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淡路島へ
6月30日土曜日晴れ ×××
店を片付けた後に部屋に寄った後に東京駅から新神戸へ。三ノ宮から高速バスで淡路島に。
従兄弟と明日の千山での法要についての打ち合わせ。
中学時代の友人に連絡して一〇時頃よりドンチャン。先祖の話になり、奥野は四三代目だそうな。家にはその代々の名前を刻んだ石碑があるそうで、風化の進んだその碑を最近、修復したばかりだそうな。
二件目はタッチャンと夜中までドンチャン。
初亀飲んべえの会
6月29日金曜日雨 ×
今日、午後二時過ぎに下記のようなメールを皆様に出す。
*初亀の飲んべえの会
日時 平成19年7月29日日曜日
午後6時より午後9時まで
会費 女性13000円 男性15000円
定員 14名様
出品予定酒
NO.1 平成19年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)×二本
NO.2 平成18年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)×二本
NO.3 平成17年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)×二本
NO.4 平成19年 亀 純米大吟醸 3年古酒
NO.5 平成17年 亀 純米大吟醸 5年古酒
NO.6 平成19年 初亀 中汲み大吟醸 大吟醸
NO.7 平成19年 初亀 滝上秀三 純米大吟醸
NO.8 平成19年 初亀 大吟醸 極35
NO.9 平成18年 初亀 極吟醸 瓢月 吟醸
軽いおつまみは用意させていただきます。
(今回も初亀醸造の蔵元である橋本社長に御参加いただける予定です)
おかげさまで、午後四時半頃に定員いっぱいとなる。
ありがとうございます。
バンブーさん来店。Hさん二名様で来店。Iさんという初めての女性のお客様二名様で来店。ひとり二杯の酒で七時過ぎから十二時半まで五時間以上いるというのは、中々、飲み屋では普通の人は出来ない芸当。この人ら予約までしてきてなにをしにうちの店に来たのだろう。わけわからん。Kさん、Nさん、Kさん三名様で来店。大台さん来店。
美味しんぼのウソ
6月28日木曜日晴れ ×
三冊購入した「美味しんぼ」の一冊である五九巻にも日本が嫌いな雁屋氏らしいウソ満載です。
以下引用
オーストラリアと日本は、アジアの他の地域でも戦って、大勢の兵士が捕虜になった。
そのオーストラリア人捕虜を日本人は虐待したのよ
オーストラリア軍がアジア太平洋地域に派遣した兵士の三分の一にあたる八三〇一人もが日本軍の捕虜として命を失ったわ。
比較のために言うと、オーストラリア軍はヨーロッパでも戦ったけどドイツ軍とイタリア軍の捕虜になった八一八四人の兵士のうちで死んだのは二六五人だけ。
同じ捕虜でも、ドイツ軍やイタリア軍に捕まったとのでは、そんなに差があったのか。
日本軍がいかに残虐なことをしたか、思い知らされるな・・・・
日本軍が殺したのは捕虜だけじゃないわ。
シンガポールから脱出してインドネシアの島のひとつに上陸したオーストラリアの従軍看護婦たちが
海に追いやられて、機関銃で撃ち殺されたりしたのよ、それも二二人も!
従軍慰安婦を殺した・・・・
知らなかったわ・・・・
信じられない!
以上引用終わり
自分の著書「日本人の誇り」(飛鳥新社)という本を作画資料としてあげてまで、このような事を書いています。まさに天に唾するとはこういうことを言うのでしょうか。
すでに書いたことですが、オーストラリア軍の大東亜戦争中、及び終戦後の行為は、特殊潜航艇の乗組員に対してのりっぱな弔いという美談というべき事と醜い行為のどちらもありました。
連合軍の捕虜虐殺オーストラリア
さらに、私の手元にある「将軍はなぜ殺されたか」(イアン・ウォード著 二〇〇五年原書房刊)という題名の本があります。オーストラリア人によって書かれたこの本はオーストラリア軍によって無実の罪を着せられて処刑された西村琢磨中将について書かれています。著者のイアン・ウォード氏はその著書で「はじめに」として次のように書いています。
<その名をよく知られた無実の日本の将軍を、オーストラリアが恥ずべきは不正な裁判の後、意図的に処刑したということは、オーストラリア国民が声高に掲げる太平洋戦争の正当性とうまく折り合いがつかない。
略)
ここから得られる教訓があるとすれば、オーストラリアは、そして英国も、少なくとも誤った戦争犯罪裁判の記録を正す道義的責任があることだ。裁判の原則を支持しながら、同時に過ちがあっても責任を無視することは、原則をばかにすることになる。また日本に戦争中の行為を反省するよう繰り返し求めている政治家や社会の指導者たちの声も、もし自らの反省を拒否するなら、空しいものに聞こえる。>
そして、この本には下記のような記述があります。
以下引用
<公刊戦史はムアル戦線でオーストアリア部隊と遭遇した日本軍負傷兵の運命について、はっきり書いていない。
略)
「守勢にあるので捕虜をとる状況に無く、今までの経験からして敵の負傷兵をそのままにはできない。死んでいると思われるか負傷している敵兵に近づくときは最大限の注意を払い、銃剣を使え。要するに命令は『捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな』というものであった」
略)
もちろん大隊の戦場日誌にはアンダーソン(引用者注 直接指揮していた第一九大隊長チャールズ・G・W・アンダーソン中佐)が正式にそのような指示をしたとは書いていない。しかしムアル戦線で戦ったオーストラリア兵の間では、状況の緊急性から考えて「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」というのが少なくとも公式に認められた『指示』だったということは、広く受けいられてきた。指示がどこから出たかについて不安な人たちでさえ、これらが一月一九日から二二日までの絶望的な七二時間に採用された戦術であったことは認める。>
(P二〇七〜二〇八)
<否定できない事実は、マレー作戦の中で最も激しかった四日間と半日の戦闘のあと、オーストラリア軍は一人も捕虜をとらなかったということだ。白兵戦により日本軍は二千人の死者を出し、ほとんどは近衛師団だった。もう一つの否定できない事実は、戦闘の状況からして、オーストラリア部隊は日本の負傷した兵士をその場で殺したことだ(みかたによっては処刑したことになる)。さらに、命令ではないにしても、捕虜をとらず負傷兵をそのままにしないというのは、少なくとも一般的な了解だった。>
(p二一八〜二一九)
引用終わり
戦場においての非常事態であったとはいえ「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」という命令が発せられていたのです。
日本軍も捕虜を殺害したこともあるでしょう。
しかし、日本軍だけがそのようなことをしたわけではない。
ところが雁屋氏原作のこの「美味しんぼ」をみると悪いのは日本軍、日本人という感じです。
客観的に書いていると否定するかもしれませんが、とてもそうは思えません。
まず、
<このシドニー湾には、オーストラリア人の日本人に対する怒りが眠っている。>p九二
と書き、日本帝国海軍の特殊潜航艇の魚雷により軍用船が被害を受けて軍人が戦死したことを
<魚雷はアメリカの軍艦を外れて、近くに停泊していた軍用船に命中して、乗っていたオーストラリア人一九人と、イギリス人ふたりが死んだのよ>p九五
<それから数日後、特殊潜航艇を運んで来た大型潜水艦が、シドニー市内に向けて砲撃したのよ>
p九六
ところが、
<でも本当は、特殊潜航艇の攻撃自体は、それほどオーストラリア人を憤激させなかったの>
と書く。
あれ?
