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飲んべえ日記平成18年9月分

教え子
9月30日土曜日晴れ ×

 Wさん来店。二名様来店。そのうちのひとりは、私の中学の時の同級生で今は中学の先生をしている前田の教え子だそうな。確かに、淡路島で一緒に飲んでいたら店でそこいら中に彼の教え子に会う。Tさん来店。大台さん二名様で来店。皆さんお帰りになって、ひとりで飲んでいると副店長来店。営業終了後、一緒にエムズバーさんに伺う。

四年
9月29日金曜日晴れ ×

 今日の救う会全国協議会ニュースです。全文を掲載させていただきます。
以下引用
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.09.29)
 本日、9月29日、塩崎恭久官房長官への面会で家族会・救う会が首相官邸の会議室に入った所、予定にはなかった安倍晋三新総理が加わり、40数分の間、家族会・救う会と懇談することとなった。26日に首班指名で首相となって3日目の本日は、閣議で、安倍首相自らが本部長となる拉致問題対策本部の設置が決定され、北朝鮮に大きな圧力を与えたが、本日はさらに衆参両院で首相の所信表明演説が行われ、この中でも安倍総理はすべての拉致被害者の返還を強く求めると述べ、さらに夕方、拉致問題対策本部の幹部すべてが家族会・救う会との懇談に参加し、さらに北朝鮮に圧力を加えたことになった。なお、首相官邸のホームページでも拉致問題の項目がトップページのトップに掲載されている。

 拉致問題対策本部が新たに設置されたことにより、従来の各省局長級の専門幹事会(特命チーム)は、全省庁の大臣等トップが参加する組織に格上げされた。
今後は、塩崎恭久官房長官・拉致問題担当大臣が副本部長、中山恭子総理大臣補佐官が事務局長となり、拉致問題連絡・調整室と従来の特命チーム下にあった二つの組織が政策企画室と情報室に更新され、事務局長の下に置かれることになった。

 主な参加者は以下の通り。
 政府=安倍晋三総理、塩崎恭久官房長官、鈴木政二官房副長官、下村博文官房副長官、中山恭子総理大臣補佐官、安藤裕康副長官補、佐々江賢一郎アジア大洋州局長、梅田邦夫同参事官、三谷秀史内閣情報官、河内隆拉致問題連絡調整室長、その他

 家族会=横田滋・早紀江代表夫妻、飯塚繁雄副代表、増元照明事務局長、横田
拓也事務局次長

 救う会=佐藤勝巳会長、島田洋一副会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務
局次長

■タラップで待ち受けるあの感激を味わってもらいたい−安倍総理、家族会に
安倍 私の内閣で塩崎恭久官房長官に拉致問題担当大臣になってもらい、新たに拉致担当補佐官になってもらうことになった。また、本日、拉致問題対策本部を設置し、私が本部長、官房長官が副本部長、中山補佐官が事務局長となって、すべての生存者の返還を達成したい。皆様方におかれてもこの問題は長く続いてその心労は大変なものだと思います。我々も全力で取組んでいきたい。

塩崎 この1年、外務副大臣として拉致問題に関係してきた。日銀の先輩である横田さんのお嬢さんの拉致は以前から認識してきた。精一杯努力し、一日も早い全員の無事奪還をめざしたい。

横田滋 これまで担当大臣を置いてほしいとお願いしてきた。また、専任の担当者もお願いしてきたがすべて実現し感謝している。今日の所信表明でも、拉致問題の解決なくして国交正常化交渉はありえないと言っていただき、また自ら本部長となって対策本部を作っていただいたことに非常に期待している。北朝鮮が時間稼ぎをしようとしても、この布陣ではありえない。一世一代の強力なメンバーで解決のためにご尽力賜りますようお願いしたい。

 以上の冒頭の挨拶の後、自由懇談が行われた。安倍総理は、これまでも戦略外交として、大臣、副大臣、政務官が海外出張するときは、必ず拉致問題に言及するようにしてきたことを披露した。拉致問題を初めて聞き大変驚いた大統領もあったという。また、10月29日から、家族会・救う会4名がニューヨークに行き、各国の国連代表部を訪問することが報告された。安保理の北朝鮮非難決議に含まれる制裁の実行を求め、また次回決議で拉致・人権をその理由として盛り込むことを訴える。その他中国人拉致もあることを中国政府に訴え、お互いに被害を受けているので北朝鮮に圧力を加えるべきと訴える予定であることも報告された。
また、12月の北朝鮮人権週間に合わせ写真展用パネルを用意する他、自治体や各地救う会が活用できるもので、写真展用パネルが作成できるCDを作成中であることも報告された。その他、西岡副会長が現在訪韓し、短波放送用に録音等を行っているが、NHKで北朝鮮住民に被害者保護や報奨金を与えることを放送できるよう要請した。

 安倍総理からは、「小泉総理訪朝から4年も経った。10月には5人が帰国した。みなさんにもタラップで待ち受けるあの感激を味わってもらいたいとの思いでずっとやっていきたい」との発言があったが、その間、総理が少し涙ぐむ場面もあった。増元事務局長から、有本夫妻から安倍総理実現に感極まって涙声で宜しく伝えてほしいとの伝言があったことが披露され、また横田早紀江さんが、長い長い間、できる限りのことをやってきた、と発言があった後のことであった。

 家族会からは、いつも不安な気持ちで官邸に来ていたが、今日初めてさわやかな気持ちで玄関をくぐれた、今日という日をどれほど待ち望んできたか、等の発言もあった。
引用終わり

 ここまでくるのに四年間。少しでも早く解決をしてほしいものです。その為にも、我が国国内の北朝鮮犯罪組織を壊滅してほしい。

 一名様来店。二名様来店。一名様来店。Mさん来店。
ドンチャン。

あれれ???
9月28日木曜日晴れ ×

 朝、部屋から駅に向かう途中にバイク用の黄色いぴっちりウエア、ヘルメットを着用したマウンテンバイクに乗った男性がさっそうと側を通り過ぎていった。そして、五〇メートルぐらいいって止まってバイクを店頭の従業員に預けて「いらっしゃいませ」といわれて入って行った所・・・・ソープランドでした。
最近はあのテの店って、ああいった格好で行くものなのか?????

 河岸から帰って来たら、店に一通の封書。開けてみると当店のホームページを御覧になってくださっているTさんという方から手紙とともに「
BURMA VICTORY」という洋書のコピーが同封されていました。あの愚かなインパール作戦についてのイギリス側からの戦記。Tさんはロンドン出張の帰りに飛行機の中で読むつもりで購入されたそうです。私は英語は苦手というより全くダメですが、休みの時にでも私なりにがんばって読みたく思います。ありがとうございました。

 洲実高の同級生である玉置がOさん、Mさんと来店。こちらにいる数少ない同窓生のひとり。大台さん二名様で来店。Oさん三名様で来店。御来店いただいた他のお客様は、私と玉置との会話に出てくる「べっちゃない」「がいな」などという淡路島の方言に驚かれたのではないでしょうか。
 べっちゃない=大丈夫
 がいな=大きな
 私にとって、楽しい時間でした。当然、ドンチャン。


留学
9月27日水曜日雨のち晴れ ×

 河岸が休みなので、午後よりスポーツセンターにいく。胸部と三頭筋などのメニューを消化。ベンチプレスの時に、補助についていただいたインストラクターの方のミスにより一〇〇キロのセットの時に四〇キロのウエイトが片方だけ三七・五キロ(バーが二〇キロ)でやってしまったために、バランスを崩して、その後もイマイチ。まあ、いつも確認しているのに、怠った自分が悪いから仕方ないです。
 夕方より晴れてくる。
 ホロン部員Yさん、友人の方と来店。明日よりフィンランドに二年間の留学ということで、友人のかたはお見送り。醴泉の仕込み水で炊いた御飯と刺身。九時頃成田に向けて出発。
 初めてのお客様二名様来店。Kさん二名様で来店。二名様来店。二名様来店。
飲む。でもドンチャンというほどでなし。

アフガニスタン駐日大使のメッセージ
9月26日火曜日雨 ○
 
下記のメッセージは平成七年四月二六日に開かれた「アジア賢人円卓会議・アジアの独立を祝う夕べ」に寄せられた当時のアフガニスタン駐日大使であるアミール・モハバット氏による祝辞の全文です。

<アジアの独立を祝う夕べ開催に際し、心からお慶び申し上げます。
 この「アジアの独立」というネーミングで、すぐ私の頭に浮んだのは、「ヨーロッパの栄光は、東洋の屈辱である」といの言葉です。
 これはたしかアルジェリア人のファノン氏によるものと記憶しています。今世紀初頭まで、ただしくアジア・アフリカを含む多くの国々が、彼ら白人(コーカサス人)、いわゆるヨーロッパを形成するアングロ・サクソンによって植民地化されており、その民族としての尊厳と誇りは長い間失われていました。
 わがアフガニスタンも例外ではなく、過去大英帝国と数度闘い、最近では旧ソ連による武力侵攻に対し聖戦を発し、徹底抗戦を行い、今日の旧ソ連邦解体の序曲ならしめました。
 イスラムの兄弟たちのあたたかい支援とともに、日本の友人たちの心からの協力に深く感謝している次第であります。
 私は日本に来て二〇年になります。祖国のカブール大学卒業後来日し、東大、一橋大学で学びました。もちろん日本語も不自由ではありません。
 新聞等も読んでいますが、最近不思議なことに気が付きました。今年は第二次世界大戦の終わりから五〇年目の節目との事、それに関連して国権の最高機関である国会で不戦決議を行うらしい事。
 ーーー何か悪いことでもなさったのですか?
 もちろん、私は日本の内政に干渉したり、意見を言うつもりはありません。
 私は申し上げたい。日本は、日露戦争によって東洋の屈辱を払拭し、有色人の正義を列強に主張した最初の民族ではありませんか、と。
 あの戦い以来、いかに多くの民族と支配されていた国々が勇気付けられたことでしょう。それらは歴史的事実として今日に至っております。The Graet East War(大東亜戦争)では、一敗地にまみれました。しかし、日本国の当時の立場を考えた場合、誠に崇高な理念の植民地解放、民族独立、西欧列強に対する自衛の戦いであったと思います。
 また、どれだけの植民地が日本のお陰で独立を勝ち得たでしょう。
 これらは、二〇世紀の歴史における疑いのない事実なのです。
 これらすべて、民族解放と人類平等のために日本人とともに闘い、そして散った先人達の尊い行為と行動の恩義を、私は信じます。
 日本の皆さん、終戦五〇年を迎えるにあたり、このようなすばらしい催しを開催されることは、誠にうれしい限りであります。
 わが祖国も現在大変困難な時にあります。けれど、民族としての自覚と誇りを忘れない限り、永遠に滅びることはないと確信しています。
 私は、願わくは日本の友人たちと我々のいつまでも変わらない友情を祈っております。>
「聴け!日本無罪の叫びー戦後五〇年決議と被告・村山富市」(中根眞太郎著 星雲社 平成七年)p一三九〜一四一より引用

 この時は、バカ首相村山富市、外務大臣及び自民党党首河野洋平、衆議院議長土井たか子という売国奴トリオでした。批判を受けるであろうことを承知で書けば、この年に本名は「
李高順」とWillに書かれている土井たか子の地元である神戸であの阪神淡路大震災もあり多くの犠牲者がでました。

 凄い雨。メチャヒマ。二名様来店。遅い時間にSさん大勢様で来店。
一通り飲むが、ドンチャンにはほど遠し。



脱力
9月25日月曜日晴れ ○
 
日頃の不養生がたたり、かったるく、せっかくの休みなのに何もする気になれずに、一日が終わる。寝転んで読んでいた「ソウルに刻まれた日本」(鄭雲鉉著 武井一訳 桐書房)は、いかにも現代の朝鮮人の人が書きそうな本でした。
 一九九九年に出されたこの本は、我が国の朝鮮半島統治における建築物から言葉まで、現在も朝鮮に残る日本統治の影響とされるものについて、その背景などいろいろ書いていますが、それについての解釈がどうすればここまで歪んでみることができるのだろうと思われる書き方ばかりです。一九五九年生まれの戦後世代である鄭氏は、いわゆる「親日派」追求に余念のない方で著書には「親日派罪状記」などもあります。

 戦後世代といえば辛淑玉女史、 田麗玉女史、李在順女史などもそうですが、この鄭雲鉉氏も同じく、黄文雄氏がその著書「韓国は日本人がつくった」(徳間書店)に書いている、まさに「醜い韓国人」そのままでした。
黄文雄氏はこの著書で、小中華を自負する歪んだ属国根性による事大主義が培った醜い朝鮮人の性格の形成について書いていますが、その著書の最後の章で「本当の被害者は日本人である」として下記のように書いています。
 <最後にもう一度言おう。朝鮮総督府と総監府時代から戦後を通じて現在までの一〇〇年来、日本から半島へ移転した資本と技術、そのなかで残してきたインフラ建設や最先端技術などは、韓国人がいくら努力しても地力では成し遂げることができなかったものだ。このことを、韓国人自身がもっとよく考えるべきである。
 また、韓国人は「加害者は過去を忘れようとするが、被害者はそう簡単に忘れられない」とも言う。しかし、歴史を二分法で考え、被害者と加害者のみに分けるのはいかがなものか。>
 続いて黄文雄氏は「韓国人の情緒構造」(伊淑姫著、岡田聡訳 新潮社)よりの引用で李圭泰の言葉として
<そして韓国人は子供のように「弱者を自認し、自ら被害者となり甘えることで最小限の欲求と生存条件を充足させるしかなかった」>
 黄文雄氏は最後に下記のような言葉で結んでいます。
<これまで述べてきたように、大日本帝国の恩恵を一番受けているのは、ほかならぬ韓国人だろう。近代国民国家づくリにおいて、日本からの人的、財的、精神的な支援をこれでもかというほど受けているのだ。戦後の日韓関係を考えると、韓国人は日本人以上に「甘えの構造」をもっているのではないか。騒ぎわめいたら、すぐに親があめ玉をくれるということを、韓国人は心得ているのだ。>
P三三一〜三三二

ごもっとも。しかし、この黄文雄氏の言葉は彼らには届かないのでしょう。きっと、今までと同じように喚き続けているだけなのでしょう。あほらし。


「くすくす」さんへ
9月24日日曜日晴れ ××

 昼からスポーツセンターに行く。昨日できなかったメニューを消化。
夕方より国分寺にある「くすくす」という名古屋コーチンを扱っているお店へ伺う。ステファンさん、Maxさん、HIME、マルガリータさん、Sさん、そしてTさんは仕事が終わってから合流。Maxさんは美味しいワインを二本も持ってきてくださる。
二件めは高円寺の「アジアンママ」というお店。
ドンチャン。

