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加藤紘一の北朝鮮拉致被害者、天皇発言

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成20年7月16日水曜日晴れのちくもり △
 今日発売の週刊文春でも「中国、北朝鮮に秋波を送る加藤紘一よ、恥を知れ」という記事が掲載されるほど加藤紘一議員が「拉致被害者を北朝鮮に返すべきだった」と発言し世間から叩かれて、時の人となっていますが、加藤氏の素性からすれば、今更というか、通常の言動なのでしょう。
 週刊文春の記事では、加藤氏の日中友好協会会長就任の後押しは、相談された当の本人は否定しているそうですが、同じ売国奴仲間の山拓氏だったようです。
 加藤氏は現在叩かれているその発言については、自らのホームページで下記のように釈明というか言い訳をしています。
以下引用
 拉致被害者の方々には一時も早く戻ってきていただきたいのは当然ですし、ご家族の方々のお気持ちを察すると言葉を失います。また、拉致という犯罪で、日本人の人生を奪った北朝鮮にも強い怒りを感じます。
その上で、一時も早い解決を願い、2002年の政府の対応が、安倍官房副長官(当時)の主張によるものではなく、福田官房長官(当時)の主張する内容であれば、小泉首相(当時)の行った歴史的な会談がその後も大きく展開し、かつ拉致問題ももっと大きな進展を見せていたはずだという趣旨を述べたものです。
 その中で、「約束を守るべきだった」といいましたが、その真意は2つです。
1 拉致という犯罪を犯した北朝鮮から、「日本は約束を守らなかった」などといわれてはならない。日本人の誇りを大切にすべきである。
2 北朝鮮が拉致を認めて謝罪したあの時、北朝鮮はアメリカの攻撃を恐れていた。だからこそ、一気呵成に交渉を進めて、拉致問題の全面解決を図るべきだった。しかるに、北朝鮮に「日本は約束を破った」という不信感と口実を与え、その後の交渉が途絶える一因を作ったと考える。
引用終わり
 続いて、加藤氏は西川のりお氏との対談内容を掲載していますが、対談内容については、産經新聞の
阿比留瑠比氏がご自身のブログでテープよりおこした対談内容を掲載し、突っ込みを入れておられます。阿比留氏のブログの方が加藤氏が略したところなども詳しく対談内容が掲載されています。


 この加藤氏と同じような事をいっていた連中が多くいました。「都合のつく時に、行ったり来たりしてもらって」などとほざいていた
山際永三氏などもそうです。

 まず、拉致被害者の方々を北朝鮮に帰すという、「国と国との約束」と加藤紘一氏は言っているが、阿比留氏が書かれているように、このような約束はなく、田中均という役人の戯言であり、我が国政府だけでなく、北朝鮮も認めていません。加藤氏はそれを知らないか、平気でウソをついているかのどちらかです。知らないでこのような事をしゃべるのであれば、国会議員として恥ずかしいし、知っていてウソを広めるつもりであれば、売国奴としか言い様がない。
 現体制の北朝鮮との国交正常化を叫ぶ加藤氏は、北朝鮮という国をどう考えているのでしょう。中学生の時に、能登沖で拉致された寺越武志氏の例を忘れたのでしょうか。朝鮮人とともに朝日新聞、朝鮮総連などにだまされ北朝鮮に渡って行った多くの日本人妻の事を忘れたのでしょうか。
 彼らが自由に行き来出来ているとでもいうのでしょうか。北朝鮮と国交正常化しても拉致の解決につながるとはとても思えません。北朝鮮と国交があるいくつかの国が自由に行動できているとでも思っているのでしょうか。
 現在、タイ王国は北朝鮮と国交はありますが、拉致されたタイ人女性については未解決のままです。
 