シドニー湾には日本人の怒りが眠っていたはずでは????
そして、次のように書きます。
<問題は、その後に起こったのよ>
<オーストラリアと日本は、アジアの他の地域でも戦って、大勢の兵士が捕虜になった。
そのオーストラリア人捕虜を日本人は虐待したのよ>
<そうか。君が日本人を嫌いだと言うのは、日本人が戦争のときに、オーストラリア人にひどいことをしたからなのか>
<そうじゃないわ>p九九
あれ?あれ?
<じゃ、どうして、こんな戦争中の話をするんだよ。
それも、俺たちの知らないような話まで持ち出してさ>
<そうよ!そこが嫌いなのよ!!>
略)
<さっきの戦争の話を思い出してちょうだい。
日本軍は、アジア太平洋戦争の国々をも侵略したわ。アジアの人々が受けた痛手は、オーストラリア人とは比較にならないほど大きい。>
略)
<日本人は、自分自身の伝統文化を投げ捨て、白人文化のマネをしているだけ。
しかも、過去の戦争責任を忘れた、無責任で冷酷な国。おまけに、金の亡者ときた>
<それじゃ、救いがないわ>p一〇一〜一〇二
あれ?あれ?
やっぱり、そこにいくんですか。
中々、自分の国である日本の事、先人、そして日本人をここまで悪くはいえません。
まあその後のページでオーストラリア人というかイギリス人がタスマニアの先住民を皆殺しにして亡ぼした事、奴隷制を維持していた事、そして植民地を一九七五年統治していた事などは反論として書いていますが、別のページに書いてある<真の友好関係を築くのを妨げているのは、戦争の後始末の悪さ故にオーストラリア人が抱いている反日感情です>p一九〇
というのがこの人の本音ではないかと思います。
それは他のところにも見られます。
あと、残念ながら私の力では日本軍が従軍看護婦を二二人虐殺したという史料は見つけだすことはできませんでした。雁屋氏は御自分の書いた著書より引用しているみたいですけど・・・・・
だいたい、戦争中に相手国を攻撃したことをいわれて、「何だって」「そんな」と驚かなければいけないのでしょう。
アホか。
どうしたら、こんなに捻くれた性格の人間ができあがるのでしょう。
夕方、橋本社長と来月の初亀の会の日にちの事でお話をする。
金ちゃん、マロさん三名様で来店。昨日来店いただいたの女性の方がお二人で来店。Iさん五名様で来店。HIROKOさん来店。北新居さん来店。わ。さん来店。
どういうわけか忙しい。途中で洗い物をやめてドンチャン。
営業終了後、北新居さん、金ちゃん、マロさんとラーメン屋さんに寄ってビール、餃子でドンチャン。
福本潤一と池田大作
6月27日水曜日晴れ ×
今発売中の週刊現代(二〇〇七年七月七日号)には靖国参拝はヒトラーの墓に参拝するという事だと言い放ったあのアホの福本潤一氏の記事が掲載されていました。
福本潤一氏は、気狂い宗教団体の創価学会の政党である公明党の離党を願い出たにもかかわらず除名になったそうだ。
その福本氏によると、二〇〇五年末に創価学会幹部から「あなたの力で、池田センセイに東京大学名誉教授の称号を取れないものか」といわれたという事が書かれています。また、財務というねずみ講なみの銭集め以外にも池田ダイセンセイの誕生日(一月二日だそうな)、創価学会の日(五月三日だそうだが、こんなくだらないのがあるのは知らなかった)などの創価学会の記念日には用途も不明のまま五万円だしていたそうです。池田ダイセンセイが二〇〇個の名誉学術称号を買った時にも銭集めがおこなわれたそうで、福本氏は三〇万円もそのくだらない事に出したそうです。
福本氏は「公明党議員は池田名誉会長と創価学会による『総体革命』(創価学会員による権力支配)の駒でしかない」
と発言したと書いています。
まあ、気狂い宗教に狂っていた罰といえばそれまでだが、きっと、竹入義勝氏、矢野絢也氏のようにメチャメチャ気狂い新聞でバッシングされることでしょう。
まあ、目くそ鼻くそだけど・・・
午後よりスポーツセンターに行く。体調はイマイチ。
Hさん来店。初めての女性の方来店。Nさん二名様で来店。大台さん二名様で来店。Iさん大勢様で来店。
営業終了後、大台さんたちと御近所に新しく開店したというお店に伺う。
6月26日月曜日雨のちくもり ×
昨日発売の週刊ポスト(二〇〇七・七・六号)に「大仁田厚センセイが国交省キャリア役人を招いた『性の乱痴気パーティ』写真」という記事があった。出馬取り止めって、これも無関係なんですかね。
乱痴気パーティをやったのが六月一五日金曜日午後八時頃から午前一時ちかくまでだそうです。この記事には大仁田議員本人にも取材を申し入れたが「選挙前だから」と取材拒否されたそうです。
ウソかホントかわかりませんが、「俺は参院議員の後はつくば市長をやって衆議院議員になる。二番目のシナリオとしては長崎県知事。俺は一〇年前から地元の長崎のことを考えていたんだ」というのが大仁田氏の発言として書かれています。
大仁田センセイの計画狂っちまったのでしょうか?