とりあえず
9月23日土曜日晴れ  △

 午後より、スポーツセンターに行く。一〇日ぶりのベンチプレス。こわごわと最初の六〇キロでアップ。左肩の痛みもあまりないので、いつものメニューにて消化。
六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×八、一〇〇?×八、九五?×六、九〇?×六、八五?×九、八〇?×八
やっと一〇〇?×八の三セットができる。二年ぶり。
三頭筋のメニューを消化して帰る。
途中、小川さんがオーナーの柳町「かがり火」さんにてお願いしてあったイベリコ豚その他のお料理を受け取る。(めちゃ、サービスしてくださってありがとうございます)
 今日のお客様のピエールさんは魚が一切ダメだそう。
 Tさん三名様で来店。ピエールさん、TIZUKOさん御夫妻、ステファンさん、HIME、マルガリータさん、Sさん、Maxさん来店。ピエールさんのお誕生日ということでドンチャン。Uさん二名様で来店。インチキラクターさん来店。
ドンチャン。

とりあえず
9月22日金曜日晴れ ×××

 神奈川よりKさん来店。一名様来店。きんチャン、マロさん来店。
ドンチャン。記憶はあったと思っていたのですが、やっぱ、いいかげん。

田麗玉
9月21日木曜日晴れ ○

 また、日本人が脱いだ履物を、向きを変えて揃え直すこと事についても
<日本人は西洋人が同じことをすれば文化の違いだといって見すごすが、アジア系の人の場合には、しかめっ面をして履き物の方向を変えて揃える。中国から来たある女子留学生は、中国語を教えている生徒の家に行った時、自分の脱いだ靴の向きをさざわさ変えているその家の母親の姿を見て、その偏見と傲慢さに大いに傷つけられたという。もちろんその母親に悪意があった訳ではないが、それでも、そんな時「ああ、中国ではそうするものなんだ」と考えるゆとりが、その母親に、ひいては日本人全体にはないのだろうか。略)
 日本人には乱雑さからくる妙な安らかさというものがわからない。自分流のやり方で生きるという痛快な自由さを、やはり彼らからは考えられない。彼らにとって、振り向いて履き物を脱ぐ不便さより後のことまでしたという達成感、安堵感のほうが大切なのだ。そして型にはまった社会にあわせて生活する彼らには、緊張のほどけた安らかさというものがわからないのだ。>
P一三三〜一三四

<誰もが日本は先進国であるという。たしかに金持ちの日本をそう呼ばぬ理由はない。しかし、日本にいる間、私は一度も日本が先進国だと感じたことはない。正確にいうと、私が分類する先進国の範ちゅうに日本は入らないということだ。人間を中心に置き全てに優先させる国、暮らしにおいて多様な選択が許される国、国家が国民のために色々してくれる国。そして何より生活に潤いがあり余裕のある国が先進国であるというのが、私の素朴な考えだ。>

 このように内容はむちゃくちゃですので、全南大学国文科講師をしている水野俊平氏、呉善花氏や金文学、金明学兄弟の本などで、多くの人々にその内容、人格を批判されています。
??水野氏からは「田麗玉氏が書いた『日本はない』は『韓国人は正しく、日本人は愚かだ』という二分法の下、限りなく日本叩きに熱中した『怪物』のような本だ」と指摘され、
 金氏からは、「デタラメで嘘八百の大法螺話」とまでいわれています。そして、それは韓国にこそ当てはまるとまで書かれています。
呉善花氏に対してこの田麗玉女史は著書の中で「呉善花という韓国女性」と題して
 「呉善花の印税に協力するのも悔しかったが、私はその下らない本を買ってじっくり読んでみた。そして、これは何かの目的を持った本だと感じた。ほとんどの頁が日本を地上の楽園と信じ込んだ酒場の女の話で埋められているのだが、明らかに目的は一つ、「韓国をこきおろす」ことにあった。彼女は自分を生んでくれた祖国であまりいい目を見なかったようだ。物質的にも豊かではなかったし、ファースト・レディになろうと女軍にまで入隊して接近して男にも振られてしまったようだ。特に韓国名門女子大の梨花女子大に対する敵意は尋常ではない。ところが、彼女は個人的問題点にまず目を向けるよりも、全てを韓国社会、韓国人の責任にしている。略)  そればかりか韓国のハングル重視策にも難クセをつけている。漢字の便利さ、優秀さを知らずに「何でも自分の物なら最高」という意識のさせるわざであり、多くの日本人が韓国旅行で不便を感じている、とそう主張するのだ。  
 わたしはこの部分を読んで、ふとふしぎな気分にとらわれた。それは他ならぬ多くの日本人が私に向かっていっていたことだったからだ。ハングルで育った世代の我々は何の不便も感じないし、それに「旅行」伝々については、日本人が何気なしにいったことなので我々はそのつど我国のハングル専用の努力について説明してあげた。日本人は「それでもやはり不便じゃないか」という。この底には、韓国とのつながりが途切れるのではないかという心配が横たわっているらしかった。
 結局私は、この本の著者が「呉善花」なる名を貸してやって、「日本人のいいたいこと」を代弁してやっているのではないかと思い至った。私の見る所では、日本人こそ自分の国のことを盲目的によくいってくれる外国人を最も好む民族だ。日本に来て偶然日本のことをそれらしく美化して「神秘の日本、人情の溢れる日本」などと書いたり喋ったりする外国人は、たちまちにして金持ちになる。
 一方、日本はアジア各国をその細い目で身わたしながら「日本は良くて我々は悪く劣悪だ」という話を聞きたがる。
 台湾出身の作家邸永漢(現在は日本に帰化)も、中国人の派閥主義、蔭で足を引っ張る習慣などを非難して、相対的に日本を持ち上げている。
 これと似たことをいってくれてる韓国人を、どうやら日本人は探し出したようだ。その点で、「韓国世界に敵意を抱き日本にやってきた呉善花」はまさに適役であった。もちろん呉善花というのは本名ではない。駐日韓国大使館の調査によると、一九五七年前後に生まれた女でそんな名前の者はおらず、また軍隊入隊の事実や、地方の無名大学の名も皆ねつ造したものであることが明らかになった。つまり、問題の多い女を押し立てて、数名のゴーストライターが「日本人の聞きたがっている話を韓国人の口」で話せる作業を始めたということなのだ。この本を読んで多くの韓国人は、著者は彼女一人ではなく、何人かの日本人と組んで作りあげたものだと話していたが、私もそう思う。
P103〜105
 
 と書き、呉善花氏が(経歴とともに)偽物であると断定し、エリート意識むき出しだしで、梨花女子大出身の自分と比べています。
ちなみに、下記は呉善花氏の正論に掲載された経歴です。
 一九五六年済州島生まれ。大学卒業後、軍隊生活などを経て、八三年大東文化大学に留学(英語学専攻)。東京外国語大学大学院修士過程終了(北米地域研究専攻)。現在、国際グローバル・コミニュケーション・センター主任研究員。拓殖大学日本文花研究所客員教授
(著書の「スカートの風」には一九九〇年として大邸大学卒業後、四年間の軍隊生活を終えて病院に勤務した後、大東文化大学の留学生となる。途中、ロンドンのカレッジへ留学。東京外国語大学でアメリカ、カナダ比較文化を研究中。最近は東アジア史に興味をふくらませているとあります)

 この田麗玉女史というどうしようもないバカ朝鮮人女性は、続けて下記のように書きます。
 <最初、呉善花のことが話題になった時、留学生らはもちろん、東京特派員団の間でも色々論議の的になった。興奮した女学生らは日本でこんな本が出ないよう何か対策を立てるべきだと主張した。
韓国をこきおろしたこの下らない本を教材にする日本の大学教授が現れたり、実際、授業で「韓国人が自国を最も客観的に見た初めての本」だと紹介し、ゼミのテーマに取りあ韓国人学生らにむりやり討論をさせたりした先生もいる。これらの教授連中は例外なく、ふだんから韓国を「別に大した国でもないのに偉そうにしている国」と考えている人たちだという。彼らは授業で、日本が植民地時代に教育、生活面、交通面で画期的な善政を敷いたので今日の韓国の奇跡的発展がもたらされたという論理を展開している連中だという。
 教授と口論になってそのまま帰国してしまった学生も多い。また、何とか学位だけは取らなければと怒りをぐっとこらえて聞いている学生たちもいたという。
 こんなことは以前は見られなかった現象だ。日本の経済成長、国際的な力の蓄えと軌を一にして徐々に現れてきた現象だ。彼らがずっと心に思って伏せてきたことをやっと口に出し始めたのだ。
 それでも直接いうのは良心にもとるとばかりに、日本人は呉善花なる韓国女性を担ぎ出した。
 わが国の歴史や現状について平均水準以下の知識しかもたない彼女はこの頃日本で、完全に「韓国問題専門家」の扱いを受けている。彼女が韓国についてどれだけ知り、どれだけ正しい知識とバランスのとれた思考の持ち主だあるかは、ふつうの日本人にとってはどうでもいい。いかなる韓国史の学者や専門家もしてくれなかったことを彼女はしてくれているからだ。日本人が韓国に対し抱く反感、蔑視を、韓国人の彼女が代弁してくれているからだ。>
p一〇五〜一〇六
<呉善花という韓国人女性は、かって日本軍が兵士の士気を高めるためにつれ歩いて下水処理場の役目を強要したあの「従軍慰安婦」に似ている。>
P一一一

 そして、その呉善花氏より正論紙上で
 <金・ワンソブ) そう言えばKBS(韓国放送公社)の東京特派員だった田麗玉さんが、九三年に書いた『日本は無い』(邦題『悲しい日本人』という本で、『スカートの風』は呉善花が書いたものではなく、誰か日本人が呉善花の名前を使ったものだと断定してました。その問題はどうなりましたか。

 呉善花氏)『醜い韓国人』の著者が実在の人物でないと言われると、同じように、『スカートの風』の呉善花も実在の人物ではないと言われる。その後、テレビや雑誌に私が出るようになるとそうした虚報は消えましたが、架空の人物でなくなると、今度は「呉善花は日本の右翼に買収されてる」となるわけです(笑)。田麗玉さんにも「第二の従軍慰安婦」と書かれました。彼女は従軍慰安婦に同情すると言いながら、結果的に従軍慰安婦を差別するような書き方をしています。(略)>
 金・ワンソブ氏と呉善花氏による 「安易な謝罪と無茶な非難 日韓友好を阻害する"歪んだ"符号」  平成十四年「正論」十二月号p266より

このバカ朝鮮人女性は自分の知識、頭の程度を棚にあげて平気でこのような事をホザいています。大部分の日本人にとっては朝鮮などどうでもいいのです。ただ、朝鮮がクソ五月蝿く言ってくるので鬱陶しいだけなのです。

後書きもこの朝鮮人らしい言葉で書かれています。
<その昔、我々は日本に文物を伝えました。こうした我々の役割は、先生でいうとまめな家庭教師、飛行機でいうと一種のトランジット・エリア、つまり経由地だったと思います。もちろん、これをどう評価するかは人それぞれですが、ほとんどの日本人は韓国を全く評価していなくて、そればかりか常に低く見ています。特に最近国際的に高まった日本の地位の利用して、それまで「到底いえなかった」胸中をついに堂々と口に出すようになりました。韓国は日本に沢山の借金があるとか、日本は韓国に侵略というよりむしろよいことをしてあげた、等々。
略)
多くの人が日本に学び、日本のようになろうといいます。
略)
日本式経営方針や社員教育を学び、TV番組も日本のものをそのまま真似ています。たしかに投資なしに早く全てを実現しなければならない我々の立場からするとしかたない面もありますが、これはむりやり我々に日本式の方法を強要しているにすぎません。>
P二四四〜二四五
アホとしか言い様がありません。なんで、朝鮮のTV番組がわが国のマネをするのが、無理矢理強要しているとなるのでしょう。流石は朝鮮人流です。
それに続く
<我々の望む先進国とは、決して日本のような国ではありません。日本のように非人間的で、歴史的に不潔で、道徳麻痺現象の国には住みたくないのです。国より国民の息吹きの強く感じられる国を望むのであって、日本のように国が国民がの抑圧し操り、苦しめる国を、我々はいいとは思いません。>
アジア最大の売春婦輸出国家、千年属国民族から歴史的に不潔となどといわれたくはありません。このバカ朝鮮人女性のいう朝鮮人にとっての高潔な道徳感とは何でしょう。他国に密入国まで犯罪を繰り返すことでしょうか。なぜ、世界各国で朝鮮人の問題が続出しているか理解できないようです。

また、『新・悲しい日本人』の四八ページには
 加瀬氏
 朝日新聞に最近韓国人が寄稿していますが、「植民地時代を経験した世代 より解放後に生まれ育った世代のほうがより一層反日感情が強い」と書い てありました。田先生は解放後のお生まれですから、そう書かれている世 代に属されているのかなと思いますが。
 田麗玉
 世代は関係ありません。まず日本が過ちを謝罪するのが当然だと思います。
 加瀬氏
 戦後世代の方が反日感情が強い理由は、徹底した反日教育のせい だろうと思いますね。
 田麗玉:
 それでは聞きますが、植民地時代のすべてが悪くはなかったというなら、 何故日本人は何代にもわたって首相が替わる度に謝ったんですか。日本人 は悪くないのにどうして謝ったんですか。

まるで、子どもと喋っているようです。このような人が南朝鮮の代表的なジャーナリストと扱われているわけです。
私は、この田麗玉という人とあの在日朝鮮人の辛淑玉とがオーバーラップして見えます。どちらも典型的な朝鮮人女性として・・・・・・

 ジャーナリストとしても、また人格も問題だらけと思われる人間をスポークスマン(ウーマン)としているハンナラ党の底が見える気がします。
まあ、党代表になったという故朴正煕大統領の長女の朴槿恵議員にしても、偉大な父親と違って日韓関係について「両国指導者らの正しい歴史認識が必要だ。過去の問題が両国の未来志向的な関係に障害とならないよう願う」と南朝鮮の政治家といえばらしいのでしょうが、いかにもという声明を発表しています。

 マルガリータさん来店。大台さん来店。Oさん息子さんと来店。
飲む。


田麗玉
9月20日水曜日晴れ ○

 キチガイ朝鮮人(いや典型的?)の田麗玉女史の第三弾です。
<特に在日朝鮮人は日本人にとって、外国人ではなく、害国人だ。>
P一一二
<私は韓国で、「あんたはチョッパリ(日本人)だから家は貸せない」といわれたという日本人に、一人もあったことがない。>
P一一三

