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無形文化財

平成17年11月3日木曜日晴れ ○ S
 「無形文化財」とインターネットで見ると
http://www.bunka.go.jp/1hogo/main.asp%7B0fl=show&id=1000000122&clc=1000000033&cmc=1000000097&cli=1000000104&cmi=1000000118%7B9.html
 <演劇,音楽,工芸技術,その他の無形の文化的所産で我が国にとって歴史上または芸術上価値の高いものを「無形文化財」という。無形文化財は,人間の「わざ」そのものであり,具体的にはそのわざを体得した個人または個人の集団によって体現される。
 国は,無形文化財のうち重要なものを重要無形文化財に指定し,同時に,これらのわざを高度に体現しているものを保持者または保持団体に認定し,我が国の伝統的なわざの継承を図っている。保持者等の認定には「各個認定」,「総合認定」,「保持団体認定」の3方式がとられている。>
 となっています。
 週刊新潮の連載シリーズで「アジア酒街道を行く」というのがあり、先週号(11月3日号)では南朝鮮の重要無形文化財ムンベ酒(蒸留酒)の技術継承者として人間文化財・李基春氏を紹介し、今週号(11月10日号)では安東焼酎という古くから伝わる蒸留酒の技術継承者として御高齢のチェ・オクファ女史を紹介しています。
 我が国と併合して、密造酒として取り締まられる前には各々の家庭で自由に酒を造る事ができた時代があったようで、その技術を保存しようと1970年代の朴大統領が伝統酒選定試案づくりを始めて1986年に全大統領時代にムンベ酒が重要無形文化財第一号になったと紹介されています。
 朝鮮は伝統的に技術者、商売人をバカにするところがあったので、伝統的な技術が残らない面もあり、(秀吉と日帝が全部奪ったニダという突っ込みはひらに御容赦)そういう事が必要だったのかも知れませんが、酒造りとはただ昔ながらの製法を守るだけでいいのでしょうか。その南朝鮮の伝統酒も最初に今の形というか造り方になった時はきっとその時代の最先端技術と工夫により生まれた製法だとおもうのです。それを、そのままの形としてず〜と伝えるだけでいいものでしょうか。

 「無形文化財は,人間の「わざ」そのものであり,具体的にはそのわざを体得した個人または個人の集団によって体現される。」というのであれば、我が国の酒造りそのものだと思うのですが、無形文化財などに指定された蔵元さんはありません。
我が国の酒造りは伝統だけではなく、常にその時代の新しい技術・工夫も取り入れて造られています。伝統だけというのであれば、今の旨い日本酒を我々は味わえなかったでしょう。

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