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志位和夫

平成18年9月10日日曜日晴れ○
 ニュースであの共産党の志井委員長が南朝鮮にいったというニュースがありました。
以下引用
2006年09月05日20時05分
朝日新聞
 共産党の志位委員長は5日、同党党首として初めて韓国を訪れ、ソウル市内で日本が植民地時代に政治犯を収容した西大門刑務所跡の歴史館を視察し、追悼碑に献花した。
 韓国メディアの関心は高く、約30人の報道陣が囲んだ。「この機会に韓国政界全体と交流の道を開きたい」と抱負を語った志位氏は、日本の首相の靖国神社参拝について一貫して反対している立場を説明。「結党以来、朝鮮の独立運動を支持し打倒日本帝国主義を唱えてきた」と強調した。
 一方、竹島の領有権問題では「日本の主張には歴史的根拠がある」との見解を示しつつ、日本編入が日韓併合の直前だったことから、韓国側の主張を検討するための共同研究が必要だとした。
引用終わり

 まあ、これだけでもこの志位というおとこのアホさがよく判りますが、下記の記事でよけい際立ちます。

以下引用
2006年9月6日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-06/2006090602_03_0.html
志位氏
西大門刑務所歴史館館長と交流
戦前の「赤旗」を手渡す
(写真)西大門刑務所歴史館の朴慶穆館長に、戦前の「赤旗」のコピーを見せ、懇談する志位和夫委員長=5日、ソウル市
 【ソウル=中村圭吾】日本共産党の志位和夫委員長は五日、ソウル市内の西大門刑務所歴史館を見学後、朴慶穆(パク・ギョンモク)館長と交流しました。
 志位氏は、朴館長に感謝を述べるとともに、日本と韓国の連帯の歴史を示す「歴史的な史料」として日本共産党が戦前に発行した機関紙「赤旗(せっき)」(一九三一年三月一日付、三二年三月二日付)のコピーを手渡しました。
 志位氏が手渡した当時の「赤旗」は、ガリ版刷りのもので、三・一独立運動記念日にあたり、朝鮮の独立運動への連帯を訴える論文がびっしりと掲載されています。
 志位氏は、「朝鮮・台湾・中国の植民地および半植民地民族の完全なる解放」と書かれた記事の内容を紹介。「三一年、三二年というのは、戦前、日本共産党がもっとも影響力を持っていた時期です。日本にも朝鮮独立のたたかいに連帯する勢力があったことを知っていただければと思ってお持ちしました」と語りました。
 朴館長は、戦前の「赤旗」をじっくり見ながら、「日本と中国、台湾、韓国が力を合わせて日帝を打倒しようという内容ですね。大事に保管いたします」と答えました。
 志位氏が、「日本共産党は、これまでさまざまな事情で韓国との交流ができませんでしたが、こういう歴史をもつ政党として、両国の友好の絆(きずな)を強める役割をはたしたい」と述べると、朴館長は、「韓国にも分断とイデオロギー対立という問題があったが、これからは日本共産党ともお互いに交流したい」と応じ、二人はがっちりと握手を交わしました。


2006年9月6日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-06/2006090602_04_0.html
西大門刑務所歴史館で志位委員長語る

韓国マスコミとの一問一答
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 志位委員長は五日午後、ソウル市内の西大門刑務所歴史館を見学後、韓国マスコミのインタビューに応じました。その一問一答はつぎの通りです。
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 ――歴史館をご覧になった感想はいかがですか。
 志位委員長 日本帝国主義による苛烈(かれつ)な植民地支配の暴虐非道な実態を痛感しました。同時に、それに勇気をもって立ち向かった朝鮮の愛国者たち、そのたたかいの力強さということを感じました。
朝鮮の“歴史的同志”への敬意と追悼の気持ちで

 ――訪韓したら、ここに来ようと思った理由は何ですか。

 志位 私にとって今回が初めての訪韓ですが、この場所にまず足を運ぼうと考えた理由は二つあります。
 一つは、日本帝国主義の植民地支配の野蛮な弾圧、拷問、処刑、それに抗してたたかい抜いた朝鮮の愛国者に心からの敬意と追悼の気持ちを表すためです。
 私たち日本共産党は、一九二二年に党を創立しましたが、党をつくった当初から朝鮮の愛国者とともに植民地支配に反対をつらぬき、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった歴史をもっていることを誇りにしています。そういう党を代表して、私は、この場で、私たちのいわば“歴史的同志”に対して敬意と追悼の気持ちをのべたいと思います。