 日本人が信用あるのは当たり前です。すべて、我々の先人のおかげです。また、その逆もこれまた真理です。すべては自業自得です。

 このバカ朝鮮人女性の今の日本で最も尊敬されているのは「小原庄助」だと書いているにはアゼンとさせられます。
<今の日本で最も尊敬されているのは政治家でもなければ、経済人でもない。その昔いたという小原庄助という大富豪だ。かれは朝寝をし、ありとあらゆる美食と酒を楽しみ、一日中風呂に入っていた先駆的な「一九九〇年代の人物」だったようだ。(注、一九九〇年というのは店主の引用間違いではありません)>
P一六六
 小原庄助なんていっても、若い人は知らんでしょう。しかし、誰に聞いたか知らないが、日本で一番尊敬される人が「小原庄助」・・・・アホ過ぎ

<日本の基準では私の生活の質は上級クラスに属する。一二坪のマンションに部屋二つ、浴室、台所まで備えて、自由ヶ丘という高級住宅地に住んでいるのだから、誰の目にも暮らし向きのいい独身女性に映る。
 しかし私はいつも、これだけの金でもしソウルやニューヨークで暮らせば映画俳優並みの生活ができるだろうと考えた。ところが、旅行はしても海外で生活したことのない日本人にはこのことがわからない。彼らは海外旅行はしても、ホテルの部屋で粉末スープで味噌汁を作り、ミニ電器釜で日本から持参した米をたき、うめぼしをおかずにした食事に感激するのがオチだ。私には、多くの日本人が自国を最もきれいで治安のよい国だと単純に考えていることが驚きだった。>P一六九〜一七〇
 おそらく、普通の日本人の感覚ではこのバカ朝鮮人女性の暮らしを上級クラスと思う人はいないでしょう。ましてや、ホテルで味噌汁、そしてわざわざ日本から持っていった米を炊くという日本人がいまどきいるのでしょうか。

 松坂慶子が無名の男性と結婚したことについて
<日本映画界の動きを調べる時、松坂慶子の存在を省くわけにはいかない。両親がともに韓国出身という彼女は日本一の美人女優で、
略)
日本の芸能記者たちは特ダネを逃したことも残念だが、結婚相手も気に食わない(これまで彼女がつきあった男は金も名もある、いわば持てる者たちだった)。相手の男の出目がはっきりしないとか、生活能力がないとかいって足を引っ張る共同戦線を張った。>
P一七八〜一七九
<日本のテレビでは、四五秒毎に一人ずつ死ぬといわれている。残忍シーンを美化して喜ぶ民族性、この日本人の属性を確かめさせてくれるのがテレビだ。それで在日外国人にとって最大の恐怖がテレビだというのだ。>
P一九八
 美人というものはひとそれぞれの感じ方でしょう。普通は日本人はこういう書き方はあまりしないものです。だれが、松坂慶子を日本一の美人女優と決めたのでしょう。
 在日朝鮮人の割合が芸能人、スポーツ会で七〇%を占めていると書いている(P一九一)のに、矛盾してませんかね。あと、小柳ルミ子、岡田嘉子などについて書いているが、週刊誌ネタ、テレビネタなどでインターネット上でのこの著書は自ら取材した感じがしないと指摘されています。それもそのはず、同じバカ朝鮮人のひとりである柳在順女史からその著書「下品な日本人」(まあこれも、この田麗玉女史に負けず劣らずの柳在順女史のあほうぶり全開の本です)において、パクリだとまで書かれています。(「悲しい日本人」p二〇六)でも、どっちもどっちですからわかりません。何しろパクリは年中行事というより朝鮮文化でしょう。
 ましてや、そんな朝鮮人から下記のようなことは言われたくはありません。
<一〇年ぐらい前までも、日本人は産業スパイとして非難された。小さくはパリ・コレクションのデザインの丸写しから、大きくは新商品情報の丸飲みなど、それこそ外信欖をにぎわした。今ではその日本が韓国を始め世界各国に対し、技術移転を拒んでいる。汗を流して苦労もしないで手を差し出してもダメだというのだ。
 日本が今日の経済大国になるまでには、おそらく多くの日本人記録者、民間情報提供者、自発的産業スパイ(?)らの苦労があったことだろう。>
P二二五

 <一緒であれば善悪の判断力も完全になくなる日本人の集団主義は、かつてその被害者となった我々には軽く見なすわけにはいかない。
略)
 その集団意識がもたらす異常な力と破壊力。ひどい被害を受けた我々としては・・・>
P二二七
 朝鮮にそんな被害を及ぼしたことなどございません。感謝こそされ、恨まれる覚えはございません。
 
<私は日本のお色気番組のもつ残酷さにだんだん気づき始めた。その内容をよく分析してみると、ほとんどが正常な性関係の話ではなかった。
略)
今やそのテーマはほとんど強姦だ。それも複数の男が女をもてあそんで、そして殴り、犯す・・・。好奇心からこれを見る青少年は、女性をどうして愛せようか。案の定日本のほとんどの男は女がセックスの時嫌がるのをかえって「好き」の表示と勘違いしているという。
略)
 日本の場合は、その異常さに問題がある。彼らが好む対象は幼児であったり、>
P一九九〜二〇〇
これも、世界一の強姦天国の朝鮮から言われたくありません。

 まあ、この田麗玉女史という朝鮮人女性の性格の異常さは下記の発言にも現れています。
<特派員は大した地位ではないが、記者として出発した者なら誰しも一度は夢みるものであることは明らかだ。
略)
 が、誰もが望む地位であるがゆえに、当時の私にそれは意外な発令だった。それだけに私の喜びは倍加した。略)
とりわけ身障者オリンピックで金メダルを取ったような気分だった。
P二三一

 朝鮮人の身障者の方がたに対しての醜い扱いは有名です。障害を持つそのような幼児を海外に養子出すという名目で捨てている国です。

<私は日本ですごすうちに在日同胞の境遇について知り、本当に彼らを尊敬するようになった。特に日本名を用いず民族名をそのまま使っている人は本当に愛国者と思うようになった。なぜかというと、私のような一時的滞在者でも意に反して日本式の名前になってしまうことがあるからだ。韓国式に「田(チョン)」というところを、日本人にあわせて「田(デン)」と発音してしまうのだ。レストランの予約を取る時など、そうなってしまう。民族音で予約すると、いくら早いめに申し込んでも当日は良くない片隅の席に案内されるという経験を何度もしたからだ。これは在日同胞も同じで、そんな時は仕方なく日本名を使うという。
 日本人なら姓を変えるのは簡単と考える。が、「創始改名」まで体験した我々としては、レストランでいい席に座るだけのために一時的に日本名を用いることにも抵抗があり、いい席を横目にしながら片隅でがまんしたりした。こんなささいなことでも韓国人であることが不便なのが日本だ。
略)
今、在日同胞は六八万人という。ところがこの数字は三〇年間変わらない。つまり彼らの多くが日本人になっているということだ。これはもちろん日本政府の陰険で根強い同化政策の結果だ。韓国席をもっていてはちゃんとした職にもつけないし、やっとの思いで職場に入りこんでも帰化を求められる。韓国政府もまた、在日同胞に対しては傍観しているだけだ。
略)
日本につれてこられ、ありとあらゆる苦しみをへながら、子どもには民族の名前とキムチの味を知らせようとしてきた彼らの民族意識はついにムダになってしまう。>
P二三七〜二三九
 日本式の読み方をしてどこがおかしいのでしょう。そして、通名などという偽名を使ってわが国で生活している外国人は朝鮮人だけです。
 一〇〇〇年属国であった朝鮮において「創始改名」などは、何度もやっております。それも朝鮮人自ら望んでやっています。自国史をもっと学ばれることをお勧めします。無理かな〜。
 それよりも、この田麗玉女史は算数はできるのでしょうか。毎年多くの在日朝鮮人が帰化している(近年は一万人以上)のに在日朝鮮人六八万人という数字が変わらないということは、それだけ朝鮮人が戦後も戦前同様に日本に勝手に来ているということであろう。これって連中がよくいう強制連行か!!!
 在日朝鮮人は三〇万人以上が帰化している。それなのに在日朝鮮人の人口は変わらないことがどうして日本政府の陰険で根強い同化政策の結果になるのだ。在日朝鮮人はつぎからつぎと湧いてくるゴキブリか。そういえばわが国の過酷な朝鮮半島統治でも朝鮮人人口が倍にもなった例もありますから、ゴキブリなみの驚異的な生命力、繁殖力を持っているのかも知れません。
あほらし!!

 スポーツセンターに行く。ベンチプレスなど胸部のメニューは消化せずに、背中、肩などの軽い負荷でのメニューを消化。
 二名様来店。Mさん三名様で来店。


田麗玉
9月19日火曜日晴れ ×

 バカ朝鮮人女性田麗玉女史の著書についての第二弾です。
「幸せであってはならない人々/三章」として
<わたしは日本は絶対に「過去の精算」ができないと考える。アジアを始め、莫大な被害を与えた諸国に対し、日本は「賠償」し「過去を謝罪」することが絶対にできない。真珠湾攻撃後日系アメリカ人を強制収容所に隔離したことについて、アメリカはずっと謝罪し、二万ドルの補償金と大統領名義の謝罪書簡を伝えたが、そんなことを日本はできない。なぜなら日本人は自らすすんで過去を精算できないでいるからだ。
略)
 日本はここに来て、全てを闇に葬ろうとしており、韓国などアジア諸国に対して、逆に、いつまでも過去のことをいうといってそれとなく非難している。今や、かってあんなに隣人に大被害を与えたその一家は、運良くにわか成金になった。そしてだんだん傲慢になり、我々が一体何をしたというのだとばかりに脅しをかける。例のならず者の子とその弟子たちについて、彼らをちゃんとしつけられなかった両親を始め家族全員が事の是非を問い反省すべきであるのに、何と全員口をとざし、何事もなかったかのように楽しく笑いながら暮らしている。おそらく罪の意識がないからそうできるのだろう。こんな特異な国で、過去の精算などという新奇なことができるはずがない。

p六六〜六七

<初めてニューヨーク取材に出かけた時のこと。私は「国連見学コース」というのに沿って、大した期待感もなしに色々見て回るうちに驚くべき事実に出会った。展示場のまるまる一室を占める「日本の広島原爆記念室」というのがあった。びっくりするほど英語のうまい、「ハエ一匹も殺せないような」日系三世が案内役をしていた。一言々々に感情のこもった彼女の説明によると、原爆で二〇万人の日本人が惨死し(そのうち二万人が韓国人である事実には一言も触れなかった)、彼らは今でも悪夢のような毎日を送っていると言う。原爆について話しながら実はアメリカを責めているのだ。
略)
 私は本当に喉からぐっとこみあげてくるものを感じた。何も暴力と殺人がいいというのではない。
略)
ただ、私は、アメリカがなぜこんな「原爆記念室」のような決定的証拠を残したかと、それが残念でならなかったのだ。
略)
日本は全世界に向かって、自分の被害と不幸を「人道的次元」で訴え、罪もない人たちに罪意識を強要している。残酷きわまりない戦犯、加害者の日本が、いつのまにか場所を替え、徹底した「被害者」の悲しげな顔をしている。
 それはまるで、残酷な拷問で人を殺しておきながら、拷問室から出て便所へ行き用を足してから出ようとしたとたん、しきりに足がぶつかったからといってその痛みを皆に訴えているようなものだ。>
p六八〜六九

<金持ち日本は、ありったけの金をかけて、被爆状況を映画その他のメディアを通じて宣伝する。国連もまた然りだ。日本は国連に莫大な負担金を払いながら、加害者から被害者へのイメージ・チェンジを図っている。ユダヤ人がナチスの虐殺行為に関する沢山の映画を作るように、彼らは多くの原爆ドキュメンタリーを作って、米国といっしょに戦って苦しんだ連合国に向かい執拗にざんげを求めている。ばかげたことだ。
 日本人よ。ユダヤ人は加害者だったが、あなた方はユダヤ人ではなく、ドイツと同じ加害者だったことを忘れてはいけない。そして、アジアの全ての人が、あなたたち日本人の血にまみれた手をよく覚えているということを決してわすれてはいけない。>
p七〇

<日本人にまじって我々も楽しく食事をした。冷たいビールや、韓国から空輸した貴重な焼酎まで飲み回しながら「花見」をした。楽しそうに輪になって談笑する人々、日本茶をおいしそうに飲みながら実に平和に土曜の午後をすごすこれら沢山の人々。まことに絵のような光景だった。映画みたいに……。ところが私には、何ともいいようのない憤り、裏切られたような気持が湧きおこってきた。一向に訳の分からない感情だった。
 公園を後にした時、仲間の一人がいった。
 「私たちにあんな悪いことをしておきながら、どうして日本人だけがこんなに幸せに平和に暮らせるんだ……」
 呟くような彼のことばに、皆一斉に「ああ」といって互いの顔を見た。そうだ全く。世界で最もひどい植民地統治をした連中がどうしてああも平和な顔をして、こんなにいい暮しができるんだろう。「まるで白鳥の仮面を被った黒鳥だな。この公園は、いってみれば白鳥の湖・・・」冗談半分で話しながら帰る我々は皆が皆同じ憤りを感じていたらしく、そのことが私の怒りをやや静めてくれた。>
p七〇〜七一

 この無知な朝鮮人女性による我が国への嫉妬心がありありと描かれています。朝鮮人を地獄から救った我が国は朝鮮人から感謝されこそすれ、このように恨まれるような事はやってはいません。朝鮮人の感情の異常さがよく判ります。
このような文章が延々と続きます。
<わたしにはどうしても日本が信じられない。
 こんな日本を相手に我々はこれ以上過去の問題を話す必要はない。相手が全く話しあう気がないのに我々だけが話ししている。我々のできることは、ただ日本を見守ることである。そして我々は、本物の人権、平和、正義が実現される道徳的でもっとすぐれた国を作ればよいのだ。
 日本への我々の関心、ある意味で長い間続いた愛情(?)と期待を、今や捨て去る時が来た。>
p73

