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金嬉老と在日差別
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
金嬉老と在日差別
朴一氏の著書「在日コリアンってなんでんねん」にはあの金嬉老について「在日の視点から過去を見つめる」として、その事件背景から法廷での裁判の進め方、そして、一九九九年九月に仮釈放され南朝鮮で英雄として迎え入れられたかを朝鮮人差別とからめながらP一二五〜一三四の一〇ページにもわたって詳しく書いている。
そして、この元在日朝鮮人殺人鬼について、
<金嬉老は法廷においても事件の背後にある民族差別を訴え続けた。
略)
まさに「金の戦争」(注、映画)は金嬉老事件の背後にある日本の深刻な民族問題を抉りだしながら、そうした差別となんらかの方法で闘わざるをえなかった金嬉老の苦悩を描くことに成功している。少なくともこの映画を見たものは、金嬉老を「犯罪者」という一面で捉えることが誤りであることに気づくだろう。韓国の人々が金嬉老を「在日韓国人差別と闘った英雄」と見なすのは、彼らが金嬉老事件の背後にあるこのような「日本人の嫌韓意識」を嗅ぎ取っているからにはほかならない>
(P一三二)
このように書きながら、朴氏はこの昭和三年、静岡生まれの元在日朝鮮人殺人鬼が、金嬉老と本名の権禧という二つの名前以外にも近藤安広、金岡安広、清水安広
と多くの通名という偽名を持ち、昭和一八年(一九四三年)、一五歳で窃盗で捕まり、朝鮮人専用少年院に入れられたが、我が国の敗戦で出所。その後も詐欺・窃盗・強盗を繰り返しては刑務所に入れられるという生活を二〇年も送っていたどうしようもない在日朝鮮人犯罪者であった。一九六八年、昭和四三年三九歳の時にライフル銃で暴力団を殺し、人質をとり、旅館立にてこもり逮捕され、七〇歳の時に仮釈放されるまで三一年間刑務所に入っていた。日本での七〇年の人生で五〇年以上が刑務所暮しのクズ人生である。それは仮出所後に移住(帰国)した南朝鮮でも同じである。南朝鮮政府から助力を得て釜山に渡って高級マンションを与えられ結婚もしたが、その移住からたった一年後の平成一二年にその本性を現して、愛人の夫への殺人未遂と放火容疑で再度南朝鮮でも逮捕され服役したということについては何も書いていない。
つまり、書けば、金嬉老という元在日朝鮮人殺人鬼は民族差別のために戦った英雄などというりっぱなものではなく、在日朝鮮人という立場に居直り、自分の犯罪も全て周りが悪いと差別、差別と騒いでいただけの只の卑しいバカ人間であり、在日朝鮮人の人々にとっては恥ずべきどうしようもないクズ人間だったということがわかるために、それを書いていないのです。
ここにも朴氏の御都合主義が現れている。
この金嬉老という元在日朝鮮人殺人者が南朝鮮に帰ったことについても、
<これまで祖国に帰国した在日コリアンのなかで、祖国からこれほど熱烈な歓迎を受けた人物がいただろうか。三〇〇〇本安打という日本のプロ野球界で不滅の金字塔を打ち立てた張本勲、芥川賞など数々の文学賞を受けた作家の柳美里、映画「月はどっちに出ている」で日本映画の映画賞を総なめにした映画監督の崔
洋一、日本のそれぞれの分野で頂点を極めた彼らでさえ、祖国からこんなVIP待遇を受けはしなかった>(「在日コリアンってなんでんねん」P一二六)
<金嬉老のこうした闘いは、日本人以上に在日コリアンの問題に関心を持つ本国の>(P一三二)
なのに、この人は別の著書(共著)で下記のようなアホな事も書いている。
<「ディアスポラ(Diaspora)」という言葉があり、これはなんらかの理由で祖国を奪われた異国の地で、その逆境を跳ね返しながら新しい文化を創っていく人たちのことです。在日コリアンはまさにこの「ディアスポラ」であり>
(「歴史教科書 在日コリアンの歴史」明石書店p一二五)
また、講演では下記のような事も言っている。
<我々は、サンフ ランシスコ講和条約の時点で、日本国籍を一方的に剥奪されたわけです。>
<在日朝鮮人をはじきだすために、国籍を剥奪した。>
一九九五年一一月一一日「在日韓国・朝鮮人の未来と人権 」研究集会(於東京・池袋)講演での発言
<こうした通達は、在日朝鮮人本人の意思を確認して行われたものではなく、日本政府の一方的な処置であった>
(「在日コリアンってなんでんねん」p八八)
「在日コリアンってなんでんねん」に「祖国に帰国した」と朴氏が書いているように、在日朝鮮人はみな南北朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)の国民であるはずです。彼らにとっての祖国とは南北朝鮮であり、我が国から出国する時にはその祖国の発給するパスポートを持って出国する。もちろん、その偉大な?祖国に帰る事も自由である。決して「祖国を奪われた」わけではない。
また、我が国政府が一方的に日本国籍を剥奪したわけではない。→在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」