21世紀の日韓両国民のほんとうの友好を願って

 志位 同時に、二十一世紀の日韓両国民の本当の友好を願って、この場にきました。日本にとっては、これは恥ずべき過去ですが、誤った過去に正面から向かい合ってこそ、アジアに本当の友人を得ることができると私は信じております。日本国民がこの歴史を直視して、これに正面から向かい合って、アジアの人たちとほんとうに心が通じ合う友人になっていく、そのことを願ってきました。

 私は、さきほど館長さんから、毎年、西大門刑務所歴史館に多くの日本人が訪れていると聞きましたけれども、ソウル、韓国を訪問する日本人は、だれでもこの歴史館を訪れることが必要だと訴えたいと思います。

 ここには、日本国民と韓国国民が共通の認識にすべき歴史の重い事実があります。それをしっかり共有してこそ、二十一世紀に、この地域の平和と安定は築けると、そう思ってまいりました。

日本の首相の靖国参拝問題について

 ――過去を直視したうえでの未来志向というお考えを述べられたと思いますが、日本の外交が中国、韓国を軽視してアメリカ一辺倒ではないかという憂慮があります。また、小泉首相が八月十五日に靖国神社を参拝されましたが、つぎの首相になる確率が高いといわれる方も、参拝しないとはおっしゃっていません。これに対する日本共産党の立場をお話しください。

 志位 私たちは日本の首相が靖国神社に参拝するというのはどういう意味をもっているのかということを追及してきました。靖国神社というのは、戦没者を追悼する施設ではありません。天皇のために「名誉の戦死」を遂げたと「認定」された人を顕彰する施設です。すなわち、「日本の戦争は正しかった」「植民地支配は正しかった」――こういう間違った歴史観にたった存在です。それは遊就館にもはっきり現れています。この軍事博物館の展示物を見ますと、日清・日露の戦争、中国侵略戦争、太平洋戦争、そのすべてが、「アジア解放の正義の戦争だ」と描かれています。ですから私たちは、ここに参拝するということは日本政府の公式の言明にも反して、侵略戦争や植民地支配を肯定する神社の立場に政府としての公的な認知をあたえることになるとして、強く反対してきました。
 つぎの日本の首相に、だれがなるにせよ、そしてその個人としての歴史観がどういうものであるにせよ、この歴史に逆行する行為をきっぱりやめるべきです。このことを、私たちは強く要求しています。

韓国の政界の全体と交流の道を開きたい

 ――韓国の政治指導者と会ってどういうお話をなさりたいとお考えでしょうか。

 志位 今回は、アジア政党国際会議に参加するために訪韓することになったわけですが、この機会に、韓国の国会に議席をもつ五つの政党のリーダーを訪問し、韓国の政界の全体と交流の道を開きたいと思っています。そこでは歴史の問題や北東アジアの平和の体制の問題などについても、いろいろな意見が交わせたらと願っています。

歴史問題、竹島(独島)問題について

 ――独島問題、教科書問題など、歴史問題について、ご意見をお聞かせください。

 志位 いわゆる歴史問題として、韓国で問題となっているのは、靖国問題、教科書問題、「従軍慰安婦」問題、そして独島とみなさんが呼んで、私たちは竹島と呼んでいる島をめぐる問題、四つの問題が焦点となっています。

 靖国問題については、私たちの立場はさきに述べた通りです。歴史をわい曲する教科書の問題については、私たちは、(日本政府は)検定合格のはんこを押すべきではないということを強く主張しています。「従軍慰安婦」の問題については、日本の責任を認めた一九九三年の官房長官の談話があります。にもかかわらず、日本政府は国としてのきちんとした措置をとっていません。私たちは、国としての責任ある措置が必要だと主張しています。

 そして、最後の問題だけは、違った事情があります。私たちは、この問題について、一九七七年に見解を発表しておりまして、この竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があると、そのなかでのべました。同時に私たちは、この島の(日本への)編入がおこなわれたのが一九〇五年(二月)であった、この一九〇五年というのは、日本が韓国を武力でもって植民地化していく過程です。すでに韓国の外交権は奪われていました(一九〇四年八月、第一次「日韓協約」)。ですから、私たちは、そのことも考慮して、韓国の主張もしっかり検討する必要があると考えています。
 私たちは、この問題は解決までは一定の長い時間がかかると思いますけれども、これは日韓両国の間で係争問題になっている問題ですから、解決に向かって一歩一歩でも進むことが必要です。これはみんなが願っていると思います。ですから、私たちは、日本と韓国が、双方の持っている歴史的事実をつき合わせて、まずこの島をめぐる歴史的認識を共有するという共同作業が必要ではないか、共同研究が必要ではないかと考えています。
引用終わり

