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<大沢敏郎>
日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
総ては他人のせいというアホども
平成26年9月17日水曜日晴れ×
横浜・寿町で、識字活動を続けられた大沢敏郎氏の本ですが、著者の浅い知識によるあまりにも醜い歴史観と登場人物の多くが「自分が字が書けないのは、読めないのは、総て他人が悪い。自分は悪くない」という逃れ方に読んだ後に感じるのは気分が悪くなります。
著者
大沢敏郎(おおさわとしろう)
一九四五年、岐阜県に生まれる。一九八〇年より、日本の三大簡易宿泊所(ドヤ)街のひとつといわれている横浜・寿町で、十分な学校教育をうけることのできなかった人たちとの識字実践活動をはじめる。文字の読み書きができるかできないかということにかかわらず、人間が生きることの深い学びとして、四半世紀にわたりつづけられた。二〇〇七年没。
挟まれていたパンフレットにあった推薦文
<崔 洋一……映画監督
識字で思いだすのはやはり父親のこと。
十七歳で日本に渡ってきた父親にとっての日本語とはどういう存在だったのか。どこでどう知りあったのか日本人である母親と恋愛し、僕が生まれた。そういえば、父親が日常で使う話し言葉は上手く、朝鮮人であることを意識させられた記憶はあまりない。しかし、それは植民地政策の賜物であり、逆説としての自然人の喪失でもある。
字を読めない、書けないこととは差別が生む犯罪によるものである。根源たる言葉を奪われた者にしかわからない痛みをわかちあい、その悪しき構造に言葉の礫を放つことの楽天を共有できるのか、はなはだ心もとない時代が現在だ。
大沢さんの識字を媒介にした人間関係のやるせなさと正直な独白は、いつの日か人間解放の物語の序章として人びとは忘れていくだろう。だが、言葉を奪いかえした人間たちが残した「文字」は、永遠の記憶として屹立している。>
この崔洋一というアホ朝鮮人が我が国が朝鮮の言葉を奪ったように被害者面してホザクが、そんな歴史など無い。
流石は嘘が国技の一つである朝鮮人と納得。
著書より
<金孟任(きむめんにむ)さん
一九一七年生まれ
一九三〇年前後に日本に来て十四歳で子供を産んだという。
略)
日本の植民地支配下朝鮮で、父親は徴用で日本に渡り、四人の姉妹の長女として母親を助け、厳しい生活を支えた。日本に来て結婚してからも、病弱のお連れ合いの世話をしながら、女手一つで四人の子供を育てた。>
p一〇七
<一九三五年ごろ、日本の植民地支配下朝鮮で、アボジは「徴用」で日本に働きに行き、オモニは、四人の子供を育てるのにわらを潰して貨物(ドンゴロス・袋)を編んで、それを市場に出して生計を立てていたのだ。金さんが十歳ぐらいの時の事だ。金属製の鍋、食器、箸、スプーンまで「供出」で取られてしまったとも話してくれた。>
p一〇九
一九一七年生まれで一九三〇年前後に我が国に来て十四歳で結婚して子供を産んでいる。
父親は一九三五年ごろに「徴用」で我が国に「働き」に来ている。
その間、朝鮮で母親を助け厳しい生活を支えたはずなのに、父親より先に我が国に来ている。
ましてや、父親が「徴用」で来たと言っている一九三五年の前年一九三四年一〇月三十日、岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定し、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発と密航の取り締まりを強化している。
そんな時代に「徴用」か。
アホかと。
他にも、
<金斗伊さん
「昭和天皇」の葬儀のテレビ映像を観て、そのことについて、自分の部屋で書いたものを持ってきてくれた。
略)
