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朝鮮人戦時売春婦を支える売国奴政治家
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
戦時売春婦をネタに商売にしている朝鮮人、日本人
平成23年5月9日月曜日晴れ ○
今日の産経新聞の記事です。
以下引用
<「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発
【ソウル=黒田勝弘】ソウル市警察当局はこのほど、日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府などから補償金を
受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていた団体幹部など39人を、詐欺の疑いで摘発したと発表した。被害者は3万人に上る。
摘発されたのは「太平洋戦争犠牲者遺族会」「民間請求権訴訟団」など対日要求や反日集会・デモを展開してきた団体。
古くからの活動家で日本でも知られる梁順任・遺族会会長(67)にも容疑が向けられており、対日補償要求運動にブレーキが
かかりそうだ。
発表によると、梁会長らは遺族会や訴訟団など各種団体を組織して会員を募集。その際「動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」などと嘘を言った例もあり、会員を集めると手当を支払っていたという。警察発表では、梁会長らはソウルでの日韓親善サッカーの試合のスタンドに約500人の会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げる“偽装活動”をしてきたとしている。>
引用終わり
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110509/crm11050909470004-n1.htm
アホウ朝鮮人どもがやっていた日韓親善サッカーの試合のスタンドに約500人の会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げる“偽装活動”です。
同じく、このニュースのKBS動画ニュースです。
http://news.kbs.co.kr/society/2011/04/22/2280139.html
この一番手前の朝鮮人クソババアが梁順任容疑者です。
このニュースにあった「太平洋戦争犠牲者遺族会」というのは、他にもいろいろやってます。
<韓国の市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」などは16日、ソウルで記者会見し、植民地時代に多くの朝鮮半島出身者が日本に強制動員され犠牲になったとして、天皇陛下の謝罪などを求める訴訟を起こすとの声明を発表した。
今年8月で植民地支配が始まった日韓併合から100年となるのに合わせ、日本の弁護士の協力も得て訴訟準備を進めているという。
声明によると、朝鮮王朝がかつて所蔵し、現在は日本の宮内庁に保管されている書物などの返還や、朝鮮王朝末期の1895年に王妃だった閔妃(死後に明成皇后と呼称)が暗殺された事件の真相究明を求める訴訟も計画している。>
産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100716/kor1007162112003-n1.htm
「太平洋戦争犠牲者遺族会」とは昭和四十七年(一九七二年)に発足したもので、南朝鮮(韓国)政府からの戦後補償を受けるために戦争犠牲者の遺族からの届出を受け付けたり、その他、家族の生死確認や遺骨調査、援護の拡充などを求めて活動してきた。
其の後、除々に活動の性格が変貌し、現在に至る。
これについては我が国の売国奴どもの活躍に寄るところが大である。
昭和四十七年 「太平洋戦争犠牲者遺族会」結成
昭和四十八年 千田夏光氏『従軍慰安婦』出版
昭和五十二年 吉田清治氏『朝鮮人慰安婦と日本人』出版
昭和五十七年 九月、十一月吉田清治氏「第一次樺太朝鮮人裁判」(原告代表 高木健一弁護士)で原告側証人として、朝鮮人奴隷狩りを証言。
昭和五十八年 吉田清治氏『私の戦争犯罪』出版
昭和六十年 千田夏光氏『従軍慰安婦、慶子』出版
平成元年 吉田清治氏『私の戦争犯罪』が韓国語に翻訳され、後にドラマ化。
五月 青柳敦子氏「朝日ジャーナル」に十五回にわたって意見広告掲載。
六月 高木健一弁護士 「第一次樺太朝鮮人裁判」の提訴取り下げ。後に韓国政府から、国民勲章を授与される。
八月 『済州新聞』が吉田清治氏の『私の戦争犯罪』を全くの嘘と糾弾。
十一月 青柳敦子氏 裁判を提訴する原告探しのため南朝鮮(韓国)へ渡りのちに「太平洋戦争犠牲者遺族会」と協力。
平成二年 三月 青柳敦子氏「「太平洋戦争犠牲者遺族会」会員たちと供に、ソウル日本大使館に向けてデモ
五月三十日 参議院予算委で竹村泰子議員(社会党)が
国会で初めて、従軍慰安婦の調査要求。
六月一日 参議院内閣委で吉岡吉典議員(共産党)
朝鮮人強制連行、朝鮮人慰安婦一四万人以上犠牲になったことなど質問。
