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北朝鮮はかってバカどもにどのように語られたか
和田春樹東大教授
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
今さらながらの和田春樹
平成24年1月9日月曜日晴れ ○
今日は何処へも出かけずに、部屋の掃除をやっていたら、古い雑誌を読み出すとついつい手が止まり、全然片付けが終わらないままになってしまいました。
その中の一冊。
和田春樹(昭和十三年一月十三日生まれ)東京大学名誉教授。
報道、手元にある古本などでこの御仁の発言を見て行きたいと思います。
「北朝鮮核実験以後の東アジア」(岩波書店「世界別冊」平成十九年刊)には「私たちは東アジア人になれるか」という日韓中シンポジウムの内容と「東アジアの核危機と平和への道を考える」という論文が掲載されていました。
まあ、一般的には日中韓と表記するだろうと思いますが。
東アジア人になど「なれません」というか、なりたくもありませんが、登場人物は加藤紘一、池明観、和田春樹、坂本義和、仙谷由人、内海愛子、など鬱陶しい方々ばかりというか人間のクズばかりです。
わざわざ、金大中の「北朝鮮問題、ネオコンは手を引いて韓国の意見を尊重せよ」などという気狂いインタービューなども掲載しているし、その内容も鬱陶しいお話ばかりですが、今でもこういった連中と一緒になって岩波書店が一生懸命我国を売ろうとしているのがよくわかりました。
北朝鮮の「工作船」に乗り込み、非合法な形で金日成と朝鮮労働党支配下にある北朝鮮に渡ったことを認め南朝鮮で「学園浸透スパイ団事件」のスパイとして逮捕された徐勝氏、一九七〇年代から八〇年代に「世界」に「韓国からの通信」を連載して意図的な歪曲の記述を書きまくっていたソウル在住のT・K生。実は当時、東京在住で架空の人物を演じていた池明観氏を未だになんの反省も無く、このようなシンポジウムに参加させていることでもよくわかる。
和田春樹東京大学名誉教授の「拉致問題解決への道」として下記のようなことが書かれていた。
以下引用
<安倍晋三氏は拉致問題という十字架を背負った政治家である。平常首脳会談に同席して、拉致問題での謝罪が無ければ、平城宣言に署名すべきでないと主張した。その後は生存五人の帰国者を平城に返さないという方針を決め、交渉の断絶を招いたが、終始一貫し北朝鮮への「圧力」を主張して、国民の人気をかちえ、後任首相の座を獲得したと言っていい。
略)
まとめれば、被害者全員の生還実現、規制の強化、北朝鮮非難の広報の強化・拡大である。この方針のどこにも国交正常化交渉のかけらもない。>
1)p六十四〜六十五
<まず、すべての拉致被害者が生きている」との前提に立つという安倍内閣の方針は妥当であろうか。
略)
北朝鮮が死亡したと伝えた人物について、かりに出された資料には死亡を裏付ける資料が皆無であるとして、だからその人々は生存している可能性がある、その人々を帰国させよと主張することは、論理が飛躍し、八人が死亡しているという北朝鮮の主張はすべて虚偽だと決めつけることに他ならず、そもそも外交交渉の態度ではない。こうなれば交渉は断絶で、最後通牒をつきつけて、力を背景に当方の要求に屈服させようとするに近い。
生存している人がいれば、帰国させよと主張することは当然である。しかし、死んだと言われた者は生きているはずだから、帰せと主張する限り、交渉は不可能である。>
1)p六十六〜六十八
<この全責任は北朝鮮にある。だが、だからと言って、横田めぐみさんが今日なお元気で開放を待っていると想定することには無理がある。
略)
久しい間、横田滋さんは家族会代表として、救う会全国協議会会長佐藤勝己氏との連名で声明を出す事をさせられてきた。
略)
娘を拉致した北朝鮮政府が憎いと思う感情は自然である。しかし、こうした政治的声明に名を連ねることによって、横田滋さんは北朝鮮と政治的な対立関係に立たせられてします。北朝鮮を訪問し、孫のキム・ウンギョンさんに会うことはますます遠くなっているのである。肉親の情からすれば、めぐみさんの忘れ形見の実の孫娘の存在から出発して、その子を抱きしめるところから、めぐみさんの安否の真実を肉親の熱意で明らかにする方向に進むのが自然ではないか。そうするのではなく、床他夫妻は北朝鮮に対する経済制裁を主張する運動の先頭に立たされて来た。横田夫妻をそのように利用しているのは、救う会全国協議会と日本政府である。>
