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日名子暁の書く嘘「在日朝鮮人いわれなき偏見

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


日名子暁の書く在日朝鮮人

本当にいわれなき偏見か

平成22年7月12日追月曜日晴れのちくもり一時雨 ○

 下記は日名子暁氏の文章です。

<戦後、焼け跡・闇市の中から誕生したパチンコ(正確には戦前から存在していたが、一挙に花が開いたのは戦後)

 娯楽の乏しい時代、手軽に遊べるゲームとして、瞬く間に全国規模でブームを呼んだ。

 略)

パチンコ業界を支えていたのは、いわれなき偏見と差別のもとに職業選択の自由のなかった在日朝鮮・韓国人たちであり、

 その七割を彼らが占めていたのだ。>

(「別冊宝島 北朝鮮利権の真相」平成十五年刊 宝島社)

「パチンコ利権アンダーグラウンド 二〇兆円民族産業に群がった魑魅魍魎」日名子暁P一五六〜一五七

日名子暁氏は「別冊宝島 占領日本」においても「在日」について下記のように書いている。

 <変見と差別を加えたのは誰だ

 終戦後のドタバタ始末記

 現在まで続くいわれなき偏見と差別

 それは日本人が生み出したものだ>

 

 このように大きく見出しで書いている。

 そして、内容は下記のようなものです。

<いまだに出自を隠すものも多く存在する。

 それには「第三国人」と呼ばれた日本の敗戦直後から彼らが職業選択、結婚など人間の基本的人権にかかわる問題で、いわれなき偏見と差別を受け、現在でもそれが続いている歴史が存在するからだ>

(「別冊宝島 占領日本」宝島社 平成十八年刊)

「在日」P七十六

 その理由として、田中宏の著書「在日外国人」(岩波新書 平成三年刊)よりの引用として当時の吉田茂首相よりマッカーサー司令官への英文の手紙の翻訳を掲載している。

以下引用

<「朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは、総数一〇〇万に近く、その約半数は不法入国であります。

 これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

 その理由は、次の通りであります。

 現在および将来の日本の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。

 米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。

 略)一

 朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興にまったく貢献しておりません。

 略)二

 朝鮮人の中に犯罪分子が大きな割合を占めております。

 彼らの多くは共産主義社およびそのシンパで、最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す傾向が強く、常時七千名以上が獄中にいるという状態であります。

 略)三

 さて、朝鮮人の本国送還に関する私の意見は次のとおりです。

 略)四 」

  「在日外国人」より>

 そして続いて日名子氏は下記のように書く

 <この書簡は、四十九年前の八月のものと思われる。

 この吉田茂首相が事実誤認と朝鮮民族に対する偏見、朝鮮半島、中国本土に浸透する「共産主義」への異常な警戒などを基にしていることが、今日では簡単に読み取れる。

 しかし、吉田首相を支持する当時の国民の多くも首相と同じ朝鮮民族に対する考えを持っていたのではあるまいか。

 その結果、戦後長く続き、今日でも残っている「在日朝鮮人」に対する偏見と差別を生み出したのだ。

 五十二年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約の発効により、朝鮮人、台湾人ら旧植民地の人々に対する処遇は正式に決定した。それは正式に日本国籍を彼らに失わせるものであった。

 しかも、選択権(本国か日本か)も与えない一方的な内容であった。

 加えて、もし、日本国籍を希望するならば「帰化」申請すべきだ、として朝鮮、台湾と日本の歴史や在日朝鮮人たちの意見をまったく考慮しなかった。

 その後、外国人登録、指紋押捺問題と「在日」をめぐって混乱は続いていく。>

引用終わり

(「別冊宝島 占領日本」宝島社 平成十八年刊)

「在日」P七十七

 日名子氏の引用先の著者である田中氏もこの書簡について

<多くの事実誤認と民族的偏見に満ちていることは、あきらかである>

 と書いている。

田中宏の著書「在日外国人」(岩波新書 平成三年刊)p七十一

田中氏の著書には日名子氏が略している箇所には下記のように書かれている。

略)一

このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。

略)二

さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。

略)三

戦後の朝鮮人による起訴犯罪事件数は次のとおりです。

(詳細省略、一九四八年五月末までで、九万一二三五名の朝鮮人が犯罪に関与したという数字をあげている)

略)四

上述のような見解を、原則的に閣下が御承認下さるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的処置を提出するものです。

