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ピースボートのカンボジアでの言動

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


ピースボートな頭 尾形憲、辻元清美

その2

平成21年4月21日火曜日 くもり後雨 ×

  尾形憲氏の著書「わが『平和への船旅』(ピースボート)」(第三書館 平成九年刊)

<あれから五十年、再び学徒出陣(92〜93)>と題してこうある。

 以下引用

<翌三十日はタケオへ。自衛隊の作業現場と宿舎である。

土砂、砂利の採掘場とそれを使って国道を補修しているところを見たが、採掘場では地元の人たちも隣り合わせたところで土砂を採っていた。道路は平らにするだけで舗装はしないというから、大雨でも降ればまた元の木阿弥になるのではないかと思った。

一日百メートル程度だというが、補修を要する道路は百五十キロあるという。選挙に間に合わせる様に急いでいるというが、気の遠くなるような話だ。

 部隊は本部、医療室、食堂などがプレハブで冷房がついている。宿舎は三十五張の高床式でつくられているが、他の三十一カ国はすべて既設の学校その他を利用しており、独自の建物をつくっているのは日本だけだという。軍人一万五千七百六十四人中日本は六百人、このほか文民警察隊三千三百九十二人中七十五人である。隊員六百人の水の使用量は一日百二十トン、近くのインドネシアの部隊は千七百人で一日二十トンだから、だいぶぜいたくだ。今まで内地から呼んだ職人に井戸を二つ掘ってもらい、三つめを掘っているところである。

 できるだけ日本にいるのと同じ生活を保障したいということで、食糧の材料などもシンガポールから買い出しているという。

 だが同じカンボジアにいる他国と横の比較をすると異常ではないかと思われた。なお、十月にここに来てから、二ヶ中隊はもっぱら基地づくりで、道路工事は一ヶ中隊でやっていたという。

 日中の気温は、三十六度から三十七度、今日が最高で四十一度という。夜は二十二〜二十三度だからまだいいらしい。炎熱のなか、それもものすごい土ほこりの中での作業はたいへんだが、何も自衛隊がわざわざ出て行ってやらねばならないものではなさそうだ。地元の人たちを雇ってやれば金も落ちるわけだし。土砂採りなど地元の人たちの仕事を奪ってしまっている。この人たちの仕事は一日の収入が千五百リエル=二、三十円、一年でせいぜい一万円である。自衛官は一日の特別手当だけで八人が二万円、他は一万六千円となっている。

 この自衛官はその六割が将校と下士官で、豊橋、宇治、普通寺の部隊からという。日本に帰ってから知ったのだが、おそらく宇治の部隊だろう。この自衛官の中に立命館大学の二部の学生が一人いたのである。今回は無事に帰ってきたが、今後どうなることか。五十年前の十月十一日、雨の神宮外苑で文部省主催の学徒兵たちの壮行会があり、東条首相の激励の言葉があった。陸軍は十二月一日入営。海軍は十日に入団、そして南方に、大陸に駆り出された彼らの多くは再び帰ってこなかった。それから五十年で再び学徒出陣である。朝鮮戦争で海上保安庁の死者が出た事があったが、戦後少なくとも国の名において外国の人を殺すということはなかった。これも今後どうなることか。>

以上引用終わり

(P九十二〜九十三)

 長々と引用しましたが、これが尾形氏の著書に書かれている自衛隊が派遣されていたカンボジアのタケオについての記述の全てです。

 タケオにおいていかにも自衛隊が贅沢していたか。無駄金を使い、無駄飯を食っていたか。

 つまりいかに「自衛隊は穀潰し」であるかとこの陸士出身者は言いたいようです。

 <この本をまとめている間にも、カンボジアでは日本人ボランティアや文民警察官を始めとする死傷者が出ている。 現地の厳しさを知る者の一人として、心から哀悼の意を表するとともに、任務に対するその勇気に敬意を表したい。 そう、それもまた、カンボジアの現実なのである。しかし、自衛隊以外の要員に関して事前に、そこまでの危険性を指摘した大マスコミがあっただろうか。そして、自衛隊が矢面に立つのを恐れるあまり、丸腰の文民たちを危険な場所に送り込んだのは誰か。> 

 これは手元にあるカメラマン不肖・宮嶋の宮嶋茂樹氏の著書「ああ、堂々の自衛隊」(双葉文庫 平成九年)の前文です。初刊はクレスト社から平成五年に出されたものです。

 この事について、尾形氏はどう思っているのでしょう。

 私が長々と尾形氏の著書の文を引用したのは、ピースボートは<事の始まりは、八十二年の「侵略」を「進出」と書かせようとしてアジア諸国からの日本政府への抗議という教科書問題があり、若者たちが中学や高校で自分たちの教えられてきたものはいったい何だったのだろうかと、自分の目で現実を見よう、というものだった>

