朝鮮における護国の英雄の末路

朝鮮における護国の英雄の末路
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


平成17年11月25日金曜日晴れ ○ 平成18年1月11日URAに掲載
朝鮮戦争の時の南朝鮮軍人について記します。
安秉範大佐
日本陸軍士官学校(二十六期)日本陸軍大佐として李朝最後の皇太子であり、日本陸軍中将・李垠殿下の御付武官であった。
朝鮮戦争時には青年防衛隊首都防衛隊顧問として首都防衛を任されていた。しかし、北朝鮮軍によりソウルは陥落し、安秉範大佐はその責任をとって日本軍時代からの愛用の日本刀で割腹自決を遂げた。

普通の国であったならば、護国の英雄として祀られてもいいと思うのですが、南朝鮮では違う様です。
少し古い記事です。
以下引用
「親日人名辞典」に収録される3095人発表
民族問題研究所(理事長:チョ・ムンギ)と親日人名辞典編纂委員会(委員長:ユン・キョンノ)は29日午前10時30分、光化門(クァンファムン)・世宗(セジョン)文化会館・コンファランスホールで「親日人名辞典収録1次名簿」3095人を発表した。

今回の発表は1945年の解放以降、初めて試みられた大規模な親日関係者選定作業だ。
選定は売国(乙巳五賊(乙巳保護条約を締結する際、これに賛同または黙認し調印を容易にした5人)、丁未七賊(1907年ヘーグ密史事件を機に、高宗(コジョン)を強制的に退位させた7人)、庚戌国賊、受爵者および襲爵者)、中枢院、官僚、警察、判事・検事、宗教、メディア、文化芸術など合わせて13分野に分けて行われた。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/29/20050829000037.html
朝鮮日報

ちなみにその名簿です。

http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050829/060600000020050829112455K3.html

この中に安秉範大佐のお名前も出てきます。
朝鮮戦争の時に祖国のために北朝鮮、支那と勇敢に戦った護国、救国の英雄たちが今は売国奴のようにいわれています。
もちろん、朴正煕元大統領も含まれます。こういったところに現在の南朝鮮の歪な社会が見えます。あまりにも国のために戦った先人がお気の毒過ぎます。これは我が国の朝鮮統治に対しての不等過ぎる批判にも通ずる事かも知れません。
こういった歪んだ考え方をする事しか自分達の存在を示すことができないとは、ある意味、朝鮮の人々の可哀想な一面です。

平成17年11月26日土曜日晴れ ○ S
親日名簿事典に掲載されたその他の主な方々です。
白善ヨップ将軍
元満州陸軍中尉 その後、韓国軍第一師団長を経て参謀総長
韓国陸軍初の陸軍大将

金貞烈将軍
日本陸軍士官学校(五十四期)、航空士官学校戦闘機科卒業、大東亜戦争はフィリピン作戦で武勲を上げ、三式戦「飛燕」の戦闘隊長として南方戦線で活躍した日本陸軍大尉。韓国空軍生みの親といわれる。

李亨根将軍
日本陸軍士官学校(五十六期)
韓国軍第三軍団長として朝鮮戦争で武勇を馳せる。
新宿区市ヶ谷台の自衛隊駐屯地(現防衛庁)に桂の木が植えられている。
その傍らに立つ標柱には下記の言葉が書かれている。
表面「桂恩師のために 第五十六期生 李亨根」
裏面「韓国陸軍大将」
側面「一九六八年 四月二十五日 韓国京城」
そして、一九九三年(平成五年)十二月、同期生の蔵田十紀二氏に宛てた書簡として
「故桂区隊長殿の御逝去で悲痛窮りない気持ちです。特に御遺族様の御心境を思う時、胸の裂ける思いです。
貴兄のこともしばしばお話しておられました。お互い健康に留意し志気旺盛に務めましょう・・・・・・」

李亨根将軍とともに陸士五十六期として昭和十四年十二月一日に入学した総人数約二千四百名のうち千名近い戦死者を出しています。
同期入校者には四名の朝鮮出身者が含まれています。
その中のおひとりに崔貞根少佐がおられます。
崔貞根少佐(日本名 高山昇)は日本陸軍士官学校、航空士官学校と進み、卒業後、飛行第六十六戦隊(九十九式襲撃機部隊)に配属、フィリピンのレイテ沖作戦に参戦後、沖縄作戦に参加、昭和二十年四月二日、敵駆逐艦に体当たり散華しました。二階級特進にて少佐
崔貞根少佐は陸軍士官学校在校中に、同期生のひとりに、
「俺は天皇陛下のために死ぬということはできぬ」
と、その心情を吐露したといいます。(同期生追悼録「礎」より)
同期の齋藤五郎氏は陸士の同期会で、李亨根氏にただしたところ、
「その気持ちは貴様たちには判らんだろうなあ、それが判るときが、両国の本当の友好がうまれるときだ」
と答えたそうです。