 そして、「金正日は謝ったわけですね。「親の代にやったことだが、あれはまずかった、ごめんなさい」と。あの国では、一種、天皇陛下みたいなポジションの人物ですよね。」と天皇陛下と金正日と同様だと言っているのです。独裁国家であり、国民が飢えて何一〇〇万人死のうが、自分だけ温々と生きて平気な独裁者と我が国の天皇陛下と同じと言っているのです。
 先帝陛下は、戦後も長く雨漏りのする防空壕に住まわれておられたそうです。それは、日本国民が戦後の復興により立ち直るまで、自分だけ新しい御所には移れないと国民を気づかわれてのことでした。
 今上天皇も、国民のためにと祭祀を欠かさず、そして、日本全国慰霊の旅を続けられております。そんな天皇陛下と金日成、金正日の独裁者とを一緒にするとは、とても日本国の政治家とは思えません。

 加藤氏は自身のホームページでは記述していないが、西川氏との対談番組で、<あの国をみんな「とんでもない国」「恐い国」とよく言うでしょ。でも、「ミサイルを撃った」といっても、日本の防衛省や三菱重工の方が数段上ですよ。北朝鮮と日本の自衛隊をみたら日本がずっと上ですよ。油も買えないから飛行機の訓練はほとんどしていない。韓国はもう「こりゃ勝負付いた。面倒みよう」となっている。日本もこれもう、勝負は終わってますから。あの国の経済体制は・・。>
 そんな国であるが、核兵器を所持し、その処理が日本にとって最優先と言っているのは、加藤氏の盟友である山崎拓氏です。

 何よりも、この加藤紘一氏という人間が北朝鮮だけでなく、南朝鮮、支那などに対して、今までどのような事をやってきたか。この人間の生き方をみれば、今回の発言は当たり前の事です。
 北朝鮮問題だけでなく、他の事でも普通の神経を持っている人間だと恥ずかしくて議員などできないでしょうが、普通の尺度で計れない厚顔無恥な人間だから、このように平気で自分の過去を忘れてしゃべれるのでしょう。

 加藤氏は
昭和三九年(一九六四年)四月外務省入省、八月在台北大使館勤務
昭和四二年(一九六七年)六月在香港総領事館副領事 昭和四四年(一九六九年)六月 外務省アジア局中国課課長補佐
とチャイナスクール一筋です。

 そして、支那、朝鮮が我が国の教科書検定に口出しをしてくるきっかけだけでなく、支那の遺棄化学兵器や、朝鮮の慰安婦問題にも加藤氏は関係しています。
 北朝鮮における
米支援の利権問題にも顔を出します。_北朝鮮の米支援については、加藤は熱心に北朝鮮への米支援を推進し、在日朝鮮人から日本に帰化した北のエージェントである吉田猛に対して「衆議院加藤紘一事務所 吉田猛」の名刺を持たせてこの連立三与党訪朝団とともに北朝鮮に行かせてるだけではなく、加藤の名代として所得税違反で逮捕.有罪判決を受けた秘書の佐藤三郎とともに北朝鮮との事前折衝にあたらせています。_

 ジャーナリストの山村明義氏はその著書「外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相」(光文社)にて、典型的チャイナスクールの共通したポイントとして、次のように書いています。
一、 仕事は面倒を嫌い、トラブルを避ける。
二、 中国や北朝鮮(韓国)に対し、贖罪意識を持ち、必要以上に謝罪をしようとする。
三、 省内では出世主義で、そのためには徒党を組む事も厭わない。
四、 自国の国益よりも相手国の国益を優先する。
  スクールシステムに支えられた外務省の専門家たちは、自分のパートナーである相手国の国力を背景に外交を進めようとする。
略)
 日本が仮に北朝鮮への経済支援を開始すれば、もっとも利益を受けるのは、北朝鮮と国境線を重ねる中国なのである。そういう中国の脅威に対していままでチャイナ・スクールたちは、ただひたすら無自覚なまま、中国の発展と援助に「土下座外交」と批判されようと手を貸してきた。裏を返せば、それは中国と日本いかに異常な関係だったかをあらわしている。
 北朝鮮は自分の利益のためには平気でウソをつくし、犯罪も犯すのである。それは彼らなりの生き残り策だったのだろうが、日本の国益には最も反する行為である。
P一三〜一六

 私は、この山村氏が書かれている人間の典型が、加藤紘一氏と思います。

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