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我が国から消えたもの
日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
戦後、我が国から消えたもの
平成22年9月28日火曜日雨のちくもり ×
昭和五十二年(一九七七年)の今日、九月二十八日、フランスのシャルルドゴール空港を発った東京国際空港(羽田)行きの日航四七二便は、中継地のインドのムンバイ空港を発った直後に日本赤軍によりハイジャックされ、バングラデシュのダッカ空港に強制着陸させられた。
この時、ハイジャック犯の日本赤軍は我が国政府に対し、刑務所に拘禁されている日本赤軍の奥平純三ら九人の釈放と、人質となっている乗客の身代金として使い古しの一〇〇ドル札紙幣で六〇〇万ドル(当時のレートで一六億二〇〇〇万円)を要求し、当時の福田首相は「人の命は地球より重い」という名言とともに犯人側の要求を全面的に受け入れた。
同年十月にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバー四人により乗っ取られて起きたルフトハンザ航空一八一便ハイジャック事件は、ソマリアのモガディシュにおいて機内にGSG-九(ドイツ国境警備隊(当時)の対テロ特殊部隊)が突入し解決した。
このハイジャック事件後、西ドイツ政府は今後テロリストとの取引を行わないことを発表している。
このハイジャック事件の前の九月に、同国の実業家ハンス=マルティン・シュライヤーがドイツ赤軍に誘拐され、仲間の釈放を求められたがドイツ政府は強硬な姿勢をとり全く要求に応じなかった。
その結果、ルフトハンザ航空一八一便ハイジャック事件後にシュライヤー氏が遺体で発見された。
これについて、「『弱者』を甘やかす事が民主主義か」と著書に書かれていた石堂淑朗氏が、同じ著書「日本人の敵は日本人だ」に「不運を認めない平等思想」と題して日航機ハイジャック事件について書いている。
<私が今こうして生きているのも、大きな運があったからにはほかならない。私が住んでいたのは広島県の尾道だが、実は八月十七日に焼かれる予定だった。
略)
この予告とおり、八月十七日に尾道がやられていたら、私の一家は確実に死んでいたと思う。親父と私は床下に一生懸命防空壕を掘っていたのだが、空襲が爆弾によるものならまだしも、焼夷弾攻撃では防空壕の上が火の海になるわけで、壕の中の人間は蒸し焼きになるしかない。親父と私は、蒸し焼きにされるべく穴を掘っていたよなものだった。八月十五日に戦争が終わらず、あと二日延びて尾道が焼夷弾攻撃に遭っていたら、私は間違いなく十二歳で死に、この世にいなかった。尾道の私には運があり、福山の人は不運だった。広島の幼年学校に行っていた私と同い年の人は不運だった。八月六日にはほぼ全員が死んでしまったのだから。
どうしようもなく運不運はある。その運不運を認めない。ことに不運をなくそうなどというのは、とんでもない平等観念である。
略)
人はみな死ぬ、という意味では死神は平等主義だが、生活の中の死は総て不平等である。
地下鉄サリン事件で死んだ娘さんと、一〇〇歳を超えて台湾に旅行出来るきんさん・ぎんさんを並べてみるがよい。死は実に不平等である。しかし、これが人生の実態である。
いつ不運が自分に襲いかかるか誰にもわからないのが人生であるが、戦後の風潮は、その不運を見抜く能力すら日本人から奪ってしまった。
一九七七年の日本赤軍による日航機ハイジャック事件はその象徴である。日航機はダッカに強制着陸。日本政府に赤軍派を含む刑事事件の既決者の釈放と身代金を要求したのである。あの事件で国内的にはすでに瀰漫していた我々の過度の平等主義、拝金思想が一挙に世界に知れ渡ってしまった。
時の総理・福田赳夫は「人の命は地球より重い」と言った。京都大学名誉教授・会田雄次先生が最近お書きになったことだが、そう言った人間は自殺しなければいけない。「人の命は地球より重い」という言葉は、「人の命は鴻毛より軽い」ことを実行してこそ生きてくる。あんな言葉を平気で言った人間は、それも国の最高責任者が政治家であり続け、何をどう勘違いしたか水戸黄門様を気取って「日本は福田を必要としている」と言ってもう一度総理の座を狙いさえした。
福田はタカ派で通っていたけれども、日本の政治家は、護憲派も改憲派も気持ちの深い所では、アメリカ型の民主・平等思想にずいぶん浸食されている。それが戦後の姿だ。
タカ派というのは、みんな口の中に青酸カリを詰めてこそタカ派であろう。
「葉隠」に言う「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という精神が、我々日本人から戦後きれいさっぱり消えてしまった。
それがために、日本人は外国から馬鹿にされているのだ。ダッカ事件で、あれだけ大金を出して誰も責任を取らなかったということが、「日本人はなんでも金で片付ける」という風評を世界中にばら撒いてしまったのである。
戦後に発生したハイジャック事件では、他の国はすべて特殊部隊を突入させているが、日本だけが金で解決した。泥棒に追い銭とは、あの時の事を言うのだ。そんな日本が、その後ODA(政府開発援助)や一九九〇年の湾岸戦争でいくら金を拠出しても、世界から尊敬されるわけがない。
私は戦後五十年を契機として、民主主義や平等思想などに代表される口当たりの良い「正義」によって蚕食された、国家の尊厳、国民としての誇りといったものをもう一度洗い直し、その復権を図るべきだと思うのである。>
「日本人の敵は『日本人』だ」(石堂淑朗 講談社 平成七年刊)p四十〜四十二
拉致問題に真剣に取り組んでおられる西村眞悟氏は御自身の著書に下記のように書いています。
<久米裕拉致の十日後の五十二年九月二十九日、福田内閣は「人の命は地球より重い」とのコメントを発して、ダッカ日航機ハイジャック犯の要求に屈し、服役・拘留中の赤軍派ら九名の過激派の釈放と身代金六〇〇万ドルの支払いを受諾した。人の命は地球より重いとした内閣が、同時期に北朝鮮による自国民十名の拉致を放置していたのである。
日本政府の対処は矛盾しているように見える。が、そうではない。テロリストには屈服して戦わないという点で一貫しているのだ。
ただ、ダッカ事件は国民が知っていたが、拉致は知らなかった。そして国内には孤独な被害者家族が残されていた。>
「闘いはまだ続いている」(西村眞悟 展転社 平成十五年刊)p三
この二冊の本に書かれているこれらの事は、豊かさだけを追い求め、自分の国を、そして国民を自分で護ろうとしない歪んだ考え方。
独立国家とはなにか。その為にはなにをすべきか。
日本国民としての誇りを持つ為には何をすべきか。
今、我が国のすべての国民に問われていることであり、行動すべきことだと思います。
自分の国は自分で守る。血を流す事をしない国は滅びる。
今の尖閣諸島の問題も起点はここにあると思います。
そして、人は生きているだけである意味運がいいと私も思う。
死ぬときは死ぬ。それは人の運不運。それを他人のせいばかりにして口汚く罵る輩もいるがそんな連中の側に落ちたくないものです。
写真は今日の築地本願寺の蓮。
もう一枚は今日の日刊ゲンダイ。
Sくん来店。
Wさん御夫妻来店。
MAYUMIさん、AYAさん来店。
MAYUMIさんは前の「酒いわしや」に新入社員のころからいらしてくださっている。
Oさん来店。
今日は早い時間からドンチャン。
記憶無し。
サル。
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