と著書の前文に書くように現地において何を見ていたのか、何を見ていなかったのか、そして、何が書いてないかを具体的に示したかったからです。

 <土砂、砂利の採掘場とそれを使って国道を補修しているところを見たが、採掘場では地元の人たちも隣り合わせたところで土砂を採っていた。> 

 と、尾形氏が書くこの土砂採掘場は、宮嶋氏の著書では

<自衛隊の担当は、比較的基地に近い国道三号線と、車で一時間ほど離れた同二号線の補修である。

 その二号線の現場からさらに四十五分ほど離れたトティエ山という採石場で採った土砂を、現場まで運んでくる。

略)

 ここは今回の派遣の中でももっとも過酷な現場であった。

 タケオから約二時間。基地から通っていては作業ができないので、作業隊はここで野宿しつつ、採石をしていた。 

食事を作る設備等もないので、メシはすべて基地から運ぶ。埃だらけの広野の中のテントで、隊員たちは寝泊まりしていた。>

P百五十〜百五十四

 このような過酷な現場に行き、平和を愛するピースボートの皆様はどのように「自分の目」で見て、そして「何を感じたのか」

 宮嶋氏はその行動について下記の様に書いています。

<ゾロゾロと一行はバスから降りる。

 略)

 もっと近づいて驚いた。ネーチャンたちは化粧しているではないか。気温四〇度、あたりの山にはポルポト派がいるという前線で身嗜みを忘れないとは、さすがに大和撫子である。

 略)

さすがに自由を愛する方々である。一行はてんでばらばらに行動され、まったく統制が取れていない。太田三佐が声を嗄らして説明しようとするが、その周りには人が寄りつかぬ。人だかりしているのは、代表の辻元清美さんの周りである。無視されつつ頑張っていた太田三佐が、質疑応答を始めると、ようやく人びとが集まってきた。

略)

その表情そのままに、敵意あふれる声で質問が飛んだ。

「この山では一日にどれだけの土砂を採るのですか?」

太田三佐が丁寧に数字を答える。質問者はしてやったりと声を励ます。

「それだけ採って、環境への影響は?」

「はっ?」

さしもの三佐も目をぱちくりさせている。

「ですから、雨が降って、土砂が水田に流れ込むなどにより、環境に悪影響があるでしょう。それは調査しているのですか」

 それは異様な光景だった。

 背後の兵舎には、汗とドロにまみれ、基地にすら帰ることができぬトティエ駐屯の将兵が、ほこりまみれで死んだようになっている。

 自分たちの利益のためにやっているのではない。カンボジアの人びとのためにやっているのである。その前で、化粧の白い顔を曝した同じ日本人の一行が、「環境への影響は」と尋ねる光景。超現実主義の映画を観ているようで、私はかすかな吐き気すら感じた。

しかし、太田三佐は誠実に答える。

「正直言って、環境の調査は行なっていません。

略)

「そりゃあ、環境への影響はあるでしょう。しかし、私達の仕事は、選挙をスムーズに進めるため、橋や道路を修復することです。そのために採石場が必要なのです。私たちがしていることは、将来的にも、きっとカンボジアの人たちの役に立つと信じています」>

P百七十五〜百七十九 

 さてさて、偉大なピースボートの皆様はこの太田三佐のお答えにどう反応したのでしょう。

 どうせ、な〜んも思わんのだろうな。きっと。

 所詮、どうしようもない人間のカスの集まりが、ピースボートとか言っているアホ連中やから。

 Bさん来店。小胡子さん来店。Kくん四名様で来店。Mさん来店。

 今日はメチャ早い時間から飲む。ドンチャン。

 記憶なし。サル・・・・・


ピースボートな頭 尾形憲、辻元清美

その3

4月22日水曜日晴れ △

 

 

(辻元清美女史のバイブ画像は、もっとも辻元女史らしいと思いネットにあったものを制作者の方に無断で使用させていただきました、

 ご不満がございましたらご一報いただけましたら、お詫びの上、削除させていただきます。

 ただし、辻元清美及び関係者からの苦情はお断り)