敬具 

                        吉田茂

連合国最高司令官 

 ダグラス・マッカーサー元帥

 いわれなき差別というが、日名子氏も

<吉田首相を支持する当時の国民の多くも首相と同じ朝鮮民族に対する考えを持っていたのではあるまいか。>

と書くようにこの時代に我が国国民がどうしてこのような考えを持っていたか考えがおよばないのであろうか。

 朝鮮人の戦後の闇市その他での醜い行状は多くの人に語られている事実であり、ましてや、戦後わずか四年しか経っていないこの時期であるなら、我が国国民はリアルタイムで朝鮮人の醜さを体験している時である。

 吉田元首相のこの書簡は今現在読んでもその内容に間違いが無い事が何よりも証明している。

 アホな民主党政権にはこの吉田首相の書簡にある

 <このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。>

という箇所を読んでほしいものである。

 続く

 朝起きると、あっちこっちが筋肉痛。

 やっぱ、最低週二回はスポーツセンターに行きたいもの。

 今日はちょっとドジり、ネット接続が部屋でできず、テレビも何もないのでニュースが入ってこなかったが、Oさんよりの電話で、売国奴である千葉景子氏と松岡徹氏の落選を知る。

 慶事なり。

 「大山倍達正伝」を読み終える。

  酒は飲まず。

    



日名子暁の書く在日朝鮮人

本当にいわれなき偏見か2

7月13日火曜日曇り一時雨 △

 日名子氏が「別冊宝島 占領日本」で略し(隠し?)、書かなかった吉田元首相書簡の中の

<朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。>

とはどういうことか。

 先に、日記で大山倍達の「複数の戸籍と名前を使い分ける在日朝鮮人」という題名で重婚という犯罪を例に挙げたが、このことを書いている但馬オサム氏は、戦後GHQ統治下における複数の戸籍を取得した在日朝鮮人の犯罪について書いています。

 <当時はまだGHQ統治下であり、日本人も朝鮮人も配給制度で日々の食糧を得ていた時代である。

 当然ながら、より多くの食糧を得ようと不正の戸籍申請をする者も後を絶たなかった。

 姓名の一文字や生年月日を変えることによって複数の戸籍を取得するのである。

 日本人が竹の子生活で飢えを凌いでいた時代、朝鮮人の中にはかなり羽振りのいい者たち(大山もそうだった)がいたというが、その秘密の一端はこういった種々の不正行為にあったことだろう。

 また、在日韓国・朝鮮人の多くが通名の他に複数の韓国名を持つ理由もこの辺りに起因しているのかもしれない。

 ちなみに、大山は生涯にわたって、本名の崔永宣を筆頭に、崔猛虎、大山猛虎、大山虎男、大山信達、それに大山倍達の名を使い分けていた。

 大山の生年の一年違う日本製「朝鮮籍」はこのような過程で作られた偽造戸籍であると正伝は断言する。

 帰化申請の際には、この偽造戸籍をもとに新たな日本国籍が作られたのだ。そして、祖国・韓国にもまた崔永宣名義のまっさらな戸籍が残っていることを確認した上で大山は帰化に踏み切ったという。

 これが大山の「重婚」を可能たらしめたカラクリであると正伝は明かしている。>

「民主党政権崩壊」(撃論ムック オークラ出版 平成二十二年刊)

「知られざる帰化在日特権『重婚』」 但馬オサム P百二十四〜百二十五

そして、但馬氏の引用元となった「大山倍達正伝」(小島一志・塚本佳子 新潮社)には下記のような記述がある。

(ちなみに、塚本氏は非常に多くの参考文献よりの引用および多くの方にインタビューされております。

 参考文献がたった一冊!という日名子氏とはえらい違いです。)

<「終戦直後、日本国民や在日朝鮮人はGHQの指揮のもと、配給制度によって日々の食糧を割り当てられました。

 戸籍に準じて食糧の量が決定されるため、配給をたくさんもらおうと偽造の戸籍を作った在日朝鮮人がいました。

 戸籍は簡単に作れました。名前の一字を変えるとか、生年月日を変えるだけで、まったく別人の戸籍が出来上がります。」

(金致淳談)

「戸籍の作成が自己申請だったことで、結果的に複数の戸籍を持っていた朝鮮人も少なくなりませんでした。

 戦後、一旦は朝鮮に帰ったものの生活苦のため再び日本に密航で戻って来る人も多く、渡日後、名前や生年月日を変えて戸籍を申請した人もいたと言います。

略)」

(羅基台談)>

「大山倍達正伝」P二百六十七

 これが、当時の吉田首相が

<彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。>

 とマッカーサー宛の書簡に書いた朝鮮人の姿です。

 

