土井たか子の学歴詐称?
土井たか子の学歴詐称?
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成26年6月29日、10月2日、平成28年6月12日追記
土井たか子 学歴詐称問題追記
6月29日日曜日晴れのち豪雨のちくもり△
以前に気違いの集まりである社民党の元党首土井たか子の学歴詐称について書きました(平成十六年一月二十日、平成二十五年二月七日の日記)が、それに追記させていただく形での日記です。
同志社大学は、あの気狂いの集まりである社民党の土井たか子女史の母校といわれています。(あくまで、いわれています)
宝島の「社会党にだまされた」の中に土井女史の学歴詐称に関する記事があり、それによると、もう一つの母校?である当時の京都女子専門学校、現、京都女子大学は電話の問い合わせに「土井たか子さんは間違いなくうちの学校の卒業生です。当時は専門学校だったのですが、今でいう文学部のような学科を専攻していました」卒業年度は「昭和二十年入学の二十三年卒業です。その後二十九年まで当校の講師をしておりました」と丁寧に答えてくれたそうで、当時の同窓生にもお話を伺う事ができたそうです。
ところが、現在の土井たか子女史のホームページ、選挙ポスターなどの経歴からは、卒業高校は書いてあるのに、この京都女子専門学校の事は書いてなく、同校で講師をしていた事も記されていません。また、同校の同窓会には一度も出席していないのだそうです。
自分の母校の一つである、この京都女子専門学校、現・京都女子大学とは関わりたくないのでしょうか???
http://www2.ocn.ne.jp/~shamin/kinki/doi.htm
土井たか子氏の公式ページにあるプロフィール
兵庫県第三神戸高等学校(現御影高校)卒業。
同志社大学大学院法学科卒業。
このように、卒業大学も表示せずに、いきなり第三神戸高等学校(現御影高校)卒業後に同志社大学大学院法学科を卒業した事になっています。
土井たか子の学歴詐称疑惑について、産経新聞の阿比留瑠比氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかす」平成十八年六月二十三日には下記のように書かれています。
<兵庫県選挙管理委員会が発行した衆院選挙公報、昭和四十四年
兵庫県立第三神戸高女卒業
京都女子大学外国語学科卒業
同志社大学法学部卒業
同志社大学大学院法学研究科修了
となっていたのが、
昭和四十七年の公報の略歴欄の学歴には
京都女子大・同志社大学大学院卒
昭和五十一年の公報には。
同志社大学卒
同志社大学大学院修了
同志社大学卒は復活した。
しかし、今度は京都女子大がなくなった。
不思議だ。
昭和五十四年の公報。
兵庫県立第三神戸高等女学校卒
同志社大学大学院法学研究科卒
今度は京都女子大と同志社大学の両方が消えた。
昭和五十五年の公報も五十四年と同じ記述。
昭和五十五年、六十一年、平成二年、五年の公報からは略歴・学歴欄そのものがなくなった。
途中から同志社大学卒と書かなくなった理由が知りたいと思いませんか。
補足、これでも『公式プロフィールを信じろ』はおかしい。
学歴詐称は、公職選挙法違反です。>
産経新聞の阿比留瑠比氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかす」平成十八年六月二十三日より抜粋。
写真は手元にある「社会党に騙された」P二十六に掲載されているその昭和四十七年と昭和五十五年の選挙公報です。
では、同志社大学の方はというと、先ほど書きましたように、卒業年度さえ簡単には答えてくれないのだそうです。個人のプライバシーだそうです。でも、どうしてもというと「じゃあ答えますよ。昭和二十六年に法学部に編入して昭和二十八年卒業、そのまま大学院に進みます。修了は三十年です。これでよろしいですか」という答えにたいして「ありがとうございます。ただ、昭和二十九年まで、京都女子専門学校の講師をなさっていたそうですが?」
