辛淑玉という在日朝鮮人の著書について

辛淑玉という在日朝鮮人の著書について
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


平成17年12月22日木曜日晴れ ×
 「韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本」(辛淑玉著・KKベストセラーズ1995)というのを古本屋さんで買って来て読みました。こんな女史の本に1100円も払いたくはないので、105円で売ってくれている古本屋さんの存在はありがたい。
 ある意味、在日朝鮮人の典型ともいえる存在であり、天然電波満載の辛淑玉女史ですので、この本も内容は期待を裏切りませんでした。ちょっと、内容の程度が低くアホすぎますが・・・・
 たとえば、
 朝鮮人の性格について
<ラテン的な民族です。歌舞音曲が好きですぐ踊りだすさまは中南米のようで、民族意識はフランス的、色使いや表現方法は極めてイタリア人に近いものを感じます。
 感情表現が豊かで、好き嫌いが明確で、嘘をついてもすぐ顔に出ます。
略)
 それに比べて平均的在日コリアンは、多少暗い印象があります。日本で抑圧されているからでしょう>
P24
 と記す辛淑玉女史に彼女の歪んだ性格を見るの私だけでしょうか。
まっ、ここでイッパツお約束の
中南米、フランス、イタリアの人々に謝れ・・・・W

 戦後補償については
<日本の植民地支配における、処理されていない補償の問題です。
 一般には、戦後補償には、「国家補償」と「個人補償」の二つがあります。
 略)
 当時、朝鮮人は、天皇の赤子として徴用され、戦後は一貫して「外国人」ということで、全ての補償から排除されました。
 一九九三年には、国連人権委員会から、国籍条項による排除は国連人権規約に違反しているので是正すべきであるという勧告がでているにもかかわらず、国籍を理由に旧植民地の人たちの補償を拒否しているのは、先進国では「日本」だけです。
略)
 その根底には、一人でも個人補償をすれば、際限がなくなると思っているのでしょう。
 しかし、反対に、際限がなくなるほどの支配だったといえるのです。
 日本における最も激しい内外格差は、「戦後補償の命の値段」といえるのかもしれません>
p30~31
 これも、辛淑玉女史らしいといえばそうかもしれませんが、大嘘満載です。
朝鮮人は我が国の朝鮮半島統治を具体的な根拠も示す事をせずに、虐殺、略奪と騒ぎます。では、日本の朝鮮併合が他国の植民地経営と比べてどこが醜いのでしょう。日本との併合がなければ、また大東亜戦争後の我国からの援助がなければ今の朝鮮があったとでもおもっているのでしょうか。
 辛淑玉女史の一番大きな嘘は、独立にあたり、宗主国から植民地支配に対する補償を貰った国はない事を明記していない事です。普通は接収資産について、逆に宗主国に補償しているのです。たとえば、インドネシアは独立にあたり、個人資産の補償のみならず、オランダが毎年の赤字補填のため発行していた国債の補償義務まで、すべて新生インドネシアの責任とされています。
 当時の国家予算の二倍以上にもなる我国が朝鮮に残した膨大な資産については辛淑玉女史は一切ふれていないのはどうしてでしょう。
(GHQの調べでは非軍事資産だけで、北朝鮮に約三十億ドル、南朝鮮二十三億ドル。その他軍事資産として北朝鮮十二億円、南朝鮮二十八億円もあった。一九四五年の我国の一般会計歳入は二百三十億円である。当時のレート一ドル十円としても国家予算の二年分以上である)
 中華民国が賠償金を放棄したのは、そうしなければ台湾、満州に残した莫大な日本資産に対して日本に補償しなければならない。そうすると、中華民国の日本に対して莫大な補償金の持ち出しになるからです。
朝鮮も、独立に際し旧宗主国である日本には正式には莫大な補償金を支払わねばならなかったのです。現実に、何度もそのことは話し合われて来ました。

 また、日韓基本条約において、我国は個人補償を提案したのに対して、それに反対したのは時の南朝鮮(大韓民国)政府です。南朝鮮は我国から一括して補償を受け取り、南朝鮮政府として個人補償すると主張したのです。
また、日韓基本条約には我国からの謝罪や反省の言葉は一切入っていない。
当たり前のことである。
 南朝鮮政府は我国からの経済協力という名目で奪い取った当時の三億ドル、長期低利二億ドルという巨費のうち各種個人補償総額は千六百万ドルを使用したのみで、これは、無償供与のわずか5%強に過ぎなかった。戦争による死亡者の遺族に払われたのは一人三十万ウオン(当時十九万円)であるが、これは朝鮮戦争などで死亡した南朝鮮兵にたいする補償と同額です。
そして、南朝鮮政府は補償除外者として、在日朝鮮人・サハリン残留者、四五年八月十五日以降の死亡者、戦傷者、強制労働による体を壊した者、被爆者とした。