 頼むから、これ以上まとわりつかないでくれと言いたいものです。
櫻井よし子氏に対してもこのアホ朝鮮人は言及しています。
<従軍慰安婦問題を日本の現場で見つめることができたのは、私に日本人の実体を見、その本心を読み取る絶好のチャンスとなった。彼らは最初、人間としてありえぬ恥ずかしいことだといって身の置き場所を知らなかったが、次第に本心を少しずつ表に出し始めた。とりわけ「声なき多数」の日本人たちの拍手に迎えられた「スター」が誕生した。ルポ作家のKだ。
 彼女は某週刊誌で従軍慰安婦は必要悪であり、戦時の状況で起きたことを今のような平和時に論じること自体が話にならない。日本は韓国に対し六五年の日韓協定で賠償は全て終えたはずだと主張した。
 略)
(こんな常識のない人間をジャーナリストとして登場させられる国は日本しかない)
 略)
 Kは一言でいうと、ファシズムと帝国主義に染まった時代錯誤の戦争狂に似ている。彼女は人間がいかに高貴な存在で、人生とはいかにあるべきかを知らない。そして女性が人間であるという事実を知らない。もちろん彼女は大した言論人でもないし、見識ある人間でもない。だが、真に恐ろしいのは、そのような非人道的な論理が日本のマスコミに受けいられ、彼女のような者がマスコミのスターとして再登場できたということである。>
P七九〜八一

 だれも、こんなアホ朝鮮人からこんなことは言われたくはないでしょう。
ましてや売春立国の朝鮮人から売春について言われたくはありません。
 下記のようなことはあの厚顔無恥な在日朝鮮人の辛淑玉女史も書いていますが、無知を曝け出しています。
<人類の歴史上、慰安婦を引きつれ戦争した国、性欲の解消のため組織的に女性じゅうりんを行った国は日本以外にない。>
P八五
<人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国は地球上で日本しかない。強姦が犯罪なら、日本は集団強姦を制度化したまれな国である。私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。おそらく日本はその血の代償をこれからずっと払い続けなければならないだろう。>
P九七

<従軍慰安婦問題を論じる日本人は全員、金の話をした。そして強制ではなかった、証拠がない、などといった。しかし元従軍慰安婦のハルモニの「金じゃあなくて一七の私の青春を返してほしい」という絶叫、「あなたたち日本人は自分の娘、妹を金で従軍慰安婦にさせられるのか」という血のにじむ問いには、何も答えられないでいる。
 朝鮮を植民地化し朝鮮女性を日本兵のはけ口にもてあそんだ歴然たる事実をあくまで否定してかかろうとする日本人を見て、私は「永久に大人になれない日本人、道徳と真実の育たぬこの日本の島国的土壌」にかえって感謝し、ホッとする。そして、いくばくかの金をもらえれば自分の娘や妹でも軍人の性的奴隷として簡単に差し出したであろう彼らを見ていて、韓国人の私の意識の深層から正体のわからぬ限りない力、エネルギーがわいてくるのを感じる。>
P八六〜八七
 食べる為になくなく子供を売ることは、我が国でもありました。朝鮮でも同じです。ましてや、女性の地位など無かったに等しい朝鮮では当たり前の事でした。

このバカ朝鮮人女性の項はまだ続きます。

 今日の河岸は台風十三号の影響で魚が薄い。
 大台さん来店。龍星さん来店。Tさん来店。Eさん大学時代の野球部の先輩と来店。ドンチャン。記憶は珍しくあり。

外国人の文献に見る朝鮮(及び日本)3
9月18日月曜日晴れ ○

 URAホームページ「外国人の文献に見る朝鮮」の三回目です。

朝鮮の取り調べ、監獄
<ある日1人の若い常民が、両班の子弟と喧嘩している内に、誤って斧で脇腹を一撃して殺してしまった。 殺人犯である常民は、即座に捕らえられ守令の前に連行された。証人の中には被害者の父親もいた。一言二言三言訊問した後、守令は斧を持ってこさせてその父親に手渡し、縛られたまま地面に倒れている殺害者を指さしながら、
「こやつが、どのようにお前の息子を打ち殺したか、見せてみよ」と言った。守令はその父親に犯人をその場で殺害させ、煩わしいこの事件から早く逃れてしまいたかったのだ。>

<大きな邑には、捕卒から報酬を受けている盗賊の頭目が数人いつもおり、 人々が彼らの行為に耐えられなくなった時か、 守令がいつになく強い脅しをかけた時に、法廷に突き出されてくる。彼らを逮捕する時にも、比較的軽い犯罪については合意が出来ていて、それから捕卒が告発し、被告が是認する。重大な問題に関しては、すべて堅く沈黙が守られ、真犯人が自分の犯罪に対してそれ相応の懲罰を受けるようなことは稀である。
のみならず政府は必要なときに備えて大胆で図太い補助者を自らの手元に確保しておくため、世間に名の知れた数多くの泥棒を自由にさせておく。>

<許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。(以下要約)
一.棍杖(長さ一・六−二メートル、幅二〇センチ、太さ四・五センチ位の棍杖で殴る)
二.平棒、笞、棒杖
三.骨の脱臼と屈折(三種類ある。その内の一例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に二本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
四.吊り拷問
五.鋸拷問或いは足の鋸引き
六.三稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」
?シャルル・ダレ著 金容権訳「朝鮮事情」 P一一二〜一一四、P一一八〜一一九、P一二二〜一二四

<監獄は呪詛の的となり、拷問は自由に行われていた。
周期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。>

<罪人たちがその首をはねられた後、鳥や犬に食わせるよう野っ原に放り出して置かれるのを見て、不快感を抱いたこともあろう。
更に彼はしばしば行われた囚人に対する拷問や笞刑の光景を見て全く嫌になってしまったこともあるだろう。」 国王のロシア大使館逃避後。
「第2の詔勅が天下に公布され、兵士たちに自分たちの国王を守り、謀反の首謀者たちの首をはねて国王の所にそれを持参するよう呼びかけた。
この詔勅は集まった群衆の怒りを最高潮にかきたてた。
大群衆が前閣僚たちを殺害しようと捜し求めた。
2人の大臣(前内閣総理大臣金弘集と前農商工部大臣鄭秉夏の2人)が街路に引きずり出され、残忍きわまる方法で殺害された。
その内1人は首の後ろから耳の前にまでわたるひどい深傷を負っていたが、群衆はその彼が倒れるとき猛獣のような大きな歓声を張り上げた。
群衆はその死体に向かって石を投げつけ、或いは踏みつけ、又或ものはその四肢をずたずたに切り裂いた。
1人の男は自分の小刀を抜きはなって、死体の一つの内股の肉を切り取り、その肉片を自分の口に入れながら、
群衆に向かって「さあ!奴らを食おうではないか」と叫んだ。>
一九〇六年夏<二つの監獄を実際に訪れてみた。その最初のものは平壌で見たのであるが、そこでは一八人の男と一人の女が一つの監房に閉じこめられているのを見た。その男達のうち数人は木の柱にくくりつけられていた。囚人たちは痩せ衰えており、その身体は恐ろしい病気の明白な徴候を示していた。彼らの衣服は最低のものであり、その監房は筆舌につくし難いほど不潔であり、何らかの身体労働や労働もなしに、数年間も監房に閉じ込められたままなのであった。
 次の監獄、宣川(平安北道)のそれはもっとひどかった。その監獄の中はとても暗くて、部屋に入ってからしばらくは何も見えないほどであったが、地上に縛り付けられている三人の男がそこにいた。彼らの首と足は台柱にくくりつけられ、手は縛り合わされていた。部屋には明かりもなく通風窓もなかった。ただ僅かに壁に開けられた小さな穴があるだけであった。彼らの背には笞打ちで裂かれた恐ろしい傷跡があり、その手はきつく縛り付けた縄の為、所々骨が見えるほどに肉が裂けていた。そしてそれらの傷跡は、全て膿み放題になっていた。手足の上部は腫れ上がり、笞跡と水ぶくれができていた。一人の男の目はふさがっていて視力を失っており、まぶたからはたくさんの膿がたれ出ていた。多分両目を笞でひっぱたかれたのであろう。男達は終日動くこともなしに、こうして監禁されたままなのである。私は彼らを日のあたる場所に連れ出した。それは難しい作業であった。彼らのうち一人は四肢が萎えてしまっていて、すでに殆ど身体を動かすことが出来なくなっていた。彼らはみんな飢え衰えて、なにかを嘆願したり抗議したりする気力も失ってしまっていた。そこに私はこれまで見た限りでの地獄への一歩手前であった。>
?F・A・マッケンジー著 渡辺学訳「朝鮮の悲劇」P二七〜二八、P三三、P七九、P一一九〜一二〇

 私の引用させていただいた「植民地朝鮮の研究」に、著者の杉本幹夫氏のコメントとして、「マッケンジーは監獄の改善が遅々として進まないと伊藤総監を非難しているが、この時期日本は少数の顧問を送り込んだだけで、内政は韓国に委ねられていたのである。略)
天安の独立記念館に行くと、日本時代の拷問風景の蝋人形があり、日本時代が暗黒時代であったかのような印象を受ける。しかし日本は併合後このような厳しい拷問を止め、監獄を改善したのである」と書かれています。(同書P一四六)

まだまだ続きます。でもゆっくり・・・・

 今日は部屋から外には一歩も出ず、引きこもり。おかげで、冷蔵庫の中はカラッポ。「柔道ワールドカップ」とかいうのをテレビでやっていたが、それぞれの出場者は勇ましい言葉を吐き、いかにもテレビ局らしい構成。
どこのチャンネルにも「安部、麻生、谷垣」の三氏が登場。麻生氏が「働かない者に対して働いている者がお金を出すというのはおかしい」というような発言(正確には覚えていたいないが)には大賛成。ニート対策などに貴重な税金を使う必要があるのだろうか。ニートなどという引きこもりは、親などが飯を食わしてくれるから働かないというアマチャンなだけでしょう。そんな輩には飯などださなければ、普通は死にたくないだろうから自分なりになんかして銭を稼ぐでしょう。「働かざるもの食うべからず」まさにこれでしょう。ニート対策とか
猪口のバカが騒いでいるくだらない処に税金を使うより本当に必要なところに使ってほしい。
今日は早く寝る。


四年前
9月17日日曜日雨 ○

 四年前、平成十四年の今日、小泉首相は北朝鮮にて金正日と平壌宣言に署名した。この平壌宣言は北朝鮮によりすでに破棄されたも同然である。
 四年間、北朝鮮により連れ去られた日本国民の拉致問題は何も解決していない。御家族の方が訴えていた北朝鮮への経済制裁、不格好な「万景峰号」の入港禁止、北朝鮮の国会議員である在日朝鮮人の再入国禁止などについては遅々として進まなかった。それが、北朝鮮がミサイル発射したことにより、大きく世論も変わった。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/news/20060707it12.htm

 どうして、これらの処置がもっと早くできなかったのであろうか。北朝鮮の我が国における犯罪組織である朝鮮総連も何とかしてほしいものである。
(朝鮮総連の犯罪については「わが朝鮮総連の罪と罰」韓光熙著文藝春秋刊に詳しい)
 インターネットの普及により在日朝鮮人が平気でついていた数々のウソが暴かれてきた。逆差別など許されることではない。何度も書くように在日朝鮮人の人々は自分が外国人であることを意識すべきだ。そして、今後、被害者面して強制連行されてきたなどという恥ずかしいウソはつかないことだ。

 午後よりスポーツセンターにいく。ベンチプレスでアップメニューの六十キロをあげようとしたら左肩の痛みがいつもよりあったので、胸部、肩のメニューは今日はなし。背中、腕、下半身と有酸素運動のみ。江上さんのところも休みだし、手っ取り早く、スポーツセンターに併設されているケアルームでマッサージをお願いする。骨盤のズレ、左肩の巻き込みを指摘される。九十分たっぷりとマッサージ。う〜んラクチン。
一度、店に寄ってから帰る。


田麗玉
9月16日土曜日晴れ ×

 以下は平成十六年四月一一日に書いた日記の追記です。
 韓国の総選挙(平成十六年四月十五日投票)で、ハンナラ党が故朴正煕大統領の長女の朴槿恵議員を党代表に選び、党の顔といわれるスポークスウーマンにKBSテレビの元東京特派員で女性評論家の田麗玉女史を任命したそうです。
 この田麗玉女史の事を進歩派と書いてあった新聞がありましたが、この人はかって日本に2年半滞在した時の『日本はない』というとんでも滞在記を出し、本などあまり読まない南朝鮮にて百万部も売れるベストセラーとなり続編も出ました。
 日本では『悲しい日本人』として「 たま出版」から出版されましたが、ツッコミ所満載で、いかにも朝鮮人らしさ溢れるこの本で前書きとして田麗玉女史は
<我々はすぐに日本に追いつける。我々がお手本とすべき国は決して日本ではない。むしろ、日本に学んだりまねたりせず、我々の闊達な気質と創意を生かせば、あの巨大な組立工場みたいな国、日本を尻目にできる。日本との精算されぬ過去を我々がそのままにしておけば、それは歴史に対する罪になる。被害者にされた歴史をありのままに位置付けることは、日本によるかつてない
悪辣な植民地支配を経験した唯一の民族である我々の義務だ。そうして、決して目の前のいくばくかの利益にとらわれて、偽善に満ちた、心にもな親善とか友好をかわさず、韓国人らしい率直さでもって、良心的に日本人に要求すべきは要求していくべきである。>
P三
 朝鮮人のいう一〇年とは永遠の一〇年として有名ですが、この朝鮮人女性も最初からバカ全開です。あと、このバカは我が国に統治された他の領土を知らないようです。朝鮮人は世界史を習わないというのは本当なのでしょうか。
そして、「日本から学ぶものなどない」と下記のように宣わっています。

 <しかし日本で二年半を過ごした今、私は決して日本から学んでも、日本のようになってもいけないという結論に達した。
 もっと正確にいうなら、いかなることがあろうと日本みたいな国になってはいけないということだ。その理由は、日本は私の考えていたような先進国でなく、さほど暮らしやすいところでもないからだ。そして最大の理由は、日本がまともな国でないということだ。
 日本はきわめてアブノーマルな国である。国家も国民も、ともにそうである。日本のあらゆる社会構造と人間関係は、力のある者とない者、金のある者とない者という非常に単純な図式によって支配されている。ところが、奇妙なのは、被害者、すなわち抑圧されている側の態度だ。
 日本では、持たざる者は持てる者から受ける圧迫を当然のように考えるばかりか、ある面ではそれを楽しんでさえいるようだ。まるで飼いならされた奴隷か召使のように、喜んで服従する。私は日本の政府と国民、金持ちと貧乏人、男と女のそれぞれの関係がまるでサディストとマゾヒストの関係のように思えてならなかった。
 飼いならされて支配されてやっと安心するという日本人の天性が結果的に「経済大国」を成し遂げただけであり、残酷な戦争をも引き起こしたのだろう。純真無垢な顔、蚊一匹殺せない弱者を装って日本は戦争を起こし、多くのアジア人、世界の人々を殺し、わが国の女性を安婦の名の下にじゅうりんした。>
p一七〜一八


