大学院 工学研究科電気工学専攻修士課程工学修士(関西大学)
呉 紅敏 大阪府立大学大学院経済学研究科・経済学博士(大阪府立大学)
講師3名中1名 33%
朴 恵一 熊本大学大学院社会文化科学研究科教授システム学専攻 修士(学術)
その他外国人教授、準教授、講師
教授
バルダス・グスタボ 大阪市立大学大学院経済学研究科 経済学博士(大阪市立大学)
伍 躍 京都大学大学院文学研究科、文学博士(京都大学)
華 立 中国人民大学研究生院中国史(清史)学科
歴史学博士(中国人民大学)
準教授
姜 若冰 京都大学大学院文学研究科、文学博士(京都大学)
講師
クリストファー・カー Monash University--Rusden State College
教育学修士(B.Ed)
このように、外国人教授、準教授、講師がたった五名であるが、教授に関しては、四十六名中十六名の約三十五%が朝鮮人である。
特に教養科目は四五・五%もの教授が朝鮮人、あるいは朝鮮系です。
我が国における在日朝鮮人の割合からみて、我が国の大学として異常な数値というだけでなく、朝鮮総聯に属している人物が多いそうです。
そして、我が国の文科省よりの私学助成金を一度も受け取っていない。
これはどういう事か。助成金を受け取れば、それだけ大学に対しての審査も厳しくなる。
此の大学を取材した後に怪死したジャーナリスト金武義(きむ・むい)氏の「疑惑の北朝鮮『付属』大学大阪経法大は朝鮮総聯のスパイ拠点か!?」と題した「宝島30 一九九五年八月号」には下記のような記事が掲載されている。
以下引用
学園浸透スパイ事件
一九七〇年代、韓国では在日朝鮮人を交えた「北朝鮮のスパイ事件」の摘発が相次ぎ、日本ではそれに対する救援運動が盛んだった。
もっとも有名なものがいわゆる「徐兄弟事件」だろう。今も終わらない民衆不在の南北対立が、もっとも激化した時代だった。
救援団体が発行した資料を見ると、他にも「基幹産業スパイ団事件」「大物スパイ団事件」「統一戦線形成スパイ団事件」「学園浸透スパイ団事件」等と、おどろおどろしいネーミングを施された事件が多数列挙されている。
七〇年代当時の朝鮮総聯社会では、「スパイ事件」はまったく架空の話ではなかった。当時、朝鮮総聯組織ないしはその周辺で、対南工作(=スパイ)活動に勧誘された経験がある者は、決して少なくはない。
現・経法大副学長(教養部教授)の呉清達(オ・チョンダル)氏は、このうちの「学園浸透スパイ団事件」(または、発表された日付をとって一一・二二事件ともいう)の首謀者として韓国当局に名指しで指弾されている。呉氏は大阪大学工学部に学び船舶工学を修めた人で、後に工学博士となった。
学園浸透スパイ団事件は、七五年に摘発された。主に関西出身の在日留学生十八名が逮捕され、七七年三月までに三名の死刑を含めて全員の有罪が確定する(後に減刑)。規模の大きさから言えば、数あるスパイ事件でも有数のものである。
『東亜日報』など韓国の日刊紙の報道によれば、逮捕された在日の青年たちは六八年からたびたび極秘に入北し、朝鮮労働党の党員となり、対南工作教育を受けていたという。
彼らはその後、留学生として韓国に渡り、学生生活を送るふうを装いながら、金日成主義による反体制地下組織を広げていった。もちろん目的は「赤化統一」−−韓国政府を打倒し、北朝鮮主導の革命を起こすことだった。
判決文には、彼ら工作員のオルグ・教育に携わった黒幕として、朝鮮総聯活動家ら十三名の名前が挙げられている。これら「指導員」の筆頭であるとされたのが、他ならぬ呉清達氏なのである。呉氏は、阪大在学中は朝鮮総聯の傘下団体である留学同(=在日本朝鮮留学生同盟)、卒業してからは同じく科協(=在日本朝鮮科学技術協会)に属した、総聯の第一線の活動家だった。
六八年、北朝鮮から導入した工作員たちが、大統領官邸を襲撃したいわゆる「青瓦台事件」を契機に、韓国政府は全国民に対し在民登録法の改正を実施した。もちろん、工作員の浸透を防ぐための政策だった。これにより、それまで韓国国内へ直接スパイを派遣していた北朝鮮は、朝鮮総聯を利用して日本経由でスパイを送り込む方法を採るようになっていった。