 辛淑玉女史にはもう一度下記の条文を読まれることをお勧めする。
日韓基本条約
請求権及び経済協力協定
第二条
 両締結国及び国民の間の財産、権利及び利権並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたるこよになる事を確認した。

 つまり、朝鮮人、在日朝鮮人の戦後補償の問題は半島唯一の政府といって我国から奪い取った巨額の経済協力金のうちわずかしか個人補償に使わなかった南朝鮮政府の問題であって、朝鮮人、在日朝鮮人は南朝鮮政府に対して文句をいうべきである。
そうでなければ、我国の朝鮮半島に残した膨大な国家資産、そして個人資産について補償請求をできることになる。ましてや辛淑玉女史が書くように「国家補償」と「個人補償」があるというのであればなおさらである。

 この在日女性の頭の程度と歪んだ性格がよくわかるのはいわゆる「従軍慰安婦」についての記述かもしれません。
従軍慰安婦
<戦争中、日本軍を相手に強制的に売春をさせられた女性の問題です。
 慰安婦の数は合計二十万人ともいわれていますが、そのほとんどが朝鮮半島からかりだされたといわれています。
 一九四三年からは「女史挺身隊」という名のもと、激しい戦闘の最前線で、毎日多数の兵士の性欲のはけ口とされました。
 日本の敗戦後は、何の補償もされず、歴史的にも無視され続けたのです。
 貞操観念の強い韓国社会においては、誰にも打ち明けられずに身を沈めてしんでいった人もたくさんいます。日本政府は歴史的な事実も資料も自ら公表せず否定し続けてきましたが、民間による事実のつきつけによりしぶしぶ認めました。
 その姿勢が、世界の国から多くの非難を浴びたのです。
 しかし、日本政府は、各国への補償は済んだとの立場から、この問題に目を向けようとしません。あげくの果てに、民間の基金による生活援助の形で終わらせようとしました。
 韓国の大統領はすでに、日本には金銭的な補償を求めないと言い切っています。 
 つまり、お金でなくて、人道的にどのようにするかを示せといっているのです。
 私は、慰安婦の問題を耳にした時、韓国人であることよりも、女性としてゾッとしたものです。
 ある民放の報道番組で、当時軍人だった人のインタビューがあり、慰安婦を抱いたことをニヤニヤしながら話ししていた姿を見て、恐ろしくなりました。
 その後、日本の関係者が、韓国や北朝鮮に聞き取り調査に行った記事を目にして、なんと愚かなことをと思いました。聞き取り調査は日本の軍人にすべきであって、被害者である彼女たちにすべきではないでしょう。彼女たちを二重に辱めていることに気がつかないのでしょうか。被害者の側に立ってものを見る力がないのです。
 何をしたかは、した人がいちばんよくわかっているのです。
 指摘されさえしなければ隠し続ける。それは国家としても人間としても、恥ずべきことではないでしょうか>
P32~33

そして、こうも書いています。
<私は人間の「尊厳」の問題だと思っています。
 日本が豊かなのでお金をねだろうと、たかりのようにあちこちで声をあげているのだという悪質な誹謗・中傷を時折耳にします。
 常識的にいえば、人を傷つけたら謝るものだと思います。それを、お金さえあげればいいのだろうといった態度は、人であれ国家であれ許されるものではないと思います。
 辛い歴史を終わらせたいのは、むしろ被害者(韓国人慰安婦を含む)のほうです。
 過去の歴史の認識を共有していれば、こんなにももめることはなかったのにと思います。
 日本が正しいことをしたと言い張る限り、被害者の気持ちが精算されないのです。
 過去の処理の仕方を見ても、全てお金で解決してきたのであって、政治的な倫理や道議で解決してきたわけではないのです。できることならば、被害を受けた全ての女性たちが穏やかな余生を送れるために、速やかに国会決議をして国家として謝罪すべきだと思っています>
P214

まあ、醜い文章ですが、まず最初に
<指摘されさえしなければ隠し続ける。それは国家としても人間としても、恥ずべきことではないでしょうか>
って、これってギャグですか。そっくり大嘘つきの辛淑玉女史、在日朝鮮人、南北朝鮮政府にお返しさせていただきます。
 しかし、<戦時中、強制的に売春・・・・>自爆型が多いだけあって辛淑玉女史も、サービス神旺盛です。売春、つまり金もうけということは認めているわけです。
そして、とんでもなく金を儲けていた売春婦がいたことはどうして書かないのでしょう。
現在も南朝鮮に売春婦が多い事、我国に密入国までして多くの不法滞在朝鮮人がいて、売春婦にも多くの朝鮮人がいることをどうして書かないのでしょう。
これもすべて我国が悪いのでしょうか。
 朝鮮半島出身者が慰安婦のほとんどを占めていたというウソもそうですが、
 <一九四三年からは「女史挺身隊」という名のもと、激しい戦闘の最前線で、毎日多数の兵士の性欲のはけ口とされました。>
 これも笑うべきところでしょうか。まあ、文章としてもアホ過ぎます。「女史挺身隊」が売春婦って、すぐにばれるウソ過ぎますが、朝鮮人、在日朝鮮人の人たちにとってはばれないウソなのでしょう。