<ある日の午後二時か三時だったと思う。三〇人ほどの乗客を観察していて、いつしか、「なんて日本女性はブスなんだろう」と呟いている自分に気づいた。そしてその時、一つの驚くべき事実に気付いた。私以外の乗客全員が目を閉じ、居眠りしているではないか。略)私が韓国で聞いていたのは、日本人は皆電車の中でも知識や情報をえるために読書をするということだったのに・・・・
 それれは私の想像していた日本と実際の日本とを分ける一種の分水嶺のような瞬間であった。>
p二〇〜二一

<韓国のように他人に頭を下げるのが不可能(?)な民族性と違い、日本人はまるでサービス業をするために生まれてきたかと思えるくらいに、特別な教育をしなくとも実に物を売るし、客あしらいも上手だ。この点、日本女性は金メダル級だ。>
p五〇

 <実際、韓国女性の地位に大きな影響を与えたのは日本帝国主義時代の三六年間だ。朝鮮時代まで夫婦間では尊敬語が使われていたし、夫も妻に敬意をもって対した。しかし、日本の植民地時代、妻を所有物扱いする日本文花の影響で女性の地位がいっぺんに低下した。これはかなり説得力があると思われる。
略)
 日本のある女性からこんなことを聞いた事がある。彼女はずっと韓国語を習ってきたが、ついに実践を兼ねて韓国観光にでかけることにしたという。略)
彼女の印象を悪くしたことに、韓国女性のことばがある。男ことば、女ことばの別がある日本と違い、女が荒っぽい男ことばを使うのに驚いたというのだ。とりわけ女子大生が男子学生を呼ぶ時「おまえ」というのにはいちばんびっくりしたという。私も考えてみれば学生時代そうだったので、韓国では特別な時以外はほとんどそう呼ぶものよというと、彼女は女がそんなことばづかいをすれば品がなく無教養に見えるといって譲らない。どちらがいいか悪いかはさておいて、とにかく日本語における女性の地位は話にならない。
 言葉は人間の思考をはかるものさしだ。日本語において一段低い立場に置かれている日本女性は、いくら経済的に自立しようとしてるといっても、精神的には決して自立できそうにないと思われる。>
p五四〜五五

 我が国が併合するまでの朝鮮人女性の地位などの事をよく調べてから書いてほしいものです。田麗玉女史自身、差別を叫びながら、多くの朝鮮人に染み付いている商売人蔑視が女史自身にもあるからこのような事を平気で書けるのでしょう。
このバカ朝鮮人女性の項は続きます。

 遅くなってから中島さん、原口さん来店。中島さんのお弟子さんのMさん呼び出されて来店。お二人の女性の方来店。
いつも通りに、中島さんのお弟子さんのSさんお迎え。午前三時・・・・御苦労様です。


逆差別
9月15日金曜日晴れ×
 
日本における逆差別の典型的なニュースがありました。
以下引用
唐津市営住宅:空室あるのに公募せず 市議会指摘に「同和対策用」 /佐賀
 唐津市営住宅に空き室があるのに同市が入居の公募をしていなかったことが、12日の市議会一般質問で指摘された。
 浦田関夫議員(共産)が「公平公正な運営を求めたい」とことわった上で、「入居したい人がたくさん待っているのに、なぜ公募しないのか」と追及。これに対し、進藤仁建設部長が、空き室の6戸は同和対策用であることを明らかにし、「02年に国の特別対策が一般対策に変わったが、まだ差別が残っているのではないかとして同和対策向けにしている」と理由を述べた。
 浦田議員は、そうした特例は「公営住宅法の趣旨に反している」とし、条例改正などで対応する必要性を指摘。進藤部長は、新たな条例の制定は否定。「差別が存在する限り、一般対策として積極的に実施していく」と答えた。
 市によると、一般市営住宅は05年度268件の申し込みがあり、入居できたのは65件だった。【田中操】
9月13日朝刊
(毎日新聞) - 9月13日18時2分更新
引用終わり
 よくいわれていることですが、同和対策とは何でしょう。何も騒がなければ、同和差別などというものは時間が解決してくれるものでしょう。
それを利権として手放したくないから騒いでいる輩が多いとおもいます。それは在日朝鮮人も同じです。差別差別と騒ぐ輩ほど胡散臭い。

 Iさん、Sさん四名様で来店。大台さん二名様で来店。Aさん二名様で来店。一名様来店。Yさん御夫妻来店。ホロン部員Yさん来店。


らしさ
9月14日木曜日曇り一時雨 ×

 在日朝鮮人の団体が不法占拠といういかにもというニュースがありました。
以下引用
◇高槻市が在日団体を提訴へ 中学校の一室不法占拠
 大阪府高槻市は5日、市立第一中学校の一室を1年以上、不法占拠しているとして、同市の在日韓国・朝鮮人団体「高槻むくげの会」に対し明け渡しを求めて大阪地裁に提訴する方針を明らかにした。9月定例市議会に関連議案を提出する。
 市教委によると、昭和60年度に「在日韓国・朝鮮人教育事業」をスタート。市教委は同会と日本語の識字学級や地域子供会などを共同で行い、「便宜供与」として同中学校青少年課分室の一部、約30平方メートルの使用を認めてきた。
 しかし、市教委はこの事業を平成13年度から「多文化共生・国際理解教育事業」に変更。
在日韓国・朝鮮人だけでなく、ブラジル人やフィリピン人などにも部屋を開放することになったが、同会が占有した状態が続いた。このため昨年1月、同年3月末までに部屋を明け渡すよう求めたが、
「差別、弾圧だ」などと拒否したという。
 同会は4月以降も明け渡しに応じず、部屋を無断で使用して日本語講座などを有料で開催。
光熱費は中学校が負担しているという。
 市教委青少年課は「他の市民に説明がつかない」。同会の李敬宰会長は「提訴は非常に遺憾。断固戦う」としている。
産経関西
http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya090602.htm
引用終わり

 今日、発売の週刊新潮(平成十八年九月二一日号P一三四)でもこの事についての記事が掲載されています。
それによると、この在日朝鮮人のメンバーが、高槻市教育委員会の幹部宅まで押しかけて「○○は差別者」などと記されたビラを撒く等など激しい抗議行動を展開したそうです。
 この不法占拠在日朝鮮人団体会長である李敬宰氏は「不法占拠と市が主張する根拠はここ(中学校)に事務所があるからですか。我々の活動を市がキチンと引き継いでくれるなら、いつでも出て行きますよ。市がやらないから、当然の権利としてここにいるんです。共産党が議会で、我々がここに事務所を置くのはおかしいと追求したことがあった。市教委が、行政の一環だから問題ないと答弁し、事務所問題には決着がついている。今さら市が明け渡しをいうのは、朝鮮人つぶしとしか考えられないですね」

 こんなアホな理屈よりも、週刊新潮の同じ記事にあった下記の言葉の方がよっぽど説得力があります。
「どうして韓国、朝鮮の人だけが、水道代も電気代も払わず、中学校を使えるんですか。校内にあるむくげの会の事務所の前には、会の関係者以外立ち入り禁止の看板が出されていました。フィリピン人やブラジル人にも解放しなければならないのに、むくげの会が不法に占有しているのです」
(青少年課)

 <「差別、弾圧だ」などと拒否>なんという在新朝鮮人団体の面目躍如という感じのニュースでしょう。差別、弾圧というのはこの人たちにとってはお約束のフレーズです。
この「むくげの会」の
ホームページをみると、「高槻むくげの会は反差別と人権を基本とした多文化・多民族共生社会の実現を目指しています。」とか宣っています。
 だいたい彼らがホームページに書く
http://www.mukuge.net/akewatasinokenkai.htm外国人の子どもたちは差別から守られる教育を奪われ、苦しい思いをしながら学校に通わざるを得なくなりました。」などというのがいかににもウソくさく思えるのは私だけではないでしょう。
 いったいどのような差別をされているというのでしょう。彼らの言う差別とは何でしょう。そもそも、国民と外国人を差別するのは当たり前であり、世界中、国民と外国人が同じ権利を有している国などどこにもありません。在日朝鮮人は日本人に対して逆差別せずに、外国人であるという自分たちの事を意識すべきです。
 私がメキシコでプータローをやっていた時の友人で現在東京で矯正歯科医院を開業している人の話では、矯正治療とは長期間かかるもので、全額を一度に払うのではなく、ある程度は治療が終わってから精算する金額があるそうで、その治療費を開業してから今までに二件踏み倒されたことがあり、その二件とも在日朝鮮人だと言っていました。外国で暮らす時には少しでもその地で尊敬されるように生きるものですが、どうやら違うようです。
 「差別だ、弾圧だ」などと騒いでいるだけでは決して解決しないでしょう。自分達の現在の姿をもう一度冷静に見つめなおした方がいいと思います。自らまいた種だということを気付くべきでしょう。


 スポーツセンターにいく。背中、肩、二頭筋などのメニューを消化。
 一名様来店。だけ・・・・・
 今日も一通り飲む。



外国人の文献に見る朝鮮(及び日本)
9月13日水曜日くもり一時雨 ○

 下記は私の手許にある「『植民地朝鮮』の研究」(杉本幹夫著 展転社 平成十五年)からの引用です。杉本氏はそれぞれ下記の著書より引用しております。

?シャルル・ダレ著 金容権訳「朝鮮事情」平凡社東洋文庫一九七九年
 シャルル・ダレ著の「朝鮮教会史」の序論部分。ダレ自身は朝鮮に入国したことはなく、主としてダブリュイ主教(一八六六年ソウルで処刑された)が収集した資料を基礎に、他の宣教師の手紙等をまとめ、整理したもの。

?F・A・マッケンジー著 渡辺学訳「朝鮮の悲劇」平凡社東洋文庫一九七三年
 カナダ人のマッケンジーはロンドン・デリーミラーの貴社として一九〇四年と一九〇六年の二回朝鮮を訪れている。原本は併合の二年前一九〇八年に出版されたもの。ジャーナリストの目でみた併合に至る朝鮮の歴史であり、朝鮮に同情的な論調で、我が国を批判している。

?「韓国記」龍渓書舎復刻一九九六
 ロシア大蔵省が調査した資料を日本の農商務省が抄訳した物で、一九〇五年日露戦争に勝利した年に東京書院から発行された物の復刻版。

 
<貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。
では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。
するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。>
<2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです。>
?p二八九

<官吏の地位は公然と売買され、それを買った人は当然その費用を取り戻そうと務め、その為に体裁をかまおうとさえしない。上は道知事から最も下級の小役人に至まで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金を稼ぐ。国王の御使(監察官)すら極度の破廉恥さでその特権を利用している>
<朝鮮の宮廷は非常に貧しく、国庫はさらにもっと貧弱です。 宦官やその仲間である国王の妾、宮中の侍女たちは、もし大臣の地位や、 又時には他の幾つかの高官職を売って得る金がなくなれば、きっと打撃を蒙るでしょう。
従って権力の座にあるものは、贈り物を次々と与えては機嫌をとり、
これらすべての貪欲な吸血鬼をいつも満腹にしておかなくてはなりません。
特に今までに増して国王の寵愛を獲得しようとする時には、巨額の金が必要になります。
 所が金炳国(きむぴょんごく・国王の義兄弟)は、幾つかの官職をかなり高く売り、 朝鮮人参の専売権を引き受けたのだが、それでも尚必要とされるすべての人々に富を行き渡らせて、地位を買収するだけの金を得ることができなかったのです。
昨年の真冬に、金炳国のおかげで多くの地位と富を得た1人の男が金炳国を訪ねてきて、
「最高権力を握りたいとは思わないですか」と尋ねたのです。
「答えるまでもないでしょう。しかしそれを得るためにはとにかく金がいるのというのに、 私にはそれがありません」と国王の義兄弟は答えました。
「それでは私に王国の南部地方の租税を徴収する職を下さい。そうすれば必要なお金を手に入れて差し上げましょう」「よろしい」と大臣は答え、 すぐさまその男の指示に従って対策を講じたのです。
 南部地方の租税は主に米で、それは海路を通じてソウルに運搬されていました。 くだんの男はこれらの米をみんな集めて船に積み込み、中国まで運搬し、朝鮮で売る四倍の価格で売りさばいたのです。 帰国した彼は租税に必要な米を再び買いととのえました。
 こうした値段の差額によって、国王の義兄弟は、宮中にあふれている一群の宦官と侍女の支持を一手に獲得することができたのです。そして彼は自分の競争相手を罷免し、すべての権力を独占しました。
いかなる穀物を輸出しても、それは極刑にかけられる犯罪になります。ましてや王室の維持費のために徴収された米を売るものは許し難い国事犯なのです。この密輸出が原因となって、とうとうこの年は幾つかの道にとっては深刻な飢えの年となったのです。しかし彼にとって何の関係があるでしょう。
彼が権勢を得、豊になった以上、誰が彼の行状を問い正そうとするでしょうか>
?P七一、七四

 この項つづく。ただし、めちゃスローペース・・・・

 今日は河岸が休み。午後よりスポーツセンターに行く。
 ベンチプレスは六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×七、一〇〇?×八、一〇〇?×七、九五?×八、九〇?×八、八〇?×八

 Kさん二名様で来店。Sさん二名様で来店。沖縄の珍味である「とうふよう」をお土産でいただく。いかにも酒の肴。大東島のラムも買われたそうですが、味はウ〜ム・・・だそうである。
 今日も一通り飲む。

大騒ぎ
9月12日火曜日雨のちくもり

 店に入るとなんか静か・・・・・九つある酒の冷蔵庫のうち客席側の六個が作動してなかったのです。大慌てで酒を出してみると、冷たいので、ブレーカーが降りてからあまり時間が経過してなかったようで一安心。でっ、ブレーカーを入れるとしばらくすると、また切れてしまう。
 河岸から仕入れてきた魚をとりあえず冷蔵庫にしまってから、漏電の可能性もあり、客席のすべての冷蔵庫のコンセントを抜き、ひとつ、ひとつを順番に入れていく。
あれや、これやで一応復旧。
結局、魚の仕込み時間が大幅に削られ、大慌てで仕込むが営業時間にかかってしまう。六時三十分過ぎに長野県よりYさんが大勢様で来店。FさんUさんと来店。Yさんと遅くまでドンチャン。

