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雁屋哲・美味しんぼのウソ「オーストラリア編」
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成19年6月28日木曜日晴れ ×
三冊購入した「美味しんぼ」の一冊である五九巻にも日本が嫌いな雁屋氏らしいウソ満載です。
以下引用
オーストラリアと日本は、アジアの他の地域でも戦って、大勢の兵士が捕虜になった。
そのオーストラリア人捕虜を日本人は虐待したのよ
オーストラリア軍がアジア太平洋地域に派遣した兵士の三分の一にあたる八三〇一人もが日本軍の捕虜として命を失ったわ。
比較のために言うと、オーストラリア軍はヨーロッパでも戦ったけどドイツ軍とイタリア軍の捕虜になった八一八四人の兵士のうちで死んだのは二六五人だけ。
同じ捕虜でも、ドイツ軍やイタリア軍に捕まったとのでは、そんなに差があったのか。
日本軍がいかに残虐なことをしたか、思い知らされるな・・・・
日本軍が殺したのは捕虜だけじゃないわ。
シンガポールから脱出してインドネシアの島のひとつに上陸したオーストラリアの従軍看護婦たちが
海に追いやられて、機関銃で撃ち殺されたりしたのよ、それも二二人も!
従軍慰安婦を殺した・・・・
知らなかったわ・・・・
信じられない!
以上引用終わり
自分の著書である「日本人の誇り」(飛鳥新社)という本を作画資料としてあげてまで、このような事を書いています。まさに天に唾するとはこういうことを言うのでしょうか。
すでに書いたことですが、オーストラリア軍の大東亜戦争中、及び終戦後の行為は、特殊潜航艇の乗組員に対してのりっぱな弔いという美談というべき事と醜い行為のどちらもありました。
連合軍の捕虜虐殺オーストラリア
さらに、私の手元にある「将軍はなぜ殺されたか」(イアン・ウォード著 二〇〇五年原書房刊)という題名の本があります。オーストラリア人によって書かれたこの本はオーストラリア軍によって無実の罪を着せられて処刑された西村琢磨中将について書かれています。著者のイアン・ウォード氏はその著書で「はじめに」として次のように書いています。
<その名をよく知られた無実の日本の将軍を、オーストラリアが恥ずべきは不正な裁判の後、意図的に処刑したということは、オーストラリア国民が声高に掲げる太平洋戦争の正当性とうまく折り合いがつかない。
略)
ここから得られる教訓があるとすれば、オーストラリアは、そして英国も、少なくとも誤った戦争犯罪裁判の記録を正す道義的責任があることだ。裁判の原則を支持しながら、同時に過ちがあっても責任を無視することは、原則をばかにすることになる。また日本に戦争中の行為を反省するよう繰り返し求めている政治家や社会の指導者たちの声も、もし自らの反省を拒否するなら、空しいものに聞こえる。>
そして、この本には下記のような記述があります。
以下引用
<公刊戦史はムアル戦線でオーストアリア部隊と遭遇した日本軍負傷兵の運命について、はっきり書いていない。
略)
「守勢にあるので捕虜をとる状況に無く、今までの経験からして敵の負傷兵をそのままにはできない。死んでいると思われるか負傷している敵兵に近づくときは最大限の注意を払い、銃剣を使え。要するに命令は『捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな』というものであった」
略)
もちろん大隊の戦場日誌にはアンダーソン(引用者注 直接指揮していた第一九大隊長チャールズ・G・W・アンダーソン中佐)が正式にそのような指示をしたとは書いていない。しかしムアル戦線で戦ったオーストラリア兵の間では、状況の緊急性から考えて「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」というのが少なくとも公式に認められた『指示』だったということは、広く受けいられてきた。指示がどこから出たかについて不安な人たちでさえ、これらが一月一九日から二二日までの絶望的な七二時間に採用された戦術であったことは認める。>
(P二〇七〜二〇八)
<否定できない事実は、マレー作戦の中で最も激しかった四日間と半日の戦闘のあと、オーストラリア軍は一人も捕虜をとらなかったということだ。白兵戦により日本軍は二千人の死者を出し、ほとんどは近衛師団だった。もう一つの否定できない事実は、戦闘の状況からして、オーストラリア部隊は日本の負傷した兵士をその場で殺したことだ(みかたによっては処刑したことになる)。さらに、命令ではないにしても、捕虜をとらず負傷兵をそのままにしないというのは、少なくとも一般的な了解だった。>
(p二一八〜二一九)
引用終わり
戦場においての非常事態であったとはいえ「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」という命令が発せられていたのです。
日本軍も捕虜を殺害したこともあるでしょう。
しかし、日本軍だけがそのようなことをしたわけではない。
ところが雁屋氏原作のこの「美味しんぼ」をみると悪いのは日本軍、日本人という感じです。
客観的に書いていると否定するかもしれませんが、とてもそうは思えません。
まず、
<このシドニー湾には、オーストラリア人の日本人に対する怒りが眠っている。>p九二
と書き、日本帝国海軍の特殊潜航艇の魚雷により軍用船が被害を受けて軍人が戦死したことを
<魚雷はアメリカの軍艦を外れて、近くに停泊していた軍用船に命中して、乗っていたオーストラリア人一九人と、イギリス人ふたりが死んだのよ>p九五
<それから数日後、特殊潜航艇を運んで来た大型潜水艦が、シドニー市内に向けて砲撃したのよ>
p九六
ところが、
<でも本当は、特殊潜航艇の攻撃自体は、それほどオーストラリア人を憤激させなかったの>
と書く。
あれ?