「そんなの私は知りませんよ!とにかくこういう問い合わせはこまるので、いいですか」と電話は切られたそうです。どうして土井たか子という公人についての問い合わせがだめなのでしょう。
その後、同志社大学法学部OB会である「政法会」に問い合わせても、土井たか子女史と同期であるはずのOB会長に対しての取材すら断わられたそうです。
同窓会はというと、これまた、土井女史は一度も大学の同窓会にも出席した事がないといわれ、その時一緒に学んだはずの同窓生にも、知らないといわれている希有な方です。
普通、中学であれ、高校、大学であれ、同じクラス、ゼミなどになれば、どんな大人しくて、目立たない人でも、覚えているものです。
それが、土井女史を知っている人は一人もいないといわれています。
ただし、卒業名簿にはしっかりと名前が載っているのです。一九九七年には同志社大学から、名誉学位まで贈呈されています。まあ、恩師として有名な田畑忍教授はその後、同志社大学学長までつとめています。いろいろできるでしょうね。
「社会党に騙されたに」には取材結果として、下記のようにまとめられている。
<*昭和二十年京都女子大学文学部入学、昭和二十三年卒業
*京都女子大学卒業後、昭和二十九年まで同大学にて講師を務める。
*昭和二十六年度、昭和二十八年度の同志社大学法学部には女子大生は数名程度で、OBは皆、この中に土井氏は「いなかった」と断言する。
*しかしながら「卒業生名簿」には、「法学部卒業・土井多賀子」と記載されている。
*「土井氏は昭和二十八年頃より同志社大学大学院(法学科)の田畑忍教授の部屋に出入りしていた」と、OBの話はすべて一致している。>
<土井たか子が、衆議院議長席に座ったとたん、議場がぱあっと明るくなり、にわかに華やいできた。その瞬間、古い社会党が死滅し新しい社会党が生まれたと私は感じた。
ただ単に美人政治家であるだけでない。ぴーんと立てた背筋、きりりとひきしまった顔、張りのある声は、日本の政治の新たな門出を象徴しているように思えた。>P十一
と書く典型的な腐れヨイショ本である「希望の革命 土井たか子の挑戦」板垣英憲著 DHC 平成五年十一月十五日刊には下記のように書かれている。
<一九四九年(昭和二十四年)春に京都女子専門学校を卒業すると、同志社大学と京都大学の編入学の「検定試験」を受け、軽々と両方とも合格した。
略)
土井はまよわず同志社大学の門をくぐり、法学部に入ることを決めた。同期生は二百人で、そのうち女性はわずかふたりだった>P六十二~六十三
<なせば必ずなるという土井の自信は、同志社大学時代、ラグビー部のマネージャーになって身に付いたものだという。
「同志社頑張れーっ」
土井は、試合の度に応援団をかってでて、大声を張り上げた。土井の黄色い声が選手達を励まし、勝利の度にチームメートから感謝されることがとてもうれしかったという。
土井の声援が功を奏し勝利につながったといえば、いささか大げさに聞こえる。だが感謝されれば、誰でも悪い気はしない。
略)
「大学のラグビー部の女性マネージャー第一号かもしれない」と土井は、ラグビー部マネージャーになれたのを今でも誇らしく思っているようだ。>P六十四~六十五
<土井は一九五一年(昭和二十六年)、同志社大学大学院法学研究科へと進んだ。>P七十三
<一九五六年(昭和三十一年)に同志社大学大学院修士課程を終了し、法学部講師として母校の教壇にたち、憲法学をおしえるようになった・・>P七十九
そして、平成二十八年六月十二日現在のウィキペディアでは下記のようになっている。
<生い立ち[編集]
兵庫県神戸市出身。父親は広島県出身の開業医、母親は京都府の出身[1][2]。1941年、兵庫県立第三神戸高等女学校に入学。1945年に卒業。同年3月17日の神戸大空襲に見舞われ、焼け出される。1945年、旧制京都女子専門学校支那語科(1949年より新制京都女子大学外国語学部中国語科)に入学。1949年に卒業。