当時、朝鮮総聯活動家の間では「鳩を飛ばす」という隠語で、対南工作活動を表現していた。その実態は、韓国渡航を不自然に思われない民団系あるいは日本に帰化した同胞たちをスパイに仕立て、送り込むことだった。
韓国の反共法は、言論の自由を根底から否定したもので、これに基づいて摘発されれば死刑の可能性があることも周知の事実だった。つまり朝鮮総聯活動家たちは、将来のある若者を「祖国統一」の美名のもとに平然と死地に追いやっていた、いわば確信犯だった。そして経法大副学長の呉氏もまた、自らの手で「鳩を飛ばして」いたと疑われている(もちろん彼は、マスコミの取材などに対し、まったくの事実無根であると主張している)。
現在も韓国領事館サイド(すなわち領事館を通じて情報収集を行なう国家安全企画部サイド)が経法大の動きにナーバスなのは、副学長の要職にある皆が(韓国当局の認識では)かっての国家破壊策動者だったからである。
略)
「信じられないでしょうが、初代事務局幹部には、佐々木組(後に一和会に属した広域暴力団)の人間が就任したくらいです」
学生や教員がこのような事態を容認するはずもなく、スタート早々経法大は紛争に揺れる。事態の収拾にウンザリした金沢氏は、大学を手放そうとさえ考えるようになる。「せっかく在日同胞が作った大学なのに、あまりにもったいない−−それが大学に関係していた同胞の氣持ちでした」
朝鮮総聯は、中央から最高幹部を大阪に派遣して、金沢氏に翻意を迫った。朝鮮総聯の動きに対抗し、韓国民団も有力商工人たちで金沢氏を開む懇談会をつくり、脱得に当った。やがてそれは、学生を蚊帳の外に置いたまま南北の主導権争いとなってゆく。とりあえず事態が収まったのは、在日社会では、"名言”とされている、尹氏の次の宣言である。
「この大学は、同胞の手によって築かれた、いずれは統一した祖国に捧げるべき民族財産です。ここは一番、皆さんで力を合わせて守ってゆきましょう」
なるほど在日にとっては名言かも知れないが、そこに日本の若者たちが学ぶ高等教育機関であるという意識は微塵もない。初老氏は語る。
「金沢さんの子息の家庭教師をしていたのが縁で大学に入ってきたのが呉清達氏でした。金沢さんは八五年十月に亡くなり、以後、経法大の経営は子息たちが引き継ぐ。若い彼らに代わって実権を握ったのは呉氏です。それから経法大は在日同胞の財産ではなく、露骨に北朝鮮勢力に占拠されることとなりました」
北朝鮮勢力と決めつけるのはともかく、金沢氏の死後、呉清達氏の影響力が強くなっただろうことは、例えば学校法人登記簿からも見てとれる。
呉清達氏白身は、八一年二月に理事に就任しているが、創立者の死去前後からかつての教え子てある二人の子息−−金俊行(キム・ジュネン 金沢俊行)氏、金俊孝(キム・ジュンヒョ 金沢俊孝)氏が理事に就任する(ちなみに、兄弟は他にもいる)。そして、それ以降、それまでの理事名簿には名前のなかった人物たちが相次いで登場してくるのである。
半年後の八六年四月七日には、科協に所属し、呉氏の腹心と目される教養部教授の南正院(ナム・ジョンウォン)氏が理事に就任する。そして、九三年三月にはやはり科協出身で教養部教授の高博(コウ・バク 石山博)氏が理事となる。こうして実に、八人の理事中過半数の五人を呉清達氏の影響が強い在日同胞が占めるようになった。
略)
現・千葉大学名誉教授の福尾武彦氏は、教養部教授として経法大に五年間在職したことがある。福尾氏は、「私はもう経法大と何の関係もないし、取材に答えたことで失うものは何もないですから」と、今回の取材でただ一人実名で答えてくれた。
「学内では、呉清達氏をはじめ幹部の皆さんが北朝鮮系列であることは周知の事実でした。そして、その理事会の専横が強い非民主的な学校でしたね。私はいくつかの事例で、これはおかしいなと痛感しました」
略)
バラ捲かれた怪文書
九三年、主に西日本の少なくない高校に三通の差出人不明のワープロ怪文書が送りつけられた。いずれも「大阪経済法科大学特集!」と銘打って、ふざけた調子で徹底的に大学をこき下ろしている。