金錫源将軍
明治四十二年、大韓帝国武官学校生徒として日本に留学。陸軍幼年学校に編入、陸軍士官学校(二十七期)卒業。創始改名せずに、日本陸軍大佐まで栄進。支那事変において大隊長(陸軍少佐)として山西省で、連隊の右翼を担当し全滅覚悟の激戦を指揮し白兵戦で支那軍を殲滅せしめました。
この勇戦に対して金鵄勲章の功三級を授与されました。
戦後は朝鮮に帰国し、韓国軍創設時に乞われて第一師団長に就任。親日狩りが横行し、准将にての就任。ときの李承晩大統領に対しても面前で直言してやまないために、予備役に廻されました。
予備役になった時に、北朝鮮の侵攻を予知して「目標三十八度線」を唱えて、大田で青年有志を集めて義勇軍を組織。
昭和二十五年六月二十五日北朝鮮軍の侵略により、首都ソウルを守る第一師団長として再び現役復帰させられる。その時の参謀長は元日本陸軍少尉(後の駐日大使)崔慶禄sai.html大佐です。
勇将金錫源准将の元には元日本兵である韓国人が我先に全国から集結しました。そして、米軍軍事顧問団の制止も聞かず、日本刀を振りかざし最前線で陣頭指揮を取り続けたそうですが、一九五〇年八月十七日に、この時には第三師団の指揮を取っていた金将軍もついに浦項よりの撤退の事態に追い込まれました。
米軍の艦砲射撃による援護の中、将兵が用意された四隻のLSTに乗り込んで次々と脱出していくが、一隻のLSTだけが離岸しようとしない。
最後の一兵を収容するまで動こうとしない金将軍の乗船を待っていたのです。
無事撤収を終え、その最後のLSTに乗り込んだ金将軍を驚かせたであろうのは、アメリカ海軍のLSTの乗組員は、かっての戦友である旧日本帝国海軍将兵であったことでしょう。朝鮮戦争に参戦したのは、掃海艇だけではなかったのです。
金錫源将軍は上陸を前にこれまで作戦指導中に片時も放さなかった日本刀を副官の南少尉に手渡したそうです。
(「最後の日本刀」『丸』五九六号潮書房)
金錫源将軍の三人の息子のなかのお一人金泳秀日本陸軍大尉(陸士五七期)は昭和二十年フィリピン戦線で壮烈な戦死を遂げて靖國神社に祀られている。
昭和五十五年に旧日本陸軍将校の会である偕行社の総会に招かれた時に、金将軍は
「自分の長男は戦争に参加して戦死した。それは軍人として本望である。本人も満足しているであろう」
と挨拶されたそうです。(古野直也氏の証言)
以上引用、参考
「親日アジア街道を行く」井上和彦著 扶桑社
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助編著 明成社

南朝鮮の人々は彼らがいなくても現在の南朝鮮があったと思っているのでしょうか。今の南朝鮮の繁栄は多くの先人の流した血の上にあるはずです。
突然できたものではありません。テロリストを偉人として讃える前にすることはあるはずです。


朝鮮人とはなんと愚かなのだろう
平成23年7月5日火曜日晴れのち一時雨 93
下記は最近の南朝鮮についてのネット上の記事です。
以下引用
「親日派を英雄に仕立てるな」テレビの特集番組に抗議殺到=韓国
2011年06月28日18時04 サーチナ
韓国のKBS放送が2日連続で放送した朝鮮戦争のドキュメンタリー番組が、「親日派を英雄に仕立てた」として、非難の的になっている。韓国メディアは専門家の見解や世論の反応を紹介しつつ、相次いで同話題を報じた。
問題となったのはKBSが制作・放送したドキュメンタリー番組『戦争と軍人』。番組では朝鮮戦争で功績があったとして白善ヨプ(ペク・ソンヨプ)氏が登場。しかし、番組放送後にKBSの視聴者掲示板に1000件を超える書き込みがあり、抗議電話も900件を超えるなど、非難が続出した。
白氏は韓国陸軍では初めて大将に任じられた人物で、朝鮮戦争では第一線で戦っていた。しかし、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権では日本の朝鮮半島支配に協力したとして『親日人名辞典』に掲載された。また一方で、李明博(イ・ビョンバク)政権の2009年には韓国軍史上初の「名誉元帥」に内定されるなど、韓国内で評価が分かれている。
世論の批判に対して、KBS側は「白氏が朝鮮戦争の大事な節目で活躍したのは明らかな歴史的事実」と主張、「朝鮮戦争に焦点を当てたもので、特定の人物を扱っていない」、「英雄に美化していない」と反論した。
チョ・ヨンゴン慶南大学名誉教授は「白氏の功と罪をナレーションで伝えるべきだった」、「国際的に恥をかく放送」と指摘、「韓国の歴史に関心を寄せている日本が帝国主義・軍国主義の立場から(番組)を見ると、嘲笑って軽べつするだろう」、「親日人物を英雄にしたので、大東亜共栄圏の橋頭堡の役割に忠実な放送という点で笑われる」などと、番組を厳しく批判した。
韓国の複数メディアはチョ教授の見解を詳しく取り上げている。一方、視聴者掲示板の抗議文についてKBS側が「ねつ造」との見方を示したことも問題となり、KBSの労働組合も強く反発、番組をめぐる「親日論争」は大きな波紋を広げている。(編集担当:金志秀)
引用終わり