シドニー湾には日本人に対する怒りが眠っていたはずでは????
そして、次のように書きます。
<問題は、その後に起こったのよ>
<オーストラリアと日本は、アジアの他の地域でも戦って、大勢の兵士が捕虜になった。
そのオーストラリア人捕虜を日本人は虐待したのよ>
<そうか。君が日本人を嫌いだと言うのは、日本人が戦争のときに、オーストラリア人にひどいことをしたからなのか>
<そうじゃないわ>p九九
あれ?あれ?
<じゃ、どうして、こんな戦争中の話をするんだよ。
それも、俺たちの知らないような話まで持ち出してさ>
<そうよ!そこが嫌いなのよ!!>
略)
<さっきの戦争の話を思い出してちょうだい。
日本軍は、アジア太平洋戦争の国々をも侵略したわ。アジアの人々が受けた痛手は、オーストラリア人とは比較にならないほど大きい。>
略)
<日本人は、自分自身の伝統文化を投げ捨て、白人文化のマネをしているだけ。
しかも、過去の戦争責任を忘れた、無責任で冷酷な国。おまけに、金の亡者ときた>
<それじゃ、救いがないわ>p一〇一〜一〇二
あれ?あれ?
やっぱり、そこにいくんですか。
中々、自分の国である日本の事、先人、そして日本人をここまで悪くはいえません。
まあその後のページでオーストラリア人というかイギリス人がタスマニアの先住民を皆殺しにして亡ぼした事、奴隷制を維持していた事、そして植民地を一九七五年統治していた事などは反論として書いていますが、別のページに書いてある<真の友好関係を築くのを妨げているのは、戦争の後始末の悪さ故にオーストラリア人が抱いている反日感情です>p一九〇
というのがこの人の本音ではないかと思います。
それは他のところにも見られます。
あと、残念ながら私の力では日本軍が従軍看護婦を二二人虐殺したという史料は見つけだすことはできませんでした。雁屋氏は御自分の書いた著書より引用しているみたいですけど・・・・・
だいたい、戦争中に相手国を攻撃したことをいわれて、「何だって」「そんな」と驚かなければいけないのでしょう。
アホか。
どうしたら、こんなに捻くれた性格の人間ができあがるのでしょう。
雁屋哲の歴史観
7月30日月曜日雨のちくもり深夜大雨 ○
先日、古本屋にて購入した美味しんぼ四〇巻には雁屋氏の歴史観がよく現れている。
<何を展示してあったかというと、第二時世界大戦中の日本軍によるブルームの爆撃の記録だ> <なんだって!> <日本軍の爆撃?> <日本軍がオーストラリアを襲ったというのかね!> <日本軍は、ノーザン・テリトリーのダーウィンも爆撃して、壊滅的な損害を与えた。 シドニーもそうだ。シドニー湾に日本の特殊潜航艇が侵入して攻撃し、多くのオーストラリア人を殺し、自らも果てた。 日本は全部ひっくるめて五八回、オーストラリアを襲撃した。 オーストラリアの二〇〇年の歴史の中で、外国に国土を襲撃されたのはそれが初めてだった。> <いやあ、知らなかったなあ・・・・・> <日本がオーストラリアを攻撃したたった一つの国とはね・・・>P82 |
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<第二時大戦で日本は一方的にアジアに侵略した。イギリスはその日本を相手に、アジアを舞台に戦った。 といっても、アジアの人々のためではない。植民地にしたアジアの国々を、日本に奪われまいと戦ったのだ。 アジアから見ればどちらにも正義はない。そのイギリスにオーストラリアは加担した。だから戦争したこと自体にやましさを感じるのは、お互いさまだ> <しかし、正規の戦闘以外では、日本は人道に背くひどいことをした。 オーストラリア人の捕虜を虐待し、食事も与えず、大勢の捕虜を殺した。> <日本軍に沈められた船から島に泳ぎついた、オーストラリア人の従軍看護婦たち一四人を、射殺したりもした・・・> <今やオーストラリアは日本人観光客にとって、ハワイを抜いて一番人気がある所となっている。 しかし、どれだけの日本人観光客が、かって日本軍がダーウィンやブルームやそしてシドニーまでも襲撃したことをしっているだろうか。> <オーストラリアに大してだけではない。日本人はアジアの国々でもっとひどい、言うに耐えない残虐なことをしておきながら、ケロッとした顔で出かけて行く。>P83 |