<ある民放の報道番組で、当時軍人だった人のインタビューがあり、慰安婦を抱いたことをニヤニヤしながら話ししていた姿を見て、恐ろしくなりました。>
 自分が売春婦を抱いた事を深刻な顔をして人にしゃべる方がどこか頭のおかしい人でしょう。私などはそちらの方が恐ろしくなります。

<日本の関係者が、韓国や北朝鮮に聞き取り調査に行った記事を目にして、なんと愚かなことをと思いました。聞き取り調査は日本の軍人にすべきであって、被害者である彼女たちにすべきではないでしょう。彼女たちを二重に辱めていることに気がつかないのでしょうか。被害者の側に立ってものを見る力がないのです。>
 これも笑うべきところでしょうか。確か、朝鮮人売春婦の証言がコロコロ代わって信憑性が無いとなったはずで、具体的な証拠も何も無かったのに、あの売国奴の河野洋平の発言がありました。
 辛淑玉女史のいうように売春婦も被害者といういのであれば、現在も我国は当然、南朝鮮も被害者だらけです。
 そして、戦後、南朝鮮は国策にて売春を観光の目玉として外貨を稼いでいたのは純然たる事実です。それなのに、辛淑玉女史はキーセン(妓生)について下記のように書きます。
<「キーセン旅行」は取り締まりの対象になっています。
 しかし、まだ残っています。需要があれば、供給があるのは自然の摂理でしょう>P134

 需要つまり、日本人がいくから妓生がまだ南朝鮮にいるのだというわけです。同じページで妓生とはどういうものかと解説していながら、このようなことを平気で書く・・・・

 我々の先人も奴隷労働に代わるクーリーとして、他のアジア人、黒人と肩を並べて苦役に従事し、労働移民としてアメリカをはじめとするシベリヤ、東南アジア、インド洋のマダガスカルまで世界各地に出かけていきました。女性の場合は多くは「売春婦」として異国の地に行ったのです。それは昭和の初期まで続きました。世界の最貧国とまでいわれ、我国以上に貧しかった当時の朝鮮半島の人々がその貧しさから抜け出そうとどのような行動をとったかは明らかでしょう。
 我国でも売春禁止法ができたのは戦後十年も経った一九五六年五月二四日からです。それまでは赤線といわれる公娼制度があり、そこで売春婦として働くことは合法でした。好き好んで売春を職業とする人もいないでしょうが、豊かな今の日本にも存在しているだけでなく、世界中に売春を職業としている女性が存在するのも事実です。 

 朝鮮人戦時売春婦のみなさんにも、人に言えないような歴史を持っていらっしゃる人もいるでしょう。しかし、大東亜戦争における戦時売春婦特に朝鮮人売春婦の人たちだけがどうして悲惨なのでしょう。慰安婦で一番多かったのは日本女性です。戦後、GHQの要請によって設けた売春施設もあります。各国の軍隊はそれぞれの性処理の仕方をしていました。一番酷いのはソビエト軍でしょう。多くの進歩派といわれる日本人、朝鮮人はソ連軍の蛮行については口を噤みます。

 辛淑玉女史などは売春婦は被害者と我が国を攻めるのに、南朝鮮のウオーカヒルを始めとする米軍慰安施設の現在進行形の売春に対して、どうして騒がないのでしょう。こういったところに、我が国の売国奴ども、支那、朝鮮、在日朝鮮人の底の浅さが見えます。

支那・朝鮮の売春婦の歴史、各国軍隊の性処理については、別に項を設けたく思っています。

 辛淑玉女史の大ウソを平気でつく醜い性格は、矛盾というものを感じないその歪んだ考え方にも現れています。
 朝鮮半島の統一に関して
<韓国人の多くは日本に何も期待していないので、むしろ、邪魔してくれるなという気持ちが大きいと思います。変に何かしてもらったら、のちのち干渉され続けるのではないかとの不安があるからでしょう。
 さらに、日本に対する不信感から、日本は本当は朝鮮半島が統一されてほしくないのではないか、という声も聞きます。これは、南北が統一されれば日本の脅威になると日本が考えている、と思われているからです。
 韓国で流行している小説の中に、日本と戦うために南北が手を取り合うものがいくつか見られます。いずれも、それなりにヒットしているジャンルです。
 日本のマスコミが北朝鮮を悪者にする姿を見て、喜ぶ韓国人は多くありません。
 日本のマスコミの姿勢に、「差別」や「侮蔑」のにおいを感じるからでしょう。
 何をしてあげるかではなく、南北の人たちと対等につき合うにはどうしたらよいかを考えることが大切だと思います>
P34
 北朝鮮を悪者にって、マスコミが北朝鮮について書く事は「差別」でも「侮蔑」でもなく、事実でしょうに。