六月六日 参議院予算委で本岡昭次議員(社会党)
「強制連行の中に従軍慰安婦という形で連行されたという事実もある」と質問。
十月十七日 南朝鮮(韓国)の三九団体(韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会など)の代表がソウル日本大使館を訪れ、海部首相に連名で「公開書簡」を送付。
六月六日の本岡昭次議員に対する清水職安局長の答弁を引用し、これを無責任とし、吉田清治氏の著書を証拠としながら、補償や謝罪を要求。
十一月十六日 韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)、代表ユンジュンオク氏」を結成。
十二月十八日 参議院外務委で清水澄子議員(社会党)
六月六日の清水職安局長の答弁について質問。
「従軍慰安婦という、強制連行の中で女子挺身隊として強制連行された朝鮮の女性たちの問題は国家も軍も関与しなかったという、それをそのままお認めになるわけですね。」
平成三年四月一日 参議院予算委で本岡昭次議員(社会党)の質問
「政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊という名前によって朝鮮の女性を従軍慰安婦として強制的に南方の方に連行したということは、私は間違いない事実だというふうに思います。この問題をどういうふうに対応していったらいいと思われますか。」
そして、同時に朝日新聞が一生懸命やってきた反日活動の一環として従軍慰安婦強制連行に関する一大キャンペーンを開始しました。
八月十一日朝日新聞記者植村隆が「女史挺身隊」と慰安婦をワザと混同させた記事を掲載。
<「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうちの一人>
この記事を書いた朝日新聞記者植村隆は今回の粱順任容疑者の娘と結婚しているのである。容疑者の身内によるマッチポンプ記事なのである。
八月二十七日 参議院予算委で清水澄子議員(社会党)が戦争責任と戦後補償について質問。「これまでは請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。」
十二月六日、東京地裁に国を相手に太平洋戦争犠牲者遺族会が補償が請求して提訴
訴訟原告代理人は高木健一、幣原廣、林和男、福島瑞穂弁護士らである。
「弁護士のTらが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか、今でも腹が立って仕方がない」(元官房副長官の石原信雄氏談 平成一六年八月三日産経新聞【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話より)
この計画に積極的に加担していた我が国の「各方面」の売国奴ども
詐欺師)千田夏光、吉田清治
反日活動家)青柳敦子、臼杵敬子
売国マスコミ)朝日新聞、植村隆
弁護士)高木健一、幣原廣、林和男、福島瑞穂
反日国会議員)竹村泰子、吉岡吉典、本岡昭次、清水澄子
そして、加藤紘一、河野洋平、宮澤喜一
参照→*朝日新聞の従軍慰安婦問題と遺棄化学兵器問題にみる共通性
素晴らしい売国奴による連係プレーです。
福島みずほなどは弁護士でも夫婦そろって国を売り、その後、国会議員としても国を売っています。
我が国のためにならないことだったら何でもする腐れ売国奴どもです。
今日は食事に外に出ただけで、どこにも行かず部屋でゴロゴロとマンガの本を読んで一日が終わる。
酒は飲まず。
当然、サルでもエビでもない。
平成19年2月22日木曜日曇り一時雨 ×××
朝鮮は今も売春産業が盛んで、アメリカなどはもちろん我が国にも出稼ぎに大勢来ております。(参考)出稼ぎ朝鮮人売春婦
大東亜戦争中も朝鮮人は売春婦として大勢働いていました。(一番多かったのは日本人です)
そんな朝鮮人戦時売春婦の話しを聞こうとバカ政治家が集まったそうです。
以下引用
http://www.labornetjp.org/news/2007/1172147712327staff01
「慰安婦」問題の立法解決を求める会の皆さんは、毎月一回水曜日11時30分から12時30分まで、国会前で、「慰安婦」問題の立法解決を求め水曜行動を行っておられます。2月21日(水)もこの行動の後、国会内で参議院院内集会が開催されました。
略)
3)2月21日、参院院内集会
2月21日午後1時30分から参院院内集会が開かれ、「慰安婦」問題を立法で解決するようその声をあ
げた。呼びかけは、「慰安婦」問題の立法解決を求める会(会長:土屋公献弁護士)。集会には、ワ
シントンで証言された李容洙さんも参加され、証言の報告を行った。集会の途中で李容洙さんは外務
副大臣と面会し、日本政府の謝罪を改めて求めた。岡崎トミ子、福島瑞穂、江田五月、円より子ら各 議員が参加し、国会での活動を報告した。これまでに集めた立法解決を求める請願署名を議員に渡し
て、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の今国会での審議、そして成立を訴え、集会を終えた
。
引用終わり
そしてこの朝鮮人売春婦は埼玉でも講演をするそうです。
以下引用
