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朝鮮人は息をするようにウソを言う
高秉雲
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。
朝鮮人は息をするようにウソを言う。高秉雲
6月29日月曜日雨のちくもり ○
元朝鮮大学教授、大阪経済法科大学客員教授の高秉雲氏の著書「略奪された祖国」(雄山閣出版 平成七年刊)によると、
第三章 日本の朝鮮森林収奪として
<日本が、朝鮮の森林資源略奪を始めたのは以前からの事であるが、明治維新後、激しさを増すようになり、これが大々的に強行されるようになったのは、一八九四年の東学農民戦争、清日戦争の頃からである。
この頃から鬱蒼たる朝鮮の森林は、一部に禿山が現れ始めた。
日帝は、この清日、露日戦争、それから義兵闘争、第二次世界大戦の全期間を通じて、朝鮮の豊富で良質な木材資源を焼き払い、大量に略奪した。それから、朝鮮を完全に植民地とした日帝は、朝鮮の森林資源のすべてを侵略戦争に総動員し、日本の軍需経済に従属させる方法で、乱伐した。
こうして、朝鮮半の鬱蒼たる森林資源は、荒廃化していったのである。しかし、日帝はこの責任を朝鮮人民に転嫁しようと血眼になって策動した。>
(P一〇三)
このように書くが、朝鮮を併合前に旅したイザベラ・バードは下記のように書いています。
<肥後丸が寄港した対馬島は、私が日本を最後に見た所である。対馬島の紅葉した楓と花咲く西洋李、神殿が建っている高台、森の中の神杜へと通じている荘厳な石段、青々とした松林と金の羽のような竹の葉が、釜山の木が伐られて裸にされた褐色の丘が生み出す印象の、夏には心地良かろうが陽の差さない二月の日中には厳めしいその不気味さを強調していた>
「朝鮮奥地紀行 一」(イザベラ・バード著 朴尚徳訳 平凡社東洋文庫平成六年刊)P四十七
手元にあるその後に出された同じ高秉雲氏の編書「朝鮮史の諸相」(雄山閣出版 平成十一年刊)には高秉雲氏の経歴が詳しく掲載されています。
それによると、
昭和二年(一九二七年)に済州島に産まれ、
昭和七年(一九三二年)に父母とともに大阪に渡る。
昭和九年(一九三四年)大阪市立中本第四小学校入学
昭和十四年(一九三九年)済州島に帰り、済州公立北国民学校六年転入
昭和十五年(一九四〇年)卒業
済州公立農業学校入学昭和二十年三月卒業
昭和二十二(一九四七年)大阪に渡る。
昭和二十三年(一九四八年)大阪商科大学(現大阪市立大学)入学
昭和二十六年三月(一九五一年)卒業
昭和二十六年四月 東京商科大学大学院入学
昭和三十四年三月(一九五七年) 同大学院修了
昭和三十五年(一九六〇年)大阪朝鮮高級学校就任
昭和三十八年(一九六三年)朝鮮大学校教員就任
この編書にも高秉雲氏は「日本の朝鮮火田民政策」として下記のように書いています。
<一、朝鮮総督府の火田民政策 日帝は「林野調査事業」により、広大な朝鮮の林野を収奪するとともに、無尽蔵な朝鮮森林を乱伐した。この森林の大乱伐は、綿密なる計画の下に推進された。>
P四
<火田民たちは食糧が無くなると地主や高利貸しより借金をする。または草木木皮をもって空腹をまかなうのである。しかし、このことが続くと顔が腫れたり、腹が膨張したりする。 これは植民地下の朝鮮農村で春窮期によく見られた現象である>
P三〇
このように強制連行されて来たわけではないのに、帰ろうとしないで反日活動にいそしんでいる在日朝鮮人の恥さらし朝鮮人によって書かれた「朝鮮半島の山から木を切り出し丸坊主にしてしまったのは日本人だ」というのもウソとわかります。
しかし、こんなアホが教授をやれている朝鮮大学と客員教授として迎えている大阪経済法科大学の程度がわかる事例です。
今日は部屋を片付けたり、ゴロゴロとしながらマンガの本等を読んで一日が終わる。
酒は飲まず。