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黒木博司海軍少佐

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

回天・黒木博司海軍少佐

平成22年1月12日火曜日雨のちくもり ×

  今年の正月に淡路島に帰る時に、車中で読むのに何を持って帰ろうかまよったが、一冊は昨年、靖國神社遊就館にて購入した「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十八年刊)にした。

 回天について詳しく書かれている此の本の中に仁科関夫中尉とともに回天の考案者の一人であり、訓練中の事故により殉職した黒木博司海軍大尉(殉職後少佐)の遺書が掲載されていた。

 此の遺書は、同じく訓練中に殉職された第六号潜水艇艇長佐久間勉大尉の遺書と同じく軍人としての職務を全うする姿勢を現したものです。

 昭和十九年九月六日、大津島(山口県周南市 旧徳山市)においての回天搭乗訓練二日目のことであった。

 当日は晴れ渡っていたが、次第に風が強くなってきていた。

 午前十時、上別府宣紀大尉が同乗した仁科関夫中尉が操縦する三号的が発進。湾口では波が高く、潜入時には飛沫が高く上げていた。

 午後になると益々風が強くなり、うねりも大きくなった。危険だと判断した大津島指揮官の板倉光馬少佐は午後の訓練中止を決断したが、黒木博司大佐は「天候が悪いからといって、敵は待ってくれない」と同乗の樋口孝大尉とともに懇願し、湾内の第一コースで訓練を決行した。

 午後五時四十分、樋口大尉が操縦する一号的は指揮官の黒木大佐を乗せ発進し、その後方を二隻の艇が追尾した。

 板倉少佐の乗った追躡艇はうねりに突っ込み、浸水によりエンジンが停止。仁科中尉が乗った高速艇も一号的を見失ってしまう。

 夕闇迫る基地ですぐに探索隊が編成され、一号的の探索が徹夜で行われたが、艇内の酸素がなくなる時刻を迎え、乗員二名の生存の望みは絶たれた。

 翌朝、前日の荒れた天候が嘘のような静まった海面で、必死の探索が続けられ、午前九時、一号的発見の報が届けられる。

 見つかったのは射点より四千m先、コースよりやや北の地点であった。水深十五mの海底で、三分の一ほど泥をかぶった状態で突き刺さっていた。

 発見出来たのは一号的から出ていた微量の気泡によるものであった。

 引き揚げられた一号的を潜水作業艇に固縛したままハッチを開いて、操縦席にうつぶせになって倒れていた樋口大尉と、その奥にうずくまるように倒れていた黒木大尉を確認したが、すでに二人とも完全に事切れていた。

 取り乱した様子は無く、端然たる見事な最後であった。

 

 

