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井筒和幸3
4月30日月曜日晴れ ○

 
<だいたい俺は国をブチ壊すくらいの勢いで映画を作っているんですよ。今回の『パッチギ!』だって、正直言って、日本政府からも朝鮮総連さんから抗議が来るかもしれへんギリギリのところです。たぶんテレビじゃ見たことも聞いたこともないような話が飛び出すよ。だからこそ、オモロいものができる! フジテレビが出資した『海猿』だっけ? 自衛隊の協力を売りにしていたけど・・・・・アホか! 自衛隊が協力してくれるわ〜!なんて喜んでどうするねん! 自衛隊の協力を仰いで作る映画なんてろくなもんないよ。自衛隊からもクレームが入って上映してはならないって言われるくらいのもんこそが、映画ですよ>
(井筒和幸『虎の門 井筒和幸のこちトラ自腹じゃ! 一〇一本斬り』テレビ朝日コンテンツ事業部、二〇〇四年、P四〜五)

 中立を装いいかにも客観的にこの映画を作っているような井筒氏のこの言葉が嘘であることは朝日新聞の下記のニュースだけでもわかる。
以下引用
 
略)朝鮮学校が主題の一つである同作品は、京都の朝鮮高校の若者たちを描いた前作から一転、今回は東京の、小学校にあたる朝鮮初級学校が舞台の一つとなる。
エキストラで出演する朝鮮学校児童を前に演技指導する井筒和幸監督(中央、サングラスの人物)=11月23日、東京都江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校で、シネカノン提供
 11月23日。東京都江東区枝川の東京朝鮮第2初級学校(宋賢進(ソン・ヒョンジン)校長)の講堂に、休日にもかかわらず1、2年児童20人が集まった。授業ではなく映画のエキストラとして「紙芝居を見る子どもたち」を演じた。
 略)
 枝川の朝鮮学校は、都有地である校庭の明け渡しを求め、都から提訴されている。裁判を機に、国内に加え韓国でも「民族の学校を守ろう」と支援運動が広がった。李さんらは裁判支援イベントの上映会に招かれたのを機に枝川を知った。「
朝鮮学校は映画の重要なテーマ。枝川の学校をめぐる厳しい状況は自分たちの問題意識にも合う」と意を強くしたという。
 枝川での撮影は10月末から12月初旬まで7回にわたり、朝鮮学校校舎や校庭、近くの民家であった。建物の一部を70年代風に造り替え、登場人物が働くサンダル工場のセットも特設された。
 地元に住む
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)支部役員・李相慶(リ・サンギョン)さん(29)は、映画スタッフと地域との橋渡し役を務め、住民や朝鮮学校生徒ら200人をエキストラとして出演させる手配に駆け回った。略)
2006年12月14日 朝日新聞

 朝鮮高校は朝鮮総連の学校であり、「北朝鮮国民」としての教育が行われている。「地元に住む在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)支部役員・李相慶(リ・サンギョン)さん(29)は、映画スタッフと地域との橋渡し役を務め」とあるように、朝鮮総連の協力によりこの映画を作っていることがこの記事にはあります。
 つまり、井筒氏は「自衛隊の協力を売りにしていたけど・・・・・アホか! 自衛隊が協力してくれるわ〜!なんて喜んでどうするねん! 自衛隊の協力を仰いで作る映画なんてろくなもんないよ。」とほざいていながら、てめえは、在日朝鮮人の金で、朝鮮総連から協力してもらうという朝鮮ドップリで朝鮮人の暴力行為肯定の映画を作っているだけのアホです。

 だいたい、映画代出したぐらいでそれを仕事にしていながら「こちとら自腹じゃ」と偉そうにいうようなことか。

 <
最近の日本は、あしきナショナリズムで自分の国のことばかり語り過ぎる。日本が周りの国にどんなひどいことをしてきたか、知らなきゃ本当の友達にはなれない。無知は罪ですよ。若い人には、この映画を見て、泣いて笑って、そして知ってほしい。
 朝日新聞平成一七年二月九日夕刊

 先に書いたように自らも在日朝鮮人で帰化した浅川彰広氏(名古屋大学先任講師)は井筒氏について「無知は罪なり」と書いたことについて、「そのまま自分に返ってくるフレーズだろう」と著書「在日論の嘘」で批判しています。それは、<全部取材から出てきた本当の設定だから>(R252004.12.16)といいながら、「パッチギ!」の中に、トラックに放り込まれて釜山から船で強制連行された経験などを描くという朝鮮人の言うウソをそのまま疑いもせずに事実として描く井筒氏の姿勢についてです。
こんな井筒氏を取り上げて喜んでいる腐れマスコミの程度と姿勢がよく判ります。

 今日は一日中部屋にいてゴロゴロして一日が終わる。福岡からの出張より帰って来た李さんから電話あり。


横浜へ
4月29日日曜日晴れ △
 昨日の中日新聞社説の「中国政府は共同声明が民間の賠償請求を放棄したかどうか明言を避けてきた。放棄したとすれば民衆の反発を買い、放棄していないとすれば請求が広がり日中関係を揺るがす事態になりかねないためだ。判決で中国政府は苦境に追い込まれた。」って社説は醜かった。
いったいどこの新聞社なのだろう。

 店を片付けてからマグロなどの刺身と柳包丁と酒を持ってお世話になっている長島さんのお宅に伺う。長島さんとは三〇年近く前に、私が放浪していたときにメキシコのグアダラハラで偶然お会いしてお世話になって以来のおつき合い。
 最終電車で部屋に帰る。

ドンチャン
4月28日土曜日晴れのち一時暴風雨 ××××

 「9条に命を吹き込む人々」という特集で、一番上に<厳選した材料でつくられた絶品日本酒「九条」>とあったので、ネタとして「週刊金曜日」を買ってきたが、これって、六六ページしかなくって五〇〇円もするんですね。前に買った時は、他の本等といっしょに購入したので気がつきませんでした。
 酒の蔵元と意気投合しとあったから、この蔵元もこういった連中がどういうやつらかわかっていて酒を造っているのでしょう。

 週刊金曜日の裏表紙に<「週刊金曜日」の新キャッチフレーズを募集します>とあったから、応募したろうかな。

サンフランシスコ講和条約が昭和二七年四月二八日に発効した今日という日は我が国の独立記念日。どうして、今日が祝日ではないのだろう。

 Wさん来店。Y@横浜 さん来店。インチキラクターさん来店。マロさん来店。タイに赴任するチヒロさんの送別会ということで理科大ラグビー部OBのみなさん大勢様で来店。
 ドンチャン。みなさんそれなりに酒に弱くなったといいながら、一升瓶ゴロゴロ。私も途中から合流。当然、記憶無し サル
・・・・・・


4月27日金曜日晴れ ×
 
あの腐れ売国奴の山崎拓と加藤紘一は今日から支那、朝鮮に行くそうだが、何しに行くのだろう。河野洋平といっしょに早く、国会議員を辞めて欲しい。明日からは同じ売国奴の二階俊博も支那に行って「日中国交三五周年、二万人交流計画」を押し進めるらしい。これ以上
、支那人が我が国で犯罪を犯しやすくしないでほしい。この男は支那による東シナ海の天然ガス田の盗掘を容認し、地元の和歌山でもグリーンピア南紀の跡地開発でも支那のペーパーカンパニーに売っています。国を売る事ばかり考えずに少しは日本のためになる事をしてほしいものです。こいつも早く引退して欲しい。

Oさん二名様で来店。バンブーさん来店。九州からMさん来店。Mさんはビックコミックオリジナルの連載記事伊丹由宇氏の「こだわりの店」(連載四〇〇回以上らしい)に掲載された店を二〇〇店以上訪問しているそうな。小学館はこんな熱心な読者に何か名誉称号でも贈ったらどうでしょうか?
 当店も早稲田にあった「酒いわしや」の時に掲載していただきました。平成五年頃?かな。当店にもその御縁で一〇年ほど前に来店してくださったのが最初。でも、その時には当店は移転して今の場所で「酒たまねぎや」として営業させていただいておりました。ホームページもやっていなかったし、Mさんは鼻?で探しての来店。
 初めてのお客様Tさん三名様で来店。大台さん二名様で来店。マロさん来店。一名様来店。大台さんは今日がお誕生日だそうで、磯自慢35%、九平次の別誂セレクションをグビグビ。
 ドンチャン。記憶はあり。


井筒和幸2
4月26日木曜日晴れ ×
 
3月29日号の週刊新潮「私の名作ブックレビュー」というコーナーに井筒和幸氏の愛読書?を取り上げている。井筒氏が書いているのは「閔妃暗殺 朝鮮王朝末期の国母」(角田房子著)というものです。
ここで、井筒氏は次のように書いています。
日本の朝鮮侵略の礎となる出来事だったんですから。ある国家を植民地化するために、まずはじめにやるべきことは何か。簡単です。頭をブッつぶせばいいんです。それで国民を翻弄しショックを与え、土地を侵略国の法律に従って、計り直して奪っていく。帝国支配のキモって、要は土地を押さえること。人じゃあない。人は増やすことができるけど、土地は限度が最初から決まっている。当時の李氏朝鮮はまだ王朝国家で、律令的な体制ですから、土地は王様と地主のもの。その土地を取り上げる第一歩として、王妃(国母)を殺して焼いた。そんな冷酷で恐ろしいことを、つい先頃まで鎖国していた日本の役人(公使)がやってのけたという事実に、驚愕させられる。でも、その生々しさ、血腥さを、いまは誰も知らない。実はそれが最も恐ろしいことだと私は思います。
引用終わり
(週刊新潮 平成一九年三月二九日号p一四〇)

 自らも在日朝鮮人で帰化した浅川彰広氏(名古屋大学先任講師)は井筒氏について「無知は罪なり」と井筒氏が朝日新聞夕刊(平成一七年二月九日)に書いたことについて、「そのまま自分に返ってくるフレーズだろう」と著書「在日論の嘘」で批判しています。「無知は罪なり」、先の自分が監督した映画「パッチギ!LOVE & PEACE」について語っている内容と、この「閔妃暗殺」という本についての氏の文にもよくあらわれています。
 我国の朝鮮半島における土地調査についてはすでに書いているので、改めて書きませんが、我国は朝鮮から土地を取り上げてはいませんし、国王とその一族についてもそれなりに遇しています。これは朝鮮人の他の「命」「言葉」「文字」「強制連行」「従軍慰安婦」「姓名」を奪ったというでっちあげの一つに過ぎません。以前に書いたように、列強に植民地とされたアジアの国々の王室はどのような悲惨な目にあったかこの井筒氏は知っているのだろうか。
ましてや、閔妃は「国母」などというりっぱな人間ではありませんし、日本人だけでこの閔妃の暗殺を行ったのではありません。国母などというそんなにりっぱな人物ならば、国民が飢饉に苦しむなか、宮廷で毎夜の朝までの宴会で疲れて午後四時に起きてくる生活を続けたことにより国庫が空になってしまい、売官売職によって得た金でも足りなくなったりはしません。そして、歓楽に耽る閔妃を軍人たちが兵糧のことで襲う「壬午軍乱」と呼ばれる兵乱を起こしたりしません。
 崔基鎬氏は著書「日韓併合の真実」(ビジネス社)で「閔妃は西太后と並ぶ、同じ時代のアジアの二人の妖妃であった。同じように権力亡者であり、途方もない浪費を行って、清朝と李朝の滅亡を早めた。略)二人は性格が残虐だったことでも、よく似ていた。しかし、この二人の稀代の悪女を生んだのは、中国文化であった」(P一〇七)と書いています。
 暗殺を単純に正当化する事はできないでしょうが、逆に歴史の背景をも考えることなく、あるいは知ろうともせずに正義感を振り回す単純としかいいようのない思考もどうかと思います。
 ましてや、社会科の先生になるつもりやったという「
僕は社会の先生になるつもりやったから、世界史も日本史も詳しいよ。だいたい歴史を知らないヤツが映画監督になんかなったらあかんのですよ。」(シネマトゥディインタビューより)って、流石にもう何かの悪い冗談としか思えない言葉まで吐いています。「お前が言うな大賞」候補であります。
 井筒氏は「愛と平和」といいながら基本は前作と同じというのであれば、多くの方が批判されているように、描かれているのは、朝鮮人による暴力を肯定し、朝鮮人側が日本人の立場を思いやる必要もなく、日本人こそ朝鮮人を思いやるべきだという一方通行の物語という事になるのではないかと思います。
続く

 醴泉の山田社長より今年のドンチャンの予定日についてのお知らせが届く。早速、出席の返事。

 Yさん来店。ゴールデンウイークはお仕事だそうな。二名様来店。二名様来店。

井筒和幸
4月25日水曜日くもり一時雨 ×

 『俺は、君のためにこそ死ににいく』完成披露試写会舞台挨拶というニュースがありました。その時に石原都知事が暴言というニュースもありました。
以下引用
石原都知事「野垂れ死に」暴言
 口を開けば問題発言の石原都知事(74)、きのう24日、自ら製作総指揮を手がけた映画の完成試写会に出席。モデルとなった「特攻の母」こと鳥浜トメさんに触れた途端にまた暴言だ。トメさんが亡くなった91年、当時の宮沢首相に「国民栄誉賞を授与してほしい」と進言したそうだが、「にべもなく断られた。その時『この人はきっと野垂れ死にするだろう』と思ったが、実際、政治家として野垂れ死にしましたな」とやらかした。

http://gendai.net/?m=view&c=010&no=19193
ゲンダイネット2007年04月25日?掲載
これについては私も何で読んだか忘れましたが、随分前に当店のホームページに掲載させていただいております。
朝鮮人と特攻
でっ、そこに書いてありますが、私はゼ〜ンゼン暴言と思いません。極々当たり前の発言です。

