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小野田寛郎氏と加藤紘一氏にみる慰霊

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成17年9月4日日曜日晴れのち雨 △ S
 午前中にスポーツセンターに行くために地下鉄に乗ったら、目の前には椅子のまん中に陣取りおもいっきり又を開いて偉そうにふんぞり返って座っているバカオヤジがひとり・・・・

 午後1時30分より如水会館で開かれる「静岡県の酒の会」に参加させていただく。Sさん、マルガリータさんとは会場で待ち合わせ。
 会場では伊勢勇の星野一歩社長をはじめ多くの顔見知りの皆様方もいらしており、御挨拶。初亀の橋本社長のお嬢さん、磯自慢の寺岡社長のお嬢さんもいらしており華やか。磯自慢さんは今回も大人気で、試飲のためのなが〜い行列ができておりました。
 橋本社長は東北でおこなわれる酒の会のために二時に東京駅へ。寺岡社長から日本の瓶業界のことなど興味深いお話を伺う。

中)「初亀」蔵元
右)Sさん
左)ノーコメント

「初亀」蔵元の奥様とお嬢様

「磯自慢」蔵元とお嬢様

「杉錦」蔵元

「正雪」蔵元

「國香」蔵元・・・ではありません。当店のお客さまのしみずさん


 多くの蔵元のお酒をごちそうになり、お腹もいっぱいなった後、三時半ごろ失礼する。地下鉄に向かっている途中に誰からともなく、靖國神社に行こうという話になり、九段の靖國神社へ。
 参拝後、閉館まであまり時間が無かったが遊就館にいく。上映されていた映画「私たちは忘れない」を見るのはこれで三回め。
 遊就館の展示したあるものをゆっくりみると到底一日では終わらない。それを、あの加藤紘一氏は
「半年で四回、合計六時間行ってメモをとって勉強している」と田原総一郎氏との対談(週刊現代2005年9月10日号)で言っていますが、四回、六時間で何が分かるのでしょう。
そして、同じ対談で
「あれはアメリカが見たら、大変な日米問題になりますよ。『私たちは忘れない。極東の小国日本がなぜ戦争に追いやられたか。アメリカに追いやられた』と書いてある。靖国問題はアジアだけでなく、アメリカとの外交問題に発展する可能性が高い」
と言っています。
 こいつが外交問題にしたいだけだろう。やっぱり、アホの加藤・・・・

 あの小野田寛郎氏は「わたしたちが、死んだら神様になって会おうと約束した場所は靖國神社以外のどこでもありません。靖國神社に異論があってお参りしたくない人は、来ていただかなくて結構だと私は思います」「とにかく、私たちが『死んだら神さまになって会おう』と約束した場所が靖國神社であり、その靖國神社を国家が護持しないということは、借金をしておいてそれを支払わないようなものです。それはまだ我慢するとしても、靖國神社とは別の追悼施設をつくるなどというのは、死んだ人間に対する反逆、裏切りであります」

 そして、こうも書いていらっしゃいます。「残された奥さんや子どもさんは大変お気の毒だったとおもいますが、亡くなった本人はお詣りしてくれる人がいるのだなあとつくづく思います。お子さん、お孫さんと代々家でお祀りしてくれる人がいる。しかし、独身で亡くなった私たちの仲間は、親兄弟が亡くなった後は誰がお祀りしてくれるのだろう。最近はついついそういう事を考えてしまいます。そうしますと、簡単に『死んだら神様だ』と言いながら散華していった人たち祀ってあげるのはやはり靖國神社しかないのです」

「靖國の英霊に対して『心ならずも戦死された』などという人がいますが、これほど英霊を侮辱した言葉はありません。
と書いていらっしゃいます。(祖國と青年2005年7月号)

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