そういやあ、この大仁田とかいう御仁は本業のプロレスでは引退、復帰、を何度も繰り返していたように思いますので、有権者をなめて、まだどっかで出馬するのでしょうか。
K@相模原さん来店。江上さん御夫妻来店。来月初めに江上さんのお弟子さんのみなさんが開く還暦祝に出席出来ずに残念。Aさん二名様で来店。二名様来店。静岡からKさん来店。わざわざ、当店に飲みにだけ上京してくださったそうで、感謝。ITGさん二名様で来店。四名様来店。Sさん二名様で来店。
今日はメチャ忙しく、飲み始めが遅くなる。でも、明日は河岸が月二回の休市ということもあり、結局はSさんたちと夜中までドンチャン。
今日初めて開けて飲むテキーラの「CASA REAL」はバランスが悪くイマイチ。結構高かったのに・・・・
朝日新聞
6月25日月曜日曇り一時雨 ○
今日の朝日新聞埼玉版には、「細る『加害』語り手」「『戦争』聞き取りに全力」という売国奴「中国帰還者連絡会(中帰連)」の関係で「撫順の奇跡を受け継ぐ会」というのを記事として掲載していた。
川越に「中帰連平和記念館」という恥ずかしい名前の建物があるそうで、撫順の収容所で「人道的な」扱いを受けたから、帰国後、「中国人被害者の立場」をふまえた体験を語り始めた。と書かれている。
この記名記事を書いた村野英一という記者は、中帰連のバカどもが支那にからめ取られただけであることがすでに「延安レポート」などにより明らかにされている事など知らないのであろうか。知っていても、「支那様がそんなことするはずない。そんなのは偽物」とでも思っているのでしょうか。まあ、もともと、李登輝氏の来日をどういうわけか国際面のベタ記事にしたぐらいの新聞ですから。支那の公害、暴動などの支那の負のニュースはめちゃ少ない掲載量のような感じのする新聞です。ちなみに、今日の国際面は台湾は「台湾総統選 馬氏、正式立候補」というのがありましたが、支那関係はゼロでした。外省人である馬氏に朝日新聞はがんばってほしいということでしょうか。そんな朝日新聞は支那政府の手先である中帰連の不利になるようなことは書かないでしょう。
流石は、井沢元彦氏にその著書「虚報の構造 オオカミ少年の系譜」(小学館)などにて数々の指摘を受けているだけの事はあります。
今日は、朝起きたらあっちこっちが筋肉痛。とくに両肩から背中にかけてヒドイ。朝から本を持ち込んでの長い風呂に入った後は、刀の手入れ、掃除などをする。夕方になって食事がてらにブックエンドを買いに外に出た以外は一日中部屋にいた。
6月24日日曜日曇り一時雨 ○
店を片付けて、午後より一週間ぶりにスポーツセンターに行く。前後のストレッチと最後の有酸素運動の二〇分を入れて三時間。
一度店に戻り、掲示板、メールのチェック、ゴミを出してから帰宅。
6月23日土曜日晴れ ○
今日もウサギさんの目で河岸にいく。休みの前の日なので、魚は予約が無い時はついつい弱気な仕入れ。
その分、トマトなどの野菜、昆布やマグロールなどのかさばる物の仕入れ。
昨日めちゃ忙しかったので今日が怖いと書いたら、その通りになりました。
二名様来店・・・・・・・のみ・・・・
ネットのニュースで、参院選に比例代表で出馬予定だったプロレスラー出身の大仁田厚参院議員が引退を表明したというのがあった。
毎日新聞のニュースでは大仁田氏の言葉として、
「参議院は首相官邸の人気取りの道具ではない」
「国民が求めているのは付け焼刃で法案を通すことでなく、慎重審議だと思う。選挙目当てにウソをついてまで当選したくない」
「衆院から降りてきたことをそのままやっていく。今回もそうだが『ハイ、そうですか』で通してしまっていいのか」
「何百という選挙区に応援に行った。それがタレント議員の仕事みたいなもの。(テレビに映る)僕の映像は(審議が荒れた時)いつも委員長を守る場面ばかり。レスラーという偏見を打ち破ろうとしたが、自分の勉強不足を痛感することもあった」
他のニュースでは
「7月29日投票では夏休みに入ってしまい、政治に関心のない若者に訴えが届かない。違うと思ったことに対しては違うと言いたい」
「官邸への異議申し立てととってもらって構わない」
スポーツナビ
だそうだ。
本当だろうか?
「レスラーという偏見を打ち破ろうとしたが」と言いながら、本業の?プロレスもそうだが、政治家になってからも大蔵議員の指南役をかって出たりして常にパフォーマンスだけで生きて来たようにしか思えないのだが。
それだけに「7月29日投票では夏休みに入ってしまい、政治に関心のない若者に訴えが届かない。違うと思ったことに対しては違うと言いたい」
という言葉が虚しくひびく。
「夏休みに入ってしまう」というのは、お勤めの人もいるだろうが、大部分は大学生の有権者を意識して言っているのであろうと思う。大学生の有権者数は、高校卒業後進学率が四五%程度と言われ約六〇万人弱が大学に進んでいるそうで、約二五〇万人強が在籍しているそうである。院生、浪人して大学に入学するものを含めて有権者数はその半分強だろう。乱暴な数字の出し方ですが、約一三〇万人と考えて有権者数一億三〇〇万人の一%強の有権者数です。
この大仁田という御仁は本当にその一%強の人の事を考えて、進退を決めたのであろうか。
ましてや、私の母校もそうだったが、八月から夏休みに入る大学もあるだろうし、逆に七月一〇日や二〇日から夏休みに入る大学もあるだろう。一週間遅くなったからといって、最初の七月二二日の予定投票日と条件はあまり変わるとは思えないのだが。
ホントにウソくせ〜ヤツ
6月22日金曜日雨 ×××
今日は河岸に行く時はヨッパラッタ状態ではなかったです。
美丈夫の濱川社長に東京ドームホテルで開かれる江上さんのパーティについての確認の電話。
今日は珍しく忙しい。明日が心配・・・・S@名古屋さん来店。Iさん来店。Oさん来店。初めてのお客様二名様来店。初めてのお客様三名様来店。初めてのお客様二名様来店。Yさん来店。酔狂師さん来店。初めてのお客様二名様来店。
ドンチャン。営業終了後、久しぶりに中野の「石松」さんに伺う。「磯自慢」愛山持参。相変わらず満席。カウンターの中にて飲む。マルガリータさん合流。ドンチャン。帰りは始発電車。
6月21日木曜日 晴れ ×
今日は河岸に行く時はまだ「うさぎさんの目」状態。
夕方、初亀の橋本社長より電話あり。七月の飲んべえの会は「初亀の垂直」の予定。瀧自慢の杉本社長より電話あり。
Kさん二名様で来店。初めての女性の方一名様来店。マロさん来店。Kさん来店。Hさん来店。
営業終了後、「蒙古苑」にて飯。今日のエビはイマイチ。
6月20日水曜日晴れ ×××
ソウル在住のKさんIさんと来店。Kさん二名様で来店。Kさん、Yさんと来店。Kさん二名様で来店。Iさん三名様で来店。
営業終了後、高円寺にある「ベルベット」にてSさん、マルガリータさんとの三人で酒を持ち込みドンチャン。帰りは電車の動いている時間でした。
美味しんぼのウソ2
6月19日火曜日晴れ
「美味しんぼ」22巻には下記のように書かれている。
以下引用
日本語、出来るんですか。
五〇代半ば以上の韓国人は、日本語話せますよ。
学校では韓国語を禁じられ、日本語を強制的に勉強させられたんだから。
そ・・・・そうでしたか。
日本は第二次世界大戦に負けるまでの三六年間、朝鮮、韓国を支配していて・・・
略)
強制連行で日本の高知県に連れて行かされて働かされていた私が、日本の敗戦後帰って来た時には、彼女はもう・・・
強制連行ってなんですか?