 また、それぞれの歴史があると書きながら、共通の歴史認識が大切と書きます。戦後世代のするべきこととして
 <過去の愚かな歴史を繰り返さないための、責任が問われているのです。
 日本の植民地支配の後遺症は、韓国でも日本でも見る事ができます。
 朝鮮半島の南北の分断をはじめ、それによる離散家族の問題、政治思想犯の人たちや、韓国人被爆者の治療の問題と精神的なケアの問題、あらゆる補償から外された韓国人の軍人・軍属問題、在日コリアンの人権の問題など、日本の植民地支配の遺物があちらこちらにあるのです。もちろん、これらは戦後世代が起こしたものではないでしょう。
 日本における在日コリアンへの差別も、過去の日本の誤った歴史観の後遺症です。
 それを無意識のうちに今も続けているのです。愚かな歴史を繰り返さないために、やらなければならないことはたくさんあるのです。それは謝ることではないのです>P34

 そして、日本人が南朝鮮でボラれることについて
<韓国人の意識の根底には、植民地時代に韓国のあらゆるものを収奪したのだから、今、少しくらい高く売りつけても構わないといった考え方もあります。>
P58
 いかがでしょう。この人は矛盾というものを感じないのだろうか。そして、このような考え方しかできない民族を恥ずかしいと思わないのだろうか。
感じないのだろうな、やっぱし。悪いのはすべて、日本のせいなのだという典型的な朝鮮人の考え方です。

 私も、我国の先人が誤ったのは、朝鮮半島を併合した事だと思います。その併合により朝鮮人の人たちがよく言う世界で一番過酷な統治により朝鮮人の人口が併合前に比べて倍にもなりました。いつも書きますように、そのような過酷な統治下において、人口が倍になるとはまったくもってすばらしい生命力、繁殖力です。到底わが日本民族の及ぶところではございません。いやホンマ!
 それだけでなく、何も無かった朝鮮半島に多くの血税を注ぎ込み、インフラを整備し、学校を作り朝鮮人の教育に力を注ぎました。
 こんな誤った政策のおかげで、我国は今でも朝鮮の人々より攻められているのです。
 やはり、千年奴隷国家朝鮮にとっての歴代の宗主国様のような愛情溢れる過酷な統治をすべきだったのです。WWW
その朝鮮人の人々にとって愛情溢れる元宗主国さまのすばらしい統治につきましても、項を改めましてぜひぜひ書きたく思っています。

 辛淑玉女史はなぜ韓国と中国だけが、日本にうるさく文句をいうのかという問いに
 <それは、韓国と中国の発言だけをマスコミが取り上げるからです。
 日本の戦後処理の姿勢やアジアへの対応には、周辺諸国をはじめとして様々な国から異義申し立てがなされています。
 PKO法案が審議されていた時に、シンガポールのリ・カンユウ氏が言った「日本に軍事力を持たせることは、アルコール中毒患者にウイスキーを与えることだ」との発言は、アジア各国で話題になりましたが、日本ではあまり関心を持たれませんでした。
 一般的に、本人の悪口は本人に届かないものです。
 日本はアジア諸国からの異義申し立てに、もう飽きているのでしょうか。
 しかし、耳に優しいことばだけ聞き続けていると、日本と周辺諸国の理解はこれからも進まないかもしれません。それは日本にとって良いことではないでしょう。
 「忠言は耳に逆らう」ものです。それを受け入れて、テーブルに向き合って話し合うことが大切とおもいます>
P39

