回天搭乗員の笑顔
回天搭乗員の笑顔
回天搭乗員と笑顔
平成22年2月10日水曜日曇りのち小雨 ××××× 2月23日追記
回天の大津島基地に、どこからともなく子犬がやってきて、「回天」と名付けられ搭乗員からかわいがられた。
大津島基地の指揮官であった板倉光馬少佐もこの回天を胸に抱き、よく歩き回っていた。
光基地にも子犬がおり、やはり「回天」と呼ばれ、皆に大事にされていた。
ウサギも飼われていて、搭乗員にかわいがられていた。
伊四十七潜「多々良隊」昭和二十年三月二十九日
柿崎稔中尉、前田肇中尉、古川七郎上飛曹、山口重雄一飛曹は発進の機会が無く、
昭和二十年四月十七日に同じ伊四十七潜にて再び出撃する。
伊三十六潜「轟隊」昭和二十年六月十七日
左より横田寛一一飛曹、野村英造一飛曹、柳谷秀正一飛曹、久家稔少尉、園田一郎少尉、池淵信夫中尉
遺骨は訓練中に殉職した入江雷太一飛曹、坂本豊治一飛曹
昭和二十年五月二十八日 伊三百六十三潜 轟隊
久保吉輝一飛曹 石橋輝好一飛曹 上山春平中尉
和田稔少尉 西沢(小林)重幸一飛曹
伊四十七潜に搭載した回天の上に太刀、見送りに答える搭乗員 昭和二十年四月十七日
柿崎稔中尉、前田肇中尉、古川七郎上飛曹、山口重雄一飛曹、新海菊雄二飛曹、横田寛二二飛曹
伊四十四潜「多々良隊」昭和二十年四月三日
左より亥角泰彦少尉、館脇孝治少尉、菅原彦五二飛曹、西山兵曹(整備員)
土井秀夫中尉
最前列左から河合不死男(第一回天隊 沖縄)、近江(山地)誠(先任将校 二十三突)、
帖佐裕(第三回天隊)、吉健太郎(菊水隊 伊三十六潜、金剛隊 伊四十八潜)、
小灘利春(第二回天隊)
第二列左より 橋口寛(神州隊伊三十六潜出撃直前終戦、自決)、川久保輝夫(金剛隊 伊四十七潜)、
久住宏(金剛隊 伊五十三潜)、
加賀谷武(金剛隊 伊三十六潜)、石川誠三(金剛隊 伊五十八潜)、
都所静世(金剛隊伊三十六潜)、
豊住和寿(菊水隊 伊三十六潜、金剛隊 伊四十八潜)
、本井文哉(金剛隊 伊三十六潜)
第三列左より 森稔(金剛隊 伊五十八潜)、三枝直(金剛隊 伊五十八潜)、村松実(金剛隊 伊四十七潜)、佐藤勝美(金剛隊 伊四十七潜)、有森文吉(金剛隊 伊五三潜)、伊東修(金剛隊 伊五三潜)、原敦郎(金剛隊 伊四十七潜)、不明
最後列左より 山口重雄(天武隊 伊四十七潜)、井芹勝見(金剛隊 伊四八潜)、古川七郎(金剛隊 天武隊 伊四十七潜)、不明、不明、園田一郎(神武隊 伊五十八潜)
特攻隊員として苦悩したであろうが、先人のこの笑顔もまた事実である。
参考引用文献
「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十八年刊)
今の視点で過去を見るのは、愚かです他の特攻隊の方々の写真も笑顔で明るい、強制されてそんな笑顔はできません、昔のコラムで謎というか、微かにわかった事があります、鬼畜の白ん坊どもが、国際法違反の無差別爆撃と直援機が面白半分で国際法違反の機銃掃射を繰り返す、病院、学校、民間鉄道お構い無しです、いつかは死ぬその様な状況では自ら死地を決めるのは名誉だったと、英霊の方々は祖国と邦を守るため闘ったのです、義烈空挺隊の方々も笑顔を残し沖縄の為に突撃しました、私達は先人の方々に感謝し嘘つきを駆逐しなければならないと思います。