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池田大作と恥性の栄誉
平成19年8月8日水曜日晴れ △
以下引用
原田)アジアの国々からも、最大の信頼だ。「日本の政治家も文化人も、皆、学会の平和貢献に感謝し、模範とすべきではないか」と言った高名な評論家がいたな。
略)
森山)世界の大学、学術機関から池田先生に贈られた名誉学術称号も、この上半期だけで「一六」。全部で「二一六」になりました(大拍手)。
原田)嬉しい歴史だ。素晴らしい歴史だ。日本の目覚めた学者も「池田博士を認識し、心から賞賛する、大きい日本にもらいたい」と言っていた。
谷川)世界五大陸からのこれほど壮大な知性の栄誉は、日本はもちろんのこと、人類史上でも類例を見ないでしょう。まさに「世界一」の快挙です。圧巻です。(大拍手)
竹内)「日本の政治家たちは、この偉大なる事実を知っているのか」(大笑い)と、ブラジルの言論人が言っていた。
館野)さらに、世界の都市から池田先生に贈られた名誉市民称号も、これまでに「五三七」にまでなりましたね。これも世界一ですね(大拍手)。
奥様に贈られた名誉市民称号も「一七三」です(大拍手)。
佐藤)誰かが話し合っていた。「総理大尽は、名誉博士は、いくつ受けているのか」「いや、総理だったら、一つでも、もらえれば、大ニュースになることだよ」と(大笑い)
谷川)私が知っている学者も驚いていた。
「皆さんは、全世界が池田名誉会長を顕彰するのを聖教新聞で見ているから、見慣れているかもしれない」
「だが、その一つ一つが、誰とも到底、真似する事の出来ない偉大な業績です。学術称号を一つ受けるだけでも大変なことなのに、名誉会長は数百にも及んでいる。どれほどの大偉業か」と感嘆していた。
原田)世界中の知性が、先生を心からの感謝を込めて讃嘆し、創価の連帯を賞賛してくださっている。まさしく御聖訓に「大梵天王・帝釈天も来下して」と仰せの通りの姿だ。
すべて、池田先生が実現してくださったのです。先生の「死身弘法」「不借身命」の大闘争ありてこそ、日蓮大聖人の御聖訓も現実のものとなったのです。
竹内)略)
創価学会の初代会長、第二代会長、第三代会長はそれぞれ、大聖人の御遺命通りに難を受けられた。これが何よりも大事な如説修行の姿だ。
佐藤)略)
そもそも、これほどの発展をさせていただいたのも、全部、池田先生のお蔭ではないか!(大拍手)。
略)
谷川)厳しいことを言うようだけれども、学会にあっても、四代、五代は何も悪口罵詈されていない。難も受けていない。全部、ただ池田先生お一人に受け切っていただいてきた。
佐藤)その通りだ!誰もが、そう思っている。
原田)四代も、五代も、六代も、全く難がない。何一つ批判されたこともない。もう一歩深く、師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった!本当に申し訳ない。
谷川)四代は、あの極悪ペテン師・山崎正友に騙されてしまった。お金を騙し取られたり・・・とんでもなかった。これは、当時の執行部も同罪です。後輩として、将来のために明快に言っておきたい。
原田)全くその通りだ。五代も本来、池田先生をお守りすべき立場であるにもかかわらず、すべて池田先生に護っていただいた二六年間であった。先生お一人で矢面に立ってくださった。
谷川)本当に、そうですね。池田先生の計り知れない大恩を思えば、皆、これから一生涯、命を賭して師匠に御恩返しをしていくべきだ。そうでなければ、畜生と同じだ。卑怯者だ。
竹内)そうしなければ、後輩から笑われ、後世に厳しい非難を受けていくだけだ。
原田)そうだ、私自身、心して池田先生への報恩の道を貫き通していく決心である。これが、全会員に対する感謝であり、これが、広宣流布の原動力であるからだ。
引用終わり
平成一九年七月三一日聖教新聞第四面「青年座談会」より引用
原田稔・・・・第七代創価学会会長
谷川佳樹・・・・副会長
竹内・・・・青年部長
森山・・・・学生部長
館野・・・・女子部長
佐藤芳宣・・・・男子部長
まあ、なんとも凄まじいというか、なんとも馬鹿らしいというか、なんともくだらない座談会の内容です。
前半は池田ダイセンセイがいかに偉大か。いかに銭で名誉博士を買いまくったか。それを何処の誰かわからない人たち。それはどこかの「高名な評論家」であったり、どこかの「日本の目覚めた学者」であったり、これまた名前のわからん「ブラジルの言論人」であったり、「私が知っている学者」であるわけで、その極め付けは「誰かが話し合っていた」。そのような人が賞賛していた。「誰かが話し合っていた」・・・・・マンガか?
ましてや、池田ダイセンセイの受けた「大聖人の御遺命通りに難」とは単なる選挙違反による取り調べ・・・・
流石は創価学会の気狂い新聞だけのことはあります。
あほらし