この白善ヨプ(ペク・ソンヨプ)氏とは南朝鮮初の陸軍大将である白善燁(はくぜんよう)氏のことです。


白将軍について、白氏の著書「若き将軍の朝鮮戦争」(草思社平成十二年刊)に三浦朱門氏は「軍人の理想 白善燁将軍」として下記のような文章を書いている。

以下引用
<略)
韓国軍はいわば鉄火の中から産まれた。その韓国軍の精髄が白将軍である。
略)
もし将軍がいなかったら、円陣は崩れ朝鮮半島は社会主義国家になり、今の韓国民は物心両面において厳しい条件に置かれ、日本も対馬のすぐ近くに、傍若無人な「金王朝」の軍隊が存在して、何かと日本の内政も攪乱されたに相違ない。その意味で韓国民は勿論、日本人も・・・日本が社会主義国家になるべきだと考える人は別にして・・・将軍に恩義を感ずるべきである。
将軍は三十二歳で韓国軍人として最高位の大将に任ぜられる。決して人材不足の間に合わせ人事でもなく、縁故によるものでもなかった。将軍は休戦条約に韓国軍を代表して、出席する大役を果たした。
しかし一番素晴らしいのは、将軍が軍人としての名声を利用して、権力を握ろうとしなかった点である。国際的な知名度を国が利用して、台湾、カナダ、フランスなどの大使を勤め、韓国の国際的地位の向上に貢献し、経済再建のために、外貨と技術によるコンビナートの建設に尽くした。しかしクーデターを起こして権力を掌握しようとなどは考えなかった。軍人の理想そのものの人柄である。>
引用終わり
同書P一~三

私は以前に「朝鮮における護国の英雄の末路」という文章を書いたことがありますが、南朝鮮では白将軍だけでなく首都ソウルを防衛していたがその責任を果たせず日本刀で割腹自殺された安秉範大佐など普通の国であったなら、「護国の英雄」と讃えられる方々をこのように糾弾しているのです。
/tyousennniokerueiyuunomat.html

このような先人がいなければ今の南朝鮮はありません。今の南朝鮮は先人が流した血と汗の上にあるのです。

旧日本軍の軍人であったからというだけで、糾弾している笑われるべきは、そのようなどうしよいもないアホ朝鮮人どもです。

台湾の方々は日本軍人であったことを誇りとし「台湾南星会」、選抜されて日本本土に渡り学びながら「雷電」の制作に従事したこと等を誇りとし「台湾高座会」等を作って交流を持っています。

いつも書くことですが、なぜ同じ統治を受けながらこれ程の差があるのでしょう。
民度の差としか言いようがありません。
世界中から嫌われている朝鮮人と支那人として考えれば自ずとその答は導き出されるように思います。

慰安婦のことを気違いのように叫びながら、現在でも平気で売春で「商売」をしに我が国に来る厚顔無恥な腐れ朝鮮人ども。
強制連行を叫びながら、平気で密航してまで我が国に来るゴミ朝鮮人ども。

もっと、普通に考えることができないのかね。

できないのだろうな。

今日の築地本願寺の蓮

 
河岸の場内にある水神様


同じく水神様の境内にある海軍発祥の地を示す「旗山」

二十五周年でいただいた花(枯れたのは抜いてひとつにいたしました)


Oさん三名様で来店。
Kさん来店。

飲まず。
サッサと寝る。
サルでもエビでもない。


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