 この映画についてあの井筒和幸氏も噛み付いております。その井筒氏の無知というかバカというか、低能というか、どうしようもないアホウぶりはもう有名ですが、先日、「窪塚洋介猛反撃『井筒監督はアホ』」というニュースがありました。
以下そのニュースの一部引用です。
 
特攻隊員を描いた作品で、井筒和幸監督(54)が「戦争の美化」と批判していることに対し、窪塚は「見る前に言うヤツはアホ」と猛反撃に出た!
 同時期に公開される2作で期せずして“映画戦争”がぼっ発した。窪塚は特攻を志願し、出撃する隊員の姿を熱演。自身も3年前、自宅マンション9階から転落した経験があり「簡単にはいえないけど、生きてることはありがたい」と、作品への思い入れは強い。井筒監督の批判に対し、窪塚は黙っていられなかったようだ。
 窪塚は「この映画を見て、戦争賛美だというヤツはアホだと思う。もう一回見た方がいい。見る前に言うヤツはアホ」とバッサリ。さらに「右だ、左だ、というけど、鳥は両方の翼がないと飛べないという思いで、日々、生きています」と“窪塚節”もさく裂させた。
 井筒監督は新作「パッチギ!LOVE&PEACE」(5月19日公開)の中に、「俺は-」を連想させる劇中映画を登場させた上、新作のPR会見の席上などで批判を展開。「戦争の美化はアカン。若者を右へならえさせたいだけ」などとこき下ろしていた。
 同じ映画監督として、新城監督も「映画を見てからコメントしてほしい。それがお互いの礼儀でありルール。パフォーマンスとしての発言は、やがて本人に返ってくる」と井筒監督への怒りをあらわに。「沖縄出身で国歌も聞いたことなく、上京しました。右翼というのなら、どうぞ。史実をとらえありのままに描きました」と強調していた。

最終更新:2007年4月20日10時58分デイリースポーツ
 引用終わり

 この井筒氏の発言とは
以下引用
さらに本作の1週間前に公開になる石原慎太郎都知事(74)製作総指揮の映画 『俺は、君のためにこそ死ににいく』を猛批判。「たいがいにしときや、と言いたい。
戦争を美化するものはいや。それだけ」とばっさり。「若者を右へ倣えさせたいだけ。
趣味でしょ」と言い捨て“宣戦布告”した。

引用終わり
明治学院大学におけるトークショーにて
http://www.ntv.co.jp/zoomin/enta_news/news_5.html
平成一九年四月一六日日本テレビより

都知事の映画に辛口ラブコール
以下引用
自作を愛でる一方で、石原慎太郎東京都知事(74)が製作総指揮・脚本を務める映画 「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督、同12日公開)に辛口交じりにラブコールを送り、ライバル心をのぞかせるひと幕も。
太平洋戦争末期の若い特攻兵たちのエピソードを盛り込んで描いた戦争群像劇「俺−」に、井筒監督は「決戦ですね」と言い放つ一方、「映画なら俺が先輩やから先に観に来て欲しい。そしたら観に行こ」と交流を提案。さらに「戦争は醜悪な人殺し。生き地獄に駆り出された若者のことをどう思ってるのかな?っていうか観たいな」と内容に興味津々だった。

引用終わり
サンスポ平成一九年四月一六日
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200704/gt2007041604.html

同じく以下引用
「タイトル通り愛と平和を描いた」という井筒和幸監督(54)は、同時期(5月12日)に公開される石原慎太郎東京都知事(74)製作総指揮・脚本の特攻隊映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」をやり玉に挙げ、「あの人の趣味でしょ。戦争の美化はやめてほしい」と挑発。
引用終わり
デイリースポーツ
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/04/15/0000303516.shtml


 そして、この自分の作品「パッチギ!LOVE & PEACE」について井筒氏自身はこう語っている
以下引用
「ただ、自分が前回作ったものを乗り越えていくのが僕の昔からのテーマだけど、ここ十数年は一生懸命乗り越えてきたような気がするんですよね。今回も仕上がりの予想がついて、面白いものになると自負していますよ」 
「テーマは愛と平和、そこに隠れている戦争や憎悪といった1作目から根底に流れているもの」
「前回は高校生の恋や友情を描きましたけど、今度はそれから何年も経って、大人の物語になりかけています。大人になって抱える問題、大人になりかける中で味わうストレスや逆境を、さらなるリアリズムの中で、徹底的に追求してやろうというのが我々の意思です。舞台のベトナム戦争も終結し、ふにゃけた世界に入ろうとする74、5年を敢えて選んだのは、30年前が今の原型ができあがる時代だと思ったから。そして、我々が突きつけるテーマは、やはり愛と平和であり、その中に隠れている戦争であり、憎悪であり、1作目から根底に流れているものです」
「日本映画がどこかエンタテインメントで終わってしまえばいいんだって風潮が、最近はあるような気がしています。日本映画が久しぶりに洋画を抜いたってマスコミは言ってますけど、中身はどうなのか? この作品は、そういうことに対する僕らのメッセージでもあります。来年5月、6月には『パッチギ!LOVE & PEACE』とは違う日本映画がまたいっぱい登場することでしょう。それらに対して、僕らの映画がどうアプローチしてくのか? それをぜひ期待してください」
引用終わり
MovieWalkerレポート より
http://www.walkerplus.com/movie/report/report4601.html

 「映画賞を総ナメにして大ヒットした青春映画「パッチギ!」から2年」とこのMovieWalkerレポート は書いているし、他でも大ヒット作とか書いてあるのがあったが、確か興行的には大コケしたように書いてあるところも多かったように思う。

 そして、私はこの映画も前作も見ていないので、井筒氏の映画についての直接の批判は避け、井筒氏のインタビューや雑誌などにより活字になった発言および井筒氏についての批判文などを参考、及び引用により私なりに井筒氏について書きたく思います。
続く

 今日は河岸が休み。午後より国民金融公庫に出かける。信用保障協会を利用するのは初めてだがいろいろと面倒。その後、新宿より山手線で高田馬場に出ようとすると人身事故があったらしく電車が止まっているので、タクシーでスポーツセンターの近くまで行ってもらう。
時間があまりなかったが、セット数を少なくして一通りのメニューを消化。
ベンチは二人組みとなり一分〜二分のインターバルで、六〇?×八、一〇〇?×九、一〇〇?×六、一〇〇?×三

 昨日に引き続き、S@名古屋さん来店。ケイザブロウさん、Kさんと来店。金ちゃん、マロさん来店。
 今日は早い時間からドンチャン。記憶はありと思っていたが、どうやら営業を終わってから店で飯を食ったようだが、その記憶が・・・・・・



週刊現代の記事への展転社の見解
4月24日火曜日曇りのち雨 △
 
以下引用
 「週刊現代」4月14日号(講談社)に『「安倍晋三首相は国会議員100人を前に韓国をキーセン国家と言い放った」』という記事が掲載されております。そのなかで小社より刊行した『歴史教科書への疑問』(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編)の無断転載があります。『歴史教科書への疑問』の該当頁をそのままコピーしたような画像(文章)です。これは引用の基準をこえて著作権侵害にあたると小社では考えます。
 また、本書内の安倍首相の発言を「暴言」と断定しながら、本人および「従軍慰安婦強制連行」否定論者へのインタビューはなされていません。そもそも記事は平成9年に出版され流通しているものを今回の一連の「騒動」に関連させて取り上げ、韓国の国会議員(柳基洪)にわざわざ記事タイトルのような発言を引き出したものであります。それも原文なのか、韓国語に翻訳を勝手におこなったのか(その場合はどのような文章なのか)は明記していません。しかし、記事冒頭には『歴史教科書への疑問』を手にした柳議員の写真を掲載しております。
 安倍発言を要約すれば、3点になります。「@「強制連行」であるのに、本人以外の証言がないのは疑問であるA本人証言の内容が時によって変わることがあり、真実性に問題があるB韓国にもキーセンがあり、売春行為は社会的に認められている」です。以上から、「週刊現代」編集部はどのようにしたら記事のように読解できるのか、まったく理解できません(そもそも「キーセン国家」という言葉はどこにもありません)。
 事実確認を怠り一方的な偏向報道により読者と小社出版物に誤解を与えた「週刊現代」編集部に謝罪と記事の訂正を求めます。
   平成19年4月3日
展転社

※4月3日、「週刊現代」編集部へ同文面を送付。10日現在、何ら回答なし。
引用終わり
http://tendensha.co.jp/event/syugen.html

 これに対して、週刊現代は無視するだけなんだろうな。だいたい、あんな明らかにイデオロギーにどっぷりと染まった人間の偏向文章を許す加藤晴之という編集長のバカさかげんが良く判る。

 今日、英国人女性ルーシー・ブラックマンさんら一〇人を襲い、うち二人を死なせたとして準強姦致死、死体損壊・遺棄罪などに問われた織原城二に対し、東京地裁は無期懲役、ルーシーさん事件についてのみ無罪という判決があった。この織原という朝鮮系日本人については元朝鮮人であり、金聖鐘→ 星山聖鐘→ 織原城二 と二回も名前を変えているとなどはほとんど報道されていない。ところが、支那系日本人の犯罪であった滋賀県の園児殺傷事件では、読売は鄭永善容疑者と伝え、(まあ、朝日は谷口充恵容疑者だけど)同じ支那系日本人の千葉でのインスリン投与による殺人未遂事件でも出身の鈴木詩織 、黒龍江省出身、旧名は「史艶秋」とマスコミは公表している。
どうして、同じように日本人に帰化したものに対する扱いが違うのか。
マスコミはこの織原城二を朝鮮系日本人であるということを普通に発表すべきだろう。

 Sさん@名古屋さん二名様で来店。だけ・・・・
早い時間から飲む。


4月23日月曜日くもり ○
 午後より立川に出かけてマルガリータさんに歯の治療をお願いする。その後、本日会社がお休みの李さんと新宿にて待ち合わせる。今日は私の買い物に付き合ってもらう。ジャケット、シャツ、スニーカーを購入。
 先日、伺った「蒙古苑」にて鍋。
 

北朝鮮と我国の腐れマスコミ
4月22日日曜日晴れ○

 ニュースであの犯罪国家北朝鮮で金日成と正日の壁画や史跡碑建設ラッシュというのがありました。
以下引用
【ソウル21日聯合】北朝鮮は最近、平壌をはじめ北朝鮮内各地に金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記を偶像化するモザイク壁画や革命史跡碑などを相次ぎ建設している。
金日成主席95回目の誕生日(4月15日)を迎えた今月だけで、10か所余りにモザイク壁画が建設された。9日には平壌市内統一通りに全長33.7メートル、高さ22メートルに及ぶ大規模な金日成主席の壁画が完工、翌10日には光復通りにも3か月に及ぶ工事の末、大型壁画が設置された。朝鮮中央通信が20日に報じたところによると、平安南道、平安北道、咸興市、黄海南道、咸鏡南道など全国各地の通りや工場、施設、鉄道駅などに壁画が続々と建設されている。
 また、革命史跡碑が平壌市、平安南道、价川市、黄海南道などに、革命史跡標識碑(表示碑)も各地の農場、工場、施設などに建設された。今月初めには、1953年に金日成主席が訪問したという江原道文川市第1中学校に、幼少時の金日成主席の銅像が設置された。
 略)

引用終わり
4月21日20時52分配信?YONHAP NEWS

 あほか。元々クソみたいな銅像などが国内に溢れている国ですが、乞食国家のくせにこんな事をいまでもやっているのです。
下記のような事がいかにムダなことか。よく判ります。
以下引用
 
北朝鮮教育支援が停止状態、ユニセフが各国に協力呼びかけ
 【ジュネーブ=渡辺覚】国連児童基金(ユニセフ)は13日、北朝鮮に対する2007年支援事業のうち、「教育」と「水道・衛生」分野について国際社会からの資金拠出の申し出が全くなく、プロジェクトが停止状態に追い込まれていることを明らかにした。
 核実験を強行した北朝鮮への支援に各国が一段と消極的になった結果だが、ユニセフは「一般住民を危機に追い込むわけにはいかない」と協力を呼びかけている。
 ユニセフは今年1月、前年と同規模の人道支援事業を実施する方針を示し、国際社会に総額1000万ドル(約12億円)の拠出を要請した。ところが各国・機関が表明した拠出額は、現時点で約364万ドルにとどまり、残る63%分の資金にメドが立っていない。教育関連事業(予定額95万ドル)と水道・衛生関連事業(同260万ドル)の2分野は、国際社会の拠出表明がゼロという異例の事態が続いている。

最終更新:読売4月13日23時39分
引用終わり
 こんな気狂い乞食国家になにを恵んでも一緒なのです。
まあ、国内でもこの気狂い乞食国家の手先である朝鮮総連が昨年から色々騒いでいますが、そんな犯罪組織よりも問題は我国のバカマスコミです。
腐れ新聞の記事を御覧下さい。
この腐れ新聞の姿勢を見るために全文を掲載させていただきます。
以下引用
北朝鮮制裁:万景峰号の入港禁止半年延長、県内関係者に波紋 
 10日の閣議決定で半年間延長された北朝鮮に対する経済制裁で、万景峰(マンギョンボン)号の入港禁止もさらに半年間延長されることになり、県内にも波紋が広がった。拉致被害者らの支援者は「圧力は当然」と支持する一方、在日朝鮮人からは困惑する声が漏れた。泉田裕彦知事は同日の会見で「拉致問題が普通の交渉で解決されない以上、港湾管理者としても政府方針に沿って対処したい」と述べた。【黒田阿紗子、岡田英】
 ◇「政府は強い態度で臨んで」−−拉致被害者の会
 拉致被害者の支援団体「救う会新潟」の馬場吉衛会長(85)は「この半年間、拉致問題は進展がなかった。政府は強い態度で臨んでほしい」。特定失踪(しっそう)者、大沢孝司さん(当時27歳)の兄、昭一(71)さんは「拉致が進展しないのに、制裁を解除する理由はない」と延長決定に期待を込めた。
 一方、朝鮮総連県本部の李主〓委員長は「万景峰号は在日朝鮮人の心のよりどころ。制裁延長が問題の根本的解決につながるとは思えない」と語った。

