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<前原誠司>

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


前原という男

平成23年10月11日火曜日晴れ△167

 今日の産経新聞の記事です。

<慰安婦問題、新たな基金創設も視野 韓国外相と会談の前原氏

 【ソウル=杉本康士】韓国を訪問している民主党の前原誠司政調会長は10日昼、ソウル市内のホテルで金星煥(キム・ソンファン)外交通商相と会談し、慰安婦問題について「人道的な観点から考える余地がないか、お互い知恵を出し合い静かな環境で議論したい」と述べた。韓国政府が求める慰安婦の請求権協議に関しては「政府の考え方は不変だ」と否定的な見解を示した。

 会談後の記者会見で前原氏は、平成19年に解散した「女性のためのアジア平和国民基金」を挙げ、「韓国政府は否定的な考え方をしているが、それは以前の話であって李明博(イ・ミョンバク)政権ではない」と指摘。新たな基金創設も選択肢になることを示唆した。

 ただ、前原氏は同日夕、ソウル市内で記者団に対し、「具体的に考えるのは外交をつかさどっている政府だ。方向性が固まった段階で、党としてもしっかりとバックアップしていきたい」と説明。新たな基金創設の是非は、あくまでも政府が行うとの認識を示した。2011.10.10 19:27産経新聞

 やっぱり前原という男は何処までもアホというより朝鮮人の為に働く確信犯、売国奴なのでしょう。

 朝鮮人などが騒いでいる戦時売春婦については、日本人が騒いで、元を作ったものです。福島みずほは戦時売春婦によって飯を食っていたところを同じ売国奴の土井たか子に気に入られて国会議員にまでなり、大臣にまで上り詰めました。

参照→慰安婦という戦時売春婦で騒いで飯を食っている朝鮮人、日本人

 私は過去の日記に「謝罪屋というアホどもの精神分析」という題にて斉藤貴彦氏は著書「本当は恐ろしい『平和』と『人権』というファシズム」を引用させていただき書いております。

  <「原罪」がキリスト教を支えているように、「戦争犯罪」は日本の平和主義を根底から支えている。そして、「キリストの犠牲」がキリスト教を支えているように、「戦争の犠牲」は日本の平和主義を根底から支えているのである。

 戦後民主主義は「過去が悪かったこと」の「反省の上」から成り立っている。したがって、原理的に日本の過去は罪悪でならねばならないのであり、日本の過去が少しでも悪くなかったとすれば、戦後民主主義はその存在意義そのものが危うくなってしまうのである。自由主義史観やリビジョニズム(歴史修正主義)といったものが厳しく禁忌されるのも、そのためである。「事実」が社会のコンセンサスを形成するのではない。社会のコンセンサスを形成するために、一定の「事実」の共有が必要なのだ。それが「神話」と呼ばれるものである。日本が悪い事をして神に懲らしめられたのだ、という神話・・・・そういった意味で、戦後民主主義は一種の宗教であり、「犠牲者」への贖罪は一種の宗教儀式である。「犠牲者」の体験は絶対である。「日本は悪くなかった」などと主張するのは「犠牲者」への冒涜である。「犠牲者」への冒涜は神への冒涜に等しく、決して許されるものではない。

 日本において顕著にみられる「犠牲者への贖罪」という構図は、心理学的にも、社会・人類学的にもきわめて重要なキーポイントである。>

「本当は恐ろしい『平和』と『人権』というファシズム」(佐藤貴彦 夏目書房 一九九九年刊)p八四〜八五

 

<「犠牲者」への謝罪には際限がない 

 もしも自虐派の贖罪行動がナルシスト特有の内なる罪悪感に基づくものであるとするなら、その「謝罪したい」という欲求には際限がない。しかも彼らは(じつに卑劣な事に!)それを自身の罪としては引き受けず、母国日本の罪として謝罪したがる。つまり内なる贖罪衝動を満足させるために、なるべく沢山の「日本が悪いことをした事実」を発掘しようとするのである。

 それでは一方、朝鮮・中国など、かっての非侵略国といわれる国々の立場からすれば、どうだろうか。

 まず第一に、「犠牲者」であることは、相手国に「負い目を負わせる」という外交上の優位を与える貴重なカードであるから、彼らがこのカードを手放すことはない。少なくとも単純な補償問題には帰せられない。そしてさらには、彼らにとって「犠牲者である」ということは、そのこと自体に大きな意義があるのである。「犠牲者」であることは、それ自体が特別に尊い地位である。ゆえに「日本は悪くなかった」などという言説は、それが事実実証的に論ぜられる以前に、彼らの「犠牲者」としての名誉を痛く傷つけてしまう。彼らはこの名誉を決して手放さないのである。

 いかに謝罪しようとも、如何に補償しようとも、この問題が決着することは永久にあり得ない。>

「本当は恐ろしい『平和』と『人権』というファシズム」(佐藤貴彦 夏目書房 一九九九年刊)(p八八〜八九)

 わざわざ売春婦を見つけてきて、ウソの証言をさせて喜んでいるようなアホは死ななければ治らないようです。アホウは恐ろしい。そして、それで飯を食っている連中は一生懸命であるから余計に始末が悪い。

 前原は、朝鮮に対して、「朝鮮から我が国に来て商売をしている上野、鴬谷の「現代の慰安婦」どもを始末しろ」とと言うべきだったのです。

 参照→売春婦輸出大国朝鮮

 今日の築地本願寺の蓮

 

 鉢によって水の濁り方が違う。

 管理が違うのか同じ境内にある蓮は総て刈り取られていました。

 

 酔鯨の石元製造部長より飲んべえの会についての出品酒のことで電話あり。

 今回は参加人数が少ないので、当店で寝かせてあるもの以外は四合瓶でお願いする。

 早い時間に醴泉の山田社長、美丈夫の濱川社長など三名様で来店.

 醴泉の会に蔵元さんに残っていた非売品の鑑評会出品酒を何本か提供してくださるそうだが、いつのだか醸造年度はわからんそうな・・・・・

 でっ、私も早い時間から遅い時間までドンチャン。

 

 濱ちゃんは眠たそう。

 私は今日は記憶あり。

 後片付けもしっかり。

 サルよりマシ。




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