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池田大作氏の自画自賛
平成21年1月20日火曜日晴れ 寒い
<全世界から「五六〇」の名誉市民称号もいただきました。五大陸から、お贈りいただいた顕彰は、「三〇〇〇」を超えております。
モスクワ大学での二度の講演を筆頭に、世界の大学やアカデミーでの講演は、三二回を数えます。
今でも、多くの大学から講演の要請をいただいています。
世界的名門のハーバード大学では、二回、講演を行いました。その際に私が論じた仏法の生死観を、多くの人々が希望の指針としてくださいました。今でも、最高峰の知性の方々が、この講演について論じてくださいます。
リハーノフ先生との対談集をはじめ、世界で出版された私の著作は、四〇言語、九五〇点を超えました。
さらに、ロシアのコスイギン首相、中国の周恩来総理をはじめ、私が対話をしてきた世界の指導者、人類の知性も七〇〇〇人を超えております。
略)
私は弟子として、この五〇年、いかなる難も勝ち越え、堂々たる王者の証を打ち立てたのであります。
そして、私は今、この世界一の英知の月桂冠と絶対勝利の宝剣を、我が愛する、大切な学園生に譲り託したいのであります。(大拍手)>
意味わかりますか?
これは、昨年三月に行われた創価学会関係の卒業式においての池田大作ダイセンセイの祝辞のお言葉でございます。
私には、単なる自己顕示欲の固まりということしか理解できません。
池田ダイセンセイはこれ以外にもいろいろと述べていらっしゃいます。
<晩年、戸田先生は、私の手をがっちりと握りながら、「君がいてくれたから、私は本当にいい人生を送れた」と落涙された。
あまりにも美しい師弟の姿であった。
略)
戦後の最大の苦境のなか、私は戸田先生をお護りした。
命を賭して師匠を護る これが本当の師弟である。
古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。
略)
この言語に絶する師弟の道をつくってきたからこそ、学会は世界的な発展を遂げたのである。>
(全国最高協議会でのスピーチ 聖教新聞平成二〇年八月一日より)
普通の日本人だったら、自分でこんなこと言うか〜
「 あまりにも美しい師弟の姿であった。」
まあ、日本人じゃあなかったら知らんけど・・・・
そんな、「古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。」という自称世界一の弟子は、師匠である戸田氏が亡くなった時に、どういう仕打ちをしたか。
死の直後に池田氏が戸田氏宅に乗り込み、遺品類、古美術、など四億円相当の遺産を強制的に差し押え、葬儀に寄せられた四千万円あまりの香典さえ、遺族に渡さず、創価学会が取ってしまい、未亡人らの抗議でやっと、ほんの一部が返されただけだそうです。そのあとも色紙、メダルにいたるまですべて回収して二代会長色を一掃したそうです。自宅は、池田氏会長就任後に池田氏自身の手により売り払われた。
参照(池田大作の素顔)
<じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです。>
(胡錦濤来日時に胡錦濤に詩を贈ったときの言葉 平成二十年五月九日聖教新聞より)
ちなみに池田大作氏は、聖教新聞に「詩」を発表するときも、
一番最後に
<桂冠詩人
世界桂冠詩人
世界民衆詩人>
と書いています。
その詩の中には、
<「第三代会長を守れば
広宣流布は必ずできる」
「第三代は一生涯
会長として指揮を執れ!」
これは
恩師の絶対の遺言であった
皆が生命に刻みつけた
最大の遺訓であった。>
という「アリガタイ」お言葉もございます。
何回も書きますけど、こんな人をどこをどうすれば指導者として、あがめる事が可能なのか。私程度の頭では理解不能です。
こんな、「偉大な」指導者様は、私は池田大作氏以外には金正日将軍様しか知りません。
あほらし。
Mixiに当店の一番古くからのお客さまでもある大野さんが、阪神淡路大震災の時に経験した事を書かれていた。
私も、あの地震では忘れる事の出来ないことがある。
当店のお客様であるMさんから、地震のその日に営業前でアパートでテレビをつけっぱなしで見てした時に、心配して電話をいただいた。
「木下さん、ご実家は大丈夫ですか」
「ありがとうございます。連絡がまだとれないので、わからないのです。Mさんこそ、ご実家は大丈夫ですか」
「私もとれていないのですが、大丈夫だと思います」
でっ、うちの実家はおんぼろ車庫がぶっ壊れただけで、たいした事が無かった。
Mさんの芦屋のご実家は全壊。
そして、妹さんがお亡くなりになったことを後で知った。
決して、忘れる事の出来ない出来事です。
小胡子さん、BOOちゃん来店。小胡子さんインフルエンザで大変だったそう。