丸山眞男その2
9月11日月曜日雨のちくもり○

 先日(9月8日)よりの続きです。

 無理を重ねて、それでも日本にファシズム運動があると言い張らねば気のすまぬ丸山眞男氏について谷沢氏は「身に安全なものは罵り、危険なものには擦り寄る卑屈」と断じています。p九〇〜九一
 同じ様に丸山氏について、平成大学学長である中村勝範氏が「正論」二〇〇三年一一月号において「変節者の典型であった丸山眞男の神国日本論」という論文を発表されています。以下はその中村氏の論文によるものです。
 中村氏は<生きとし生けるものは、環境に適応しなくては生き残れない。軍国主義時代に反軍主義を声高に唱えて世に棲むことは困難である。平和到来と同時に昨日までの主戦論者も途端に宗旨がえをし、誰よりも強く高く、平和教を吹聴しまくることが、生活巧者という者である。>p二六〇
<丸山はマルクス・レーニン主義が青白い秀才達にもてはやされている時代にはその走狗となり、軍国主義の時代にはそれに追従し、敗戦・占領下においては占領軍の奴隷であった。>p二六一
と丸山氏の事を書いています。

 「マルキシズムの勉強ばかりしておった」(「緑陰に語る」昭和二四年)
マルクス主義者にもコミュニストにもならなかったが、若い時に決定的といっていいほど影響を受けたのはマルクス主義だと埴谷雄高氏との対談で述べています。(「文学と学問」昭和五三年)
 丸山氏が旧制高校の時の昭和八年四月、丸山氏は長谷川如是、戸坂潤らの唯物論研究会の第二回講演会を聞きに行き、本富士署に検挙、拘留されている。そして、翌九年、東京帝国大学法学部政治学科に入学早々、大学学生課から思想犯被疑者として呼び出される。その後、特高から要注意人物としてされていた。昭和一五年六月に東京帝国大学法学部助教授に任ぜられるまで、定期的に特高刑事の来訪や憲兵隊への召喚を受け、陸軍監閲点呼の時に憲兵隊から訊問されていた。(『丸山眞男集』第二巻所収の「年譜」)
 
 丸山氏は昭和九年、東京帝国大学法学部政治学科入学後、夏休みに岡義武の課題リポート執筆のために岩波書店の「日本資本主義発達史講座」を読み耽った。
これは「三二年テーゼ」とされる国際共産党組織が「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書をつくって、日本共産党に授けたもので、日本左翼人にとって、絶対的な心の拠り所です。そして、正統をもって任ずる学者たちが集まって共同執筆し、集大成であり金字塔が「日本資本主義発達史講座」(昭和七年)です。 

 そんな丸山氏の転向については、その転機を昭和一三年だったと中村氏は書いています。なぜ、一三年か。二月に労農派マルクス主義教授グループである東大教授有沢広巳、大内兵衛など三八名が一斉に検挙された。(第二次人民戦線事件)
 そのころ丸山氏は、同じ東京帝国大学の文学部に新たに設けられた国体講座を担当する平泉渉教授の講座をオール出席で聞いている。平泉教授は国粋主義者、皇国史観の主導者として有名であり、学内において右翼思想団体朱紅会をつくっていた。
 昭和十四年九月、同じく東京帝国大学文学部に日本倫理思想講座として設けられた和辻哲郎の講座も毎回受講するようになる。
 昭和十五年春、丸山氏は「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関連」を発表。六月、東京帝国大学法学部助教授に昇進した。七月、従七に叙された。

 昭和十七年六月、同じく「神皇正統記に現れたる政治観」を発表。これは「神代より後村上天皇に至るまでの、皇位継承を中心とする歴史」を叙述した『神皇正統記』の中に現れている著者北畠親房の政治思想を検討した論稿。中村氏によると中身は真っ赤であるが、偽装としてもとにかく天皇親政、ヒエラルヒー統治を認めたと書いています。
 昭和十九年七月、丸山氏は二等兵としての教育のために召集。その時に「国民主義の『前期的』形成」を書く。第一節は「まえがき」。第二節の冒頭に「長く輝かしい国民的伝統を担った我国に於いても(国民意識と国民主義の誕生にはー中村氏要約)明治維新を俟たねばならなかった。もとより我国家体制の特性に基づく神国観念乃至は民族的自恃は建国以来脈々として国民の胸奥の裡に流れ続けてきた」と時勢に迎合する文字を並べている。
これについて、中村氏は「営門がこわかったのである。軍隊の門を入り無事であるためには身にしみついた赤いものはすべて洗い落としておかなければならぬ。丸山は入隊するに当り、私はこのように転向しましたという証文として書いたのが該論文である」?p二六九と書く。

 丸山氏は大東亜戦争が終わってすぐに、「超国家主義の論理と心理」(「世界」昭和二一年五月号)を書いた。
それには「国民の政治意識の今日見らるる如き低さ」P十二と言及している。

 結語として中村氏は
<丸山は平成八年八月、八二歳で永眠した。丸山への追悼文が『丸山眞男の世界』に収められている。その中でテツオ・ナジタは、丸山は長年にわたり揺る宜ない一貫した姿勢を維持し、学者として知的な批評家として非難の余地のない高潔さこそが丸山の魅力だったと述べている。またマリウス・B・ジャンセンは、丸山ほどのビジョンと強固な意志をもった人物は、日本では明治維新以来ということになるのでないか、と書いている。いずれも読む者が赤面せざるを得ない>P二七〇
と書く。
そして、続いて
<そもそも「非難の余地のない高潔さ」などという言葉は学者のいうべきことではない。古来、日本には、たたいて埃の出ないものはないという。まことに知恵深い諺がある。またマルクス主義が猖獗をきわめた時にはその侍女となり、国家社会主義的革新の風潮時代にはそれにつき、戦争下においては神国日本・一君万民に唱和し、占領下においては占領軍公認の「超国家主義」の尺度により、丸山自身がかって神国日本とたたえた祖国を罵倒した丸山である。変節につぐ変節である。これほど節操のない丸山が、日本国民の中に存在したことは日本民族の恥辱である。>?P二七〇

 「論座」に松本昌次氏が絶賛していた丸山眞男氏についての「丸山さんはそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経験に立って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てるものすべてを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれているように思います。」という言葉が非常に空しく響きます。

 以上の引用は?「論座」朝日新聞社 平成十八年一一月号
       ?「悪魔の思想」谷沢永一著 クレスト社 平成八年
       ?「正論」平成十五年一一月号
「増補版 現代政治の思想と行動」(昭和三九年五月三十日・未来社)よりの引用は?の「悪魔の思想」に記載されている引用文による。

 今日は何処へも行かずに、部屋でゴロゴロしていた。冷蔵庫の中に食べるものが何も無くなったので、夕食を食いに出かける。近所の完全禁煙の定食屋さんが内臓工事も終わり、再オープンしてくれたので助かる。

共産党委員長のバカさ加減
9月10日日曜日晴れ○

 ニュースであの共産党の志井委員長が南朝鮮にいったというニュースがありました。
以下引用
2006年09月05日20時05分
朝日新聞
 共産党の志位委員長は5日、同党党首として初めて韓国を訪れ、ソウル市内で日本が植民地時代に政治犯を収容した西大門刑務所跡の歴史館を視察し、追悼碑に献花した。
 韓国メディアの関心は高く、約30人の報道陣が囲んだ。「この機会に韓国政界全体と交流の道を開きたい」と抱負を語った志位氏は、日本の首相の靖国神社参拝について一貫して反対している立場を説明。「結党以来、朝鮮の独立運動を支持し打倒日本帝国主義を唱えてきた」と強調した。
 一方、竹島の領有権問題では「日本の主張には歴史的根拠がある」との見解を示しつつ、日本編入が日韓併合の直前だったことから、韓国側の主張を検討するための共同研究が必要だとした。
引用終わり

 まあ、これだけでもこの志位というおとこのアホさがよく判りますが、下記の記事でよけい際立ちます。

以下引用
2006年9月6日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-06/2006090602_03_0.html
志位氏
西大門刑務所歴史館館長と交流
戦前の「赤旗」を手渡す
(写真)西大門刑務所歴史館の朴慶穆館長に、戦前の「赤旗」のコピーを見せ、懇談する志位和夫委員長=5日、ソウル市
 【ソウル=中村圭吾】日本共産党の志位和夫委員長は五日、ソウル市内の西大門刑務所歴史館を見学後、朴慶穆(パク・ギョンモク)館長と交流しました。
 志位氏は、朴館長に感謝を述べるとともに、日本と韓国の連帯の歴史を示す「歴史的な史料」として日本共産党が戦前に発行した機関紙「赤旗(せっき)」(一九三一年三月一日付、三二年三月二日付)のコピーを手渡しました。
 志位氏が手渡した当時の「赤旗」は、ガリ版刷りのもので、三・一独立運動記念日にあたり、朝鮮の独立運動への連帯を訴える論文がびっしりと掲載されています。
 志位氏は、「朝鮮・台湾・中国の植民地および半植民地民族の完全なる解放」と書かれた記事の内容を紹介。「三一年、三二年というのは、戦前、日本共産党がもっとも影響力を持っていた時期です。日本にも朝鮮独立のたたかいに連帯する勢力があったことを知っていただければと思ってお持ちしました」と語りました。
 朴館長は、戦前の「赤旗」をじっくり見ながら、「日本と中国、台湾、韓国が力を合わせて日帝を打倒しようという内容ですね。大事に保管いたします」と答えました。
 志位氏が、「日本共産党は、これまでさまざまな事情で韓国との交流ができませんでしたが、こういう歴史をもつ政党として、両国の友好の絆(きずな)を強める役割をはたしたい」と述べると、朴館長は、「韓国にも分断とイデオロギー対立という問題があったが、これからは日本共産党ともお互いに交流したい」と応じ、二人はがっちりと握手を交わしました。


2006年9月6日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-06/2006090602_04_0.html
西大門刑務所歴史館で志位委員長語る

韓国マスコミとの一問一答
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 志位委員長は五日午後、ソウル市内の西大門刑務所歴史館を見学後、韓国マスコミのインタビューに応じました。その一問一答はつぎの通りです。
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 ――歴史館をご覧になった感想はいかがですか。
 志位委員長 日本帝国主義による苛烈(かれつ)な植民地支配の暴虐非道な実態を痛感しました。同時に、それに勇気をもって立ち向かった朝鮮の愛国者たち、そのたたかいの力強さということを感じました。
朝鮮の“歴史的同志”への敬意と追悼の気持ちで

 ――訪韓したら、ここに来ようと思った理由は何ですか。

 志位 私にとって今回が初めての訪韓ですが、この場所にまず足を運ぼうと考えた理由は二つあります。
 一つは、日本帝国主義の植民地支配の野蛮な弾圧、拷問、処刑、それに抗してたたかい抜いた朝鮮の愛国者に心からの敬意と追悼の気持ちを表すためです。
 私たち日本共産党は、一九二二年に党を創立しましたが、党をつくった当初から朝鮮の愛国者とともに植民地支配に反対をつらぬき、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった歴史をもっていることを誇りにしています。そういう党を代表して、私は、この場で、私たちのいわば“歴史的同志”に対して敬意と追悼の気持ちをのべたいと思います。

21世紀の日韓両国民のほんとうの友好を願って

 志位 同時に、二十一世紀の日韓両国民の本当の友好を願って、この場にきました。日本にとっては、これは恥ずべき過去ですが、誤った過去に正面から向かい合ってこそ、アジアに本当の友人を得ることができると私は信じております。日本国民がこの歴史を直視して、これに正面から向かい合って、アジアの人たちとほんとうに心が通じ合う友人になっていく、そのことを願ってきました。

 私は、さきほど館長さんから、毎年、西大門刑務所歴史館に多くの日本人が訪れていると聞きましたけれども、ソウル、韓国を訪問する日本人は、だれでもこの歴史館を訪れることが必要だと訴えたいと思います。

 ここには、日本国民と韓国国民が共通の認識にすべき歴史の重い事実があります。それをしっかり共有してこそ、二十一世紀に、この地域の平和と安定は築けると、そう思ってまいりました。

日本の首相の靖国参拝問題について

 ――過去を直視したうえでの未来志向というお考えを述べられたと思いますが、日本の外交が中国、韓国を軽視してアメリカ一辺倒ではないかという憂慮があります。また、小泉首相が八月十五日に靖国神社を参拝されましたが、つぎの首相になる確率が高いといわれる方も、参拝しないとはおっしゃっていません。これに対する日本共産党の立場をお話しください。

 志位 私たちは日本の首相が靖国神社に参拝するというのはどういう意味をもっているのかということを追及してきました。靖国神社というのは、戦没者を追悼する施設ではありません。天皇のために「名誉の戦死」を遂げたと「認定」された人を顕彰する施設です。すなわち、「日本の戦争は正しかった」「植民地支配は正しかった」――こういう間違った歴史観にたった存在です。それは遊就館にもはっきり現れています。この軍事博物館の展示物を見ますと、日清・日露の戦争、中国侵略戦争、太平洋戦争、そのすべてが、「アジア解放の正義の戦争だ」と描かれています。ですから私たちは、ここに参拝するということは日本政府の公式の言明にも反して、侵略戦争や植民地支配を肯定する神社の立場に政府としての公的な認知をあたえることになるとして、強く反対してきました。
 つぎの日本の首相に、だれがなるにせよ、そしてその個人としての歴史観がどういうものであるにせよ、この歴史に逆行する行為をきっぱりやめるべきです。このことを、私たちは強く要求しています。

韓国の政界の全体と交流の道を開きたい

 ――韓国の政治指導者と会ってどういうお話をなさりたいとお考えでしょうか。

 志位 今回は、アジア政党国際会議に参加するために訪韓することになったわけですが、この機会に、韓国の国会に議席をもつ五つの政党のリーダーを訪問し、韓国の政界の全体と交流の道を開きたいと思っています。そこでは歴史の問題や北東アジアの平和の体制の問題などについても、いろいろな意見が交わせたらと願っています。

歴史問題、竹島(独島)問題について

 ――独島問題、教科書問題など、歴史問題について、ご意見をお聞かせください。

 志位 いわゆる歴史問題として、韓国で問題となっているのは、靖国問題、教科書問題、「従軍慰安婦」問題、そして独島とみなさんが呼んで、私たちは竹島と呼んでいる島をめぐる問題、四つの問題が焦点となっています。

 靖国問題については、私たちの立場はさきに述べた通りです。歴史をわい曲する教科書の問題については、私たちは、(日本政府は)検定合格のはんこを押すべきではないということを強く主張しています。「従軍慰安婦」の問題については、日本の責任を認めた一九九三年の官房長官の談話があります。にもかかわらず、日本政府は国としてのきちんとした措置をとっていません。私たちは、国としての責任ある措置が必要だと主張しています。

