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野中広務氏の歴史観
7月31日木曜日晴れ ×
石原慎太郎東京都知事が六月一二日に代官山のイタリアレストランで、野中広務氏が支那の駐日大使と仲介し、この日の宴席を主催したという記事が週刊文春七月二四日号に掲載されていました。
野中氏は石原氏の「中国は好きだが、共産主義は嫌いだ」という言葉に「それなら自分で中国に行って確かめてくればいい。今の中国は、共産主義ではなくて修正資本主義だ!」と言い改革・開放から三〇年が経とうとする現代中国の実情をピタリと言い当てた言葉に、支那大使も苦笑するしかなかったとありましたが、この言葉が、今の支那を現しているとは到底思えません。
支那は依然として共産党による独裁国家であり、国内の格差を無くする努力よりも、中華思想による覇権主義で軍事力を増強しています。その軍隊は国軍ではなく、共産党の軍隊です。
野中氏をはじめ多くの日本人は、支那に対して持っている歴史観というものは、最初に戦争責任ありきではないでしょうか。
下記は雑誌「世界」平成二〇年一月号に掲載された「政治家と歴史認識」と題した野中広務氏の発言ですが、野中氏の歴史観というものを知るには、非常にわかりやすいのではと思います。
<安部さんは、歴史教科書問題をはじめとする歴史認識問題について、過去を美化する傾向を持ったグループと共に行動していましたので、私は心配していたのです。
略)
私の不安は残念ながら的中し、安部内閣は、まともな審議もないまま教育基本法を通し、強行採決を繰り返して多くの法案を通し、とうとう教科書検定や「慰安婦」問題まで発生しました。
略)
太平洋戦争の開戦時の内閣で商工大臣をつとめ、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨に繋がれた岸信介が、釈放後に政界へ復帰し、やがて日本の総理になったことは、日本において戦争責任が果たされていない典型です。彼は「満州国」でも権勢をふるった人間です。>
(P238〜239)
<「小泉チルドレン」と言われる自民党の国会議員がたくさん出てきました。この中に最近、教科書問題や日中関係、歴史認識にかかわって、日本の過去を美化するグループも出てきています。はなはだしくは「南京大虐殺はなかった」という議論まで行う。これは非常に危ない事です。国政に携わる政治家としての責任が、あまりにも自覚されていない。
明治から大正、昭和の時代にこの国が経験した事は何であったか。他国に侵略していき、他国の多くの非戦闘員や、自国民にまで多大な犠牲を強いた事実は、どうしたって否定することはできないのです。そして、他国民に与えたその傷はいまだに癒えないまま存在しています。>
(P240)
<日本軍はアジア全域に出かけていき、非常に多くの非戦闘員を傷つけ、死なせてきたのです。
六二年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。北朝鮮との国交回復・賠償の問題なども残っていますが、中国に日本軍が遺棄してきた化学兵器の問題や中国残留孤児の問題などもあります。こうした多くの未解決の傷跡を見るとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任を取れていないと思います。>
(p243〜244)
<遺棄化学兵器問題は、その被害状況を知れば知るほど、本当に痛ましいことです。この前、被害を受けた方々が訊ねてこられました。日本軍が六〇年以上前に破棄してきた化学兵器によって、中学生になるかならないかの女の子が被害を受けているのです。その子は「自分の不注意でこうなったのだから誰かを恨もうとは思いません。だけど学校に行くと、私に近づいたら伝染するといって、みんなが私を差別するのです。それが耐えられません」と私に向かって泣いていました。いまだにこういう傷跡を残しているとは、本当に悲しいことです。私は言葉になりませんでした。
内閣官房長官をつとめていた時に、外政審議室から「いま中国に約七〇万発の遺棄化学兵器があります」という報告を受けました。聞くと、日本の金で日本に持ち帰って処理する協定になっているといいます。協定を実施したのか確認したところ、一度もやっていないのです。私は「化学兵器が放棄されているのは鬱蒼とした森林や原野で、とても人間が入れるような場所ではない」という話を聞いていたので、日本に持ち帰って処理するのは非現実的で、協定は実行されない空証文のようなものだと思いました。
<私は南京には、最初は一九七一年、次が一九八一年、次が一九九六年と三回行きました。
最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は、二〇〇人ほどの後援会員とともに上海・蘇州・南京への旅行を行いました。
略)
ちょうど南京市に入り、南京城壁のところにさしかかったとき、そのうちの一人が突然うずくまって、体をガタガタと震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、看護婦に強心剤を打たせました。数十分が経過してから、ようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」と聞きました。すると彼は「私は戦争の時、京都の福知山二〇連隊の一員として南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て、当時を思い起こし、地の底に足を引きずり込まれるような状態蜷なり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験をはなしてくれました。
その一つは、彼が南京に攻め込んだ時、倒れていた中国側兵士の命を助けた話でした。もう一つは痛ましい話でした。
「南京の城内に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、女性と子供がいるばかりだったので、私は上官に『ここは女、子どもばかりです』と言って扉を閉めようとしたのですが、上官が『何を言っているだ、その中に便衣兵がいるのだ、例外なしに殺せ、容赦するな』と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺してしまった。戦争のなかで一番嫌な体験です。略)」
略)
そのようなことがありましたので、私は一九九八年に幹事長代理をつとめている時、略)
廬溝橋の抗日戦争記念館にも参りました。そして、私は後援会員の話を現地で聞いていたので、南京虐殺記念館ができたと聞き、訪問することにしました。ただ、記念館の壁に「三〇万」という犠牲者数が掲げられているのを聞いておりましたので、大使館から電話をしてもらい、自分は自民党の幹事長代理として訪問するにあたり、三〇万という数字のもとでは献花できない、と言いました。南京で異常な出来事が起こされたことはわかっているけども、「三〇万」という被害者数は検証のしようがない。他に献花台を設けてほしいと頼んでから行きました。日本から随行してきた多くの新聞記者とともに記念館に入ったところ、日本軍将校による「百人斬り競争」を報じた当時の日本の新聞記事なども展示されており、自分の国の新聞がこんなことを書いていたのかと驚きました。
私が訪れるまで、日本の政治家は誰一人として南京大虐殺記念館を訪れていませんでした。日本に帰国後、私が大虐殺記念館を訪問した事に対して街宣車が抗議に来たりもしましたが、評価してくださる方もいらっしゃいました。日中友好協会会長の平山郁夫先生が最初に電話してこられて「よく行ってくださった」と喜んでおられました。略)
その後、村山富市さんや土井たか子さんも記念館を訪れ、現在では多くの国会議員も行ってくれるようになりました。>
(p240〜241)
南京大虐殺記念館はどのようにして建てられたかということを知っていれば、このような発言はできないはずだし、遺棄化学兵器についても、その経過を国会議員として知っていれば、同様の発言は日本人とし恥ずかしくてできないでしょう。
野中氏の考え方だと、今、世界各地で問題になっている地雷なども製造国が処理すべき問題のはずです。最大の保有国家、製造国家ひとつである支那には輸出した地雷についてその処理をしてほしいものです。
しかし、野中氏の周りには「ガタガタと震えて動けなくなる」人が多いみたいです。なんとか現象でしょうか。
人権擁護法案の成立を目指しても、野中氏は積極的に働いています。
(二〇〇二年二月に国会に上程)
二〇〇三年九月二一日の野中氏が国会議員としての最後の自民党総務会での発言。
「人権擁護法案は参議院で真剣に議論すれば一日で議決できます。速やかに決議をお願いします」
「野中広務 差別と権力」魚住昭 講談社)p353
野中広務氏は酒もたばこもすっかり止めたそうで、その理由を著書「私は闘う」(文藝春秋 平成八年刊)に書いています。
それによると、酒は昭和三三年、京都園部町町長になったときに、町の一八〇〇万円の赤字(その時の町の一般会計は三七〇〇万円だったそう)があり、役場などが利用してきていた料理屋の借金が三五〇万円あったそうで、それを二五〇万円に値切り、一括返済したが、その時に町長が酒を飲めば、役場の関係する宴会が多くなるので、酒を飲まないと宣言したそうな。
タバコは、最初に町会議員になったときから応援してくれた樋口浩さんという友人が、昭和五五年に脳内出血で倒れた時に願掛けして、一日八〇本吸っていたタバコを止めたそうで、それ以来吸っていないそうです。
私は、タバコは若い時にいたずら程度で吸っていたぐらいで、止めるというほどのものではなかったですが、酒は無理でしょう。
野中氏のこの強い精神力には敬服いたします。
その強い精神力で、支那や朝鮮に相対してくれるとよかったのですが、違ったようです。
芍薬の蝶さん来店。江上さん、フィリッポさん、中島さん、そしていつもは運転手をつとめている酒井さん来店。小胡子さん来店。Iさん三名様で来店。Mさん二名様で来店。大台さん二名様で来店。
営業終了後、江上さん、フィリッポさん、中島さん、酒井さんと高円寺のお店でドンチャン。今日の運転手はなんと監督・・・・朝まで待機とはすごい。私は途中で寝てました。サル・・・・
朝鮮人の生活保護世帯急増
7月30日水曜日晴れ ×
外国人の生活保護世帯急増として下記のようなニュースがありました。
生活保護を受給する外国人世帯が急増している。06年は2万9336世帯で10年前の1・7倍。
一方、生活保護法は国民が対象で、外国人の保護受給は権利ではないとされ、福祉現場で運用に差も見られる。
主要73市・特別区への読売新聞の調査(7月)では、DV(配偶者からの暴力)を逃れるためなど、やむを得ない理由で外国人登録地と異なる自治体に生活保護申請した場合、37自治体は「保護できる」、25自治体は「保護できない」と回答した。
厚生労働省によると、全保護世帯は108万世帯。外国人世帯は、国籍別で韓国・朝鮮が最多の2万2356世帯。中国の2847世帯、フィリピンの2399世帯が続く。韓国・朝鮮人の高齢化やフィリピン人女性の離婚の増加などが、急増の要因とみられる。
日本人の場合、住民票を登録していない自治体でも受給できる。しかし、外国人に対する保護は、生活保護法の準用措置で、54年の厚生省通知は「申請は外国人登録をした自治体に行い、不服申し立てを認めない」としている。
2008年7月27日3時14分配信 読売新聞
このニュースで、いかにも外国人の生活保護の増加が多いように見えるが、日本人も平成七年で一〇〇〇人あたり六・八二であり、平成一八年が一一・五四の一・六九倍とほぼ外国人全体の増加率と同じです。ところが、在日朝鮮人が、単位当たり日本人の何倍の生活保護を受けているのか、もっと、正確な数値を国民に知らせるべきです。
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/370/2006/toukeihyou/0006158/t0136445/HOUA0011_001.htmlと多少の違いはありますが、全外国人生活保護受給世帯のうち朝鮮人が占める割合は実に七六・二%です。(平成一六年は七八・八%)
そして、平成一八年の生活保護が適用される難民、永住者、永住者の配偶者、定住者、日本人配偶者など在留資格者に占める朝鮮人は三九・一%でしかなく、その四〇%以下の朝鮮人が外国人生活保護受給者の約七〇%を占めるというのはいかに異常かよくわかります。
わ。さんご夫妻来店。ふじなみさんご夫妻来店。小胡子さん来店。二名様来店。二名様来店。Tさん来店。
ドンチャン。記憶あり。サルよりまし・・・・・
万人抗
7月29日火曜日くもりのち一時雷雨 ×
「『死体』が語る中国文化」(樋泉克夫著 新潮選書)を読む。いろいろと興味ある記述が出てきておもしろい。あの本多勝一氏が著書「中国の旅」にて書いていた日本軍が支那人を放り込んで埋めたという「万人抗」とは、本来どういうものであるかというのも理解できました。
万人抗についてはすでに田辺敏雄氏が「朝日に歪められた現代史」(全貎社 平成六年刊)という本の中で、本多氏がいかにでたらめを書いているかを、当時の炭坑側の日本人の証言、アンケート、そして歴史検証などに基づき指摘されています。それに対して、本多氏は反論証拠も示さずに、「正論」平成二年九月号にて「この種のかなしい調査結果」「失礼かつでたらめ」などと強調し、「矮小で偏狭な右翼国粋主義者にすぎず、世界に恥をされしている売国奴と大同小異」などと罵倒しながらも下記のような「コメント」をしたそうです。
<第一に「中国の視点」を紹介することが目的の「旅」であり、その意味では「取材」でさえもない。第二に事実関係については日本側の証言をもとめています>
何をいわんかや。<「中国の視点」を紹介することが目的の「旅」であり、その意味では「取材」でさえもない>とはお笑いです。本多勝一という人間の程度とともに、このような男が社の顔であった朝日新聞という会社の程度が良く判ります。
「『死体』が語る中国文化」の著者である樋泉氏は現在は愛知県立大学外国語学部教授で、支那文化というものを死体、その埋葬方法、歴史などから書いた支那文化論です。
万人抗というものについては、「第四章 無告の民と匪賊」にて下記のように書かれています。
<彼女の生まれる二〇年ほど前、四川省の北部が早魃に襲われた。当時の記録は、これまでみてきたような死屍累々とした惨状を綴っているが、その中に、「この年の冬から翌年春にかけて、死に絶えた一家もあれば食い合う者もいた。餓死者は数万を下らなかった。仁に厚い者は始めは棺を、次に席(むしろ)を提供し、席が無くなったら草叢を深く掘って埋葬し、これを万人抗と名付けた>p一一六
つまり、「支那側の言う事だけを書き綴った」だけの本多氏が著書「中国の旅」で<東北地方でよく聞くようになったが、どういうものなのかはよく理解できなかった。だが、このマグネサイト鉱山をたづねたとき、そのすべてを理解することができた。略)