 ◇「なぜ在日にしわ寄せが」
 新潟市でキムチ店を営む在日朝鮮人の尹千石(ユンチョンソク)さん(79)。万景峰号の入港が禁じられた後の昨年11月、平壌にいた長男・柳正煕(リュウチョンヒ)さん(享年58歳)を突然の心臓発作で亡くした。その年の夏に万景峰号で北朝鮮に行くつもりだったが、経済制裁であきらめた直後だった。
「もし万景峰号が止まっていなければ、もう一度せがれと会えたのに」。こみ上げる怒りを無力感が包んだ。
 1965年、帰国事業で母や弟妹は北朝鮮へ渡った。だが、新潟で働く夫のため、尹さん一家は日本にとどまる。
 2年後、正煕さんは大学進学で北朝鮮へ。日本での進学は経済的に難しく、家族の離散は仕方なかった。
 その後は年1回、北朝鮮で家庭を持った正煕さんを万景峰号で訪ねた。高齢の尹さんにとって寝床と食事が付いた船旅は楽で、空路に比べて運賃が安かった。
 元山(ウォンサン)港で入国審査を終えると聞こえる「オモニー(お母さん)」の声。懐かしい声の先には、いつも大きく手を振りながら満面の笑みで出迎える正煕さんがいた。「離れていても、万景峰号がせがれの笑顔に会わせてくれた」
 ところが昨年7月、北朝鮮のミサイル発射を受けた政府は、万景峰号の往来を禁じた。離散家族を結んできた船が政治決定で止まった。
 長男の危篤を知らせる電話があったのはその4カ月後。すぐロシア経由で船と飛行機を乗り継いで駆けつけたが、葬儀に間に合わなかった。
 夏にもう一度会えていたはずなのに。船が止まるのがもう少し遅かったら――。せめて遺骨を写真に収めようとカメラを構えた手が震えた。「なぜ在日にしわ寄せが来るの」
 11日、同国内に購入した正煕さんの墓を初めてお参りするため、飛行機で北朝鮮へ向かう。墓前では「またしばらく会えないけれど、ごめんね」というつもりだ。

平成一九年四月一一日毎日新聞朝刊
引用終わり

 記事の大部分を在日朝鮮人の事について書き、拉致被害者の方についてはわずかしか書いていません。ましてや、<「もし万景峰号が止まっていなければ、もう一度せがれと会えたのに」。こみ上げる怒りを無力感が包んだ。><夏にもう一度会えていたはずなのに。船が止まるのがもう少し遅かったら――。せめて遺骨を写真に収めようとカメラを構えた手が震えた。「なぜ在日にしわ寄せが来るの」>といかにも我国政府の対応がおかしいという書き方です。なぜ在日朝鮮人が北朝鮮に自由に行き来できて、北朝鮮に騙されて渡った日本人が帰国できない理不尽さ、拉致された日本人とその御家族に対しての思いやりも、その国家犯罪に対しての怒りなど何もない腐れ新聞の毎日新聞らしい記事です。黒田阿紗子、岡田英というこの二人には日本の新聞記者など辞めて朝鮮のマスコミにでも就職してほしいものです。

 昨日来店してくださったお弟子さんの忘れ物のことで中島さんんに電話す。昨日は大学の練習帰りに寄ってくださり、今日はOBによる練習があるそうで、あれだけ飲んだ翌日なのにすごいものです。店の片付けを終えて、スポーツセンターにいき、昨日できなかった肩、腕、下半身のメニューを消化。部屋へ帰る途中に区議会議員選挙へ八時ぎりぎりに投票。私の後にも何人かの方が急ぎ足でいらしていた。

4月21日土曜日晴れ ×××
 
仕込みを終えたから、午後よりスポーツセンターに行く。今日もあまり時間がなかったので胸、背中のメニューを消化。調子はイマイチ。ベンチは二人組みとなり一分〜二分のインターバルで、六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×六、一〇〇?×六、一〇〇?×三、九〇?×八、九〇?×八、八〇?×八、スローで八〇?×四

 予約もないし、ヒマだろうと思っていたら、Oさん来店。鉄であるOさんはゴールデンウイークは函館まで鉄道の写真を取りに行くそうな。Kさん二名様で来店。中島さんと早稲田棒術会のお弟子さんたちが大勢様で来店。お弟子さんのお一人の就職祝いということでドンチャン。いつもの事ながらいくらお弟子さんといえども、ず〜と酒を飲まずに仕込み水だけで最後まで付いているサカイさん偉い。金ちゃん、マロさん、Nさん来店。わ。さん来店。調子が悪かったそうで、病院での検査帰りだそう。
営業が終わってから、李さんと飯。最近できたという歌舞伎町の「蒙古苑」というお店で待ち合わせたのだが、蒙古料理と称するものは初めての経験。オーナーは日本人の方。李さんもそうだが、マネージャーは支那の方で完璧な日本語を話す。私以外の他のお客さんは支那の人ばかり。生ビールとプーア−ル茶を飲みながら「カニの香味炒め」「エビのピリ辛炒め」「特製竹盛りチャーハン」「モンゴル風野菜炒め」などどれも美味しい。オーナーからサービスとして出してくださった「杏仁豆腐」も濃厚な味で美味しかったです。
朝六時と遅くまでやってくれているのがありがたい。


4月20日金曜日晴れ ×
 
初めてのお客様四名様来店。同じく二名様来店。バンブーさん来店。Aさん二名様で来店。Yさん来店。酔狂師さん来店。
今日はめずらしく忙しい。

土井たか子氏訴える
4月19日木曜日 晴れ ○

 今日の朝日新聞の記事には笑いました。
以下引用
「朝鮮半島出身は捏造」 土井たか子氏、出版社側提訴
 月刊誌「WiLL」が社民党元党首の土井たか子氏が朝鮮半島出身であるかのような記事を掲載したことに対し、土井氏は18日、事実に反し、信用や名誉などを毀損(きそん)されたとして、発行元のワック・マガジンズ(東京)と代表者らを相手取り、全国紙への謝罪広告の掲載と損害金1万円を求める訴えを神戸地裁に起こした。
 訴状によると、同誌は06年5月号に掲載した論文「拉致実行犯辛光洙(シン・グァンス)釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」の中で、「土井氏は知る人ぞ知ることではあるが、本名『李高順』、半島出身とされる」などと言及した。土井氏側は「事実無根の捏造(ねつぞう)記事で、土井氏に対する取材に基づかない一方的な推測で作成したものだ」と主張している。
 同誌の花田紀凱編集長は「訴状を見て対応したい」と話している。

引用終わり
朝日新聞 平成一九年四月一九日

 これって、私も「土井たか子=李高順」伝説が初めて活字になったものを見ましたが、土井氏に取材したからって戸籍謄本でも見せて証明してくれたのだろうか。結局は憶測で書く事になったのじゃあないだろうか。そもそもこんな話題で取材など受けたかどうか。
 そして、何よりも朝鮮人に間違われたからといって、偉大なる首領様にスケジュールはきつくありませんかと言われて
「いいえ、自分の家に帰ったようです。」などと言っていた土井氏の言動からして「信用や名誉などを毀損された」というのもどうかと思う。どうせだったら、「朝鮮人に間違われて大変誇りに思います」ぐらい言って欲しかった。→売国奴土井たか子

 あと、どうしてもっと証明しやすいであろう「学歴詐称」疑惑の本を出した宝島社を訴えないのでしょうか。宝島から「社会党に騙された」が出版されたのはこのWiLLより三年も前の平成一五年十一月です。土井たか子氏は昭和三年生まれですから、まだ同志社大学(にいってたら)同級生で御存命の方も多いでしょうし、簡単だと思うのですが、どうして訴えないのでしょう。(ニセの)古い卒業証書を探しだしたり(作ったり)するよりはずっと簡単でしょう。ただ、(一応法学部だし)忙しいのか(偽証がイヤなのか)いろいろあって取材拒否の方も多いみたいですけど。どういうわけか・・・・
 社民党も名誉党首ともあろう偉大なお方が、学歴詐称などという不名誉な事を言われたら栄光ある社民党のお名前に傷がつく事でしょうから、党のためにも、ぜひ訴えてその汚名をはらしていただきたいものです。→
土井たか子の学歴詐称

そんなの簡単でしょ!と思う。普通だったら・・・・・・きっと。 

ちなみに、上の方の( )の中は気にしないでください。独り言みたいなものです。

 二名様来店。二名様来店。


自業自得を理解できない人々
4月18日水曜日 雨 ○

 以下引用です。
米バージニア工科大学で起きた最悪の銃乱射事件を風刺したソウル新聞の漫評に非難の声が高まっている。
ペク・ムヒョン氏が描いたこの漫評には、ブッシュ大統領がブリーフィングで「一発で33人…これでわが国の銃器技術の優秀性をもう一度…」と述べる場面と犯人が銃を乱射する場面が描かれていた。
18日付新聞が販売される前にこの漫評がインターネット上に流布し、ものすごいスピードでブログや掲示板などに広まった。
インターネットユーザーらは「どうして死をもって悪ふざけができるのか」(ID:四角い箱) 「罪のない市民が殺害された事件を皮肉る漫評を描いたペク画伯とこれを無意識に記事化したソウル新聞、どちらも責任を取るべきだ」(ID:謝れ)という非難の書き込みをソウル新聞ホームページの掲示板やポータルサイトなどに相次いで寄せている。

一部では、この漫評が外交問題に飛び火する可能性も取り沙汰されている。
反韓インターネットサイトがこの漫評を「Caricuture of Korean」というタイトルで翻訳し、海外のサイトに流しているからだ。
英語では「The life of 33 people killed at a time…Our Excellence of firearm technology was shown again」と
訳されている。
特に日本のサイトでこの漫評と英語の解説が広まっており、ネットユーザーらは不安に思っている。

ネットユーザー「onesuc」は「漫評がすでに米国のニュースサイトに広まっており、米国にいる日本人学生らは今、この絵を周囲の人に回すのに忙しい。
一方、韓国人学生らは外出もままならない状態だ」と語った。
ソウル新聞側は17日午後9時ごろ、ホームページに掲載したペク画伯の漫評を「衝撃、容疑者は韓国人」に差し替えた。配達用新聞にも差し替えられた後の漫評が掲載されている。

引用終わり
朝鮮日報 平成19年4月18日(画像はネットからの拾い物で、朝鮮日報には掲載されていません)
http://www.chosunonline.com/article/20070418000064

 新聞に掲載された風刺画をインターネットにて「紹介」しただけで、どうして「米国にいる日本人学生らは今、この絵を周囲の人に回すのに忙しい」だの「ネットユーザーらは不安に思っている」ってなるのでしょう。わけわからん。

 それよりも、普通は自分達の不明を恥じなければいけないのでしょうが、そうではないようです。

 仕込みを終えてから新宿にある信用保障協会に行く。初めていったが、りっぱなビルの中に入っていた。

 初めてのお客様来店。一名様来店。
昨日に引き続き、今日もヒマ。


普通の事を
4月17日火曜日雨 ×

 今日、河岸からの帰りに乗っていた東西線で日本橋駅から乗ってきた御高齢の御婦人に、すぐにさっと席を立ったのは中南米系と思われる若い男性でした。
 優先席に座っていたオバハンもサラリーマンも知らんぷり。
はずかしい。

ところで、この写真は当店の近所にある建物の入り口付近にくっついていたのを写したのですが、
「馬でお越しの方は此処におつなぎ下さい」
すばらしいセンスというかユーモアというか楽しい遊び心に感心。


 今日は寒い。Iさん来店。Tさん来店。
ヒマということで、飲む。ドンチャン。


 

4月16日月曜日雨 ×
 午後より立川に行き、歯の治療をマルガリータさんにお願いする。
 店にいったん寄り、資源ゴミを出した後、夕方より酔狂師さんと神楽坂の「文ちゃん」に伺う。
酔狂師さんの持っていらしたボルドーの赤と私が持っていった酒でドンチャン。もう一件ということで、高田馬場にある「カヴェルナ」さんに伺う。白ワイン、赤ワイン、マディラ等でドンチャン。
帰りのタクシーでは珍しく起きていて記憶があったのだが、途中、コンビニで買い物をして部屋のカギを開けた後の記憶が・・・・・サル


4月15日日曜日くもりのち雨 ○
 名越二荒之助氏が一一日に御逝去されたというニュースがあった。手許に数冊の著書があり、このホームページでも引用させていただいておりました。
御冥福をお祈りいたします。

 店を片付けてからスポーツセンターに行く。昨日、できなかった肩、腕、下半身のメニューを消化。

温家宝の演説
4月14日土曜日晴れ ×
 中国・温家宝首相「国会演説は称賛を得た」日本テレビNEW24<4/13 15:08>
以下引用
 
来日中の中国・温家宝首相は滞在最終日の13日朝、記者団の取材に初めて応じ、「12日の国会演説は日本国民の称賛を得た」と自賛した。
 温首相は「日本の多くの人が『氷を溶かす旅』の目的は達成されたと言っている」と述べ、今回の訪問に手応えを感じている様子を見せた。
 中国の有力紙「新京報」は「氷は溶け始め、春が戻ることを期待できる」と題した社説を載せ、温首相の訪日が「重要な一里塚としての意味を持つ」と評価している。また、ほかの新聞も日中友好ムードを強調している。