 そして、最後の問題だけは、違った事情があります。私たちは、この問題について、一九七七年に見解を発表しておりまして、この竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があると、そのなかでのべました。同時に私たちは、この島の(日本への)編入がおこなわれたのが一九〇五年(二月)であった、この一九〇五年というのは、日本が韓国を武力でもって植民地化していく過程です。すでに韓国の外交権は奪われていました(一九〇四年八月、第一次「日韓協約」)。ですから、私たちは、そのことも考慮して、韓国の主張もしっかり検討する必要があると考えています。
 私たちは、この問題は解決までは一定の長い時間がかかると思いますけれども、これは日韓両国の間で係争問題になっている問題ですから、解決に向かって一歩一歩でも進むことが必要です。これはみんなが願っていると思います。ですから、私たちは、日本と韓国が、双方の持っている歴史的事実をつき合わせて、まずこの島をめぐる歴史的認識を共有するという共同作業が必要ではないか、共同研究が必要ではないかと考えています。
引用終わり

 日本共産党の売国奴ぶりとこの志位という男の頭の程度がよくわかる記事です。
では、この志位というバカ人間の言っている事は本当なのでしょうか。
<志位氏が手渡した当時の「赤旗」は、ガリ版刷りのもので、三・一独立運動記念日にあたり、朝鮮の独立運動への連帯を訴える論文がびっしりと掲載されています。
 志位氏は、「朝鮮・台湾・中国の植民地および半植民地民族の完全なる解放」と書かれた記事の内容を紹介。「三一年、三二年というのは、戦前、日本共産党がもっとも影響力を持っていた時期です。日本にも朝鮮独立のたたかいに連帯する勢力があったことを知っていただければと思ってお持ちしました」と語りました。>
 これについては中村勝範平成国際大学学長が下記のような文を書いておられます。
以下、引用
 昭和三年二月二〇日には最初の普通選挙が実施されたが、略)三月一五日には全国で一六〇〇余名の共産主義運動に関係ありとされた者が一斉に検挙された。四月一五日には労働農民党、日本労働組合評議会、全日本無産青年同盟に解散が命ぜられた。
 当時、共産党の結党は禁止されていたので、この党の合法的組織は表面的には現れていなかった。
略)
 翌昭和四(一九二九)年四月一六日には三・一五事件で逮捕をまぬがれた残党がほとんど逮捕され、これにより日本共産党はほぼ壊滅した。日本共産党は戦後、自党をもって戦時中、反戦平和を唱えた唯一の党だというが、法螺も程度を超えている。三・一五事件及び四・一六事件で地下に潜んでいた組織は壊滅し、逮捕された共産党員はわれ先にと転向の大レースを展開し、スピードがついた転向者は忠君愛国から、戦争協力の競争までした。非転向の元共産党員一〇人そこそこが敗戦に至まで獄中にあった。共産党による反戦平和運動を日本人はだれも見ていない。
 共産党、共産主義的労働組合の運動は合法的に、そしてまた正当に取り締られ、「運動」はまったくなかった。しかし大学人の研究室や学生の寮・下宿や作家の書斎、芸術家のアトリエではマルクス主義の研究そして小説、絵画、彫刻の創作が絶えなかった。ひもじさの経験もなく、額に汗を流して働いたことのない、結構人の色白きインテリは、未来は労働者のものであり、プチブルはブルジョアと共にキイキイ喚いて打倒されるというマルキシズムの託宣に脅えて、絞め殺されないためにブルーカラー(労働者階級)にものわかりのいい顔をしようと懸命になるのである。これは戦前も戦後もかわらない。>(正論」平成十五年一一月号p二六三〜二六四

 <―歴史館をご覧になった感想はいかがですか。
 志位委員長 日本帝国主義による苛烈(かれつ)な植民地支配の暴虐非道な実態を痛感しました。同時に、それに勇気をもって立ち向かった朝鮮の愛国者たち、そのたたかいの力強さということを感じました。
朝鮮の“歴史的同志”への敬意と追悼の気持ちで>
これもバカとしか言い様がありません。我国にやられてばかりだった共産支那が作った歴史館というものと同じで、独立のための戦争で民族の血を流す事も無しに、タナボタ式に独立させてもらっただけの国と民族の歴史館などというものはプロバガンダの塊でしかありません。我国の植民地経営が(朝鮮においては併合ですが)どこの国の植民地経営と比べて、暴虐非道であったのか。具体的に教えてもらいたいものです。
ましてや、
<――訪韓したら、ここに来ようと思った理由は何ですか。
 志位 私にとって今回が初めての訪韓ですが、この場所にまず足を運ぼうと考えた理由は二つあります。
 一つは、日本帝国主義の植民地支配の野蛮な弾圧、拷問、処刑、それに抗してたたかい抜いた朝鮮の愛国者に心からの敬意と追悼の気持ちを表すためです。>

「野蛮な弾圧、拷問、処刑」は朝鮮の伝統です。これは、朝鮮を訪れた多くの外国人も記録として残しています。人治国家であった朝鮮の伝統のこれらは、我国の統治により法により治められるようになったのです。
 朝鮮には独立運動らしい独立運動などありませんでした。朝鮮半島全土に何員の警察官、軍隊が配置されていたかを調べればわかることです。

 「歴史をわい曲する教科書の問題」この言葉はそのまま朝鮮に返してほしいものです。支那と同じく朝鮮の教科書の醜い歴史改竄は目に余るものがあります。ましてや「従軍慰安婦」問題等というものは存在しません。あるのは朝鮮人戦時売春婦による恥ずかしい嘘だけです。

 店を片付けた後、スポーツセンターに行く。今日は胸部、三頭筋のメニューを時間をかけて消化。有酸素運動をやり帰る。
 ベンチプレスは六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×七、一〇〇?×七、一〇〇?×七、九五?×八、九〇?×八、八〇?×八

 今日は飲まず。

七人の売国奴
9月9日土曜日晴れ×

 金のために何でもする。これを守銭奴。それよりも醜いのは平気で国をも売る。これを売国奴という。
 支那全土で公開中のプロバガンダ映画「東京裁判」。内容は「極東軍事裁判においての支那人判事の回想という形でストーリーが進むが、日本人を鬼畜のごとく描いた日本を辱めるだけのいかにも支那が作りそうな腐れ映画。
 こんな腐れ映画に喜々として出演した腐れ売国奴俳優が七人。


星野晃
http://dir.yahoo.co.jp/talent/30/m01-0409.html

小池榮
http://news.goo.ne.jp/topics/geino/talent/MM-M93-1223.html

名取 幸政
http://www.seinenza.com/profile/data/natori_yukimasa.html

平松慎吾
http://news.goo.ne.jp/topics/geino/talent/MM-M93-2762.html

大島宇三郎
http://news.goo.ne.jp/topics/geino/talent/MM-M93-0574.html

大塚シノブ
http://www.movie-eye.com/artist/2006/07/post_3.html

小池幸次
http://news.goo.ne.jp/topics/geino/talent/MM-M93-1222.html


 支那では国家機関の審査に合格しないと映画は上映できないそうで、この映画は全会一致で審査を通過し。五点満点を審査員はつけたそうです。支那全土で中学生観賞会が大規模に組織され、一部の映画館では、戦犯とされる方々の人形を首吊りにしたり、腐った卵をぶつけたりするゲームまでおこなわれているそうです。
(週刊新潮平成十八年九月十四日号p五六より)
 こういった映画に平気で出演する腐れ俳優は、日本の空気を吸わずにず〜と支那で暮らして、支那人になって、支那の映画に出て一生を終わればいいのです。

Iさん和歌山の同じくIさんと来店。Fさん来店。副店長来店。大阪のKさん来店。Kさん三名様で来店。


丸山眞男その1
9月8日金曜日晴れ○

 <この本は丸山さんの仕事の中でも「最もすぐれた作品」だと、わたしも思います。これほど、「同時代に即した文章であるにもかかわらず、同時代を超える深さや普遍性がある」著作はそう滅多にありません。
略)ほかの方には悪いけど、この本を担当した編集者としては、ちょっと胸がすーとしますね。(笑い)>?p三三〇
<丸山さんはそうではなくて、いかなる場合も、広く深い学問的・時代的経験に立って、全人格的といいますか、全身体的といいますか、持てるものすべてを出しきって、書く主題とわたりあうようにして書かれているように思います。>?p三三五

 <丸山眞男の努力目標は「国民の政治意識」の「低さ」を少しでも高めるべき国民に働きかけるというような根気のいる啓蒙活動ではありませんでした。ただもう「あばこうと試みる」暴露と、軽蔑と、嘲笑だけが目指すところのすべてだったのです>?p一〇三

 ?は今発売されている朝日新聞社の「論座」二〇〇六年一〇月号に掲載された未来社編集者だった松本昌次氏の言葉です。?は谷沢永一氏の著書「悪魔の思想」の丸山眞男氏について、丸山氏のその著書「現代政治の思想と行動」よりの引用などから丸山氏を批判したものです。同じ男の同じ著書を読んでもこれだけ違うのです。

 丸山眞男氏について、谷沢氏は「国民を冷酷に二分する差別意識の権化」として、丸山氏の著書よりの引用として
<次に問題へのアプローチの仕方として前もつておことわりしておきたいのは、日本ファシズムをいう場合、何よりファシズムとは何かということが問題になってきます。「お前いきなり日本ファシズムというが、日本にそもそも本来の意味でのファシズムがあったか、日本にあったのは、ファシズムではなくして実は絶対主義ではないのか、お前のいうファシズムの本体は何であるか」という疑問がまず提出されると思います。これについても私は一応の回答は持っておりますが、ここで最初にそれを提示することはさけます。そういうことを、お話すると勢いファシズム論一般になってきます。ファシズムについてはいろいろな規定がありますけれども、こういった問題をここでむしかえす暇はとてもありません。そこでここでは不明確ではありますが、ひとまず常識的な観念から出発することにします。>
 「増補版 現代政治の思想と行動」(昭和三九年五月三十日・未来社)?p三〇
 これは丸山氏が昭和二二年六月二八日に東京大学法経二五番教室において「日本ファシズムの思想と運動」と題しておこなった講演です。谷沢氏は問題の根幹をなす日本ファシズムの本体は何かという解答はこの講演録だけでなく、丸山氏の著書「増補版 現代政治の思想と行動」のどこにもでてこないと指摘しています。
 根拠も示さずに丸山氏は<それは日本ファシズム運動も世界に共通したファシズム・イデオロギーの要素というものは当然持っているからであります。>?p四〇
と書きます。
そして、丸山氏は日本にファシズム運動があったか否かのなんの検証もしないままに、
<日本におけるファシズム運動も大ざっぱにいえば、中間層が社会的な担い手になっているということがいえます。しかし、その場合に更に立ち入った分析が必要ではないかと思います。わが国の中間階級或は小市民階級という場合に、次の二つの類型を区別しなければならないのであります。第一は、たとえば、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売り商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員
村役場の官吏・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層、>
<第二の類型としては都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護し)及び学生層>?p六三
<学生層ー学生は非常に複雑でありまして第一と第二の両方に分かれますが、まず皆さん方は第二類型に入るでしょう。こういったこの二つの類型をわれわれはファシズム運動をみる場合には区別しなければならない。>
<わが国の場合ファシズムの社会的基盤となっているのはまさに前者(第一の類型)であります。第二のグループを本来のインテリゲンチャというならば、第一のグループは疑似インテリゲンチャ、乃至は亜インテリゲンチャとでも呼ぶべきもので、いわゆる国民の声を作るのはこの亜インテリ階級です>?p六四
<先にあげた第一の範疇(「小工場主、町工場の親方」以下を指す)は実質的に国民の中堅層を形成し、はるかに実践的行動的であります。>
<しかも彼らはそれぞれ自分の属する仕事筋、或は商店、或は役場、農業会、学校など、地方的な小集団において指導的地位を占めている。日本の社会の家父長的な構成によって、こういう人達こそ、そのグループのメンバーー店員、番頭、労働者、職人、土方、傭人、小作人等一般の下僚に対して家長的な権威をもって臨み、彼ら本来の「大衆」の思想と人格とを統制している。(中略)にもかかわらず彼らの「小宇宙」においてはまぎれもなく、小天皇的権威をもつた一個の支配者である。いとも小さく可愛らしい抑圧者であります。>?p六五
と、驚いた事に日本の中間層がその日本ファシズムの担い手であったと断定し、弾劾し、職業によって二つに分けます。

 谷沢氏は東大でおこなわれた丸山氏のこの講演について
<日本社会の中堅層をここまで軽蔑して、見下して、踏みつけにして、悪しざまに罵った文献は史上最初の出現ですから、日本人による日本国民への徹底した罵倒として、外国人の立場からまことに、まことに興味ぶかく多くの人の手から手へ読みまわされたことでありましょう。>と著書「悪魔の思想」に書いています。?p八六

 丸山氏自身がその著書「現在政治の思想と行動」の執筆動機について、みずからの回想として
<私は日本社会の恥部をあばこうと試みている>「後衛の位置から」p一〇
と自認しています。

 この項続きます。

 NさんGさん来店。Y岡さん二名様で来店。マルガリータ−さん、Kさん、Eさん来店。Sさん二名様で来店。Yさん来店。大阪のSさん来店。Yさん来店。Hさん来店。
今日はメチャ忙しい。途中から飲み始めてドンチャン。営業終了後、李さんと四川料理のお店にて飯。


9月7日木曜日晴れ△
 今日は午後よりスポーツセンターにいく。今日は昨日できなかった肩、背中、腕等のメニューを消化。
 銭湯より帰ってきたら、店の前に見なれぬ親父。店のカギを開けていると「久しぶりやな」と声をかけてくる。よく見ると中学校の時の同級生だった「タンマ」(田村)。仕事関係の会があり東京に来たのでわざわざ寄ってくれたそうな。年賀状は交換していたが中学卒業以来ほとんど会って無かった。今は大阪でスパーマーケットなど一〇店鋪も経営しているそうな。大したものである。ということで、店の開店前から二人で飲みはじめる。
 いろんな話をしながらドンチャン。幼馴染みとはありがたいものである。
でっ、お客様はタンマだけ・・・・


外国人の文献に見る朝鮮(及び日本)
9月6日水曜日くもり一時雨 ○

<併合前の半島>
 イサベラ・バード著、朴尚得訳「朝鮮奥地紀行一」平凡社東洋文庫五七二より(同じイサベラ・バードの著書は、時岡敬子訳「朝鮮紀行」として講談社学術文庫として出されていますが、手許にあるより「朝鮮奥地紀行一」の引用です。イザベラ・バードと表記されている本もありますが、ここでは手許にある本よりイサベラ・バードと書くことといたします。結婚後ビショップと改姓したそうで、「朝鮮奥地紀行一」にもビショップ夫人という表記もみられます。