強制連行を知らないのかい・・・・
え・・・・・・
当時の日本政府は、朝鮮、韓国人を働かせるために、強制的に日本に連行したんだよ。
まあ・・・・
日本に住む朝鮮、韓国人の数は、一九一一年には三千に満たなかったのに、一九四五年の敗戦時には二三〇万をこえている。
戦争を始めた日本は、労働力が不足したので、朝鮮、韓国人を強制連行したんです。
それも普通の市民や農民が日常生活を行っているところに、突然警官がやって来て、トラックに乗せて連行したりした。
私自身、工場で働いているところに警官がやって来て、いや応もない、そのまま高知県まで連れて行かれて働かされたんです。
略)
私、恥ずかしいわ・・・・・
新聞記者のくせに、強制連行も知らなかったなんて・・・・
きみだけじゃないよ、今の日本の若い人のほとんどがそうさ。
だって、学校では教わらなかったもの、強制連行なんて・・・・
韓国では誰でも知っていることです。
・・・・・
強制連行よりもっとひどいことを、日本は朝鮮、韓国に対してたくさんしているよ。
どうして学校で教えないの?
自分たちの過去の過ちを子供に教えることの出来ない大人って、最低の卑怯者じゃないの。
日本人が過去に犯した過ちを知らないのは、世界中で日本人だけだなんて・・・・
あの老人、俺たち日本人をもっと罵ってもよかったのに・・・・
それなのにあんなに淡々と冷静に・・・・・
過去を忘れる訳にはいきません。
だが人間は、現在と未来に生きるのです。
そうだ。日本と韓国とが、互いに尊敬し合える関係をつくらなきゃあな・・・
引用終わり P一四六〜一五二
一九八九年に出版されているが、<それも普通の市民や農民が日常生活を行っているところに、突然警官がやって来て、トラックに乗せて連行したりした。私自身、工場で働いているところに警官がやって来て、いや応もない、そのまま高知県まで連れて行かれて働かされたんです。>という個所は、おそらくあの職業詐欺師である吉田清治の「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」(1983年刊 三一書房)をベースにして書いているとおもわれます。このような貧弱な史料しか読んでいないであろうか。いかにも雁屋氏らしい歴史観です。
しかし、<どうして学校で教えないの?自分たちの過去の過ちを子供に教えることの出来ない大人って、最低の卑怯者じゃないの。日本人が過去に犯した過ちを知らないのは、世界中で日本人だけだなんて・・・・>というくだりは雁屋哲氏の偏った知識による考え方を良く現しています。
<あの老人、俺たち日本人をもっと罵ってもよかったのに・・・それなのにあんなに淡々と冷静に・・・・・。過去を忘れる訳にはいきません。
だが人間は、現在と未来に生きるのです。>って個所は洒落ですか。「韓国的な謙遜は捨てる必要があります」という記事http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=58943&servcode=700§code=700
に対しては「ウソつくな」「朝鮮人にとって謙虚とは一番程遠いものだろう」「朝鮮人のいう謙虚さとは日本人の思っている謙虚とは意味が違うのか」という「お前がいうな」のの大合唱でしたが、この腐れマンガもおなじです。
雁屋氏は「強制連行よりもっとひどいことを、日本は朝鮮、韓国に対してたくさんしている」と主人公の口から語らせているが、我が国が朝鮮人にしたウソの強制連行よりももっとひどいこととはいったいなんであろうか。
*毎年、餓死者多く出た朝鮮を食糧危機から救い、朝鮮人の人口を倍に増やしたことだろうか。
*全人口の半分近くもいた家畜以下扱いを受けていた奴隷階級の朝鮮人を解放し、人間にもどしたことだろうか。
*朝鮮半島に無かった小学校だけでなく、京城帝国大学を我が国六番目の帝国大学として大阪帝大、名古屋帝大よりも早く作り、多くが文盲だった朝鮮人にハングル文字を普及させてやっただけでなく初等教育から高等教育まで教育を充実させことだろうか。(そのために、金沢大学、神戸大学、広島大学など帝大とはならなかった)
*世界最貧国の朝鮮に鉄道を走らせ、道らしい道の無かった朝鮮半島に道路を整備するなどインフラを日本の金で整えたことなどであろうか。
*大化の改新以前の状態であった朝鮮半島を日本の金を使って、測量し、初めて正確な地図を作り、田畑を整備し農産物の増産をしたことだろうか。
*日本の金で、今でも使われている世界有数のダムを建設し、大工場を建設し、戦後も北朝鮮に利用されているからだろうか。
雁屋哲氏はいったいどれを言っているのであろうか。
あほらし
河岸に行く。今日も場内にある「豊ちゃん」で朝食を食べてから、いつものコースで仕入れ。活けものは久しぶりに鱸。
初めてのお客様Tさん御夫妻来店。しみずさん来店。Hさん四名様で来店。こういう時に限って、大勢様の問い合わせのお電話あり。当然、お断りすることになる。大台さん遅い時間に来店。
今日もいつもどおりに一通り飲む。ビールが旨く感じるので体調はよさそう。
美味しんぼのウソ1
6月18日月曜日晴れ ○
古本屋さんで他の本と一緒にネタとして「美味しんぼ」(原作 雁屋哲 画花咲アキラ 小学館)二二巻、五九巻、六五巻を買ってくる。
この六五巻のP六五〜六七には下記のように書かれている。
以下引用
柳美里さんは、在日韓国人です。
サイン会を開こうとしたところ、主催者側が脅迫され、サイン会を中止しなければならなくなったことは、皆さん良くご存じのことと思います。
脅迫した人間は、柳美里さんが韓国人だというので、強い反感を抱いているようです。
しかし、考えてください。日本の文化を傷つけたでしょうか、
とんでもない!
