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支那の日本人捕虜に対しての洗脳の実態
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成20年9月1日月曜日晴れのち一時小雨 ○
<外国を侵略して千万単位の人々を直接・間接に殺し、その結果として原爆や大空襲で自国民の多数をも犠牲にした巨大な戦争犯罪。その責任者らを自らの手で裁かぬまま今なお権力の座におく無責任民族・破廉恥民族は世界に日本人だけである。旧日本陸軍将校・鵜野晋太郎氏は、そのようなかなしい日本にも良心的個人は存在することの証左を示した勇気ある真の「愛国者」といえよう。>
これは本田勝一氏による本の帯に書かれた推薦文です。その本とは「菊と刀」(鵜野晋太郎著 谷沢書房一九八五年刊)ですが、本多氏が「真の愛国者」と絶賛する著者の鵜野氏は一九二〇年支那天津生まれ、一九四二年久留米第一陸軍士官学校卒業し、撫順戦犯監獄より一九五八年八月一九日出獄した人です。
つまり、「延安レポート」にも書かれている典型的な支那共産党による対日プロパガンダや日本捕虜に対する"洗脳的教化”を受けたひとりです。
リポートに書かれているように、優しく接し、教育し、一般の日本兵や日本人が戦争を遂行する指導部を憎悪し、「否定的な厭戦気分から積極的な反戦意識」を持つように教化した。後に支那側の九八人の日本兵捕虜に対し米側が行った「意識調査」では戦争や天皇制を否定する声が九割を超したほどである。
この鵜野氏の著書にもその様子が書かれています。
<頬を熱いものが滂沱と流れ落ちた。K科長の温顔が涙でかすみ、ガッチリした手が私の手を握りしめて何度も強く握って下さった。その上、凶悪戦犯の私のために送別パーティを開いて下さった・・・・。一〇余年ぶりのウマ酒が奔流となって全身を駆け巡る・・・・。指導員、班長(下士官の看守)、軍医、看護婦、炊事長、理髪員の方々が入れ替わり立ち代わり、惜別と励ましの握手、握手、そして握手である。感激で頬がこわばり、涙が次から次へと溢れて来る。お礼をいいたくてもつまって声にならない・・・・。ただ心の中で叫ぶ・・・・。「済みませんでした・・・・。皆様の・・・・中国人民の・・・・毛主席の大恩は絶対に忘れません・・・・。これが戦犯に対する中国人民の心情なのか・・・・オレは一体何なのだ・・・・・オレは生きてる限り何をすべきか・・・中国人民は、被害者の方々はオレを憎まないのか・・・・。どうしてこんなに温かく遇するのか・・・」
略)
長い獄中であげ膳、すえ膳の面倒をかけ、たたかれたことも、怒鳴られたこともなく、いつも笑っているような眼、カラリと明るい雰囲気のどこにも、いわゆる鬼のような看守といった影はなく、控えめに辛抱づよく、私が反抗し悪口をいっても、「戦犯を立ち直らさねば・・・」という思いをこめて、私のような鬼を温かく包み込んでくださったことを、ただ慚愧の念で想起するのである。>P二〜三
すばらしいお言葉ですが、では、そのような大きな心をお持ちのはずの支那人が、戦後六〇年以上たった現在、支那の指導者が「日本には永遠に歴史問題を持ち出せ」「一〇〇年でも二〇〇年でも謝り続けさせろ」と言っているのはどうしてでしょう。
そして、「日本人には何をしてもいい」と言っている支那人が多いのはどうしてでしょう。
このような支那人にだまされ、その手先になって我が国で活動している戯けた売国奴も多いのです。
アホな売国奴を知るネタにしかならない、こんなカスが書いた腐った本が定価三三〇〇円もするのです。古本屋さんでなければとてもアホらしくて買えません。