  そして、それは敗戦国日本でも日名子氏が「戦勝国になった」と朝鮮人同様に勝手にアホ脳内変換して書く「三国人」になった朝鮮人の日常的な醜い行為でもあります。

 (当時、併合し日本であった朝鮮は日本として戦って敗戦したのであり、決して「戦勝国」ではない。アホ丸出し)

<「大山倍達伝説」における有名な逸話、「白昼堂々、日本女性を暴行する米兵たちが後を絶たず、正義感に駆られた私は彼ら米兵たちを連日のように叩き歩いた」という武勇伝の客観的な真偽を問いたいと思ったからである。

 私が調べた限りでは、少なくとも大山が言うようなアメリカ兵による性犯罪は決して日常的なものではなかった。GHQによる日本統治は、容易に女性を襲えるほど秩序の乱れたものではなかったのである。もちろん、すべての兵士が品行方正だったとは言わない。なかにはMPの監視の目を盗んで犯罪行為を行なう兵士もいただろう。

 長い戦争における緊張からの解放に、羽目を外す兵士がいたとしてもなんら不思議ではない。

 GHQがどれだけの罰則規定を設けようとも、いつの時代にも厳罰など者ともしない犯罪者は存在する。それはアメリカ人も日本人も同様だ。

 むしろ、大山が書くような日本女性に対する暴力を公然と行なったのは、田岡一雄が「山口組三代目 田岡一雄自伝(電撃編)」で描いたように、不良「三国人」であり、前述したソ連軍兵士たちであった。>

「大山倍達正伝」P百五十八〜百五十九

<一九四六年に入っても、「三国人」たちによる列車の無賃乗車や公共施設の不法占拠、旧日本軍基地からの物資の掠奪などの不法行為は減るどころかむしろ増え続けていた。

 ちなみに、建青や建同が事務所として使用していた旧海外同胞訓練所や旧陸軍大学校も日本政府の許可なしに不法占拠したものだ。

 日本政府および日本国民にとって、「三国人」たちによる暴力的行為は、もはや見逃せる限界を超えつつあった。そこで日本政府は、日本警察に取締りの権限を与えるようGHQに要請を出す。

 そして、GHQは、日本政府の要請に応える形で新たな指令を発表した。

 一九四六年四月四日、GHQは「鉄道利用の台湾人および朝鮮人の取締りに関する総司令部覚書」を」発令。

 鉄道を不正に利用する朝鮮人や台湾人を取り締まる完全な権限が日本警察に与えられた。

 さらに、四月三十日には「朝鮮人の不法行為に関する総司令部覚書」が発表される。

 本発令によって鉄道に関してだけでなく、不法行為を働く朝鮮人全般を取り締まる権限を日本警察は得たことになる。

 ただすぃ、日本警察は捜査・逮捕の権限は手にしたものの、それらを現実に実行した場合、その旨を直ちに最寄りの進駐軍部隊またはMPに連絡する義務を負わされた。これはすべての掲示・民事事件に対する裁判権はGHQが有することを意味した。>

「大山倍達正伝」P百八十七

 <この吉田茂首相が事実誤認と朝鮮民族に対する偏見、朝鮮半島、中国本土に浸透する「共産主義」への異常な警戒などを基にしていることが、今日では簡単に読み取れる。>

という日名子氏の文章は、戦後長期間にわたった朝連と民団・健青という朝鮮人団体の抗争が続き、それはGHQの命令により昭和二十三年九月八日(一九四八年)共産主義者の集まりである朝連ならびに民青が解散させられた(我が国政府はどちらも解散を訴えたが、GHQは友好関係にあった民団を守った)後も抗争が続いた事を無視している文章である。

 

 歴史、歴史というのであれば、朝鮮人こそどのように我が国に来たのか、そしてどのように生きてきたのか。自らの歴史を偽らずに見て語る事が大切である。

いくら国技だからといっても。

 

 そして、この本はいわゆる「大山倍達伝説」の一つについても下記のように書いている。

 <大山が厚木航空隊の決起に参加したと書かれているものが少なくない。しかし、厚木航空隊の決起は計画的かつ組織的であり、参加者のほとんどは下士官以上の海軍飛行兵だった。軍隊にも入隊していない大山に、参加出来る余地がないのは明白だ。

 暴動が終息し、マッカーサーをはじめとする連合国軍が厚木飛行場を去った後、人の絶えた厚木飛行場には朝鮮人や台湾人が蟻のように群がり、掠奪の限りを尽くしたと多くの記録に記されている。