1)p七十三〜七十四
「横田めぐみさんが今日なお元気で開放を待っていると想定することには無理がある。」と書き、「めぐみさんの忘れ形見」と書く。
普通の日本人であったなら、このような書き方は絶対にしないであろう。
それだけでなく、横田さん御夫妻が不本意ながら奪還運動の先頭に立たされているという書き方している。
これは、めぐみさんの事を思い奪還運動をされていらした横田さん御夫妻を侮辱する以外のないものでもない。
この男は小泉首相が訪朝し金豚が拉致を認める前に、「朝鮮有事を望むのか」という本を書いています。平成十二年七月というギリギリに発刊されています。
この男はその中に、この男は拉致問題に関して「『拉致疑惑』問題を考える」として下記のように書いています。
<はじめに
「北朝鮮による日本人拉致」という問題が近年大きな国民的な問題となり、日朝間に横たわる最大懸案の一つとなっている。今日、この問題の解決を考えることは北朝鮮に肉親を拉致されていると信じている家族の信条を思えば、それ自体として焦眉の急であり、かつまた日朝交渉の促進、日朝国交樹立のためにも解決を求めるべき重要課題である。この問題の解決を求めるには、この問題の来歴を調べ、問題の本質と構造を考究し、解決の方法に付いて現実的に検討する必要がある>
2)p七十一
そして、この男は横田めぐみさんの拉致について下記のように結論付けている。
<以上見て来たように、横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである。
略)
以上の検討からして、横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しない事が明らかである。そういう情報が情報機関から流されたのなら、拉致されたかもしれないという御枠が生じうるという以上の主張は導き出せないと思われる。横田さんの御両親にはまことお気の毒だが、それ以上の確たる材料は与えられていないのである。>
2)p百十三
かさねて「拉致疑惑問題への対応策」として横田めぐみさんについてこの男は次のように書く。
以下引用
<日本の警察が「北朝鮮による拉致の疑いのある事件」としているのは七件一〇人であるが、そのうち横田めぐみさんの事件については、私は昨年末と本年の一月に『世界』誌に「『日本人拉致疑惑』を検証する」を書いて,「拉致されたと断定するだけの根拠は存在しない」と主張した。>
引用終わり
2)p二百四十三
同じく
以下引用
< だから、私は横田めぐみさんの事件について述べたことについて考えを変える必要を認めていない。七件一〇人のうち、直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして拉致事件として問題にしうるのは辛光洙事件だけだと考える。のこりの事件は証拠がなく、証言はあっても、起訴を憚ったというような事件である。これらの事件は行方不明者として粘り強く調査を求める他ないであろう。
この点では積極的に尋ね人のテレビ・プログラムを交換するように提案する事もできる。日本側は六件、九人についての家族の呼びかけを出し、北朝鮮側は植民地時代に連行されて行方知れずになった人についての家族の呼びかけを出すのがいい。人数は北朝鮮側には相当多く認めたらいい。>
引用終わり
2)p二百四十六
このようにこの男は横田めぐみさんについては拉致をされたという考えは持っていないしそれを変える必要も考えていなかった。
それだけでなく、北朝鮮などという管理国家はには移動の自由も認められていないし、住民は総て階級に分けられ管理されている。ましてや、外国人であれば余計である。それを、拉致の解決には「尋ね人のテレビ・プログラムを交換するように提案する事もできる。」などとホザイているのである。
現在の我が国に強制連行されて行方不明になっている朝鮮人などいるはずもない。不法入国してきて、強制連行されて来たと言い張っている朝鮮人がいるだけである。
この男はましてや同胞の拉致被害者の皆様と戦時売春婦を同列に下記のように書く。