それなのに我が国にいて、差別だ差別だと騒いでいるだけなのです。
それを「祖国を奪われた」「日本国籍を一方的に剥奪され」などと宣う在日朝鮮人教授。
金嬉老を激励した「ドアホ文化人グループ」
平成21年1月22日木曜日小雨 ○
在日朝鮮人の恥さらしであり、根っからの犯罪者である金嬉老の言葉にだまされ、その犯罪行動を支持した「文化人」グループと呼ばれた人たちがいます。
日高六郎(東大教授)、伊藤成彦(中大助教授)、鈴木道彦(一橋助教授)、金達寿(作家)、角南俊輔(弁護士)、斉藤浩二(弁護士)、山根二郎(弁護士)
これらは、週刊新潮昭和四十三年三月九日号の記事「金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した五日間の言行録」に掲載されていた人たちの名前です。(私は「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」(新潮社二〇〇六年刊) p二二一より)
現実に、金嬉老の籠る静岡県寸又峡の「ふじみ屋旅館」まで応援にのこのこと出かけていったのは、伊藤成彦、金達寿、角南俊輔、斉藤浩二、山根二郎の諸氏だったようです。
金嬉老と会い、その発言にころっと騙されて、泣いたバカもいたそうです。
学生運動については金嬉老の「警官と戦う学生の心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉に感激した伊藤成彦氏は「いや、私は、金さん、あなたの心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉を吐いたそうです。
「曽我(注=金嬉老が清水で殺した相手)が、私の家に踏み込んで私をなぐり、アサ公とののしった時、私は心の中ですでに彼を殺していました」
「私は十五歳のときから、警察が自分の家となりました。しかし、その家はあまり住み心地のいい家ではありませんでした」
これらの言葉は、普通の人が聞けば、「寝ぼけたこと、アホ言っとるな。お前がみんな悪いんだろうに」となるのに、伊藤成彦氏は「あなたは立派な文学者だ」と叫んだそうです。
このバカどもは、下記の金嬉老の母親、朴得淑さんの言葉をどう聞くのであろうか。
「あれは、ふだん朝鮮人といわれてもハラは立てないが、ムシの居所が悪いと、カッとくるね。それだけの話よ。だけど、息子は、捕われになっても、まだ生きてるからいい。しかし、あれが殺した二人の遺族を思うと、私、何もいえない。私は息子にいいたかった。死ぬのなら早く死ねばよかった」
このバカどもだけでない。金嬉老を、在日朝鮮人差別を訴えた英雄のごとく扱った、いや、今でも扱っている腐れマスコミも、このお母さんの言葉をどう聞くのであろう。腐れマスコミだけあってどうも思わんのだろうな。
ちなみに、日高六郎氏は、日本赤軍と深い関係にあり、オーストラリア政府から入国拒否の措置をとられたりしている、
伊藤成彦氏は現在中央大学教授の要職にあり、そして、あの浅井基文氏などとともに、九条連(憲法9条 世界へ未来へ連絡会)代表の一人。
九条連とは、戦時売春婦をたきつけて、日本軍慰安婦問題アジア連帯会議 などというものを開いて、「日本政府は公式謝罪せよ!」などと気勢をあげているところです。ちなみに日高氏もこことのつながりは強いです。
伊藤氏の過去の発言には、中々面白いものがあります。
「日朝国交正常化交渉の中断は、日本側が共和国にたいして、核疑惑や大韓航空機爆破犯の女性の日本語教師だったとされた李恩恵など何の根拠もない問題をもちだした結果でした」
(キムイルソン主義研究一九九九年一〇月号)
「(国交正常化交渉で)もう一つ懸念されるのは、行方不明者の問題、日本政府が主張しているいわゆる拉致問題です。『拉致問題』にはいっさいの証拠がないため、これをとりあげてハードルを高くしようと思えば無限い高くしていけます」
(キムイルソン主義研究二〇〇〇年七月号)
「日本の植民地支配がなければ、朝鮮民族が戦争に巻き込まれることはなく、外国軍がくることも、三十八度線での分断もありえなかった。従って日本は、済州島四・三事件について済州島民に謝罪すべきだ」
(朝鮮日報 二〇〇八年四月二十三日)
流石は、在日朝鮮人の恥である金嬉老に対して、「金さん、あなたの心の中にダイヤモンドを見つけました」という言葉を吐いただけの事はあります。アホ丸出しです。
こんなアホでも務まるのか中央大学教授・・・
まあ、東京大学もアホ教授をいっぱい飼ってますけど。
午後よりスポーツセンターに行く。昨日出来なかった下半身のメニューを消化。久しぶりにフリーウエイトでのスクワットなど。最後は有酸素運動。
帰りに、芳林堂さんによる。週刊誌と「戦時演芸慰問団『わらわし隊』の記録」を購入。
写真は、高田馬場のビル街にいたかわいいネコ。人懐っこい感じでしたので、どこかで飼われていたのだろうが。
小胡子さん来店。遅い時間にHさん二名様で来店。
早い時間から飲む。記憶は最後まであり。
*金嬉老というどうしようもないクズ朝鮮人を英雄視するテレビ朝日(12月10日)