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覚醒剤

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


覚醒剤

平成23年2月9日水曜日ちょっと雪のち雨のち曇り △

 二年前に有罪判決を受け、執行猶予ちゅうだった小向美奈子とかいう芸能人が覚醒剤でまた騒がれている。

 田代まさし等の例でもわかるように、覚醒剤は多くの人間が何度も同じ事を繰り返す再犯率の高い麻薬です。

 

 以前に一度書いた事があるが、私は覚醒剤で死んだNさんという男を知っている。

 私が東京に出て来て、置き引きにあって無一文になった後、渋谷で水商売に入ったばかりの時にお世話になったその男性は、身長はそれほどではないが相撲部屋からもスカウトされたほどのいい体格をしていて、喧嘩もめっぽう強かった。

 住吉会のヤクザと喧嘩し、相手をボコボコにして東京地検で罰金一五万をくらったのを引き取りに行ったこともあった。それまで何度も傷害事件をおこしていながらも、ヤクザもん相手だから相手をボコボコにしておきながらも「被害者」の調書ですんだ結果、実刑でなく罰金ですんだのだが、向こうのヤクザもんとの手打ちにまで付合わされた。

 ただ、その当時から覚醒剤をやっていたNさんは其の後結婚し、覚醒剤もやめたといい、千葉市にそば屋を開いたが、私が約二年間の放浪から帰って来た時には、再び覚醒剤をやっていたようで、そば屋も手放していた。

 私は当時はそれなりの金を稼いでいたので、Nさんにも何度か金を渡したが、そんなのそんな人間には何にもなりゃしない。

 そして、最後に渋谷で会った時にはどす黒い顔色をし、りっぱだった体格もふた周りは小さくなったように感じた。

 「親父に働かせてくれるように言ってくれ」と言っていたが「それは出来ません」と断り、持っていた財布からカードだけ抜いて、「これで、奥さんのところに帰ってください」と財布ごと渡した。

 その時「俺に死ねと言うのか」と言っていたが、私はそんなNさんに何も思わなかった。

 其の後、嫌がらせの電話が自宅や仕事場に何度もあった。

 時がたち知人から「Nさんが死んだ。葬式が埼玉の○○である」と電話があったが、私はもう別れは済ませましたからと言って行かなかった。

 Nさんが奥さんの実家である茨城でなく、どうして埼玉で死んだのか、死に方も聞きもしなかった。

 どうせろくな死に方ではないのはわかっていたから。

 覚醒剤を完全にやめて立ち直る確立はネットでは約五割という数字があった。

 私は実際はもっと低く、そして再犯率は高いのではないかと思っています。

 私の知り合いで完全にやめる事が出来たのを確認できているのはひとりだけです。その人は六十過ぎた今でも渋谷でりっぱに商売をやっています。

 いなかに帰った二人は付き合いもなくなり不明ですが、覚醒剤に再び手を出さずに生きている事を願うばかりです。

 あとは、Nさんのようにボロ雑巾のようになって死ぬか、殺されてます。

 

 覚醒剤やめますか。

 人間やめますか。

 随分前の標語ですが、本当です。

 なぜ、覚醒剤をイラン人、支那人、朝鮮人、腐れヤクザが扱うか。

 我が国の刑法が生温いからです。

 支那で覚醒剤の運び屋をやった日本人が死刑になったように、てめえらの国で同じ事をやれば、死刑になるが、我が国では死刑にならないばかりか、三食ついて虫歯までも治してくれる刑務所生活で済む事を知っているのです。

 相互主義とかぬかすのであれば、覚醒剤を飯の種にしているこういった人間のクズはさっさと殺した方がいいのです。

 雑誌を買いに入った河岸の側のコンビニでの一枚。

 何と申しましょうか。

 

 Hさん来店。

 Nさん来店。

 Hさん来店。

 営業終了後、久しぶりに「ワインバー・アンブラ」さんへ。

 其の後は「エムズバー」さんへ。

 今日は記憶あり。

 サルよりマシ。


 


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