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毎日新聞社「不許可写真」と草森紳一

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成21年1月25日日曜日晴れ 

 大東亜戦争中に軍の検閲により掲載が許可されなかった写真を、毎日新聞社が「不許可写真」として写真集を今までに何冊か出している。

 毎日新聞社大阪本社の資料室に保存されていたというこれらの写真は、中々、興味深い面白い写真も多いです。そして、なかなかするどい指摘もあります。

 「不許可写真」として、手元には、「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」(昭和五十二年一月)「二十世紀記憶 不許可写真一」(平成十年十二月)「二十世紀の記憶 不許可写真二」(平成十一年一月)の三冊があります。

 「戦争において軍事機密はたしかにある。検閲はその意味からたしかに必然かもしれない」としながら、

「軍艦の船腹にどうどうとペンキで艦名を書き戦線に進出させながら、その写真は国民に不許可とした。戦場にある相手(敵)側へは艦名を見せながら国民に秘密とした理由はなんであろうか。」

(「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」P十八)

ごもっともです。

 この「一億人の昭和史」シリーズにおいては、元従軍記者であった佐藤振寿氏の証言「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」(P二百四十三〜二百四十七他)、新名丈夫氏の証言「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」(P二百三十九〜二百四十一)、「一億人の昭和史 三 太平洋戦争」(P二百十四〜二百十九)、のような貴重なものも掲載されている。

 南京一番乗りであった百人切り冤罪事件裁判におけるカメラマンもつとめた佐藤氏の証言は有名ですが、当然、このシリーズに掲載された佐藤氏の証言はその事に触れていません。(特攻隊についての新名氏の証言については別に記します)

 しかし、この「一億人の昭和史」シリーズ、それに続く「二十世紀記憶」シリーズにおける毎日新聞の姿勢にはある方向性があると思わざるを得ない。これについては、以前に書いた事もございますが、この一連のシリーズにおける毎日新聞の方向性とは、あの千田夏光氏を何度も登場させていることでもわかりますが、事実を歪めてでも、あるイデオロギーに沿った記事、本作りをしているとしか言いようがない。南京攻略戦においての百人切りウソ報道を認めないなど歴史を歪める事等平気で、流石は小朝日新聞ともいえるものです。天下のエロ腐れ新聞社。日本のためにならない事だったらなんでもやります。

 

 そいう意味では、「二十世紀記憶 不許可写真二」(平成十一年一月)草森紳一氏による巻末の不許可写真論?というのは醜いものであり、まさに第二の千田夏光と言ってもよく、千田氏の後ガマとして据えたとしか思えません。この人のイデオロギー全開の文章です。

 そして、頭の中は本多勝一氏並みである。

 

以下引用

 <従軍慰安婦とビルマ山奥の料亭

 従軍慰安婦の大半が「従軍看護婦、女史挺身隊、女史勤労奉仕隊という名目で狩り出された」(土金富之助『シンガポールへの道』)朝鮮の女性たち(いわゆる素人)で、兵四十人に一人の割り当てというから、大変な数(八万余)である。彼女たちは性病をもたず、性病であったとしたなら、日本の売春婦からうつされた兵から貰うのである。定期検診は軍医が担当した。性病では戦えないからで、サック着用を義務づけた。いまだにこの問題は、「大東亜戦争」のツケとして残り、解決をみていない。

 (「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」この項、すべて同書を見て記す)

略)>

「二十世紀記憶 不許可写真二」(毎日新聞社 平成十一年一月)P百七十八

 

<物撮りの記録精神

 「一億人の昭和史」には「写真は検診に向かう到着直後の朝鮮人女性」というネーム情報がある。これだけでも、一皮むけて、奥の層を見せ始める。彼女たちは分けも知らずに上海まで連れてこられ、現地でようやく日本兵の性欲を一時的に解消するのが役目と知る。がく然としている間もなく、性病の有無を調べる検診所へ強制的に向かわされている時の写真だとわかる。

 これらの写真が検閲を受けたとしたなら、「我軍ニ不利ナル記事写真」に街頭するものとして、「不許可」となるのだろう。新聞社は、それを承知で、皇軍の恥部たるべき写真の判断を仰いだのだろうか。とすれば、はかない攻撃であり、やらないよりはましの抵抗である。

 しかし、なんら従軍慰安婦が、中国人女性への強姦予防にならなかったことは、あきらかである。「南京虐殺」の中国側の提供写真の中で、ボケボケなのだが、今も記憶に残っているものがある。それは、強姦した相手の女性を裸(下半身)にして立たせ、自分は軍服のままその横に座り、記念撮影したものである。日本兵はカメラの方を見ている。ボケボケの中にも美人とわかるスタイルのよい中国人女性は、レンズのほうを見つめず、白い太腿をむきだしにしたまま直立し、その日本兵を斜めに見下している。無機的な視線にも見えるが、人によっては哀れんでいるとも、軽蔑しているとも感じられるだろう。