私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人抗のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった。>p一四七
と書いた万人抗は支那各地にあるわけです。
樋泉氏は著書で、
<「草叢を深く掘って」作った「万人抗」だが、大量死体を一括して集団で埋葬するために掘られた大きな墓穴の事である。
戦前のハルピンの中国人街である傅家甸に旅館、雑貨屋、麻薬密売屋などを兼ねた大観園という施設があったが、一九四一年頃にここを調査した内部資料といわれる「極秘魔窟・大観園の解剖」(満州国警務総局編 原書房 昭和五七年)によれば、大観園の敷地内や付近の路上における身元不詳や行き倒れ死体は一ケ所に集められた後、次のように処理されている。
相当の死体が集積せられた頃には、市公署の衛生自動車が来て是等を拾ひ歩くのである。(中略)さて市公署では集められてた死体の足首に、番号の入った小さなブリキ製の札を結び付けて、俗称「万人抗」(ワヌイヌカン)万人も入る大きな穴と云ふ意味で、市では予め大きな穴を掘っておいてそれに死体を抛りこむので伝つてゐる)。正確には『南崗大有坊市立貧民義地』の大穴に文字どおり抛りこむのである。
おそらく、「草叢を深く掘って」作った「万人抗」と「極秘魔窟・大観園の解剖」の伝える「俗称『万人抗』とは同じ性質のものだろう。「仁に厚い者」、すなわち宗教団体なり善会なりの慈善団体、あるいはハルピン市公署のような公的機関が、大量に発生せざるを得なかった無縁仏を埋葬するために設けた施設だと考えられる。>P一一六〜一一八
<つまり、万人抗とは、農村といわず都市といわず。自然災害といわず貧困といわず、あまりにも多くの死があり死体が生まれ、個人の力ではどうにもできなくなってしまったがゆえに、慈善団体なり公的機関が遺族に代わって処理するために考え出されたシステムなのだ。だとすると万人抗は必ずしも日本帝国主義の蛮行の鉄証ではなく、中国の庶民社会に秘められた相互互助機能の一環ということになる>p一二〇
と書いています。
本多氏の「支那側の言う事だけを書き綴った」だけというのとどちらが信憑性が高いでしょう。
しかし、日本人だったらだれもが本多氏から「世界に恥をされしている売国奴」などといわれたくはないでしょう。腐れ売国奴から売国奴と言われる・・・・洒落にもならん。
Kさん、Sさん来店。Uさん二名様で来店。営業途中から酷い雷雨。カトリーヌさん二名様で来店。副店長二名様で来店。小胡子さん、BOOちゃん来店。来店時は一番雨が酷い時。マロさん来店。大台さん来店。
ドンチャン.営業終了後、歌舞伎町〜中野「石松」さんコースで帰りはもう地下鉄が動いていました。サル・・・・・・
手提げ袋
7月28日月曜日晴れ
朝ゆっくりと起きて、シャワーを浴びてから午後から銀行へ行き、週末の売り上げの入金と振り込み。今日は店の家賃、長谷川さんところへの直送分の支払い、蔵元さんに頼んであった特注ラベルの酒の支払いと山盛り。今の時期は外出する時は、美丈夫の濱川社長が送ってくれた手提げ袋は携帯や財布も入れられが便利で重宝しています。
帰りに食事。カレー屋さん。古本屋さんに寄り数冊購入。面白いネタ本は無し。
今日も酒は飲まず。
7月27日日曜日晴れ○
午前中から夕方まで店を片付け、なんとか、新しい冷蔵庫のスペースを確保する。大雨で中央線が遅れたと表示されていたが、このあたりは一瞬だったよう。夕方から高田馬場へ行く。食事の前に、芳林堂さんに寄り、「『死体』が語る中国文化」「昭和二十年の文藝春秋」「中国を追われたウイグル人」「銀時計の特攻」などを購入後、地下にあるトンカツ屋さんにて食事。そのまま、スポーツセンターに行くのはきついので、時間稼ぎに、もう一度芳林同さんに戻り、今度は四階にて立ち読み。
スポーツセンターでは昨日できなかった肩、腕、下半身のメニューを消化。昨日、胸、背中のメニューをやった後に両肩が営業中にダルかったので、今日もマシンによる肩のメニューでショルダープレスがあまり上がらず。ダンベルによる肩のメニューを多くする。二日に分けて連続してやる時は、今より少しメニューを変えた方がいいかもと思う。
帰宅後、風呂に入った後は、今日買ってきた本を読んでいたら、灯りをつけたまま寝てしまう。飲まず。
池田氏名誉学術称号240
7月26日土曜日晴れ △
「名誉会長 世界から240の名誉学術称号」という見出しは、平成二〇年七月一五日の聖教新聞第三面です。その日の第一面は「池田SGI会長に名誉証 南米ブラジルの文化の十字路 シドロランジア市」というものでした。
学術称号について、国内の「識者」が賞賛の声として下記のようなことが書かれています。
島根大学 板村裕之教授
<略)
各国を代表する名門学府が名を連ねている。これは世界でも比類のない快挙であり、心よりお祝いを申し上げるとともに最高の敬意を表したい。これほど顕彰されている方は、世界に名誉会長をおいていらっしゃいません。
略)
世界の学術界は地球的課題の解決を真剣に模索し、名誉会長の提言や行動に注目している。こういう事実があることを、日本のマスコミ等は、もっと知るべきだと思う。>
創価大学 高木功教授
<略)
名誉会長に贈られた数々の「英知の宝冠」は、平和・文化・教育における多大な貢献に対する顕彰であり、国境を越えて民衆の心と心をつなぎ、人類の連帯を可能とする名誉会長へ共感と尊敬の証である。
いまだに日本が過去の戦争の過ちを清算し切れないでいる現状にあって、名誉会長は誠実な対話と行動で、中国や韓国、フィリピンなどアジア各国に深い信頼を広げてきた。
こうした功績を、きちんと評価でき得てない日本が残念でならない。>
三重県立看護大学 奥山みき子講師
<名誉学術称号は、大学の威信をかけ、厳正な審査の下に贈る最高栄誉です。大学教育に携わり、一つの名誉学術称号の重みを知る一人として、世界一の偉業を心から讃えずにはいられません。
略)
「二四〇」の名誉学術称号は、名誉会長の生命哲学と行動、そして、現実に民衆に希望と活力を送り、一人の人間の境涯を高めている事実に、世界の知性が共鳴している証といえましょう。>
すばらしい賞賛の声ですが、板村氏と高木氏は我が国での池田氏に対する評価が正当でないということを嘆いておられます。たしかに、数え切れないほどの国家勲章、名誉市民、名誉学術博士号を受賞していながら、我が国からは皆無です。そして、池田氏のこれだけの「イダイ」な業績が、嘲笑の対象として話題になる事はありますが、それ以上の事もありません。
これについては、池田氏自身が下記のようなことを言っておられるようです。
<ねたみばっかり言ってしょうがないと日本は! バカばっかりだからねィ、ねい、餓鬼、畜生です。修羅と大聖人(日蓮)が言っておられるんだけど」(一九九一年六月一日、第四三回本部幹部会でのスピーチ)私は「創価インターナショナルの実像」段勳著 リム出版二〇〇三年 P二〇一〜二〇二より引用)
池田氏は我が国、我が国民の事はここまで言いますが、朝鮮や支那については違うようで、兄の国と言って憚らない朝鮮などにたいしては「日本は韓国と友情を結んで,
韓国を尊敬して, 韓国の心を学ばなければならない 韓国で受けた文化の大恩恵はいちいちかかることができない位だ.」と絶賛しております。
参照 池田大作語録南朝鮮編
最近でも聖教新聞に「文化大恩の島へ」と済州島の事を掲載しています。
ついでに<銭で買った池田大作氏の名誉>も笑って読んでやってくださいまし。
私は、池田氏の厚顔無恥さというのは、あまりにも普通の日本人の感覚とは懸け離れているように思えてなりません。
お約束ですが、そんな、池田大作氏を偉大な指導者と崇める創価バカ信者・・・・・
午後から、スポーツセンターに行く。時間がなかったので、胸部、背中のメニューのみ消化。
Cさん二名様で来店。Sさん二名様で来店。初めてのお客様Nさん来店。
外国人がその地において、尊敬される条件
7月25日金曜日晴れ ×
「アルジェリア系米兵」。これはタクシー運転手が刺殺され、その車の中に残されていたクレジットカードによる容疑者についてのあるテレビ局の報道です。あの朝鮮系日本人の織原城二が英国人女性ルーシー・ブラックマンさんら一〇人に対する準婦女暴行致死罪などに問われた事件がありました。無罪を主張しながらも、ルーシーさんの御遺族に「お悔やみ金」と称して総額一億円を提示した事を報じるニュースでも、一切朝鮮系日本人という事が報じられません。
外国の報道機関は、この犯罪者が帰化朝鮮人であることを既に報道していたにも関わらず、我が国の報道機関は報道しませんでした。
このように隠して報道する必要性がどこにあるのでしょう。犯罪は、犯す方が悪いのです。犯罪により、事実を報道すればその民族のイメージが悪くなるというのならば、それは犯す方が悪いのであって、被害者は悪くないのです。むしろ、報道が在日朝鮮人、あるいは朝鮮系日本人が犯した犯罪の事実を隠すという事により、我が国国民に与えている不利益を問題にすべきなのです。
外国人は、どのような国においてもそこの国民と同じという事はありえず、大なり小なり、必ず差別というものは存在します。日本人が海外で生活した場合でも同じです。我が国において、有名な王貞治氏は帰化していません。しかし、王氏は多くの日本人から尊敬されています。王氏も、台湾籍のために、早実高の時に国体に出場できなかった等、いろいろな事があったと思います。もし、帰化した場合でも○○系日本人となり、その国の国民とは違うことでハンディを負います。そのハンディを乗り越え、その住んでいる国に奉仕し、その民族が尊敬されるようになるためには、そこの国民以上の努力が必要です。それを「差別」「差別」などといかにも「権利」のごとく騒ぎ、それに同調するアホ日本人。
メキシコ、中南米において我が国より移住し、日系人として生きている皆様はほとんどが真面目、勤勉などということで、尊敬されています。日系人と偽る連中がいても、日系人ということを隠して生きている人などいないでしょう。隠す必要もないからです。大統領にもなっています。集団移民一〇〇周年ということで、特別展示などが行われているブラジルでは、「ジャポネス・ガランチード」(日本人的保証)という表現があります。これは、ブラジルに移民された方々が貧乏と苦労の中、マイノリティの立場でありながら、ブラジルの人々からこのような表現があるほどの信用を得たのです。最近では、空軍の最高司令官にまでなっています。それは、移住した国のために日系人として一生懸命尽くしてきた証しです。
以前に書いたことがありますが、私は昭和五四年ごろメキシコで放浪しているときに、比較的長く滞在していたグアダラハラ市で日系メキシコ人の方から「木下さん、あなたは旅行者だから、メキシコを楽しんで帰ってくれ。何をやってもいいから、メキシコを好きになって帰ってくれ。でも、何をやってもいいけど、日本人の恥になるようなことだけはやらないでくれ」と言われたことがあります。
メキシコで、日系メキシコ人として築いて来た信用があります。それを私のような日本人の旅行者が壊さないようにしてくれという事なのです。旅の恥はかき捨てなどという事はないのです。ただ、ブラジルで「ジャポネス・ガランチード」と表現され、メキシコなどでも尊敬され、信用されていたのは戦前生まれや、教育者に戦前の教育をうけてこられた方が多かった時代の日本人です。
今の日本人が海外にて同じような尊敬される民族になり得るのであろうか。今の教育は、日教組の成果がでて、アホ日本人を量産していっているようにしか思えない。
これも書いた事がありますが、メキシコで知り合い、帰国後、歯学部に入学し、今は東京で開業している友人の歯医者さんで、開業以来、矯正治療費を払わなかったのが二件あるそうですが、どちらも在日朝鮮人だったそうです。先日、在日朝鮮人の生活保護の支給率が日本人の五・六倍であり、日本にいる外国人の中でも最悪である。そして、朝鮮人の不正受給なども指摘され、ニュースになっている事を書きました。これは、我が国に寄生し、たかって生きている朝鮮人の割合が高いという事です。日本人の先人の努力により「ジャポネス・ガランチード」という表現になっているのとは逆のパターンではないでしょうか。「朝鮮人には通名という偽名を使わざるをえない事情がある」などというのは、朝鮮人がよくいう言い訳、嘘にしか過ぎません。通名などという偽名を朝鮮人以外にどの民族が使っていますか。使っているのは朝鮮人だけです。
「私は自分の名前に誇りを持っていますから、通名など使いません」
この言葉は、ご自身は日本に帰化されていませんが、お二人のお子さんはご自分の意志で帰化されている金美麗氏の言葉です。
「通名を使わなければいけない理由がある」などというウソを平気で言っている在日朝鮮人は、金美麗さんの爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものです。
ケネディは「国があなたのために何をしてくれるかではなく、国のために何ができるかが問われている」という内容の有名な演説をしましたが、今、生きている国に対して尽くそうともしない人間、人種が尊敬もされるはずもなく、ましてや普段は日本人のふりをして通名などという偽名で生きていながら、都合が悪くなるといきなり本名を使い、外国人として「差別」「差別」と叫び、被害者面をして、普段の自分達の生き方を棚にあげているだけの生き方。そんな生き方を改めない限り、あるいは、外国人が他国で生きていくということは、そこの国民の何倍も大変な事であるという自覚もなしに、努力もせずに、その住んでいる国の国民のせいにしてばかりいる限りは、その国の国民から尊敬される事など絶対にないでしょう。それは、我が国においてばかりではなく、どこの国でも同じでしょう。
差別差別と騒ぐ外国人は、その前に、自分自身に問いてもらいたい。自分自身が、この国に対してどのような貢献をしているか。そして、尊敬される対象となっているかを。
今日はメチャ忙しく、Sさん、Sさん二名様で来店。Aさん二名様で来店。HIROKOさん五名様で来店。Iさん二名様で来店。ナベちゃん来店。一名様来店。Mさん三名様で来店。遅い時間にマロさん来店。
ドンチャン。
公称550万部
7月24日木曜日晴れ △
写真をご覧ください。
大きく「小松まさ子連絡所」と書かれ、 その側に気味の悪いポスターが貼られています。 |
そして、ちっこい箱があり、 そこにはご自由にお持ちくださいと書かれています・・・ (左の写真とは、撮影日時が違います) |
別の場所にも、「小松まさ子連絡所」と書かれ、 その他に写真のようなポスターが貼られて、 ボックスの種類は違いますが、同様の事が書かれています。 |
このボックスには聖教新聞が入れられています。 |
あっ、私が常々拝読?させていただきお世話になっているのも、当然、こういったタダで配られている気狂い新聞です。ハイ!
