このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

北朝鮮による拉致への抗議集会

平成20年9月15日月曜日くもりのち一時小雨
 午後、古本屋さんに寄った後に、午後六時より星陵会館で開かれる「家族会、議連、救う会の三団体」による 緊急国民集会に参加させていただく。
 横田早紀江さんの「今、溺れている人がいる時に、何か用があるといって、助けない人はいない。今すぐ助ければ救える命がある」という言葉は重い。
 残された御家族が、北朝鮮にいる拉致された方への呼びかけを聞いていたら、涙が出てきて仕方がなかったが、御家族の方が、「長い間、助けられなくてごめんね」というのは間違っている。御家族の方には責任はない。この言葉は、国民を守る事ができなかっただけでなく、北朝鮮による拉致を長い間放置してきた政治家を含め、我々日本人すべてが言わなければいけない言葉であると思います。

 今日、日本政府が拉致被害者と認定していない「特定失踪者」のお一人について、具体的に北朝鮮で会った事があるという元北朝鮮工作員の証言があった。
 拉致議連幹事長である西村眞悟代議士は今月十一日に、平沼赳夫拉致議連会長とともに、「特定失踪者」のご家族のみなさんと面談され、我が国政府の意思と能力は、世界にある諸国のなかで最低の水準であるとして、御自身のメールマガジンで下記のように書かれている。
 
<昭和四十九年八月十五日に、北朝鮮工作員である在日韓国人文世光による韓国の朴大統領狙撃事件が起こった。日本政府は、この事件の三ヶ月前に韓国政府から日本国内にいる北朝鮮の対韓工作員の取り締まりを要請されておりながら何もしなかったのである。
 さらに、石川県警は昭和五十二年九月に能登半島から日本人を拉致した北朝鮮工作員を逮捕しており、日本政府は遅くとも同月末日には北朝鮮が組織的に日本人を拉致していることを知っていた。
 しかし、内閣は、日本人保護のための厳戒態勢を何らとろうとせずに漫然と過ごした。その結果、同年十一月十五日の新潟における十三歳の横田めぐみさん拉致をはじめとする日本人拉致が人知れず続くことになる。この時の内閣は、福田赳夫内閣、その総理大臣秘書官は今の総理である福田康夫氏。
 また、平成十四年十月に日本に帰国できた五名の被害者の内には日本政府が全く拉致被害者とは思ってもいなかった曽我ひとみさんが含まれていた。政府は、帰国した五名の被害者の内、一名を知らなかったのである。
 これらを総合すると、我が国歴代政府の国家主権を守り、国民を守ろうとする意思は極めて脆弱で最低に近く、その能力も乏しく、さらに国民の安否に関する情報収集能力にも極めて乏しいことが分かる。
 従って、この能力の乏しい政府が、えらそうに拉致被害者と「認定」する数の数十倍の被害者が存在すると思われ、事実、数百名の被害者の家族が救出を訴え出ているのである。
 しかし、政府の拉致被害者担当大臣は、未だ彼ら被害者に直接会おうとはしていない。その理由は、政府が、被害者と「認定」していないからである。
 政府は、自らの意思と能力の欠落を棚に上げて、「政府認定」の有無を金科玉条としている。
 略) 
 そして、全家族を覆っていたのは、前日の自民党総裁選挙立候補者のうちの誰一人として拉致被害者救出を訴えた者がいないという失望と落胆であった。
 平沼会長は、五人の総裁候補に拉致問題に言及するように伝えると応えられた。
 これらご家族の話を聞いていて、平沼会長も私もこみ上げてくるものを押さえきれなかった。>
(メールマガジン 西村眞悟の時事通信 涙して聞く特定失踪者家族の訴え No.373 平成20年 9月12日(金))より

 今日の集会においても平沼代議士が指摘されていたが、今の自民党総裁選で誰も拉致解決を言っている人はいない。そして、小沢民主党党首は「生活が第一」だそうである。

 一日でも早く拉致問題が解決するように、少しでも自分なりにできる事を。

 金正日のついては症状については長い時間かけて詳しく伝えながら、「拉致への抗議集会」については取材映像を流しながらも「今日、開かれた集会では」とかしか伝えない「N23」。校舎の窓ガラスが割られた事、三浦容疑者移送についての話題は報道するのに、「拉致への抗議集会」とは報道しないなんとも判りやすい腐れ番組。


裏表紙