 日本共産党の売国奴ぶりとこの志位という男の頭の程度がよくわかる記事です。
では、この志位というバカ人間の言っている事は本当なのでしょうか。
<志位氏が手渡した当時の「赤旗」は、ガリ版刷りのもので、三・一独立運動記念日にあたり、朝鮮の独立運動への連帯を訴える論文がびっしりと掲載されています。
 志位氏は、「朝鮮・台湾・中国の植民地および半植民地民族の完全なる解放」と書かれた記事の内容を紹介。「三一年、三二年というのは、戦前、日本共産党がもっとも影響力を持っていた時期です。日本にも朝鮮独立のたたかいに連帯する勢力があったことを知っていただければと思ってお持ちしました」と語りました。>
 これについては中村勝範平成国際大学学長が下記のような文を書いておられます。
以下、引用
 昭和三年二月二〇日には最初の普通選挙が実施されたが、略)三月一五日には全国で一六〇〇余名の共産主義運動に関係ありとされた者が一斉に検挙された。四月一五日には労働農民党、日本労働組合評議会、全日本無産青年同盟に解散が命ぜられた。
 当時、共産党の結党は禁止されていたので、この党の合法的組織は表面的には現れていなかった。
略)
 翌昭和四(一九二九)年四月一六日には三・一五事件で逮捕をまぬがれた残党がほとんど逮捕され、これにより日本共産党はほぼ壊滅した。日本共産党は戦後、自党をもって戦時中、反戦平和を唱えた唯一の党だというが、法螺も程度を超えている。三・一五事件及び四・一六事件で地下に潜んでいた組織は壊滅し、逮捕された共産党員はわれ先にと転向の大レースを展開し、スピードがついた転向者は忠君愛国から、戦争協力の競争までした。非転向の元共産党員一〇人そこそこが敗戦に至まで獄中にあった。共産党による反戦平和運動を日本人はだれも見ていない。
 共産党、共産主義的労働組合の運動は合法的に、そしてまた正当に取り締られ、「運動」はまったくなかった。しかし大学人の研究室や学生の寮・下宿や作家の書斎、芸術家のアトリエではマルクス主義の研究そして小説、絵画、彫刻の創作が絶えなかった。ひもじさの経験もなく、額に汗を流して働いたことのない、結構人の色白きインテリは、未来は労働者のものであり、プチブルはブルジョアと共にキイキイ喚いて打倒されるというマルキシズムの託宣に脅えて、絞め殺されないためにブルーカラー(労働者階級)にものわかりのいい顔をしようと懸命になるのである。これは戦前も戦後もかわらない。>(正論」平成十五年一一月号p二六三〜二六四

 <―歴史館をご覧になった感想はいかがですか。
 志位委員長 日本帝国主義による苛烈(かれつ)な植民地支配の暴虐非道な実態を痛感しました。同時に、それに勇気をもって立ち向かった朝鮮の愛国者たち、そのたたかいの力強さということを感じました。
朝鮮の“歴史的同志”への敬意と追悼の気持ちで>
これもバカとしか言い様がありません。我国にやられてばかりだった共産支那が作った歴史館というものと同じで、独立のための戦争で民族の血を流す事も無しに、タナボタ式に独立させてもらっただけの国と民族の歴史館などというものはプロバガンダの塊でしかありません。我国の植民地経営が(朝鮮においては併合ですが)どこの国の植民地経営と比べて、暴虐非道であったのか。具体的に教えてもらいたいものです。
ましてや、
<――訪韓したら、ここに来ようと思った理由は何ですか。
 志位 私にとって今回が初めての訪韓ですが、この場所にまず足を運ぼうと考えた理由は二つあります。
 一つは、日本帝国主義の植民地支配の野蛮な弾圧、拷問、処刑、それに抗してたたかい抜いた朝鮮の愛国者に心からの敬意と追悼の気持ちを表すためです。>

「野蛮な弾圧、拷問、処刑」は朝鮮の伝統です。これは、朝鮮を訪れた多くの外国人も記録として残しています。人治国家であった朝鮮の伝統のこれらは、我国の統治により法により治められるようになったのです。
 朝鮮には独立運動らしい独立運動などありませんでした。朝鮮半島全土に何員の警察官、軍隊が配置されていたかを調べればわかることです。

 「歴史をわい曲する教科書の問題」この言葉はそのまま朝鮮に返してほしいものです。支那と同じく朝鮮の教科書の醜い歴史改竄は目に余るものがあります。ましてや「従軍慰安婦」問題等というものは存在しません。あるのは朝鮮人戦時売春婦による恥ずかしい嘘だけです。


裏表紙