 <韓国と中国だけが、日本にうるさく文句をいうのは、韓国と中国の発言だけをマスコミが取り上げる>って、アホ過ぎます。だいたい例にあげた<シンガポールのリ・カンユウ氏が言った「日本に軍事力を持たせることは、アルコール中毒患者にウイスキーを与えることだ」との発言は、アジア各国で話題になりましたが、日本ではあまり関心を持たれませんでした>って、これもアホ過ぎる発言だったから日本のマスコミが取り上げなかっただけでしょう。
しかし、何度も書きますように自己矛盾を感じないのだろうか。
お約束の豊臣秀吉候に関して下記の文章もそうです。
 <祖先がいるから自分がいると考えるように、過去に目を向ける文化があります。
 ですから、歴史も継続していると考えます。
 日本の侵略的行為は、豊臣秀吉から始まりました。
 一五九二年から九八年にかけての文禄・慶長の役で国土は疲弊しました。
 数多くの文化財が焼かれ、略奪されたのです。
 今も、当時焼かれたお寺などの史跡を見ることができます。
 日本の植民地化に対する精算されない気持ちが、過去へのこだわりとなって、豊臣秀吉の時代と明治以降の侵略行為による蛮行を口々に語り継ぎ、さらに、学校教育を通じて再確認し、反日感情が国民感情の一つとして形づくられました。
 したがって、伊藤博文と豊臣秀吉はいつもセットででてきます>
P83

<歴史も継続していると考えます>って、いかにも朝鮮人らしいウソの書き方です。支那、朝鮮では自分達にとって都合の悪い歴史は継続していません。それは多くの在日朝鮮人の人たちにとっても同じことは、この辛淑玉女史の言動だけでなく、多くの在日朝鮮人が示してくれています。
それは、辛淑玉女史も書く「創氏改名」についてもそうです。では、支那によってつけられた「金」だとか「李」とかいうのはありがたいのか。それは昔の話だというのであれば、文禄・慶長の役も同じだろう。

 どうして支那、蒙古にはその昔のことを言わないのだろう。四百年前ではないでしょう。ほんの百年前までは清に対して、どのようにしていたのでしょう。
 その支那、蒙古、満州人の支配はそれほど優れていたというのだろうか。唐以来千年以上にわたって、貢女と宦官を献じ続けたことはどうなのでしょう。日清戦争前に朝鮮の管理、指導を任されていた李鴻章の側近、袁世凱に「朝鮮は万国の最貧国」とまでいわれていたのはいつの時代だったのでしょう。
 我国と併合する少し前、朝鮮人が誇る李朝時代の話です。
近代においてさえ、朝鮮戦争では支那から攻められ、大勢の朝鮮人死者を出しているではないか。
 どうして、我国だけに謝罪、賠償を執拗に言うのか。それは我国だけが、アホな一部の売国奴の協力によってその効果があり、それによって、自分達の今までの非道な行為、情けない歴史を隠し、正当化するためである。
 そして、それは過去に我国に対しておこなって来た数々の侵略行為、残虐行為をも全て無かったこととして歴史を語る支那、朝鮮、多くの在日朝鮮人に共通することです。
 しかし、半万年(あくまで、朝鮮の人の言っている事ですが・・・)の歴史のある朝鮮で、四百年前の文禄・慶長の役の影響がまだある国・・・・いやホンマに凄すぎる国と民族だ。

 多くの在日朝鮮人の人たちの精神の根底にあるのは、日本にいるのは日本がわるいのであって我々(在日朝鮮人)は悪くないというウソで固めた甘えです。そして、結果として日本にいながら、反日を唯一のよりどころとして生きるとゆう事になります。それは辛淑玉女史も最も許せない言葉として「帰れ」をあげてその理由として

<在日コリアンは、日本の植民地支配の結果として、日本に定住を余儀なくされ、サンフランシスコ講和条約発効まで、日本国籍保有者として日本で生活していたのです。
 つまり、外国人として日本にきたのではなく、皇国臣民(変換できない)として日本にいたのです。
 この発言は、植民地支配に対する責任感の欠如と、誤った歴史認識を如実に物語っています>P218
<朝鮮では日本による農地の収奪と産米運動の弊害で農地が荒廃し、大量の潜在失業者が発生しました。彼らは生きるために日本に移り住みました。>
<中国への侵略が本格化する一九三三年から、国家的な労働力確保の目的をもって徴用が始まりました。一九三九年から四五年の間だけでも七二万四九二五人、うち死者は約六万人に達しました。トータルでは、百数十万といわれるだけで、正確な数字が出せないほど乱暴な連行をしたのです>
p156~157
 このようなすぐばれるウソを平気でつける精神性もすごいです。まあ、戦後生まれのチョ-ヨンピルにも日本名があったと何度も講演で平気でいう人ですから、このぐらいの嘘は平気でつくでしょう。
 我国で徴用が制度化されたのは一九三九年四月です。台湾、南方占領地でも一九三九年十月に施行規則が制定されています。ところが、朝鮮ではこの一九三九年には徴用令が施行されずに、自由募集が始まっただけです。つまり、それまでは朝鮮人の内地への移住は、労働市場の乱れをまねくとして制限されていました。徴用令が施行されたのは一九四四年からであり、それ以前に徴用令状が出されることなどなく、徴用されるはずがありません。
 土地の収奪の嘘については別項にて説明しておりますので、省きますが、朝鮮人はより良い生活を求めて、日本本土に渡って来ました。典型的な朝鮮人の歴史観とは我国に国王、主権、生命、土地、資源、言葉(国語)、姓名の七奪だという。これも全てウソです。辛淑玉女史も他の多くの朝鮮人の人と同じくそのウソを平気でつける厚顔無恥な在日朝鮮人女性のひとりです。
それはいままで指摘して来たようなウソだけでなく
ハングルについても
<ただし、三十六年間に及ぶ日本の植民地による言語の抹殺と・・・・
「生活の中に馴染んだ日本語もあり、「親分」「子分」「バケツ」「弁当」「カバン持ち」「おぼん」「さら」「たま(電球)」などが使われています>P29
<韓国では、日本の植民地時代にことばを奪われた経験から、母国語に対する意識が高く、韓国語の話せない在日コリアンに対して辛く当たります。一九九五年二月には、韓国語を読めない在日女性のパスポートを、韓国の入国審査官が破く事件が起こりました>
P200