同志社大学で憲法学者・田畑忍が行なった講演「平和主義と憲法九条」に感動し、1949年に同志社大学法学部3年に編入学、田畑の指導を受ける。同志社大学卒業を経て、1956年に同志社大学大学院法学研究科修士課程を修了。>
まとめると下記のようになる。
京都女子大学入学、卒業年度 | 同志社大学入学、卒業年度 | 同志社大学大学院入学、卒業年度 | |
公式プロフィール | なし | なし | なし |
「社会党に騙された」 | 昭和二十年入学 二十三年卒業 | 同志社大学によると 昭和二十六年に法学部に編入、昭和二十八年卒業、 |
同志社大学によると昭和二十八年進み修了は三十年 |
阿比留瑠比氏のブログ | 不明 | 不明 | 不明 |
希望の革命 土井たか子の挑戦 | 昭和二十四年卒業 | 昭和二十四年同志社大学と京都大学の編入学の「検定試験」合格。 | 昭和二十六年同志社大学大学院法学研究科 昭和三十一年同志社大学大学院修士課程終了 |
その他
同志社大学ラグビー部マネージャー(希望の革命 土井たか子の挑戦)
つまり、京都女子専門学校卒業年度、同志社大学編入試験年度、同志社大学大学院進級年度、終了年度において一致するものは一つもありません。
ましてや、同志社大学大学院法学研究科修士課程公法学専攻の設置は一九六三年(昭和三十八年)からであるので、土井たか子が終了したという一九五六年には影も形も無かったのではないであろうか。
江戸時代じゃあないのですから、学生生活を数年間おくっていれば、卒業アルバムとか、普通は当時の写真の一枚でもあるでしょうし、それを公開する事は、土井女史にとって、何も支障のない事でしょう。
ましてや、土井女子は歴史ある同志社大学ラグビー部の女性マネージャー第一号だったそうですので、青春時代の一場面としてきっと大勢のお知り合いがいても不思議じゃあ無いと思いますし、その時の合宿、試合の写真ぐらいあると思いますが、自分の卒業した学校の事をどうして隠したがるのでしょう。
社民党としても長い間党首だった人間に学歴詐称などというくだらない?疑惑がつきまとうのはマイナスイメージだしかないと思いますし、本人が本当に大学を卒業しているのであれば、簡単に証明できる事でしょう。
自分の卒業した学校の事をどうして隠したがるのでしょう。
どうしてでしょう?????????????
ちなみに、『公法研究』 第二十號 (一九五九年四月号) に掲載されていた「日本公法學會會員名簿」には、
氏名 : 土井多賀子
勤務先・地位 : 同志社大學
住所 : 神戸市長田區二葉町九ノ八
勤務先・地位に大学名だけ
『公法研究』 第二十五号 (一九六三年一〇月号)の「日本公法学会会員名簿」では
氏名 : 土井多賀子
勤務地・地位 : 同志社大学大学院
住所 : 神戸市長田区二葉町九の八
学術論文は
両議院の国政調査権に関する憲法論的一考察
同志社法学.一〇(六)[一九五九 〇三]
判例にあらわれた憲法第31条違反の問題点
公法研究(通号二十二)[一九六〇 0七]
こんな土井たか子に一九九七年、同志社大学は土井に法学博士ではなく、名誉文化博士の称号を授与した。
まさか、天下の土井たか子が学歴詐称なんてことはないですよね!
土井さん!!!!!!!
ちなみに、私も社民党にこの事について、メールで問い合わさせていただきましたが、しっかりと無視されました。
天下の社民党の名誉党首の「名誉」などどうでもいいのでしょうか?
参考・引用
「社会党に騙された」(宝島社 平成十五年十二月二十七日発行)
産経新聞の阿比留瑠比氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかす」平成十八年六月二十三日より抜粋
「希望の革命 土井たか子の挑戦」板垣英憲著 DHC 平成五年十一月十五日刊
今日は店の片付け。その後、合気道の練習から帰ってきたカミさんと店で合流して飯。
朝ビールを飲んでないカミさんは、早速ビールを開けて飲む。
私は水。
夜はカミさんと「一笑」さんに伺う。
サルでもエビでもない。