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朝鮮人の小中華思想による蔑視

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成18年1月28日土曜日晴れ ○ 二月八日URAに掲載
 我国にきた朝鮮通信使たちは我国の遊女、遊廓などの性風俗を「真の禽獣なり」と蔑んでいます。
 そんな通信使一行も朝鮮内では各地で地方管吏から妓生の接待を受けています。
それは妓生の相手が多くは特権階級であった両班であったのに対して、我国の場合は身分に関係なく、武士、庶民が遊廓に自由に出いるしていた事によるものと思われます。そして何よりも、当時の朝鮮では支那と朝鮮の両班以外は我国を含め格段に低い位置に置いていたためです。
 それは「日韓歴史克服への道」(下条正男著 展転社刊)に書かれている下記の事例でも明らかです。
 以下引用
 『粛宗実録』の粛宗十六年(一六九〇年)七月、倭館の日本人と密通した朝鮮人女性について府使朴紳というものが、律により処断するように中央政府に覆奏した結果、日本人は対馬に送還され、三ヶ月後に手引きした朝鮮人と密通した朝鮮人女性が極刑に処され、倭館の門外に梟首されるという事件が起きた。
その二年前の粛宗十四年三月には、府妓と胡(女真族)の商人たちが関係する事件がしばしば起き、その時には監督不行届きという理由で、府使の李晩輝が処罰されていた。
 ところが不思議なことに、同じ三月、明人の康世爵という男が朝鮮北部に流落し、慶源府の府妓との間に多くの子女を儲けていたが、地方官吏の嘆願で罪を許されています。
 この三つの事件は、朝鮮の女性が外国の男たちと性的な関係を持った点で共通していますが、相手が倭人と言われていた日本人、胡人(女真族)の場合は本人か関係者が処罰の対象とされ、小中華を自認していた朝鮮は明人(支那人)だけは例外とされていたのです。それが性的なものにまで影響していたことを表しています。

 現在、我国において在日朝鮮人の人々のうち済州島出身者が何故多いか。それは朝鮮国内の醜い差別によるものです。
我国と併合した結果、醜い差別より逃れるために我国に多くの済州島住人が移ってきました。

しかし、我国の遊廓には身分としての奴隷はいませんでした。
 
 李氏朝鮮時代はもちろん日本統治時代にも、平壌などでは朝鮮人が管理していた「妓生養成所」が置かれていた。
「慰安婦」は新聞などでも朝鮮人によって募集されたが、だまされて慰安婦になったものもいたが、ほとんどが「妓生」から慰安婦となったものも多いのである。つまり、職業として「妓生」から「慰安婦」に移行し、売春を生業としていたのです。

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