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金日成 秘密教示

平成16年6月28日月曜日はれ×
先週、産経新聞に北朝鮮の金日成 秘密教示というのが数日間に渡って特集されていました。
「日本人拉致」「ミサイル、化学兵器開発」「外交・交渉」にいたるまで、今の南朝鮮そして我が国の現状をみるにつけ、金日成のいう通りに事がはこんでいるようです。

以下引用

2004/06/22 (産経新聞朝刊)
我が国に対しては
 
『第三国を通じた迂回(うかい)浸透(韓国に日本を経て工作員を送り込むこと)で興味深い対象国は日本だ。日本は三十六年の植民地支配と略奪の罪の意識からわが共和国(北朝鮮)に強く出られない。また地理的に近く、朝鮮総連という強力な組織だけでなく六十万人の同胞もいる。どんなにか有利な条件だろうか。今後、日本を迂回浸透工作の基地として大々的に利用する必要がある』『日本は国内法上、スパイ防止法、反国家行為への法的(禁止)制度がない。従って日本を舞台に(工作)活動が発覚しても外国人登録法、出入国法違反など軽い罪にしか問われない』(いずれも1967年4月、対南担当要員との対話)

 あの国賊議員であった野中広務などは、平成11年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について「確かにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(拉致疑惑で)先方と話をすれば、『三十六年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人間を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」(11月24日付読売新聞)
などと戯けた事をいっていますが、金日成はこういったアホウどもの事も見透かしていたわけです。
そして、我が国には情報省はおろか、スパイ防止法すらありません。
スパイ船である万景峰号について元工作員は
 「南朝鮮革命のための活動の一部として万景峰号は使われた。船倉から工作員が潜水具で脱出するのは簡単だった。七〇年代、日本はスパイへの警戒は全くなかった」
と言っていますが、そのスパイ船は堂々と今でも新潟港に出入りしています。
そして、以下の文章からもいかに現在我が国にある朝鮮総連という団体が危険なものであるかも示唆しています。              

 拉致工作
 
『南朝鮮(韓国)が故郷の在日同胞がわれわれ共和国に帰国すること自体、政治的に大きな成果だ。だがそれだけでこの事業を終わらせてはならない。帰国船(一九七一年から万景峰号)が新潟港と共和国を往復している。帰国船は帰国同胞を運ぶだけでなく南朝鮮革命と祖国統一推進に使うべきだ。(船が)新潟に停泊している間に同志たちは革命に有利な仕事をしなくてはならない。たとえば南朝鮮革命に必要な情報材料を入手し、必要なら日本人を対象に包摂工作(=とりこみ)や拉致工作もできるではないか』(1969年11月3日、3号庁舎 拡大幹部会議)

 「核とミサイル」

 
『南朝鮮から米国のやつらを追い出さなければならない。われわれはいつか米国ともう一度必ず戦うべきだという覚悟で戦争準備をすべきだ。なにより急ぐべきことは米国本土を攻撃できる手段を持つことだ…米国が砲弾の洗礼を受けたらどうなるか。米国内には反戦運動が起きるだろうし、第三世界諸国の反米運動が加勢することになれば、結局、米国は南朝鮮から手を引かざるをえなくなる。だから同志は一日も早く、核兵器と長距離ミサイルを自力生産できるように積極的に開発すべきである』(1968年11月、科学院咸興分院開発チームとの談話)

外交・交渉術
 
『協商(交渉)と対話もひとつの戦闘だ。敵との戦闘で譲歩というものはあり得ない。たとえ決裂しても惜しいことはない。どうせ決裂するなら、壁も扉というが、たたいて無理に壊しても敵が肝を冷やすようにしなければならない…対話が決裂する場合は、その責任を敵に転嫁しなければならない』(1972年8月、第一回南北赤十字会談に際して北朝鮮の代表団への談話)

2004/06/23 (産経新聞朝刊)

 
『帰国同胞たち(北朝鮮への帰還運動により日本から万景峰号で北へ帰国した人々)には、日本だけでなく南朝鮮(韓国)に縁故関係を持つ人間が多い。彼らの家族、親戚(しんせき)を利用すれば在日同胞の身分を獲得して南朝鮮に故郷訪問というかたちでいつでも合法的に南朝鮮に浸透できる』(1976年8月、対南担当要員との談話)

 『日本からの(北朝鮮への)旅行者や留学生のなかには共和国に憧憬(しようけい)を持っている者も多い…日本は、迂回浸透工作を拡大することのできる黄金の漁場なのだ』(1983年12月、対南担当要員との談話)


2004/06/24 (産経新聞朝刊)
 
『われわれは日帝植民地統治時代に(抗日パルチザンで)国の半分の地を解放させようと武装闘争をしたのか。決してそうではない。ところが米国のやつらが南朝鮮を占領し、いまだに統一独立ができない。結局、祖国統一のキーポイントは米国のやつらを追い出せるか出せないかにかかっている。米国がベトナムから手を引いたように南朝鮮から退くようにさせるには、米国が頭が痛くなるほど粘り強く食い下がるべきだ…在韓米軍の野獣のような蛮行と各種の非人間的犯罪行為を逐一暴露し国際的に世論化すると同時に、世界の至るところで反米運動を起こし、米国民が反戦運動を起こすようにすべきだ』(1976年8月、対南工作員との対話)