<辛光洙ら犯人の処罰、拉致被害者への補償なども議論されるべきである。そこまでくれば、日本の植民地支配の犠牲者であって、フィリピン、韓国、台湾、オランダの同じ被害者には日本が個別的な謝罪と償いを実施した慰安婦犠牲者への償いも前倒しで実施する事を考えるべきである。また被爆者援護法を北朝鮮にいる被爆者にも及ぼす事も検討されるべきである。強制労働者の遺骨の返還は当然の事である。>
1)p七十七
この男がいう国の中にインドネシアが入っていなかったのはどうしてか。戦時売春婦に対してのアホ村山富市が進め、この男が理事だった「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)によりアホな銭をばら撒いた時に「インドネシア政府は、当初より、日本政府に対しては補償を請求する意思はなく、日本政府に対して要望することは、この問題の解決に向けた真摯な対応のみであること、また、国の尊厳と、犠牲となった女性の方々の尊厳を守ることが政府の政策であるとの方針をとってきました。」ということより、高齢者福祉施設が建設、高齢者に必要な備品の整備・購入等に使用された事が、アジア女性基金のホームページより確認できます。
理事の収入はいくらぐらいだったのでしょう。
この男は、朝鮮人戦時売春婦の補償には一生懸命ですが、一番多かった日本人の補償には一瞥もくれておりません。
それは産経新聞の阿比留瑠比記者のブログよりも確認出来ます。
以下引用
<<私は平成12年に当時のアジア女性基金理
事長だった村山富市元首相にインタビューしたことがあります。村山氏
が、韓国に同調してやはり基金形式はダメだという声が強かった社民党
内の反対論を押し切って理事長となったに興味を覚えたからでしたが、
インタビューにはなぜか理事の和田春樹氏(左翼的活動家として有名です
ね)が同席しました。
私は、ヘンだなあとは思いましたが、理事長となったばかりの村山氏で
は答えられないこともあるかと考え、気にしないことにしました。それ
で、私がこう質問したときでした。
「元慰安婦に一時金を払うというが、元慰安婦の大半は日本人女性だ。
アジア女性基金は日本人元慰安婦についてはどう考えているのか」
村山氏は「うっ」と詰まったきり絶句し、何か言葉を探しているようで
した。私はじっとそれを待っていたところ、それまで黙って聞いていた
和田氏がいきなり、
「ちょっと待って! 今の質問はなかったことにして」
と介入してきたのでした。私はそれはおかしいと思ったのですが、和田
氏の不規則発言はとにかく、村山氏が「……」と何も答えないので、そ
のやりとり自体が成り立たず、短いインタビュー記事には経緯を載せら
れませんでした。
一方で、村山氏に「国交のない北朝鮮の慰安婦問題についてはどう取り
組むか」と、やはり基金の対象外の北朝鮮のことを聞くと、
「日朝国交正常化の最大の課題は過去の清算だ。単に植民地支配に対す
る請求権だけではなく、強制労働や慰安婦の問題などがある。北朝鮮の
場合は、国の体制からいっても、問題はすべて一括して政府間の正常化
に向けた話し合いの中で解決するんじゃないか」
などとスラスラ答えるので、ああ、この人たちにとって自国民である日
本人慰安婦の存在はタブーになっているか、あるいははなから何も考慮
していないのだなということが分かりました。
略)>
引用終わり
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2471934/
和田春樹とはこのような人間のカス、ゴミ、クズなのである。
引用文献
1)「北朝鮮核実験以後の東アジア」(岩波書店「世界別冊」平成十九年刊)
2)「朝鮮有事を望むのか」(和田春樹 彩流社 平成十二年七月刊)
「横田めぐみさん拉致の情は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである。以上の検討からして、横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」
(ラングーン事件に関して)
【ラングーン事件の衝撃と不安】
「外国にいる韓国人・朝鮮人のなかから爆弾テロをやる人が出るということは考えられる。
