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魚釣島灯台

平成17年2月10日木曜日曇り ○ S 11日め
 昨日、魚釣島に設置された灯台の保守・管理権が今日より、政府に移管されるというニュースがありました。
(まあ、共同通信だけは
魚釣島の灯台は国有財産 中国の反発は必至 という記事でしたが) 
今後、海上保安庁が他の灯台と同じく定期点検などの保守をしていくそうです。
これまで、不思議というか一部のバカ役人、政治家のために、我が国固有の領土でありながら、魚釣島に設置された灯台は正式に航路標識として政府から許可されていないため、海図には記載されていなという状態がつづいていました。
それは、逆にいえばあるはずのない場所に灯台があるという事は、海図に頼って航海するうえでは非常に危険ですらあったわけです。
今後は、灯台を航路標識法に基づく正式な「魚釣島灯台」として管理・運用を開始するそうです。 

このような当たり前の事が今まで遅れたのは、害務省の支那命の連中とか売国奴議員のためです。
 石原慎太郎都知事が著書「亡国の徒に問う」の中で「尖閣諸島 あの島を失うまい!」の章に、当時の青嵐会の国会議員が、地主である那覇在住の古賀ハナ子さんより島を売却された大宮在住の栗原一族に、島の分譲をお願いしたが、その時に栗原一族より石原氏の意思は多としながらも日本の国家権力を一切信用していないという言葉が書かれていました。
そして、続いて下記の記述が続きます。
「政府は政府で民間人による島への渡航滞在をなんのためか極端に嫌がり、二次三次と人を替えて続く渡航をあらゆる手段で妨害した。尖閣に赴くための石垣島での漁船のチャーターを石垣の海上保安庁大十一管区本部は上からの指令で漁民に警告して禁止し、それがかなわぬままある時などは食糧の枯渇した隊員たちへの援助にわれわれは、知人の会社の小型飛行機をチャーターして無許可で飛び立ち島の上空から物資の投下をしたりもした」
「亡国の徒に問う」P79より
また、この灯台を築いた「日本青年社」のホームページによってもあきらかにされています。
http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/030616ayumi.htm
 新灯台を航路標識法に基づく正式な灯台として認可するよう第十一管区海上保安本部に申請書を提出。同本部も妥当なものとして受理したが、外務省がクレームをつけた。これについて事情通は「今の日中関係は非常に微妙な時期にきている。それは天安門事件の際に他の諸国は中国に対し強硬姿勢をとったのに対し、日本は「中国の内政問題」と軟弱だった。とくに外務省の中国課は“親中派”で固められていて、中国の機嫌をとり損ねてはマズイという思い入れがある」と語っている。日本青年社は外務省に厳重抗議。

 そして、報道はそのことにあまり触れてはいませんでしたが、この灯台は地方自治体が作ったのでは無く、もちろん国が作ったのではありません。この灯台は国を想う民間人有志により築かれた物だという事をわすれてはなりません。

「もっとも後になると、第三次隊が初めて作ったという最初は金属のパイプの先に電灯を取り付け持参していったバッテリーで灯を点すだけのささやかな灯台のおかげで、風をさけて島陰に避難出来た漁船たちから感謝の声がかかったりすることが続いていき、同じ日本人として当然の共感からだろう当時の管区本部長から夜個人的な電話がかかって、今回の隊員は激しい下痢のために撤退を余儀無くされたようで、今現在島には誰もおりませんかが次の手配はどうなっているのでしょうかなどといってくるようにもなった。
 尖閣に関してはいろいろの逸話があったが、最初の灯台を作った直後それを目当てに漁船が非難してきて、船上の漁師たちからこの灯りのお陰で助かったと感謝された時の感動はなかったという若い隊員の声は立場を超えて強く胸を打つ」
「亡国の徒に問う」P80より

 今さらながら、我が国の害務省の売国奴ぶりには呆れます。

 仕込みを終えてから、スポーツセンターにいく。
 Y岡さん二名様で来店。Nさん来店。へべれけさん来店。今度、購入したiBOOKの起動から例により、いろいろというかすべてやっていただく。感謝!
ハナちゃん来店。今回の魚釣島の灯台のことで、職場で祝杯をあげていたいたとかで、大ヨッパライで来店。
(ハナちゃんには今度、支那の不法船が尖閣諸島に来たら○○でもぶっぱなしてほしいものです)

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