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北朝鮮はバカどもにかってどのように語られたか
寺尾五郎
寺尾五郎【日朝協会理事】 『三八度線の北』(1959年)
五ヵ年計画が完了した暁には、北朝鮮の一人当たり生産額は、鉄鋼を除くすべての分野で日本の1957年水準を追い抜き、
「日本が東洋一の工業国を自負していられるのは、せいぜい今年か来年のうちだけである」「ソ連はアメリカを追い越し、
中国は英国を追い越し、朝鮮はその北半部だけで目本を追い越すとしたら、世界はどう変わるであろうか」、
「千里の駒が走りだし」「万馬が一斉に奔走しはじめた」というわけである。
「解放後、北半部は穀倉地帯に変わった」
「労働は趣味になり、たのしみになる」
「たまに休むと苦しくて息がつまりそうです(労働者の発言を紹介して)」
「もしこの夜となく昼となき労働に次ぐ労働が、なんらかの強制や圧力
によるものであるとすれば、これは1ヵ月と続くまい」
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(大躍進時の土法高炉について)
この全人民をつかまえつつある気負いたった気迫、溶鉱炉が無ければ土釜を満天の星の数ほど
連ねて鉄鋼を作ろうという、不可能を可能にしようという思想の力を考えないで、 今の中国の大躍進を考える事は出来ません。
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この全人民的な白熱した努力は、土釜でも洋式と同じ技術水準、品質に必ずすぐなりますと
確信を聞かされる。
『中央公論』1959・3
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『朝鮮 その北と南』新日本出版社 1961
朝鮮に耐久消費財がないか、あるいは少ないということは事実であるが、それは訪朝した日本人や、帰国した在日朝鮮人が大声をあげて言うほど、たいした問題ではないのである。問題は、むしろつまらんことに大声をあげていることの方にある。
うまらんことに大声をあげるような人間を作り出した環境にある。そして、その環境を正常だと信じて疑わないまでになっている人間の心理、思想こそが問題なのである」
「早めに帰国した人々が、朝鮮から日本によこした手紙に、あれこれと消費物資に関する不足を訴え、日本からの送付を依頼してくるようになってから、この問題は以前にも増して輪をかけた問題となってきた。」
『去年、また二度目の訪朝をした。咸興や平壌で二、三の朝鮮人が、「わたしが住みなれた日本をさって、祖国に帰る決意をしたのはあなたの本を読んでからだ」というようなことを話してくれた。著者としてありがたい以上の気持ちで、ああよかったのだなとこっちが涙ぐんだ』
ところが、同じ場面が
「われわれ一行が清津にむかう車中のことであった。
一行のメンバーである寺尾五郎氏が、三人ばかりの青年につかまり、激しい口調で抗議されているのを
目撃した。青年達の言い分を要約すると
>「僕達は貴方の著書を読み、信用してこの国にやってきたのだ。
>北朝鮮の事情は、あなたが書いたのと全然反対ではないか。だまされて一生を某に振った僕達を
>どうしてくれる・・・」というものであった。
>関貴星『楽園の夢破れて』1962全貌社
これって単なる寺尾五郎のバカさかげんだけじゃあないですか。
朝日の寺尾五郎の死亡記事では「安藤 昌益研究家」としか紹介されていなかったそうです。