 だそうで、日本が朝鮮半島に小学校から帝国大学まで作り教育を充実させハングルを普及させたことなどないみたいな書き方です。
最初のハングル語辞典はどこが作ったのでしょう。
 そんな大切な母国語であるハングルなのに、李朝時代の両班が勉強したのは「四書五経」、支那史、漢文のみで、自国史を蔑み、ハングルを蔑んだのはどうしてでしょう。
 そして、我国で生まれ育ち、ハングル文字さえ読めない在日朝鮮人が我国において朝鮮国籍の外国人でありながら、我国国民と同等の権利を主張することへの矛盾は感じないのであろうか。だいたい外国人がその国の国民と同じ権利を有している国など存在しません。

 これらは、嘘も100回言えば本当になると言う支那、朝鮮の得意技でして、まあ悪徳在日朝鮮人の辛淑玉女史らしい、電波満載な本といってしまえばそうですが、あまりにも醜すぎる本です。このような本が出版でき、このような程度の歴史認識、知識しかもたない在日女性が講演に呼ばれ生活できるとは我国も平和な国家です。

 しかし、問題はこのような嘘つき在日朝鮮人女性にだまされるアホな日本人もいることです。

2002年11月2日関西突破塾 レポートより
以下引用
「みんな、驚くほど近代史を知らない!
学生も、じいちゃんばあちゃんも全く知らない!」
と言われるといたたまれなくなる。
辛さんを日の丸振って植樹祭で歓迎する田舎の善良な人たちと、
「石原慎太郎は行動力があるから尊敬できる」と
辛さんに食って掛かる学生と、
私はどれほど違うというのだろう。
略)
アメリカがアルカイダを生み出してしまったように、
北朝鮮を生んだ原因は日本にもある。
だから在日朝鮮人の問題は日本人が解決しなくちゃいけない、
と宮崎さんは言った。
略)
弱いものを叩くことで強そうに見せているだけの石原とは全然違う。
涙や家族に当り散らしているという「弱さ」を隠す必要のない
「正直な強さ」に揺さぶられた。
確かに「濃く楽しい話」だった。
引用終わり
 まあ、この女性は当店に来店時に、櫻井よしこ氏の話題になったときに、「でも彼女は従軍慰安婦なんていない、なんて発言しているんでしょ」といい、それに対して一緒に来店された出版社のSさんという男性と私から「従軍慰安婦などいない、あれは売春婦だ。職業として売春をしていた女性たちだ」といわれたが、納得しなかった女性で、それを得意げに<「桜井良子は従軍慰安婦無かった説ですよ」と言ったら2人とも
「強制ではない、職業として納得してたのがほとんどのはず」と言うのでちょっとビックリ。 >と自分のホームページに書いているような程度の人です。この女性は大東亜戦争時の慰安婦でどこの出身者が一番多かったのか知っていての発言だろうか。まあ、そんな最低限の知識でも持ち合わせていればこんな発言はしないし、嘘つきの在日朝鮮人辛淑玉女史のアホな内容の講演で感激などしないでしょう。
嘘を平気でつき、権利ばかり主張する多くの在日朝鮮人の人々にやっぱり言いたい
嫌だったら帰れ!