引用終わり
 
 この日の演説は、支那の中央テレビが全土に生中継したそうで、これについて「温首相演説―日本への評価を歓迎する」とした朝日新聞の社説です。
以下引用
 略)
 
とりわけ注目されたのは、中国侵略に対する戦後の日本の態度について、次のように述べたことだ。
 「日本政府と指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、被害国に対して深い反省とおわびを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています」
 
日本が謝罪したことを、これほど明快に評価したことは、画期的なものとして歓迎したい。
 略)
 温首相の発言は、侵略と謝罪をめぐるこうしたわだかまりや論争に区切りをつけたいと両国民に訴えたものだろう。
 また、温首相は「中国の改革開放と近代化建設は日本政府と国民から支持と支援を頂きました。これを中国人民はいつまでも忘れません」と述べた。
 
長年にわたる中国への日本の援助に対し、感謝を述べたに等しい。中国では、こうした事実を初めて聞いた人も多かったに違いない。
 
改革開放への支援を高く評価した背景には、中国が深刻な環境汚染や資源不足に直面し、日本の協力を必要としている事情があるのは間違いない。
 そうだとしても、相手を批判するだけでなく、評価すべきところは評価しようという態度に変わった意味は大きい。
 温首相の訪日に合わせ、中国では日本を客観的に見ようという報道やテレビ番組も増えている。
 一方で、温首相は日本側に注文もつけた。歴史問題で「態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています」と述べたのは、靖国神社に参拝しないよう安倍首相に改めて求めたものだろう。
 いわれるまでもなく、首相は思慮と分別を見せるべきである。
 安倍首相は年内にも訪中する意向を表明した。相互理解を深めるため、今度は首相が中国から両国民に語りかけてはどうか。

引用終わり
2007年04月13日(金曜日)付朝日新聞社説

そして、毎日新聞の記事です。
以下引用
温家宝首相:国会演説に塩崎官房長官「大変良かった」
 温家宝中国首相が12日行った演説について、塩崎恭久官房長官は同日午前の記者会見で「幅広い話題について積極的な発言があって大変に良かった」と感想を述べた。与党幹部からも「これで氷は完全に解けただろう」(中川秀直自民党幹事長)、「未来志向でいきたいことを鮮明に打ち出した演説」(太田昭宏公明党代表)など前向きな評価が聞かれた。
 演説が行われた衆院本会議場では、議員らの拍手が約10回起き、温首相が日本人の残留孤児に触れ「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人が彼らを引き取って、死の危機から救い出し育て上げた」と述べたくだりでは、傍聴席からも大きな拍手が起きた。

毎日新聞 2007年4月12日 12時25分 (最終更新時間 4月12日 12時32分)
引用終わり

 そしてなんの参考にもならないでしょうが、あの池田大作ダイセンセイの聖教新聞に掲載された「オコトバ」です。
以下引用
<本日の総理の国会演説は、歴史的な平和友好の大宣言であられました。
 文豪・魯迅先生が言われるごとく、総理の「真実の声」「至誠の声」「温暖な声」に
多くの人が感動しました。涙を流している人もいました。
 私は、これまで、多くの世界の指導者と会って来ました。
 だれが真実の指導者か。そして、だれが偽りの仮面をかぶった権力者か。民衆の眼は、それをきちんと見分けます。
 総理は真実の民衆の指導者であられる。
 略)
 温総理の名演説をうかがいながら、私は三三年前の周恩来総理との語らいを思い起こしました。
 温総理の論調には、まさに周総理と一致する奥深い歴史観があり、寛大な人間愛があり、率直な言明があり、明晰な展望がありました。
 略)
 ともあれ、貴国の古典「文心雕龍」に、「志があるゆえに、文才が光る。信義があるゆえに、表現が冴える」と讃えられる通りの不滅の名演説でありました。 
 二一世紀の貴国と日本が進むべき「友情と協力」の大道が晴れ晴れと開かれ、明確に示されました。>

引用終わり
聖教新聞平成一九年四月一四日掲載

この演説に対して、「中国首相の国会での大演説」と題した西村慎吾議員のメルマガです。
以下引用
略)
 温総理の演説原稿が配布されていないので、正確にしゃべった通りをたどることは出来ないが、概略以下の通り構成された演説であった。
 まず、日中の歴史を述べる。
 稲作栽培、養蚕技術、仏教、漢字、絵画、芸術文化など日本にある全ては、中国から移ったものであると述べ、鑑真和上の日本渡航の苦労や、安倍仲麻呂と李白や王維との交際と遣隋使遣唐使の派遣などの日中友好の歴史を回顧した。
 次に、日本の侵略戦争は中国人民に大きな悲劇をもたらしたが、中国人は戦後には仇を忘れて多くの日本人を祖国に帰還させ、置き去りにされた孤児を育てた。
 しかし、この日本の中国侵略は、一部の軍国主義者がしたことであり、日本人民は中国人民と共に、日本軍国主義者の被害者なのだと述べ、この歴史の教訓を日本が態度で示すか見守りたいと念を押した。
 そのうえで、中国は侵略の被害から立ちあがり努力して世界が注目する発展を遂げてきたが、人口が多くて未だ発展途上国であるから、日中協力が必要である旨を述べた。
 そして、中国は一貫して平和を愛し人民の幸せの為に大いにがんばってきたので、これからも日中友好を促進しようと締め括った。

 演説態度は、堂々としており、やはり中国人だと思うと共に、要所要所で、演説を止め、自ら拍手して、会場の拍手を促す。すると会場から大きな拍手が起る。こういう場面が、演説中、十回以上あった。つまり、我が国衆議院本会議場は、よく映像で観ることがある共産国家の「人民大会堂」的雰囲気を漂わせたのである。
 
 
ところで、この時の衆議院本会議場には、日中両国人民のもつ文明・文化の形が見事に現われていた。
 即ち、集まった我が国の衆参議員は、日本人として来日した中国首脳に歓迎の意を表する場と心得ており、この儀式においては歓迎の姿を示すのが礼儀であるから、拍手する場面を探して真実素直に「和」を作り上げようとしていた。
 他方、多数の随員とともに本会議場に入った温首相は、その「和」の雰囲気に乗った上で、堂々とにこやかに実態と正反対のことを得意げに演説していた。ここまで、うそを堂々と言えるということは、中国人の貴重な政治的資質及び才能であると思う。


 日本人は、一つの古語や教訓がある民族に伝わっている時、その教訓通りにその民族が身を処してきた証であると受けとめる。したがって、例えば論語を始めとする四書五経の教えが中国にあるので、中国人は立派だと思いがちである。
 しかし、日本人とは反対の捉え方がある。
 つまり、そういう教えが伝わってきたのは、まさにその教えと正反対の社会であるからだという捉え方である。現実には無いのであるから、せめて書物の世界だけでも在るようにしているに過ぎないと考えれば、中国政治の説明がつくのである。中国の近現代の政治特に共産中国の政治に、仁・義・礼・忠・信などの要素を見つけられるであろうか。これらは、全く無い。したがって、共産中国においてもこれらの教訓が伝えられているのである。これが中国である。
 したがって、温首相が演説の中で、中国の教訓に満ちた古語を引用した時、魯迅の「狂人日記」の最後の一節を思い起こした。即ち、中国では、それらの美しい教訓に満ちた文章の行間には、「人を食う」という文字が書いてある、と魯迅は締め括っていたのである。

 さて、
チベットやウイグルを侵略して人民を殺戮しつつ、核ミサイルの増強を続けながら平和を愛すると述べ、尖閣諸島を勝手に中国の領土と主張し、反日教育を続け、我が国の国連常任理事國入りに猛烈に反対しながら日中友好を呼びかける大演説に、拍手はあった。
 しかしこれは、日本人が日本人的に対処しただけであって、これをもって、今までのパターン通り、中日友好で実利がついてくると思うならば、大きな誤算となるであろう。

引用終わり                            
西村慎吾議員のメルマガNo.279平成19年 4月12日(木)より

 まともな感覚の記事がどれであるか。国会演説なのに演説原稿も配布されずにおこなわれ、案の定、「日本は戦後平和発展の道を選び、世界の主要な経済大国と重要な影響力を持つ国際社会の一員となりました。中国人民は日本人民が 引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持します」と言う部分を読み飛ばした。これは支那全土に生中継されている事を想定しての行動でしょう。
ネット上には下記のような事も書かれている。
「私は中国語がわかるのですが、
演説では、日本人と呼び捨てにして、かなり高圧的な命令口調でしたよ。
しかも、日本人は台湾を中国と認るようにと命令までしてましたよ。
多くの日本人はテレビの字幕しかみてないから、そんなこと知らないと思います。
これって一国の国会でする演説内容ではないし、中国の属国が日本だという態度で国際儀礼上も大変に失礼ですよね。 」


それに対して、四月一三日の産経新聞に掲載された各政治家の言葉です。
中川秀直」自民党幹事長
 「対日重視の決意がひしひしと伝わる歴史的名演説だ。略)
終戦時の中国人民の恨みを越えた人道精神を強調したことも中国指導部の歴史問題への姿勢を示すものだ。略)
まさに氷がとけた旅じゃあないか」

二階俊博自民党国対委員長
「日中の良い関係を持続していく跳躍台にしたいとの気持ちが表れた歴史的な演説だ。ほとばしる情熱があった。略)
『歴史を忘れないでください』というのは当然で、我々は忘れてはならない。凝り固まった考えではいつまでも交わる事はない」

山崎拓元自民党副総裁
「名前のとおり温かい論調で『風は吹けども山は動かなず』と述べた。略)
村山談話を引用し、『行動で示せ』と言った事は、靖国問題への中国の考えを示したと受け止めるべきだ」

加藤紘一元自民党幹事長
「注意深くビシッと歴史問題を話したな。先の戦争は侵略行為だったという認識を述べ、それは一部の軍国主義者によるものだったと。ある意味では安部晋三首相が就任前に語っていた歴史観と正反対のことを遠慮なく述べた。今の安部首相は方針変更してだいぶ良くなったが、まだ固まっていないので念を入れた感じだ。練りに練った演説だ」

鳩山由紀夫民主幹事長
「日中関係がよりよい方向に進んでいく事が期待できる。歴史問題でかなり長い話をし、実際の行動を求めたことを政府はきちんと受け止める度量を持つべきだ」

太田昭宏公明代表
「中国の基本的な考え方を率直に表現され、日中関係が極めて重要であることを日中両国民に訴えたよい演説だ。歴史問題では恨みではなく戦後の日本の営みを評価し、未来指向を打ち出した」

 中川秀直、二階俊博、山崎拓、加藤紘一、鳩山由紀夫、太田昭宏などの各国会議員のこの演説に対する認識で、この各議員がいかにアホウかがよくわかります。

午後からスポーツセンターに行く。今日は時間があまりないので、胸と背中のみのメニュー。ベンチは二人組みとなり一分〜二分のインターバルで、六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×八、一〇〇?×六、九〇?×六、九〇?×五、八〇?×八

 初めてのお客様二名様来店。二名様来店。大阪のKさん来店。ソウルのKさん来店。来週からイタリアのミラノで行われるデザイン博に行かれる御予定とか、それって、長谷川さんなども出店するやつじゃあって思ってインターネットで開いてみたらそうでした。
 営業終了後、Kさんと「エムズバー」さんにおじゃまする。


庶民の王者
4月13日金曜日晴れ ×

 今日は河岸に行くのが楽しみでした。河岸でタダで配られているキチガイ新聞(通名聖教新聞)に、昨日の創価学会の池田大作ダイセンセイと支那の温首相との会談がどう掲載されているか興味いっぱいでした。
 以下引用
池田
 光栄です。うれしいです。政治家でなくて、
庶民の王者に会ってください。庶民が大事です。

 今日は池田先生にお目にかかれて、感謝しています。略)
池田
 略)
 総理の信念の訪日が、新しい友誼の春をつげてくださったのです。
日本の民衆を代表して感謝申し上げます。

引用終わり
 と気狂い新聞(通名聖教新聞)に掲載されています。日本語としてはてはて?
 ちなみに、テロ朝(通名テレビ朝日)のテロップでは
「光栄です うれしいです。政治家ではなく、
庶民の味方である私と会っていただいて
と改竄していますが、
チョンイル新聞(通名朝日新聞)では
? ■温家宝首相が創価学会の池田大作名誉会長と会談
2007年04月12日20時51分
以下引用
 中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は12日、創価学会の池田大作名誉会長と東京都内のホテルで会談し、日中関係について意見交換した。
約30分の会談のうち冒頭5分間が報道陣に公開された。
 池田氏は「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて
庶民の王者と会ってくださって」と話しながら首相と握手。首相の国会演説を「不滅の名演説だった」とたたえた上で、「氷を溶かす旅は大成功」と評価した。
引用終わり

 わざわざ<温家宝(ウェン・チアパオ)首相>と表記するところがいかにも腐れ朝日新聞らしさが現れていていいですな。やっぱ、人民日報日本支社はこうでなくてはいけません。池田大作ダイセンセイの発言はこの朝日新聞の「うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってくださって」というのが一番自然でしょう。
自分で「
日本の民衆を代表して感謝申し上げます」まで言って、温氏から「贈池田先生 慈航創新路 和諧結良縁」と書かれた自筆の書を贈ってもらった折に「素晴らしいです。日本に宝ができました。慎んでお受けいたします」と言っているのですから。普通の感覚だったらこんな事はいわないでしょう。ましてや、自分宛の贈池田先生と名前の入った書を「日本に宝」などとは絶対に言わないでしょう。
 普段から謙虚とか謙遜とかとは無縁で、発言、行動が
到底日本人とは思えない、いかにも池田大作ダイセンセイらしさいっぱいのすばらしいところでしょうか。
 日本人の本来持っているであろう美徳の欠片もない池田大作ダイセンセイ。さすがです。ただの醜いだけの人とは違って、内面の醜さまでよ〜く現れ、己の権力欲、名誉欲丸出のある意味、人間臭さいっぱいの醜さ剥き出しで、宗教家らしさというものを微塵も感じさせない下品なだけ人間とだれにでも納得させるところは流石です。
 こんな人間を指導者と崇めているのがいるということだけで、改めてカルト宗教の恐ろしさを認識させてくれる。