小胡子さん、Oさんと来店。Hさん二名様で来店。二名様来店。
今日も一通り飲む。
「丸」昭和44年10月号 朝日新聞 辰濃和男記者
7月23日水曜日晴れ △
私が淡路島の実家に帰ったときに持ち帰った、自分の部屋にあった古い雑誌のひとつに、昭和四四年一〇月号の「丸」があります。昭和四四年一〇月というと、私が一五歳ですから、高校一年だったころの雑誌です。定価二七〇円・・・・・
この雑誌には「続 大空のサムライ」などが掲載されていますが、他に、この本には沖縄レポートとして「忘れられた皇軍」と題した朝日新聞 首都部 辰濃和男氏の論文が掲載されています。
内容は下記のようなものです。
<沖縄戦では、約一五万人の沖縄住民が死んだ。それは、沖縄での日本軍戦病死者約一一万人の数をはるかに越える数であった。
略)
琉球大学の太田昌秀教授がつぎのように語ったことがある。教授は戦時中、鉄血勤王隊の一員として戦線にくわわっていた。
「日本の兵士が沖縄の女性をスパイよばわりして銃剣で刺し殺すのを沖縄戦のさなか、目撃しました。高い木にのぼった、というだけでスパイだとされたんですね。壕の中では、泣く子が殺されたりした。その泣き声がスパイの合図だろうと親が疑われましてね。結局、親が気が変になって自分で子供を絞め殺しちゃったんです。そういうみじめな戦争でしたね。私たちが味わった、あの泥水の中をはい回った沖縄戦のむごたらしさが、本土の人々にはあまり知られていない。」
食糧のために殺された悲劇
沖縄戦記の中でも、とりわけむごく、悲惨なのは慶良間島の集団自決事件だ。どういうわけか、この事件は、あまり詳細には本土に紹介されていない。
略)
あとで、真相がわかった。それは「必勝のための集団自決」ではなかった。赤松大尉は地下壕内の将校会議で「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残ったあらゆる食糧を確保して、持久体制をととのえ・・・」と主張したという。つまり、食糧確保が住民の自決をせまる主目的であった。
赤松大尉らは、玉砕しなかった。以後、沖縄戦の主舞台は沖縄本島に移った。軍に食糧を徴発された渡嘉敷島民は栄養失調でつぎつぎに倒れた。米軍の捕虜になった伊江島住民六人(うち女性五人)が、赤松大尉らの陣地に降伏の勧告に行った。大尉は六人を捕虜にし、処刑を命じた。
他に、二人の少年(渡嘉敷島民)がやはり米軍の命令で降伏の勧告に行き、ぎゃくに「集団自決の場所から逃げ出し、米軍に投降した」という理由で、銃殺された。
が、赤松大尉らは、最後に、米軍に降伏、七月一七日、武装解除した。
軍部の横暴に対する憤りをこめて沖縄の人びとは集団自決事件を回想する。それは単に、軍部対非戦闘員=民衆の関係ではない。沖縄人にとっては、それはあくまでも「日本軍部」対「沖縄住民」の関係なのだ。ヤマトンチュ(大和人=本土人)対ウチナンチュ(沖縄人)の関係なのだ。
略)>
「丸」昭和四四年一〇月号P一八三〜一八五
やはり、朝日新聞は朝日新聞だったのです。日本のためにならないことだったら捏造でも何でもやります。
この渡嘉敷島の村長らが守備隊長だった赤松大尉を訪ね「集団自決は旧日本軍の命令だったことにしてほしい」と頼んでいたことが明らかになっています。
昭和三十年代初頭、集団自決の犠牲者が準軍属とみなされれば、その遺族に援護法に基づく年金が旧厚生省から支給されることになったが、そのためには旧日本軍の自決命令が必要だった。
そのため、当時の村長らが渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次元大尉(海上挺身隊第三戦隊長)の自宅(兵庫県加古川市)を訪ね、事情を説明したところ、赤松氏は最終的に、自決命令を出したことにすることを承諾したという。
もう一つの座間味島の集団自決をめぐっては、当時の同島女子青年団員だった女性らが戦後、軍命令がなかったことを告白している。
(二〇〇五年六月六日産經新聞朝刊より)
しかし、朝日新聞は社説などでも従来の主張を変えていません。
赤松大尉の将校会議での発言、同じく住民による降伏勧告とそれに対する虐殺という記述・・・・これらも、同様に問題視されるべきだと思います。
まあ、この「丸」という雑誌も他の号にあの売国奴の本田勝一のベトナム日記を載せているぐらいですし、最近の号にも「従軍」慰安婦をはべらせて、戦地を連れて歩いた隊長がいたというアホな事を体験記の中に書いているのをそのまま掲載しているような雑誌ですけど。
「従軍」慰安婦・・・・・
相変わらず、活けのアオリイカなどがメチャ高いそうで、今日もキロ九千円の競り値だったそうな。競りが九千円・・・・・・当然、パス。
一名様来店。二名様来店。三名様来店。でっかい声でしゃべっていた蔵元でしか飲めない酒の一番絞りってなんのことだろう? 二名様来店。Sさん来店。今日はSさん以外はみなさん初めてのお客様ばかり。
営業終了後、Sさんと歌舞伎町の中華屋さんに伺う。私は初めての店。久しぶりの歌舞伎町。その後、中野の「石松」さんに伺う。相変わらず満席というか立って飲んでいる人まで・・・帰りは「石松」のマスターと同乗しタクシーで帰る。今日は珍しく最後まで記憶あり。
誰のために
7月22日火曜日晴れ ×
<女子の初戦の開始直前、会場内の創大チームのベンチ前では円陣が組まれた。「創立者の励ましに応えるため、絶対に勝とう!」「オーッ!」呼びかけたのは、輪の中心にいた主将の遠藤あかねさん(四年)。他の選手も力強く応えた。
略)
出場したメンバーも、控えのメンバーも、全員が「創立者のために勝つ!」と、心を一つにして掴んだ栄光だった。>
創価大学の女子柔道部が全国大会で「三人制」の部で団体優勝を飾ったときの聖教新聞平成二〇年六月三〇日の第一面の文面です。
運動をやって大会に出るときは、普通、その属している大学、高校などの名誉、属している部の名誉とかいろいろ考えるでしょうが、創立者のためにという思いは中々無いのではないでしょうか。
池田大作ダイセンセイのお言葉として、同じ日の聖教新聞に下記のようなお言葉が掲載されています。
戸田氏のことを引用し、
<「私は(牧口)先生を、親子として、弟子として、一生涯、自分の生きているあいだは大事にしていく決心であります。」
この美しい絆があったからこそ、学会は強かった。
戸田先生を迫害する者を、私は絶対に許さなかった。>
ダンテがその師ウェルギリウスに語った言葉を引用し、
<「私がいかほど先生に恩を感じているか、私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」と。
子弟一体であってこそ、偉大な歴史を創ることができるのである。>
そして、別の日には下記のような事も言っているそうです。
<私は全世界に妙法という平和の大哲理を弘める(ママ)ことで、戸田先生の仇を討ったのだと力説した。そして、若き皆さんは学会の根本である、この三代の子弟の精神を受け継ぎ、立ち上がってもらいたいと念願した>
聖教新聞平成二〇年七月一七日二面 幹部会でのスピーチとして
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」
(九六年一一月三日『創価同窓の集い』にて)
つまり、池田氏は戸田氏とかダンテを引き合いに出し、バカ信者に自分(池田氏)を大事にしろ、守れといっているわけです。
そんな池田氏にとっては、これほど大事な師のはずの創価学会二代目会長戸田聖城氏が昭和三三年四月二日亡くなり、四月八日にて青山葬儀場で行われた告別式では、参謀室長として陣頭指揮し、取り仕切り、その葬儀の直後に、戸田氏の東京目黒の自宅を訪ねて、家捜しするように二代目会長の遺産を洗いざらい調べあげて、本部に持ち帰っています。
それについて、以前に書きましたが、内藤国夫氏は下記のように書いているそうです。
<当時、青年部参謀室長の職にあった池田大作氏は、会長の死の直後に時を移さず、目黒の戸田先生の家にのりこんだ。幾子未亡人をさしおいて戸田先生の遺品類や、古美術品、学会関連事業の重要書類など、四億円相当の遺産を強制的に差し押さえ、学会本部に持ち去った。あまりにむごい仕打ち、と嘆き悲しむ遺族の懇望で、後に四千万円相当の胃算が返却されたものの、大半は創価学会の所有に帰した。
あこぎさはそれにとどまらなかった。戸田先生の葬儀に寄せられた四千万円余りの香典さえ、遺族には渡されず、創価学会が独り占め。幾子未亡人らの再々の抗議で、四九日法要をすませたのち、ほんの一部が返されたのみ、という。
そういうあくどいことを一方でしながら、他方で、歯の浮くように「恩師」をあがめたてまつる。池田大作氏の人となりを示すエピソードといえよう>(「現代」五五年七月号)
私は「池田大作の素顔」藤原行正著 講談社一九八九年刊 p六五〜六六より引用。
藤原氏は同じ著書で、池田大作氏が、自身の不始末のための責任逃れのため、名誉会長という名目上の名誉職になった後の四代目会長北条浩氏の葬儀の時にも、池田氏は同じ醜い行動をとったことが書かれています。
<その通夜と本葬で集まった一億五千万円の香典、東京の戸田記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約二〇億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫に入れた。
それだけではない、一家の柱を失った遺族は長年住み慣れた聖教新聞社前の和風二階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ。その後、旧北条宅は一億円をかけて改築され、池田名誉会長の専用施設になっている。>同書p六六〜六七
<そういうあくどいことを一方でしながら、他方で、歯の浮くように「恩師」をあがめたてまつる。池田大作氏の人となりを示すエピソードといえよう>この内藤氏の言葉が、普通の人が池田氏をみたときに感じる日本人とはとうてい思えない厚かましさ、醜さをよく現しています。
創価学会にとって、師とは池田氏までの三代の会長であり、その後の代の会長などはカスなのです。池田氏より目立とうとすれば、潰されます。
さすがは高利貸しの取り立てで才能を開花させたお人だけのことはあります。ちなみに、写真は高利貸し時代の池田氏の融資、いや勇姿でございます。
流石に、アホ創価信者どもが「偉大な指導者」とあがめ奉るだけのことはあります。
今日はどういうわけか忙しい。IさんUさんと来店。小胡子さん、ぶーちゃんと来店。Hさん来店。Nさん三名様で来店。初めてのお客様二名様来店。
早い時間から飲む。ドンチャン。
サミットで出された酒
7月21日月曜日晴れ ○
北海道の洞爺湖で行われたサミットの夕食会にて、「磯自慢 中取り純米大吟醸 三五」が乾杯に使われたそう。
沖縄でのサミットでは、確か、某有名ソムリエが参加国のワインをブレンドして、それを乾杯の時の酒に使うというアホな事をやったはず。今回はあのソムリエは関係してなかったのだろうか。
今まで、一二月に出荷される「磯自慢 中取り純米大吟醸 三五」がそれ以前に出荷されたのは今回で三回目だったと思います。
以前に蔵元の寺岡社長から伺った時の記憶では、最初は今上陛下の静岡県行幸の際に。もう一回は皇太子殿下が同じく静岡県に来られた時に。
今回のサミットでお酒を納品した長谷川酒店さんのブログを見ると、今回納品した他の酒は下記の内容だったようです。
・西酒造の万暦、白天宝山
・高木酒造の十四代 特吟 愛山
・萬乗醸造の醸し人九平次 純米大吟醸 別誂(オリジナル)
・五町田酒造の東一 純米吟醸Nero
・廣木酒造本店の飛露喜 特別純米酒
・九重雑賀の雑賀黒糖梅酒
今日は食事に外に出ただけで、後は部屋でゴロゴロして終わる。この夏もまだ一回も部屋ではクーラーを使っていない。去年の夏もクーラーを使わなかったので、今年も使わないで終われれば。
古本屋で先日買ってきた辛淑玉女史の著書「鬼哭啾啾」を読む。本の題名である「鬼哭啾啾」の意味を意
味をネットで調べると、「恐ろしい雰囲気に包まれていること。うかばれない死者の霊(鬼)が大声をあげて泣き(哭)、その声がいつまでも続く(啾々)という悲しくも恐ろしいさま」というのだそうで、その解
説として、「哭」は大声で泣くこと。「啾啾」は、しくしくと細く尾を引く泣き声のこととだそう。内容は北朝鮮に帰っていった身内の事をいろいろ書いているのだが、辛淑玉女史らしい予想どおりのネタ満載のバカ本。それに比べて、一緒に買ってきたつかこうへい氏の「娘に語る祖国」は一〇〇倍良い内容。
飲まず。というか、部屋に今は酒を置いていない。
7月20日日曜日晴れ ○
店を片付けてから、スポーツセンターへ行く。向こうから、「久しぶりです」と声をかけてくれた若い人は、今年の初め頃にベンチプレスで一緒になり、その時に基本的な事を少しだけ話しをしたが、見違えるよう。一八〇センチ以上もある上背で、若い事もあり、体もがっちりとし、腕も太くなり、その時は五〇キロ程度だったのが、今は、本人の努力もあり一〇〇キロは上がるそうな。
今日もスロートレーニングで、昨日できなかった肩、腕、下半身などのメニューを消化。
帰りに、芳文堂さんにより立ち読み。
九条の会
7月19日土曜日晴れ ×
