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台湾と朝鮮

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年1月30日火曜日晴れ △
 先日、産経新聞に掲載されていた「台湾有情」というコラムに現在も残る台湾総督府の見学について「総統府に日本人の軌跡 」として下記のような記述がありました。
以下引用
 出迎えてくれた案内役のボランティアは 親日的ないわゆる「日本語世代」で、開口一番、こう言った。
 「日本は台湾を植民地にしていない。疫病を一掃し、高いレベルの教育環境を整えたのです。イギリスやフランス
の植民地とは違います」
 内部に入って、まず目に飛び込んできたのは、歴代総統を紹介する大型パネル。日本の総督19人の顔写真も総統と同じ扱いで掲げられていた。解説に耳を傾ければ、社会基盤整備など日本の政策が台湾の発展を促した功績として熱く語られる。
 歴史認識では日本に厳しい中国通の知人は押し黙った末に、別れ際にようやく口を開いた。「戦後、われわれが自ら封印した日本人の軌跡が台湾では今なお生きていた。しかも権力の中枢である総統府に…。北京ではおよそ考えられない」。
 総統府の一般開放は週日の午前九時〜正午。日本人は旅券が必要です。(長谷川周人)
引用終わり
平成一九年一月二六日産経新聞

 かたや、南朝鮮では朝鮮総督府は一九九五年より撤去工事を始めて一九九七年(平成九年)にはすべて撤去されてしまいました。
 国立台湾大学の前身は一九二八年に作った台北帝国大学であることは台湾大学の歴史として掲載されています。
 ソウル大学(ソウル大学校というのだそうです)は(ソウル大学校の公式見解)によると一九四六年に京城帝大と九つの専門学校などが元に統合されて設立されたもので、京城帝国大学が前身ではないとされています。
 蔵書などはいったいどうしたのでしょう????
 京城帝大以外の九つの専門学校は何処が作ったのでしょう。
 日本がイヤでイヤでしかたない国なのでしょうが、そんなにイヤな国から渡った唐辛子。その唐辛子を持ち込んだのは朝鮮人にとって恨み骨髄に徹すあの豊臣秀吉が派遣した朝鮮征伐軍。
 朝鮮人の皆様、キムチに憎い日帝残滓である唐辛子使うと「親日派認定」されますよ。
 あほらし。

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