あほらし。

 バンブーさん来店。Hさん御夫妻、Kさん五名様で来店。ケイザブロウさん来店。二名様来店。三名様来店。


大笑い「韓国偉人伝」
4月12日木曜日晴れ ×
 日曜日に高田馬場の古本市で買ってきた本の中に「韓国偉人伝」というのがありました。梁東準、太田哲二、金順子という三人による平成一三年に明石書店から出版されたとんでも本です。
この中に偉人のひとりとして描かれているのが、韓国のジャンヌダルクとか言われている柳寛順です。
 書いているのは梁東準氏という一九四〇年大阪生まれの早稲田大学卒業で民団東京本部教育委員長というエライさんです。
その内容とは
<一八九五年には日本公使・三浦梧郎の命令で、景福宮・閔妃(一八五一〜一八九五年)が惨殺され、遺体は石油をかけて焼き捨てられる、という世界史でもまれな蛮行があった。
 その後は、高宗および民衆の抵抗もむなしく、日本は軍事力を背景に急ピッチで支配を拡大し、一九一〇(明治四三年)年には、「日韓併合」をなしとげ、植民地化を強引に押し進めた。>p二〇
 いや、その国母とか言われている(笑えますけど)閔妃が「甲申事変」において開化党と呼ばれた金玉均、朴泳孝などに対しておこなった虐殺な行いには負けるでしょう。
 金玉均は、日本に亡命した後に一八九四年に騙されて上海に連れ出され、三月二八日に刺客の洪鐘字に暗殺され、遺体は朝鮮に送られ寸断され、首と四肢は獄門に梟されるという残虐非道の仕打ちを受けた。甲斐軍治は夜にまぎれて梟首台に近づき、遺髪を持ち帰った。遺髪は東京本郷の駒込真浄寺に埋められ、別に東京青山の外人墓地にも墓がある。同年五月二〇日には、浅草本願寺で盛大な葬儀が行われた(併合後、明治天皇は、金玉均の遺族に金一万円を下賜せられた)

<幼い寛順の目に焼きついた日本人といえば、非常で横暴な菰田(注、高利貸しの名字だそうです)や威張り散らす巡査(憲兵警察)だった。>p二四
<独立運動の巨大示威行進は、徳寿宮から大漢門から二手にわかれた。ひとつはアメリカ領事館へ、もう一つは朝鮮総督府へ向かった。
 その時、銃声が響いた。日本の憲兵たちが、示威行進に発砲したのだ。憲兵たちは、サーベルや日本刀で斬りつけ、銃を乱射した。憲兵たちのどなり声、民衆の悲鳴が入り乱れた。
略)
日本当局は、以下のように発表した。
 死者・・・・七五〇九人
 負傷者・・・一万五九六一人
 逮捕者・・・四万六九四八人
 参加者・・・二〇〇万人以上
 運動が実施された市・郡の数・・・二一七(当時の市・郡の数は全部で二一八)
 デモ・集会数・・一四九一回
 
この数は、あくまで日本当局の発表データーで、参加者総数は「一千万人近い」といわれている。
ちなみに、当時の人口は焼く二千万人だから、まさに民族総ぐるみの超巨大独立運動であった>p三〇〜三一
 朝鮮人は息をするようにウソをつくと書いてあったのを読んだことがありますが、まあ、ここまで醜いウソを平気で書けるものです。この梁東準という御仁も例外ではないようです。私が何度も指摘していますが、この梁東準氏という在日朝鮮人のウソつき大センセイが示している数値は朝鮮人朴殷植が書いた「朝鮮独立運動の血史」に書かれているものであって、朝鮮総督府の発表した数値ではありません。それをよくもぬけぬけと日本当局の発表データーといえるものです。一〇〇〇万人もの独立運動って凄いし、それでも独立できない朝鮮はもっとすごいです。
そして、市場でのこの柳寛順の言葉として
<「私たち二〇〇〇万同胞は、五千年の歴史をもつ誇りある民族です。ところが、日本は武力でわが国を奪いました。そして、一〇年ものあいだ、私たちを苦しめています。民族の運命は、その民族自らが決めなければいけない」>p三四
 どうして、そんな誇り高い民族が一〇年どころか千年の奴隷国家に甘んじていたのでしょう。

 また、現実は暴動と略奪であった三・一運動の実態に付いて
<あわてふためいた分遺所の署長は、村人に向けて拳銃を撃った。その一発が柳寛順の父・柳重権を貫いた。真っ赤な血を流して柳重権が倒れた。恐怖が村人の口をふさいだ。
 次の瞬間、趙仁元が分遺所の前に走り出た。
「みなさん、日本人巡査を殺してはいけません。暴力はいけません。私たちの願いは自由と独立です」
 趙仁元は、何とか暴力の拡大を防ごうと叫んだのだ。しかし、その刹那、一人の巡査が抜刀し、趙仁元を切り捨てた。村人の目の前で、二人の指導者が殺された。群集のうねりが分遺所に殺到した。窓ガラスに石が投げられ壊れると、群衆は「万歳」「万歳」と連呼した。
 群衆の後方で銃声が炸裂した。天安憲兵隊本部から鎮圧部隊が到着したのだ。それは、群衆を解散させるための威嚇射撃ではなく、最初から射殺が目的であった。無差別の乱射、無差別に斬りつける憲兵、逃げまどう群衆。修羅場だった。
略)
結局、この日の殺戮は六〇余名を数え、負傷者数はわからない。逮捕者は六百人に上った。そのなかに柳寛順と兄に寛玉もいた>p三五〜三六
と、書くが、現実は暴動であったことは過去に書いた通りです。
 この時に柳寛順の両親は武装して住民を煽動し群衆四〇〇〇人は警備に当たる警察官を襲撃し、重傷を負わせる。そのため夕刻、二〇名程度の天安地区憲兵部隊が出動し、群衆に対しての射撃で一九名が死亡し、柳寛順も逮捕された。もうここでも六〇名とウソをついています。

 柳寛順の逮捕についても
<天安憲兵隊本部に連れて行かれた寛順を待っていたのは、過酷な拷問であった。
略)
寛順の体は、拷問のため数日でボロボロになった。しかし殺された両親を思って、拷問に耐え抜いた。留置場のなかでも、毎日、朝・夕、決まった時刻に「大韓独立万歳」と叫んだ。
略)
寛順は裁判の時も堂々としていた。
「私は大韓国人。日本の裁判を受ける理由はない。あなたたちは、私を裁く権利も資格もない」
略)
「私が何したって言うの。悪いことしているのは、日本人の方でしょう!」そう叫ぶなり、寛順は裁判官めがけて椅子を投げつけた。このため、法廷侮辱罪四年が加算され、七年の刑罰を受けた。これは逮捕された者のなかで、一番重い刑罰であった。
略)
朝鮮のジャンヌ・ダルク
 ソウルの西大門刑務所に送られた寛順は、一筋の光も入らない一メートル四方の独房に入れられた。だが彼女は負けずに、強固なる意志の塊となっていた。すでに、神のふところの人になっていたのかもしれない。
 ここでも、朝・夕「大韓独立万歳」を叫ぶことを実行した。そのたびにしたたか殴られ、生傷のうえに生傷が重なった。全身どす黒い血にまみれた寛順は、もはやどこがどう痛いかさえわからなくなっていた>p三七〜三八
 この柳寛順は身長一七一センチの大女で怪力であったそうで、書いてあるように控訴審で椅子を持って検事に突進し負傷させるというあきれた行動をとっている。
法廷侮辱罪も加わり、懲役七年で結審。その後三年に減刑され、その半分つまり一年半まで減刑された事を書かない。都合の悪いことは書かないのはこの手のセオリー。
 総督府時代の公判記録は完璧に残っている。また刑務所でそのような拷問が日常的に行われたのであれば、戦後に被害者なり、親類縁者が訴えることが戦後可能であったはずだが、そのような記録が残されていない。
何にしても「私は大韓国人。日本の裁判を受ける理由はない。あなたたちは、私を裁く権利も資格もない」というのは法治を理解していないバカ女というだけのことです。
こんなバカ女を偉人とするしかない偉人のいない朝鮮です。
ちなみに、他の偉人?は
乙支文徳、申師任堂、李舜臣、金通精、世宗大王、王仁、広開土王、檀君王検が掲載されていました。
しかし、クマから人間になった女から生まれたという神話の檀君まで偉人とは凄いです。我国で天照大神を偉人伝に加えている本はないでしょう。実に朝鮮らしい本でした。

温家宝首相への公開質問状
4月11日水曜日晴れ ×

 「温家宝首相への公開質問状」が「南京事件の真実を検証する会」により作られ支那大使館に送られたそうです。
以下そのまま宮崎正弘氏の国際ニュース早読みより全文を引用掲載させていただきます。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3622223/

以下引用
      
 南京事件の真実を検証する会

3月13日に「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長)が創立されました。この会は、南京事件の真実をあくまで客観的な史料にもとづいて検証し、正確な知識を普及することを目的としたもので、13人の委員からなります。

4月11日から、中華人民共和国の温家宝首相が来日、日中の友好を願うものですが、中国政府が一方で日中友好を唱えながら、他方で南京大虐殺記念館を拡幅し、南京の映画を多数製作するなど、日中友好の精神に反する方針を実行していることを見過ごすことはできない、として温首相の来日の機会をとらえ、南京事件に関する公開質問状(中文)を中国
大使館に送りました。
ご参考までに日本文、並びに英文の訳文を以下に掲載します。

(資料文献)

温家宝国務総理閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

 一、故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。

30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

 二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。

しかし、この300回の記者会見において、ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

 三 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録
が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修
により、1939年に上海の出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?

 四 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思
われますか?

 五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

六、このように、南京大虐殺ということは、どう考えても常識では考えられないことであります。それでもあったとお考えでしたら、われわれが提供する資料も踏まえて、公正客観的にその検証を進めていただきたいと考えます。

ところが現状では貴国は南京に大虐殺記念館を建て、大々的に30万虐殺を宣伝しています。このようなことは、史実をないがしろにする不当極まりないことであるばかりか、貴国の唱えられる日中の友好の方針とも真っ向から対立するのではないかと考えます。

更に本年は南京事件から70年ということで、貴国のさまざまな機関が「南京虐殺映画」製作を企画し進めていると伝えられます。こうしたことは日中友好を願うわれわれ日本人にとって耐え難い裏切り行為とうけとめております。閣下はこれにつきどのようにお考えでしょうか?

以上の諸点につきまして、閣下のご回答を是非承りたく存じます。このことは多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成19年4月10日

南京事件の真実を検証する会委員一同

(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘


(以下は英文)
Open Questions to His Excellency Prime Minister Wen Jiabao

of the People’s Republic of China



As we wish China and Japan the best of friendship and amity, we
extend our heartfelt welcome to Your Excellency’s visit to
Japan.



We have been conducting research on the Nanking incident, which
is said to have occurred during the war between Japan and China
in Nanking in December 1937.



Results of our research have caused us to have serious doubts
regarding views of this incident commonly held in your country.
Thus, in this matter, we would appreciate receiving your
response to the questions posited below.


1. The late-leader Mao Zedong never mentioned the “Nanking
massacre”. His only reference to the Nanking occupation was a
personal observation he made when he stated, “the Japanese
forces had many surrounded, but not many were killed,” in his
book titled, On Protracted War, a summation of his lectures
given at Yanan, China six months after the battle occurred in
December. If the incident, with claims of 300,000 citizens
massacred, did take place, it must have been like last
century’s holocaust. Is it not unnatural and strange that Mao
Zedong did not say a word about the incident? How do you account
for this fact?

2. In November 1937, just before the siege of Nanking, the
Nationalist Party, organized by the nationalists and communist
organizations, created an international propaganda department
within its Central Propaganda Office. According to a confidential
report titled, "Outline of Operations: the International
Propaganda Department, the Central Propaganda Office", between
December 1, 1937 and October 24, 1938 the International
Propaganda Department held 300 press conferences in Hankou.
According to records kept at the time, an average of 35 people
attended these press briefings comprised mainly of journalists
and officials of foreign embassies. And, in the 300 briefings,
no mention was ever made of “citizens being massacred in
Nanking,” or “hostages being murdered unlawfully”. What do
you think of this fact? If massacres were committed, is it not
a mystery as to why they were not mentioned?

3. The activities of an international committee which cared
for the Nanking citizens who congregated in the Nanking Safety
Zone were recorded. Under the auspices of the Council of
International Affairs of the nationalist government, the record
was published in book form titled Documents of the Nanking
Safety Zone by a publisher in Shanghai in 1939. According to the
book, the population of Nanking stood at 200,000 prior to the
Japanese occupation. This population level remained unchanged
during December. Records show the population to be 250,000 one
month after the Japanese occupation of the city began. Then,
based on these records, it would have been impossible for
300,000 people to be massacred. Could you give us your thoughts
about this?