昨日がヒマだったので、今日は河岸に仕入れに行かずに、午後からスポーツセンターに行く。高田馬場駅を出ると、「東京土建九条の会」とかいう気狂い連中がいろいろと叫んでいるので、ひまだったし、近くによって、配っていたパンフレットを見ながらそのうちのひとりの親父さんに質問。
私「このパンフレットに書いてあるように、いわゆる平和憲法を守って、戦争放棄、戦力の不所持、交戦権の否定をうたっていても、他国から攻めてこられた場合はどうするのですか」
親父さん「いや、とにかく、この憲法のおかげで日本は平和だったのだから」
私「そうですか。昭和二六年に一方的に宣言された李承晩ラインにより、南朝鮮に竹島を不法占拠され、多くの漁業関係者の皆さんが銃撃され、四〇人以上がお亡くなりになり、四〇〇〇人近くが拉致されたりしましたが、その時はすでに我が国には現在の憲法が制定されていたのじゃあないですか。戦力が我が国になかったから、南朝鮮はそのような行動に出たのじゃあないですか。」
親父さん「いや、だから・・・・」
私「つまり、他国から攻めてこられても、日本国民は何もせずに殺されろということですか」
親父さん「いや、だから・・」
私「そもそも、占領時に憲法を改正した例はあるのですか? そのような憲法が正しい手続きを経た憲法と思いますか?」
その親父さんは答えずにどっかに行っちまいました。
一〇〇〇万人署名というので、署名前に質問がありますと、同様の質問をしたら、「賛成できないのなら、署名していただかなくても結構です」と逆切れされてしまいました。
平和、平和と唱えていれば平和なんだと思うアホウども。
二名様来店。二名様来店。Wさん来店。Bさん来店。遅い時間に金チャン、マロさん来店。
営業終了後、Bさんと神楽坂の初めてのお店に伺う。帰りは明るかったです。
野茂投手引退
7月18日金曜日晴れのち一時雨 ○
野茂英雄投手が引退表明したそう。日米両国での新人王、大リーグでの二度のノーヒットノーラン。日米通算二〇一勝などの偉大な記録がなくとも、イチローに国民栄誉賞の話があったときに、野茂投手の同僚であった吉井投手が「イチローより野茂が先だろう」と言っていたが、まさにそのとおりと思います。石もて追われるように米国に渡り、一億四〇〇〇万円の年棒が九八〇万円になっても、大リーグにて強い意思で活躍したパイオニアであり、野茂投手の大リーグでの活躍がもしなければ、今の日本人選手の何人が大リーグ入りしていたのだろう。
野茂投手は二〇〇勝を達成してあの名球会入りの権利を得たが、「今は返事をする必要がないと思う」として意思表明を保留しており、正式入会には至っていないそうですので、落合博満氏共々このままくだらない株式会社名球会入りは止めてほしいものです。
山本モナという芸能人と巨人軍の二岡智宏選手との不倫騒動がいろいろ報道されている。
芸能人に何を求めてるのだろう。モナを引き取った北野たけしも不倫で騒がれた。キャスターというのでは、有名な安藤優子も不倫の末の略奪結婚だったと思う。テレビで偉そうなことをいっている電波芸者の田原総一郎氏も長いダブル不倫の末に前の奥さんが亡くなったあとにその不倫相手と再婚した。その時の事などを書いた著書をだしているが、世間一般の常識からすれば、許されることではないでしょう。
ホームページを見てくださった方が、私の所に送ってくれた資料には、今、テレビとかよく出て、偉そうにいろいろ言っている反日朝鮮人大学教授も不倫しているという話がある。教育者の不倫はいいのだろうか。
バンブーさん来店。二名様来店。二名様来店。Tさん来店。
疫病発生源
7月17日木曜日晴れ
四七〇級でメダルが期待できるヨット競技ですが、その競技会面で大量のアオサが発生していた北京五輪のヨット会場が突然閉鎖されたそうですが、閉鎖原因は別にあるようです。
以下引用
【大紀元日本7月16日】中国政府当局は7月14日、五輪大会のセーリング会場となる山東省青島市の沿岸地域を突如閉鎖した。
ドイツメディアの報道によると、ドイツセーリング協会(DSV)のハンス・サンデス氏はドイツ通信に対して、北京五輪組織委員会は各国の代表団に簡単な通知を渡したが、閉鎖の理由及び期間に関しては説明がなかったと話した。
青島で事前合宿訓練を行っている各国代表団の間では、5月末から大量発生したアオサの除去作業が失敗したため、中国政府が会場を閉鎖せざるを得なかったではないかとの思
惑が交錯している。サンデス氏は「北京五輪組織委員会は私たちに対して、開催者として会場を閉鎖する権利があると話した。私自身は今までこのような実態に遭ったことがない。今、すでに30ヶ国のチームが現地に入っており、彼たちはすでに何千万ユーロの費用を支払ったのに、このような事態になったとはノ」と驚きを示したという。
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/07/html/d69006.html
その少し前には下記のようなニュースがありました。
以下引用
【大紀元日本7月16日】 情報によると、今年7月に入ってから、五輪ヨットレース開催地の中国山東省青島市で原因不明の疫病が流行し、15日の時点で、青島の市街区だけで感染者数は16万人に達し、死亡者数は1251人に達したという。
海外のいくつかの中国語メディアの15日の報道によると、現在、青島大学の付属病院、青島市立病院などの大きな病院では、毎日数万人規模で患者が詰め掛けているという。
これらの患者に共通の病状は、激しい頭痛、嘔吐、高熱である。
多くの高齢者と児童は病状がより激しく、肝臓、腎臓、呼吸器などの機能障害を併発した患者も少なくない。
感染者の増加とともに、市民の不安も日々広がっている。
青島市の衛生部門は、人々の不安を緩和するために、メディアを通じて、今回の感染症はインフルエンザであり、大規模な流行は起こらないという専門家の考えを強調している。
一方、7月12日に青島市政府は全市の衛生局、疾病制御センターなどの関係者を集めて研究会議を開いた。
会議の席上、今回の感染症は流行性脳脊髄膜炎に似ていることが報告された。
その上で、間もなく開催されるオリンピックのヨットレースに影響を与えないように、今回の感染症情報を最高機密として扱うことが決定された。
そして、各級の衛生医療部門に、患者の情報が外部に漏れないよう指示し、すべての可能な手段を使って患者を強制的に隔離するよう要求した。
また、この会議では、内部には厳しく対処し、外向けには穏やかな雰囲気で行ない、対外的にはやはりインフルエンザであると宣伝することが決定された。
同情報は山東省と青島市のインターネット掲示板でも話題となっていたようだが、すべての関連発言はすでに削除されている。
引用終わり
ヨットのセンターボードに藻が一本引っ掛かっただけでも、影響が出ます。そんな試合会場で大量のアオサの発生に加えて、原因不明の疫病。国の存在自体が世界の疫病である支那らしい話題です。
不思議と、支那、朝鮮の不利になるこのようなニュースは大々的に我が国では取り上げることがありません。こんな国でオリンピックは一〇〇年早かったのでしょう。かかわりたくないない国、支那。朝鮮。そんな国と学術,
文化, 青少年 交流 などを 促進することのため 五〇億円規模の交流基金を創設した我が国政府。そして、一〇〇〇万人の移民をいれるという中川(女)というアホ政治家。
バンブーさん来店。小胡子さん来店。K@京城さん二名様で来店。三名様来店。ケイザブロウさん、一歩ちゃんなど五名様で来店。二名様来店。
ドンチャン。営業終了後、Sさんのお宅でマルガリータさんTさんともどもドンチャン。朝帰り・・・・
いまさらながらの加藤紘一
7月16日水曜日晴れのちくもり △
今日発売の週刊文春でも「中国、北朝鮮に秋波を送る加藤紘一よ、恥を知れ」という記事が掲載されるほど加藤紘一議員が「拉致被害者を北朝鮮に返すべきだった」と発言し世間から叩かれて、時の人となっていますが、加藤氏の素性からすれば、今更というか、通常の言動なのでしょう。
週刊文春の記事では、加藤氏の日中友好協会会長就任の後押しは、相談された当の本人は否定しているそうですが、同じ売国奴仲間の山拓氏だったようです。
加藤氏は現在叩かれているその発言については、自らのホームページで下記のように釈明というか言い訳をしています。
以下引用
拉致被害者の方々には一時も早く戻ってきていただきたいのは当然ですし、ご家族の方々のお気持ちを察すると言葉を失います。また、拉致という犯罪で、日本人の人生を奪った北朝鮮にも強い怒りを感じます。
その上で、一時も早い解決を願い、2002年の政府の対応が、安倍官房副長官(当時)の主張によるものではなく、福田官房長官(当時)の主張する内容であれば、小泉首相(当時)の行った歴史的な会談がその後も大きく展開し、かつ拉致問題ももっと大きな進展を見せていたはずだという趣旨を述べたものです。
その中で、「約束を守るべきだった」といいましたが、その真意は2つです。
1 拉致という犯罪を犯した北朝鮮から、「日本は約束を守らなかった」などといわれてはならない。日本人の誇りを大切にすべきである。
2 北朝鮮が拉致を認めて謝罪したあの時、北朝鮮はアメリカの攻撃を恐れていた。だからこそ、一気呵成に交渉を進めて、拉致問題の全面解決を図るべきだった。しかるに、北朝鮮に「日本は約束を破った」という不信感と口実を与え、その後の交渉が途絶える一因を作ったと考える。
引用終わり
続いて、加藤氏は西川のりお氏との対談内容を掲載していますが、対談内容については、産經新聞の阿比留瑠比氏がご自身のブログでテープよりおこした対談内容を掲載し、突っ込みを入れておられます。阿比留氏のブログの方が加藤氏が略したところなども詳しく対談内容が掲載されています。
この加藤氏と同じような事をいっていた連中が多くいました。「都合のつく時に、行ったり来たりしてもらって」などとほざいていた山際永三氏などもそうです。
まず、拉致被害者の方々を北朝鮮に帰すという、「国と国との約束」と加藤紘一氏は言っているが、阿比留氏が書かれているように、このような約束はなく、田中均という役人の戯言であり、我が国政府だけでなく、北朝鮮も認めていません。加藤氏はそれを知らないか、平気でウソをついているかのどちらかです。知らないでこのような事をしゃべるのであれば、国会議員として恥ずかしいし、知っていてウソを広めるつもりであれば、売国奴としか言い様がない。
現体制の北朝鮮との国交正常化を叫ぶ加藤氏は、北朝鮮という国をどう考えているのでしょう。中学生の時に、能登沖で拉致された寺越武志氏の例を忘れたのでしょうか。朝鮮人とともに朝日新聞、朝鮮総連などにだまされ北朝鮮に渡って行った多くの日本人妻の事を忘れたのでしょうか。
彼らが自由に行き来出来ているとでもいうのでしょうか。北朝鮮と国交正常化しても拉致の解決につながるとはとても思えません。北朝鮮と国交があるいくつかの国が自由に行動できているとでも思っているのでしょうか。
現在、タイ王国は北朝鮮と国交はありますが、拉致されたタイ人女性については未解決のままです。
そして、「金正日は謝ったわけですね。「親の代にやったことだが、あれはまずかった、ごめんなさい」と。あの国では、一種、天皇陛下みたいなポジションの人物ですよね。」と天皇陛下と金正日と同様だと言っているのです。独裁国家であり、国民が飢えて何一〇〇万人死のうが、自分だけ温々と生きて平気な独裁者と我が国の天皇陛下と同じと言っているのです。
先帝陛下は、戦後も長く雨漏りのする防空壕に住まわれておられたそうです。それは、日本国民が戦後の復興により立ち直るまで、自分だけ新しい御所には移れないと国民を気づかわれてのことでした。
今上天皇も、国民のためにと祭祀を欠かさず、そして、日本全国慰霊の旅を続けられております。そんな天皇陛下と金日成、金正日の独裁者とを一緒にするとは、とても日本国の政治家とは思えません。
加藤氏は自身のホームページでは記述していないが、西川氏との対談番組で、<あの国をみんな「とんでもない国」「恐い国」とよく言うでしょ。でも、「ミサイルを撃った」といっても、日本の防衛省や三菱重工の方が数段上ですよ。北朝鮮と日本の自衛隊をみたら日本がずっと上ですよ。油も買えないから飛行機の訓練はほとんどしていない。韓国はもう「こりゃ勝負付いた。面倒みよう」となっている。日本もこれもう、勝負は終わってますから。あの国の経済体制は・・。>
そんな国であるが、核兵器を所持し、その処理が日本にとって最優先と言っているのは、加藤氏の盟友である山崎拓氏です。
何よりも、この加藤紘一氏という人間が北朝鮮だけでなく、南朝鮮、支那などに対して、今までどのような事をやってきたか。この人間の生き方をみれば、今回の発言は当たり前の事です。
北朝鮮問題だけでなく、他の事でも普通の神経を持っている人間だと恥ずかしくて議員などできないでしょうが、普通の尺度で計れない厚顔無恥な人間だから、このように平気で自分の過去を忘れてしゃべれるのでしょう。
加藤氏は
昭和三九年(一九六四年)四月外務省入省、八月在台北大使館勤務
昭和四二年(一九六七年)六月在香港総領事館副領事 昭和四四年(一九六九年)六月 外務省アジア局中国課課長補佐
とチャイナスクール一筋です。
そして、支那、朝鮮が我が国の教科書検定に口出しをしてくるきっかけだけでなく、支那の遺棄化学兵器や、朝鮮の慰安婦問題にも加藤氏は関係しています。
