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中曽根康弘と靖国参拝
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成14年5月29日土曜日晴れ ×
中曽根元首相が誕生会で、A級戦犯を分祀すべきと発言したそうです。
以下引用
二十七日夜、都内のホテルで催された自身の八十六歳の誕生会であいさつし、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に中国などが反発している問題について「私は東京裁判(極東国際軍事裁判)は承認できないので戦犯というものは認めないが、外交的打開政策を考えないといけない。日中双方がある程度、妥協できる範囲で妥協して早く解決する(べきだ)」と述べ、日中友好促進のためにA級戦犯は分祀(ぶんし)すべきだとの考えを表明した。
これに関連、続いてあいさつした石原慎太郎都知事は「中国に対する認識は私と違う」と異論を述べた。
2004/05/28 (産経新聞朝刊)
この中曽根という人は、まだ自分自身が総理大臣在任中に靖国神社公式参拝を閣議決定しながら、朝日新聞の策略に乗り、支那政府の圧力に屈し、靖国神社参拝をとりやめたために、支那政府、南北朝鮮政府に我が国の内政干渉の口実を与え調子つかせた事をわかっていないようです。
この人は過去にも、「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」で講演し、「A級戦犯の御霊は(靖国神社とは別に)招魂社をつくって、首相や天皇が靖国神社を参拝できるようにする必要がある」といい、その理由として「今後日本は、発展する中国との関係が最も重要になり、アジア経済圏を構築せねばならない。中韓両国と仲良くするために靖国問題を解決する必要がある」と言いっていますが、支那、朝鮮のいいなりになって今まで解決した事など無いです。
中曾根氏は首相としての参拝を中止したその理由として、自分の靖国参拝問題が、中国国内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという暗示を受け取り、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」から参拝をやめた。(「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」 正論 平成13年9月号)
そしてこの人は下記のような胡耀邦中国共産党総書記宛てとして、靖国神社公式参拝の取り止めに関する『中曽根康弘書簡』を送っています。
胡耀邦総書記閣下
謹啓
炎暑厳しい折から、閣下には益々御健勝のことと心からお慶びもうしあげます。 1983年秋には閣下を我国に御迎えして、日中両国の子々孫々の代までの平和と友好の契りを交して以来、早くも3年の歳月が流れようとしています。
顧みますと、その翌春の私の貴国訪問と日中友好21世紀委員会の発足、閣下の御提唱による我国青年3千人の御招待による日中青年大交流の成功、北京の日中青年交流センター建設の具体化などを通じて、日中両国の青年・文化交流、経済・科学技術交流は、政府民間のさまざまな分野でかつてない新たな進展を遂げて参りました。
私はこの3年間を振り返って、閣下と私の間で確認しあった日中関係4原則、すなわち「平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定」の考え方が、激動する内外の諸情勢の風雪と試練に耐えて、しっかりと定着しつつあることを、閣下と共に大いなる満足をもって回顧するものであります。
日中両国の各分野における交流が量的に拡大するにつれて、両国関係に若干の摩擦、誤解、不安定要因が生起することを完全に避ける事は困難であります。私達にできることは日中関係4原則、なかんずく日中両国の「相互信頼」の原則に立って、日中間に生起する摩擦、誤解・不安定要因を早期に発見し、率直に意見を交換し、小異を残して大同を選び、これらの諸問題の解決のために機敏に行動することによって、問題の拡大を未然に防止し解決を見出すことであると確認いたします。
私はこの両3年間に生起したさまざまな諸問題について、日中両国がこの基本原則に従って行動し、着実な成果を収めてきた事をよろこばしく思うものであります。
日中関係には2千年を超える平和友好の歴史と50年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の50年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中両双方の政治家たちが、相互信頼v甄により、粘り強い共同の努力を行う必要があります。
私は戦後40年の節目にあたる昨年の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のため犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました。
しかしながら、戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者e濳られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。
如何に厳しい困難な決断に直面しようとも、自国の国民感情とともに世界諸国民の国民感情に対しても深い考慮を行うことが、平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定の国家関係を築き上げていくための政治家の賢明なる行動の基本原則と確信するが故であり、また閣下との信頼関係に応える道でもあると信ずるが故であります。
正直に申せば、私の実弟も海軍士官として過般の大戦で戦死し、靖国神社u?られています。
戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社u?られることになっており、日本国に於て他に一律u?られておるところはありません。
故に246万に及ぶ一般の戦死者の遺族は極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしとゆう日本人独自の生死感により神社の独自の判断によゆ濳られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります。
特に過般の総選挙で圧倒的大勝を私達に与えた自民党支持の国民は殊に然りであります。
私は、この問題の解決には更に時間をかけ適切な方法を発見するべく努力することとし、今回の公式参拝は行はないことを決断いたしたものであり、この間の事情について閣下の温かい御理解を得たく存ずるものであります。
私は、日中間の如何なる困難な問題も、両国国民及び政府間の相互の理解と思いやりにより、双方の満足する適切な解決方法を、時によっては時間をかけても解決する実績を積上げつつ、更に更に強固な相互信頼と新たな発展を拡大強化することを念願致しております。
今秋9月、東京と代?におきまして日中友好21世紀委員会第3回会議が開催されることとなっており、既に日中双方の委員会は会議の成功のために精力的な努力を続けていると聞いております。
私はこの第3回会議の成功を心から祈るとともに、閣下を通じて王兆国座長以下中国側委員の御来日を歓迎し、お待ちしている旨お伝え下さい。
閣下の御家族の皆様の御健康と御多幸を謹んでお祈り申し上げます。
昭和61年8月15日
内閣総理大臣 中曽根康弘
その後、中曽根氏より胡耀邦氏への政治献金として、我が国国民の血税を103億円もODAとして使い、何の役にも立たない「日中青年交流センター」を作りました。
いいかげんにしてほしものです。