4. In the book Documents of the Nanking Safety Zone,
mentioned above, there is a list of detailed complaints against
the Japanese army’s criminal activities. The list includes a
total of 26 murder incidents, of which only one case was
witnessed but it was judged to be a lawful killing and thus
noted in the book. These records and your country’s claim of
300,000 people massacred are at extreme odds with one another.
What do you think about this?

5. Numerous photographs said to be proof of the Nanking
massacre are being displayed in books and at many exhibitions
including the Massacre Memorial Museum in Nanking. However, it
was revealed by scientific studies that there is not a single
authentic photograph offering proof the massacre actually
happened. If your country has photographs which can provide
proof, please allow us to see them. We would like to examine
them.

6. Given the above, it appears to us that the Nanking
massacre could not have happened. But if you suspect that it
occurred, we would like to ask that you conduct a verification
examination in an objective manner with consideration of
materials we will submit to you. In reality though, your
country has built the memorial museum in Nanking, which is
promoting the massacre of 300,000 people extensively. This act
is unfair as it undermines history. Also, it amounts to a
contradiction, since your country’s official position is
promotion of a policy aimed at establishing friendly relations
with Japan Furthermore, as this year marks the 70th anniversary

of the Nanking incident, various organizations inside your
country are said to have planned movie productions about the
Nanking massacre with many now under way. We perceive these
acts as an unbearable humiliation to us who really hope to be
friendly with your country. Could you give us your thoughts
about this?



We would like to receive Your Excellency’s replies to the above
points. As this is a concern to many Chinese and Japanese alike,
we are submitting the questions in an open forum. As we wish to
maintain a strong friendship between China and Japan for future
generations, we sincerely hope to hear from you.


April 10, 2007

Committee for the Examination of the Facts about Nanking

KASE Hideaki, Chairman

FUJIOKA Nobukatsu, Secretary General

ARA Kenichi

UESUGI Chitoshi

KOBAYASHI Taigan

SUGIHARA Seishiro

TAKAIKE Katsuhiko

TAKAYAMA Masayuki

HIGASHINAKANO Shudo

MIZOGUCHI Ikuo

MIYAZAKI Masahiro

TOMIZAWA Shigenobu, Auditor

MOTEKI Hiromichi, Auditor

以上引用終わり
 公開質問状ですので、全文引用させていただきました。

 Yさん来店。初めてのお客様大勢様で来店。初めてのお客様二名様来店。Tさん大勢様で来店。


競技
4月10日火曜日晴れ ×

 全日本柔道連盟は八日にあった全日本選抜体重別選手権の女子四八キロ級の優勝した福見友子(筑波大)でなく、谷亮子(トヨタ自動車)を世界選手権代表に選出したそうだが、なんなのだろう。
 記事には吉村和郎・強化委員長は、この階級と女子五七キロ級の選考が難航したことを明かしたうえで「谷は非常にいい動きだった。独特の雰囲気の世界選手権でメダルを取れる可能性は、福見より上」と理由を説明したとある。また、男子九〇キロ級、女子五七キロ級、同七〇キロ級も今大会の優勝を逃した選手が過去の実績などを考慮して選ばれたそうで、女子の七八キロ超、無差別両級の代表は二二日の全日本女子選手権、男子の一〇〇キロ、一〇〇キロ超、無差別各級の代表は二九日の全日本選手権を踏まえて決めるとあるから、女子四八キロも全日本女子の後でもよかったのではないでしょうか。
 競技なのに勝負に勝ったものが代表になれない不思議な世界。少しはレスリングの代表を決めるプロセスを見習って欲しいものです。

 Kさん四名様で来店。マロさん来店。

久しぶりに
4月9日月曜日晴れ一時雨 ×

 午後より新宿にある国民金融公庫に寄って、ちょとお金を貸してほしいと御相談。
 高田馬場にあるスポーツセンターに行き、昨日できなかった肩、腕、下半身のメニューを軽くして消化。写真はスポーツセンターの側に咲いている同じ木に二種類の色の花をつけている桜。
 店に寄り資源ゴミを出してから亀戸の駅で高崎の田村さんと会い、そのまま二人で長谷川酒店さんに伺う。田村さんは私が早稲田の「酒いわしや」をやっているときに新宿にある懐石料理の有名店「柿伝」で修行されていて、お客様としていらしてくださっていた方。今度、前橋でお店をされるそう。
 長谷川酒店さんの事務所におじゃまさせていただくと、ワンちゃんが出迎えてくれた。まだ子供だそうだが、でかい。あとふた回りはでかくなるでしょうから大変そう。
 六時過ぎに長谷川さんの愛車に乗せていただいて、途中、マンションの駐車場に車を置いた後にタクシーで三人で南青山にある「武蔵」さんという御寿司屋さんに伺う。地下にあり出来たばかりできれいなお店。
ビール、ワインでドンチャン。どこでも同じ・・・・・・
 私は珍しく記憶があるうちに電車に乗ったが、隣の人とちょっと話をしてすぐに寝てしまい隣の人が起こしてくれなかったら、どこまで行っていたことやら。


ラスト
4月8日日曜日晴れ △

 店を片付けた後に高田馬場に出て古本市に行く。今日の収穫は芙蓉書房の「軍事記録」シリーズの「世紀の自決」。ただ、昭和五四年(初版は昭和四三年)で当時二五〇〇円、今日の購入価格も二五〇〇円。
 一カ月に一度開いて来て、もう三〇年以上も続いてきたこの古本市の来月で最後なそうな。何となく寂しい気持ちになります。(五月一〇日木曜日から一六日水曜日まで開かれるそうです)
 その後スポーツセンターに行く。今日は日曜日ということもあり、利用者が多く、ベンチ利用者は四人になったためにインターバルが約四分強となる。
六〇?×八、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×八、一〇〇?×八、九〇?×一〇、九〇?×八、八〇?×八、最後にスローで八〇?×六(補助あり)
 ホテルで開かれている酒の会に参加予定であったが、夕方より学生時代の友人であるKが東京に出てきたので、そちらを築地の知り合いに行ってもらい、私は友人と久しぶりに会ってドンチャン。


反日支那語新聞
4月7日土曜日晴れ ×

 わが国には支那から多くの留学生が来ている。その支那の留学生が四年間なり数年間をわが国で過ごした場合、支那本土と違う民主主義に触れ、自由に種々の情報が得られると思っている人が多いでしょう。
しかし、支那からの留学生が手に取るのは日本語新聞では無く、日本国内で支那人むけに現在二〇紙以上発行されているという支那語新聞です。これら新聞は「大紀元」以外はすべて支那政府の批判記事は皆無で、反日記事が多いのがごく普通のスタイルです。これらの支那語新聞は発効部数一万部(日中商報)から一二万部(日中新聞)程度で、定価は明示されているものの支那レストラン、支那食品マーケットに大量に置かれ無料で配られているのが普通である。つまり、反日を煽ることにより支那政府から支援を受けて発行されているのです。たとえば、「網博週報」というもっとも反日的といわれている支那語新聞は新宿の支那レストランなどに普通に置かれていますが、定価二五〇円と表示されていますが、無料で持ち帰りできます。
内容はスキャナーで写してあるように、三月三〇日号の第一面は読める字だけでも「積極 日本 第一軍事強国」と書いてあり、我国がいかにも軍備を増強しているかのような書き方です。そして、四月六日号では「日本通過強化 愛国法案 歴史教材被強令修改」という大きな見出しです。
 どちらも、支那に言われる謂れは無いものばかりです。そればかりか、昨年の六月二日号では血がしたたり、犬が描かれた日の丸のイラストを描き、日本人は犬であると日本国旗を侮辱した反日記事を掲載しています。
このようなものが日本国内で発行されているのです。

 Oさん二名様で来店。初めてのお客様二名様で来店。初めてのお客様三名様来店。金ちゃん、マロさん来店。

でかい
4月6日金曜日晴れ ×

 今日河岸のいつもの店で勧めてくれたワサビ。でかいです。

 バンブーさん来店。大阪のSさん来店。初めてのお客様Tさん三名様で来店。相模原のMさん来店。Hさん来店。わ。さん来店。理科大ラグビー部のOBである今井さん、デカナベさん、チヒロさん、ジャンボさん、藤原さん来店。ドンチャン。
 営業終了後、歌舞伎町のお店にわ。さんと酒を持ち込みドンチャン。



知らなかった
4月5日木曜日晴れ ○

 女性専用車両の利用時間に電車に乗ることがほとんどないのですが、男性の目の不自由な方も利用できるということを知りませんでした。
まあ、普通に考えれば判ることですが、利用している女性の方も御存じない方がほとんどだそうで、鉄道会社の方も車内放送などでアピールしてほしいものです。 

 仕込みを終えてからスポーツセンターに行く。今日も時間があまりないので、各メニューをセット数を少なくして消化。
 Kさん二名様で来店。Kさん三名様で来店。わ。さんチャリンコで来店。
 風邪で調子はイマイチ。


フォークランド諸島
4月4日水曜日晴れ寒い
 我が国の固有の領土である北方四島、竹島がロシア、南朝鮮に占領されてから長い年月が経過している。
 先日、フォークランド紛争二五周年を迎えた二日、アルゼンチンで記念式典が開かれたことが報道されていました。
 一九八二年四月、アルゼンチンによるフォークランド諸島進攻に端を発したフォークランド紛争で、当時のサッチャー英首相は同諸島の奪回と島民一八〇〇人の保護のため、軍艦一一〇隻、二万八千人もの大部隊を派遣し二五〇人以上の戦死者を出しながら勝利した。(アルゼンチン側は六五〇人近くの戦死者)
 アルゼンチン、英国とも領土を主張し、アルゼンチンの侵攻に対して、実効支配している英国は艦隊を派遣し紛争になった。この時はチャールズ皇太子の弟であるアンドルー王子も海軍ヘリコプター操縦士として参戦したのが話題になったが、自国の領土と国民を守る為に軍隊を派遣するのは国際社会では極々当たり前の事である。
 戦争はない方がいいに決まっているが、国家が自国の領土と国民を守る事を放棄することの方が異常である。

 大台さん二名様で来店。Iさん来店。

ドンチャン天に唾する
4月3日火曜日雨のちくもり ×
 
「恥を知る―日本の美徳はどこへ」これは先日の朝日新聞の社説です。
以下引用
 「日本人の恒久不変の目標は名誉である」。外国人による優れた日本人論として読み継がれる「菊と刀」の一節だ。その著者ルース・ベネディクトがいまの日本を見たらどう思うだろう。
 巨額の光熱水費の使い道を「何とか還元水」と言ったまま開き直る松岡農林水産相。子供だましの言い訳をかばい続ける安倍首相。「これほど恥辱に鈍感な人たちが、誇り高い人々の子孫だろうか」と嘆息するに違いない。
 ベネディクトは「西洋は罪の文化、日本は恥の文化」とも指摘している。「みっともないことだけはするな」。親にそう言われて育った人は少なくない。
 何よりも他者の目を意識し、自分だけでなく、属する家族や集団の名誉、信用、利益を守ろうとする。汚名をそそぐため努力をする。「恥」を知り、「潔さ」を尊ぶのが美徳とされてきた。
 人間生きていれば、心ならずも屈辱的な境遇を強いられることもある。
 それに耐える人生もある。
 略)
 「恥」の大きさに潔く向き合うのか、逃げるのか。責任ある地位にあればあるほど、その器量が試される。
 閣僚だけの話ではない。李下(りか)に冠をただすような投資で信頼を失いながら、任期を全うしようとする「通貨の番人」の姿にも、汚名をそそぐどころか、恥を知る感覚がうかがえないのは残念だ。
 水増し会計、事故隠し、番組捏造(ねつぞう)、学校のいじめ……。恥ずべきことの多い昨今だが、なるほどそれもそのはず、といえようか。
 松岡氏の座右の銘は「真実一路」だという。安倍氏が尊敬する吉田松陰は「誠を尽くして感動しないものはいない」と説いた。ならば、日本を愛してやまないお二人には、ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい。
引用終わり
朝日新聞 社説2007年04月01日(日曜日)付

 松岡議員は確かにみっともない。早く辞めて欲しい。しかし、散々支那、朝鮮のために捏造記事を書いていた朝日新聞だけにはこんなこと書かれたくはないだろう。


以下店主による「酒たまねぎや版朝日新聞社説」でございます。
「朝日新聞の恒久不変の目標は売国である」。外国人による優れた朝日新聞論として読み継がれる「支那と朝鮮」の一節だ。その著者がいまの朝日新聞を見たらどう思うだろう。
 多くの捏造記事のについて「捏造の何処が悪い」と開き直る朝日新聞。子供だましの言い訳をかばい続ける秋山社長。「これほど恥辱に鈍感な人たちが、誇り高い日本人の中にもいるのだろうか」と自書が間違ってなかったと納得するに違いない。
 何よりも支那、朝鮮の目を意識し、自分だけでなく、支那様や朝鮮様の名誉、信用、利益を守ろうとする。支那、朝鮮の汚名をそそぐため努力をする。そのために「嘘」と知りつつ「捏造」を続けるのが朝日新聞の美徳とされてきた。
略)
 朝日新聞の座右の銘は「売国一路」だという。ならば、支那、朝鮮を愛してやまない朝日新聞にはぜひとも「国を売る喜び」の感覚をいまいちど思い出していただきたい。
以上おそまつ

 まあ、さきの社説に出てきた言葉、
 
「恥を知る」
 「日本人の恒久不変の目標は名誉である」 
「これほど恥辱に鈍感な人たちが、誇り高い人々の子孫だろうか」
「西洋は罪の文化、日本は恥の文化」
「みっともないことだけはするな」。親にそう言われて育った人は少なくない。
「恥」を知り、「潔さ」を尊ぶのが美徳とされてきた。
 「恥」の大きさに潔く向き合うのか、逃げるのか。責任ある地位にあればあるほど、その器量が試される。
 恥を知る感覚がうかがえないのは残念だ。
 ぜひとも「恥」の感覚を思い出していただきたい。