 


 
 
著書「鬼哭啾々」にみる辛淑玉らしい嘘の数々
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


 
平成20年8月9日土曜日晴れ ×
 先日、古本屋さんで買ってきた中の一冊「鬼哭啾々」(辛淑玉著 解放出版)を読む。まあ、辛淑玉女史の著書らしい本で、全編「朝鮮人は被害者」という意識がプンプン。
 それ以外にも電波が山盛り。
 <昔、交番にはバナナが置いてあった。迷子になったというと、必ずといっていいほど、バナナをもらえた。私はあちこちの交番に行き、迷子になったと言ってはバナナをせしめ、おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>P三〇~三一
 私より五つ歳が違う、一九五九年、昭和三四年生まれの辛淑玉女史が子供のときに、バナナは今と違って高級品だった思うのだが。そのようなものが、交番に迷子の子供のために置いてあるものだろうか。辛淑玉女史がいくつの時の話か不明ですが、<おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>と書いているので、少なくとも小学生の高学年とかではないはずですので、幼稚園、保育園、小学校低学年の頃と思われます。そうすると、一九六三年、昭和三十八年四月に輸入自由化されたそうだが、辛淑玉女史はこの時四歳。その後も急には安くはならなかったと思う。
 どなたか、昭和三〇年代から四〇年代、当時高級品であったバナナが、東京のあちこちの交番で迷子のために置いてあったのを記憶されている方はいらっしゃるでしょうか。私は子供の時に、父親が所用で淡路島から神戸などに行った帰りのおみやげによくバナナをねだっていたのを覚えています。当時はそれなりに高級だったものが、交番に迷子にやるために置かれていたとは私にはどうも信じられないのですが。
 
 <一九八三年、祖母は渋谷区幡ヶ谷の病院で亡くなった。
略)
 当時は今と違って、キムチなど、どこでも売っているわけではなかった。あちこち探しまわって、「朝鮮風漬物」というのを買って二人で食べたのが最後の食事となった。>P三八
 私は二三年前の昭和六一年、一九八五年に一杯飲み屋を早稲田で始めているが、当時はコンビニなどに並んでいる食材は今と違うでしょうからコンビニで手軽にとはいかなかったかもと思いますが、上野などいくらでも朝鮮人街がありいろいろなキムチを購入できた。私も店を開くまで渋谷に住んでいたが、「朝鮮風漬物」としてではなく、当時から「キムチ」「カクテキ」などとして売られていたと記憶しています。まあ、人の基準はそれぞれですから、あちこち探しまわったというのならそうでしょうが、どこをあっちこっち捜しまわったのだろう。そんなに欲しいのなら、捜しまわらなくとも、そのあたりの焼肉屋に入ればどこでも簡単に分けてくれたでしょうに。

 この辛淑玉女史は過去に、戦後、密入国して大木金太郎というリングネームで日本にて活躍した朝鮮人プロレスラー金一氏が、故郷の南朝鮮で闘病生活中にもかかわらず、著書『愛と憎しみの韓国語』(文春新書)では「ノノ、大木金太郎はふるさとの地で静かに死んだ。」(P二二五)と書き、読者から指摘を受けた前科や、戦後生まれの朝鮮人歌手チョー・ヨンピルについて、「チョー・ヨンピルにも日本植民地時代の日本名がありました。」というほどの女性です。

 
<民族学校の歴史は、同胞の血と汗と涙で綴られてきた。
 一九一五年八月一五日。日本の敗戦すなわち朝鮮の解放。そして、奪われた朝鮮のことばを取り戻すための動きが日本各地で広がっていく。>p五〇
 すでに、証明されている事ですが、日本人が朝鮮人から言葉など奪った事など無い。むしろ、朝鮮では、漢字が重視されハングルは軽視され教育されることはなかったが、併合後は、ハングルを必修科目とし朝鮮人にハングルが広まったのです。我が国が併合する事により、朝鮮人はハングル文字を書けるようになったのです。辛淑玉女史は、我が国の六番目の帝国大学である京城帝大では法文学部において、朝鮮語学、朝鮮文学、朝鮮史学が講座として終戦まで設置され教えられていた事実はどう説明するのでしょう。ちなみに、併合後三〇年以上たった一九四二年でも日本語普及率はわずか二〇%にとどまっていた。

<学校で私につけられたあだ名は「パンチョッパリ(半日本人)という差別語だった。日本学校からの編入生だからだ。>p五五
 私は、ネット上の知識で、パンチョッパリとは朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だと思っていました。在日朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だとは知りませんでした。このあだ名はホンマでっか?

 中学校二年生三月に日本の笹塚中学、そして、杉並・泉南中学に転校したときのエピソードとして、
<まず、単語の意味がわからない。「ホームルーム」「公民」「課外活動」・・・?いったい何をするのか見当もつかなかった。
 転校初日に行われた統一模試の成績は、三〇〇人近い生徒の後ろから三番目。>p七九
 公民とは公民科のことでしょうか。それとも公民の意味の事でしょうか。「何をするのか見当もつかなかった」と言っているのですから、授業の事をさしていると思いますが、当時の中学校の科目には社会科はあっても、公民科などというものはありませんでした。私と五歳違いの辛淑玉女史にとって、公民などという名称はず~と後の事だと思うのですが。
 中学校においての統一模試というものはいつごろから実施されたものでしょうか。私は中間テスト、期末テスト、実力テストといわれるものしか記憶がありません。当時からそのような呼び方をしていたのでしょうか。