北朝鮮における米支援の利権問題にも顔を出します。_北朝鮮の米支援については、加藤は熱心に北朝鮮への米支援を推進し、在日朝鮮人から日本に帰化した北のエージェントである吉田猛に対して「衆議院加藤紘一事務所 吉田猛」の名刺を持たせてこの連立三与党訪朝団とともに北朝鮮に行かせてるだけではなく、加藤の名代として所得税違反で逮捕.有罪判決を受けた秘書の佐藤三郎とともに北朝鮮との事前折衝にあたらせています。_
ジャーナリストの山村明義氏はその著書「外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相」(光文社)にて、典型的チャイナスクールの共通したポイントとして、次のように書いています。
一、 仕事は面倒を嫌い、トラブルを避ける。
二、 中国や北朝鮮(韓国)に対し、贖罪意識を持ち、必要以上に謝罪をしようとする。
三、 省内では出世主義で、そのためには徒党を組む事も厭わない。
四、 自国の国益よりも相手国の国益を優先する。
スクールシステムに支えられた外務省の専門家たちは、自分のパートナーである相手国の国力を背景に外交を進めようとする。
略)
日本が仮に北朝鮮への経済支援を開始すれば、もっとも利益を受けるのは、北朝鮮と国境線を重ねる中国なのである。そういう中国の脅威に対していままでチャイナ・スクールたちは、ただひたすら無自覚なまま、中国の発展と援助に「土下座外交」と批判されようと手を貸してきた。裏を返せば、それは中国と日本いかに異常な関係だったかをあらわしている。
北朝鮮は自分の利益のためには平気でウソをつくし、犯罪も犯すのである。それは彼らなりの生き残り策だったのだろうが、日本の国益には最も反する行為である。
P一三〜一六
私は、この山村氏が書かれている人間の典型が、加藤紘一氏と思います。
昨日、原油高による漁船の操業取り止めというニュースがあったばかりなので、今日の河岸の入荷が心配でしたが、行ってみると、いつもと変わらず。箱ものは三割入荷減だったそうですが、水曜日は買い物も少ないので、あまり変わらなかったそうです。
ただ、活けのイカは相変わらずメチャ高。今日は活けタコにする。
初めてのお客様が三名様でご来店。営業しているかという問い合わせもなく、当店で待ち合わせとはすごい御仁三名様。
芍薬の蝶さん来店。カトリ−ヌさん三名様で来店。
今日は営業終盤よりいつもどおり一通り飲む。
「海ゆかば」が聞こえない
7月15日火曜日晴れ △
先週の火曜日の日記に、産経新聞の七月四日金曜日に興味深い二つのコラムが掲載されていたことを書きました。そのもうひとつの東京特派員の湯浅博氏が書かれているコラム「『海ゆかば』が聞こえない」は「ラストゲーム 最後の早慶戦」という映画を取り上げたものでした。
学徒出陣を三日後に控えた昭和一八年一〇月一六日、早稲田の戸塚球場で、最後の早慶戦が行われた。
それは、自らの長男である小泉信吉主計大尉を戦地で亡くしていながらも、その戦地に赴く学生たちに「せめてもの餞を」との慶応大学三代目塾長である小泉信三の思いが人々を動かした結果、実現したものでした。
試合結果は主力を欠く慶応が一対一〇で早稲田に負けますが、慶大生が「都の西北」を、早大生が「若き血」を歌いエールを交換し終えると、期せずして「海ゆかば」の大合唱が早稲田の杜に響いた。小泉信三は貴賓席ではなく、三塁側スタンドの学生たちの中にいたそうで、皆、あふれる涙をぬぐおうともしなかったそうです。
このコラムで湯浅氏は、
「ところが、今年八月に封切られる映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の試写を見ると、なぜか、最後の決定的な部分がすっぽりと抜け落ちていた。両校のエールが終えても『海ゆかば』が聞こえてこない。軽いセピア色に仕上げた画面も演技も上々だが、制作側はこの一点をもって物語を壊してしまった。『海ゆかば』を戦争歌として忌避する意思が働いたとすれば、制作側の不作為による政治化がみえる。あれは、球場にいる学生たちが一体化する決定的な『事実』であった。」
と、このように書かれています。
「海ゆかば」は昭和一二年に作曲された信時潔の作品が有名ですが、出征兵士を送る歌として愛好されたこの曲は、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれました。
神山征二郎監督は、この映画のホームページで、
「映画は学問ではないし、歴史の勉強のために見るものではありません。ぜひ楽しみながら若者たちの永遠の一瞬を見てほしいですね」(公式ホームページより)
と書いています。確かに、映画は学問でもないし、歴史の勉強のためにも見るものではないかもしれないが、この映画のパンフレットにまで「海ゆかば」の合唱の現場を目撃した毎日新聞OBの談話が掲載されているそうですが、その事実を描かない必要はどこにあるのであろうか。ましてや、湯浅氏が「最後の決定的な部分が抜けていた」と書かれているように、「海ゆかば」を球場にいる学生が一体となって歌った事実を描かないことにより、この神山という監督がホームページに書いていた「若者たちの永遠の一瞬」が抜け落ちた映画となってしまったのではないでしょうか。
「海ゆかば」については、私は同じように「男たちの大和」を観た時の違和感として、日記に書いた事があります。
その戦艦大和の乗組員として、沖縄特攻に参加した八杉康夫氏はその著書「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」にて、昭和二〇年四月六日のその場面を次のように書かれています。
<国東半島のあたりでは桜が咲いていたのが見えました。別府湾沖で、「当直を残して手空き総員前甲板」と号令がありました。司令部からの「沖縄特攻」の命令書が読まれたのです。
略)
これが終わって、「東方遥拝」です。皇居の方向に向かって最敬礼。続いて君が代が斉唱。「天皇陛下万歳」を三唱します。さらに、「海ゆかば」を歌いました。「海ゆかば海行かば
水漬く かばね
山ゆかば 草むす かばね・・・・・」
略)
最後には「各自、故郷の方向へお別れしろ」と言われました。その時は、もう隊列を乱してもいいんです。ハンドレールのほうへ各自が走り、それぞれが故郷に向っていました。
「さようならあー」「さようならー」とあちこちで声がしました。肉親や恋人への別れです。私も故郷福山の方を見ましたが、その時に目に入った山水画のような四国山脈の美しい山並みは今も忘れません。
その時も能村副長は、「遠慮はいらんぞ、大いに泣け、泣け」と言いました。泣いている人は多かったが、不思議と私は涙が出ませんでした。やはり少し前に母に会っていたからでしょう。>
「戦艦大和 最後の乗組員の遺言」(八杉康夫著 ワック株式会社 二〇〇五年)P五七〜五九
「男たちの大和の」の監督である佐藤純彌氏も、「ラストゲーム 最後の早慶戦」の神山征二郎監督と同じくパンフレットにまで書かれている「宮城遥拝」、「君が代」斉唱、「海ゆかば」を歌った事実をどうして描かないのであろうか。
わたしは、湯浅氏がコラムの最後に書かれている次の文章が、このすべてを表しているように思います。
「右であれ左であれ、『事実そのものの発言を封ずる空気』(西義之東大名誉教授)は健康ではない。それは小泉信三塾長がもっとも嫌った作為ではなかったか」
この「海ゆかば」は戦後、GHQにより規制された。そして、我が国はその後、独立したが、もっとも大きな問題は、我々日本人の心の中にまだ、その占領期が悪しき影響を及ぼしている事でしょう。
今日は火曜日だというのに珍しく多くのお客様が来店してくださる。Kさん三名様で来店。小胡子さん二名様で来店。二名様来店。二名様来店。塩月さん二名様で来店。塩月さんが大学時代からもう二〇年以上のおつき合い。
飲む。ドンチャン。
学習指導要領解説書
7月14日月曜日晴れ ○
中学校社会科の新学習指導要領の解説書に竹島を初めて記述することを巡り、南朝鮮が反発していた問題で、我が国政府は一三日に記述を、「固有の領土」との表現を避けるというニュースがありました。これは狂牛病デモで叩かれている一〇年ぶりの保守政権である李明博大統領に対しての配慮だそうですが、今までの政権と同じ過ちを繰り返すおそれがあります。
現在の狂牛病に対しての南朝鮮のデモは、南朝鮮に巣くっているいわゆる左翼や北朝鮮シンパの連中の煽動によるもので、もともとは、南朝鮮の二大ネットワークのKBS、MBCが火をつけ、その後も煽り続けているそうです。KBS、MBCは、この気狂いデモに対して冷静な対応をしてきた保守メディア(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)に対しての非難キャンペーンまで始めています。
我が国が今回配慮しても、南朝鮮政府は国内向けには「日本が配慮してくれた」とは言えないでしょう。いくら配慮しても、領土問題に関しては、いずれ同じ問題が起こってくるはずです。領土問題という国家主権に関わる問題に対して、我が国はいままであまりにも国益無視を繰り返してきた。北方領土、尖閣諸島は問題にならずに、竹島だけが、学習指導要領解説書の段階で、どうして、ここまで日本国内で騒がなければいけないのでしょう。ましてや、他国から言われることでなのでしょうか。
今朝は八時半頃に目が覚め、シャワーを浴びてから、朝食を食ってから銀行、ビックカメラに行く。帰りはいつもと違うコースを散歩すると、知らない店、面白い店もたくさんありました。
いつもの古本屋さんでは、蒋介石秘録 一〜九巻(サンケイ新聞社)、「鬼哭啾々」(辛淑玉著)、以前にジェンダフリーのところで、八木秀次高崎経済大助教授が二〇〇五年二月号の「正論」に「嘘から始まったジェンダフリー」という論文でとりあげていた本で、売れ行き好調時に突然絶版になり、古本として高値で取引されていた無名社版の「ブレンダと呼ばれた少年」(現在は、扶桑社から再刊されています)、そして、「戦争論 妄想論」(教育史料出版会)で、石坂啓女史が朝鮮人戦時売春婦のアホ漫画の原作にしていたので、どうしても読みたかった「もの食う人びと」(辺見庸著 共同通信社)など収穫大なり。代金はなんと、すべてで一六〇〇円と超破格値。
高嶋伸欣琉球大学教授
7月13日日曜日晴れ ○
午前中に店を片付けてから、午後よりスポーツセンターに行く。今日は機能出来なかった肩、腕、下半身と有酸素運動。
帰りに、芳鈴堂さんにてネタ本として購入した高嶋伸欣琉球大学教授の著書「拉致問題で歪む日本の民主主義」は、北朝鮮の事を本文の一番最初のページに「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮、以下、共和国)」と書いているように、北朝鮮のことをすべて「共和国」という単語で表示している本。こんな人間が国立大学で教授ができるというのがすごいが、東大でもアホ教授がいっぱいいるからいっしょか。
高嶋氏にとっては、日本人同胞の拉致というより、日本国内における「共和国」バッシング、在日朝鮮人バッシングの方が大問題のようで、
「在日朝鮮人・韓国人の人々への迫害にどう対応するか」として、
「在日朝鮮人・韓国人の人たちが求めているのは、いざとなったら、理不尽な攻撃をしかけてくる者と在日朝鮮人・韓国人の人との間に割って入り、盾となって在日朝鮮人・韓国人の人々に危害が及ぶのを防ぐ人々の出現ではないか、というのが以前から私の認識だった」P三三
「そうした標的の一つとして自分を晒すしかない」として、「石を投げるなら私に投げろ!」P三四とまで書いています。
この高嶋氏もお約束どおり、あの犯罪国家である北朝鮮による拉致被害者の家族会、産經新聞などに対しては著書の中で攻撃しているが、北朝鮮およびその犯罪の手先である朝鮮総連、在日朝鮮人に対しては、何も無い。
同胞である日本人の罪も無い一般市民が、無慈悲にも犯罪国家北朝鮮にさらわれるという悲劇も、高嶋氏にとれば、悲劇でもなく、北朝鮮への食料援助に反対した事を下記のように書いています。
「換言すれば、場合によっては数百万人の餓死者が出てもかまわないと、日本社会の六割以上の人々が考えていることになる。そうした悪魔のような心が、いつから日本では人々の心を支配するようになったのだろうか」P四九
同じく、扶桑社版教科書に横田めぐみさんの名前と写真が掲載され、北朝鮮の拉致という国家犯罪を指摘されたことについて、この食料援助反対にからませて、
「国交正常化交渉も進んで日朝両国の交流が現在より活発になることは充分に予想される。そうなった時に、共和国側から二〇〇二年秋以降の日本からの食糧援助途絶で、救えるはずの少なくとも数一〇万の生命が死に追いやられたと指摘された場合、日本側がどれだけ合理的な弁明が可能となるだろうか。
教科書で顔写真や個人名を強調された横田めぐみさんが、そうした日本側の理性よりも憎悪の感情ばかりに突き動かされた悪鬼のような言動の象徴として、この件に関心を持つ人々の間で長く語り継がれる可能性が今強まっている。」P五七
今までの我が国の援助が何もなってないのにもかかわらず、下記のような事をほざきます。