 イサベラ・L・ビショップによるこの著書の序言として<私は1894年一月から一八九七年三月までの間に四度、朝鮮を訪問した>と書いてあるように、我が国が併合する前の朝鮮の姿が描かれています。訳書ではソウルと表記されていますが、当時は漢城)

 <ソウル近郊の木が伐られて裸にされた丘、海岸、条約港、そして主要幹線道路などは印象的ではあるが、この国に大変好ましくない感じを与えている。南部朝鮮の多くの地域に在る材木貯蔵所は閑散としている。しかし、北部と東部地方の山々には、特に豆満江、鴨緑江、大同江、漢江の水源地を囲み地方には、まったくのところかなりの原始林がある>
P三六〜三七

 ソウルの海港済物浦(仁川の旧地名)において日本人、支那人などが幅をきかせているとして
 <読者は、済物浦のどこに朝鮮人が居るのか、と疑問に思うであろう。事実私はほとんど朝鮮人のことを忘れていた。というのは、ここでは朝鮮人はとるに足らない存在だからである。増えて大きくなっている朝鮮人の町は、ソウル街道の日本人居留地の外側に在る。イギリス教会が建っている丘の麓を巡って密集し、匍い登っている。どこの岩棚にも置かれている泥のあばら家には、不潔な路地を通って行ける。無口できたない子どもたちが群がっている。その父親の無為を真似て大道で傍観している。朝鮮人は丘の頂上の政府の衙門にも居る。朝鮮人の処罰方法である衙門の使い走りによる残忍な鞭打ち、犯人を死なせる打ちのめしによる苦悶の呻き声の中に朝鮮人は居る。その呻き声は、隣接しているイギリス教会のいく室もの部屋を貫通している。朝鮮人はまた、殆ど全ての衙門を不正の巣窟にしている。賄賂と汚職のなかにも見られる。二重になった屋根のある通用門と出入口の上の太鼓状の館が、よそものに首都と済物浦の活力は外国人のものであるけれども、政府は土着人のものである事を思い出させている。>
P六二〜六三
ソウルについては
 <私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また 紹興の悪臭に出会うまではもっとも悪習のひどい都市と考えていた。
大都市、 首都にしては、そのみすぼらしさは名状できないほどひどいものである。礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。その結果、二十五万人と見積もられた人々が「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしかない。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたどぶと、そしてその汚れた臭い緑によっていっそう狭められている。そのどぶは半裸の子供たちやどろどろしたへどろのなかを転げ回るか、日なたで目をぱちくりさせている汚物で汚れた大きな、毛の抜けたかすみ目の犬が大好きでよく行く所である。そこにはまた「小間物」やアニリン染料でけばけばしく色付けされたキャンディーの行商人も居る。その行商人はどぶに厚板を二、三枚渡して店を常設している。その品物は多分一ドルかそこらの値うちしかない。
略)
 これらのどぶと隣接している家屋は一般に、深い庇と藁葺き屋根のあばら屋である。 その家は、泥壁の他には通りに何も見せていないが、時折屋根のすぐ下に見られる小さなかみの窓で人の住むところであると示している。
いつも変わらずに、どぶの上の二フィートから三フィートの高さの所に黒くなった煙の穴、煙と熱せられた空気の抜け口がある。 これは家屋の床を暖める役目を果たしている。
略)
 反り返った瓦屋根のある上等な家屋も、この下品な外観以上のものを通りに見せてはいない。>
P七一〜七四

<ソウルの「風物」の一つは小川、廃水渠または水路であり、塀で囲まれた、覆いのない広い導水管である。それに沿って、黒ずんだ色の爛れたような流れが、かって砂利だらけの川床であったところを覆っている肥やしや廃物の山の間の、悪臭がする長い広がりをのろのろと進んでいる。そこで、男たちだけの群集に疲れた人は、最下層の女たちの光景で活気づけられるかもしれない。ある女の人は、おたまで手桶に水として通用する混合物を汲んでいる。他の女性は、流れとして通用する悪臭を放つ水溜まりで衣類を洗っている。>
P八十二
 <最下層の女性に就いて述べてきた。日中着物を洗い、水を汲む。多くの女性は家事の奴隷になっている。みんな最下層階級の者たちである。朝鮮の女性は非常に厳しく隔離されている。恐らく他のどこの国の女性よりももっと完全に隔離されていることであろう。>
P八十五〜八十六

 <朝鮮人にとってソウルは、そこでのみ人生を生きるに価する場所なのである。
 それにも拘らず、ソウルには美術の対象になるものは何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。公衆用の庭園も無く、行幸の希有な一件を除けば見せものも無い。劇場も無い。ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃虚も無く、図書館も無く、文学も無い。しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルには寺院無しの状態で放置されている。一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている!
 孔子廟とそして中国同様朝鮮で孔子の銘板に対して公的に表明される敬意を除いて、ソウルには公の神殿は一つも無い。違反したら死の処罰を受けるという条件があるので、僧侶はソウルの門内に立ち入らない。その結果ソウルは、中国または日本のもっとも惨めな都市にさえ見られる、宗教上の建物が与えている崇高な感銘を欠いている。>
p一〇六〜一〇七

 そして、同時期にソウル(当時は漢城)にあった日本人居留地についてイサベラ・バードは下記のように記しています。
 <南山の斜面に、日本公使館の簡素で控え目な白い木造建築があった。その下に在る約五千人の日本人居留地には茶屋、劇場と、そして日本人の安寧に欠かせないいろんな設備が整っていた。そこにはその全てで朝鮮人のものとは鋭い対象をなしている商店や、家屋のある通りが見られた。清潔、上品そして倹約がこの上なく行き渡っている。被りものをしていない女たちや帯びで締めた化粧着を着て、下駄を履いている男たちが、日本に居るのと同じ様に自由に動き回っている。そこにはまた極めて小さな兵隊たちや憲兵、さらにきちんとしている、佩刀した将校たちが見られる。彼らは適当な間隔で見張りを交替している。そのような警戒が必要なのである。>
P八十

また、同じく長崎より出航した船上より見た対馬と釜山について
<肥後丸が寄港した対馬島は、私が日本を最後に見た所である。対馬の紅葉している楓と花咲く西洋李、神殿が建っている高台、森の中の神社へと通じている荘厳な石段、青々とした松林と金の羽のような竹の葉が、釜山の木が伐られて裸にされた褐色の丘が生み出す印象の、夏には心地良かろうが陽の差さない二月の日中には厳めしいその不気味さを強調していた。>
P四六

 後書きによりますと、この著書を訳している朴尚得氏は一九二七年朝鮮生まれで、一九三五年に我が国に父親を尋ねて母親と来たそうで、東京大学文学部を卒業しています。そして中学校に入学した時に、学校に提出するために戸籍を取り寄せたところ、新井尚得に父親も関知しないのに変えられていて、「創氏改名を強制されたのである。一九四五年の日本帝国主義支配からの朝鮮解放、民族解放によって本来の朴尚得に戻せた。」と書いています。そして「つまり私は社会の下層で成長した人間なのである」とも書いています。
 創氏改名については朝鮮人らしいウソを平気でついています。
あと、社会の下層で成長した人間でも国立大学に入れる日本はすばらしいと思うのですが。
 文章中の注約のところでも、朝鮮という国名について、二つの候補を挙げ明朝廷の裁決を乞うたという事実を隠して書いている。(p三一〜三二)両班については「一九四五年の民族解放とともにはじめて一掃された」P八四、などとウソを書いています。
 まあ、何と言っても後書きにはお約束の「豊臣秀吉の侵略をうけ、四百年の永い年月が経ってもすっかり拭い切れない程の大災難を祖国朝鮮に、朝鮮民族、朝鮮人民にもたらしたのであった。更に朝鮮と日本、朝鮮人と日本人の間に計り知れない程の不和、難問、増悪、忌避などの不幸な事態をきたし、本来一衣帯水で親善、連帯を強められる筈の間柄を極度に悪化させたのである」
P三六九
と書かれています。
 四百年前の朝鮮征伐(この言葉も使うなと書いております)による影響がまだある朝鮮って何でしょう。じゃあ、いったい四百年間朝鮮人は何をしてきたのでしょう。四百年間も残る拭い切れない大災難ってどんなのでしょう。我が国がアメリカより受けた被害よりすごいのでしょうか。そんな凄い被害を朝鮮征伐軍は朝鮮に与えてることができて、どうして撤退したのでしょう。あほらしい話です。つまるところ、朝鮮人にとってはいつまでも我が国が加害者で自分達は被害者でなければ、いろいろと困るということでしょう。まあ、「(朝鮮侵略と)史実を正確に言って欲しいものである」P三六八と書きながらこんなアホな事をつぎつぎと平気で書くこの朴尚得氏という在日朝鮮人。何とも分かりやすいお人としか言い様がありません。

 これから手許にある本などにより徐々にというか、本当に少しづつ追記させていただきます。部屋に引用文献などがあるために、次回は来週以降になります。
 ひと段落するのはいつになるのだろう・・・・・

 今日は朝から親王様が無事御誕生という慶事のニュース。ただ、色々と報道の仕方に見隠れするものが多々あったようです。テロ朝などが話題になっております。

 今月はじめてとなるスポーツセンター。時間がなかったので、ベンチプレスなどで終わる。
 六〇?×八、八〇?×二、九〇?×二、一〇〇?×八、一〇〇?×六、一〇〇?×五、九五?×6、九〇?×八
 まだまだ一〇〇?×八の三セットに戻る日は遠い・・・・・

 ホロン部員Yさん来店。来月のフィンランドへの留学の準備で大変そう。初めての女性のお客様Oさん二名様で来店。
ヒマ。でも、今日は早い時間から飲む。記憶あり。



台風12号
9月5日火曜日晴れ ○

 先日、台風十二号の接近で南鳥島の観測所職員等四十人が硫黄島に避難というニュースがありました。房総では五メートルの高波だそうです。
 この
ホームページ(一般の方は行けませんので、気象庁、自衛隊、海上保安庁の方でしょうね)を見るといかに小さい島かがよくわかります。そして、標高一〇メートルにも満たないそうです。自然の猛威の前には人間の力など小さなものです。

 美丈夫の蔵元さんから最後となる「美丈夫 夢許 斗びん取り十六BY」六本が届く。今期(十七BY)は夢許の斗瓶は造っていないので、この六本が最後となります。来月の飲んべえの会はこの美丈夫です。

 今日は、めちゃヒマというより久しぶりにお客様ゼロ・・・・・
まっ、しゃ〜ないです。

親がアホだから子供もアホになる
9月4日月曜日晴れ ○

 いかにもというアホなニュースです
以下引用
 抗議:外国籍児童の親、教師発言に 都留の小学校食べ歩き注意で /山梨
 都留市の小学校で学年主任の女性教諭(47)が、給食時間に立ち歩いていた4年生の複数の児童に「イヌやネコと違うのだから座りなさい」と注意し、近くで聞いていた男子児童(9)の両親が同小に抗議していたことが分かった。同市教委は不適切な発言だったとして学年主任らに口頭で注意した。
 市教委と同小によると、7月13日午後12時半ごろ、4年生の複数の児童が立ち歩きながら給食を食べていたのを見回りをしていた学年主任が見つけ、着席して食べるよう注意。児童らが座らないため、言い聞かせるため発言したという。
 児童が両親に話し、外国国籍を持つ児童の母親が「動物を引き合いに出すとは日本の教育には限界を感じる」、日本人の父親は「子どもが、自分個人に言われたと思っている」と抗議。男児は同月14日から登校していない。
 男児は近く、母親の出身地の海外に引っ越す予定だが、同小の校長は「特定の児童への発言ではなく、誤解があれば解きたい」と話した。【藤野基文】
毎日新聞 2006年9月2日
引用終わり

こんなアホな親だからアホガキが育つのでしょう。行儀が悪いのを先生から注意されて常識ある両親だと、「本来なら家庭内で行儀等教えなければいけないところを、よくぞ、叱っていただけました。うちの子供の躾がなっていませんでした。申し訳ございません」というのが普通でしょう。それを、逆切れとは恐れ入る。
「動物を引き合いに出すとは日本の教育には限界を感じる」「子どもが、自分個人に言われたと思っている」ってそうでしょう。動物をたとえに出すのは分かりやすいからだし、注意したバカガキたちの中にそのバカ親のバカな子供が入っていたのだから、当然、先生の注意はそのバカガキにもしたというのは間違いないでしょう。躾ができないバカ親というのには外国籍の親であろうと我が国の親であろうと関係ないことでしょう。
 イヌネコより始末が悪い。(こんなアホと一緒にして、イヌさん、ネコさんゴメンナサイ)

 今日も夕方に飯を食いに外に出た以外は一日中部屋でゴロゴロ。


9月3日日曜日晴れ ○
 今日は、スポーツセンターに行く元気もなく、店を片付けてからさっさと帰る。

初亀
9月2日土曜日晴れ ××××

 今日は蔵元である橋本社長もわざわざ御出席くださった今年初めての飲んべえの会。
出品酒は

 NO.1平成  9年 亀 純米大吟醸    12年古酒
 NO.2 平成15年 亀 純米大吟醸     6年古酒
 NO.3 平成17年 亀 純米大吟醸     4年古酒
 NO.4 平成18年 亀 純米大吟醸     3年古酒
 NO.5 平成15年 初亀 中汲み大吟醸 大吟醸  3年古酒
 NO.6 平成18年 初亀 中汲み大吟醸 大吟醸 
 NO.7 平成18年 初亀 滝上秀三  純米大吟醸
          →初亀大吟醸「愛」に変更
 NO.8 平成18年 初亀 極吟醸 瓢月  吟醸
 NO.9 平成18年 初亀 鑑評会出品酒(大吟醸)

 
 わざわざ名古屋から参加していただいたSさんをはじめ多くのお客様が参加してくださり、狭い当店はギュウギュウ詰め。申し訳ございませんでした。橋本社長より酒造りに関して貴重なお話を伺うこともできました。現在七十年前に作られ

がすでに三名様。

 会が終わった後は、橋本社長、わ。さん、ホロン部員Yさんと酒(もちろん初亀)を歌舞伎町のお店に持ち込みドンチャン。もう一件四川料理のお店でドンチャン。帰りに乗ったタクシー(ヒノデ)に遠回りされて激怒。ホロン部員Yさんとエムズバーでビール。
今日もサル・猿・さる・申・・・・・・ 

9月1日金曜日雨のちくもり ○
 めちゃヒマ。初めてのお客様Tさん二名様で来店。Wさん来店。Tさん来店。
今日も少しだけ飲む。


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