 黒木大尉は、事故直後よりその状況を詳細に書き留めている。

 二人の通夜の席上で披露されたその遺書には、事故直後の処置、経過、後の訓練や実戦に生かすための対策などが、回天発案者として冷静に分析し記録されていた。

 事故発生から五時間を経過した時点で、自らの死を覚悟したものとなり、仁科中尉をはじめ回天基地隊員への懇情の遺言へと変わる。

 回天の内壁にも

「天皇陛下萬歳 大日本萬歳 帝国海軍回天萬歳

一九、九、六 二二〇〇

海軍大尉 黒木博司 」

と筆跡は残された。

十二時間後の午前六時に二人は息絶えた。

以下はその黒木大尉の遺書です。

黒木博司海軍少佐 遺書

一九年九月六日、回天第一号海底突入事故報告

当日一八時一二分、樋口大尉操縦、黒木大尉同乗ノ第一号海底ニ突入セリ、

前後ノ状況及所見次ノ如シ

一、事前ノ状況

当日徳山湾内ニテ樋口大尉ノ回天操縦訓練ニ同乗、一七四〇発射、針路蛇島向首、一八〇〇頃一八〇度取舵、大津島「クレーン」ニ向ケ帰途ノ途中、一八一〇ヨリ二〇潜航、調深五米ニ対シ実深二米、前後傾斜D二〜三度、時ニD四〜五度トナリシコトアリ、当日第三次操縦訓練同乗者仁科中尉ノ所見ニ波浪大ナルトキ、同様二〇節浅深度潜航中、俯角大トナリ一三米迄突込ミタル由ノ報告アリ、之ヲ想起シ、充分ニ注意ナシアリシ所、約二分ヲ経過シ、浮上ヲ決意シ、操縦者ニ浮上ヲ命ゼントトシテ傾斜計ヨリ眼ヲ離シ、電動縦舵機等所要個所ニ注目シツツアリシ時、急激ニ傾斜大ナルヲ感ゼルヲ以テ、傾斜計ヲ注目セルニ、D一杯トナリアリ、察スルニD一五度程度ナラン、直チニ速力ヲ急速低下セシモ、若干時ノ後、猶傾斜ノ戻ル気配ナシ、此ノ間操縦者ニ深度改調ヲ〇トナスコトヲ命ゼシモ間ニ合ワズ、傾斜計ヲ見ルニD七度、深度一八米ナリ、海底に突入セルコトヲ知リ、直チニ停止ス、突入時衝撃ナシ。

二、応急処置

1、五分間隔ニ主空気一分間排気、調圧ヲ一〇キロトナシ、気泡ヲ大ナラシム、残圧六〇キロ 

2、縦舵機操舵空気ヲ常時絶ヘザル如ク放気ス 

3、電動縦舵機ヲ停止ス  

4、海水タンク諸弁ノ閉鎖ヲ確認ス(前方下ノミ注水シアリ)

5、浸水部ヲ確ム、水防眼鏡ノ「パッキン」部ヨリ水滴落下スル外異常ナシ.

6、電灯異常ナシ                                              

7、操空圧力不明(最初)読ミ取リアラズ  

  

三、事後ノ経過

1、主空気ノ放気ハ一八四五ヨリ五分間放気セントセシ際、一九〇〇ヨリ若干放気後停止、残圧三〇キロ、前回放気ノ前ニハ残圧五〇キロアリテ、五分間一〇キロニテ放気セルモリナリ。

2、操空ノ放気ハ一九一九分、数十回ノ操作ト同様ニシテ、操空連絡弁ヲ稍急激ニ開キシ所、異音ヲ発ス、即チ、縦舵機凾上蓋「パッキン」噴出シ、筒内気圧急昇ス、耳ニ痛ク感ゼリ、依ッテ直チニ閉鎖、爾後放気不可能  

3、一九二五主空気放気セルニ、筒内ニ操舵機凾ヨリ噴気スルヲ以テ短時間ニ停止  

4、一九四〇頃「スクリュー」音二を聞く、前者ハ直上ニテ停止セルモノノ如シ、但シ爾後遂ニ何等ノ影響ナシ、爾後種々ノ音響ヲ聞クモ近キ音ナシ。  

四、所見

1、波浪大ナルトキ浅深度高速潜航ノ可否ハ実験ヲ要ス、確タル成果ヲ得ルマデ厳禁ヲ可ト思考ス

(若干処置ヲ誤リシハ当所ノ水深ヲ一二米ト判断シ、実深ヲ知ル能ワザリシニヨル)

2、早急ニ過酸化曹達ヲ準備スベシ 

3、事故ニ備ヘ、用便器ヲ要ス(特ニ筒内冷却ノ為)

4、実験ヨリニシテ二人乗ハ七時間ヲ限度トス

5、「ハッチ」啓開ヲ試ミシモ開カズ、空気不足ト思考セラルルニヨリ只今《一九五五》ヨリ睡眠ス

6、陛下ノ艇ヲ沈メ奉リ、就中〇六ニ対シテハ、畏クモ陛下ノ期待大ナリト拝聞致シ奉リ居リ候際、生産思ワシカラズ而モ最初ノ実験者トシテ多少ノ成果ヲ得ツツモ、充分ニ後継者ニ伝フルコトヲ得ズシテ殉職スルハ洵ニ不忠申訳ナク慙愧ニ耐ヘザル次第ニ候                                            .