はい、以上そっくり朝日新聞にお返しいたします。
「お前が言うな大賞」また、有力候補エントリーでございます。

 まあ、朝日新聞ならとっくに「恥」の感覚などないでしょうけど。
 
 初めてのお客様Tさん三名様来店。Nさん四名様で来店。ドンチャン。
 今の時期が一番当店に置かせていただいているお酒のクラスがない時。


週刊現代という捏造週刊誌
4月2日月曜日くもり △

 当店からそれほど遠くない所に講談社という会社がある。そこが出している週刊誌で「週刊現代」という週刊誌があり、部屋に帰る前に寄ったコンビニに立ち読みしていたところ、その今、発売中の週刊現代(平成一九年四月一四日)に「安部晋三首相は国会議員一〇〇人を前に韓国をキーセン国家と言い放った」という記事が掲載されました。(首相という字は本当にめちゃ小さく書かれていました) 表紙には「韓国をキーセン国家と言った安部首相」となっています。
 今週号の週刊現代は完全保存版です。中々ここまでアホな記事を掲載している週刊誌はありません。

  安部首相の発言などよりも、私などは編集者か契約ライターが記事を書いたのか知らないが、「スクープ」記事で、首相という文字を異様に小さく書いてあることの方がこの記事を書いた人間の異常さ、異様さを現していると思う。まさに講談社の「本多勝一」「本田雅和」ともいえる人です。

以下引用
 
<「元慰安婦の多くはウソつきだ」
「初めてこの文章を目にした時は、『まさか一国の総理にまでなった政治家の発言ではあるまい』と半信半疑でした。しかし、まさに安部晋三首相が一〇年前に一〇〇人近い国会議員の前で堂々と発言した内容だと聞いて、背筋の凍る思いがしました。安部首相はあろうことか、我国をキーセン国家呼ばわりしているのです。これは、全韓国人を敵に回したに等しい許されざる妄言です」
 怒りに声を震わせながら語るのは、韓国の与党「開かれたウリ党」の柳基洪議員(四八才)だ。柳議員は、ソウル大学歴史学科を卒業し、「正しい歴史教育のための議員連名」(超党派で一一〇人の議員が参加)の代表幹事を勤める
歴史問題のスペシャリストである。
 いまからちょうど一〇年前の'九七年四月から、従軍慰安婦の記述が、日本の中学校の歴史教科書に載るようになった。
 従軍慰安婦とは、'三〇年代から'四五年にかけて旧日本軍の駐屯地に置かれた「慰安所」で軍人の相手をさせられた女性のことで、その総数は数万人とも二〇万人とも言われる。
略)

「抗議に現れた柳議員を門前払い」
略)
 発言録を読むと、安部首相は、北朝鮮が横田めぐみさんを拉致したように旧日本軍が韓国女性を拉致したのであれば、'六五年の日韓正常化の時に、日本の拉致被害者家族のように韓国の被害者家族から非難の声が上がったはずだと主張。「そのことを誰もが口にしなかったというのは、極めて大きな疑問であると言わざるを得ない」。つまり、
旧日本軍による強制連行はなかったと示唆している。
 続いて、「慰安婦だったと言っている人たちの中には富山県に出ていたという人だっています。富山に慰安所はなかった。明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいるわけです」と述べ、元慰安婦だったと名乗り出た韓国人女性たちに対して、
ウソつき呼ばわりしている。
 さらに、「もしそれが儒教的な中で五〇年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうか」と、
韓国社会に対しても疑問を呈する。
そしてその後続いたのが、次のキーセン発言だ。
「実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為でなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども」
 この一連の発言を要約すると、安部首相は、「従軍慰安婦は韓国の社会習慣に根付いたものであり、日本側の強制などなかった」と
開き直っているのである。
 柳議員が呆れ顔で語る。
「安部首相は、横田めぐみさんらが被害者になった北朝鮮による拉致問題に関しては誰よりも熱心なくせに、われわれから見れば
旧日本軍による数十万人の女性の拉致である従軍慰安婦問題に関しては、韓国の社会習慣だと言い切るのですから、開いた口が塞がりません。
 安部首相が言及している富山県の話は、故・姜 ドクキョンさんの証言と思われますが、彼女の証言は非常に詳細なものであり、国際法的にも実効性を持ちます。彼女たちが五〇年経って証言を始めたのは、自分の恥ずかしい過去を語らずに死ねないという悲壮な決意から他なりません。韓国では証言した計一九二人の元従軍慰安婦中、食堂勤務だなどという甘言に乗せられ就職詐欺に遭った人が九八人、軍関係者らに誘拐もしくは拉致された人が六五人、官憲の圧力によって連行された人が四八人、近辺の人による人身売買いが六人となっています。このことは日本政府も彼女たちから独自の聞き取り調査を行って確認しており、その結果、'九三年八月の『河野談話』として総括したわけです」
略)
「ところが安部首相は、今年に入って国会などで『旧日本軍による狭義の意味での従軍慰安婦の連行はなかった』とたびたび発言したので、韓国人は耳を疑いました。そこで私が過去に慰安婦問題で安部首相がどんな発言をしたかを調べたところ、今回の妄言が発覚したのです。いまや韓国人にとって安部首相は、靖國神社に参拝し続けた小泉首相以上に許しがたい政治家です」
 柳議員は、安部首相に対して韓国人への謝罪を要求しようと、三月一六日に東京・永田町の首相官邸を訪れた。ところが「外国人の陳情は外務省が窓口である」という理由で、
門前払いを食ってしまう。そこで外務省に行き、アジア大洋州局地域政策課の相川一俊課長に面会。「安部首相は妄言を取り止め、日本軍『従軍慰安婦』問題を前向きに解決せよ」と大書した<安部晋三内閣総理大臣あて声明書>を手渡したのだった。
 この声明書が安部首相のもとに届けられたかを相川課長に確認すると、代わりに同課の事務官が、
「三月一六日に、韓国の国会議員からそのような文書を受け取ったのは事実で、しかるべく報告に供しています。それ以上のコメントはありません」と回答した。
 安部首相に改めて、
?'九七年の発言は事実か。
?その発言に対する批判にどう答えるか。
?今後、従軍慰安婦問題にどう取り組んでいくのか。
 という三点について質問状を送ったが、「回答しない」旨の回答が来た。
 柳議員は帰国後の三月三〇日に、韓国国会内で記者会見を開いた。これによって韓国メディアが大々的に安部首相の暴言を報じたため、韓国は騒然となった。
「いっこうに反省しない安部首相に対し、今後は韓国の国会議員、アメリカの国会議員、それにアジア各国の関係者たちが東京に一堂に介して、デモ行進や集会を開くことを、現在準備中です」(柳議員)
 柳議員の訪日時、意見交換した社民党の
福島みずほ党首(五一才)も憤る。
「軍の関与がないと、
二〇万人もの外国人女性の募集、移送、管理ができないのは当たり前なのに、私が三月二六日に国会で質問した時も、安部首相は『すでに総理として申し上げている通り』などと、はぐらかしました。現在、社民・民主・共産の野党三党で、『戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案』を提出していますが、今後は『歴史をゆがめない』ということで、韓国の議員たちとも手を携えていきたいと思います」

「アメリカで安部首相は金正日より悪者」
 慰安婦問題に関して安部首相に憤っているのは、韓国人ばかりではない。中国、台湾、フィリピン、タイ、オーストラリアといった近隣諸国も同様だ。さらに、小泉政権時代には考えられなかったことだが、同盟国であるアメリカでも、非難の声は日増しに大きくなっているのだ。
 一月三一日、日系アメリカ人のマイク・ホンダ下院議員(カリフォルニア州選出・民主党)が、従軍慰安婦に関する日本への非難決議案を下院に提出した。続いて、二月一五日には下院外交委員会が、三人の元従軍慰安婦を証人に呼んで公聴会を開いた。
 さらに三月に入って、アメリカの主要各紙がこぞって安部首相を非難するようになった。
略)
 
アメリカではいまや、安部首相は北朝鮮の金正日(キムジョンイルと振り仮名あり)総書記以上の悪役なのである。
 ホンダ議員のスポークスマンを努めるアナベル・パーク氏が語る。
われわれが執拗に安部首相に謝罪を求めるのは、北朝鮮の拉致問題と旧日本軍の従軍慰安婦問題を同列の人権問題と考えているから他なりません。ホンダ議員が提出した日本の非難決議に対しては、全米一〇〇の人権団体と共闘しており、三月二七日現在、六三人の議員が賛同しています。先週も賛同を求めて一三〇人の下院議員の事務所を回っており、五月に予定される審議までに、一〇〇人を超すことを目標にしています。安部首相はもう逃げられません」
 こうしたただならぬアメリカの動きに、在米ジャーナリストの飯塚真紀子氏も警鐘を鳴らす。
「安部首相は四月下旬にワシントンを訪問し、ブッシュ大統領と日米首脳会談に臨む予定ですが、このままでは全米の人権団体や女性団体がワシントンに押し寄せ、首相訪米が台無しになることは確実です。
底の浅い右派的言動を弄する安部首相は井の中の蛙で、世界の趨勢が見えていない。それでいて高圧的な態度をとるところに、旧日本軍の時代に逆戻りしたかのような危険性を秘めています」
 三月二六日から外務省で開かれていたアジア大洋州大使会議でも「これでは拉致問題を主張できない」「アメリカのバックアップがないと安部政権はもたない」といった悲観論が相次いだ。
 
こんな暴言首相は、さっさと退陣してもらうのが日本のためだ。
以上引用終わり
 講談社 週刊現代 平成一九年四月一四日号 p二四〜二八


 醜い記事です。書いた人間の意図は表題の「安部晋三首相は国会議員一〇〇人を前に韓国をキーセン国家と言い放った」、首相という字はめちゃ小さく表示し、「元慰安婦の多くはウソつきだ」「抗議に現れた柳議員を門前払い」「アメリカで安部首相は金正日より悪者」という小見出しでもよく判ります。

 支那、朝鮮の記事なみですから最初はネタと思いましたのでいったいどこから突っ込んでいいものやら。
とりあえず
<「初めてこの文章を目にした時は、『まさか一国の総理にまでなった政治家の発言ではあるまい』と半信半疑でした。しかし、まさに安部晋三首相が一〇年前に一〇〇人近い国会議員の前で堂々と発言した内容だと聞いて、背筋の凍る思いがしました。安部首相はあろうことか、我国をキーセン国家呼ばわりしているのです。これは、全韓国人を敵に回したに等しい許されざる妄言です」
 略)柳議員は、ソウル大学歴史学科を卒業し、「正しい歴史教育のための議員連名」(超党派で一一〇人の議員が参加)の代表幹事を勤める歴史問題のスペシャリストである。>
<「われわれから見れば旧日本軍による数十万人の女性の拉致である従軍慰安婦問題に関しては、韓国の社会習慣だと言い切るのですから、開いた口が塞がりません。>p二六〜二七
 こんな程度で「歴史問題のスペシャリストである」と書くところがすごいです。あと直球になりますが、、『まさか一国の総理にまでなった政治家の発言ではあるまい』って、そのままお宅のバカ酋長にお返しいたします。
で、表紙には「韓国をキーセン国家と言った安部首相」表題に「安部晋三首相は国会議員一〇〇人を前に韓国をキーセン国家と言い放った」とし、記事の末尾に「こんな暴言首相は、さっさと退陣してもらうのが日本のためだ。」とまで書き、そして<我国をキーセン国家呼ばわりしているのです>と書いていますが、正確にこの柳議員の発言を翻訳できたのかどうかわかりませんが、安部首相の発言として、「歴史教科書への疑問」よりの引用としてあげていてその中に「実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為でなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども」と微妙に違う発言を問題にしていると思うが、事実を述べているだけのこの発言がどこが問題なのだろうか私にはわからない。

この記事を書いた講談社のバカは南朝鮮の売春大国を否定する材料をお持ちなのだろうか。

 長年にわたっての奴隷国家であった朝鮮は、歴史的に宗主国に貢女と宦官を献上してきた歴史が千年以上もあるだけでなく、我国より独立した後も(もちろん自分達の意志と力で独立したわけではないが)ごく近年まで国策としてキーセンという売春により外貨を稼いでいた売春大国であったのは事実です。 最近、それもたった二年前にも「性売買特別法」の廃止と売春街の女性たちを合法的な「性労働者」と認定するよう要求するデモを売春婦が南朝鮮中で繰り広げています。(参考)
 その時に朝鮮人売春婦の言葉として
<われわれは、ほとんどの人々と同じように自発的に働き、その賃金で生活する。 単に仕事の内容が性的サービス分野だというだけだ。>
<性労働は、 貧益貧・富益富による社会構造の産物だ。>
<われわれは被害女性ではなく、堂々と働く労働者だ。>
<社会人が 思うより、私たちが働く現場では事業主よりもむしろセックスワーカーの地位 の方が高いと思っていい。>
という言葉をマスコミは紹介しています。
 ましてや南朝鮮は一人当りGDPが一万六千ドルあり世界でもGDPランキング一一位の国でありながら、現在でもアメリカ、オーストラリア、香港、ヨーロッパだけでなく我国にも数千名以上
売春婦を供給している売春婦輸出大国です。柳というこの南朝鮮の国会議員にはぜひこの事を否定してから発言して欲しいものです。ちなみに、我が国における朝鮮人売春婦の数千名以上という数字は少なく見積もったと思われる数字であって、朝鮮人の平成一七年度不法滞在者数は四万三千人以上で、宗主国様の支那を抜いてナンバーワンです。すばらしい!!!!。アメリカでは逮捕される九割が朝鮮人女性です。それでけでなく、買春売春市場の規模が年間26兆ウォンにもなり南朝鮮のGDPの五%も占め(中央日報平成一五年二月六日より)、「企業文化の中では深くお酒を飲む面があり、男性同士のつながりを強める方法として買春を受け入れる状況にあって、なくすのが難しい儀式」だそうで、男同士で飲んだ後に買春をしないと約束したら映画チケットをプレゼントするという政府キャンペーンまでやっている国です。(参考
そして、朝鮮戦争における南朝鮮軍のための慰安婦の存在も明らかになっています。(
参考
 大東亜戦争中における慰安婦は戦時売春婦であり、高額の報酬を得ていました。(
参考
そんな現実を無視して南朝鮮の無知なというより嘘つき腐れ国会議員が何を言っているのでしょう。
 バッカじゃあねえか。