「拉致は人権問題という根源の命題に立ち戻り、その問題解決に集中すると同時に、そのために新たな人権問題や人の生命、尊厳を損なう事象を発生させない万全の気配りと目配りをした時、初めて国内外の人々から心からの支持が寄せられることになる。そうなった時、それでもなお共和国側が問題解決に冷淡でいるとすれば、国際的孤立を深めることになる。政治・軍事・経済の重要部分で共和国を支えている中国やさらに韓国も、共和国との距離を置かざるを得なくなってくる。そうなることが分かっているだけに、共和国も柔軟に対応せざるをえなくなるはずだ。」P一五六
そして同じ本の中で、制裁論が間違っていると下記のように書きます。
「共和国の窮状は深刻の極みなのだから経済制裁の効果は絶大になるはずという主張にしても、うさん臭いものとなり果てている。」P一六〇
北朝鮮バッシング報道として
「共和国の幼稚園で驚くべき反米思想教育がされているとして、その映像を流し続けた。そこでは共和国全般のことなのか、限られた事例なのかの言及は一切ない。
略)
日本国内でも、教育勅語を信奉させる教育をいている私立学校が少なくない。靖國神社や伊勢神宮参拝をしている学校はなお多い。それらの学校だけを取材して、いかにも日本中が同様なのだと思わせる報道を海外でされた時、われわれは黙っていられるだろうか。」P一七四
高嶋氏は、民主主義国家である我が国と全体主義国家である北朝鮮と同じ政治形態と思っておられるのであろうか。北朝鮮に私立学校があるのであろうか。また、靖國神社や伊勢神宮参拝をしている学校と報道されても別に困る事ではないでしょう。創価学会でないかぎり。
高嶋氏は家族会、産經新聞の報道をさんざん暴走、邪推、誤報と書きながら、自身が平気で下記のように書く。
「一九八二年度は、日本軍のアジア『侵略』を『進出』に改変させていた事実に内外の批判が集中し、是正を国際公約とすることで収拾するという屈辱を文部省とタカ派は味わった」P一八四
これについては、何度も指摘されているように、侵略を進出と改変させた事実は無く、朝日新聞を始めとするマスコミの誤報であったが、それを指摘した文部省の公式発言を無視した売国奴の宮澤喜一により、政府の責任において教科書の記述を是正するとの支那、朝鮮に対しての通達されたものです。
高嶋氏はこの事実を隠し、このようにいかにもあったように書く。まあ、あの本田勝一氏も辻元清美女史との対談において同じ手法を使っていますが。
そもそも、北朝鮮の人々の飢えは金正日による独裁政治の結果であり、我が国は何も責任が無いはずであるのに、高嶋氏は下記のよう書きます。
「共和国の場合は、分断国家として韓国との対峙が続き、その背後には日米軍事同盟があるのだから、先軍思想は捨てられない。しかも、日韓両国は米国の核の傘の下にある。その一方で、ロシアは共和国を核の傘に入れる余裕が無い。とすれば自力で核を持とうと発想するだろうことは、充分に予想出来たはずだ」P一九三
ロシアの核の傘に入らなくとも、北朝鮮は支那との間に軍事同盟が結ばれており、支那の核の傘の下には入っていたが、そのことには一切触れない高嶋氏。
それについて、意図して触れないようにしているとしか思えないのは、巻末に書かれている年表には、日米安保についての記述はあっても、北朝鮮と支那との間に一九六一年に結ばれ、現在も有効な「中朝友好相互援助条約軍事同盟」の記述が欠落?していることです。
部屋に帰ってきてからは、何もせずに朝まで本を読んでいた。
同窓会
7月12日土曜日晴れ △
写真は、今日、河岸に行った帰りでの茅場町駅のホームで写したもの。どこにでも座る・・・・・ |
二名様来店。Iさん来店。Fさん二名様で来店。マロさん来店。一名様来店。
マロさんが、誕生日祝いにと駆逐艦「雷」のプラモを。ありがとうございました。思わず、御来店頂いていたお客様方とプラモ談義で盛り上がる・・・
飲む。
外国人の指紋登録の必要性
7月11日金曜日くもり ○
先日、強盗殺人の未成年支那人が再入国し空港で逮捕されたというニュースがありましたが、日本という国を支那人犯罪者がどうおもっているか、判りやすい例ではないでしょうか。我が国は犯罪者にとっては天国なのでしょう。
外国人には両手の指全部指紋を採取し、外国人登録をすべきなのです。当然、その外国人には外国人である在日朝鮮人も含めるべきです。そうしないと、法の下の平等に反します。
ちなみに、差別差別と騒いでいる人が多い朝鮮人でも、南朝鮮では国民も両手の指すべての指紋を採取し登録していますが、その事は差別ではないようです。それはそこの国民すべてが指紋登録しているから差別ではないということでしょう。あの朝鮮人差別を叫んでいた天性の詐欺師で殺人鬼でありながら、「英雄」として南朝鮮に迎えられた金嬉老は、その南朝鮮に入国した時に、両手のすべての指紋を採取された時に「私もこれで韓国人になった気分です」と喜んでいました。
(朝鮮人の英雄とは犯罪者以外には存在しないのでしょうか?)
香港でも長期滞在し労働する外国人は、身分証明書のためには指紋の登録が必要です。
ちなみに、犯罪を目的に入国してくる朝鮮人は、裁判所で「正規」に名前を変えて、これまた名前を変えた「正規」のパスポートを使って何度も入国してきていました。南朝鮮という国が後押しし、認めた朝鮮人犯罪者だったのです。その朝鮮人犯罪者がパスポートに指紋認証が導入されてから、数多く入国拒否にあっています。
先日、それを証明する下記のようなニュースもありました。
以下引用
警察が旅券偽造ブローカー摘発
日本の入管当局が実施している外国人旅行者からの指紋採取で不法滞在の前歴が発覚することを恐れ、指紋消去手術を行ってきた旅券偽造ブローカーが摘発された。
ソウル蘆原署は30日、合計1250万ウォン(約129万6000円)を受け取り、5回にわたり指紋消去手術を行ったとして、旅券偽造ブローカーの男(49)ら3人とリハビリ医院事務長(41)、両者を仲介した建築業の男(59)を在宅のまま取り調べた。
ブローカーらは今年3月以降、1件250万ウォン(約25万9000円)で指紋消去手術を請け負い、京畿道城南市の旅館やカラオケ店内で手術用メスで人差し指と中指の指紋を1センチの長さで切り取り縫合する手術を行っていた。
捜査当局によると、ブローカーら3人は旅券偽造の犯罪前科が10件を超える組織で、昨年11月に日本政府が外国人旅行者からの指紋採取を開始したことで、偽造旅券による不法入国が不可能になったことを受け、指紋消去手術を始めたという。依頼者は主に日本で不法滞在歴があるか、ホストクラブなどで不法就労した前歴があるため、日本に入国できない人だという。
依頼者のうち二人は、2002年に日本から退去強制処分を受けた。しかし裁判所で氏名変更を行い、旅券の再発給を受け、指紋採取開始前は日本に自由に出入国していたという。
引用終わり
朝鮮日報(2008年5月10日)
http://www.chosunonline.com/article/20080501000015
流石は小中華を自認する国だけの事はあります。
犯罪目的で他国に入国する支那・朝鮮人が数多くいます。
そんな犯罪目的の朝鮮人、支那人から日本国民を守るためにも、在日朝鮮人を含め外国人の指紋登録はすべきなのです。いや、私は日本国民も指紋登録すべきと思います。普通の人間が指紋登録されて困ることなど何もないでしょう。犯罪の検挙率が上がり、困るのは、犯罪者だけです。
大台さん来店。バンブーさん、YOUKOさん来店。Sくん来店。小胡子さん、ぶーちゃん来店。誕生日祝いということで、お二人から木村展之氏のりっぱな湯呑みを頂戴する。Hさん三名様で来店。女性のよく喋るお二人来店。Kさん来店。
7月10日木曜日晴れ ×
写真は河岸のマグロ屋さんの食事風景。「だるま」(バチマグロのチビ)などの刺身を豪快に。
Aさん四名様で来店。二名様来店。二名様来店。女性の方は帰国子女で、アメリカに滞在していた時に、メキシコによく行ってらしたそうで、グアダラハラの話になった時に、私もお世話になった望月さんというオパールで成功された方の事を知っていて、話が盛り上がる。望月さんのオパール鉱山でオパールを掘った経験もあるそうな。(確か、オパール鉱山を二つも所有されていたと記憶している)私は望月さんの御自宅で、寿司を何度か握ったことがありました。
ドンチャン。記憶あり。
7月9日水曜日くもり ×
河岸が休みなので、午後よりスポーツセンターに行く。今日も軽めのメニューを消化。
マルガリータさん、Sさん、トモさん来店。小胡子さん来店。Kさん二名様で来店。
飲む。
写真は当店で使っている淡路島のたまねぎです。大玉で辛みが少ないので、あまり水にさらさなくともスライスして生で使えます。
マルガリータさんに見せたら、即、バックの中に入れられてしまいました・・・・・
日本における軍人
7月8日火曜日くもり
七月四日金曜日の産經新聞に興味深い二つの記事が掲載されていた。ひとつは、野口裕之氏の「『信賞』なき自衛官の名誉」と題されたコラムであり、もうひとつは「『海ゆかば』が聞こえない」と題された湯浅博氏のコラムです。
野口氏はこのコラムで、英国国営放送であるBBC放送がおこなった、英国の「英雄である」戦死者にたいする厳かな放送シーンを書き、それと比べて、我が国の「軍隊」である自衛隊の殉職者の扱いを書かれています。
野口氏は平成一九年四月に、視界二〇〇メートルしかない海上濃霧警報のなか、緊急患者空輸のため、大型ヘリで離島にむかう途中に墜落し殉職した陸上自衛官四名の葬送式について書かれています。参列された野口氏の手元にある式次第に掲載された遺影は、所属部隊が徹夜で作ったそうです。4名の階級特進による階級章を変えるためだけでなく、「せめて」、「顕著な功績」があったとして贈られた「メダル」の「防衛功労章一級」と「防衛記念章一級」で胸を飾りたいと願ったからだそうです。
続いて、野口氏はその「せめて」の意味を書かれています。それは、我が国では、他国の軍人に武勲、功績に応じて贈られる国家からの勲章というものはなく、防衛省よりのメダルでしかない。そして、他国では礼装につける勲章代わりに、軍服には勲章の略章を着けるが、我が国の自衛隊では、メダルに対しての、略章であり、自衛隊内でも「グリコのおまけ」と揶揄されているそうです。
そんな我が国の現役自衛官が、もし、着けている勲章があれば、海外勤務などのおりに「他国」より授与された勲章しかなく、英国が「英雄」の死に対し、国営放送が特別番組を組み、生前から叙勲の栄に浴しているのに対して、我が国では「英雄」の死に対して、放送はおろか、胸に飾る勲章さえ無い。
四人が属した鹿児島・奄美以南と沖縄全域の急患空輸を担う陸自第一混成団第一〇一飛行隊の出動は、荒天も含め八〇〇〇回近いそうで、厳しい訓練、過酷な出動を重ねる軍隊では平時でも殉職者が多い。半世紀の間に、我が国の自衛隊員も一八〇〇人が公務中に殉職されている。
自衛隊員は入隊時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂につとめ、もつて国民の負託にこたえる」という「服務の宣誓」を、法で義務付けられでもいるが、そんな自衛官が、インド洋、イラクなどでテロの危険にさらされ任務を遂行しても、現役中は叙勲されないそうで、四名の殉職自衛官の皆様に、正5位・旭日小綬章や従5位・旭日双光章、旭日単光章が国より贈られたのは、葬送式後であった。
そればかりか、退官しても下士官・士(兵)には叙勲はない。
野口氏は海外勤務が増え続ける現在、犠牲への覚悟も必要とし、その大前提が「現役自衛官の叙勲制度」制定であり、「公」に殉じた自衛官を遇する「勲章・恩給制度」の確立である。組織には「信賞」があるから「必罰」がある。法による「罰則」の一方で、栄典制度による「顕彰」があるが、現役自衛官には「必罰」だけで「信賞」がないどころか、イラクに派遣される時に、国内航空会社から制服での搭乗を拒否され「必罰」に加えて「屈辱」まで受けながら、旺盛な士気を保っていると書かれています。
他国においては、軍人に対して、英国「功績勲章」「大英勲章」、フランス「レジオン・ド・ヌール勲章」「国家功労勲章」、スペインは三軍別「功労勲章」、イタリアは「イタリア共和国功績勲章」、米国は民間人向けの「大統領自由記章」以外の多くは軍人向けに制定されているそうです。
以前に西村眞悟議員がメルマガに書いておられましたが、石破防衛大臣は「自衛隊は軍隊でありません」と安全保障委員会で言い切ったそうです。
野口氏がコラムで書かれていることは、そのような人間でも防衛大臣を勤めることができるという喜劇というか悲劇に通じるものがあり、それが、先の七七五〇トンの「軍艦」であるイージス艦に対して、その千分の一にも満たない七トンしかない漁船を「避けろ」などということを命じ、その結果にあのアホな事故につながっていると思います。
機長・建村善知一佐(五四歳・鹿児島県徳之島町出身)
副操縦士・坂口弘一二佐(五三歳・佐賀県出身)
整備員・岩永浩一曹長(四二歳・長崎県出身)
藤永真司曹長(三三歳・大分県出身)
機長の建村一佐は、平成一四年「第一回国民の自衛官」を受賞したこともあり、退官間近。藤永曹長は入籍して一年だったそうな。
せめてもの救いは、この勇敢なる四名の殉職者に対して、徳之島では慰霊碑を建立しようとしているそうです。
我が国も早く普通の国になってほしいものです。