この人々の考え方は多様な影響に晒されているし、技術的な面でもずっと用意であろう。さらに金載圭事件のように政府内部の人間がやったことも考えられる。政権内部、随員の中の人物なら、なによりも情報の入手や実行面でいろいろ便利であるという利点があるだろう。」
「ラングーン事件の真相がどうであれ、責任者がだれであれ、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の孤立をいくらかでも緩和する方向に動くことが、大韓民国の同盟国となっている日本が大局的見地から急ぎなすべきことであるように思われる。
『世界』1983年12月号
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韓国には、北朝鮮と比 べると、ある面では、より自由があることがあることが問題なのではない。
金日成氏を唯一思想とする共産主義国、北朝鮮は、自主独立、民族自立を達成しているが、思想や表現の自由はない。自主はあるが自由がない国であると言っても良いであろう。
朴正煕氏に続いて、全ドファン氏というクーデター将軍を大統領にいただく資本主義国韓国は、自主独立、民族自立を達成しておらず(アメリカ軍の支配と日本経済への従属)、かつ政治的自由も労働運動もない。自主もなく、自由も基本的に失われている国といえるであろう。
・・・・
だから、繰り返して言うが、韓国には、北朝鮮と比べると、より自由があるということが問題なのではない。
和田春樹「北の友へ南の友へ」御茶ノ水書房 1987
(鄭大均「韓国のイメージ」p107)
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日本の代表的な国際政治学者・和田春樹教授(東京大学名誉教授・61歳)が韓国(朝鮮)戦争の起源と勃発過程を総体的に究明した
『朝鮮戦争』(創作と批評社)が、韓国語に翻訳されて刊行された。
60年代のベトナ ム戦争反対市民運動に参加した和田教授は、日帝の韓半島植民支配政策を強い調子で批判してきた進歩
的知識人。
70〜80年代韓国の民主化運動に協力する「韓国・日本連帯運動」を主導した彼は、80年代末から韓国戦争に関連した論文を持続的に発表してきた。
その間、学会では韓国戦争の起源に対して伝統主義と修正主義という2種類の相反した見解がするどく両立していた。
韓国戦争は北朝鮮の南侵によって起きたという点を議論の中心に置くのが伝統主義で、日帝解放から米ソによる分割占領、そして分断政府の樹立へとつながる構造的関連の中で戦争がおきたという見解がブルース・カミングス米国シカゴ大学教授に代表される修正主義だ。
和田教授は韓国戦争の性格を、北朝鮮の計画による先制攻撃で起きた「内戦から始まり、中国・日本・米国・ソ連
などが参戦することによって国際戦へ拡大した戦争」と規定する。
彼はまた、「韓 国戦争が勃発したのは解放後の韓半島で理念的に異なった南北の韓国分断政府が樹立されたことにともなう必然的な結果」だと明らかにした。
これは、「韓国戦争は南北すべての内部矛盾を解決するための避け られない選択だった」とする修正主義と似た見解である。
和田教授は、「戦争は北朝鮮がまず南侵して起きたが、当時韓国の李承晩政府も「武力による北進統一論」を積極的に進めた』と主張する。
実際、李承晩政府は、米国に「北進統一論」にたいする支持を要請したが、米国は冷淡な反応を見せて軍事援助費の額
置を断行しなかったということだ。
教授は、「49年北朝鮮の金日成主席首相と朴憲永副首相が中国とソ連に南侵意思を明らかにすると、中国側は軍事的支援を約束したがソ連は懐疑的な反応を見せた」と話す。
49年9月24日、ソ連共産党中央委員会政治局は「韓国側が攻撃してくれば反撃しても良いが、先制攻撃をしてはだめだ」との立場を北に通報したということだ。
北朝鮮の先制攻撃で始まった韓国戦争は、国連軍の参戦で韓国軍と米軍が38線を越えて進撃することで南北双方1回ずつ武力統一を試みた戦争、というのが和田教授の一貫した見解だ。
京郷新聞 20019.21
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和田春樹はもと東大社研教授、ソ連・ロシア研究が専門。
ロシア史の国粋主義的側面やアジア(モンゴル)蔑視をロシア・ソ連
学者からそのまま引き継いでいるし、共産主義体制を基本的には肯定
している。