略
「(経法大は)国際交流の一環としてルーズベルト大学(中略)北京大学の各語学セミナールと姉妹校提携を結んだ。同大学の朝総連グループは、これを基盤にソウル大学との姉妹校提締を積極的に図っている。同グループは、表向きにはソウル大学との提携によって大学株を上げることとしているが、真のねらいは対韓工作の拠点作りではないかと関係機関では見ている」
ここに出てくる「韓国民主回復統一促進国民会議」(略称・韓民統)とは、七〇年代に韓国民団から分裂した在日政治団体のことである。反共・軍政反対・民主化要求・在日政治犯釈放を一貫して運動方針として掲げ、一定の成果を挙げてきた。
現在は在日本韓国民主統一連合(略称・韓統連)と改称し、反共主義は保ったまま「民族和合」を謳い朝鮮総聯との共同歩調をとることが目立ってきている。
故・金沢理事長の子息たちは、韓民統青年組織の最高幹部だった。韓国の公安が経法大に対して警戒を緩めない根拠の一つは、呉清達氏らバリバリの朝鮮総聯活動家とともに、彼の影響下にある韓統連勢力の存在があるだろうことは疑いがない。
略)
平壌での大晩餐会
経法大には四つの付属研究所があり、その中でもっとも活発に活動しているのが「アジア研究所」である。大学としての専門にない社会学分野の研究所が充実しているのもおかしな話なのだが、ここは「朝鮮統一のための国際シンポジウム」をはじめ、いくつかの国際的規模のシンポジウム・学会を開催している。
「アジア研究所の研究員は、もう八割が学外の在日たちです。われわれ正規の教員の立つ瀬がありません」(現職教員)
アジア研究所で興味深いのは日本人著名学者のネットワークである。日本評論社から出版された「南北朝鮮統一論」(アジア研究所編)には、代表編者として、経法大経済学部教授の姜昌周氏(朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮社会科学者協会〈略称は社協〉に所属)とともに、立命館大学教授の関寛治氏の名がクレジットされている。
関氏はアジア研究所の研究員でもあるが、あまり一般には知られていない別の肩書きを持っている。金日成思想を学び、それを日本革命にも生かそうとする日本人たちのセクト−−いわゆる「チュチェ派」の重鎮なのだ。九四年二月に結成された「全国キムジョンイル著作研究会全国連絡協議会」顧問、そして「チュチェ思想国際研究所」の顧問でもある。このセクトの特徴は、金日成・金正日に「絶対の忠誠を誓う」文書をたびたび採択していることだ。
アジア研究所は、韓国からも多数の学者を日本に招いているが、韓国公安筋に聞くと、「韓国の学者と言っても、どうせそういう傾向で有名な人ばかりじゃないですか」
と言い放った。
「要するに、アジア研究所が経法大のミソなんですよ。北朝鮮勢力の主導で、韓国内左翼に影響力を行使している。経法大の政治的疑惑は、アジア研究所の動向を見て初めて理解できるんです」(現職教員)
一方で、呉清達氏はますます北朝鮮との連携を深めている。
「呉清達氏はしょっちゅう平壌に行っている、大VIPです」(初老氏)
九一年の夏、祖国訪問で北朝鮮を訪問した複数の在日同胞たちは、呉清達氏一行が主催した大宴全を目撃している。平壌一の高級ホテル・高麗ホテルで行なわれたその晩餐会には、百名以上が出席していた。かの国の庶民にとっては夢のまた夢でしかない山海の珍味がテーブルにところ狭しと並べられ、酒も各種取り揃えられた華やかなものだった。名目は、経法大と提携している朝鮮社会科学院との交流である。呉氏はしばらく高麗ホテルに滞在し、連日ゴルフに精を出していた。在日同胞たちは、平壌における彼の権勢に驚嘆した。そして、その権力の源泉が、経法大からもたらされる莫大な利益にあるのではないかと囁きあった。
引用終わり
このようにホームページでも確認出来る現・経法大副学長であり教養部教授の呉清達氏は、北朝鮮の現役工作員であり、「学園浸透スパイ団事件」の首謀者として韓国当局に名指しで指弾された「指導員」の筆頭であるとされたのが呉清達氏なのである。