いろいろ文句いう前にこの世界中に輸出している朝鮮人売春婦をなんとかしてから文句言え。あと、日本人のふりして客を取るな。誇りある(はずの)朝鮮人は朝鮮人と言え。

以上終わりというところですが、それより問題はこんなウソだらけの朝鮮人議員を「歴史問題のスペシャリストである」と持ち上げ、腐れ記事をスクープとして掲載した週刊現代の姿勢です。

 <従軍慰安婦とは、'三〇年代から'四五年にかけて旧日本軍の駐屯地に置かれた「慰安所」で軍人の相手をさせられた女性のことで、その総数は数万人とも二〇万人とも言われる。>p二六
 このような「従軍慰安婦」という戦後の造語でこの記事を書くこの人間の真意は下記のところによく現れている。
<つまり、旧日本軍による強制連行はなかったと示唆している>
<元慰安婦だったと名乗り出た韓国人女性たちに対して、ウソつき呼ばわりしている。>
<韓国社会に対しても疑問を呈する。>
これらの記述は安部首相の発言として書かれている
「(日韓基本条約締結時に 木下注)そのことを誰もが口にしなかったというのは、極めて大きな疑問であると言わざるを得ない」
「慰安婦だったと言っている人たちの中には富山県に出ていたという人だっています。富山に慰安所はなかった。明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいるわけです」
「もしそれが儒教的な中で五〇年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうか」
以上の発言に対してのものであるが、「強制連行が無かったと示唆」「ウソつき呼ばわり」「疑問を呈する」という言葉を使って、まるで、疑問を呈することすら失礼なことだという書き方です。

それは下記の発言でもわかります。
 <この一連の発言を要約すると、安部首相は、「従軍慰安婦は韓国の社会習慣に根付いたものであり、日本側の強制などなかった」と開き直っているのである。>
 先に書いたように、安部首相は別に開き直っているわけではなく、事実を述べているだけである。それを開き直っていると書いているのである。
 柳議員が「彼女の証言は非常に詳細なものであり、国際法的にも実効性を持ちます」と言っている富山県に連行されたとはず?の朝鮮人女性の証言についても、多数の娼家があるところにわざわざ軍が朝鮮から女性を連れてくる必要がないのに、「ウソつき呼ばわりしている」といかにもとんでもないことだというように書いているが、言っている事に矛盾があるということはウソをついていると考えるのが普通だろう。むしろ、ウソと思えない方が異常であろう。

 「柳議員を門前払い」と小見出しで書いた処にもこの記事を書いた人間の非常識さが現れている。
 <柳議員は、安部首相に対して韓国人への謝罪を要求しようと、三月一六日に東京・永田町の首相官邸を訪れた。ところが「外国人の陳情は外務省が窓口である」という理由で、門前払いを食ってしまう。>
当たり前である。
日本国の首相に約束も無くいきなり首相官邸を訪れて「会わせろ」という方が狂っているだろう。南朝鮮の大統領はいきなり行っても会ってくれるのか。
この書いた人間は日本人の常識として、それを門前払いと書く方がおかしいと思わないのだろうか。

 社民党の福島みずほのコメント掲載も笑える。ましてや、前線において軍の関与無しに慰安婦の移送、建物の建設などはできないのは当たり前だし、それは否定もしていないのに、
「軍の関与がないと、二〇万人もの外国人女性の募集、移送、管理ができないのは当たり前なのに、」と発言するほうもするほうだが、それを掲載する方も掲載する方だ。まるで吉見義明氏なみです。それに、当時朝鮮は我が国の一部であり外国ではありません。

 マイク・ホンダ議員のスポークスマンの「北朝鮮の拉致問題と旧日本軍の従軍慰安婦問題を同列の人権問題と考えている」という発言と、在米の反日ジャーナリストの「底の浅い右派的言動を弄する安部首相は井の中の蛙で、世界の趨勢が見えていない。それでいて高圧的な態度をとるところに、旧日本軍の時代に逆戻りしたかのような危険性を秘めています」という発言を掲載して「アメリカではいまや、安部首相は北朝鮮の金正日(キムジョンイルと振り仮名あり)総書記以上の悪役なのである」と書いて最後に「こんな暴言首相は、さっさと退陣してもらうのが日本のためだ。」とは恐れ入る。
どこが暴言であろう。むしろ、慰安婦は高額な報賞を得ていた事はアメリカ軍による調査でも明らかであるし、そんな慰安婦に対する強制連行の証拠は何一つ見つかっていないし、我国政府による南朝鮮での元慰安婦に対しての聞き取り調査については、個々の証言は、裏付け調査どころか質問も許されず、全資料は未公開のままだけでなく、来日した朝鮮人元慰安婦の発言で今まで信頼に足りるものは何一つありませんでした。こういった事も記事には書かずに、それでいて、普通の人間であったら当然抱くであろう疑問というものを抱いた人間に対して、まるで、疑問を抱くのは失礼だとのように書いているイデオロギー丸出のこの記事内容に戦慄を覚える。

この腐れ雑誌の編集長は加藤晴之氏だそうな。

ちなみに、記事では安部首相の本心が透けて見える。と実際にこのように書かれている日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』よりの引用掲載部分は下記のとおりです。(ただし、手許にない為、週刊現代掲載文よりの引用)


安部晋三事務局長    

 関連でいいですか。今、石原さんのお話を伺いますと、ああ、なるほどな、という感じもするわけでありますが、しかし、実態は強制的に連れていかれたということになると、本人だけではなくて、その両親、そのきょうだい、隣近所がその事実を知っているわけですね。強制的にある日、突然、拉致されてしまうわけですから。横田めぐみさんみたいに連れていかれちゃう。そうすると、周りがそれを知っているわけですね。その人たちにとっては、その人たちが慰安婦的行為をするわけではなくて、何の恥でもないわけですから、なぜその人たちが、日韓基本条約を結ぶときに、あれだけ激しいやりとりがあ って、いろいろなことをどんどん、どんどん要求する中で、そのことを誰もが一言も口に
しなかったかというのは、極めて大きな疑問であると言わざるを得ない。
かつまた、
今回、そういう話であれば極めて勇気がいる。

 とすると、絶対100%慰安婦として行為をしていた人以外が手を挙げることは考えら れないわけでありますが、そうではなくて、私は慰安婦だったと言って要求をしている 人たちの中には、富山県に出ていたというようなことを言う人だっています。富山には 慰安所も何もなかった。
明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいるわけです。
そうすると、ああ、これはちょっとおかしいな、とわれわれも思わざるを得ないんです。

 ですから、もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。
実態は韓国にはキーゼン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども、そのへんについて、石原さんは疑問に感じられなかったかどうかということをお伺いしたいと思います




 今日は午後に高田馬場に出て李さんと昼食を食べた後に、明治通りを左に折れて神田川にぶつかりそのまま神田川沿いの桜見物で江戸川橋まで歩く。
店により資源ゴミを出した後に、夕食は久しぶりに四川料理。
 部屋に帰る途中寄ったコンビニで買った週刊現代の記事があまりにも酷い記事なので、それについて書いていたら寝るのが朝方になってしまった。この記事を書いた講談社のバカとはなんというやつなのだろう。




「五〇年決議」と村山談話について
4月1日日曜日晴れ ○

 村山談話について「果たして、歴代総理大臣が拳拳服膺すべき権威ある談話なのであろうか。」として西村慎吾議員は御自身のメルマガNo・一九二 平成一七年 四月二九日号で
「この村山富市談話は、戦後五〇年の国会謝罪決議の後に、突如発表されたものである。
 それまでの歴代内閣は、歴史に対する評価は後世に任せる、総理大臣が、良かったとか悪かったとか公表する問題ではない、との態度であった。
 そのなかで、村山富市総理大臣が、我が国の歴史は悪かったので反省して謝罪するとの談話を発表したのである。 
 これこそ、総理の立場を私し、その立場を利用したイデオロギーによって歪められた個人的妄想の表明に過ぎないのだ。」
と書いています。
 そして同じメルマガで「五〇年決議」を成立させるために社会党、そして一部議員を除く自民党がどのような異常な手口を使ったか。当時の村山内閣がいかに歪んだものであったかということを書いています。
以下引用
 一九九五年、平成七年、内閣は自社連立の社会党内閣であった。社会党は、先の細川内閣で与党となり大臣病患者が大量に発生する。そして、その病状につけ込まれて自民党との連立に走り、自民党は与党に返り咲くのである。
 その与党返り咲きのために、自民党は社会党的左翼的妄想にすり寄り同調するのである。
 即ち、日本は悪い国だから、戦後五〇年を契機に、国会で謝罪決議をするということになる。

 以後、詳細は省略するが、私また多くの野党になった同志は、謝罪決議阻止のために行動を起こし、自民党のなかにも阻止に立ち上がる者が出てきたのである(尊敬すべき同志であった)。
 その結果、当時の野党新進党と与党自民党とも、謝罪決議の本会議に臨めば、分裂した採決になるという状況になった。
 
 そのような緊迫した状況になった金曜日の夕刻、今でも不可解であるが、新進党議員に対して、党国会対策幹部から、「本日は本会議が開会されないので各自選挙区へお戻りください」という伝達があった(この幹部は、現在の自公連立の一員である)。よって、私どもは、新幹線や飛行機で帰省し始めた。

 すると、謝罪決議阻止派が東京からいなくなったのを見届けてから、土井たか子衆議院議長は、午後七時前に本会議開会のベルを押した。
 その結果、本会議は大量の欠席者があったものの,強引に開会され、出席者の全会一致で謝罪決議は衆議院で採決されたのである。

 本会議開会のベルが押されたとの連絡を受けたとき、私は新幹線で浜松付近を走行していた。そして、名古屋で列車を降りて乗り換えてまた東京に引き返した。
 しかし、とっぷりと暮れた国会は、ライトアップされているだけで、もぬけの殻であった。
「ちくしょう、だましやがったなー」と地団駄を踏んで国会を見上げた。
 その直後、私は、
「夜陰に乗じて、衆議院決議を窃取した卑劣な輩」と社会党内閣を非難する報告書を同志に送った。
 だが、我々の、国家の名誉と英霊への忠誠をかけた謝罪決議阻止の行動により、謝罪決議は窃取されたものの、参加者少数の権威なき決議になったのである。
 さらに賛成した議員でも、謝罪決議の内容を覚えているものはいないであろう。つまり、社会党内閣存続のための自社首脳の保身からでた権威亡き決議、欠陥決議、外交上引用できない決議、となったのである。
 
 そこで、登場してくるのが。村山富市謝罪談話である。
 即ち、あくまで、我が国家を謝罪させねばならないとの妄想に駆られた村山富市という老いた左翼が、総理大臣の地位にあることを奇貨として、衆議院本会議決議の欠陥を補うために苦し紛れに発表したものが、村山談話なのだ。
引用終わり

 いかがであろうか。村山談話そして五〇年決議というものの正体。そしてそんな売国奴どもの成果により我国が苦しめられているバカバカしさ。
一刻も早くこの異常な状態から抜け出さないといけないのです。
そして、西村議員は下記のようにも書いています。
以下引用
 以上、村山富市談話を、現総理大臣が権威あるもののように外交の場で朗読する風潮を憂い危惧して、述べた。
 私にとって、謝罪決議阻止は、忘れ得ないことである。
一〇年前の衆議院の謝罪決議と村山談話は、我が国の国益を毀損し続けている。
 我が国周辺は、謝れば済むという文化ではない。
 謝れば、ますますつけ込んでくるという文化なのだ。
 それは、北朝鮮、韓国、中国の現在の言動で証明されている。これらは、謝れば謝るほど、嵩に懸かってきているではないか。
この度も、中国の駐日大使が、自民党内で講演し、内政干渉も甚だしい靖国神社参拝非難を堂々と述べると共に、中曽根内閣以来、靖国神社を参拝しないとの日中の協定があるとの発言をした。この国家の沽券に関わることを言い放たれるのも、今まで謝罪してきたからだ。
 一〇年前から、私はこのことを指摘して不用意な謝罪は、国益を損ねると言い続けてきた。即ち、福沢諭吉の「脱亜論」をこそ読み返し、先人の苦労と経験に学び直すべき時なのだ。

  一度、謝罪決議と村山富市談話に賛成か反対かで点検してみるとよい。与野党縦断して明確に分類できるはずだ。
 マスコミも、労働組合も、評論家も、この基準で分類すれば、
日本はどれほどすっきりするか。
引用終わり

 化学遺棄兵器についての我国政府の対応は、教科書問題、慰安婦問題、靖國問題、五〇年決議、村山談話とつながっている。
 
 店を片付けてから高田馬場にある本屋さんに寄り数冊購入。スポーツセンターに行き、昨日消化できなかった肩、腕、下半身などのメニューを消化。みなさんお花見にでも出かけているのか日曜日のわりには利用者が少ない。


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