その逆でしょう。
私たち日本人は、柳美里さんの作品というすばらしい宝物を、日本文化のひとつとして持つことができたのです。
本当だよね。
日本の文学がこれでまたひとつ豊かになったんだもの・・・・
柳美里さんだけじゃあありません。
文学賞を取った在日韓国人、朝鮮人は一〇人をくだりません。
韓国、朝鮮人は日本人に差別されることを恐れて、日本風の名前を使うことが多いので、うっかり見過ごしがちですが、彼らの活躍は文学にとどまらず、音楽、演劇、映画、芸能、スポーツと、それぞれに超一流の才能の人間を生み出しています。
うむ・・・言われてみれば多いね。
彼らがいなくなったら日本のテレビ画面がずいぶん寂しくなるそうだよ。
韓国人、朝鮮人が彼らの文化を背景に、日本文花を押し広げ深める活動をする。
彼らは日本文花を豊かにしてくれた。
これこそ多文化主義でしょう。
韓国風海苔巻き、キムチラーメン、そして柳美里の小説。
多文化主義の生み出した宝物です。
ところが日本人はまだ、韓国、朝鮮人を差別しています。
在日韓国人、朝鮮人は就職の際も不利になることが多い・・・・
これで私たちはボーリン・ハリソンに煽られている今のオーストラリア人を批判できるでしょうか。
・・・・・そうだよね。
日本人の韓国・朝鮮人に対する差別は恥ずかしいよ。
多文化主義の恩恵を受けながらね。
引用終わり
これらはオーストラリアの有色人種に対しての差別から始まったストーリーの中に書かれていることであるが、在日朝鮮人が世界中で一番優遇されている外国人ということを隠して書いているばかりでなく、オーストラリアの有色人種差別も、日本人も在日朝鮮人を差別しているから同じだと書いているのです。
<脅迫した人間は、柳美里さんが韓国人だというので、強い反感を抱いているようです。>というのは本当であろうか。では同じところに書いてある<文学賞を取った在日韓国人、朝鮮人は一〇人をくだりません。>という他の方も朝鮮人だからといって、脅迫されているのであろうか。そのような事件が何件もおこっているとは思えないのですが。
そもそも、<韓国風海苔巻き、キムチラーメン、そして柳美里の小説。多文化主義の生み出した宝物です。>って・・・・・
韓国風海苔巻き、キムチラーメンが日本の文化の宝物でしょうか?
柳美里の小説のどこが宝物なのだろう。「日本の文学がこれでまたひとつ豊かになった」と書いているが、本当であろうか。
「まれにみるバカ女」(宝島社)にはジャーナリストの石井政之氏が柳美里について下記のように書いている。
<柳美里は「小説」と「事実」をいうふたつの顔を、時と場所によって使い分けているようにしか思えない>P五四
<この裁判(木下注 柳の小説「石に泳ぐ魚」をめぐって)だけが、なぜ最高裁まで行かざるを得なかったのか。小説だから何を書いてもいいだろうという特権意識、小説を書くのか現実を書くのか覚悟のない作風、そして自分の作品をものにできるのなら他者のプライバシーを見世物にしても平気だった柳美里という人間が原因なのである。
司法は「石に泳ぐ魚」という作品を裁いたのではない。柳美里という人間を裁いたのである>P五九
また、売国奴列伝の柳女史のところで既に一部引用させていただき書きましたが、同じ「まれにみるバカ女」で、呉智英氏は下記のように書いています。
<私は、柳美里が、女であることを強調しようが、朝鮮人であることを立脚しようが、未婚の母であることを題材にして小説を書こうが、そのこと自体は別段批判しない。それは小説家としての選択である。問題なのは、柳がそうした弱者という権力を、意識的あるいは無意識的にふりかざすと、普通なら当然起きるはずの批判も起きなくなることである。
二〇〇七年九月、柳美里のかつてのデビュー作「石に泳ぐ魚」に対する出版差し止めの最高裁判決が出た。
略)
判決後の柳美里のコメントにおかしな言葉があるのだ。
「日本における文芸作品の可能性はもとより、表現の自由を著しく制限するものと言わざるをえず、慚愧にたえません」(『朝日新聞』九月二八日付け)
慚愧って、そういうふうに使うか。>
<一九九七年二月、東京・神田の三省堂で開かれる予定だった柳美里のサイン会が、脅迫電話のため、中止になった。このときのコメントで、柳はこう言っているはずである。「卑屈な行為には屈しない」
柳美里が、「慚愧」「卑屈」を間違えたのは、彼女が朝鮮人だからではない。これらの漢語は、日本語も朝鮮語も基本的に同じである。
略)
サイン中止事件は、右翼もどきの愉快犯の男のいやがらせ、というのが真相らしい。この男は、事件の前にも、柳美里がエッセイを書いている「週刊朝日」に抗議の電話をしているという。
柳という姓は、リュウかヤナギにすべきで、朝鮮人が日本人にYu・MiRiという読み方を強制するのはおかしい、と、その男は主張したらしい。柳は、この男の主張は、植民地支配下の創氏改名と同じ不当なものだ、と批判している。(「創」九七年八月号)>P六〇〜六一
朝鮮語読みを日本国民に強制し、それに対して反論されると、「植民地支配下の創氏改名と同じ不当なものだ」と批判するバカ女。こんな女性の作品を<日本人は、柳美里さんの作品というすばらしい宝物を、日本文化のひとつとして持つことができた>といっている雁屋哲氏。
バカからのメール
6月17日日曜日 晴れ ○
久しぶりに日本語を理解できないバカからのメールです。
管理人
2007/06/17 14:35:27
本日いただきましたメールと返事です。
差出人 酒たまねぎや管理人 <buta.kinnsyouniti@tamanegiya.com>
送信日時 2007年 6月 17日 日曜日 2:32 PM
宛先 <takehisa.××@ezweb.ne.jp>
件名 Re
> あなたは福本潤一が公明党を離党したことを御存知ないのか。そんなことも知らずに、
> 十羽ひとからげに物を考えて悪口雑言を書き立てる勉強不足野郎に名乗る名などない。
> そもそも人に名を名乗れと言っておきながら御自分が名乗っている箇所がどこにもない
> ではないか。そこからして本末転倒だ。直ちに事実関係を洗い直し、謝罪の言葉を述べ
> よ。そうして頂いた時点でこちらも素性を明かし、名を名乗ります。そこまでする気が
> ないのなら中途半端にあることないこと、ないことないこと書き立てるな。
酒たまねぎやの木下です。
メールありがとうございます。
伺いたいのですが、
貴殿は日本語が不自由なのでしょうか。
> あなたは福本潤一が公明党を離党したことを御存知ないのか。そんなことも知らずに、
> 十羽ひとからげに物を考えて悪口雑言を書き立てる勉強不足野郎に名乗る名などない。
福本潤一氏が「池田大作氏命という気違いの集まりである創価学会」が母体の公明党を離党したのはいつですか?
