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倉沢愛子のウソ「日本軍による虐殺」
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
平成19年11月23日金曜日 新嘗祭 △
倉沢女史は我が国を貶めるためだと、ウソなど何も思いません。そのウソすでに多くの方に否定されているが、倉沢女史はそれを訂正することもない。流石は厚顔無恥の売国奴らしい行動です。
以下、倉沢女史の著書よりの引用
<現実にインドネシアには、いまなお戦争の傷跡がいろいろなところに残っている。
略)
そのひとつは、戦争中、スマトラ地区の司令部がおかれていた、西スマトラのプキティンギという高原の町を訪れたときのことである。
このまちには、日本軍のつくった巨大な地下壕が残っている。プキティンギのグランドキャニオンといわれる大渓谷の斜面に掘られたこの地下壕は、連合軍が攻めてきた場合、スマトラの日本軍が最後にたてこもる場所として建設されたものである。ジャワ島その他から連れてきた大量のロームシャ(現地では労務者をそのままこのように呼んでいた)を使用して建設したが、従事したロームシャたちは秘密保持のために、建設が終わると全員殺されたと言われている。そのため。この地下壕の存在は、地元の人々のあいだでも長い間全く知られていなかった。
ところが、一九五六年に地元の人が山で薪を探していて、穴の入口を見つけた。ただしその段階では、日本軍が掘った地下壕だというだけで、建設の経過など詳しいことはわからず、長い間そのまま放置されていた。
私は一九七四年にここを訪れたことがあるが、その時は、外から穴の入口を眺めることができただけである。
略)
一九七四年には中に入れなかったこの地下壕は、一九八六年に州政府によって歴史的遺跡として整備され、周囲も公園化されて、観光の名所となった。その間、戦争中この地にいた日本の元軍人たちが団体で訪れ、地下壕建設の経過について語ってくれたため、詳細がわかるようになったのだという。
「ジャパニーズ・トンネル」と書かれた壕の入口には、ロームシャが強制労働させられている様子が彫り込まれた大きな壁画がある。
略)
さらに、ロームシャ用の台所や食堂のほか、ロームシャを閉じ込めた牢獄や、死体をほうりこんだと言われる穴なども残っている。>
以下「二十年目のインドネシア」(倉沢愛子 草思社一九九四年刊)よりP一六九〜一七〇
この穴については、すでに加藤裕・元産経新聞ジャカルタ支局長により完全に否定されています。
「史実に反する。正しい歴史を」 戦友会有志、小冊子で訴える
太平洋戦争中にインドネシア・スマトラ島の防空壕(ごう)で、旧日本軍がインドネシア人労務者三千人を虐殺したとする誤った史実を現地人のガイドが観光客らに説明していることが分かった。戦友会や有志は「虐殺は史実に反する」と当時の事情を記した小冊子を編集、現地で無料配布する。
防空壕は、ブキティンギ市内の断層のがけを利用して旧日本陸軍第二十五軍が築造。壕内奥から断崖(だんがい)に向けて複数の穴がある。これが「築造にかかわったインドネシア人労務者を殺害、放棄に使った穴」とされた。一九八七年にインドネシア政府、地元州政府が防空壕跡を整備して国立公園に指定した際、「銃剣を手にした日本兵に殴打されながら強制労働にかりだされた労務者」を描いた巨大なレリーフが壕入り口に設けられた。その後、日本で同壕跡が「虐殺が行われた日本の穴」として観光案内や研究者の論文で取り上げられ、「三千人虐殺」が事実として独り歩きを始めた。
これに疑問を抱いたジャーナリスト、加藤裕氏や旧スマトラ新聞記者、菊地秀廣氏が防空壕築造担当の旧日本軍関係者などから「史実と異なる」との証言を得て、インドネシア政府に通告。インドネシア側も間違いを認め、九七年にレリーフは撤去された。ところが、その後も現地では観光客に対し、観光ガイドが「虐殺の地」と説明していると指摘があった。
このため、加藤氏や第二十五軍司令部戦友会有志が中心になって小冊子「スマトラ・ブキティンギ第二十五軍防空壕築造由来概略」を作成した。小冊子には防空壕の設計築造、監督に当たった元第二十五軍主計大尉、本庄弘直氏の「築城では現地労働者には日当も支払い、虐殺はおろか負傷者も出ていない。複数の穴は通気口、緊急避難用で工事中は廃土、残土の捨て穴」との証言をインドネシア語、英語、日本語で紹介している。
加藤氏らは「正しい歴史を伝え、日本とインドネシアの友好促進に役立てたい」として現地配布への協力を求めている。
連絡先は「第二十五軍司令部戦友会・“日本の穴”の史実を正しく伝える会」事務局(〒152‐0022 東京都目黒区柿の木坂1ノ15ノ5ノ203、TEL03・3723・9903)の加藤裕氏まで。
引用終わり
平成一六年十一月十日(水) 産経新聞
この記事に倉沢女史のウソに対しての反論が全て含まれます。
<従事したロームシャたちは秘密保持のために、建設が終わると全員殺されたと言われている。そのため。この地下壕の存在は、地元の人々のあいだでも長い間全く知られていなかった
略)
ロームシャ用の台所や食堂のほか、ロームシャを閉じ込めた牢獄や、死体をほうりこんだと言われる穴なども残っている。>
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<「築城では現地労働者には日当も支払い、虐殺はおろか負傷者も出ていない。複数の穴は通気口、緊急避難用で工事中は廃土、残土の捨て穴」>
<戦争中この地にいた日本の元軍人たちが団体で訪れ、地下壕建設の経過について語ってくれたため、詳細がわかるようになったのだという。>
↓
<防空壕築造担当の旧日本軍関係者などから「史実と異なる」との証言を得て>
倉沢愛子という女性がいかに心が卑しく、醜い女ということがよくわかる事例です。
こんな醜い女性が慶應大学の教授をやっているのです。