今日は珍しく早い時間から大忙し。Yさん来店。小胡子さん二名様で来店。Iさん二名様で来店。龍星さん、駒澤さん来店。初めてのお客様二名様来店。Tさん来店。YASUKOさん来店。
ドンチャン。記憶はあったと思う・・・・・
自作自演
7月7日月曜日晴れ ○
あの世界有数の勲章コレクター、名誉博士コレクター、名誉市民コレクターとして有名な池田大作ダイセンセイ。その中には多くの「笑える」名誉称号が贈られていますが、最近のヒットは何といっても「アメリカ創価大学が決定」「池田SGI会長に第一号の名誉博士号」「創立者の人生と功績こそ本学の最高の理想」という見出しでしょうか。(二〇〇八年五月二三日聖教新聞) 自分が創立した大学からの「名誉博士 第一号」とは流石です。謙虚さ、奥ゆかしさなど微塵も感じさせないその日本人とは到底思えぬ厚顔無恥ぶり、流石です。 |
聖教新聞に「庶民の王者」というコーナーが出来ているんですね。これって、昨年、支那の温首相来日時に池田大作ダイセンセイが会った時に、「庶民の王者と会ってくださり」とぬかしたのと無関係なんざんしょか?、 あほらし。 |
我が国は独立国家たるか
7月6日日曜日晴れ ○
我が国にはその犯罪国家の手先である朝鮮総連や、その機関、北朝鮮の国会議員までが住んでいる。それに対して、制裁を強めてきた安倍前政権に対して、制裁を解除しつつある福田政権。
サミットで拉致問題がどのような形で取り上げられるか、いろいろと報道されているが、一番大切な、国民を国が守るということが報道されていないように思う。犯罪国家の北朝鮮に拉致されたのは日本国民であり、アメリカ人でも、ましてや、支那人でもない。
自国民が拉致されたとわかった時点で、その国家が全力を挙げて取り返すのが当たり前であり、それをしないで、他国になんとかしてくれというのは違うだろう。今の我が国政府は、日本国家として、何もしないで、なんとかしてくれとアメリカや支那に泣きついているとしか思えない。
酒を保管する冷蔵庫をもうひとつ増やすつもりなので、今日は店を片付け、冷蔵庫のスペースを確保する。普段、乱雑にいろいろと店に置いているので、結構これが大変で、思ったより時間がかかったが、やっと九〇センチの幅の冷蔵庫が入るスペースを確保。その確保した九〇センチ幅の冷蔵庫の予定が、実物を夕方見に行ったら、一二〇センチ幅の冷蔵庫が具合良さそう・・・・・
また、チンタラと店を片付けなければいけないことになりました。
久しぶりにスポーツセンターに行く。常連の皆さんから今回も「ひさしぶりですね。また、酔っぱらってたんですか?」と暖かい?お言葉。スロートレーニングで軽いメニューを消化。でも、明日あたり体中が痛そう。
芳林堂さんに寄った後に帰宅。写真は、当店の御近所の洋食屋さん「恵比須亭」のハヤシライス。八〇〇円でたっぷりのボリューム。サラダはママさんからのサービス。日曜日の営業時間は午後五時過ぎから七時ごろまで!!今日は、六時前に満席になったので、営業中の看板を仕舞ってしまいました。普段はランチのみ。今日は飲まず。
在日朝鮮人の犯罪における特別優遇措置
7月5日土曜日晴れ 暑い ○
在日朝鮮人はほとんどが戦前、戦中、戦後と我が国に、職を求めて、合法、または密入国して来た本人、もしくはその子孫でありながら、平気で「強制連行されてきた」などという嘘をついている人も多い。
確かなのは「外国人」である事です。その「外国人」である在日朝鮮人には犯罪に対して他の外国人には無い特別優遇措置があります。
外国人だったら、我が国で犯罪を犯し、一年以上の懲役刑になった場合は、国外退去、強制送還となる。ところが、在日朝鮮人は何をやっても、どんな犯罪を犯しても死刑になることはあっても、国外退去にはならない。麻薬であろうと、強盗でも人殺しでも、なんでもやり放題です。
一応、懲役七年以上、つまり殺人を犯すと国外退去らしいのですが、その在日朝鮮人の強敵的な国外追放は高山正之氏によれば、誰もいないのだそうです。我が国において、刑務所から出所してきた後は、誰も強制的に国外退去させられた在日朝鮮人はいないそうです。(「サダム・フセインは偉かった」p一四九 初出は週刊新潮二〇〇七年三月八日 変見自在)
高山氏は「どの法相も在日の重罪犯を追放しなかったとは知らなかった。 そっちの方が日本の治安上、問題ではないのか。
」と書いておられますが、しごく、まともなご意見です。
歴代法相は我が国国民の安全より、在日朝鮮人の優遇の方が大切だったわけです。
在日朝鮮人と他の外国人を差別すべきではありません。朝鮮人がよく騒いでいる差別は止めるべきなのです。犯罪をおかした在日朝鮮人は、法にしたがい国外追放にすべきなのです。
Tさん二名様で来店。一名様来店。二名様来店。一名様来店。三名様来店。Sくんご夫妻来店。金ちゃん、マロさん来店。
今日は飲まず。
聖火リレー
7月4日金曜日晴れ一時くもり×
当店のお客様の副店長さんの奥様のインインさんは、現在、帰り中で敦厚にお子さんのユエユエちゃん、シンシンちゃんと滞在されているそうですが、副店長さんに聖火リレーについて、下記のような内容のメールがあったそうです。
※聖火リレーの日は、「申請して許可された者」だけが、聖火リレーを見物していい。
※見学者は朝五時に集まって出発。携帯電話、カメラ、指輪、ネックレスなどを携帯してはいけない。
※許可された見物人は全員がおそろいの服を着なければいけない(もちろん購入)。
※学校や会社に七時までに行き、聖火リレーが終了するまでは出歩いてはいけない。商店はすべて閉店。
(リレーが行われる七時から一二時まで)
事実上の外出禁止令。戒厳令。
※「見物人が<異常な行動>をとった場合、公安に殴られても訴えることはできない」、というお触れ。
※警備の予行演習では人民解放軍の兵士が七〇センチほどの間隔でズラーッと沿道に並んだそうで、八〇〇〇人の人民解放軍が入ったという噂もある。
あと、 インインさんが人伝えに聞いた「噂」だそうですが、いかにもありそうなのは、「リレー沿道のビルの窓から顔を出している者は狙撃されることもある」・・・・・・・・・
副店長さんの「聖火は人命より尊いのか? 」というお言葉。
支那では、きっと、人命より尊いものなのでしょう。
支那という国をよく現している貴重な情報でした。
バンブーさん来店。Sさん六名様で来店。Kさん二名様で来店。Yさん来店。Mさん二名様で来店。芍薬の蝶さん来店。K@京城さん来店。今月から東京にいる日が増えるそう。
営業終了後もK@京城さんとドンチャン。記憶はあったつもりですが、洗い物を終えて、包丁を研いだりして片づけが終わった後、飯を食おうとしていたみたいで、御飯、刺身などを食べかけたままカウンターで寝ていました・・・・・
在日朝鮮人と生活保護
7月3日木曜日くもり時々小雨 ×
平成一八年現在において、外国人の生活保護者は、四万八千四一八人であり、このうち在日朝鮮人は、五二万四四五人の被保護・在留有資格者のうち三万三千五三七人が生活保護を受け、これは在日朝鮮人一五・五人にひとりの割合で生活保護を受けていることになる。
それは、一〇〇〇人あたり、六・四四と我々日本人の五・六倍もの受給率である。
在留資格別は全外国人登録者のうち三九・一%しかない在日朝鮮人が、実に我が国における外国人生活保護者の中の約七〇%を占める。つまり在日朝鮮人の生活保護率が日本人だけでなく他の外国人と比較した場合でも突出して高いというすばらしい民族である。
これらは下記のデーターより算出。
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/cgi/sse_kensaku
福祉行政報告例(旧 厚生省報告例(社会福祉関係))
世帯総数は第4表 現に保護を受けた世帯数,月・一か月平均世帯の労働力類型別
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/370/2006/toukeihyou/0006158/t0136439/HOUA0004_001.html
一〇七万三六五〇世帯(停止中を含むと一〇七万五八二〇世帯)
平成18年度生保 第10表 被保護実人員,月・1か月平均市部郡部別
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/370/2006/toukeihyou/0006158/t0136444/HOUA0010_001.html
日本全体では、百五一万九〇七人
平成一八年度生保 第一一表 日本の国籍を有しない被保護実世帯数及び被保護実人員,一か月平均別
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/data/370/2006/toukeihyou/0006158/t0136445/HOUA0011_001.html
平成一八年度において、保護実世帯数の月平均総数は三万一二五世帯、四万八千三三七人です。(保護停止中を含まない)
停止中を含むとそれぞれ、三万一七四世帯と四万八千四一八人となります。
総務省統計局のホームページによる我が国の日本人総人口は、平成一八年一〇月一日現在で、一億二千六一五万四千人です。同じく、平成一八年末現在における外国人登録者数は二〇八万五千人にのぼりますが、このうち朝鮮人の外国人登録者数は、平成一八年現在で五九万八千二一九人と二七・六%と数では支那人(香港人そして、遺憾ながらも独立国家である台湾を含む合計)の六〇万六千八八九人の二八・二%より少ないものの、外国人登録者のうち、生活保護が適用されるのは難民、永住者、永住者の配偶者、定住者、日本人の配偶者に限られております。
よって、朝鮮人については、在留資格別にみると、全外国人登録者のうち、永住者三九万四千四七七人のうちの四万七千六七九人、特別永住者四四万三千四四人のうちの四三万八千七九四人、日本人の配偶者など二六万九五五人のうちの二万二千四二九人、永住者の配偶者など一万二千八九七人のうちの二千六五二人、定住者二六万八千八三六人のうちの八千八九一人と全外国人登録者の有資格者合計一三八万二〇九人のうちの五二万四四五人であり、三九・一%を占めています。特に特別永住者の九九・〇四%が朝鮮人です。
政府統計総合窓口
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001029028
06-99-01国籍(出身地)別在留資格(在留目的)別外国人登録者
この数字を単純に当てはめますと、外国人として生活保護を受けている朝鮮人は、一ヶ月あたり三九・一%の一万八千九三一人という数字がでてきますが、これは、朝鮮人資格者五二万四四五人のうちの一万八千九三一人として三・六%となります。
ところが、実際は在日朝鮮人の生活保護受給率はこの三・六%という数字よりもっと高いようです。まあ、ご想像どおりといわれてしまえばそのままですが。
それは下記のデーターによります。
http://wwwdbtk.mhlw.go.jp/toukei/kouhyo/indexkk_44_5.html
表一(被保護人員、級地・単身世帯_その他世帯・性・年齢階級別)
表四(被保世帯数、級地・都道府県_指定都市_中核市別)
表一四(被保護外国人世帯数、世帯人員・世帯主の国籍別)
より
これによると、平成一六年の時点で下記の事がわかります。
生活保護総数は一三七万五千九二六人であり、そのうち三%にあたる四万一九八〇人が外国人が占めている。
生活保護世帯が日本全体で九十六万七千四三七世帯あり、そのうち外国人世帯が、二万七千七五世帯(別の資料では二万七千九百十八世帯となっているのは保護停止中を含んでいるものと思われます)のうち在日朝鮮人だけで、七八・八%の二万一三三〇世帯を占めているのです。
人数も平成一六年において、四万一九八〇人の外国人のうち在日朝鮮人の単身世帯が一万五千五一五人、二人世帯が三千九八三世帯で七千九六六人、三人世帯が一千一二四で三千三七二人、四人世帯が四九五で一千九八〇人、五人世帯が一六〇で八〇〇人、六人以上は六人として五六世帯で三三六人の二万九千九六九人と七一・三九%を占めています。
平成一五年は合計二万八千六八三人と全体の六八・三%を占めています。
外国人の生活保護者は、平成一八年には四万八千四一八人と六千四三〇人も増加しています。平成一三年は三万五千百三八人だったのですから、五年間で一万三千二八〇人もの増加です。
このうち在日朝鮮人の割合を平成一五年、一六年の平均の六九・八%としても三万三千五三十七人となり、在日朝鮮人の有資格者の五二万四四五人のうち六・四四%の人間が生活保護を受けていることになります。
平成一八年における我が国の日本人人口は一億二千六一五万四千人であり、そのうち、生活保護を受けている人数は、全体の人数引く外国人生活保護人数となりますので、百五一万九〇七人−四万八千三三七人もしくは四万八千四一八人。よって、百四十六万二千五七〇〜一四六万二千四八九人となります。
これにより、平成一八年は一・一五%の日本人が生活保護を受けていることがわかります。在日朝鮮人の六・四四%が生活保護を受けているということは、日本人の五・六倍もの生活保護を受けていることになります。
あの、深谷市の崔鳳海という腐れ元やくざの在日朝鮮人夫婦の事件は決して偶然ではないのです。
在日朝鮮人の皆様、これが差別ですか?