 戦中・戦後の大山を知るある朝鮮出身者は匿名を条件に、

「大山さんは厚木飛行場の物資強奪に参加した首謀者の一人だった。その証拠に大山さんが着ていた飛行服には厚木航空隊の紋章が入っていた」と語っている。>

「大山倍達正伝」P百五十

 私は大山倍達という人の人間性ついては、彼の本部道場の建設の時に多くの人の世話になりながらそれを隠匿している下記のこの著書の文章に尽きると思う。

 

 <だが、後に創作された「大山倍達伝説」では、ほとんどの協力者が隠匿され、毛利松平と佐藤栄作だけが資金援助をしてくれた人物として際立った紹介をされている。大山は曹寧柱や同胞はもちろん、柳川次郎の名前すら表に出すことを嫌った。

 言い換えるならば、大山は極真会館総本部を建設する際に協力してくれた人物を毛利松平(さらに佐藤栄作)に集約することで自らの出自である朝鮮・韓国の影や、ヤクザ、右翼といった立場の人々の存在すら闇に葬ろうとしたのである>

P二百三十七

続く

 今日は天候のせいで河岸に魚が薄いので活けの烏賊は仕入れせずというより、仕入れ出来ず。タケ〜

  

 営業前に「一笑」の板長さんが送ってきたばかりだというホタルイカの沖漬けと活け締めの石鰈を持って来てくださる。

 

ororesama777さん来店。

 小胡子さん来店。

 初めてのお客様二名様来店。

 Wさん御夫妻来店。

 今日は売国奴どもが一部落ちたということでドンチャン。

 ついでに、一応私の誕生日つうことでもドンチャン。

 今日は飲んだわりには記憶あり。

 サルよりマシ。

 


日名子暁の書く在日朝鮮人

本当にいわれなき偏見か3

7月19日月曜日晴れ 暑い ○

今日も朝起きるといい天気で、そして、めちゃ暑い。

 部屋からはゴミ出し以外、今日は一歩も出なかったです。

 部屋でマンガを読んだり、読みかけの本を読んだりで一日ゴロゴロしていましたので、冷蔵庫の中は空っぽになりました。

 酒は飲まず。

 

先日日記に書いた日名子暁氏の文章の続き。 

 日名子氏は在日朝鮮人について思い込みだけとも思えない多くの史実に基づかない嘘を書いている。「別冊宝島 占領日本」(宝島社 平成十八年刊)における「在日」についての下記の箇所もそうである。

 <敗戦後、結果として「戦勝国」となった朝鮮の人たちは日本から続々と本国へ送還され、その数は約一六〇万人とされている。

 しかし、本国に帰っても一から生活を始めなければならない者や日本で生活基盤を築き上げた者は、日本に残留した。

 その数は六四万人といわれている。

 この六四万人がその後、在日朝鮮人となったのだが、敗戦後日本の占領にあたったGHQと日本政府との間で、この在日朝鮮人を主体とした外国人の処遇をめぐって擦り合わせが行なわれた。

 その際、基準となったのが、日本独自の戸籍制度の活用であった。

 戦前、「内地」に在住していた朝鮮人、台湾人は戸籍を持ち、選挙権も被選挙権もあった。ただし、日本人と同じく両方を持つのは男性のみであった。

 敗戦直後、その選挙権、被選挙権を行使し、衆議院選挙には在日朝鮮人二名が当選しているほどだ。

 しかし、日本政府とGHQは、ボツダム宣言の受諾によって朝鮮人、台湾人は日本国籍を喪失しているとして日本の選挙にかかわるという論理性がない、と当面の選挙権、被選挙権は停止した。

 この当面の間が、在日朝鮮人、台湾人に選挙権、被選挙権を与えないまま今日まで続いているのだ。

 P七十六

 まず、朝鮮は戦勝国ではないのは以前にも指摘したが、それだけでなく、

 <本国に帰っても一から生活を始めなければならない者や日本で生活基盤を築き上げた者は、日本に残留した。

 その数は六四万人といわれている。

 この六四万人がその後、在日朝鮮人となったのだが>

 と書くが、朝日新聞(昭和三十四年七月十三日)に掲載された外務省の発表による記事にあるように、昭和十四年に当時内地といわれた我が国にすんでいた約一〇〇万人の朝鮮人は終戦直前には二〇〇万人となったが、増加した一〇〇万人のうち七十万人は自分から内地に職を求めて来た個別渡航者と、その間に出生によるものであり、残り三十万人のうち大部分は工鉱業、土木事業の募集に応じて来た者で、国民徴用令による朝鮮人の渡航は朝鮮半島に適用された昭和十九年九月より昭和二十年三月の下関、釜山間の運行が止まるまでの僅か7ヶ月間である。