私が福本潤一氏について書いたのはいつですか?
時系列というものを理解できますか?
後、
> そもそも人に名を名乗れと言っておきながら御自分が名乗っている箇所がどこにもない
> ではないか。
これもマジに貴殿は書いているのでしょうか?
それとも、池田大作氏命の貴殿は頭に血が上って創価学会や福本潤一氏ところだけ見ているのでしょうか?
私のホームページには本名から電話番号から住所まで掲載してあるはずです。
もう少し普通に文章を読んで理解したほうがいいと思います。
日本語の文章も読めないし時系列を理解できないというその程度の腐った脳味噌の人間から謝罪を求められる謂れはありません。
もっと普通の頭なってから他人の文章を批判いたしましょう。
恥ずかしいですよ。
あっ、恥を知らないからこのようなメールをくださるのですね。
失礼いたしました。
ぜひ、返事をお待ちいたしております。
ネタになるので。
酒たまねぎや
木下隆義
6月16日土曜日 晴れ ×××
朝、河岸に行く。帰ってきてから仕込みを終えて、スポーツセンターへ行く。今日は体も軽い。ベンチプレスは三人となったために久しぶりに三分程度のインターバルのため回数も多くなる。四〇?×六、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×八、一〇〇?×八、九〇?×八、九〇?×六、八五?×六、八〇?×八、六〇?×一五。
HIROKOさん来店。Iさん五名様で来店。大台さん二名様で来店。Y@横浜さん来店。
ドンチャン。営業終了後、寿司屋さんに伺う。
6月15日金曜日 晴れ ×
朝風呂に入ってから河岸に電話し、品物を店に届けていただくようにお願いする。岐阜羽島の駅まで館さんに送っていただく。ゴルフ組の人たちにとっては絶好の日和。
昼前に店に着く。
一名様来店。遅い時間にKさん三名様で来店。マロさん来店。
醴泉へ
6月14日木曜日曇りのち大雨 ×××
「醴泉『酒の会』」参加のために午前八時三六分東京発ひかり三六五号にて岐阜羽島に向かう。岐阜羽島駅には醴泉蔵元である玉泉堂の社員の方が出迎えてくださる。他の参加の方々とともに会場である「四季のふるさと養老」へ。
一〇〇人もいらしている会場にはどういうわけか酒屋さんばかりでなく、磯自慢、初亀、美丈夫、松の司、百年の孤独、黒龍、往馬、明鏡止水、根知男山、雑賀など多くの蔵元さんもいらしている。蔵元の利き酒に他の蔵元さんが大勢来る希有な利き酒の会・・・・・・
利き酒では醴泉正宗 山田錦35%(17BY、18BY)、蘭奢待(火入れ)18BY、純米大吟醸(山田錦43%)18BY、純吟山田錦 純米吟醸50%(17BY、18BY)、特吟山田錦 吟醸18BY、純米山田錦18BY、純吟雄山錦55%18BY、本醸造18BYなどを利き酒。
二時過ぎまで昼間から飲む。その後は「ゆせんの里」に移りチェックイン。わたしと同部屋は大阪の酒屋さんの山田浩三さん、時任第一さんといううか弟の三郎さんの方が有名人。醴泉の社員の庄田さん。
七時前にバスで「山彦」という焼肉屋さんに移動し、恒例のコンパニオンさんも混じってドンチャン。出された肉はレバ刺しをはじめどれも旨い。山チャンの結婚式の前夜祭は、不味くて高いだけの料理屋ではなくやはり焼肉屋さんでやるべきだった。
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「蒙古」と呼ばないで!
