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山際永三
日本人でもウルトラマンシリーズの監督だった山際永三氏なども、<検証「拉致帰国者」マスコミ報道>という本の中で、
北朝鮮に残してきたそれぞれの子どもさんたちが、日本語を喋らないのであれば、ともかくしばらくのあいだ、親子で日本と朝鮮のあいだをいったり来たりしてもらって、いわば民間友好大使の役割をしてもらう事はできないでしょうか。p17
彼らの二十数年を生かすための方策を考えるべきなのであって、元に戻すことだけがいいわけではありません。なんでもかんでも早急な「永住帰国」こそ唯一の選択肢、そして「残された子どもをすぐに日本に返せ」という、この10月末からの内閣官房・救う会、そしてマスメディアのあからさまな思惑・方針には、首をかしげたくなります。
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「縛りつけてでも返さない」となると、子どもも孫も、親や祖父の所有物ではありませんよと言いたくなります。「子どもの権利条約」には、日本も入っているのであって、こういう時にこそ、その趣旨を手本にして役立てるべきなのではないでしょうか。ともかく、五人にはいったん北朝鮮に戻ってもらって、子どもたちと相談してもらうことが、一番自然な姿です。そのうえで、都合のつく時に、行ったり来たりしてもらって、日朝間の架け橋になってもらい、それから自由な選択をしてもらう-これまでの人類史のなかでも、めずらしい国際友好の具体的なケースが誕生するかもしれないではないですか。せめて、手紙のやりとり、電話での会話くらいは保障すべきではないですか。いかに国家と国家が突っ張りあっているにしても。
私は、今回の事態は、国境の壁を少しでも低くするための絶好の機会でもあったのではないかと思うわけです。共産主義革命が日本に輸入されるのではないかー間接侵略があるのではないかーという冷戦時代の発想をまだもっていて、国境の壁を高くすることばかり考えているひとがいるのです。p18〜19
『週刊金曜日』の快挙といえるインタビュー(二〇〇二年一一月一五日号)によれば、ベトナム戟争に行くことを嫌っていた人のようです。その元アメリカ軍人は、非常に微妙な立場の人、というより私に言わせれば、国家の命令を振り切ってパスポート無しで国境の壁を単身で乗リ越えるという希有な体験を持ったがために、いまだに訴追される恐れがあるという、まるでカフカ文学の世界の生き証人のような人です。国境が全く無くなってしまったら、いろいろと困ることも起こるかもしれません。私にも不利益が及ぶでしょう。しかし私は、その不利益を甘受します。一方では、「グローバル化だ--」と叫んでいながら、他方でわざと壁を高くしようとするのは、「グローバル化」のスロiガンがインチキであることの自己暴露です。国境があり、国家があることで、戦争があり、侵略があり、数々の虐殺.拉致も起きたのです。私は、国境の存在を恥じる立場です。p19
もうアホウとしかいいようのない人です。
この人は、まるで問題なのは拉致被害者を帰さない我が国であって、強盗、誘拐犯である北朝鮮は悪く無いとでも思っているようです。
またこの人は今後の推移として
せめて5人の方々と、北朝鮮にいる家族との通信(手紙・電話)の自由を確保する事はできるはずです。北朝鮮の家庭にある電話では、国際電話はかけられないとも聞きますが、電話局とかホテルにいけばかけられるそうです。
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どちらかの政府が、あるいは両方の政府が、電話をさせないようにしているのでしょうか。打ち合わせのための手紙さえもだめだというのであれば、そのこと自体が重大な人権侵害です。P22〜23
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濃縮ウランがあったとして、それが珍しいことなのかを、きちんと吟味する必要があります。そもそも核罪閉爆弾の材料(プルトニウム)という点では、北朝鮮よりも日本にこそたくさんあるのではないでしようか。日朝交渉の推移もさることながら、今回のメディアスクラムが圧倒的にリードした、「人問は親子で一緒に暮らすことが最高の価値であり、肉親の絆ほど強いものはない」という価値観のマインドコントロールが、日本の社会に定着する事を、私は恐れます。親子の絆を最高の価値とみるならば、世襲制肯定となり、人間性の自由が否定され、真の意味でのパブリックという概念は成立しない事になります。北朝鮮を世襲制度の国といってバカにする人が多いけど、日本もまた、政治家にしろ企業家にしろ医者にしろ芸能人にしろ、世襲が多いではありませんか。ひとの国を笑うことはできません。p23〜24
もうメチャクチャです。北朝鮮をどんな国と思っているのでしょう。人権侵害って・・・・・