「核とミサイル」「生物化学兵器とテロ戦術」「麻薬生産」
 『(南朝鮮=韓国に米軍が駐留している限り)われわれはいつかは米国のやつらともう一度、戦うべきだという覚悟を持って戦争準備を促進すべきである…だから同志らは一日もはやく、核兵器と長距離ミサイルを自力生産できるように積極的に開発すべきだ』(1968年11月、科学院咸興分院開発チームとの談話)『食糧配給を減らしても三年分以上の軍糧米を備蓄すべきだ』(1968年1月、党軍事委員会)


化学兵器、テロ戦術
 
『実際に戦争が起きると仮定したとき防御のみにきゅうきゅうとしてはならない。ミサイルを持たなければ(米国を)打ちのめせないというわけではない。中南米に行っている特攻隊を投入したり、同胞組織を動員することもあり得る。核爆弾がなければ化学兵器を散布してもいい。米本土だけでなく、世界各所に散らばっている米軍基地を爆破してもいい』(1974年8月、党軍事委員会)

 麻薬生産の奨励も行った。
 
『核ミサイルを開発する上で理論では遅れておらず、装備が問題だというが結局は資金だ…多くの投資をせずに外貨を稼げる最もよい方法はアヘンだというが、それならできないことはないではないか。アヘンは麻薬であるから、遠い江原道高山地帯に一般人の出入りのできない特別区域を作り統制をしっかりと行うように』(1968年1月、党軍事委員会)

韓国に反米意識を“輸出”
 
『南朝鮮人民を政治的に覚醒(かくせい)させる上で何よりも重要なことは、彼らの頭のなかにはまり込んでいる恭米(親米)思想を根こそぎにすることである。米国への恐怖症を取り除かなくては、階級意識と民族意識を高めることはできない』(1976年8月、対南工作員との談話)

2004/06/26 (産経新聞朝刊)
 
『決定的な時期は、たった一度しか来ない…4・19のときの教訓を繰り返してはならない』(1974年1月、対南工作員との談話)

 一九六〇年四月十九日、大統領選の不正に端を発した李承晩政権打倒運動は、まず学生が決起し、全土を巻き込む騒乱に発展した。いわゆる「四・一九学生革命」だ。同月二十七日、李承晩大統領は退陣に追い込まれ、五月にハワイに亡命。故金日成主席はこの年の八月十五日、「南北連邦制」を提唱する。韓国の混乱はその後も一年にわたったが、赤化(共産化)統一には至らなかった。

 『あのとき…私が咸鏡道で現地指導をしていた最中に4・19の報告を受けて平壌に駆けつけたが、連絡部(朝鮮労働党の対南工作部署)は何も知らなかった…』(1974年4月、対南工作員との談話)

 教示の言葉には悔しさがにじむ。「革命勢力」の準備不足から主席は“好機”を逃した。

 連絡部所属の元幹部工作員A氏によると、主席は「四・一九の教訓」から、連絡部のほかに「(社会)文化部」「作戦部」、工作員養成基地「中央党政治学校」を新設、対南工作を本格的に開始した。

 『南朝鮮(韓国)では高等高試に合格さえすれば行政府、司法府にいくらでももぐり込むことができる。頭がよくてしっかりしている子らはデモに駆り出さず、高試準備をさせるようにしなさい』(1973年4月、対南工作員との談話)

 『韓国労総は官製御用団体で、各産業現場にすでに組織されている労働組合は韓国労総の傘下の組織だ…御用労組を瓦解させるには、組合員を包摂(=とりこみ)、獲得したあと労働執行部の非理(不正)を暴露し、次の選挙で新執行部をわが方の人間と交代させるべきだ』(1976年4月、対南工作員との談話)

 『弁護士は法廷におけるわがほうの有利な援助者だ。弁護士に百万ウォン使うか千万ウォン使うかで彼の声は変わる…法廷では予審過程での陳述内容もすべて翻すべきだ。“なぜ(陳述を翻した)か”と判事や検事に問われたら、警察が拷問したからうその陳述をしたのだと押し通し、傷や痕跡を示して逆襲するのだ』(1968年12月、対南工作員との談話)

 『決定的な時期が捕捉されたら遅滞なく総攻撃を開始すべきだ。全国的電話、変電所、放送局など重要な公共施設を占拠すると同時に電力の供給中断とともに通信、交通網をまひさせ、臨時革命政府の名前で北に支援を要請する電波を飛ばすべきだ』(1974年12月)

 『わが北半分には民間団体はないが、南朝鮮にはその名も雑多な民間団体が数限りなくある。そのなかにはわが方がつくった民間団体も少なくない…南朝鮮当局者らを反民族的分裂主義勢力として追い詰めるためには、もっと多くの団体をつくり南朝鮮人民の中で統一の熱気を盛り上げなければならない。こうしてこそ統一問題をめぐるすべての対話で敵らを動揺させ、主導権も握ることができる』(1972年8月、第一回南北赤十字会談代表らとの会談)

≪秘密教示≫ 北朝鮮の党、政府の路線を審議・決定する全党大会や党中央委員会総会などの公式施策に対し、金日成主席(当時)が口頭や文書で指示した非公式指導施策。党、軍、政府の幹部のほか、対南幹部工作員を指導した。亡命者証言などで明らかになっている部分もある。公式文書とともに秘密教示も記録され、その大部分は北朝鮮北部の慈江道・江界(カンゲ)の「国家文書庫」に保存されているといわれる。

以上黄色の部分が引用文です。

 南朝鮮の親北化とともに、我が国の北朝鮮に対してのバカ政治家、官僚による能天気な外交を北朝鮮も、よ〜くわかっているようです。

 こんなテロ国家になめられないためにも、朝鮮総連にたいしての破防法適用、情報省の設置、スパイ防止法の成立など早急にやってもらいたいものです。

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