6月13日水曜日晴れ ×
今日の産経新聞で<「蒙古」と呼ばないで! モンゴル留学生ら「漢民族作った蔑称」>という記事があった。
以下引用
略)
「蒙古」には「無知で古臭い」という意味のほか、「暗い、覆いかぶせる」という内容があるという。東京外大モンゴル語学科教授で日本モンゴル学会理事の二木博史さんは「蒙古という呼び名は漢民族ができるだけ野蛮な表記にしようとしてできた言葉。モンゴル人を蔑視(べっし)している。原則的に民族名や言語の名前はカタカナ表記にすべきだと思う」と訴える。
日本人の「蒙古」という呼び名は鎌倉時代から始まったといわれる。かつて大阪外大は蒙古語学科を設けていたが、1962年にモンゴル語学科に変更した。NHKでは2001年3月14日放映の「その時歴史は動いた」で、蒙古は差別的な意味を持つとして「蒙古襲来」を「モンゴル襲来」として放送した。
しかし、現在でも多くの大学や団体などで「蒙古語」と呼ばれ、「日蒙辞典」や「訪蒙」として使われているケースも目立つ。中学、高校の歴史教科書には元寇の「蒙古襲来」の表記が残り、赤ちゃんのお尻をさす「蒙古斑」も使われている。関係者は史実や慣例語は基本的には問題にしない方針で、できれば使わないでほしいという姿勢だ。
ただ、この運動を難しくしている問題が存在する。中国への配慮だ。中国は少数民族としての蒙古族と行政区としての内蒙古自治区を有する。中国では当たり前のように「蒙古(モング)」と呼ぶ。蒙古の名前がついた製品もある。モンゴル留学生たちは「呼び方変更運動は決して政治的なものではない。民族主義的な発想でもない」として中国を刺激することを避けようとしている。
日本モンゴル協会長で早大の吉田順一教授は「中国には蒙古を使わないでという要望はできません。日本人への啓蒙という意味で静かに運動していくつもりです」と話している。(露久保孝一)
引用終わり
(2007/06/13 06:22)産経新聞
支那は我が国には些細なことでも強く言ってくるが、その逆は馬耳東風・・・・・
今日は河岸が休みなので、午後よりスポーツセンターに行く。
Tさん来店。Yさん来店。遅くなってYさんの奥様来店。Wさん来店。Eさん来店。Hさん来店。一名様来店。Hさん来店。大台さん二名様で来店。
ドンチャン。
腐れ売国奴がまたひとり
6月12日火曜日晴れ ○
今、産経新聞のホームページでは、横田御夫妻提供によるめぐみさんの写真を見ることができる。http://www.sankei.co.jp/special/torimodosumade/
犯罪国家北朝鮮の手先である朝鮮総連本部がなんと公安調査庁元長官の会社に売却されたというニュースがあった。
脅されたのか、金で転んだのか、どのように取り込まれたのかわかりませんが、尋常では無い事態です。
金ちゃん、マロさん四名様で来店。Nさん二名様で来店。
ドンチャン。
李登輝氏の靖國参拝
6月11日月曜日晴れ一時大雨 ○
李登輝氏の靖國神社参拝に関して、麻生太郎外相が、仙台市内の講演で、「李氏は84歳で、第一線を退いた人だ。(太平洋戦争で日本兵として戦死した)兄が靖国神社に祭られており、元気なうちに参拝したことに何の問題があるのか」と述べ、批判される理由はないとの認識を示したというニュースがありました。(2007/06/10
20:52)産経新聞
また、町村信孝前外相も「一私人たる方の行動であり、目くじらを立てる方が時代錯誤ではないか」
自民党の中川昭一政調会長も「何が問題なのか。(李氏の)お兄さまが祭られているところに行きたいとの気持ちを大事にして、そっとしてあげたい」
当たり前の事です。
李登輝氏も九日、日本外国特派員協会で記者会見し、「家族とともに兄の遺霊に冥福を祈ることができた。一生忘れられない」と満足そうに語ったそうである。
そして、<「中国やコリア(韓国、北朝鮮)が(靖国問題を)歴史、政治問題として取り上げるのは、(国内問題を)自国内処理できないためだ」と指摘。その上で「批判される理由はなく、(戦争で)亡くなった若い人を祀ることは、当たり前のことだ」と激しい口調で訴えた。>
とありました。
李登輝氏の来日は二〇〇一年、〇四年に続く三回目であるが、講演や記者会見も初めてという今までの我が国の対応の異常さが良く判る。
あの売国奴の河野洋平が害務大臣をやっていたときだけでなく、二〇〇二年に予定された慶応大学の講演会は、バカ慶応大学当局の反対にあい頓挫している。
支那、朝鮮という国はこちらが譲歩したら、向こうがまた前に出てくるだけの国である。恩を恩と思わない国です。
我が国も国家として普通の対応をするのが一番いい。
李登輝氏の言葉がそれを良く現している。
今日は夕食を食べに出た以外は、部屋にいた。
テレビを見ていたら、「アミューズメントマシンの発表会」とかいうのに芸能人が出ていたが、パチンコの事だった。パチンコがアミューズメントマシンと呼ばれているとは知らなかった。
あほらし。
6月10日日曜日大雨のち晴れ ×
午前中はすごい雨。店を片付けてからスポーツセンターに行く頃にはすっかりやんで薄日がさすくらいでした。
今日は昨日できなかった背中、肩、腕、下半身などのメニューを消化。
夕方より国分寺にある焼き鳥「串串」(くすくすと読む)さんでマルガリータさんのお誕生日会にKさん、Hさん御夫妻、Tさん、「石松」のマスター、Tさんなどとともに「強制参加」W
お祝に持ち込みは初亀の出品酒。ビールで乾杯の後はドンチャン。亀がゴロゴロ空いていました。
最終電車にやっと間に合い、部屋に帰った後は風呂に入ってバタンキュー。
腐れ社説
6月9日土曜日晴れ時々雨 ×
朝日新聞の若宮だけで無い腐れ社説。
以下引用
北斗星(6月9日付)
略)
▼中国の目覚ましい経済成長の陰で、環境汚染の危機的状況が指摘されているが、その影響は中国一国にとどまらない。日本と中国は一衣帯水の地。わが国にとっても見過ごせない問題だが、これも
いつか来た道
▼他がうらやむほどの成長を成し遂げ、便利で豊かな生活を楽しみながら、途上にある隣国に自制を求めていくことは、道理に反する。身勝手というものだろう。双方、協力しあって解決すべき課題だ
略)
秋田魁新報社 社説平成一九年六月九日
http://www.sakigake.jp/p/column/hokuto.jsp?kc=20070609ax
都合により大国と発展途上国を使い分ける国。安保理常任理事国であり、核保有国でそのミサイルの照準を我が国に向けている国。自国にはまだ洞穴に住み、電灯もない生活をしている国民がいながら有人宇宙飛行を成功させ、アフリカ、中米などに多額の援助してる国。
そんな国に自制を求めていくことがどうして身勝手なんだろう。
これを書いた記者はアホウとしか言い様が無い。
また腐れ新聞社が一社。
午後よりスポーツセンターに行くが時間が無かったので、胸部のみのメニューを消化。