二十三日午後六時半から、さいたま市民会館うらわで講演会「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」を開く。平和団体や女性グループなど十五団体、個人で組織する同実行委員会(石田甚太郎代表)が主催する。
李さんは韓国・大邱(テグ)出身。十六歳の時に台湾に連行され、一九四五年から旧日本海軍の特攻基地で軍人の相手を強要されたという。
略)
「一日四人から五人の軍人の相手を強要された。反抗すれば電気拷問やムチで打たれた。つい最近まで当時感染した性病の治療を受けていた」と涙ながらに証言したという。
略)
麻生太郎外相が同日、米議会決議案について「事実に基づかず遺憾」と述べたことについて、「私が生きている証人。愛する日本人に恨みはないが、日本政府はきちんと私に謝罪してほしい」と訴えた。
埼玉新聞2007年2月22日(木)
http://www.saitama-np.co.jp/news02/22/29l.html
引用終わり
さて、「私が生きている証人」といったこの朝鮮人売春婦の証言については他の朝鮮人売春婦と同じく面白証言満載です。
李容洙(イ・ヨンス)
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm
韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html
「慰安婦」日本の慰安所を再訪
(China News、英文中国日報,1998.8.23)
略)
李容洙(71)はかって日本軍の性奴隷として足かけ三年間従事した場所を涙のうちに探しだした。
その場所は現在、中華民国空軍の将兵用三階建ての寮になっていた。彼女は、1944年(43年の間違い)のある夜、韓国の故郷からどのようにして日本軍により誘拐され、いかにして日本軍の性奴隷になったかを涙ながらに語った。
彼女が、日本空軍(ママ)カミカゼ隊の駐屯する見知らぬその地の慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。李は、ハセガワという日本人将校からそこは台湾北部の新竹であると聞かされて、初めてその地名を知った。
李は日本軍慰安所の生活を悪夢として語った。彼女は木造二階建ての家に住まわされた。彼女は慰安所の前100mくらいの範囲で動くことを許されただけなので、思いだせるのは青い野原と近くを流れる小川くらいである。
彼女は50年以上、夢にまでみた川岸に立った瞬間、どっと涙がこみ上げた。彼女は日本軍が連合軍に降伏した後、韓国・大邱にもどったが、こうして再びかっての苦難の地を訪れることができたことに感謝した。
略)
李の他に、14人の韓国人女性がその慰安所で性奴隷として従事していた。
そのうち二人の同僚は、連合軍の空襲で死んだとつけ加えた。
http://www.han.org/a/half-moon/hm057.html
?? ◇「犬や豚以下の生活」=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。
日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。
李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。
http://www.kanzaki.com/docs/jis-recover.html
李容洙(イ・ヨンス)さん
女学校で日本の歌を歌わず、警察に大連(だいれん)に送られ、大連から海路上海(しゃんはい)を経て台湾の慰安所へ。航行中ひどい船酔いに苦しみ、便所へ吐きに行ったら日本兵に犯された。友だちも同じようにして犯された。船中で何度も同じ目にあった。一六歳からの三年間、敗戦の日まで慰安所に監禁された。軍人を相手にすることを拒んで電気拷問を受け、今も両手に後遺症が残る。
http://www.prati.info/c/back/3pun/28.html
一九二八年生まれで一四歳で売春婦になったのであったら、一九四二年だし、一六で売春婦になったのなら一九四四年。
そして三年も売春婦として働いていたのなら、一九四四年からだと一九四七年まで働いていた事になり、敗戦後も売春婦としてせっせと金を稼いでいたことになります。
まあ、言う事がころころ変わるのは偽証が得意な国民性と言ってしまえばそれまでなんですが、「女学校で日本の歌を歌わず、警察に大連」に送られってアホ過ぎます。もう少しマトモな理由を考えてほしいものです。
こんなバカ朝鮮人売春婦を民主党は呼んで話を聞いていたのです。
ましてや、バカ議員のやっている「水曜日11時30分から12時30分まで、国会前で、「慰安婦」問題の立法解決を求め水曜行動」とかいうのは朝鮮人売春婦ババアがソウルの日本大使館の前でやっている恥知らずな「水曜デモ」とか言うやつの真似でしょう。売国奴の岡崎トミ子はそれに参加し、我が国の国旗である日の丸に×を書いた前で拳を振り上げてしっかりと反日ぶりを見せてくれました。
こんな売国奴を当選させている岡崎の地元の宮城県のみなさんは恥ずかしくないのでしょうか。
(まあ、あの国賊土井たか子を私の地元の兵庫県は最近まで当選させていましたけど・・・・・)