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創価信者は誰のために
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成20年7月22日火曜日晴れ ×
<女子の初戦の開始直前、会場内の創大チームのベンチ前では円陣が組まれた。「創立者の励ましに応えるため、絶対に勝とう!」「オーッ!」呼びかけたのは、輪の中心にいた主将の遠藤あかねさん(四年)。他の選手も力強く応えた。
略)
出場したメンバーも、控えのメンバーも、全員が「創立者のために勝つ!」と、心を一つにして掴んだ栄光だった。>
創価大学の女子柔道部が全国大会で「三人制」の部で団体優勝を飾ったときの聖教新聞平成二〇年六月三〇日の第一面の文面です。
運動をやって大会に出るときは、普通、その属している大学、高校などの名誉、属している部の名誉とかいろいろ考えるでしょうが、創立者のためにという思いは中々無いのではないでしょうか。
池田大作ダイセンセイのお言葉として、同じ日の聖教新聞に下記のようなお言葉が掲載されています。
戸田氏のことを引用し、
<「私は(牧口)先生を、親子として、弟子として、一生涯、自分の生きているあいだは大事にしていく決心であります。」
この美しい絆があったからこそ、学会は強かった。
戸田先生を迫害する者を、私は絶対に許さなかった。>
ダンテがその師ウェルギリウスに語った言葉を引用し、
<「私がいかほど先生に恩を感じているか、私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」と。
子弟一体であってこそ、偉大な歴史を創ることができるのである。>
そして、別の日には下記のような事も言っているそうです。
<私は全世界に妙法という平和の大哲理を弘める(ママ)ことで、戸田先生の仇を討ったのだと力説した。そして、若き皆さんは学会の根本である、この三代の子弟の精神を受け継ぎ、立ち上がってもらいたいと念願した>
聖教新聞平成二〇年七月一七日二面 幹部会でのスピーチとして
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るためにたった。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」
(九六年一一月三日『創価同窓の集い』にて)
つまり、池田氏は戸田氏とかダンテを引き合いに出し、バカ信者に自分(池田氏)を大事にしろ、守れといっているわけです。
そんな池田氏にとっては、これほど大事な師のはずの創価学会二代目会長戸田聖城氏が昭和三三年四月二日亡くなり、四月八日にて青山葬儀場で行われた告別式では、参謀室長として陣頭指揮し、取り仕切り、その葬儀の直後に、戸田氏の東京目黒の自宅を訪ねて、家捜しするように二代目会長の遺産を洗いざらい調べあげて、本部に持ち帰っています。
それについて、以前に書きましたが、内藤国夫氏は下記のように書いているそうです。
<当時、青年部参謀室長の職にあった池田大作氏は、会長の死の直後に時を移さず、目黒の戸田先生の家にのりこんだ。幾子未亡人をさしおいて戸田先生の遺品類や、古美術品、学会関連事業の重要書類など、四億円相当の遺産を強制的に差し押さえ、学会本部に持ち去った。あまりにむごい仕打ち、と嘆き悲しむ遺族の懇望で、後に四千万円相当の胃算が返却されたものの、大半は創価学会の所有に帰した。
あこぎさはそれにとどまらなかった。戸田先生の葬儀に寄せられた四千万円余りの香典さえ、遺族には渡されず、創価学会が独り占め。幾子未亡人らの再々の抗議で、四九日法要をすませたのち、ほんの一部が返されたのみ、という。
そういうあくどいことを一方でしながら、他方で、歯の浮くように「恩師」をあがめたてまつる。池田大作氏の人となりを示すエピソードといえよう>(「現代」五五年七月号)
私は「池田大作の素顔」藤原行正著 講談社一九八九年刊 p六五〜六六より引用。
藤原氏は同じ著書で、池田大作氏が、自身の不始末のための責任逃れのため、名誉会長という名目上の名誉職になった後の四代目会長北条浩氏の葬儀の時にも、池田氏は同じ醜い行動をとったことが書かれています。
<その通夜と本葬で集まった一億五千万円の香典、東京の戸田記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約二〇億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫に入れた。
それだけではない、一家の柱を失った遺族は長年住み慣れた聖教新聞社前の和風二階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ。その後、旧北条宅は一億円をかけて改築され、池田名誉会長の専用施設になっている。>同書p六六〜六七
<そういうあくどいことを一方でしながら、他方で、歯の浮くように「恩師」をあがめたてまつる。池田大作氏の人となりを示すエピソードといえよう>この内藤氏の言葉が、普通の人が池田氏をみたときに感じる日本人とはとうてい思えない厚かましさ、醜さをよく現しています。
創価学会にとって、師とは池田氏までの三代の会長であり、その後の代の会長などはカスなのです。池田氏より目立とうとすれば、潰されます。
さすがは高利貸しの取り立てで才能を開花させたお人だけのことはあります。ちなみに、写真は高利貸し時代の池田氏の融資、いや勇姿でございます。
流石に、アホ創価信者どもが「偉大な指導者」とあがめ奉るだけのことはあります。