作家の小田実が『オモニ太平記』(朝日新聞社)で、在日一世のアボジやオモニたちがこの天皇の葬式をテレビで観ていたとしたら、きっと、自分の祖国の葬式と同じではないかと思っているに違いないと書いていた。その通りの文章を斗伊さんが書いてくれたわけだ。日本の天皇の「出自」が百済であることはあきらかになっているが、斗伊さんの文章を読みながらなるほどと思った。>
p一一六
いつ、天皇家の出自が明らかになったのだ。
アホかと。
<縁戚をたよりに「韓国」からやってくる人たち
略)
寿町に九三軒ほどあるドヤのオーナーは、ほとんどが在日朝鮮人である。オーナーは寿町に住んでいないが、ドヤを管理する帳場も多くが在日朝鮮人である。オーナーも帳場も在日二世世代に移行しつつある。そんなオーナーや帳場の縁戚をたよって、「韓国」から朝鮮人労働者が急増しているということだ。縁戚をたよっての渡日は寿町や寿町周辺にかぎらず、全国の在日朝鮮人の多住地域においても同じような現象が起きているのではないかと思う。労働・就労に関しては、もちろんほとんどが「資格外就労」(不法就労)である事は言うまでもない。>
p一三一〜一三二
裕福になった今でも朝鮮人どもは我が国に密航してまでも入ってくる。
今現在、我が国において一番多い不法滞在は朝鮮人どもである。
それが、貧しい戦前であればなおさらだという事を大沢敏郎このアホは理解しない。
<徐 二順さん
オモニは「日本語が上手になるまでは、子供は生ませない」と言っていた。
そんな事もあってか、彼女は猛然と日本語の勉強をして、一年間ほどで日本語をマスターした。
彼女が初めて識字に出席したとき、僕が名前を聞いたら、彼女は本当にうれしそうに新しく付けてもらった名前だと言って、その「日本名」を教えてくれた。僕は、ずっと本名で呼んでいく事を告げたものの、彼女や周りの人たちを責めるつもりなどまったくないが、日本の社会は何も変わっていないのだと、現実に内心愕然とした。
今、寿町に住んで仕事をしている「韓国」からの朝鮮人労働者のほとんどが「日本名」を持っている。識字に初めて出席する人にはいつも名前を聞くのであるが、朝鮮人労働者は必ずといっていいほど、どっちの名前ですかと問い返してくる。自分で名前を考えたり、友人に付けてもらったり、さらには仕事現場の親方に付けてもらったりしている。親方に付けてもらった場合などは、仕事の保障であったり、より深い人間関係のつながりになったりもする。
徐二順さんについて、これは本人が一番しんどかった事だと思うが、僕自身取り返しのつかない苦い体験をした。彼女が妊娠して胎児は順調に育ち、産み月に陣痛がきて病院に入院した。しかし、産む事ができず死産してしまった。僕はお産に立ち会った事が無いからわからないが、死産をしたと聞いた時に思ったのは、お産の時の医者や看護師さんたちの日本語の励ましの言葉が、ひょっとしたら彼女にとっては、怒声に聞こえてしまったのではないかということであった。産み月になる前、オモニには、産室での看護師さん達の言葉について大丈夫であるかどうか話はしていたが、直接本人に確認しなかった事が、今も悔やまれてならない。
略)
外国人労働者を取り巻く状況は一様に深刻である。とくに朝鮮人労働者に対するそれは、労働現場において日本人の根強い偏見・蔑視に曝され、より一層厳しいものがある。>
p一三四〜一三六
なんで、朝鮮人どもだけが通名などという偽名を使っているのか。
そのアホな頭では思いつかないのだろうか。
ましてや、朝鮮人女が死産したのは我が国の医者や看護婦さんたちの声のせいだとでも。
この一年間ほどで日本語をマスターしたはずの朝鮮人女が医者や看護婦さんの励ましの言葉を怒声と思ってしまうのか。
アホもここに極まれたり。
ホンマ、あほらし。
バンコクからYさんがMさんと来店。
一名様来店。
Mさん来店。
営業終了後、エムズバーさんでドンチャン。
記憶いい加減。
サル並。