 <様々な事情から、すぐに帰る事のできなかった人びとの状況は燦々たるものだった。
略)
 GHQは、占領支配に対する日本人の憤懣のはけ口を在日に向けさせることによって、民族差別を広げる役割を果たしていた。
略)
 米ソ冷戦が始まるとともに、朝鮮半島は三八度線を境として南北に分断され、略)
 そして、一九五〇年には朝鮮半島が勃発。朝鮮半島は戦場となり、在日は故郷に帰る道をなくした。>p一一二
 戦後、朝鮮人は「第三国人」として敗戦国の日本人より特権を有し、無法活動を繰り広げました。<闇市支配>、<戦後朝鮮人がやっていたこと

 <一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効直前、法務省は、すべての在日朝鮮人の「日本国籍」を剥奪し、一斉に外国人とした。国籍は選ぶことができなかった。>P一一四
 これについては、<国籍収奪の嘘>において書いておりますが、「韓国政府こそが一方的に韓国国籍を「押し付け」ている」のであり、敗戦国である日本人より特権のある「第三国人」としての朝鮮人より反対運動が起きていないのです。朝鮮人公務員は簡単な手続きにより日本に帰化でき、そのまま公務員として働くこともできました。<朝鮮人のつく嘘

<かつて、一九一五年、一四歳で朝鮮から日本に渡る船の中で、自分の二の腕にハンで押したようなただ黒いだけの入れ墨をした。祖母は、日本の地でたった一人で死んだとき、故郷にいる父に誰かがその死を知らせてくれることを願って彫ったのだ。>P一〇六
<一九〇一年に朝鮮で生まれた祖母。植民地下に「内地」に送られ、「みんなドロボウだ」と言って亡くなった。>P二五〇
 我が国の朝鮮併合は、一九一〇年です。辛淑玉女史の祖母はその五年後には我が国に渡ってきているのです。それを「送られ」という表現をつかうのでしょうか。ちなみに、内務省警保局統計によると、一九一五年の我が国の朝鮮人はたった三九八九人だそうです。それが、二年で三倍以上の一四五〇二人と10000人以上が増えています。そして、三〇一八九人とまた大幅に増えた一九二〇年には、その在日朝鮮人の急増により、付近住民とトラブルが多発したために『朝鮮人内地渡航制限』を実施されています。辛淑玉女史の祖母もこのように朝鮮から勝手に我が国に密入国してきただけの不法朝鮮人でありながら、このようにウソを言っているとしか思えません。

勝手に出稼ぎに来ただけと思うのですが。

他にも辛淑玉女史は
<朝鮮半島は、植民地支配による疲弊の上・・・・>P一一七
 糞まみれの世界中で一番醜いといわれた「漢城」を近代的な「京城」にしたのはどこの国でしょう。人口の増加はどうだったのでしょう。

 私はこの辛淑玉女史の著書で、先日書いた原爆発言に続いて、ある意味辛淑玉女史らしい一番醜い箇所では下記の文章ではないでしょうか。
 <国家に翻弄された拉致被害者の気持ちを一番理解できるのは、在日ではないか。
略)
 非常な犠牲を強いられた拉致被害者も、日本の植民地支配に運命の変転を余儀なくされた在日朝鮮人も、とてつもない統制に押し込められている北朝鮮の民衆も、そして飢えて難民となった在日帰国者も、みな、国家暴力の被害者であるのに。>P二六六~二六七
 
 在日朝鮮人高校生に対する田中裕という日本人同級生の原稿として、下記のようなことまで書いています。
<北朝鮮がやったことはよくないとおもいます。しかし、そもそも、日本は朝鮮半島とその民族に対してもっとひどいことをしてきたという意識が日本人の中にあるのでしょうか。マスメディアの一方的な報道によって、「怖い国、北朝鮮」の意識が日本人の中に急速に作られているように思います>P二七六

 自由に渡航できる在日朝鮮人、勝手に渡って来た在日朝鮮人と犯罪国家に拉致され未だ帰れぬ日本人同胞の皆様と一緒にする辛淑玉女史。

このように、この本もいかにも嘘つき在日朝鮮人の辛淑玉女史の著書らしいものです。

 北京オリンピックが始まったが、福田首相の日本選手団を激励するため選手村を訪問した時のあいさつとして産經新聞に掲載されていた「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」って、どうなんだろう。福田首相らしいといえばそうなのだろうが、もう少し違った言い方があると思うのですが。


 
 

ついでに辛淑玉も御覧下さい。こいつのアホさがにじみ出ているというより全開です。


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