 そして、自衛隊のタケオ基地においてのピースボートの皆さんの行動について宮嶋氏は、

<自由を愛する方々の行動は、あたかも多国籍軍に蹴散らされたイラク大統領警護隊のように無統制で、意表を衝かれる形となった。散開した一同を、箇々に迎撃する羽目となったのである。

 国連旗の前で記念写真を撮る方、荷物運搬車両に乗込んでしまう方、そこらの建物に勝手に入ってしまう方、まことに自衛隊は民主的軍隊である。

 イランあたりでこんなことをすれば、すでに数名の射殺者が出ていたであろう。自衛隊は、数名の広報が声を嗄らして幼稚園の先生の様に走り回るだけであった。

「「あ、そこの人、隊員のテントに勝手に入り込まないでください」

「お願いですから、ちゃんと団体行動してください」

 さすがの切れ者、山下一尉も疲労困憊した表情で咳く。

「わしらはツアー・コンダクターか・・・」

 自衛隊迎撃部隊は、劣勢を余儀なくされていた。

 ピース・ボート部隊は、さらに頭脳的な作戦に出た。兵站の道を絶つは、パルチザン型攻撃の基本である。彼らは、基地の厚生センターに集中攻撃をかけ始めたのである。

「おおっ、キリンビールが七十円だって」

 自衛隊がシンガポールから苦労して運んできた糧秣に目をつけたのである。慌てて、山下部隊が、これらの阻止に回る。

「そこの人、飲物は隊員のための物です。皆さんが飲むと、隊員の分がなくなってしまいます」

 引き続き、駐車場で、ピース・ボートのメンバーと隊員との対話集会が開かれた。

 なんだか、その内容はオフレコとのことで、辻元さんはピリピリしていたが、結局この時のピース・ボートの方々の質問は産經新聞が書いてしまったので、私も記念に書いておこう。

「従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」

 どうして私のひそかな計画が露見してしまったのであろう。

「隊内でコンドームを配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるのでしょう」

 いつもコンドームを持ち歩く軍隊も珍しいと思う。ちなみに、湾岸戦争のときは米軍は銃に砂が入るのを防ぐためにコンドームを使った。自衛隊もそれを応用せよというスルドク軍事的な質問か。ありがたいことである。

「防衛大学では、帝国時代の軍人を尊敬している人がたくさんいるのでしょう」

 防大だけでない。私は日大だが、大日本帝国陸海軍の諸先輩をいたく尊敬している。 

 などなど。

 やがて、一同はまたバスに乗込み、プノンペンへと去って行かれた。

 戦いすんで日が暮れて、太田三佐は幽鬼のように憔悴し、一言私に咳くと、宿舎へ消えて行かれた。

「疲れた・・・」>

P百八十〜百八十三

 

平成15年6月1日日曜日雨のち晴れ ×
 秘書給与問題で衆院議員を辞職したあの阿呆の辻元清美を、よりによって講師に起用しようとした大阪市立大の社会人向け大学院が起用をあきらめたそうです。当たり前の事です。あの阿呆はNPOの先駆者としてなどといっていますが、その辻元清美率いるピースボートが、カンボジアの復興に汗みどろで立ち向かっていた自衛隊にたいして、わざわざカンボジアまでいって言ったことは宮嶋茂樹氏の著書「ああ、堂々の自衛隊」によると
 土砂の採掘場であるトティエ山では
「(土砂)それだけ採って、環境への影響は?」
「はっ?」
「ですから、雨が降って、土砂が水田に流れ込むなどにより、環境に悪影響があるでしょう。それは調査しているのですか」

 40度の気温の中作業する自衛隊にたいして、ちゃらちゃらと化粧したバカ女どもがこのように言うのを聞いて、宮嶋氏は吐き気すら感じたと書いています。
また、自衛隊のタケオ基地においては、団体行動もとれずに無統制でそこいらの建物に勝手に入り、隊員個人のテントにまで入り込み、傍若無人を尽くした挙げ句に、基地の駐車場で開かれた対話集会では
「従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」と宣い
「隊内でコンドームを配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるのでしょう」

もうバカとしかいいようがありません。
「防衛大学では、帝国時代の軍人を尊敬している人がたくさんいるのでしょう」
これもバカとしかいいようがありません。だからどうした。自国の軍人を尊敬してどこが悪い。東郷元帥などは日本以外の軍隊でも軍人として尊敬されている。
辻元清美をはじめこいつらの頭は狂っているとしか思えません。
きっとこいつらは、自国の軍人ではなく金日成将軍や、金正日将軍、ポルポト将軍などが尊敬の対象なのでしょう。

 

辻元清美

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