呉氏が阪大在学中に属していた朝鮮総聯の傘下団体である留学同(=在日本朝鮮留学生同盟)、そして、卒業してからは同じく科協(=在日本朝鮮科学技術協会)に属すという総聯の第一線の活動家である。
留学同、科協とも既に何度も書いて来ているが、犯罪組織朝鮮総聯の傘下であり、犯罪国家北朝鮮の手先である。
続く
写真は先日写した赤城神社内にあるお稲荷さん。
手水には「心洗」と刻まれているが、この手水で清める事はできない。
清めるための肝心の水が溜められていないからである。
出来上がったばかりであるが、空のままでここに水が溜められた事はない。
形ばかりで、神に仕えるという魂のない現在の神職の姿がよく現れている。
今日は早い時間からお客様がいらしてくださる。
Nさん@京都さん二名様で来店。
Nさんはめぐろのしみずさんの高校の後輩になるそうな。
Kさん来店。
さぶちゃん来店。
初めてのお客様、チャリンコで来店。
ホロン部員Yさん来店。
髭が無くなってたぞ。
Mさん二名様で来店。
今日は軽く飲む。
当然、記憶あり。
猿よりマシ。
「大阪経済法科大学」の異様さ2
2月17日木曜日晴れのち雨 △
そして、このような大学に元NHK記者である吉田康彦氏なども教授として在籍(現在、同大学アジア太平洋研究センター客員教授)しているだけでなく、そのアジア太平洋研究センター所長は猪口邦子議員の師である武者小路公秀氏であり、同時に武者小路氏は金武義氏の記事に出てきたチュチェ思想国際研究所の理事でもある。
反日活動で有名な売国奴・内海愛子女史も同じく大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員教授です。
それだけでなく、これまた反日国会議員どもが多く教授として抱え込まれている。
<北スパイ疑惑の大阪経法大 客員に国会議員八人 >これは 「週間文春」九十九年11月11日号に掲載された記事で、大阪経済法科大学で八人の国会議員が客員教授として報酬を受けていたことを暴露している。
文部省からも客員の大幅超過など管理・運営に「問題あり」と指摘されている同大に、客員教授と名を連ねる八人の国会議員は、
岩國哲人 (民主党)
仙谷由人(民主党)
中野寛成 (民主党)
樽床伸二 (民主党)
山本孝史 (民主党)
齋藤勁 (民主党)
谷畑孝 (自民党)
中村鋭一 (自由党)
(いずれも平成十一年当時の所属政党)
いずれも報酬は一律月額七万円を受け取っている。
「橋本前首相の中国人女性スパイ疑惑」を追求するメンバーの一人の仙谷議員は、父母相手に記念講演をしただけで学生に一度も講義をしたことがない。
齋藤議員も一度も講義をしていない。
そして、その八人+一人が熊谷貞俊(民主党)という人間のクズである。
熊谷氏のホームページには
<1979(S.54)年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員>
と客員研究員の事は書かれているが、どういうわけか北朝鮮放火大学もとい大阪経済法科大学客員教授の事は書かれていない。
そして、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会の委員でもありながら、昨年平成二十二年十一月四日に行われた衆院拉致問題特別委員会で、横田めぐみさんの父、滋さんら拉致被害者家族らが参考人として招かれ、意見を述べた時に、「無償化は子供たちを支援するもので、嫌がらせをすれば国の姿勢が問われかねない」と反論しただけでなく、質疑終了後も家族会メンバーに近寄ってきて、「こんな嫌がらせをするから、あなたたちはダメなんだ」などと、しつこく言いがかりを付けてきたという。
そりゃあ、そうだわ。国会議員のくせして、犯罪組織朝鮮総聯系大学の客員教授やってる人間のクズだもの。
電話がチリンとも鳴らず、今日はオチャッピーかなと思っていたら、Kさん兄弟来店。
でっ、遅くなって
金ちゃん、マロさん来店。
Mさん、侑さん来店。
初めてのお客様二名様来店。
Oさん三名様で来店。
と、大忙し。
ドンチャン。
記憶あり。