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<その理由は日本人のたいはんが、特に若い人たちは、日本が第二次大戦中にアジアの国々でどんなひどいことをしたのか、知らないからだ。 戦後一貫して文部省は、戦前戦中に日本がアジアの人々に対して行った残虐行為を子供達に教えない方針を取ってきたし、言論機関も十分に報道してこなかった。> <そう責められても、言い訳、できないな・・・・ 実に恥ずかしいことだが・・・・・・> <勇気がなかったとしか言いようがない・・・> <日本はアジアの国々に、謝罪も償いも十分におこなっていない。 それが、戦後五〇年近く経つのに、未だに日本が国際政治の場で軽んじられ、尊敬されない理由の一つなのだ> <今我々が早急にしなければならないのは、戦前戦中に日本がアジアの国々に何をしたか正確に知り、子供たちにも教え、アジアの国々の人たちに国として正式に謝罪して誠意を示すことだ。 知らん顔してこそこそしていることのほうが、自尊心がない人間のすることだろう。 謝罪するのは誇りを傷つけることにはならない。> <まったくだ、戦争のことで外国に対してあやふやな態度をとり続けるのは、情けない> <少なくとも、次の世代の者に、こんな思いをさせてはかわいそうや・・・・>p八四 |
<今我々が早急にしなければならないのは、戦前戦中に日本がアジアの国々に何をしたか正確に知り、子供たちにも教え、アジアの国々の人たちに国として正式に謝罪して誠意を示すことだ。>この言葉に雁屋哲という人間の本性がよく現れている。
雁屋氏は「襲撃」という単語をつかっていますが、襲撃とは「 襲いかかること。不意をついて攻めること」とされています。そして、「攻撃」とは「進んで敵を攻め撃つこと」つまり、雁屋氏にとっては襲撃という言葉がピッタリとくるのでしょう。
しかし、雁屋氏にとって、オーストラリア軍からもその勇気を讃えられた特殊潜航艇乗組員は「多くのオーストラリア人を殺し、自らも果てた。」とまるで平時の人殺し並みです。ここまで、先人の事を言えるのでしょうか。大東亜戦争は残酷な日本人が起こしたもので、その「残酷な」日本人は戦後「反省して」おとなしい日本人に急になったのでしょうか。
イギリスはインドを明治維新よりも以前に支配したのちビルマを明治一九年、マレー半島を明治四二年に支配します。フランスは明治二〇年ごろに清よりベトナムを奪います。インドネシアはオランダの過酷な統治を受けていました。アメリカはハワイを明治二六年に侵略し、フィリピンをスペインから明治三一年に奪います。
ロシアの脅威も増してくるなか、我国は自衛として支那の属国である朝鮮の自立を願い助成するが、朝鮮は事大するだけであった。清と朝鮮は我国に対しては東夷思想・中華思想による中華秩序を乱すものとしての侮日感情ともいえるものを抱いていた。
そのような世界情勢の中、我が国は日清、日露戦争にと突入し、勝利する。
雁屋氏は日本だけを悪者にしたいようだが、一方的に日本を悪者と断罪するほど歴史とはそんな単純なものなのでしょうか。
いろいろな批判のある大東亜戦争においてさへ、それは同じである。大東亜戦争前にはアジアには独立国は二国しかなかった。我国ともう一つは、一九三九年にシャムという国名を改称したタイです。その二つしか独立国はアジアには存在していなかった。大東亜戦争後に多くの国々が独立したのです。
何度も書きますが、歴史とは雁屋氏の書くような単純なものでは無いはずです。そして歴史とは連続しているものです。