写真は不安定なる「情景」を生産する。

 この強姦記念写真は、報道写真ではない。秘匿写真である。だれが撮影したのだろうか。現地の写真館のオヤジであろうか。そのオヤジは、日本人は、日本人か中国人か。日本人経営の写真館が南京にあった可能性もある。兵の要求に答える(ママ)ため、写真館のオヤジが従軍していた可能性もある。それにしても、中国側はよく手に入れたと思うが、日本人の命令で中国人が撮影したとするなら、フィルムが残るので、焼き増しも可能である。それにしてもボケボケなので、日本兵の死体のポケットから発見したともいえる。だとすれば、強姦記念に撮影してもらった日本兵は、後に戦死したことになる。中国側の宣伝合成写真の可能性もすこしはある。>(P百七十九)

 

<戦争体験談としてのビンタと強姦

 中学校のころより、大人たちから戦争体験談をさかんにきかされた。たいていは、上官にビンタを張られた話である。つづいて多いのは慰安所の話(一里も列を作って兵たちはズボンの上からチンポコを抑えながら順を待って並んだと一般論めかしていうのがパターン)、つぎは強姦の話(中国の女性は貞操が高く、膝をなかなか開くことができなかったそうだと間接的にいうのがパターン)をずっときかされつづけたような気もする。戦いの話を彼等があまりしなかった。

負け戦の話はあまりしたくあるまい。しかしまだ中学生で、セックスがらみの話は、妖しい気持ちにすこしなるだけだが、一つ坊主を脅かしてやれといわんばかりに、大人は面白がっていうのである。シャクにさわるので、中途半端な戦争体験を補うため、さかんに戦記物をあさって読んだ(昭和二十五〜二十七年、講和条約締結後GHQの検閲から解放されたのか、やたら戦記ものが世にでた)。内外を問わず、戦争映画も好んで見た。

 略)

 慰安所の話はすこし出てくるが(兵の相手をする女性の大半が日本の植民地であった朝鮮の女性だったとほとんど書かれていない)、日本兵の強姦の話などまったくでてこない(ただ満州を引き揚げてくる途中、報復として日本女性が強姦された話は出てくる)。とすると、大人たちの話は、みんな嘘だったのかと思ったりもしたが、まあ、身内の恥は語らぬということなのだろう。

大日本帝国のマスメディア統制やGHQのマスコミ統制から脱却した後でも、表向きには、その実態が語られることはなかった。それでも残虐行為の告発ものは出たが、セックスがらみの話は、あくまでアンダーグラウンドのものだったのだろう。

 

 しかし、世間では、あまりおおっぴらに言えぬがと前置きしながら、堂々と内緒話して、さかんに語られまくり、子供であった私の耳にさえもその情報は届いていたのである(ずいぶん最近まで、「情報」というのは、セックスがらみの秘密の話と思い込んでいたほどだ)。

 このようなヒソヒソ話には、誇張がつきものだが、今ふりかえりながら気づくのは、情報提供者たちが、自分がやったといわず、「・・・・だそうだ」と間接的に語ったり、一般論にそらして語っていたことである。いわば、お伽話の話法を使っている。自分がやっていようが、やっていまいが、この話法の森の中へ隠れこむことができる。半分真実が含まれているとすれば、噂話やお伽話にも、「情理」があるわけで、分析するに足りるものなのである。>(P百七十九)

 

 この草森氏の参考にしている「一億人の昭和史 一〇 不許可写真史」の文章の如何わしさについては、平成十七年に指摘させていただきました。毎日新聞「一億人の昭和史」にみる千田夏光との関係

 千田夏光氏については、すでこの「二十世紀記憶 不許可写真二」が出版された平成十一年一月以前において、吉田清二氏と同様、種々の捏造が明らかになっています。千田夏光

 草森氏は、莫大な数の蔵書を保有していたことで知られるそうで、ウィキペディアによると、<30歳前後から、いわゆる「資料もの」といわれる仕事をするようになって、本がねずみ算式に増殖したとは本人の弁。「ひとたび『歴史』という虚構の大海に棹を入れると、収入の七割がたは、本代に消える。異常に過ぎる。いっこうに古本屋の借金は、減らない」と、自著「随筆 本が崩れる」に記している。>となっていますが、それは格好だけで、草森氏はこのような文章を書くにも、その膨大な蔵書を活かすことも無く、なんら情報も得る事なく、何も検証もしなかった事があきらかです。

 この第二の千田夏光としか言えない草森氏が強姦記念と書いている写真についても、多くの人がその如何わしさについて書いています。

この点についてはすでに「諸君」平成十年四月号にて(P九十)で秦郁彦教授が指摘していますが、秦氏が台湾で入手した「鉄証如山」という写真集にはトリミングされる前の写真が掲載され、右に支那服を着た男が写り、服装も民間人のジャンパー風で、帽子も顔も日本人には見えないと書かれています。

 (比較写真は「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」東中野修道・藤岡信勝 祥伝社 平成十一年) 


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