 戦時中の国民徴用令による徴用労務者はこの昭和三十四年当時に登録されている六一万人の在日朝鮮人うち僅か二百四十五人である。

 他は犯罪者を除き、総て自由意思によって在留した者であることが明らかにされている。

 

 その現在「在日朝鮮人」を構成している「特別永住権」という誤った逆差別特権を持つ「外国人」朝鮮人は日名子氏が指摘する残留した者だけではない。

 福田博幸氏は著書「中国の日本乗っ取り工作の実態」の中でこの事について下記のように書いている。

 以下引用

<第二次世界大戦後の一九五〇年六月、北朝鮮は突然、三十八度線を超えて韓国に侵攻、「朝鮮戦争」が勃発した。これに中国軍が参戦して北朝鮮軍を支援、北朝鮮・中国軍は韓国の果て釜山まで侵攻した為、韓国は全滅の危機となった。韓国人の多くは難民と化した。これら韓国難民の受け入れ国が一切無い中で当時の山口県は国連軍が北朝鮮・中国軍を押し戻す形で現在の三十八度線で決着をみたが、この時の難民の中で、そのまま日本に定住して「在日コリアン」として活躍したり帰化した人も多い。

 この国債信義上、模範として誇るべき事実を日本の歴史から隠蔽し、韓国の歴史上からは抹殺して、ことさら「反日」を叫ぶのは「フェアー」な行為ではない。>

「中国の日本乗っ取り工作の実態」(福田博幸 日新報道 平成二十年刊)p四十

 つまり、昭和三四年当時六一万人登録されていた在日朝鮮人のうち国民徴用令で来たという二百四十五人を除き残りの自由意志で在留した朝鮮人うちはこのように「人道上」我が国が受け入れた難民朝鮮人が多くいたのです。

 それをいかにも、自分の意志と関係なく連れてこられたように宣う朝鮮人。

 アホか!

 

 また、日名子氏の文章で私にとり意味不明な箇所もある。

<敗戦直後、その選挙権、被選挙権を行使し、衆議院選挙には在日朝鮮人二名が当選しているほどだ。

 しかし、日本政府とGHQは、ボツダム宣言の受諾によって朝鮮人、台湾人は日本国籍を喪失しているとして日本の選挙にかかわるという論理性がない、と当面の選挙権、被選挙権は停止した。

 この当面の間が、在日朝鮮人、台湾人に選挙権、被選挙権を与えないまま今日まで続いているのだ。>

「別冊宝島 占領日本」(宝島社 平成十八年刊)p七十八

 この文章をどのように理解すればよいのであろうか。

 

<敗戦直後、その選挙権、被選挙権を行使し、衆議院選挙には在日朝鮮人二名が当選しているほどだ。>

と書き、

 <しかし、日本政府とGHQは、ボツダム宣言の受諾によって朝鮮人、台湾人は日本国籍を喪失しているとして日本の選挙にかかわるという論理性がない、と当面の選挙権、被選挙権は停止した。

 この当面の間が、在日朝鮮人、台湾人に選挙権、被選挙権を与えないまま今日まで続いているのだ。>

 とボツダム宣言を受け入れ、その敗戦直後の選挙で在日朝鮮人が衆議院選挙に二名当選と書いている。

 大日本帝国憲法下での最後の総選挙となった昭和二十一年四月十日に行われた第二十二回衆議院選挙のことであろうか。

 この衆議院選挙では誰も朝鮮人は当選していない。

 

 手元にある本には朝鮮人国会議員では朴春琴しか掲載されていない。昭和七年(一九三二年)、昭和十二年(一九三七年)の二回当時の東京四区から当選している。

 他には尼崎市議として朴炳仁が当選している。

 昭和二十年の終戦時には、大阪市会には三名、府下の町村会には九名の議員が選出されていた。

「韓国・朝鮮と日本人」(若槻泰雄 原書房 平成元年刊)p五十九

 そして、在日朝鮮人の国籍は強制的に収奪されたものではないことは、以前に書いたとおりです。

<この当面の間が、在日朝鮮人、台湾人に選挙権、被選挙権を与えないまま今日まで続いているのだ。>

とは外国人参政権の事を言っているのであろうか。

 それについては別に書かせていただきますが、我が国を滅亡に導く事は確かです。

 外国人参政権を主張している日本人は間違いなく総て「売国奴」です。それも、どうしようもない腐れです。

 



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