土曜日だというのに昨日と違って大忙し。ウ−ちゃん、塩月さん来店。Aさん二名様で来店。HIROKOさん二名様で来店。三名様来店。二名様来店。Sさん御夫妻来店。
御心遣い頂き感謝。ドンチャン。
チョンイル新聞の李登輝氏についての記事
6月8日金曜日晴れ一時小雨 ×
昨日、李登輝氏が午前中に靖国神社参拝した。今日のチョンイル新聞にどう書かれているのか興味あったが、小さく二つ程の記事でがっかり。
昨日のインターネット版での記事<訪日している台湾の李登輝・前総統は7日午前に靖国神社を訪問する意向を固めた。関係筋が6日明らかにした。李氏は「(第2次大戦で日本軍人として戦死した)兄貴がまつられているのに行かないのは人情として忍びない」と、靖国訪問に意欲をみせていた。訪日は「私人としての学術文化交流」が目的とされ、安倍首相は靖国訪問は問題ないとの認識を示している。だが李氏の訪日自体を「台湾独立を勢いづかせ中日関係を破壊する」と批判している中国当局の強い反発は必至だ。>(2007年06月07日01時07分)
訪問・・・・・
まあ、別の記事では<台湾の李前総統、靖国神社を参拝 「個人的行為」と説明>(2007年06月07日10時55分)
となっていましたが・・・・
今日は金曜日だというのにヒマ。岡部ちゃん来店。御近所にお住いという御夫妻来店。
ヒマということで、早い時間からドンチャン。
6月7日木曜日晴れのち一時雨 ×××
北朝鮮から小さな漁船で四人の朝鮮人が青森まで逃げて来たというニュースがあり、それに対しての先日の腐れ新聞チョンイル新聞の社説が笑わせる。
以下引用
脱北者?小舟に託した命の重さ
略)
深浦港にいた釣り人や漁師たちは「よくもあんな粗末な船で」と驚いた。高い波が来れば、途中の日本海で転覆しかねない古びた小舟。持ち物などから、北朝鮮の工作員でないことは、ほぼ間違いなさそうだ。だとすれば、追いつめられた家族が、本当に命がけで海を渡ったということか。北朝鮮での厳しい生活の一端がうかがえる。
略)
日本では昨年6月、北朝鮮人権侵害対処法が施行された。その中に、こんなくだりがある。
「脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする」
今回の出来事は、直接渡ってきた脱北者に対し、この法律にのっとって対処する最初の事例になった。政府の適切な対応が求められている。
4人は「韓国に行くつもりだった」と話しているという。日本政府と韓国側とが調整を進めた結果、どうやら本人たちの望みはかないそうだ。
脱北者への対応には、こうした近隣各国との連携が欠かせない。
略)
今回のケースとは事情が異なるが、日本にはすでに100人を超す脱北者が暮らしている。大半が、かつての帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人と日本人配偶者、その家族たちだ。
脱北者を支援するNGOなどが力を貸しているものの、日本語教育や就職などを含め、生活支援の手だては乏しい。
この人たちをどう支えるかについても考えたい。
引用終わり
2007年06月04日(月曜日)付朝日新聞社説
腐れ新聞らしく、かって、北朝鮮を理想国家と讃えて在日朝鮮人とともに多くの日本人を騙して地獄に落としたことも書かれてなければ、現在の北朝鮮への批判もないだけでなく、「かつての帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝鮮人と日本人配偶者、その家族たちだ。脱北者を支援するNGOなどが力を貸しているものの、日本語教育や就職などを含め、生活支援の手だては乏しい。」と我が国の対応を批判している。
まあ、らしいといえばらしいですけど。
夕方、磯自慢の寺岡社長、美丈夫の濱川社長、滝自慢の杉本専務がいらしてくださる。
今日は予約も無いしヒマだろうと思っていたら、どういうわけか大忙し。
Hさん来店。Yさん二名様で来店。W大のSさんIさん四名様で来店。一名様来店。濱ちゃん、ケイザブロウさん、Aさん来店。グラシアンのピンクとブルゴーニュの白でドンチャン。遅い時間にNさんが送別会の流れで一五名もの皆さんで来店。
洗い物どっちゃり。ドンチャン。
6月6日水曜日晴れ ×××
国民金融公庫の帰りに新宿スポーツセンターに行く。今日は最後の有酸素運動二〇分までほぼ総てのメニューを消化することができたが、ベンチプレスは相変わらず。
夕方、初亀の橋本社長、美丈夫の濱川社長がわざわざいらしてくださる。
Hさん3名様で来店。初めてのお客様二名様来店。大台さん来店。石川県からというSさん来店。明日サンシャインで開かれる日本酒フェアのためにいらしたそう。石川県の野々市にお店があるということで、ぜひとも今度は野々市でドンチャンというお約束を。
6月5日火曜日晴れ ×××
淡路島の中学時代の友人だった宮崎謙次の奥様の由貴さんよりタマネギがどっさりと届く。感謝。早稲田からこちらに店を移すときだから宮崎が逝ってからもう一一年。
Kさん四名様で来店。初めての客様二名様で来店。酔狂師さん来店。大台さん二名様で来店。
ドンチャン。李さんと飯。久しぶりに蒙古苑。
6月4日月曜日晴れ ○
午後より、新宿スポーツセンターに出かける。久しぶりなので、身体が重い。ベンチプレスもイマイチ。
店に寄り資源ゴミを出してから部屋に帰る途中に古本屋さんに寄る。
「オーストラリアの歴史の旅」「田岡一雄自伝」などを購入。オーストラリアの歴史についてはタスマニアの先住民の虐殺について詳しいことを知りたかったのと、田岡一雄自伝には戦後の朝鮮人などの三国人の暴虐ぶりが詳しく描かれているので探していた一冊。
今では「三国人」というその言葉さえ批判の対象になるが、自業自得という言葉が良く似合う。在日朝鮮人と言わずに今は在日コリアンという日本語と外来語のミックスという変なものを使うところが増えているそうだが、「三国人」同様この言葉もいずれ差別用語として言葉狩りにあう運命なのでしょうか。そのうち「あの人たち」とかしか使えなくなるのでしょうか。
あほらし。
6月3日日曜日晴れ ○
店を片付けてから、さっさと部屋に帰る。部屋の掃除と整理。葬儀の喪主というのも初めてですが、終わった後もいろいろとある。
6月2日土曜日晴れ
Fさん二名様で来店。初めてのお客様二名様来店。オガピー来店。金ちゃん、マロさん来店。
ドンチャン。
6月1日金曜日晴れ
今年は五月三〇日に開店記念をできなかったので、今日と明日の二日間粗品を来店していただいたお客様にお渡しすることにする。
バンブーさん来店。Sさん二名様で来店。わ。さんG23さん三名様で来店。Hさん来店。Nさん来店。Tさん二名様で来店。大阪からKさん来店。中島さんお弟子さんたち三名様と来店。MIKIKOさん来店。Tさん二名様で来店。