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スハルトと土屋競大尉

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


1月28日月曜日くもり ○
 今日、インドネシアのスハルト元大統領の国葬が今日行われたそうです。スハルト氏は、インドネシア国軍の母体となったPETA(ペタ 日本軍によるインドネシア義勇軍下士官養成学校)第四中隊の生徒として教育を受けたが、その時の教官で中隊長を勤めていた第十六軍司令部の土屋競元中尉(のちに大尉)を、大統領として来日という多忙な公務の中、ぜひにと探し出してもらい、対面し、傍らの夫人に土屋氏を紹介しながら世話になった礼を言い「教官どの、大統領になりました」と。土屋氏は、土屋氏とスハルト氏との関係を知った商社などからの誘いをすべて断わったそうです。
 平成七年五月二九日に戦後五〇年を記念して、「追悼・感謝・友好 アジア共生の祭典」 が東京で開かれたが、この時、当時、インドネシア大統領であったスハルト氏は特使として、サイデマン・スリヨハデイブロジョ外務省上級大使を派遣した。その時、サイデマン外務省上級大使は下記のような挨拶をおこないました。
<これらの植民地となっていた人々の中でも、特に若い人々が大きな犠牲を払い、また独立のために命を捧げました。そして、第二次世界大戦中、あるいはその直後に植民地に住んでいた人々だけではなく、外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
 私の国インドネシアをとりますと、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の若者たちがそのために命を犠牲にしてくれました。そこで、今日の式典におきまして私たちの独立のために命を捧げてくれたこれらの若者たちを偲びたいと思います。>
日本会議ホームページより

 そして、同じ日本会議のページで、サイデマン外務省上級大使は、下記のようにインタビューに答えています。
<かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。
 日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。独立を勝ち取った後の我々は植民地にさせられていたことの反省として、科学技術と人材の養成を克服すべき課題として掲げています。その際、学ぶべき日本とは欧米化する日本じゃない。欧米に負けないように科学技術文明を高めつつも、固有の文化を失わなかった日本にこそ我々は学びたいのです。
 各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しょうとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。(平成七年五月三十日)>

 この同じ平成七年という年にあの腐れ売国奴の村山富市、土井たか子などにより「戦後五〇年謝罪国会決議」、そして、あの「村山談話」を発表しました。この売国奴としか呼べないこの気狂いどもの行動については、西村眞悟議員のメルマガに詳しく書かれております。その
引用

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