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野中広務
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
北朝鮮関係
平成11年12月2日(幹事長代理当時)北朝鮮の錦繍山記念宮殿を訪問して
「ご生前中に3度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りいたします。」
(12月3日付読売新聞)
平成11年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について
「確かにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(拉致疑惑で)先方と話をすれば、『三十六年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人間を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」
(11月24日付読売新聞)
平成11年12月5日(幹事長代理当時)、NHKの報道番組に出演し。北朝鮮に対する食糧支援について
「隣国が困っているのに、援助をせず、心を通わせないで、拉致問題をはじめとする日朝間の課題が本当に解決するのか。日本の平和と安全のためにも、何らかのトビラをあけていくことが(戦争を知る)我々世代の責任であり、政治家の責任だと思う」
12月6日付読売新聞
平成12年3月19日(幹事長代理当時)、島根県湖陵町で講演し、北朝鮮への米を十万トン支援することに関して
「日本人の拉致問題を解決しないで、米支援はけしからんというが、日本国内で一生懸命吠えていても(行方不明の)横田めぐみさんは帰ってこない」
3月20日付産経新聞
平成14年11月22日、都内で講演し、21日のテレビ番組で、地村保志さんの父、保さんが野中氏を批判したことを取り上げ、
「わたしは(地村さんと)一度もお会いしたことはない」と主張するとともに「蓮池薫さんの兄である)蓮池透さんもわたしが会ってくれなかったといっているが、面会を求められたことはない。このひとたちに冷たい汚い言葉をぶっかけたこともない」「身の危険を感じている。昨晩、標的になりつつある昨今のこわさを遺言に書きくわえた」
11月23日付産経新聞
以上「正論」2003年11月号 政界を牛耳った野中広務猛語録 柿谷勲夫 P348〜より引用
よ〜く野中氏の北朝鮮への姿勢が表れている言葉の数々です。
「日本のメディアと専門家たちは、国民感情があるから拉致疑惑やミサイル、核問題などを先に解決しなければならないと主張するが、拉致問題といえば、日本は植民地支配当時、どれだけ多くの朝鮮人を拉致、強制労働、殺害してきたのか。
これに対する謝罪と補償を進めるという立場を、日朝国交交渉の過程で明確にすべきである。」
この直後に、北朝鮮への人道支援として米の大量提供が始まる。
「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった。近くて近い国にしたい。日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。壁を破ってでも食料援助をすべきだと思って環境整備をしている」
お決まりの害務省からは
アジア局長を務めた槙田邦彦(現シンガポール大使)は、
「たった11人の(拉致被害者の)ことで、日朝国交正常化交渉が止まっていいのか」
拉致家族の方の会見における下記の言葉がすべてを物語っている。
「今までこの問題を無視し続けた国会議員の方々、社民・共産の方々、
何か我々に言うことがあったら、連絡ください。」
何と重い言葉でしょう。
「もっと、はやく行動してくれたらあと、10年、5年早かったら」という家族の方達の言葉も重いです。
最後にこの売国奴どもに対しての
横田めぐみさんのお母さんのコメント
「それでやはり私は一番ね、本当に申し上げたいといつも思うんですけど、あの、今まで北朝鮮に何度か行って交渉しにいった方が沢山いますね、いろんな党派の方がいらっしゃいますけど、あの野中さんにしても土井たか子さんにしても、お名前を言っていいかどうかわかりませんけれど、そういう方達が一度も私たちに声をかけて下さったことは無いんです。
それでそういう方が「私たちは行ったけれども、なかなか大変な国だから、もうちょっとしたら分かるかもしれないから」と一声ね、声をかけて下さるとどんなにあれかと思いますけれど、どうしてそういうことができなくって、今はまたこういう事にこう出ていらっしゃるというのは本当に不思議です。
だから人というのは本当に恐いものだと思います。」
土井とか野中とか村山、中山みたいに何度も北朝鮮にいきながら、偉大なる首領様バンザイしかやってこなかった売国奴どもは、このコメントをどう聞くのでしょう。