いいかげんに「逆差別」はやめてほしいものです。
Oさん来店。小胡子さん、ぶーちゃん来店。営業終了後、小胡子さん、ぶーちゃんとともに高田馬場の「カヴェルナ」さんに伺う。ポートワイン、マディラワインの価格は相変わらず高いそうな。高円寺のイタリアンにそのまま流れてドンチャン。
珍しく記憶あり。
朝鮮人の生活保護不正受給
7月2日水曜日晴れ ○
先に、暴力団在日朝鮮人夫婦が生活保護の不正受給をやっていたというニュースがありました。
以下引用
生活保護費を不正に受け取っていた元暴力団組員の韓国籍の男と妻を逮捕
架空の診療費や交通費を請求し、生活保護費を不正に受け取っていたとして、埼玉県警は、元暴力団組員の男と妻を生活保護法違反の疑いで逮捕した。
逮捕されたのは、埼玉・深谷市の元暴力団組員で、韓国籍の青山 真一朗こと崔鳳海(チェ・ボンヘ)容疑者(60)と、妻の育代容疑者(44)。
2人は2007年10月下旬ごろ、群馬県内の接骨院に通院したとする架空のチケットやタクシー領収証を深谷市に提出し、医療扶助費およそ14万円を不正に受け取った疑いが持たれている。
崔容疑者は、「間違いありません」と容疑を認めていて、育代容疑者は、「夫に頼まれ、手続きしただけ」と否認しているという。
崔容疑者らは、2月までに生活保護費およそ1,800万円を受け取っていた。
FNNニュース (06/27 12:54)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00135596.html
生活保護費、深谷市職員が言いなり支給ノ元組員のどう喝恐れ
埼玉県深谷市の元暴力団組員夫婦が生活保護費(医療扶助)を不正受給したとされる事件で、市は30日、担当職員が元組員のどう喝を恐れて言うがままに支給していたことを認めた。
市は2003年1月から5年余りにわたり生活保護費計約1940万円を支給してきたが、「処遇困難者」として担当職員間で引き継がれていたという。新井家光市長は記者会見で、「職員の『ことなかれ主義』が暴力に屈した」と謝罪した。
生活保護法違反容疑で県警に逮捕されたのは深谷市上野台、指定暴力団稲川会系元組員の韓国人、無職崔鳳海(60)と妻、育代(44)の両容疑者。崔容疑者は02年に交通事故で身体障害2級と認定され、「働けなくなった」などとして市に生活保護を申請。03年1月から支給が始まった。
市によると、支給当初、崔容疑者が高級車を保有していることなどを把握。担当者が指摘すると、崔容疑者は「お前らおれをなめているのか」「自分に対立する人間は消えていくんだ」などと大声を上げ、ライターを投げつけたこともあったという。
こうした「どう喝」を何度も受けるうちに、「(崔容疑者に)何も言えなくなってしまった」という。
一方、市には03年6月以降、「マッサージ施術のため群馬県の接骨院に通っている」とする架空の申請が毎月出されていた。しかし、市は接骨院への受診確認など必要な調査をしていなかった。また、市が接骨院に直接支払う決まりの「施術費」(マッサージ治療代)は、「自分が立て替えた」とする崔容疑者の言うがままに、担当者が自宅に出向いて渡していた。
市によると、崔容疑者は03年3月に交通事故の保険金約2200万円を受け取り、生活保護の対象外となった。しかし、市に申告せず、高級車のベンツや日産プレジデントに乗ったり、ブランド品を身につけたりするなどしていた。
市と深谷署は07年4月、暴力団情報を共有する協定を締結したが、市は崔容疑者について照会しておらず、刑事告発は今年2月になってからだった。
市は今年5月、時効(5年)分を除いた約1800万円の生活保護費(生活扶助約690万円、医療扶助約720万円、住宅扶助約370万円など)を返還するよう通知したものの、返還されていない。2人の逮捕容疑は医療扶助14万円分についての不正受給で、県警はほかの生活保護費についても捜査を進める。
ソース:読売新聞 (2008年7月1日01時42分)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080701-OYT1T00112.htm
_生活保護不正容疑で元組員ら逮捕 深谷市「怖くて支給」
埼玉県深谷市の夫婦による生活保護費の不正受給疑惑で、県警は27日午前、生活保護法違反の疑いで、同市上野台、元暴力団組員青山真一朗(60)と妻の崔育代(44)の両容疑者を逮捕した。不正受給は5年間で総額約1800万円にのぼり、深谷市は県や県警に対し「疑問には思っていたが、青山容疑者が怖くて支給を続けていた」などと説明しているという。
調べでは、2人は07年10月、実際には治療も通院もしていないのに、青山容疑者の交通事故によるむち打ち症の治療名目で、自宅から約100キロ離れた群馬県内の接骨院にタクシーなどで通い治療を受けたとする虚偽の申請書を市に提出。
生活保護受給者に対する医療扶助や通院の際に支給される交通費(通院移送費)計14万円余りを不正に受け取った疑い。青山容疑者は容疑を認め、崔容疑者は
「夫に頼まれて市の福祉事務所などに行っただけ」と否認しているという。
青山容疑者は、交通事故の保険金として保険会社から2千数百万円を受け取り、受給資格がないにもかかわらず、03年1月に生活保護の受給を申請していた。
一方、近所の人の話では、日ごろ、国産高級車を乗り回していた、という。
同市は2月、同法違反で2人を県警に告発するとともに、支給した生活保護費の全額返還を両容疑者に要求。2人は不正を認めた上で「月々1、2万円ずつ返済したい」などと話していた。
朝日新聞 2008年6月27日11時18分
http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200806270100.html
引用終わり
この朝鮮人ヤクザのことを、青山真一朗と「偽名」で、朝日新聞らしく朝鮮人ということを隠して報道していますが、でも、崔育代と妻の名字が「崔」とバレバレです。しかし、どうして、朝鮮人ということを隠して報道するのでしょう。逆だと朝日新聞はうれしそうに「在日の」「差別にも負けずに」と大々的に報道するでしょうに。この朝日新聞の報道の仕方だと、単なる元腐れヤクザとしかわかりません。在日朝鮮人ということを見事に隠しています。
月一〜二万ずつ一八〇〇万を返すのだったら、一万として年一二万で一八〇〇万÷12=一五〇、二万で年24万ってことは七五年・・・・・ってアホか。
六〇歳のこの腐れ朝鮮人が二一〇歳か一三五歳で完済・・・・・
どう考えても死んでるでしょう。この朝鮮人にとったら、こんなの痛くも痒くもないでしょう。この朝鮮人は返済する気がないのはミエミエです。 そんなんで済む借金だったら、私なんぞ、なんぼでもしたいもんです。
これも、いわゆる在日差別でっか????
詐欺ですから、高級国産車を乗り回すこの朝鮮人から強制的に取り立てるべきでしょう。
日本に住みながら日本に何の貢献もなく、集るだけの人間のクズの在日朝鮮人ヤクザ。こんな朝鮮人は在日朝鮮人の人々の恥さらしでしょう。
それとも、差別差別と騒ぐのでしょうか?
二名様来店。Yさん、二十歳になった息子さんを連れられて来店。親子で飲める・・・・何ともいい感じです。
政治屋小沢一郎
7月1日火曜日晴れ ×××
小沢一郎氏の靖国参拝をめぐる過去の発言を時系列にまとめてある記事が、平成一八年に産経新聞に掲載していました。部屋で切り抜きを整理していましたら、その記事が出てきました。貴重な小沢氏の発言の変遷と思いますので、以下産経新聞のその記事からの引用させていただきます。
「お国のために一生懸命戦って、亡くなった方なので、そういう戦没者に、参拝することで誠の気持ちを表す。また自分なりにそれを考えるということであろうと思う。従って、A級であろうがB級であろうがC級であろうが、そういう問題ではない。たまたま敗戦ということによって戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる。その責任論と私どもの率直な気持ちは、別個に分けて考えていいのではないだろうか」
昭和六一年四月二日
参議院地方行政委員会において、佐藤三吾氏(当時の社会党)に対しての自治相としての答弁
「過去の戦争の是非についての議論はいろいろあるが、少なくとも国のために純粋に前線に出て倒れていった人たちに対して、感謝の気持ちを持つことは当たり前のことで、何もはばかる必要はない。自然なことだ。ごくごく率直に受け取ればいい」
平成一三年四月二五日
小泉首相の靖國参拝について自由党党首としての会見で
「本当に『政治家の信念』というなら、中国や韓国が反発しようとも、堂々と終戦記念日の八月一五日に参拝すべきだ」
平成一七年六月九日発行夕刊フジのコラムにて
「本来、靖國神社というところは戦争で亡くなった英霊を祭るところであって、自然死じゃあなくても、そのほかの理由で亡くなった人を祭るところではない。だから(A級戦犯を)合祀したのが間違いだ。間違いは取り消すべきだ。(無宗教の国立追悼施設については)靖國神社があるわけだから、それで問題がなければ一番自然でいいのではないか」
平成一八年七月二日 民放番組でA級戦犯合祀について)
「靖國神社の問題は、小泉首相が『たったひとつの現象ををとらえている』とか『私個人の問題だ』という発言は、まったくその本質を理解していない不見識な言葉だとおもう」
平成一七年七月二五日の記者会見で、小泉首相の見解について)
「戦勝国が一方的に敗戦国を裁いて下した『戦犯』というものは率直に受け入れることはできない。しょせん、東京裁判は報復裁判だと考えている。しかし、当時の国家指導者たちは、外国から言われる以前に、日本国民に対して戦争を指導した重大な責任を負っている。彼らは二二〇万人の同胞の命を奪い、また、明治以来築き上げてきたあらゆるものを失わせしめた。彼らは英霊に値しない」
平成一八年七月二七日発行の夕刊フジのコラムで、A級戦犯について
「首相はこれまで、あの戦争を『間違った戦争』と認め、いわゆるA級戦犯について戦争指導者の責任がある『戦争犯罪人』と言及していたではないか。国内的にも国外的にも『日本国を代表する首相が、戦争責任にケジメをつけない行動をした』ということになってしまう。僕も英霊に尊崇の念を表すため、靖國神社に参拝したことが何度もあるが、政府の責任ある立場にいるものが参拝することは次元が違う」
「首相は信念も何もなく、単に『退任前のパフォーマンス』として格好をつけただけだ。本当に一国のリーダーとしての信念があるならば、天皇陛下がご参拝することができるように環境を整えるべきではないか」
平成一八年八月一七日発行の夕刊フジのコラムにて、小泉首相が八月一五日に参拝したことについて
こうしてみてくると、小沢一郎という議員の発言の変わりように驚く。まあ、この人の生き方そのままを表していると言ってしまえばそうかもしれない。まさに、政治屋小沢一郎の面目躍如と言えるかもしれない。
いまの小沢一郎氏は「反対のための反対」をしていた社会党と同じように思える。
社会党も政権についたとたんに、「自衛隊は合憲」と豹変したが、小沢氏はどうなのだろう。
Fさん二名様で来店。Mさん二名様で来店。沖縄のお土産にミニマンゴーと島ラッキョウをいただく。島らっきょうは以前にいただき、食べたことがあるが、ミニマンゴーは初めて。というか、まったく知りませんでした。早速、ネットで見てみると、受粉受けの際に、受粉できなかったので、大きく育たなかったマンゴーらしく、でも美味しいので大人気みたいです。島らっきょうは酒のツマミに最高。Tさん来店。
ドンチャン。営業終了後、「エムズバー」さんに伺うが、今日もお会計の記憶なし・・・・・・なんか、二〇日間の禁酒ってなんだったんだろうとつくづく思う。
過去の日記