7、恩師先生ヲ始メ、先輩諸友ニ生前ノ御指導ヲ深ク謝シ奉リ候 

8、小官申シ残ス処更ニナク、唯長官、総長、二部長等ニ意見書有之、聊カ微衷御汲取リ下サレ度 

9、必死必殺ニ徹スルニアラズンバ、而モ飛機ニ於テ早急ニ徹スルニアラズンバ、神州不滅モ保シ難シト存ジ奉リ候   

10、必ズ神州挙ッテ明日ヨリ即刻体当リ戦法ニ徹スルコトヲ確信シ、神州不滅ヲ疑ハズ、欣ンデ茲ニ予テ覚悟ノ殉職ヲ致スモノ候 

   天皇陛下萬歳、大日本帝国萬歳、帝国海軍萬歳

追伸

1、舷外灯ヲ設クベキ事     

2、応急「ブロー」ヲ設クベキ事         

3、駆水頭部ヲ完備スベキ事

   今回ノ事故ハ小官ノ指導不良ニアリ、何人ヲ責メラルルコトナク又之ヲ以テ、〇六ノ訓練ニ聊カノ支障ナカランコトヲ熱望ス                                                                                                 

4、一型ニ於テ海水「タンク」注水及「ブロー」ニ大錯誤アリ、至急研究対策ヲ要ス。片方「ブロー」出来ズ中水量不明ナリ                                                                                                            

仁科中尉ニ

万事小官ノ後事ニ関シ武人トシテ恥ナキ様頼ミ候、                           

潜水艦基地在隊中ノ(キ四八期)ニ連絡ヲ頼ミ候、                           

御健闘ヲ祈ル、〇六諸士並ニ甲標的諸士ノ御勇健ヲ祈ル、機五十一期級友切ニ後事ヲ嘱ス。(終)   

 

辞世

男子やも我が夢ならず朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が 友々よびつ死してゆくらん

 

1、自室紫袋内ノ士規七則ヲ黒木家ニ伝フ、家郷ニハ戦時中云フコトナシ、意中諒トセラレヨ、     .

父上、母上、妹、御達者ニ                                           .

2、血書ハ分配ヲ堅ク御断リス、但シ一通司令官ニ納メテ戴キタシ、人生意気ニ感ズルモノナリ      .

二二〇〇壁書ス、

天皇陛下萬歳 大日本萬歳 帝国海軍回天萬歳

一九、九、六 二二〇〇

海軍大尉 黒木博司

呼吸苦シク思考ヤヤ不明瞭手足ヤヤシビレタリ

〇四〇〇死ヲ決ス、心身爽快ナリ、心ヨリ樋口大尉ト萬歳ヲ三唱ス

 

死せんとす益良男子のかなしみは 留め護らん魂の空しき

 

所見万事ハ急務所見乃至至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クバ一読、緊急ノ対策アランコトヲ

一九−九−七、〇四〇五絶筆、樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ、我又彼ト同ジクセン

〇四四五、君ガ代斉唱 神州ノ尊、神州ノ美、我今疑ワズ、莞爾トシテユク、萬歳

〇六〇〇猶二人生存ス。相約シ行ヲ共ニス。萬歳

天皇を思ふ赤子の真心に など父母を思はざるべき

父を思ひ母を思ひて猶更に 国を思ふは日の本の道

人など誰かかりそめに 命捨てんと望まんや

小塚が原に散る露の 止むに止まれぬ大和魂

 黒木大尉、樋口大尉は殉職後、少佐に進級した。

 黒木少佐は生前、仁科中尉に「本実験中、貴様と俺との二人のうち一人は必ず死ぬだろう。さらに二人とも死んだらどうなるだろう」と常に話していたという。

 仁科関夫中尉は黒木少佐の遺骨を抱いて回天に乗艇し、昭和十九年十一月二十日、ウルシーにて散華する。

 特攻というそのものは批判されて当然であるが、

 我が国を護るために尊い命をかけて戦った先人の事を忘れる事は許されるものではない。

 

 清水さん来店。Iさん四名様で来店。鮟鱇鍋でドンチャン。

 Kさん来店。ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。大酔っ払い。記憶なし。サル。

参考文献

「人間魚雷 回天」(ザメディアジョン 平成十八年刊)

 



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