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アーロン収容所にみるオーストラリア兵
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成19年8月31日金曜日くもり一時小雨
会田雄次氏の著書「アーロン収容所」(中公文庫)の中にはオーストラリア兵の残虐さについての記述もあります。
以下引用
<その中でも豪州兵は目立って程度が悪かった。その兵舎を膝をついて雑巾がけしていると、いきなり私の額でタバコの火を消されたことがあった。くそっと思ってにらみつけると平気な顔で新聞を読んでいる。激しい憎悪がその横顔に浮かんでいる。ドスンと目の前に腰をおろし、その拍子のようにして靴先でいやというほどあごを蹴り上げられたこともある。私をひざまずかせ、足かけ台の代わりにして足をのせ、一時間も辛棒(ママ)させられたこともあった。
ある日K班長が、青ざめ、顔をひきつらせて豪州兵の兵舎作業から帰ってきた。聞くとかれは、豪州兵の便所で小便をしていると、入ってきた兵士にどなられ、ひざまずかせて口をあけさせられ、顔に小便をかけられたという。日本兵は便器でしかないという表示である。そのすこし前に配達された妻からの便りを手にしていなかったら、このおとなしい兵隊は、死刑覚悟でその豪州兵を殺していたかもしれないほどの形相であった。>P七〇〜七一
引用終わり
また、同じ大東亜戦争で、シドニー湾を攻撃した特殊潜航艇三隻のうち、二隻を引き揚げ、戦時中にも拘らず、松尾大尉・中馬大尉・大森一曹・都竹二曹の四勇士(のちに二階級特進)を、
オーストラリア海軍葬にて弔い、その御遺骨を戦時交換船「カンタベリー号」で東アフリカのロレンソマルケスにて「鎌倉丸」に移乗して我が国まで送り届けてくれました。
この敵国軍人に対する海軍葬について非難の声が挙がったが、シドニー地区海軍司令官ムアーヘッド・グールド少将は
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら日本海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推賞せらるべきものである。これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これら勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある濠州人が幾人いるであろうか」
と全国にラジオ放送して反対の声を制し、海軍葬を執行したのです。
このどちらも同じオーストラリア軍人です。
これからわかるように、雁屋哲氏のように <オーストラリアと日本は、アジアの他の地域でも戦って、大勢の兵士が捕虜になった。そのオーストラリア人捕虜を日本人は虐待したのよ><日本は人道に背くひどいことをした。
オーストラリア人の捕虜を虐待し、食事も与えず、大勢の捕虜を殺した。><真の友好関係を築くのを妨げているのは、戦争の後始末の悪さ故にオーストラリア人が抱いている反日感情です>と一方的に我が国が悪いと書く人間の異常さが際立ちます。